第5話 第一章・4 鑑定士、邪神の眷属に遭遇する
リュークが見つけた怪しいカビ。
安全と思われていた攻略ルートの真の顔が今、牙を剥く――!
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俺が懐から取り出した宝玉は、《リンクジュエル》という。マスターが一部の冒険者に貸し出している、通信用のアイテムだ。今回の密命に当たって、俺はあらかじめ、モーナからこいつを渡されていた。
「モーナ、聞こえるか?」
石を手の平に乗せて声をかけると、すぐに石の中から、モーナの肩から上が――ただしごく小さな姿が、浮かび上がった。加えて周囲の背景も映る。ちょっとしたジオラマのようだ。
ちなみに今向こうでは、俺の周囲が同じように浮かび上がって見えているはずだ。
『待ってましたよ、リュークさん! 今は遺跡ですか?』
「ああ。リムルフ・ルートの第八階層だ。あんたの言っていたものを見つけた」
『いえそこは、あんた、ではなく、モーナお姉ちゃん、と――ああ待って、切らないで下さい!』
通信を切る素振りを見せた俺を、モーナが慌てて止める。まあ、本当に切るつもりはないがな。
俺は石の角度を変え、問題の壁が見えるようにしてやった。……群生するカビに似たワンダー。邪神の澱だ。
『やはりありましたか……。何度か目撃情報が届いていたので、気にはなっていたんです。ただ、全二十階層の浅いルートで見られるなんて不自然なので――』
……そう、モーナの言うとおりだ。だから彼女は、俺をここへ調査に向かわせた。もちろん、俺がこの件に興味を抱くことを織り込み済みで、だ。
「とにかく上層部に報告しといてくれ。俺はもう少し状況を調べてみる」
『分かりました。頑張ってください、リュークさん、ロミィさん、あと初めて見るお連れの……って誰なんですかそのきれいな女は、リュークさんっ?』
「お姫様だ」
『お姫様? そ、それはまさか……俺の愛しい姫とか、そいういう類のアレですか? ああもう、こうしちゃいられません! 今行きますから待ってて下さ――』
モーナがすべてを言い終わる前に、俺は無言で通信を切った。
「ロミィ、こいつを預かっといてくれ」
「つまりモーナの相手はあたしがやれ、と?」
「そうだな。遊び相手にちょうどいいだろう?」
そう言ってリンクジュエルを相棒に押しつけ、俺はオルタに向き直る。
「リューク、これはいったい……?」
「聞いたとおりだ。少しばかり事情があってな――ん?」
その時だ。俺は気づいた。
通路の向こうから、足音が一つ迫ってくる。ただし、人だ。ワンダーではない。
別の冒険者か。いや、確かに冒険者だが、あいつは――。
「ようやく見つけたぞ、このFランク鑑定士! 貴様、よくもオルタ様をかどわかしたな!」
「あ、パンだ」
ロミィの言ったとおり、パンの匂いのする杖を持った魔術師が、顔を真っ赤にしながら突っ走ってくる。ドーリスだ。こいつはまた、面倒臭いやつが来てしまった。
「かどわかすも何も、合意の上で一緒にいるんだがな」
「黙れ、Fランク風情が。オルタ様のパートナーとして相応しいのは、この私以外あり得ないのだ。何なら――実力で示してやろうか?」
そう言うやニヤリと笑い、俺に杖を向けるドーリス。やれやれ、小者丸出しだな。
それに――と、俺は右目でやつの感情を読む。
こいつがオルタに下心を抱いているのは間違いない。ただし、その恋慕と絡み合うようにして、相手を屈服させたいというドス黒い想いが渦を巻いている。
「……なるほど。名声欲が転じて、自分以外のすべてを見下したいという高圧的な性格が形成され、男女の関係においてもそれが適用される、か――。時々いるよな。女に対して、やたらと自分の方が優れているとアピールしたがる男が。つまりあんたにとって、冒険者になり立てのお姫様となれば、さぞかし見下し甲斐がある――というわけだ」
「な、何を!」
俺の的確な指摘に、ドーリスが慌てふためく。同時にオルタが顔をしかめ、ドーリスから距離を置くように、俺の方へ後退った。
「ドーリス、あなたは……私に対して、そのような想いを?」
「ち、違う、出鱈目だ! こんな鑑定士の言うことなんか信じてはいけません!」
「いいえ、リュークは信じるに値する人です!」
「どこが! そいつの着けている英雄の紋章を見てください! レベルは1。ランクは最低。鑑定士のくせに、持っている鑑定スキルが一つとして育ってない! そいつの鑑定はすべて出鱈目だ!」
……確かに、俺が冒険者になって「鑑定士」というクラスに就いた時に、神の加護によって与えられた鑑定スキルは、スキルレベルがまったく育っていない。それは事実だ。
ただ――理由は簡単だ。なぜなら俺は、この鑑定スキルを、今まで一切使ってこなかったからだ。使わないものは育たない。そんな後付けのスキルよりも、俺には生まれついての鑑定魔術がある。それだけの話だ。
