主体性の利点とそこから考える宗教のスゴさについて
前回、怠け者の俺にも主体性いるんじゃね?って話をしました。
今回はその続きで主体性を持つメリットについて話そうと思います。
主体性って聞くと、前回話したように、みんなのためにフォローして、真面目者が馬鹿をみるようなマイナスイメージがある。しかしこれは、押し付けや思い込みの産物で、実際の主体性には責任や善悪は関係ない。チーム自体が危機的状況だとしても、最終自分が損しなければいいのだ。自分でやりたくなければ、やらなくて済むよう周りを行動させるという手もあるのだ。
ただ、自己目的達成のため、自分がどういうふうに周り行動して、影響を与えられるかと、自身が与える影響の最適化する性質こそが主体性であると考える。
つまり、主体性を持つっていうのは、「企みを持って、周りの事象を自分事にする」ということだ。
では、それを持つと何が得なんだろうか?
①人生のコントロール感がある。
幸せにはこれが重要らしい。私は実体験で理解した(前回参照)。メンタリストDaiGoがこれ関連の研究を解説してたので聞いてみてどうぞ。
②成長する
実際、周りの事象を自分事にするのは大変。
周りの理解や介入でそれなりにコストはかかる。
しかし、1度やってしまえば、その部分の行動範囲が増え、選択の精度も上がる。
③結果が出やすい
日常は選択の連続である。主体性がある場合はその選択のベクトルが目的に向かっている。無数にある選択のベクトルが合わさり、目的への大きなベクトルになる。
以上3つが、主体性を持つメリットである。正直、個人的にはめんどくさいことこの上ないのだが、不幸を避けるためにやるしかないかな。という結論である。
余談だが、これらを考えてるとき、アレっ?宗教って凄くね?と思ったのでついでに書いておく。
きっかけは大富豪アニキの教えを読んでいた時だ。
(この本は、関西弁満載の読みやすい本質系のお話なので読書得意でない人にもオススメ)
情けは人の為ならず的なことが書いてあったのだが、そこで「おかげさま」という表現がでてきた。
お陰様、つまり、見えない力によって上手くいってますってことだ。
ここで、私は、「神」の正体が情けの集合体であると確信し、「お陰様システム」と名付けた(意味は無い)。
次にアダムグラントのギブアンドテイクを読み、成功するギバー(与える人)は主体的ギブのポジティブループによって生まれると知った。
ここで、宗教凄い仮説を思いついた。宗教にハマる人は神に救いを求めている。つまり他人を利用できないギバーとなる。テイカーのいないギバーの聖域として宗教組織をつくり、ギブのポジティブループを生み出す。ここで生まれる余剰の情けをお陰様システムで組織外に向ける。助けられて感謝した人は新しく信者になる。
科学的な論理の階段をすっ飛ばし、幸せの探究するため、宗教に注目し始めたのだが、成功する組織論としてもこんなに面白いとは思わなかった。
次回は「分かる」という言葉の意味を、ようやく理解したという話を書こうと思います。