「考える」と「悩む」の違いについて
今回は「考える」と「悩む」の違いについてです。
この違いについて、貴方は考えたことがあるだろうか?
考えてことがある人は、相当考えるということに向き合っている人だろう。本当に尊敬する。
これは、僕がたまたま、将棋部というくそド陰キャ部に中高の6年間所属し、強制的に短時間での思考の効率化と向き合うことになったので気づけた産物である。
アマチュア将棋のルールは持ち時間20~30分でそれが切れると一手20~60秒となる。
なので、どういった局面で持ち時間を使うかは重要であり、使ったのならそれ相応のリターンがなければならない。
ここでもう少し、将棋の過程と思考についてもう少し詳細に書きたい。
将棋は大まかに序盤中盤終盤に分けられる。
序盤は記憶勝負。自分の戦法を決めて定跡書を読み、ある程度の局面まで進める。
中盤から相手との駆け引きが始まり、考える要素が増えていく。ここで持ち時間を使う。
終盤では自分がどれくらい生きてるか、相手が死んでるか、どうすれば相手が死ぬ状況に持って行けるか、リソース確認と最後のチェック。ここで形勢も良く、持ち時間も有れば言うことなし。形勢が良く、持ち時間がない場合はシンプルにミスしないように指す。形勢が悪く、持ち時間がある場合は考えて、相手がミスってワンチャンあるような、複雑で難解な局面に持っていく(私だけか?)。
形勢か持ち時間どちらかで優位はキープしておきたい。そのため、思考に効率が求められる。
ダニエル・カールマンの著書「ファスト&スロー」によると人間には2つの思考モードがある。
直観的なシステム1と筆算を必要とする複雑な計算等の普段「考える」と呼んでいるシステム2だ。
将棋においてはシステム1で候補手を集めてきて、システム2で精査する。
実際に将棋を指していて、それなりに時間を使っているのに、次に何を指そうか全然決まらない時がある。
大抵こういう場合は、集めてきた候補者が膨大すぎるか、有効そうなものがなく、精査する気にならないと思っている。
つまり、考えるというのは能動的な行動なのに対して、悩むとは問題を抱えている、負債感を感じている受動的な状態を表している。
実際に問題解決をするのであれば、考えるしかない。「0秒思考」や「ずっとやりたかったことをやりなさい」を参考にとりあえず紙に書き出して見よう。
次回は悪口とは何かについてです。