その31 逃げますとも
「……え?勝っ……え?」
シノ影は未だに状況を掴めず、困惑するばかり。
まだ武器すら振ってないのに、蹴りで終わった。そんな簡単な事実に理解が追い付かない。
いくらなんでもそれは無い。軽い蹴りでやられる奴なぞ、モンスターでもいないぞ?豆腐でももう少し粘りそうなのに、一体何が?
その固定概念がシノ影の思考にカオスを齎していた。
そう、豆腐以下の存在がいるという事実に。
「猫さん……分かってはいたけど……ごめんね。目を瞑ってゆっくり休みなさい」
「のじゃぁ……奴の蹴りは怪物じゃぁ……後は任せたの……じゃ……」ガクッ……
黒猫はそのままコノルの腕の中で首の力を抜くと寝始める。
グー……
蹴りが怪物だと感じるのは猫さんだけよ……でも任せなさい。ここからは私の仕事……とんでもない屁理屈で乗り越えてやるわ!
コノルはゆっくり黒猫を地面に寝かせる。
そしてキッ!とシノ影を睨み付ける。
「よくも……か弱い女の子にこんな仕打ちを……」
「……えっ!?いや、何!?」
「勝負を望んでいたのに、一方的に蹴って勝負を終わらせ、女の子に大衆の面前で恥を欠かせる……それがシノ影さんのやり方なんですか!!」
「いやいやいや!?勝手に恥を掻いただけであろう!?何で怒っているのだ!そもそも蹴りも立派な――」
「問答無用!こちらは精神的ショックが大きく、見て下さい!!猫さんを!!あまりのショックに気絶してしまいましたよ!!」
「グーグーグー……」
鼻ちょうちんを膨らませ気持ちよさそうに寝息を立てる黒猫にコノルは指を差して出鱈目を言う。
「どう見ても寝ているではないか!!その鼻ちょうちんをやめろ
!!」
「話をはぐらかさないで下さい!!」
はぐらかそうとしてるのは私だけど。
「貴方という人は……恥を知りなさい!!こんな事をして許されるとでも?いいえ!許されませんね!許されませんとも!」
「な、なんで私が責められなければならぬのだ?そもそもどんな決着だろうと勝負は勝負!私の勝ちではないか!」
シノ影はコノルの威圧にたじろぎながら正論を言う。
「ふっ……そうですね。私達が勝てばこれまでの蛮行を許すと言う条件で行った勝負……ですが、今のシノ影さんの行いは、私達の蛮行に近しいものがありますよね?つまりこれでお相子です。それで宜しいですね?」
「良いわけあるか!?なんだ貴様!?図々しいにも程があるわ!端から痛み分けが狙いか!ならん!約束通り貴様らには相応の罰を与える!」
「おや?何の話ですか?」
コノルは素っ惚ける。
「貴様ら……負けて何もお咎めがないとでも思っていたのか?」
「はっ!勘違いも甚だしい!片腹痛いわ!私達は勝ったら蛮行を許してもらうだけで、負けた時の条件は出してませんよ!」
コノルは腰に手を当ててドヤ顔で巫山戯た事を抜かす。
「屁理屈を!そんな話が通るか!」
「ええ。だから負けたから蛮行は許してもらわなくて構いません。許さず永遠に恨み続けて下さいな。ではこれで。何時まで寝てるのよ猫さん。行くよ」
「……のじゃ?朝かぁ?」
「待て待て待て!?許さなくていいって、それで済ますつもりか!百歩譲って蛮行はそれでもいいが、我々の船と乗組員の死傷者はどうなる!実害は出ているのだ!その責任は取ってもらうぞ!」
「死傷者って……死んだ人でもいたのですか?」
コノルは睨み付けながら言う。
「い、いや……それは……いない……が」
「ですよね」
コノルはシノ影の誇張を看破する。
そう、いない。実は乗組員は全員無事だった。海に投げ出された後、すぐ近くにいた白い漁船が乗組員を救ってくれたので、不幸中の幸いにも誰も死ななかった。
では何故気絶から起きたばかりで事の顛末を知らないコノルは死者が出ていない事を知っていたのか。
なに。簡単な推理だ。起きた時、悲しんでる人、気落ちしている人、騒ぎになっていない事、呑気にここで責任者共がバカ騒ぎをしている事、そんな諸々の事から死んだ人はいないだろうと容易に予測を立てられただけ。
仮に起きるのが遅過ぎて、既に死人の処理が行われてたとしても、港に未だ気絶している連中をほっとく訳ない。つまり起きるのが遅かった訳ではない。救出されて間も無いのだ。
だから憶測は80%間違っていない。
ついでに尤もその根拠を持てた理由が、
猫さんが無事だった事だ。
彼が生きていて、その他の人が死んでしまっている。そんな事、天地がひっくり返っても有り得ない。死ぬなら彼が1番最初に死んでいる筈。
だからコノルは死んだ人がいないと分かっていたのだ。
「死んだ人がいないならいいじゃないですか?もし負傷者が〜とか言うなら私達も負傷者です。ではではー」
「ふ、船だ!船はどうしてくれる!」
シノ影は立ち去ろうするコノルを引き止める為に船の話を持ち出す。
知らんがな。
「そんな事私に言われても困りますが?勉強代って事で諦めて下さいな」
「そんな訳に出来るか!建造費で2000万ゴルドだ!貴様らに弁償してもらうぞ!」
額を聞いてコノルは立ち止まる。
そして黒猫の腕を強く握ると、
有無も言わさず、全力でダッシュした。