さよならはワルツのあとで。そしてドミニコをあやつる魔性とアリサは死闘を演じるのです。
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
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……今回、ずいぶん投稿に間が空きまして申し訳ございません。ちと長いですが、三部構成になってます。三話まとめて読まれるつもりで、どうかよろしくお願いいたします!!
「ほう、逃げる気か? ブラッド・ストーカー。世界最強の殺し屋様ともあろうお方が? 素人の私にしっぽを巻いてか。はっ!! とんだ看板倒れだな」
ブラッドと、剣をかまえて一対一で対峙しながら、ドミニコは揶揄し爆笑した。
「いま私はひとり。兵はなし。おまえなら造作もなく屠れるのだぞ。なあ、子供でもわかろうよ」
そして噛んでふくめるように小馬鹿にした。
あの無敵のブラッド相手に……!
コロシアムの底に土煙が舞う。
私が咳き込んだのはその刺激のせいばかりではない。
横にいるブラッドの殺気に、私の神経が耐えられなかったからだ。
彼は相変わらず無口だったが、あきらかにドミニコの非道に怒っていた。
私の命を狙ったきたときにも感じなかった、落雷前の帯電のような圧迫感……!!
死を予感した身体が緊迫に震える。
これが彼の本気……!!
なのに、なんで殺気をぶつけられているドミニコ本人が、けろっとして煽り続けられるの!?
「ここで元凶の私を仕留めれば、すべて丸く解決だ。だが、おまえはその好機もわからぬほど愚かか? いや、臆病者なのか。はっ!! 殺し屋など廃業し男娼にでもなれ。いい娼館を紹介してやるぞ?」
もう自殺願望に取り憑かれているとしか思えない。
私は違和感に立ち眩みをおぼえた。
ギロチン台に首をセットされながら、処刑人を挑発し続けるような無謀っぷりだ。
こんな狂った大国の統治者があってたまるものか。
それに、なんなの、この言い知れぬ不安は……。
「はっ、見ろ。ブラッド。この刀身、じつに見事な真紅に染まっている。何故かわかるか?」
ドミニコは、お気に入りの美術品のお披露目のように、刀をためつすがめつ眺め、問いかけた。
突拍子のなさに頭がくらくらする。
突然なにを言いだす気なの、こいつは……。
「それはな。この血がスカーレットへの恋に狂い、無理心中をはかったマルコの血だからだ。勘違いするな。恋の熱さに赤くなったのではない。あまりに恥知らずな行いに、本人はともかく、血が羞恥でまっかになったのだ。さて、臆病者のおまえの血は、この刀をどんな色に染めてくれるかな」
巨大で怪異な彫像の下で、ドミニコがそう声を立てて笑った。
私は不安も吹っ飛び、髪が逆立つほどの怒り一色にとらわれた。
恥知らずですって……!?
あんたがマルコの心を面白半分に操ったせいじゃない!!
あんたは……私の親友を、弄んでおとしめ、笑いながら串刺しにしたんだ……!!
その刀を染めてるのは、マルコの無念と悲しみの血涙よ……!!
それをさらに嘲るなんて……!!
絶対に、許せない……!!
だが、残忍なドミニコは、私の憤慨も利用し、瀕死のマルコを侮辱した。
「よかったなあ、マルコ。スカーレットが怒ってくれているぞ。……ふははっ!! 保護者気取りの友人としてな。つまり、だ。おまえは惚れた女に、男と認識されていないのだ。ものにするチャンスはあったのに、雄の本能に背き、いつわりの礼儀を貫いた結果だ。あわれだな。死んだほうがマシではないか。いや、おまえはもうすぐ死ぬんだったな」
ドミニコはげらげら笑い、剣を地面に突き刺すと手を叩いた。
「ピエロにとって笑いと拍手は誉だろう。滑稽であるほど観客は湧く。合格だぞ、マルコ。なんだ、反応がないな? 今度は狸寝入りのパフォーマンスまでサービスか」
こ、こいつ、どこまでマルコをバカにすれば……!!
かっとなった私は怒りで我を忘れた。
「落ちつけ」
飛び出して平手打ちをぶちかまそうとした私の頭を、がっと掴んでブラッドが押さえつけた。
ぎゃああああっ!!
握力強すぎる!!
今、私のプリティーな頭骨の繋ぎめ、みしって鳴ったよ!?
「悪魔に手加減は無用だな」
ブラッドがぼそっと呟き、悶絶してばたばたする私はむかっとした。そりゃあ私は褒められた性格じゃないけど、悪魔ってなによ。せめて悪の女王とか、悪役令嬢とか……。
が、それは私にかけた言葉ではなかった。
「俺にまかせてもらおう。どいてろ」
「みゃっ!?」
首根っこをつかんだ仔猫よろしく私をぽいっと横に押しのけると、ブラッドが走り出した。滑るような独特の動き……!! 一瞬でドミニコとの距離が詰まる。
はねあがったブラッドの足が、闇をはらう稲妻のように閃く。
ドミニコが後退してかわす。
うそ、見切ったの!? あのブラッドの蹴りを……!!
「ははっ、いいぞ。良い蹴りだ。もっと楽しませろ」
「……そうか。いくらでもくれてやる。おまえにならどこまでも非道になれそうだ」
ブラッドが身をねじり猛追する。高速回転の音をたて蹴りが唸った。その軸足がふわっと床から浮く。空中二段……三段……ええっ、四段回転蹴り!? ま、まだ続くの!?
華麗にして凄絶、魅入られたように目が離せない。
コロシアムの長い戦いの歴史上でも、これだけの技を誇った戦士が果たして何人いたか。
ブラッドは生ける竜巻と化した。土煙が吸い寄せられ、天に駆けあがる。私の目では途中から捉えられなかったが、動体視力にすぐれたドミニコには、一撃必殺の蹴りが無限に閃く戦慄の光景が見えたはずだ。
異音を発してドミニコの剣が根本から折れて飛ぶ。垂直にすごい勢いで。……垂直!?
刀身を発射できる剣だったのか。
「ははっ、よくぞ見抜いた。さすがは世界最強さまだ」
「……俺は臆病なだけだ。だから、悪意には鼻が利く。とくに王子の皮をかぶった外道の腐臭にはな」
私は総毛立った。
ドミニコにさっき飛びかかろうとしたとき、奴は剣先を私に向けていた。
奴のあのときの愉しそうな笑み……ブラッドが止めてくれなければ、きっと私は射殺されていた。マルコのために怒った私を、目の前で殺し、すべてマルコが招いた不幸と彼を嘲笑すること。それがドミニコの狙いだったんだ。こいつは安らかな人の最期にさえ敬意をはらえない悪魔だ。
「ドミニコ。あんた、どこまで腐ってるの……!?」
怒りにおののく私に、猛攻中のブラッドも頷いた。
「同感だ。ドミニコ。おまえは触れるものすべてを腐らせる毒だ。不快だ。失せろ」
ぱあああんっと耳をつんざく馴染みの音がした。それも数発立て続けだ。ドミニコがのけぞり吹っ飛んでいく。舞台から墜落し人混みに消える。貴婦人達が悲鳴をあげて逃げまどった。
入った!!
私は贔屓の野球チームが場外ホームランをかっとばしたように大興奮し、ぐっと拳を握りしめた。
まさか宿敵ブラッドの得意技、心臓止めに快哉を叫ぶ日がくるとは。
喜びでついその場で飛び跳ねてしまった。
はしたなくめくれあがったスカートの裾を、私はそ知らぬ顔で、そそくさとさばいて戻した。
「汚物は遠くに捨てるのが一番だ。近くにあるだけでこちらの魂まで汚染されるからな」
その男らしい横顔に思わず見惚れた。
ブラッドに抱きついて祝福してあげたい気分だ。
「……では、いくぞ」
「ひゃいっ!?」
たくましい片腕に背後から抱きすくめられ、ドミニコを追っかけとどめの蹴りをくれてやろうとした私の心臓ははねあがった。
ブ、ブラッドさん、行くってどこに……。
狼狽する私の耳元をブラッドの息がくすぐる。
「逃げる。これ以上お転婆にはつきあえん。このコロシアムはヤツの腹のなかにいるようなものだ。ここでは勝てん」
いつのまにかマルコを肩にかついでいたブラッドは、私を小脇に抱え軽々と跳躍した。
「ひゃあああっ!?」
私ははしたない裏返った悲鳴をあげた。
ブラッドは、猛獣を鎖でつなぐ用の太い柱から、彫像の肩、壁面の旗のポール、そして装飾の浮彫のでっぱり、人のいないところに次々に飛び移っていく。耳元でびゅんびゅん風が鳴る。惚れ惚れする離脱っぷりだったが、じぐざぐ軌跡を描いて運ばれる私は悲惨だった。Gの連続に胃の腑がでんぐり返りそうになり、何度も逆流を必死にのみこんだ。私はヒロインの座からゲロインに転落目前だった。
ちょっと待って……!! 私はともかくこれじゃ瀕死のマルコが……!!
