外伝【108回で起きた結末のひとつ】セラフィ・オランジュ編
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】4巻が3月3日発売しました!! めでたい雛祭り!! 鳥生ちのり様作画!! 1巻2巻3巻ともども、どうぞよろしくお願いします!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさまです!! カバーは「真の歴史」のスカーレット!! セラフィはカバー下の表紙で嘆いてます。なぜならこれが最終巻。可哀そうだから、せめて今話でも少しだけしあわせに……。……ひどい。おまけで少しだけ希望を見せてあげてます……。この作品、すぐ人を殺したがります。反省。
えー、コミックウォーカー様の1巻無料公開、今日までです。未読の方はお急ぎを!!
鳥生さまへの激励も是非!!
合言葉はトリノスカルテ!!
http://torinos12.web.fc2.com/
電撃大王さま、コミックウォーカー様、ニコニコ静画様、ピクシブ様やピッコマ様で読める無料回もあります。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。他に公開してくださってるサイトがあればぜひぜひお教えください。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!!
そして、原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中!!
【「108回」スカーレットは悲惨な死を繰り返した。これは、彼女の知らない、その死後に起きる悲劇。そのうちの一幕】
ハイドランジア王国をまっぷたつに割った内乱は終わった。
女王スカーレットが、反乱軍によって絞首刑に処される結末で。
岩だらけの灰色の丘の頂上に、彼女を殺した首吊り台はあった。
粗悪な木材の組み合わせだった。
一国の女王にはらう敬意など欠片もなかった。
吊るされた遺骸が、血と泥だらけのドレスをまといくるくる回る。
処刑具というより動物の罠を思わせた。
荒縄と木が擦れ、ぎいっぎいっと物悲し気に鳴いた。
街はずれの灰色の岩山の向こうでは、いまだに黒煙と戦火が立ちのぼっている。縊死したスカーレットの瞳はうつろなのに悲し気だった。曇天と敗北の光景を映していた。この広い世界に彼女を支える人はもう誰もいない。彼女の数少ない味方達は、逃げ延びるようにという懇願に従わず、最後まで踏みとどまった。老兵たちは彼女を守り続け、笑顔で全滅した。
遠くで廃教会の鐘の音が響く。
誰かが勝利を祝うつもりで鳴らしているのだろうが、それはまるで弔いの鐘のようだった。
少し離れたところ、丘の中腹で、五人の勇士のひとりセラフィが、処刑の様子を眺めていた。
「……航海長、みんな……。見ているか。仇は取ったよ……」
そう呟くが、声は覇気がなく、悲願の勝利をかなえたはずの表情は沈鬱だった。
セラフィはもともと女王スカーレットとの戦争に反対する協調路線派であった。対立路線に翻意したのは、苦楽をともにしてきたオランジュ商会のメンバー全員が、女王の命によってバラバラ死体にされ、路上に放り捨てられてからだ。家族同然の彼らの肉片が、カラスやネズミについばまれる現場を目撃してからのセラフィは鬼と化した。あらゆる手段を使い、女王軍の補給線と連絡網を断った。各個を分断し、餓死者が出るほどに追いこんだ。復讐のためならどんな禁忌も厭わなかった。
……そしてやっと目的を果たしたのに、得たのは吐き気のする虚しさだけだった。
〝……女王。なぜあんな非道をした。僕はこれでも、あなたの治世を高く評価していたんだぞ〟
