第153話 恋敵の手強さを知る(鹿田無未視点)
……花森から電話があった。
無未の誘いということにして小太郎を高級レストランへ呼び出してほしい。
内容はそれだけだった。
番組収録では失敗したので、指定した場所で小太郎を誘惑するらしいが……。
「なにやってんだろ、わたし」
街を歩きながら無未はひっそりと呟く。
あのときは心が乱れていて、小太郎を自分のものにしたいという思いが歪んで花森にあんなことを頼んでしまったが……。
花森に誘惑されて落ちる小太郎など見たいか?
……見たくない。
自分以外の女に惚れる小太郎などあり得ない。
「だけど……じゃあどうしたら?」
どうしたら小太郎は自分だけを好きになってくれる?
どうしたらあの子を忘れて自分だけを見てくれるようになる?
どうしたらあの子よりも自分のほうが小太郎を愛していると気付いてくれる?
……わからない。
自分はこんなにも小太郎を愛していて、愛を伝えている。それなのに小太郎はあんな若い子にかどわかされてしまう。
「やっぱり若い子のほうがいいのかな?」
自分があの子よりも劣っている部分があるとすればそれくらいに思う。
小太郎とて男だ。
若くて綺麗な女のほうがいいのだろう。
「けど、わたしのほうが絶対に小太郎おにいちゃんのことを理解しているし、わたしと一緒にいたほうが絶対にしあわせなんだから。それさえわかってもらえれば……」
あの子から小太郎を引き離すには、花森に頼ったほうがいいのか?
花森に言われた通り小太郎を呼び出すべきだろうかと、迷いながらトボトボ歩く無未。気が付けば、
「あ」
小太郎の家の前に来ていた。
「わたし、いつの間に……」
じっと小太郎の部屋を見つめる。
「あっ」
「えっ?」
聞き覚えのある声が背後から……。
振り返ると、そこにいたのはあの小娘だった。
「あなた……なんでここに?」
「あんたと同じ理由じゃない?」
「同じ理由?」
「コタローと話しに来たの。あのままってわけにはいかないし。けど、なに話したらいいかわかんないんだよね。歩いてれば思いつくかと思ったけどぜんぜん。だから帰ろうと思ったけど、あんたがいるなら帰るわけにはいかないよね」
「……」
この子は小太郎と関係を修復しに来た。
けど自分はなにをしに? 無意識に同じことを望んでいたのかもしれない。この前のことは無かったことにして今まで通りにと。
「どうしたの? コタローの部屋に行かないの? 今日は休みだしたぶんいるよ。買い物は雪華ちゃんが行くようになってから仕事と動画撮影以外は引き籠ってるみたいだから」
「わたしは……」
小太郎を嵌めようとしている。
それなのに一体どんな顔をして会えばいいのか……。
「……ねえ、もしだけど」
ふと、無未は聞いてみようと思う。
「わたしたち以外の女が誘惑したら、小太郎おにいちゃんはどうすると思う? 誘惑されて好きになっちゃうと思う? 見た目も小太郎おにいちゃん好みの女で」
「なんでそんなこと聞くの?」
「な、なんとなく」
理由は言えない。言えるはずがなかった。
「そう? まあいいけど。というか、それ聞く意味ある?」
「えっ?」
「好きになるはずないじゃん」
迷うことなくそう答えた小娘を前に、無未は目を見開く。
「ど、どうして?」
「わからないの? なんだ。意外にコタローのこと知らないんだ」
「なっ……」
「コタローはね、巨乳好きのスケベだけど、あれですっごい固くて誠実なの。わたしたちが心の底からコタローを好きなの知ってて、コタローもわたしたちのことを心の底から想ってくれてるのに、他の女に興味を持つはずないじゃん」
「え……あ」
「だから他の女がどんなにいやらしくコタローを誘惑してもわたしはなにも心配しない。けどあんたはダメ。あんただけは、わたしからコタローを奪う唯一の可能性だから」
「あ、あ……」
なにも言えなかった。
自分はこの子に対し、小太郎を誘惑する悪い小娘程度と軽い存在に考えていた。しかしこの子はこんなにも小太郎のことを理解し、尚且つ無未のことを軽視せず、唯一の手強い恋敵として認識していた。
小太郎がなぜこの子に惹かれるのか?
自分がこの子より劣っている部分が若さだけなんてとんでもない。この子は自分よりも強く小太郎を理解し、信頼していたのだ。
「う、うう……」
「えっ? なにどうしたの?」
怪訝そうな表情をする小娘……アカネからあとずさる。
「うわーんっ!」
そしてうしろを向いて走り出す。
恥ずかしい。あまりに自分が愚かしく、あらゆる言葉を思い浮かべて自分を罵倒した。
小太郎が自分たちの想いを知った上で他の女に誘惑されて、好きになってしまうような軽薄な男だと思っていたことが恥ずかしい。
愚かで愚かで、その愚かさをあの子に教えられた。それがすごい悔しくて、強い敗北感に逃げ出してしまった。
自分は小太郎のことをなにもわかっていない。小太郎を強く想うばかりで、小太郎が自分やあの子にどれほどの感情を抱いているのかまるで理解していなかった。
「ああ……」
だいぶ走って、それから誰もいない川岸でひとり俯く。
「どうしよう……これから」
自分はこのまま小太郎を好きでいていいのか?
あの子よりも強く想ってもらうことはできるのか?
「わたしは……わたしは……」
その答えを出す前に、まずはしなければならないことがあると、無未は手にしているスマホをタップして耳に当てる。
「はーい鹿田さん」
陽気な声で花森が電話に出る。
「あ、花森さん、この前の話なんだけど……」
「ああ、ちゃんと呼び出してくれたんだね。大丈夫。今度は必ず誘惑成功させて、アカツキと仲違いさせてあげるから」
「いや、そのことなんだけど、やっぱり断るから」
「は?」
断る。そう言った無未に対し、花森は一転して低い声を返す。
「今さらなに? なんで断るの?」
「どうでもいいでしょ。手間をかけさせたことでお金がほしいならいくらか払うから、とにかくもうこの件は忘れてほしいの」
頼んでおいていきなり断るのは申し訳なく思う。
しかしもう必要無い。悔しいが、それをあの子から知らされた。
「じゃあそういうことだから……」
「待ちなよ」
通話を終えようとするも、花森の声に止められる。
「あんたはわたしの言う通りにすればいい。白面を指定の場所へ呼び出すの」
「えっ? なんで……」
花森の考えがわからない。
小太郎と自分のことは花森に関係無い。手間をかけさせたことにも金を払うと言っているのに、断りを拒否する理由がわからなかった。
「知る必要は無いよ。いい? 断れば白面の首は飛ぶ。比喩じゃなく物理的にね。あんたが知っていればいいのはそれだけ」
そして通話は切られる。
「首が飛ぶって……一体どういう意味?」
妙な胸騒ぎがする。
小太郎は強い。殺されるなどありえない。
白面の強さはいまや誰もが知ることで、花森も恐らく知っているはず。
その小太郎の首を物理的に飛ばす?
それも意味不明だが、呼び出すことに拘るのも不可解だ。
どうする?
言う通りに小太郎を呼び出す選択肢は無い。
首を飛ばすは花森の狂言だとしても、このまま放置も気持ち悪い。
実際に会って言葉の真意を確かめる。
無未は小太郎を呼び出すはずだった指定の高級レストランへ自ら赴き、そこで花森に言葉の真意を尋ねようと思った。