「分かる」ということが分かってきました。
「分かる」という言葉の意味を、ようやく理解したという話を書こうと思います。
「分かる」というのは「分く」+「在る」で、
細分化されて存在している、多数の構成要素で表される、つまりは解像度が高いと言うことです。
モザイクがかかった状態から、段々と細かいドットに細分化され、綺麗な画像になるイメージです。
この発見から、物事が分かっていく過程ついて1つの例えが思い浮かんだ。
それは高層ビルから見渡す景色をどう理解するかだ。
何も知らないで、その景色を見ると、ビル、家、店など、固有名詞のない抽象的な情報しかない。
もし観光してたりすると、あそこに○○寺、あそこに○○っていうお店がある、みたいな感じで具体的な情報も感じ取れるようになる。
つまり、街を理解するには、高層ビルから眺めて全体像を見るだけでは分からず、実際に行くなどして様々な場所ごとに細かく理解する必要があるということだ。
言い換えると、分かるということは、全体像を把握する抽象的理解と細部を把握する具体的理解を繰り返すことによって、特定範囲の情報を細分化して整理された状態で持っているということだ。
また、地理に詳しい人だと、高層ビルの景色から、ここは○○平野でこの方角に海があり、そこに向かって○○川が流れているみたいな情報が感じ取れる。
つまり、持っている情報や整理の仕方で同じ景色でも見え方は違う。
よって、物事の理解も人により変わってくる。
次回は挨拶について書いてみようかと思います。