セラフィは心のなかで、吊るされたスカーレットの遺骸に遠く問いかけた。
実際女王は有能だった。天災と暴動で滅びかけていたハイドランジアを一度は建て直した。セラフィは舌をまいた。名君として長く語り継がれるだろうと思った。自分と互角以上の知力と判断力。なにより自分にはないカリスマ性があった。天才は天才を知る。仲間達が虐殺されるまで、セラフィはスカーレットの手腕を敬愛してさえいた。
ハイドランジアの宝石か……。
とセラフィは唇をかみしめた。国中から憎まれた今からは想像できないが、即位したころの彼女は国民に祝福され、その舞姿は国民の自慢だったのだ。その紅い瞳と赤髪は煌めくルビーと称えられた。たしかにスカーレットは気高く輝く国の宝だった。それがまさか変節し、こんなみじめな終わり方を迎えようとは。
……それでも、彼女の最期だけは立派だった。
少なくともセラフィには、女王の誇りを取り戻したかのように見えた。
処刑台に連行される途中のスカーレットは、群集に手荒く小突きまわされた。素手ではない。石や棒でだ。服を引き剝がそうとする奴までいた。見かねたセラフィが一喝しなければ、衆人環視のなかで性的暴行にまで及んだろう。
いくら仇とはいえ、大の男でさえ立ちすくむ悪意を一身に受けながら、凛とした態度を崩さないスカーレットを、セラフィは放っておくことができなかった。
「……ありがとう。あなたに神の祝福がありますように。そしてどうかお願いします。目隠しはしないで。私は最期までこの国の行く末を見届けたい」
と蒼白な顔で、しかしほほえんで頼んだスカーレットの顔が忘れられない。憎しみ一辺倒だったセラフィに疑問の念がわいたのはそのときだった。覚悟を決めた顔を美しいと思った。復讐に我を忘れる前に、まず対話をすべきだったのではと後悔した。この女王が理由もなく暴虐を働くとは思えない。だが、もう遅かった。女王は毅然と前を向いたまま、粗末な処刑台の露と消えた。涙ひとつぶさえ零さなかった。
「女王は最期まで為政者だった。公人の覚悟をもっていた。それに比べ……」
いま猥褻な侮蔑を投げかけながら、亡くなったスカーレットのスカートを棒でまくりあげ、げらげら嗤っている連中とは雲泥の差だ。セラフィの胸に、たとえようのない苦々しさが広がる。あんな連中とは勝利を祝う気にもなれない。
〝なあ、みんな。僕は正しいことをしたんだよな?〟
陽気な輪で自分を囲んでいたオランジュ商会の皆がいないことを、セラフィは心から寂しく思った。大笑いして褒めてくれる人も、それはいけませんぜ、と諫めてくれる人もいない。
セラフィはひとり風に吹かれ、気がつくと涙を零していた。
豪奢な金髪と豊かな胸が、セラフィの背中に、どんっとぶつかってきたのはそのときだった。
「……セラフィ、泣かないで。ほら、アリサの元気パワーをあげる!!」
振り向いたセラフィは、碧眼の美少女に表情をやわらげた。
「ありがとう、アリサ。元気、受け取りました」
「えへっ、よかったあ。じゃあ、もっと元気になれるよう、ぎゅっとしてあげる。がんばれ、がんばれ~」
アリサ・ディアマンディ。
反乱軍の核となった「救国の乙女」は、すっと前にまわると、満面の笑顔をセラフィに向け、力いっぱいセラフィに抱きついた。柔らかさとぬくもりが傷ついた心を慰謝した。
「まだ元気が足りないなら、チューしてあげよっか?」
さすがに不謹慎すぎてセラフィは苦笑した。目を閉じてキス待ちをしているアリサのおでこに軽く唇を押し当てすぐ離す。不満げなアリサを強く抱きしめ、愛を伝える。「あはっ」とアリサが明るい笑い声をあげ機嫌を直した。
スカーレットと同い年のはずだが、権謀術数に明け暮れ険しい顔をしがちだった彼女と違い、アリサは十代に思えるほど行動も表情も幼く見える。だが、その天真爛漫さが、今のセラフィには救いだった。鉛のように疲れ果てていた体に活力が戻ってきた。
