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小雀恋模様  作者: 28号
小雀と恋の章
1/30

01 小雀、粋な言葉で嘘をつく



 噺家は、どんな言葉にも粋な返事をするもんだ。


 うちの師匠こと『冬風亭(とうふうてい)圓山(えんざん)』は、ことあるごとにそんなことを言う。

 最初はその意味が分からなかったけれど、確かに私のような人間はことさら言葉に気をつけなければいけないと、近頃は思っている。気を遣っているようには見えない、と周りには言われるけれど。


「目が見えた頃と今と、高座に上がる時の感覚はやはり違いますか?」


 何せ私は、この質問をことあるごとにかけられる。

 何百回、何千回とその質問を投げかけられ、多分今後も私はその質問と付き合って行くのだろう。

 そしてそういう質問に「違いません。今も昔もさっさと一仕事おえて、すぐ帰りたいって思ってます」なんて本音を言えば顰蹙をかうのはわかりきっている。

 だから私は、思ってもいない言葉でいつもそれに応えるのだ。


「かわりません。今も昔も、私の目は落語の中にあるんです。だから落語をやっているときは、自分の目が見えないことを忘れてしまうんです」


 多少脚色しているが、その言葉は嘘ではない。

 もうずいぶん前から私は視力を失っているけれど、まるで見ているように、脳裏に鮮やかな情景が浮かぶことはある。

 幼い頃から落語と付き合ってきたせいか、八つぁんやご隠居、熊さんや与太郎が住む江戸の街が、目の前に広がっているように感じるのも事実なのだ。


「むしろ目の前が見えないおかげで、見ることの出来ない光景がすっと浮かぶんですよ。おかげさまで、『あんたの落語は臨場感に溢れてる』『見てきたことを喋ってるようだ』なんていわれます」


 そんなことを言ってやれば、たいていの人は感心した様子を見せて、それ以上私の目について触れられない。

 だからそれ以上は語らないけれど、もちろん、私が見ているのは江戸の街だけじゃない。

 落語をやり始めれば没頭できるけれど、舞台までの道を歩くときや一席終えて現実へと戻ってきた瞬間、不意に見える光景は他にもある。


 今はもう無い、かび臭い実家の天井。早くして亡くなってしまった両親の面影。

 ぼけてしまい、干物のことばかり楽しげに語っていた祖父の痩せた身体。

 少しずつ闇に閉ざされていく視界の向こうで、私を大切にしてくれた藤先生の甘い笑顔。

 そういう物を、私は繰り返し繰り返し見るのだ。


 でもそれは、あまり粋ではないと私は思っている。

 過去に捕らわれているのは同じだけれど、江戸の街と違って、他の物はなんだか湿っぽい。噺家には似合わない。

 自分の欠点を笑いに変えて、ちょっと粋なことを言って、「あんたは口が上手い」とか「目が見えなくても楽しそうですな」なんて言って貰うのが噺家だ。それが、私の理想だ。


 だから私はいつも、江戸の貧乏長屋を見て、笑って、暮らしていることにしている。



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