第151話 椿遊杏の誤算(椿遊杏視点)
……なにこいつ?
腕を離した椿は白面をじっと見上げる。
平静な表情だ。動揺は一切見えない。
椿遊杏。本名、花森優愛。
16歳で芸能界デビューした大人気グラビアアイドルだ。
現在24歳。仕事はグラビアだけでなく俳優業、CM、バラエティー番組への出演と多岐にわたる。サイン会を開けばファンが殺到するため、警察官が大勢、動員されるほどの大人気タレントだ。
その自分が自慢の谷間へ腕を触れさせてやった。
それなのにこの男はなんの反応も示さない。
ありえない。
普通の男ならだらしない顔を晒して慌てるはず。
それなのにこの男は顔色ひとつ変えない。
まさかホモなのこいつ?
いや、動画ではアカツキと鹿田に胸を押し付けられてひどく動揺をしていたはず。女が好きなことは違いない。ならばなぜ無反応なのだ?
椿には自分が最高に美しく、スタイルにも優れているという自負がある。その自分がこうして擦り寄り、胸にまで触れさせてやったのにこの反応。
まったく理解ができなかった。
「あ、それじゃあ打ち合わせを始めましょうか」
そう言ってプロデューサーの尾久がイスへと座る。
「じゃあわたしは白面さんの隣ねー」
ふたたび腕を取って白面をイスへと連れて行く。
取った腕をしっかり胸へと挟むも、しかしやはり無反応。ただ引っ張られてついて来るだけだった。
どういうこと?
男なんてちょっと胸に触れさせてやれば簡単に落ちる。
それには違いない。なのにこの男は落ちる様子を見せない。
これは思っていたより面倒そうだなと、椿はイラついた。
……やがて打ち合わせが終わり、
「あ、ちょっと待ってください白面さんっ!」
帰ろうとする白面を呼び止める。
「はい?」
「あの、これ……わたしの連絡先です。よかったら……」
「すいません。そういうのは受け取れません。仕事のお話でしたら、マネージャーさんのほうからお願いします。では」
そう冷静に言って白面は踵を返して部屋を出て行く。
ありえない。
想定していない事態に、椿は怒りを表情から隠すことができなかった。
……テレビ局を出た椿は車の後部座席に乗り込むと、
「なにあの男っ!」
運転をする羽佐間に怒りをぶつけるように声を上げる。
予定では今日の打ち合わせであの男、白面を落としてホテルへと呼び出し、そこで奴に手を出させて性犯罪をでっち上げるつもりだった。
しかし奴はこちらのスキンシップに無反応で、超人気タレントが連絡先を渡しているというのに受け取りを拒否。
ホモを疑われても不思議ではない暴挙であった。
「なにあれっ! いかれてんのっ! わたし椿遊杏なんだけどっ! 超人気グラビアアイドルのっ! 胸触らせてやって反応しないし、連絡先を拒否るとかマジありえないんだけどっ! あームカつくっ! めんどくさーっ!」
うしろからガンガンと運転席を蹴飛ばす。
「蹴るのはやめていただけますか? 運転に集中ができませんので」
「うるさーいっ! てかなんで羽佐間さんはなにもしてくれなかったの? 全部わたしに任せてー」
「すべて任せるように言ったのはあなたでは?」
「そうだけどー。様子見てなんかしてくれてもいいじゃーん」
「申し訳ありません」
心など微塵も込っていないだろう謝罪を受け、椿は運転席に額を打ち付ける。
「しかしどうなさいますか? あの様子ではホテルへ呼び出すのは難しいでしょう。無理でしたでは、父上は納得しませんよ」
「わかってるよ」
白面を性犯罪者に仕立て上げてから殺す。
これはメルモダーガから受けた命令だ。失敗したではデュカスでの立場が無い。
なんとか成功させなければ。
椿は方法を考える。
「例の女を使ってはどうですか?」
「例の女って?」
「鹿田無未ですよ」
「ああー」
白面を陥れるのに使えるかもしれないと思い、かつて同級生だったことを利用して偶然を装い近づいた。が、本当に使えるとは思っていない。白面を自分の魅力で誘惑して陥れるなど簡単だと思っていたからだ。
「鹿田無未を利用すれば呼び出せるのでは?」
「あーそうかも。じゃあ、最悪そうしようかな」
収録日にもう一度、白面と会う。
そこで落とせなければ、鹿田を使うことになる。
「けど……くっく、これはおもしろいかも」
もしかすれば自分のせいで好きな男を社会的に殺すことになるかもしれない。
そんなことを微塵も考えず、どこかでのうのうと過ごしている鹿田の顔を想像して椿は卑しく笑う。
思惑が成功したのち「こんなことになってごめん」とでも言ってやったら、鹿田はどんな顔をするだろうか? それを想像しただけで表情がニヤつく。
「あーそういえばこのあとの予定ってなんだっけ?」
「佐々倉音々さんとお約束が」
「誰だっけそいつ?」
「先月の人気グラビアアイドル総選挙で1位の椿さんに僅差で2位に選ばれた、17歳の若手グラビアアイドルです」
「ああ……」
椿の表情が歪む。
「14時のお約束です。打ち合わせが長引いてしまったので、このままですと間に合いませんね」
「いいよ。わたしひとりで行って済ませて来るから」
そう呟いた椿の身体が紫色へと変わり、3本の角が額と両肩に生え伸びる。そして虚空へ飲まれるようにそこから姿を消した。
……そして椿の目に映ったのはカフェの店内だ。
周囲には客がまばらにいるだけで、落ち着いた雰囲気であった。
窓辺の席に若い女がひとり座っている。
胸の大きなその女は、時折、時計を見つつ外を眺めていた。
「佐々倉音々」
「えっ?」
佐々倉音々と呼ばれた女が向かいの席へ振り向く。
しかしそこには誰もいない。……あったのは、虚空から覗く目玉がひとつ。
「ひっ!」
「死ね」
女の首を目玉が通過する。と……
ゴロン
首がその場に落ちた。
ややあって周囲に響く悲鳴。虚空から覗く目玉はすでにそこになかった。
「済みましたか?」
バックミラーに映る椿に羽佐間が問いかける。
「うん。夕刊には間に合わないかもね。かかっ」
魔人の姿で椿は邪悪に笑う。
椿遊杏は圧倒的な人気でなければならない。
それを脅かすような奴がいれば始末する。子供のころからずっとそうしてきた。自分よりモテる女がいれば、いじめて自殺に追い込む。自分より人気のグラビアアイドルがいれば、男に金を払って襲わせ、動画をネットにばらいてやった。
そして魔人の力を手に入れてからはこの通りだ。
気に入らない奴を楽に消すことができるようになった。
気に入らない奴。
今までで唯一、潰せなかったのがあの女、鹿田無未だ。中学時代は男子から圧倒的な人気があり、何度か男子をけしかけたが……。
化け物のように強い女だった。
あの女だけはどうやっても潰せなかった。だから……。
「くく、あの女、なにも知らないで……」
「なにか?」
「いや、なんでもないよ羽佐間さん」
人間の姿に戻って温和な声で答える椿だが、しかし表情は魔人のように醜悪なまま、歪んだ邪悪な表情でニヤニヤと笑っていた。




