第162話 ロシアへの亡命(末松上一郎視点)
……変装した上一郎と忠次はホテルを出て迎えのリムジンへと乗り込む。
車内にいたのは男が3人。1人はスーツを着た紳士風の中年。あとの2人はどちらもスキンヘッドで、一方が肥満体、もう一方は痩せ過ぎなほどげっそりしており、両方とも全身に入れ墨を入れていた。
なんだこの気味の悪い連中は?
太ったほうはタバコ……いや、それとは恐らく違う独特な臭いのする葉巻を吸っており、痩せているほうは人形のような無表情で正面だけを見つめていた。
「あー……君がデュカスの人間か?」
不気味な2人はとりあえず無視し、上一郎は紳士風の男に声をかける。
「はい。渡会と申します。こちらは護衛を務めるポタニャコフ兄弟です」
「ポタニャコフ兄弟……」
紹介されたポタニャコフ兄弟はこちらを一切見ず、ひとりは喫煙、もうひとりは微動だにせず前を見ているだけだった。
「彼らが護衛で大丈夫なのか?」
上一郎が言おうとした言葉を忠次が代弁する。
「問題ありません、彼らの実力は本物です」
渡会ははっきりとそう言うが、こんな不気味なチンピラが本当に護衛として役立つのか甚だ疑問であった。
「それで、例のものはお持ちですか?」
「ああ」
左に持ったアタッシュケースを掲げて見せる。
この中には人造人間開発の研究データを収めた記録メディアが入っている。拘置される前に、忠次が隠したものだ。
(しかしまさか冬華の墓の下に隠すとは)
そんなところへ隠すとは、上一郎でも思いつかなかった。
忠次は母である冬華を嫌っていた。
墓を掘り起こすくらいなんでもないのであろう。
「お2人がロシアへ亡命するのに必要なものです。大切にお持ちください」
「わかっている」
本当ならこれを使って雪華のような力を持った人造人間を大量に作り、ダンジョンの深層に潜む魔物から素材を集めさせて大儲けするつもりだった。しかし、
(小太郎め……っ)
無能と嘲っていた息子にしてやられ、大儲けするどころか先祖代々と発展させ続けてきた会社を自分の代で潰すことになってしまった。
憎い……はずが、しかし不思議と小太郎を悪く思う気持ちはない。その理由はわからず、上一郎の心中は複雑であった。
出発したリムジンは空港へと向かう。
「大丈夫なのか? ちゃんと出国できるんだろうな?」
当然だが、保釈中に出国など許可されるはずはない。
「ご安心ください。航空会社、空港職員、すべてデュカスの息がかかっております」
「な、なるほど」
ロシア政府と取り引きをし、日本政府に働きかけて自分たちを保釈させたことに加え、航空会社や空港にまで息がかかっているとは……。
このデュカスという組織、一体どれほどの力を持っているのか? 慈善団体の皮を被った宗教団体で、世間を騒がせている魔人もこの団体か操っており、世界中の有力者が関わっていると聞く。
有している力の最大値は想像もつかなかった。
「民間のジェット機にお乗りお乗りいただくので、ご面倒ですが、変装はそのままで」
「民間機? プライベートジェットを利用すると思っていたのだがな」
「プライベートジェットを利用しては悪目立ちをしてしまいます。政府や企業でしたら我々の力で操ることはできますが、不特定多数の視線まではどうにもできませんので」
「ううん……」
どうやら向こうへ到着するまでは、姿を偽るという面倒が続きそうだ。
「ファーストクラスをご用意しております。それほどご不便はおかけしませんよ」
「当然だ」
庶民に混じってエコノミーやビジネスなどの安いクラスになど、乗りたくもなかった。
やがて空港に到着し、渡会に手続きをさせて民間機のファーストクラスへと乗り込む。
隣の席には忠次。うしろの席には渡会。そして前の席にはあの不気味な護衛2人が座っていたのだが……。
「おい」
上一郎は通路向かいに座っている渡会へと声をかける。
「なんでしょう?」
「こいつ……なんとかしてくれ」
太ったほうの護衛がイスの上から顔を出して、葉巻の煙を吐きながらこちらをじっと見ていた。
「ああ、護衛の仕事に張り切っておられるのでしょう。珍しいですよ。そういうことは」
「こうジロジロと見られていては落ち着かない。それと、こいつ機内でも葉巻を吸っているぞ。禁煙じゃないのか?」
そもそも煙草ですらない。
やたらと煙を吐き出し、臭いも異様なので不快の極みであった。
「ああ、申し訳ありません。弟のソルベニア様はそれを吸っていないと食欲を我慢できないのですよ」
「食欲? 食事をしたければすればいいだろう」
そう言うと、渡会は困ったような表情で苦笑う。
「ああその……そう簡単ではないのですよ。ソルベニア様は大変な偏食でしてね。普通の人が食べるようなものは口にしないのです」
「偏食だと?」
普段なにを食べてこんなにぶくぶくと肥えているかは知らないが、その食べ物を与えてやればいいと思う。……そう言おうと思ったが、しかしそれができるならそうしているはずかと、上一郎は言葉を飲む。
「しかしこう煙を吐かれては他の客に迷惑ではないか?」
それはどうでもいいが、こう煙を吐かれては目立つ。
これでは悪目立ちをしないために民間機へ乗った意味がない。
「ご安心ください。ファーストクラスの客も機長も機内スタッフもすべてデュカスの関係者です。ここにいる者たちは皆、事情はわかっている者ばかりなので、会話も好きにしていただいて結構ですよ」
「そ、そうなのか」
確かにこれだけ臭い煙を吐いているのに、機内スタッフはなにも言ってこない。
「しかしビジネスクラスやエコノミークラスには一般人が乗っていますので、万が一のために変装は解かれないほうがよろしいかと」
「あ、ああ」
渡会の話を聞いて緊張が和らぐ。
「なんとかロシアへ亡命できそうだね、父さん」
隣に座っている忠次がホッとしたような表情で声をかけてくる。
「ああ。しかし惜しいな。これを渡してしまうのは」
「しかたないよ。あのまま日本で拘置されてたら下手すれば死刑になってた。外国には別名義でいくらか財産を隠してあるから、それでやり直そう」
「うむ……」
財産があっても、会社の再建はできないだろう。
つまらない余生を送ることになりそうだが、裁判での判決に怯えて拘置所で過ごすよりよっぽどいいと思う。
「父さん……おとうさん……」
「な、なに?」
ソルベニアだったか。
護衛の太ってるほうがこちらを見ながら不気味に呟いていた。
「こっちを見るな。気持ちが悪い」
「へへへ……ああ、おとうさん」
しかしソルベニアは言うことを聞かない。
ジロジロとこちらを見下ろしながら、葉巻を吸って煙を吐いていた。
……それから飛行機が離陸し、一息ついていると機内で騒ぎが起こった。