「心配するな。マルコには負荷がかからないように動いている。そのぶんの皺寄せが全部お前に行っているだけだ」
「ちょっ……!!」
真面目くさって回答をするブラッドに、空中で猛抗議しようとした私は凍りついた。
眼下にわらわらと観客たちの群れが押し寄せてきていた。一様に伸ばした手が、獲物を狙う鷲爪のように開閉する。まるで地獄の亡者たちがあふれだしたよう……!!
彼等は全員無表情のまま、黙々と迫ってきていた。空中の私達に飛びかかろうと手すりから身をのりだし、バランスを崩し、ぽろぽろ何人かが落下する。大人ふたりぶんほどの高さだ。ただで済むわけがない。だが、誰も振り向きもしなかった。どころか倒れた相手を乗り越えて進む。叩きつけられた人間たちもすぐに平然と起き上がり、再び包囲に加わった。その手足はありえない角度に折れ曲がり、あさっての方向を向いているのに。
私達は悪夢に取り囲まれていた。人垣で遠くまで見渡せなかったけど、ブラッドによって正気に戻されたのは私達の周囲の一部だけだったんだ。あと一歩逃げ遅れれば、コロシアム内に逃げ場なんてなくなっていた。
私は戦慄した。
ありえない。もしこれがドミニコの催眠だとしてもこんな広範囲にわたるわけが……。これは神か悪魔の領域だ。こんな力が許されるなら、国だって滅ぼせるだろう。
呆然としうちのめされた私は、さっきのブラッドの「ここでは勝てん」という言葉を思い出し、はっとなった。
出口近くの安全圏に着地し、ブラッドが頷く。
「ようやく気づいたか。おまえにしては鈍いな。このコロシアム全体が、いわばドミニコの力の増幅装置だ」
さらっと明かされた衝撃の事実に、私は蒼白になった。
古代ロマリアは突出した建築技術をもち、海水でも劣化しない港や、今以上にすぐれた街道、上下水道などを残した。コロシアムももともと彼等の技術で、広大な会場のどこに座っても舞台の音が聞えるよう計算されているという。
私は迂闊にも猛獣の口のなかに飛びこみ踊っていたんだ。
だけど、それにしてもいくらロマリア文明とはいえ……!!
私の疑問にブラッドが答えてくれた。
「むろんこれはただの建築物ではない。ロマリアの負の遺産。話ぐらいは聞いたことがあるだろう。ロマリアの焔もそうだが……。人類に仇なすと判断し、ロマリア人自らが封印した技術だ。ドミニコはその禁忌の幾つかを解いた」
あ、あんな悪魔にロマリアの負の遺産!? 冗談でしょ!? 戦艦堕とし……鉄をも溶かす超高温のロマリアの焔を思い、私はぞっとした。独裁者に黄金を渡すよりもひどいことになるよ。
ブラッドは嘘を言っていまい。思い当たる節が多すぎる。不死身の傀儡兵とかまさに禁忌そのものじゃないか。気分が悪くなる。神様は悪魔に奇跡の力を与えてしまったんだ。
「寡黙な男だと思っていたが、なかなか雄弁ではないか。ブラッド・ストーカー」
場違いな拍手の音が響いた。
ドミニコがのまれた人混みがぱっと割れた。無数の貴婦人たちの繊手に背を支えられ、埋もれていたドミニコが浮上する。まるで悪夢の白い花畑が、地獄からわきあがったようだ。漂う土煙が瘴気に見える。
貴婦人達の目はうつろだ。再びドミニコに精神支配されたんだ。悠然と婦人たちの手のベッドに寝そべったドミニコは、驚くべきことに無傷だった。
頭がおかしくなりそうだ。
だって、ブラッドの〝心臓止め〟をまともに喰らったんだよ……!!
「スカーレット、何故私が平気なのか気になるだろう。ならばここに来て私の手を取れ。花嫁になれ。寝物語に、世界の秘密を教えてやろう。……永遠の若さと美しさが手に入るぞ。短い人の命に縛られなければ、おまえなら地上に天国だって築ける。なあ、弱者が犠牲になる世を変えたいのだろう。何十万……いや何百、何千万人の命……救えるぞ?」
いざなうようにドミニコがささやく。
「お断りだわ。あんたは甘い猛毒よ。花の姿で微笑み、心を許して近づいた相手を貪るカマキリよ。あんたと見られる夢は悪夢だけ。どんな宝物を積み上げても信用なんてできない。悪魔と契約したほうがマシね」
甘い言葉に秘めた悪意に、私は貴婦人らしからぬ過激な悪口で応えた。
「「……正解だ」」
微笑したブラッドが頷いたのはいいが、ドミニコまでかぶせて肯定してきたのが不気味だった。
そしてドミニコは嬉しそうに爆笑した。
「どうやらおまえとブラッドの墓標にするには、このコロシアムでは不足だったらしい。……こちらの切り札も不在のようだしな」
それはつい漏らしたというような小さな呟きだった。なのに、妙に背筋が寒くなった。
この悪逆非道なドミニコの切り札って……?
だが、続くドミニコの煽りで、私はかっとなり、その懸念も吹っ飛んでしまった。
「次は満足してもらえる舞台を用意すると約束しよう。期待して待つがいい。サンタからのプレゼントに胸ふくらます子供のようにな」
ふざけるな!! 金輪際二度とごめんよ!!
「おっと失礼。ふくらむ胸はなかったか。安心しろ、私は胸で女を差別せん」
じ、じ、じ、地獄に帰れ……!! このいかれぽんち……!!
私の胸は怒りでふくらみ破裂しそうだった。
女に悪口で勝てると思うなよ。目にもの見せてくれん……!!
マナー教師から扇子でぶっ叩かれそうな悪口を発射しようとした私を、ブラッドが遮った。
「もうよせ。あいつは狂った悪夢そのものだ。まともに取り合うな。後でうなされるぞ」
そう吐き捨てたブラッドは、私を小脇に抱えたままぷいっとそっぽを向いて黙殺した。ちょっと可愛い。
しかし、ドミニコへの怒りおさまらない私は、中指立ててついヤツを睨んでしまった。
そして後悔した。
あやつられた観客はもう追ってこず、ドミニコは、邪悪な親愛をこめてゆっくり手を振っていた。
「さらばだ。スカーレット。そしてブラッド。……悪意の果てでまた会おう。おい、おまえたち、客人のお帰りだ。奏楽のもてなしぐらいしたらどうだ」
ドミニコが振り返ると、コロシアムいっぱいを埋め尽くす群衆が、無表情に私ひとりをじいっと注視し、魚のようにぱくぱくと口を動かした。私があっけにとられていると、観客たちはけたたましく笑いだした。しかし、声は出さない。シューッという蛇のような息と、カチカチと歯を打ち鳴らす耳障りな音が響いた。
私はげんなりした。
普通に手拍子とかで見送ればいいじゃない。
またこんな不快な人間カスタネットで嫌がらせを……。
だが、私はドミニコの悪意をまだ甘く見ていたと、すぐに思い知らされることになった。
「おい、スカーレットは不服のようだぞ。もっと派手に盛り上げろ。情熱的にだ」
ドミニコの声掛けに応じ、大人の男女が数人進み出て跪いた。その背後に背が低い連中が立ち、打刑用の六角棒で後頭部をめったうちにした。まるで斬首を思わす胸糞の光景に目をそらしかけた私は、さらに悪いことに気づき、全身が凍りついた。
低く見えるのも道理だ。だって子供たちだったんだもの……!!
叩かれる大人たちと顔が似ている。あれは親子だ。
「……外道が」
ブラッドがうめいた。
子が親を打ち据える人間打楽器……!!
