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異世界で、歌を歌います!  作者: キャトル
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1.私のお気に入り

ドォォォンッ…

「きゃあぁっ!」


 銃声と悲鳴に、花音は目を覚ました。

「‥…痛っ…くない…?私、轢かれたはずじゃ…。ここはどこ…?」

 自分を轢こうとしていた車は跡形も無く消え、それどころかまるで見たこともない景色が広がっている。トタン屋根のような、背の低いボロボロの家屋。痩せこけた人間が、だんごになって何かを争い、地面に座り込んだまま動かない人もいる。 鼻をツンと付くようなこの匂いは血の匂いか、汚物の匂いか、腐臭か。


「…ナヴァラの娘…。」

 悲惨な戦争を描いたオペラの題名が、口をついて出できた。この様な世界を、花音はそのオペラのセットでしか目にしたことがなかったのだ。


「……せ‥…」

 ぼそりと呟く様な声に振り向くと、自分に向かって棒のような手を伸ばす人々。

「…よこせ……よこせ………」

花音の長い黒髪を無造作に束ねる、金色のバレッタ。1000円もしない、割と裕福な花音で無くても簡単に手の届く安物が、このスラム街の人達にとってはこの上無い価値のある物に見えるのだ。

「……よこせ……よこせ……よこせ……」

服、バレッタ、舞台用の衣装が入った大きなスーツケース。彼等の目には、花音は宝物を全身に纏っているように見えるのだろう。

 怖くなり、花音はたまらず逃げ出した。気の毒だという気持ちもないわけでは無かったが、恐怖の方が大きかった。


 「…ハァッ…ハァッ…なんなの、ここ……」

 幸いというべきか、彼らは体力が無かった。空腹や衰弱のせいだろうか。トタン屋根のボロボロの住宅の間を全力で走れば、運動神経の鈍い花音でも撒くことができるほどだ。建物が複雑な形で密集しているおかげで隠れやすいこともあった。


 暫く走ると、ゴミの山ような物が見えた。よく見れば、壊れた家の廃材を組み立てて作った小さな家のようだ。あちこちに穴が開いていて丸めたボロきれが詰められている。

 とにかく人目に付かないを目指していた花音は、何も考えず転がり込んだ。ついしゃがみ込むと、どっと汗が噴き出す。息が上がって苦しい。脇腹がずきずきと痛み、喉の奥から鉄のような味がする。夢ならば、早く覚めてほしい。だが、リアルさは、とても夢とは思えない。ならば私はあの時車に轢かれて死んでいて、ここは地獄なのか。 


 「だれ?」

幼い少女の声が聞こえた。見れば、10人ほどの子供達が、怯えた顔でこちらを見ていた。歳は、下は3歳から上は10歳ほどだろうか。

 「僕達は何も持ってないよ…お金も、武器も、ご飯も。だから、何もしないで…殺さないで…。」

1番年長らしい男の子が言う。


「ご、ごめんね!あなた達のおうちだと、知らなくて…」

慌てて子供達を安心させようと声をかけるが。

 「…うっ、ひっくっ…う…うわぁぁぁぁん…」

「…し、死にたくないよぉ……」

 怯えきった子供達には、届かない。

年少者たちの泣き声にかき消されてしまう。

 「しっ!静かにしないと…また怖い人がきたら……」

少し年上の女の子達が慌ててなだめる。


 年端もいかない幼子達の、怯えてる様を見て花音の胸は痛んだ。今まで、いかに自分が恵まれていたのだろうか。何不自由なく暮らし、何不自由なく音楽を嗜んで、その様な日常はここには無い。今にも死ぬかもしれない。必死で足掻かなければ、怯えて警戒しなければ生きられないのだ。飢えた人々の救いを求める手を振り切って逃げた、先の行動を恥じた。

 

 ここがどこかは判らない。自分が生きているのか、死んだ後なのかもわからない。もしかしたら地獄なのかもしれない。でも、この怯えた子供達をこのままほっておくことは出来ない。何かしてあげられることがないか…いずれにしても警戒を解かなければ始まらない。

怯えと警戒が最大級に高まった心を動かす方法を、花音はひとつしか知らない。



「〽︎バラの雨粒 子猫のひげ

  銅のケトルにフワフワミトン

  茶色の包装紙のプレゼント

  みんな私のお気に入り」


 泣き声がぴたりと止んだ。怯えた顔はきょとんと不思議そうに驚いた顔に変わる。


 「青いツヤツヤサテンのリボン

  白いドレスの女の子

  顔にふわりと降る雪

  みんな私のお気に入り」


小さな頃、何度も見たミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」。雷と嵐に怯えた子供達が、家庭教師マリアの部屋に集まり、そこでマリアが歌って聞かせた曲、私のお気に入り。花音も、怖い夢を見た時、転んで泣いている時、何度も母に歌ってもらった曲だ。


 「犬に噛まれたり ハチに刺されたり

  悲しい気持ちになった時

  思い出すの 私のお気に入りを

  そうすれば不思議と大丈夫」


子供達の警戒がふわりと解けていくのを感じた。顔にほのかに楽しげな表情が浮かび始める。やがて歌いおわると、子供達は次々に自分のお気に入りを述べ始めた。


「私はね、たまに道に落ちてる青い石がお気に入りなの!」

「僕は、強くて丈夫な布。ボロボロでもいい、持ってると安心するんだ。」

「私は、ここにいるみんな…かな?」


 花音は今までに経験したこともない感覚だった。音楽が、怯えていた子供達の心を確かに動かしたのだ。反抗し、心に壁を作っていた花音は長年味わうことが無く、忘れていた。音楽がこんなにも、人の心を動かす力を持っていることを。

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