主体性って必要ですか?
最近考えが変わってきたのが主体性についてだ。
私の主体性遍歴(そんなものあるのか知らないが)についてだが、
小学生の頃は、失敗をしたくないが、やっていい事の範囲が分からなかったので、とりあえず、いい子ちゃんしていた。グループワーク系もよくリーダーをやった。しかし、怠けてるやつが得をし、真面目な奴が割を食ってるのを何回も見て、やる気を生むグループ作りが自分には出来ないことと、そんな私がリーダーになると損をするということを学んだ。
そこから、私は主体性は損派になった。
自己啓発本などで主体性の大事さを説かれても、自分とは関係ないと思っていた。確かに何かを成し遂げるには大事だが、実践にはめちゃくちゃエネルギー食うし、のんべんだらりと生きていたい、意識低い系の私には使う必要のないスキルだろうと感じていたからである。
ただ、社会人になり、困難に直面した。メンタル的にも時間的にも1日の仕事の存在感がでかく、そこで主体性ほぼなしで動いてたので、病んできたのだ。確かに全ての選択を他人に預けるのは楽で、自分で考える必要が無いし、なにか起こっても他人のせいにできる。しかし、そんな日々を過ごしていると、ひとつの疑問が浮かび上がって、私を苦しめるのだ。こんな人生、生きている意味はあるのかと。
結局、私はたまたま部署や仕事内容がスライドし、主体的判断と提案が必要になったので仕事が続けていられている。しかしあのままだったら仕事をやめていただろう。
この経験を経て、何故こんなにも働くことに抵抗が無くなったのだろうと後から考え、辿り着いた答えが主体性だ。某メンタリストが有効な休日の過ごし方について、幸福には自分がコントロールしていると感じる事が重要であると言っていたがこれのことだったのかと納得した。
結局、実体験をもって幸せに生きるには、主体性が必要になるのだと結論する。
次回は、主体性の利点とそこから考える宗教のスゴさについて書いてみようと思う。