「外道? 異なことを。世の中では、親が貧困で子を売り、子が老いた親を山に捨てる。これはまあ、その縮図だ。普遍的な光景であろうよ」
ドミニコはいけしゃあしゃあと言い放った。
催眠で筋力のリミッターがはずれているため、非力なはずの子供たちの振り下ろす六角棒は、殺人的な勢いだった。しかも、故意に角にあたるようにしてる。
やる方もやられる方も、打ち下ろしの衝撃で跳ねた。親たちは、けくっ、けくっとカエルそっくりな声を漏らした。肺の空気が無理やり押し出される音だ。あるいは横隔膜が痙攣してえづいているのか。なのに全員が笑顔で。楽しそうにぴょんぴょんと身を震わせ。
不条理さに私は吐き気を催した。
肉をうつ鈍い嫌な音が響きわたる。ついに地面に倒れ伏した親たちに、いっそうの棒の雨が降りそそぐ。
「特に強く。もっとだ。遠慮するな。成長を親に実感してもらえ」
母親の肌が破れ血がとぶ。血と粘液で六角棒に、その長髪がぞろりとからみつく。
「威風堂々と。見ろ、あの血泡を。ごぶごぶと豚のようだ。笑え、者ども。喝采こそ闘技場にふさわしい」
父親の顔が腫れてふくれあがる。乾いた拍手と歓声が耳を聾した。
「激しき熱情のままに。そうだ、これでこそ血塗られたコロシアムだ」
枯れ木の折れる肌寒くなる音がした。骨が砕けたんだ。なのに打擲はやまない。
ふざけるな……!!
これは笑えない。毛一筋も笑えない。
こんな親子の絆を冒涜する指揮があってたまるもんか……!!
「飽きたな。球蹴りでも加えるか。子供たちにナイフを渡してやれ。よし、骨にあたったら、鋸で継ぎ目を引くんだぞ。皆でタイミングをあわせ、リズミカルに徐々に早くでな。血抜きの方向に気をつけろよ」
ドミニコの命令に、何人かがいつわりの笑顔をはりつけたまま応じ、刃物を父親と母親の喉にあてがった。
駄目!! それだけはしちゃいけない!!
「やめさせなさい!!」
私はたえかねて絶叫した。
悪趣味な仮面演奏会のなかで、ドミニコだけが本物の悪意をしたたらせた笑みを満面に浮かべていた。
「やめさせる? いいだろう」
やつが片手をあげると、ぴたりと人間楽器の演奏が停止した。
かわって少女たちの悲鳴がサイレンのように響き渡った。この世の絶望を煮詰めたような声だった。自分が親を手にかけたことを知ったんだ。ドミニコの奴、子供たちだけ正気に戻しやがった……!!
「はははっ、スカーレット。お望み通りにしてやったぞ。満足か?」
血まみれの親にとりすがって、謝りながら泣きじゃくる子供たちの声に、ドミニコはうっとりと聞き惚れた。
「子に親を屠れる強さがあると証明できてよかったではないか。よかったなあ、親の責務は果たしたぞ。ある種の蜘蛛は親を食い荒らして大きくなる。おまえも巣立ちを祝福してやれ。なあ、スカーレット」
平然とうそぶく。
こいつは、どこまで……!!
私は怒りに目がくらみ言葉を失った。
それ以上に無自覚のまま罪を犯し、苦しむ子供達がかわいそうすぎた。
私は無我夢中で、倒れた親達のもとに駆け寄り介抱しようとした。
だが、ブラッドの腕は鋼鉄のようで、まるで拘束がふりほどけない。
「……ッ!! 離……して……!! ……わっ!?」
長身の彼に、腰をもって、ぐいと高くつり上げられ、私は宙で足をばたつかせた。
ブラッドはもがく私を鋭くたしなめた。
「駄目だ。忘れたか。このコロシアムのすべての人間が、ドミニコの意志ひとつで、人質にも敵にもなる。奴の手にのるな。マルコの気持ちが無駄になる」
正当すぎる意見にびくっとした私は、ようやくドミニコの虎視眈々と光る嘲りのまなざしに気がついた。
ブラッドの忠告どおりだった。これは罠だ。私が手当をしようと背を向けた瞬間、泣きじゃくっている子供達は再び自由意志を奪われ、傀儡となって襲いかかってくる。
どこまで卑劣な……!!
「ほう、助けを求める子供達を見捨てるか? スカーレットよ。私好みに染まってきて嬉しいぞ?」
かろうじて踏みとどまった私をドミニコが嘲る。
「誰か……おねがいします……!! お母さんを助けて!!」
「ママの血がとまらないよ……!! ごめんなさい……!! ごめんなさい……!!」
「いやああああっ!! お父さあん!! お父さあん!!」
すがる子供達の悲痛な叫びに、私はたまらず耳を覆った。
「……耐えろ。言ったはずだ。ここでは誰も救えん」
ブラッドがいなければ、私は冷静さを失い、どうなっていたかわからない。
眼前の地獄にドミニコは上機嫌だった。
「ははっ、いいぞ!! じつに感情がこもっている。いい聖歌隊だ」
もし憎しみで人を殺せるなら、そのとき私はドミニコを殺せていただろう。
だが、鉄面皮のドミニコは悪びれもせず、誇らしげに私に語りかけた。
「私の悪が憎いか。スカーレット。だが、愛と憎しみは紙一重だ。おまえは私に魅入られた。もう目をそらせん。なぜならおまえほど人間を真摯に愛する女はいないからだ。気づいているはずだ。私こそが人間だ。同族殺しの呪われた人間の象徴だ」
たわごとと一笑に付すことが出来なかった。
言葉に詰まった私に、ドミニコは口元をつりあげた。
「くくっ、異議なき場合は沈黙をもって答えよ、だ。おまえは、人の性が悪だと知っている。それなのに頑なに、民に高潔な女王として接しようとする。めくらの愚か者どもにはそう見えなくてもな。喜劇で悲劇のヒロイン。あわれな女だ」
ドミニコは大仰なため息をつき、やれやれというふうに首を振った。
「だから、私が悪と快楽をねじこみ、おまえの貞淑の錠をこじ開けて、呪いから自由にしてやろうというのだ。人は性悪で世は地獄だ。目をそらすな!! 人とは所詮獣の群れよ。いや、奸智にたけた獣、怪物よ。そして地獄を治めるべきは、無垢な乙女ではなく、背徳の花嫁だ」
それはまさに悪魔の饒舌だった。
「今は乱世だ。聖人君子などないものねだりの乞食と変わらん。卑猥をヴェールに、冷酷をドレスに、詐欺を小王冠に、裏切りを下着にまとい、天使の微笑みで相手を騙すことこそ、女王の覚悟と知れ」
誰かが恭しく差し出した簡素なウェディングドレスをドミニコは抱き寄せた。
元は純白だったであろうそれは赤褐色に染まっていた。
あれは古い血痕なの……?
ドミニコは、そのドレスをマントのように肩に羽織った。
「……悪を制すのはより強い悪だけだ。人という邪悪の群れを本気で従えたいのなら、誰よりも邪悪であれ。愛など、自己満足だけのお笑い草よ。人喰いの獣が抱擁に応えてくれるか? 喰われるだけよ。丸腰で餌になるのがおまえの望みか? 違うだろう。ならば悪を身にまとい戦え……!!」
ドミニコの言葉は奇妙なほどに熱を帯びた。私は知った。真なる邪悪は、嘘ではなく真実を語り、人を闇にいざなう。自殺の名所のように、奈落が甘美に思えてくるのだ。
私は、王位継承戦と女王業を経ることにより、人の邪悪をうんざりするほど見てきた。
悔しいけど、ドミニコの言うことも、ある意味当たっている。
人はたしかに心の奥底に、狂気と欲望の獣を飼っている。そいつは普段はおとなしく繋がれていても、戦争、飢饉、暴動、酩酊、極限状態になれば、たちまち表に躍り出る。その獣は群れて悪いことをするのが大好きだ。血の匂いでエキサイトする鮫の群れとそっくりだ。
でも、鮫は牙でしか得物を傷つけない。空腹でしか襲わない。だけど、人は、言葉、暴力、武器、お金、侮辱、人質と、あらゆるもので相手をいたぶる。そして、欲望、嫉妬や優位感、ひどいとただの退屈しのぎー、あまりにくだらない動機で相手を破滅に追いこめる。
知能が高いチンパンジーは、一匹を集団リンチし、殺してときに食らう。加害猿のほうが被害猿より圧倒的に多いんだ。その卑怯さ残酷さは他の猿の比じゃない。知力は残酷さを抑制どころか加速させる。文明が進めば、きっと人は国を瞬時で焼き尽くす兵器をつくる。……悲しいけど、それは人の業だ。
……だけど、それがどうしたって言うの。
人間にはいいとこだっていっぱいあるの。
私は目にありったけの力をこめ、ドミニコを睨みつけた。
人が悪意だけの存在なら、どうして母が子に無私の愛をそそぐの。
なぜ恋人同士が自分をかえりみずお互いを守ろうとするの。
あんたはそれも悪意の産物と笑えるのか。
あんたは暗く汚い洞窟ばかり見せ、不安を煽り立てる詐欺師よ。清浄な蒼空はたしかに頭上に広がっているのに、それにはまったく触れようとしない。
私には、悪に染まらず、誇り高く生きる友人がたくさんいるの。
マルコだってそうだ。
悪が強い? だったら、悪に負けない私の友人たちは、それよりもっと強いのよ!!
