子ども視点からの親論①~親って思ってるより全然子どもだし、だから大人だ。~
今回は「子ども視点からの親論①~親って思ってるより全然子どもだし、だから大人だ。~」について書いてみます。
あー、どうもっす。
読者の皆さんは、このタイトルを見て、何これってなってると思うんで、そもそもこれを書こうと思った経緯から説明します。
えー、私MEK24は4月末で齢30となります。
(いやー、数字だけ見ると大人だなぁ。)
正直それ相応の中身を持ってるとも思えない現状ですが、それなりの大人になるため、ひとつのけじめをつけようと思います。
というわけで、ここいらで、自分が考える子ども視点からの親について考えをまとめて、親になった時の参考にすると共に、一旦子どもとしての自分とおさらばしようという自己満イニシエーションです。
親が子どもだと思うこと、大人だと思うこと。
子どものころは、時が経てば、身体メンタル両方とも大人という別物になるのかと思っていた。だが親の年齢になっても、中身は小学生の頃とあんま変わらない。もちろん、物事の捉え方とか、語彙とか、テクニック的なアプリケーションとか装備的なものがあるので、多少感情のコントロールはできるようきなってるが、それはあくまで皮の問題で、基本的な考え方とか感情の湧き方みたいなところは余り変わらないと思う。それなのに親は(少なくともうちの両親は)、子どもの頃の俺にとって、大人という別枠の存在に感じられるように振舞っていた。親は子どもが思ってるよりも子どもだし、そんな子どもが一端の大人として振舞おうとする姿勢に凄く大人を感じる。
親になることについて
ネグレクトや日常な暴力は論外として、完璧な親なんておらんし、完璧でも子どもがまともに育つかは分かんないので、自分なりにできることやってれば良いと思います。なんか違うことやってても、何かしらの熱意だけは伝わるので。
つーか、自分の子育てあってんのかなーって不安になってるぐらいの方がちゃんとした親になりそう。
現代社会に毒されて、人の命は重いとか尊いとか思いすぎると親なんか誰もならんもんなー。少子化言うんやったら、もっと気楽に行きたいよなぁ。
コスパで言うと結構成熟してしまった現代社会ではかなり悪い方なんじゃないかと思いますねー。
人を1人育てるコストが半端ないからね。
でも、幸せのパフォーマンスとしては、オンリーワンだから、コスパだけ考えるのもどうかと思うよ。
逆に親にならない場合は、社会生物の人間としての後悔を背負って行く覚悟をしないといけなさそう。
次回は「 子ども視点からの親論②~子ども年齢ごとに自分を振り返りながら考える。~」について書いてみます。




