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仕事においての主体性を持つ意味について

今回は「主体性って必要ですか?」の続編です。


自分の体験から、主体性が必要だと感じたものの、それがなぜ必要か、理論も言語化もできず、モヤモヤしていた。


ある日、社長から

「仕事とは何や?」と聞かれた。


学生向けに講演をするが、あまり説教くさいことは言いたくない。何か良いヒントはないかということだった。特にすぐ辞めていく若者に何か言いたいらしい。


そこで、僕は

「めんどくさいことは機械に代替されて、遊びが仕事になってますからね。そんなもんじゃないですかね。難しいですね。」


すると社長は「遊びが仕事か•••。」とおっしゃっていた。


その時の僕は何も気の利いたことが言えなかったが、「遊びが仕事」が社長の琴線に触れたのを見て、それが鍵なのではないかと思い、考えた結果一つの仮説が生まれた。


「仕事と遊びは本質的に同じものだから、仕事は遊びにできる」


仕事と遊びが同じについては、岡田斗司夫氏の話で知っていた。

ネット民なら聞いたことがあるだろう

「○○(ゲーム等)は遊びじゃねーんだよ!」

この迷言を皮切りに、遊びと仕事はインプットとアウトプットが違うだけで、個人の時間と労力を使うという観点からすれば同じという話である。


であれば、遊びとはなんだろう?

仕事を魔改造して、遊びにできないのか?


今井むつみ先生の「学びとは何か」で、テンプル大学のキャシー・ハーシュパセクとデラウエア大学のロバータ・ゴリンコフの「遊び」について以下のような五原則を紹介していた。

遊びの五原則

1 遊びは楽しくなければならない。

2 遊びはそれ自体が目的であるべきで、何か他の目的(例えば、文字を読むため、英語を話せるようになるため)であってはならない。

3 遊びは遊ぶ人の自発的な選択によるものでなければならない。

4 遊びは遊ぶ人が能動的に関わらなければならない。遊ばせてもらっていたら遊びではない。

5 遊びは現実から離れたもので、演技のようなものである。


つまり、遊びとは主体的・能動的な目標の設定と実行、達成という過程で行われる。


結果、仕事の中で「これやったろ」と勝手に企むことが仕事を遊び化するということである。


これが主体性の萌芽であり、自分が立てた計画を成功させるために、周りのことも自分ごと化させていく。

(自己の影響の最大化、リーダー、マネージャーへ)


次回は「考えると悩むの違い」についてです。

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