私はろくでなしだけど、みんなに顔向けできない自分にだけは、最低限なるわけにはいかないの!!
私は懐から愛用の扇子を引き抜き、宣戦布告がわりに、びしっとドミニコに突きつけた。
だから、いくらあんたがへ理屈をこねようが関係ない!!
今、目の前で平気で非道を行っているあんたが!!
そのやり口が、私は許せない!!
あんたの口車にのるなんて、同じ道を歩むなんて、死んでもごめんだって、私の心が叫んでるの!!
ひとことで言うなら、「うっさい!! 黙れ、バカ!!」よ!!
気がつくと私は歯をむきだし威嚇の表情を浮かべ、啖呵を切っていた。
獰猛な笑みに見えたかもしれない。
さっきのブラッドと同じ気分だ。
あんたをぶっ倒すためなら、私はどこまでも残酷になれそうよ。女を本気で怒らせた怖さを、骨の髄まで叩きこんであげる。
ドミニコは破顔した。
「くくくっ、あははははっ、気づいていないのか。それもまた悪の悦びだぞ。やはり、おまえには悪女の笑顔こそがふさわしい」
ドミニコは深淵の悪魔のような含み笑いを漏らした。
「なぜ神が必死に悪を禁じるかわかるか。悪があまりに甘美だからだ。一度その味をおぼえれば、誰も神など見向きもしなくなる。悪は禁じ手がなく、果てしなく自由だ。その意味はわかろう。スカーレット、おまえの根は私と同じ人種だからな」
不本意だけど、私にはドミニコが言葉に含ませたことが理解できる。
ドミニコは胸糞だ。だが、その気になれば、もっと外道な手段で、私の心を折れた。何万人を好き勝手あやつれるというのはそういうことだ。悪意の塊のこいつが気づかないはずがない。見た目より優しいブラッドが、親達を見捨てたのは、ドミニコが本気になったら詰むとわかっていたからだ。今回のドミニコは勧告をこめて、私で遊んだだけだ。
「早くこちら側に来い。私がおまえを悪に染めあげてやる。ルビーは美しさではなく、妖しさで人を惑わすようになってこそ本物よ。私は本物を好む。……うつろう愛ではなく、100年続く悪意で絆を結ぼうではないか」
そのドミニコの歪んだおぞましい笑顔はいやらしく私の脳髄にこびりつき、しばらく深夜うなされ、飛び起きる羽目になった。ブラッドの言うとおりだった。真に汚らわしいものは、魂まで汚染してくるものなのだ。
「……耳を傾けるな。気は張っていても、おまえはもう疲労の限界だ。奴はそれに乗じ、おまえの心を喰らう気だ」
ブラッドの静かだが力強い声が響き、しのびよる闇をはらう。
期間限定とはいえ、これほど頼もしい騎士はいない。
さしものドミニコも、鋼の意志の彼を、あやつることは不可能なんだ。
「悪いが一瞬だけ眠ってもらう。心配いらん。マルコには俺がついている」
感謝しかけたとたん、騎士さまはとんでもないことを言いだした。
「……!?」
あわてて制止しようとしたが遅かった。
ブラッドが私に血流操作をほどこしたのがわかった。
修羅場の連続でこわばりきった体が、ふわっとあたたかくなった。
「……ちょっと待って……!! まだ、あのくそ野郎に文句が山ほど……この✖✖✖✖✖✖✖✖✖……!!」
私は伏字でしか記せない悪口でドミニコを罵った。
「気をつけろ。ドミニコの精神支配で邪悪に……」
だから!! これは私の地なの!! 凶悪で悪かったわね!!
幸いブラッドに無理やり引き回された嘔吐感は残っているのだ。
ルール無用のデスマッチで、あいつに吐瀉物の毒霧を吹きかけてやる……!!
私はブチきれかけ、淑女の慎みなど遙か星雲の彼方に吹っ飛んでいた。
だが、急激な眠気には耐えきれず、私の意識は抵抗むなしく自由落下をはじめた。
頭に血がのぼって無自覚だったが、ぶっ通しの〝雷鳴〟と続くドミニコとの対峙で、私は疲労困憊の極にあった。
不眠不休で負荷をかけられ続けると、心は麻痺し判断能力を失う。容易に暗示にかかりやすくなる。私はまさにその一歩手前だった。あのままドミニコと会話を続ければ、もっとひどい後遺症を心に負ったはずだ。
ブラッドは責められない。彼は見かねて私を救ってくれたのだ。
それにしても、いくら血流操作を受けたとはいえ、いつもの私なら絶対に人前で眠りこけたりしないんだけど……。
〝……不思議ね。あなたは私の命を狙ってる。なのに、どうしてこの腕のなかにいると、こんなに安心するのかな……〟
私は朦朧とし、赤面ものの乙女セリフをブラッドに呟こうとした。幸いなことに不明瞭な寝言もどきしか出てこず、自殺ものの恥をかかずにすんだ。あやうくスカーレット黒歴史トップ10に、新たなメンバーが加入するところだった。
私は腹いせにお気に入りのぬいぐるみのようにブラッドの鍛えぬかれた片腕を抱えこみ、そしてしばしの深い眠りにおちた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
私は波のとどろく音で目をさました。潮の香がする。
ひんやりした感触が頬にあたる。岩だ。
寝かされていたことに気づき、私は体をひきはがすように飛び起きた。
周囲一面が薄闇……。
その突き当りには、ぎざきざの窓の形に、明るい空と海の光があり、私のまなこを鋭く刺した。
一瞬眩しい痛みで混乱したが、目がすぐに慣れ、それは洞窟の入り口だとわかった。そこから差し込む日光が、さして広くない岩窟内に光量を与えていた。
ようやく理解できたよ。
ここは海蝕洞だ。削られた地層の段々が壁じゅうを覆っている。海鳴りの音がかなり下から聞こえるから、断崖のなかばにあるのだろう。だから獣も巣穴にできず、清潔さが保たれてるんだ。
「マルコ……!?」
私はあわてふためいて視線を走らせた。そして、なだらかな岩だなをベッドがわりに、横たわり瞼を閉じたマルコを見つけた。黒々とした洞窟のなか浮かびあがる顔色は、怖くなるほどまっしろだった。到底生きているとは思えなかった。
「マルコ!!」
私は言いしれぬ恐怖に心臓を鷲掴みにされた。駆け寄ろうとし、隆起にぶざまに足を取られたが、それどころではなかった。私は勢いそのままにマルコの身体にしがみついた。頬を少し岩角でこすったが気づきさえしなかった。
「……マルコ……!! ……おきて……!!」
必死に揺さぶったが反応がない。
……そんな……!! 私、ちゃんとしたお別れさえ……!!
ひとりぼっちでマルコを寂しく逝かせてしまった……!!
「マルコ……!! おきてよ……!! お願いだから……うっ……ふぐっ……!!」
私はマルコの胸に顔をうずめ、子供のようにおいおいと慟哭した。
悲しみで呼吸ができない……!! 胸が痛い!! 張り裂ける!!
なにやってるのよ……!! 私は……!!
「……マルコ、私が好きなら、どうして言わなかったの……!? 私、バカだから、そんなの気づかないよ……!! ……私、なんてひどいことを……!! あなたは、ずっとどんな思いで……!!」
私はマルコの胸元の服を握り締め号泣した。
なんてひどい生殺しをしてしまったのか……!!
マルコはどんなに悔しかったろう。歯がゆかったろう。そうとも知らず、私は同性に対するような気安い距離でマルコに接してきた。生き馬の目をぬく世界にいた私にとって、マルコは心を許せる数少ない友人だった。
私は愕然とし、悲痛にうちのめされた。
だからだ!!
それがわかっていたから優しいマルコは告白できなかったんだ。
私が安らげる場所をなくさないために。
ぜんぶ私のために……!!
ぜんぶ私のせいじゃないの……!!
