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小雀恋模様  作者: 28号
圓山と弟子の章
25/30

05 圓山、嫉妬する


「……あれだ、『牡丹灯籠』やれよ」


 庭先に落ちてきた小娘にそんな言葉をかけたのは、今思えば大人げないにも程があった。

 俺の家に不法侵入したあげく、『藤先生を笑わせたいんです』なんて言い出す娘のこざかしさに、あのときの俺はいい年して腹がたっていた。

 我ながら、本当に意地が悪いと思う。よりにもよって、やれと言ったのは『牡丹灯籠』だ。

 

 牡丹灯籠は中国の怪奇小説や深川の怪談話などに着想を得て、三遊亭圓朝が明治の頃に作った人情噺である。

 元の噺は仇討ちなどの要素もある長いもので、怪談としてよく知られているのはその中の一部だ。

 恋煩いで死んだ幽霊『お露』と、彼女に想いを寄せられ最後はとり殺される『新三郎』が主役の話は、四谷怪談や皿屋敷などと並んで日本三大怪談なんて言われていたりもする。筋立てはシンプルだが、素人が簡単にできる噺じゃあない。

 もちろん俺はそれをわかった上で、会ったばかりの小娘に「やってみろ」と無理難題をふっかけたのだ。

 そして奴が失敗するざまを見て、笑ってやろうと身構えていたのである。


「根津の清水谷に萩原新三郎という若く美しい浪人が住んでおりました――」


 けれどあいつがしゃべり出したとたん、部屋の中が空気ががらりと変わった。

 くすぐりを交えつつの話術は素人の物とは思えず、出だしは軽妙に進んでいく。


 だが笑いの中にも、のちの展開を予感させる不穏な気配が巧みに織り込まれていて、いつしか俺は奴の噺に夢中になっていた。

 うるさいほど泣いていた蝉の声が遠ざかり、小娘の声に意識を絡め取られ、やつの顔がすぅっと消えた。

 そのまま小娘の語りに引き込まれて、そもそも落語を聞いているという意識さえ奪われた。


 カランコロンと駒下駄の音が聞こえだし、幽霊の持つ牡丹芍薬(ぼたんしゃくやく)の灯籠が揺れる。


『新三郎様に会いたい。会いたい』


 死してなお、思い人へ恋しさと執念に取りつかれた幽霊「お露」の台詞に、俺はぞくりと震えていた。

 その後、幽霊に協力を請われる下働きの伴蔵(ともぞう)とお(みね)が出てくる下りで少し笑いはもどったが、つきまとう不穏さは消えず、自然と握りしめて手のひらにじっとりと汗が滲む。

 そして最後に、お露が美しくも恐ろしい笑みを浮かべ、思い人である新三郎の屋敷へすぅっと入っていく様には震えさえ走った。


「怪談牡丹灯籠のうち『お札はがし』でございます」

 

 ようやく小娘の語りが終わるが、それでもまだ現実に心が戻らない。

 そのまま唖然としながら、俺はこちらの反応を伺っている彼女を見つめていた。

 

 そして思った。

 ――悔しい。

 ――ただただ悔しい、と。


「藤、すまん」


 思わずこぼした声に、俺は自分で驚いた。

 でも撤回しようと思った瞬間、全てを察したように奴は言った。


「わかっています」


 振り返ると、同じように、藤は小娘を見ていた。

 多分奴も俺のように思ったのだ。


――悔しい。悔しくて悔しくて悔しくて、それでも奴の落語をもっと聞きたい。


 そう思ってしまったから、物わかりの良すぎるこの男は抗わなかったのだ。


■■■      ■■■


 それから小娘に、俺は『ウズラ』という名前を与えた。

 たいそうな名前をつけるには悔しかったし、小鳥遊雲雀という鳥づくしな名前だったのでウズラで良いかとなったのだ。

 散々文句は言われたが、可愛らしい名前にしただけマシである。


 それから奴を弟子にし、俺はウズラを無理矢理家に住まわせた。

 アホ丸出しで、普段は全くそんなそぶりを見せないが、彼女はなかなかに苦労人だったからだ。

 幼い頃に親を亡くし、唯一の肉親である祖父は施設暮らし。その間うずらは布団と小さな冷蔵庫しか無いボロッボロのアパートで暮らしていたのである。

 にもかかわらず、最初は「じじい」と住みたくないと文句を言いやがった。


「でもここにいれば、藤の手料理が食べられるぞ」


 といったらあっという間に陥落したが、今思えば藤には悪いことをしたと思っている。

 俺は一度に弟子は一人しか取らないと決めている。つまりウズラを弟子にした時点で、奴にチャンスは無くなったのだ。

 ウズラが独り立ちしたころには、奴はもういい年だ。だから他の師匠に推薦状を書くなり、立派な社会人になれと言ってやるべきだったのだ。


 でも俺は、そうできなかった。


 ウズラは藤にべったりで、もし彼が他の噺家のところへ行くと言ったらついて行ってしまいそうだったからだ。

 この娘は手に負えないと薄々分かっていたのに、他の奴のところに行かせるのは嫌だと思ってしまったのだ。

 それに藤のことも、他人にやるには惜しいと少なからず思っていた。ウズラと違って、やつは教えられたことを素直に吸収する。

 奴は多分、どこに行っても上手くやれる。師匠の教えを素直に吸収し、完璧な後継者となり、一門を背負って立つ噺家になるだろう。

 だからこそ、俺はこの若き天才が、自分以外の落語に染め上げられ、名を馳せる未来を見たくないと思ってしまったのだ。


「……師匠。雲雀が今の暮らしに慣れたら、俺は別の道を行こうと思います」


 だから藤がそう言い出したとき、俺は残念だと思うと同時に、少しだけほっとした。

 あいつが言う『別の道』が、噺家になるのを諦めるという意味だと察していた。


 だから引き留めなかった。諦めても、それでも奴はウズラの側にずっといるだろうと、馬鹿な俺は勝手に思っていたのだ。


 そして俺は、藤を引き留めなかったことを、この先10年ずっと後悔することになる。


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