大人になるとゲームができなくなる理由
今回は「大人になるとゲームができなくなる理由」について書いてみます。
良くネット掲示板で、「大人になるとゲームできなくなる」というような書き込みを見る。
YouTubeでは、バキ童chの土岡が「アニメ見なくなった」と言っていた。
学生時代の俺はこの手の話を信じられなかった。忙しいから平日はやらないとしても、休日にはやると思ったからだ。
ただ30歳を目前にして、ゲームができなくなっているのをひしひしと感じている。
最近は、ペルソナ5やゼルダなどのトップオブトップに面白いゲームか、Slay the spire、麻雀等の惰性で続けられるゲームしかできなくなっている。
そこで何故、ゲーム等、学生時代に熱中していたものが、大人になって出来なくなるのかについて考えてみた。
前提条件①「喜びも楽しみも所謂、ギャンブル」
人間が快を感じるまで、何かしらの試行回数を重ねる。低確率で高濃度の快を感じ、達成感がものすごく強いものが喜びである。高確率で薄い快を感じる定常状態が続くのが楽しいである。
理由①「働くって辛ぇ。」
やっぱり社会人になって働くようになるとそこにエネルギーが費やされる。何か新しいことに挑戦する気力も、仕事関連の新しいものに費やされることになる。
メンタリストDaiGoの本でウィルパワーって言ってた気がする。アメリカ大統領は服や飯を選ぶのに人を雇うって。選択が1番エネルギー使うから。
理由②「経験を積み、理解ってしまう。」
理解ったを「わかった」となろうを読む諸君なら読めるだろう。RPGに慣れると「おつかいクエストのたらい回し」を認識したり、「正規ルート外れてお宝を探す」みたいなことをするようになる。お決まりを理解し、何をするとどんな事が起きて、どのような快楽が得られるのかが分かるようになる。
また、世の中を知り、功利主義的に意味のあることないことが分かるようになってくる。そうなると、社会的意義の低いものに対して熱量が注ぎ込めなくなる。そうなると子育てがないチー牛の俺達は創作、仕事、ボランティア、健康くらいしかやることがなくなる。
理由③「人生の主役じゃなくなる」
理由②に関して、ただ価値観が形成されただけでなく、それ以上に面白みを感じなくなっている気がする。人間自体がそう設計されていると考えると、納得できる。子どもができ、人生の主役がシフトしていく。そうなると、その人自体の人生にも意味がなくなるので、生きたいと思えるような面白いことなんてなくてもいい。それよりも、社会生物として意味のある事をする方が合理的である。
つまり、子どもの頃は意味が無いことも面白いと思えるし、思春期は意味が無いことも意味があると勘違いできるし、大人になると意味がなければできなくなる。
その時の価値観で新しい遊びを作っていこう。どんな行為でも遊びと言えばなんでも遊びになるのだから。
次回は「何故、朝飯は食うべきなのか。」について書いてみます。