後悔してももう遅かった。もう彼の気持ちに返事をすることさえ出来ない。詫びることさえ許されない。あんなに彼は私に尽くしてくれたのに。私は最後までマルコに貰いっぱなしだった。
「……たくさん話したいことがあるのに、ごめんね……胸がいっぱいすぎて、うまく喋れないよ……」
思い出と嗚咽があふれる。私は涙でゆがむ視界のなかで決意した。
どんなに言葉を重ねても、マルコへの想いは伝えきれない。だが、人が人に一瞬でありったけの気持ちを贈れる行為がある。
「……マルコ……これが、今の私にできる精いっぱいだよ……今まで、ありがとう……大好きだよ……」
私はマルコに唇を重ねようとした。
「……。……!?」
だが出来なかった。唇が触れる寸前で、誰かが私の頬をつまんで引っ張り制止したのだ。
「……ひ、ひひゃいい、(い、痛い)……!?」
「……やめろ、バカ……未練が残りすぎて、死ねなくなる……」
瞼を開いたマルコが苦笑し、私のほっぺに手を伸ばしていた。
「あわてるな。おまえが寝てから十分もたっていない。マルコはまだ生きている」
背後でブラッドがぶっきらぼうに保証してくれ、腰を抜かした私はへなへなとマルコのそばに座りこんだ。
マルコが優しい瞳で私を見た。死期を悟った透明なまなざしだった。
「……早とちりのじゃじゃ馬め……平気で顔を、傷つけるなよ……心配すぎて、逝けなくなるだろ……」
彼はふるえる指先で私の額をつつくと、頬の傷と涙をぬぐってくれた。
少し口が悪くてその十倍優しい、いつものマルコだ。なのに、声は弱弱しく、顔色は蒼白だ。もう時間がない。その残酷な事実が痛いほどに私の胸をしめつけた。
「……だったら……ずっと、私のそばにいてよ……逝ったりしないでよ……」
そう泣き声で絞り出した私に、マルコは悪戯っぽくほほえんだ。
「……わがまま……言うな。……どんな楽しいダンスのときも、終わりはくるもんさ……」
いやいやをするように首を横にふる私の頭を、幼子をあやすようにマルコは撫でた。
すまなさそうに私をそっと押しのけ、ブラッドが割り込んできた。
「悪いがもう時間がない。急ぎ、こちらの報告をさせてもらう。聞け、マルコ」
ブラッドは感情を押し殺し、マルコに告げた。
「……おまえの家の使用人達は全員無事だ。いずれこうなることを予測し、ある男がすでに船で安全なところに輸送済みだ。もうドミニコも手が出せん。奴が脅したようなことには決してならん」
私は息をのんだ。あの狡猾なドミニコ王子の先手を打ってそんなことが出来るマルコ縁故の人間は限られる。頭のなかにすぐにその名前は浮かんだ。でも、まさか海洋大国チューベロッサで最強の艦隊の看板をはる彼が……。
「俺がここに来たのは、おまえに恩義を返すためと、その男に依頼されたからだ。マルコを守ってほしいと。……だが、一歩遅れた。途中でドミニコの傀儡兵の排除に手古摺った。俺の不覚だ。許せ」
ブラッドは頭をさげた。
そうか。性格最悪なドミニコが、なぜコロシアムの外での伏兵をやらなかったか疑問だったけど。すでにブラッドが片づけていたんだ。すさまじい嗅覚で危機を察知し、事前に殲滅する。その結果、どんな死地からも必ず生還できる。それがブラッドの真の怖さだ。私はそののち何年にもわたる彼との死闘で、その凄みを嫌というほど思い知らされることになった。
マルコの目じりを涙が伝った。
「……司令は……こんな僕のことを、まだ……」
ブラッドはうなずいた。
「永遠に家族だと言っていたぞ。いい師に恵まれたな」
やはり依頼主は、マルコのかつての師、無敵を誇る〝シャチ艦隊〟のジーベリック司令だった。
ブラッドがぽんと私の肩を叩き、すっと後ろに下がった。
「……マルコへの俺からの手向けの花はすんだ。あとは女王、おまえの番だ。……おまえならやれる。俺が見届けよう」
短いが、寡黙なブラッドなりの、ありったけの想いをこめた激励だった。
私は自分のなすべきことを見つけた。泣きたくなる気持ちをこらえ、そのかわりに感謝をこめ、懸命にマルコにほほえみかけ、手を差しだした。私の誇れる親友を、寂しい洞窟のなか、寝たきりでなんか逝かせるもんか……!!
「……踊ろう。マルコ。最期まで。……だいじょうぶ、あなたと私なら、立ちあがれなくても、手をあわせるだけで、心のなかで踊れるよ。だって、何万回も呼吸をあわせて……お互いの動きだって、知り尽くしてるもの……!! 私達のあの楽しい時間は、ドミニコなんかには壊せないって証明しよう……!!」
腕組みをして岩壁に背をもたれたせていたブラッドが、ほうと呟き、身をおこした。超一流の武術家だけに私のやろうとしていることに気づいたんだ。
極めた戦士たちは対峙するだけでその先の攻防をイメージできる。だったら私とマルコにだって同じことが出来ないはずがない。マルコをドミニコのあわれな犠牲者としてなんか終わらせるもんか。逆にドミニコの非道なんか踏み台にし、もっと上のステージに駆けあがるの。
「……嬉しいよ……でも、さすがにもう……」
力なく苦笑するマルコに、私は涙をこらえ、挑戦的な笑みを叩きつけた。
「……ふうん、がっかりね。女の私が恥をしのんでダンスに誘ってるのよ。自信がないの? 私の知るマルコは、たとえ女顔でも、死が目前でも、ダンスに関しては、世界の誰よりも勇敢な男だったはずだったけど」
マルコはびっくりして目を丸くしたあと、破顔し、私の手をとった。
「……普通、涙で慰めて見送るとこだろ? ……やっぱり君は、最高だ……喜んで、お相手を……」
その瞬間、マルコはたしかに迫りくる死を超越した。最高のダンサーの顔をしていた。
「……ついて、これるかい……?」
挑むように不敵に笑い、ふんと小生意気に鼻を鳴らした。
そうだよ、これこそがマルコだ。どんな高難度のダンスも余裕でこなし、踊りの合間に私を毒舌でからかう。
「ふん、誰に言ってんの?」
私も負けずにやり返す。愁嘆場なんて私達には似合わない。この火花が飛び散るような関係こそが、私達にふさわしい。
私はそっとマルコに身を寄せた。
ふたりきりのダンスがはじまった。
私達の心のなかの踊りだ。誰にも邪魔なんてさせない。
見えるよ、マルコの華麗なステップが。優しいリードが。誰もがため息をついたまぶしいほどの才能の煌めきが。びゅんびゅんと回転に沿って流れるシャンデリアの輝き。全部おぼえている。忘れるもんか。ふたりの口喧嘩、ライバル意識、笑い合ったこと、思い出が走馬灯のように駆け巡る。
わかるよ。わずかな手の動きだけど伝わるよ。これは〝雷鳴〟のワルツの最終段だよね。私達が最後に踊ったダンスだ。
だから、もう少しだけこぼれないで、私の涙。視界が見えなくなったら、マルコについていけなくなるもの……!!
私達は心のなかでダンスを終えた。
「見事だ。開眼したな、マルコ。生きざま、たしかに見届けた」
ブラッドが短く、強く、称賛した。
暗雲が飛び、太陽がのぞいた。少し陰っていた洞窟内が光に満たされる。波間がきらきらと輝き、潮騒の音が大きく高鳴った。まるで華やかな舞踏会場での拍手喝采を思わせた。
「……晴れやかな気分だ……ざまみろ、ドミニコめ……」
マルコは満足そうに、でも少し困ったふうに私に笑いかけた。
「……泣くなよ……ダンスのフィナーレは、互いに笑顔で……礼だぞ……」
だって……!! だって……!!
マルコは泣きじゃくる私の頭を撫でた。
「……お聞き……僕の魂は、帰る。空をこえて、みんながいる懐かしい海に。……だけど、思いは、心は、君のそばに……置いていくよ……。……だから、これは、別れじゃ、ない……」
「うん、そうだね。私達……これからもずっと一緒だよ……」
私がかろうじて答えると、マルコは嬉しそうにうなずいた。
私は懸命にほほえんだ。ほほえんだつもりだった。
マルコはそれをちゃんと見ることが出来ただろうか。
「……ああ……君の笑顔は……蒼空にそっくりだ……僕は……しあわせ……だ……」
マルコは、一度大きく痙攣した。そして、その瞳に、輝く海の景色と、泣き笑いの私を映したまま、ゆっくり瞼を閉じた。もう、それっきりその瞳が開くことは二度となかった。私の親友は逝ってしまった。
「……マル…ッ……コ……!! ッ……うっ……ああっ……!!」
堰をきって嗚咽があふれだし、私は冷たくなっていくマルコの胸にしがみついて肩をふるわせた。
ごめんね、私、マルコにもらってばかりだった。なにも返してあげられなかった……!! ……私……!! ……私……!!