「俺を信じるも信じないも、あんたの勝手だがな」
俺は笑いつつ、ドーリスの怒りを軽く往なす。それは、より重要なことを伝えるためだ。
「ただ、この一言ばかりは信じてもらわなくちゃ困る。――ここは危険だ」
「馬鹿な。そんな出鱈目を誰が――」
「出鱈目じゃない。見ろ、この壁を」
そう言って俺が指したのは、もちろんあのカビだ。
「こいつは《邪神の澱》。邪神やその眷属の瘴気に反応して生じる、カビ状の生物だ。こいつがあるということは、このルートは何らかの形で邪神に繋がる」
ついでに言えば、これまでの遺跡調査により、邪神絡みのレリックは、階層が深くなればなるほど出現しやすくなる――というデータがある。さっき入り口で遭遇したニセの邪神は、相当なレアケースだった……と言いたいところだが、ここに邪神の澱がある以上、あながち偶然とも思えない。
「改めて言う。ここは――危険だ」
だが、ドーリスはこの言葉を信じなかった。「馬鹿馬鹿しい!」と一蹴し、黒ずんだ壁にツカツカと歩み寄る。
「この小汚い壁が何だと言うんだ! まさか、この壁の中に邪神が埋まっていると?」
「ああ、可能性はあるかもな」
「面白い。だったら試してやろう! マジックボルト!」
ドーリスが杖をかざし放ったのは、簡単な攻撃魔法だ。たちまち壁の一角が穿たれ、小さな穴が開く。
……ただこの時点で、俺の予感は的中したと言ってよかった。
「いいか、この遺跡は、一見普通の石造りに見えるが、実際は次元の異なる物質でできている。故に破壊はできない――」
「ふん、これだから貴様はFランクなのだ。見ろ、現に私が壊した!」
「そう、壊れた。つまり、この壁は最初から壊せるように出来ていて、そのことに今まで誰も気づかなかった――ということになる」
「詭弁だ! オルタ様、こんなやつの言うことなど信じては駄目――ん?」
ドーリスが言葉を切る。俺とオルタ、そしてロミィの視線が、壁に穿たれた穴に向かう。
何かが、モソモソと蠢いている。穴の奥から出てこようとしている。
一瞬、一同の間に緊張が走った。
……あくまで、一瞬だが。
「お、おいおい、まさか本当に邪神なぞ出てくるわけが……なかったな、やはり」
ドーリスが額に冷や汗を浮かべながら、安堵の苦笑を漏らす。壁の中から姿を現したのは、どうということのない――ごく普通の一匹のネズミだったからだ。
「ははっ、こいつが邪神か? おいFランク、これのどこが危険だと?」
その声に、俺は答えなかった。
なぜなら――この場でただ一人、俺だけが意図的に緊張を保っていたからだ。
ネズミと重なって、その感情が見える。殺意――。ごく普通の小動物が人間に対して持ち得ない感情を、このネズミははっきりと抱いている。
「下がれ、ドーリス!」
俺が叫ぶのと――ネズミが正体を現すのと、同時だった。
毛並みが途端に漆黒に黒ずみ、メリメリと音を立てて肥大化する。その眼は赤く染まり、背中を割って一対の邪悪な翼が生える。
「うわぁっ、何だこいつは?」
「リューク、これはいったい――?」
ドーリスとオルタが同時に叫んだ。俺達の見ている前で、ネズミは瞬く間に通路いっぱいに巨大化し、さらに新たな変貌を遂げる。
長く伸びた首と四肢。毛は抜け落ち、黒くぬめる皮膚へと変わる。さながらそれは、夜の闇を体現するかのような、黒き飛竜。
「フォリス。れっきとした邪神の眷属。顕在化度、九十九パーセント――」
俺がそれを口にするのと同時に、ドーリスの悲鳴が上がった。
「うわぁぁぁっ!」
叫び、踵を返し、瞬く間に逃げていく。確かにフォリスと言えば、Aランクの冒険者でさえ苦戦するという難敵だが……。この程度で逃げ出すぐらいじゃ、ポンコツ姫騎士様のフォローなんて到底できないだろうな。
いや、ドーリスのことなんてどうでもいい。それより――。
「りゅ、リューク!」
そう、オルタだ。彼女はすでに腰を抜かし、身動きすら取れずにいる。その真正面には、すでにフォリスの牙が迫っている。
「ロミィ、人払いを頼む!」
俺の声にロミィが頷き、即座に通路を魔法壁で遮断した。これで余計な人間は近寄れない。つまり――俺が力を振るうには、打ってつけの状況だ。
すかさず、すべてを視界に収める。――オルタは床に尻餅をつき仰向け気味。その真正面に、フォリス。
これを見れば、誰もが姫騎士の危機だと思うだろう。だがこの時点で俺は、すでに勝利を確信していた。
すでに「陣形」は完成されている。あとはただ、これを唱えるのみ。
「――開!」
俺は、声高に叫んだ。
突如現れた邪神の眷属。
果たしてリュークが描く作戦とは?
お読みいただきありがとうございました。
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