「今まで泣かずによく耐えた。自分を責めるな。マルコはこんなに満たされ、しかも惚れた女に看取ってもらい、一生を終えた。男にとってこれ以上の幸せはない」
ブラッドがおだやかに私に言った。
「最後のおまえの笑顔、たしかにマルコに届いていた」
海風が吹きこみ、歓迎するようにマルコのまわりを回転し、そして出ていった。
ブラッドは敬意を示し、胸に手をあて黙祷を捧げた。
「……海を愛した勇者が死ぬとき、海風が迎えにくるという伝説がある。たわごとと思っていたが、今は信じたい気分だ。きっと、マルコの魂を、古巣の〝シャチ艦隊〟のもとに運んでいったのだろう」
ブラッドが彼らしからぬ抒情的な表現をした。
「……うん……、ありがとう。私も……そう思うよ……」
私は涙を拭いうなずいた。
マルコはおだやな死に顔をしていた。ほつれ毛を直してあげながら、私は心のなかで語りかけた。
ありがとう、マルコ。私を心配させないよう笑顔で逝ったんだね。だからね、私ももう泣かないよ。だって、マルコが心を私のそばに置いていくって言ったこと、私、信じてるもの。そうよ、目を閉じれば、あなたはいつでも私の心のなかにいる。
だいじょうぶ、私達はいつでも会える。だから、安心して、大好きなみんなのところに風になって旅立って。私も笑顔であなたを見送るから。
「……いい風だな」
とブラッドが目を細める。
「そうね、少しひねてるけど。……でも、最高の風」
と私はなびく髪を耳にかきあげて笑った。
私の涙を海風が散らす。
その風が向かうはるか彼方には、大海原を往く〝シャチ艦隊〟がいる。鮮やかな色彩の船団、きっとその旗艦の舳先には、軍服をだらしなく羽織った無精ひげの司令官が、両手をひろげて待っている。そして、少年の姿に戻り、風にのって里帰りしたマルコを、その胸に飛びこませ、思いっきり抱きとめ、笑顔で髪をむちゃくちゃにかきまわすだろう。
〝……まったく……司令は、相変わらずだらしない恰好をして。しょうがないなあ。これからは僕がそばにいて、ずっとお世話しますよ。覚悟してくださいね〟
嬉し涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、憎まれ口をたたくマルコの声が、海風にのって聞えた気がした。
よかったね、マルコ。伝えたいことが山ほどあるよね。だって、あんなに会いたがってた人にやっと再会できたんだもの。ずっとためていた想いのぶん、いっぱい抱きしめて甘えさせてもらってね。
私とブラッドは、潮風に吹かれながら、洞窟の入り口から広がる、雄大な青空と海にいつまでも想いを馳せていた。
◇◇◇◇◇◇◇
チューベロッサ王国の首都のなかに、世界最大の宗教組織〈聖教会〉の本部はある。
豪奢な建物が林立するさまは聖都の名にふさわしく、常に敬虔な信者たちであふれている。
だが、世界最古の都は、そのぶん歴史の闇も深く濃い。
そのひとつが、いまわしい伝説をもつ旧大聖堂だ。
信者たちはやむを得ずその前を横切るとき、足早に息を殺し、目を伏せる。まるで眠れる怪物を起こしてしまうのを恐れるように。
その禁忌の建物のなかで、今ふたりの女が睨みあっていた。
アリサと〝マザー〟。
彼女たちは神も悪魔もおそれない。なぜなら、彼女たちもまた人の理の外にいる化物だからだ。
どこからか荘厳なパイプオルガンの演奏が流れてくる。
「……まったく、アリサちゃんが足止めしたせいで、コロシアムでの愉しいパーティーに遅刻しちゃったじゃない」
その音色に彩られるように、高名な占い師〝マザー〟は、ゆっくり祭壇の階段をおりてきた。細身だが完璧なプロポーションと美貌。それは彼女の占い以上に魅惑的といわれる。
だが、今の彼女は〝マザー〟ではない。いつもの胸の形も露わな煽情的な薄布のロマリア風のドレスではなく、きっちりした厚手の法衣を身にまとっている。
彼女は、本来の姿、〈聖教会〉の聖女アンジェラに戻っていた。
「ブラッドくんだっけ。久しぶりにいたぶり甲斐がありそうな仔ネズミちゃんねえ……。ママの愉しみ奪わないでほしいわあ」
なのに、おごそかな祭壇を背にし、形のいい唇を舐めまわす舌先は、占い師のときよりどうしようもなく淫猥に見えた。
彼女が聖女服をまとう行為そのものが神への冒涜だ。その息で肌をくすぐられるだけで、男は腰の奥が疼き、法衣からわずかにのぞくうなじや手首の白さに分別を失う。
だが、わかるものはわかる。アンジェラの本質は美しい大淫婦などではない。圧倒的な虐殺者だ。天災がそうであるように、彼女もまた気分次第で無慈悲に一方的に人を弑す。
禁忌が女の形をとって顕現したもの、それが、聖女アンジェラだ。
「ドミニコの坊やにも頼まれているしね。このままじゃ、ママの面目も丸潰れなのよ。ね、お願い。そこを通してくれないかしら」
立ち塞がるアリサに、拝むように頼みこむ。その困り果てたさまはとても可愛らしい。だが擬態だ。花に化けた蟷螂のように。白砂に化けた肉食魚のように。醜い獰猛さを、いつわりの美しさで覆い隠しているのだ。
ゆえにそれを誰より知るアリサは、嘲笑ではねのけた。
「あはっ!! 恥を感じる心があったなんて驚きだわ。だったら忠告してあげるわ。面目だけでなく全身を潰される大恥をかきたくなければ、余計な真似はしないことね。あの舞台の主役はスカーレット。横槍は許さないわ」
階段で立ち止まったアンジェラの顔から笑いが消えた。
「また例のスカーレットちゃん? ……不快だわ。私の愛娘を惑わす小蠅が……。叩き潰してやろうかしら」
言い終わるより早く、アンジェラの法衣が大きくひるがえった。ただそれだけだ。手も足も動かしたように見えなかった。だが、アリサだけは気づいた。目にも止まらぬ速さで繰り出された拳。それは旧大聖堂のはるか向こうに見えるコロシアムめがけて放たれたものだった。狙いはスカーレットだ。
アリサの周囲で、瞬時に不気味な咆哮が渦巻いた。
彼女の得意技、〝鬼哭〟。
アリサの望むように自在に形を変え、触れるものすべてを歪め捩じり粉砕する、攻防一体の拳威の結界だ。
〝鬼哭〟は不可視の竜巻となって駆けあがり、同じく不可視のアンジェラの拳の威力と空中で衝突した。それはさながら二匹の暴龍がからみあうようだった。互角のせめぎ合いのあと爆裂する。室内に暴風が荒れ狂った。青白いスパークが旧大聖堂の内部を染めあげ、気圧の急激な変化に耐えきれず、バラ窓のステンドグラスが次々に木っ端みじんに砕け散った。
「……前に言ったはずよ。スカーレットに手を出したら殺すって。愚かものが。報いを受けるがいい」
きらきらと色とりどりのガラス片が舞い落ちるなか、アリサのブルーの瞳が、真紅に染まっていく。
本来のアリサの瞳の色だ。通常は目立たぬようわざと色を変えている。それは力の抑制の効果も兼ねていた。アンジェラはアリサを本気で怒らせてしまった。
「うふうっ、やるわね。アリサちゃん。私の攻撃を真正面からはじき返すなんて、あなたぐらいのものよ。いいわ。母娘水入らずで遊びましょう。そのほうが愉しそう。どうせブラッドちゃんもドミニコの坊やには勝てっこないしね」
七妖衆レベルでさえ死を予感する殺気も、アンジェラにはなんの痛痒も及ぼさなかった。
だが、そのその頬は興奮で薔薇色に染まっていた。
アリサだけが、強さにとり憑かれた彼女にときめきを与えてくれる。
飢えを満たしてくれる。
涎がしたたり落ちた。邪悪な本性が露呈していた。
世界最強と名高いブラッドさえも、彼女にとっては暇つぶしの対象だ。
傲慢さゆえに侮って見積もっているところはあるが、たしかに「真の歴史」のブラッドはともかく、〝伝導〟や〝幽幻〟、ほか数々の奥義を未収得の「108回」の今のブラッドでは、彼女に遠く及ばない。
「それにあのコロシアムは罠なの。ドミニコの坊やの力の増幅装置よ。今頃、ブラッドちゃんは真っ青になっているでしょう。あなたのお気に入りのスカーレットちゃんもね。……うふ、あなたは私を足止めしてるつもりでしょうけど、残念でしたあ。じつは逆。あのふたりでは生きて戻ることはかなわないわ」
アンジェラは上機嫌だった。
ドミニコとの約束などもうどうでもいい。
それよりアリサと拳を交えることが重要だ。
しかし、アリサはアンジェラの評価を一笑に付した。
「あははっ!! 恐竜は鈍すぎて、自分の目が潰れていることにも気づかないものなのね。ブラッドを甘く見ないほうがいいわ。スカーレットもね。侮っていると痛い目にあうことになる」
アリサは知っている。「108回」のループのなか、アリサより力が劣るはずの5人の勇士たちは、何度も彼女に肉薄するほどの健闘を見せた。ある者は「真の歴史」の記憶を取り戻し、ある者は取り戻さないままでも。だから、アリサは力の強さよりも想いの強さに重きを置く。それこそが奇跡を呼ぶと信じている。そこがアンジェラと大きく違う。
「ほら、さっそくドミニコにブラッドの〝心臓止め〟が命中したわ。くだらない企みもこれでおしまいね」
「あらあら、まあ、ドミニコの坊や、調子にのりすぎたわねえ。〝心臓止め〟四発も被弾なんて。素手はあの子の得意分野じゃないのに。もう助からないわ」
笑いものにされたアンジェラはむっとしたが、すぐに呆れ顔をした。
このふたりがなんらかの超常手段で、手に取るようにコロシアムの様子を観戦しているのは明らかだった。
しかし、敗色濃厚なのに、アンジェラはにたあっと凄愴な嗤いを浮かべた。
「……でも、ドミニコの坊やは、死ななあい。アリサちゃん、なぜだかわかるう?」
はじかれたように、はっとアリサが顔をあげるのと、アンジェラの身体を、ぱああんっという炸裂音が揺らしたのはほぼ同時だった。きっかり四発。それはまさに〝心臓止め〟の音だった。アンジェラは埃でも落とすかのように胸をはらった。
「……うふふっ、軽いわあ。この程度じゃ私は逝けないわねえ。……そうよお。ドミニコの坊やが受けるダメージはすべて私が肩代わりするようになっているの。つ・ま・り、ブラッドちゃんが戦うのは、実質この私。おしまいなのは果たしてどちらかしら」
そしてアンジェラはまったくの無傷だ。人外の耐久力。
彼女は勝ち誇って笑った。
「まだまだ青いわねえ。アリサちゃん。これが大人の女の戦いかたってものよ。スカーレットちゃんなんか見限って、早くママのところに戻ってらっしゃいな。たっぷり女の悦びを教えてあげる。ふたりでベッドの上でドミニコを支配して、永遠の帝国を築きましょう」
今さっきまでアリサと殺し合いをしようとしていたことなどすっかり忘れている。異様に移り気で、近親相姦もタブーと思わない。完全に心が壊れている。
かつて誰よりも慈愛に満ち、誰よりも自分に厳しかった素晴らしい女性の面影はもうそこにない。
他人を傷つけるぐらいなら、自分が傷つくことを選んできた孤独で優しい魂。はじめての恋に泣くほど焦がれ、死ぬほど愛し、それでも周囲に迷惑をかけまいと身を切る苦悶のなかあきらめようとし、けれど、その想いがかなえられると知ったとき、
「神様、もう自分は一生分の幸せをもらいました。だから、もう十分です。どうかこれからは、私のぶんも、アルフレドさまや王太后さま、こんな私を愛してくれたみなさまに幸せを」
と神に感謝し、泣きながらひそかに祈りを捧げたまことの聖女。
しかし、その願いは無惨に打ち砕かれ、今は魂のかわりに不気味に光る蒼い闇をつめこんだ抜け殻が、人間のふりをし歩きまわっているだけだ。
ずっとアンジェラのことを案じていた王太后のことを思いだし、アリサは端正な顔を歪ませた。
一昨年逝くときまで、アンジェラが元に戻ることを信じ続けていた。
「……いつか三世代の女たちで、お茶会ができたらどんなに楽しいでしょう。私はその夢がかなえられたら死んでもいいの。ねえ、アリサ。昔のあなたのお母様は本当にすばらしい女性だったのよ。思いだすと涙が止まらなくなるくらいに……」
それが王太后の口癖だった。誰よりも気丈な彼女が、そのときは涙を浮かべていた。
その夢は結局かなわず、王太后はアンジェラとの思い出の品を胸に抱いたまま、離宮で寂しく息を引き取った。
王太后が逝ったとき、アリサは人目もはばからず大声で泣いた。
何回ループを繰り返しても、この悲しみだけは慣れない。
「……私が母と慕うのは、この世に王太后さまだけよ。あはあっ、ママですって? 耳が腐るわ。私の母親面をしたいなら、せめて得意の力押しで証明してみせるがいい」
だから、アリサはなおさらに今の壊れたアンジェラが許せない。
王太后が見たらどんなに悲しむだろう。息子と永遠のきずなを誓った貞淑な聖女が、「……お義母さま」とはにかみながらやっと呟いてくれた愛くるしい義娘が、淫奔な化物となって、世界の闇を彷徨い続けているのだ。
「……アリサちゃんがその気になってくれて、ママ嬉しいわあ。じゃあ、母親として尊敬されるよういいとこ見せなきゃ。アリサちゃんなら腕や足の一本ぐらいなくなっても平気でしょ。張り切っていくわよお」
アンジェラは浮き立つあまり、涎だけでなく、舌をだらんと垂らして喘いだ。
まるで血に飢えた獣だ。前傾姿勢はまるで二足歩行を忘れ、四足歩行に退化しようとしているようだ。母親像とはほど遠いあさましい姿だった。
アリサは心のなかで、今は亡き王太后に語りかける。
王太后さま……あなたは、私とこの女が殺し合いすることを、予期し、なんとかやめさせようと願われていた。でも、ごめんなさい。化物は倒されるのが宿命なの。それが化物の幸せなの。私も、この女も。
「あはっ!! 狂える竜に慈悲を与えてあげるわ!!」
その慈悲とは死だ。
アリサの嘲笑の裏に隠された想いに、アンジェラは気づかない。
牙をむきだした貌はなかば人間から逸脱していた。無意識にであろうが低く唸りながら体を揺さぶる。リズムを取り、襲いかかる隙をうかがっているのだ。こんな醜い姿をアンジェラはアリサ以外に決して見せない。これは本気中の本気の戦闘態勢であり、相手を心底認めている証拠である。狂った母性の顕現だといえなくもない。
だが、上体を地に腹がつくほど伏せ、いよいよ攻撃にうつろうとした瞬間、アンジェラの眉間に驚愕の色が閃いた。あっ!? と声をあげ、思わず身を起こしてしまう。その手は自らの左胸をひしゃげるほど鷲掴みにしていた。
「これは……いったい……!?」
その隙を見逃すアリサではなかった。
アリサの身体が滑るように動いた。あまりの速さに、青いドレスと金髪が光芒と化す。
常のアリサは回転を基本に戦う。だが、この動きは愚直なまでに直線だった。足さばきも摺り足に近い。アリサ得意の空中戦より、地上戦に特化した動き。
「……ブラッド、見事よ」
本来の使い手をアリサは称賛した。
じつはアリサは見抜いていた。ブラッドのドミニコへの攻撃は〝心臓止め〟四発だけではなかった。そのあとに不完全ながらもう一撃を叩きこんでいた。
アンジェラの動きを止めたのはそれだ。
その技の名は〝無惨紅葉〟。相手の心臓を強制拍動させ、血液にウォータージェット切断のような高圧力を発生。相手の内部から、肉のみならず骨まで八つ裂きにしてしまう絶技だ。全身を突き破り、いっせいに血の刃が飛び出すさまが、舞い散る紅葉に見えるところから、その名がつけられた。
だが、〝無惨紅葉〟は諸刃の剣だ。
命中すれば一撃必殺だが、射程の短さ、途中キャンセル不可、技直後から活動停止におちいるなどの大きなリスクがある。だから、ブラッドはあのあとどれだけドミニコに挑発されても逃げの一手を取ったのだ。もうまともに戦闘などできる状態ではなかった。そして自分の最強のカードであえて確かめることで、ドミニコにはあらゆる攻撃が通用しないと思いきった。
アリサがブラッドを称賛したのは〝無惨紅葉〟を放った技量ではない。
狡猾なドミニコに戦闘不能を隠し通した度胸。
〝心臓止め〟を感触で効いていないと判断し、とっさに最強の〝無惨紅葉〟を放った思いきり。
そして任務遂行のために、自らの危険を厭わなかった覚悟に対してだ。
「……うふふっ、一瞬ひやっとさせられたけど、どうやら不完全だったようね。だからこその時間差。タネが割れればおそれるものでもないわ。このまま威力を握りつぶしてあげる」
もうそのときにはアンジェラも真相を見抜いていた。それは偶然生まれたからくり。もとよりブラッドは時間差を狙ったのではない。咄嗟に切り替えて放ったため、その〝無惨紅葉〟は完成形にはほど遠かった。それゆえ大きく時間をおいて発動し、未知の攻撃かとアンジェラを驚愕、警戒させたのだ。
正体がわかってしまえば、〈治外の里〉の門外不出の秘術といえど、アンジェラの脅威ではない。たとえ万全の態勢で放たれたものだとしても、余裕で対処できる。まして不完全なものなど……!! 彼女は自分の肉体の強度と技術に絶対の自信をもっていた。
だから、アンジェラは、予想外のスピードで迫りくるアリサの迎撃を最優先した。
そちらをさばいてから、出来損ないの〝無惨紅葉〟をゆっくり処理すればいい。
その顔には余裕の嗤いさえ浮かんでいた。
「やっぱり私の敵はアリサちゃんだけ。さあ、拳で愛し合いましょう」
「……あはっ!! 足元に目がまわらない愚か者が!! だから恐竜だと言うのよ!!」
懐に飛びこんできたアリサが放ったのは、腰をおとした正拳突きだった。妖精のように舞うアリサにまったく似つかわしくない一撃。本来とほど遠いスタイル。いつもの女性らしさではなく、むしろ男性的な動きにアンジェラは失笑した。
なあに? それは? 最短距離を最速で動くため選択したんでしょうけど。私達レベルの戦いで通用するのは、神域に磨きあげ、魂にまで溶け込んだ技だけよ。身体にしみついた達人級ではとてもとても。うふふっ、お尻の青いお嬢ちゃんに、ママがたっぷりお仕置きしてあげるわ。二度と逆らえないよう心と体をへし折って、そのあとベッドで快楽尽くしの調教をしてあげる。
舌なめずりしたアンジェラは正面からアリサの攻撃を相殺しようとした。
彼女が放ったのもまた正拳突き。むろんただの正拳突きではない。先ほどスカーレットを狙撃して殺そうとした技だ。拳威で延長線上のものをすべてなぎ倒す技。その名を〝星龍〟。星まで駆け上がらんばかりの射程と威力を誇る、アンジェラの得意中の得意技だ。
先ほどアリサに正面から攻撃を潰されたことは、アンジェラのプライドをおおいに傷つけた。その報復も兼ねてのカウンターだ。
ふたりの女の意地と拳がぶつかりあう。その余波で高熱が発生し、空気が膨張する。接点から蒼白い火花が散る。先ほどの〝星龍〟と〝鬼哭〟の鍔迫り合いのときとまったく同じだ。だが、先ほどと違い、ふたりは超接近戦をおこなった。
だから威力がはじけたとき、その至近距離の爆発にふたりとも巻きこまれた。びりびりになった青いドレスが、煙をふいて回転しながら、何度も床に叩きつけられ跳ねた。頑丈な床板が割れ飛び、最終的に衝突した分厚い石壁に亀裂が走り抜けた。なお勢いが殺しきれず、祭壇が倒れ、とび梁とアーチ状の大天井が悲鳴をあげて軋んだ。黒いリボンがほどけ、金髪が落花のように広がる。押し負け、地面に這わされたのはアリサだった。
「……勝負ありね。娘ではママには勝てないってわかった? まあ、はしたないこと」
青いドレスだけでなく下着もずたぼろになり、片胸と太腿をあらわにして呻くアリサを見下ろし、息をととのえたアンジェラは冷笑した。彼女も無傷ではなく、裂けた額からはぽたぽたと血が流れているが、失われたロマリアの技術でつくられた戦闘用の法衣は、アリサのドレスと違い、原型を完全に留めていた。
「……うふうっ、それに女はそんな呻きではなく、色っぽい喘ぎで誘惑しなきゃ。ママが手取り足取り教えてあげて……」
得意満面なアンジェラにみなまで言わせず、アリサははじけるように爆笑した。
「あははっ!! 恐竜に色事を教われと? この私が? 滑稽すぎて反吐が出るわ!!」
手ひどい拒絶と侮辱をお返しされ、アンジェラの顔色が変わった。彼女は強さの狂信者だ。敗者が勝者を馬鹿にするなどその教義に背く許しがたいことだった。
「……せっかくママの後継者にしてあげようとしたけどもういいわ。手足を落として男どもの愛玩動物にしてあげる。アリサちゃんならそれでも十分需要はあるしね。排泄も食事もひとりでできぬ色地獄で、くだらぬ男どもに媚びて命をつなぎ、死ぬまで後悔し続けるがいい」
アンジェラは足をあげ、いまだ立ちあがれぬアリサの四肢を踏み砕こうとした。
「……!?」
だが、果たせなかった。胸をぎりぎりと押さえ、アンジェラは大きく揺らいだ。苦悶と驚愕に顔が歪む。ひゅーっひゅーっと苦し気な呼吸音が漏れる。
「あはっ!! 無抵抗の私にも手がくだせないなんて、とんだ臆病者だこと!! それになんて汚い喘ぎ!! まさかそれで色っぽいつもりなの? 失笑ものだわ。卵から女をやり直しなさいな」
寝転がったまま煽り立てるアリサに、アンジェラは柳眉を逆立て、なにか叫ぼうとしたが、喀血がごぼごぼとあふれだし、その口を塞いだ。びくんびくんと体が痙攣し飛び跳ねた。立っていられず、ぶざまに床に顔から激突する。
それを見届け、アリサはゆっくり立ちあがった。ダメージから回復したのだ。たとえドレスが無惨に破れていても、その気品はまったく損なわれていない。胸をかきむしり、激痛に顔をゆがめてどしんどしんと床を転げまわるアンジェラとは対照的だった。
「……形勢逆転ね。敗因を教えてあげるわ」
冷や汗びっしょりで床に這い、歯軋りして睨み上げるアンジェラに、アリサはむしろ穏やかに語った。
「私が放ったのは〝伝導〟。その特性は、減衰しない威力と浸透力。たとえ押し負けても、相手に必ずダメージを通す技よ」
〝伝導〟は「真の歴史」において、格上のアリサ対策としてブラッドが編み出したものだ。たとえ打ち負けても、相手もただでは帰さない。アリサの魔手からなんとしてもスカーレットを守り抜こうとした彼の執念が産んだ、相討ち覚悟の奇跡の技だ。
そして〝伝導〟にはもうひとつ特徴がある。
この技は〝無惨紅葉〟と親和性が極めて高い。
開発にあたり、いつまでも拳威を相手の体内に留める〝無惨紅葉〟をベースにしたためだ。熟達した術者なら、ふたつの技の重ね掛けさえ可能である。
実際、「真の歴史」において、アリサはその連続技をブラッドから喰らわせられ、逆転負け寸前まで追いこまれたことがあった。あの苦い経験は、忘れようとしても忘れられるものではない。
「……〝無惨紅葉〟は〝伝導〟の後押しを受けると、数段上の破壊力にはねあがるわ。もう助からない。先に〝無惨紅葉〟の残滓を片付けておけば、こんなぶざまはさらさずに済んだものを。言ったはずよ。足元が見えない恐竜と」
(不完全な〝無惨紅葉〟+〝伝導〟)は、(完璧な〝無惨紅葉〟単体)をはるかに凌駕する。
「だから忠告してあげたでしょう。ブラッドとスカーレットを侮らないほうがいいって」
そう誇らしげに呟き、アリサは凄艶な勝者の嗤いを浮かべた。
お読みいただきありがとうございました!!
さぞお疲れになったことでしょう。
お付き合いいただいて大感謝です!!
本当はタイトルを「さよならはダンスのあとで」としたかったのですが、歌のタイトルと丸被りとわかり、ワルツとしました。せこい変え方です。
次はもう少し間隔を詰めて投稿します。
よろしかったら、また次回もお越しください!!