「……ありがとう。アリサ。そうですね。めげている暇なんてない。これからがはじまりだ。戦後処理だって山積みです。いい国にしていかなければ。戦争の犠牲を無駄にしないためにも……」
セラフィはぬくもりを噛みしめ、決意をあらたにした。
同時に反乱軍の代表たちの嫉妬と敵意の視線を感じ、アリサの背中にまわした腕に力が入った。反乱軍の首魁たちには美しいアリサ目当ての連中が多い。戦争が終結した今、間違いなくアリサの争奪戦がはじまる。
セラフィの口が誓いをつむぐ。
「愛してます、アリサ。生涯かけて守ります。君もこの国も」
そうすることで亡くなったオランジュのみんなや、女王達への供養になるはずだ。
「あはっ、うれしい!! ずっと仲良しふたりでいようね。それとね、重大発表があるの!! なんとセラフィはパパに!! アリサはママになります!!」
アリサは頬を上気させ、背伸びをすると、息をはずませ、セラフィの首っ玉に抱きついた。
青天の霹靂の知らせに、セラフィは雷にうたれたように硬直し、そして喜びに顔を輝かせた。
「アリサと僕に子供が……!?」
幼い頃に両親を失い、家族とも頼むオランジュ商会の皆まで失ったセラフィにとり、それは最高の吉報だった。気鬱もふきとんだ。たとえ世界中を敵にまわしても、愛するアリサと自分達の子供を守る。セラフィは目がくらむほど高揚した。
だから夢にも思わなかった。次の瞬間、ほおずりするアリサの花のような笑顔が、口元を吊りあげたまま、悪魔の笑みに変わろうとは。
「……あはっ、私のおなかに子供? 恋物語にうつつを抜かしすぎて頭まで惚けたのかしら」
氷の刃を思わすアリサの声に、セラフィの背筋が凍った。
「アリサ……?」
どんな窮地でも怜悧に対応できるセラフィが、混乱し、言葉を失った。
「変な冗談はやめてくれ……。心臓がとまったかと思ったよ」
ようやくこわばった笑みを押しあげたセラフィの腕を、アリサはするりと抜け出した。無意識に伸ばしたセラフィの指先が、ぱあんっとはじかれた。
「……っ……!?」
セラフィの顔色が変わった。目には自信があるのに、アリサがどうやってはねのけたか、まったく見ることが出来なかったのだ。アリサは幼子の無知を憐れむように嗤った。
「あはっ、この程度で驚いている場合かしら。得意の風読みで耳を澄ませてごらん。お聞き。四大国がハイドランジアに攻めこむ鬨の声を。これが女王スカーレットが嫌われ者を演じても、命がけで食い止めたかったもの。あなたをパパに、私をママにして生まれた、ハイドランジア滅亡という名の愛し子よ」
ごおおおっと音をたて、海より吹く風が、アリサの豪奢な金髪を舞わせる。アリサは人類粛清を告げる無慈悲な大天使のようだった。その瞳はジュデッカの氷よりも凍てついている。嘲笑よりその眼差しに震えがきた。廃教会の不気味な鐘の音が、ぐわんぐわんと大きくなる。
「バカな……」
セラフィは蒼白になりよろめいた。彼は風に含まれた情報を読む。ありえないほどの大軍勢の気配と、蟻のように無慈悲に踏みつぶされていく民の悲鳴、血と戦火の匂いが彼方から感じ取れた。一方的な大殺戮だ。
「……アリサ、なぜだ!? なぜ四大国が!? 『救国の乙女』の君が、不可侵条約を結んだはずじゃ……!?」
震える声でうめくセラフィに、アリサは侮蔑の一瞥をくれた。
「呆れたわ。それでも『真の歴史』で、私の大艦隊と相討ちにもちこんだ大提督? お花畑アリサの言葉なんか鵜呑みにするなんてねえ。落胆をとおりこして憐れになってきたわ」
「し、『真の歴史』……!? アリサがなにを言ってるか、僕には……」
セラフィは悲鳴をあげた。
アリサは可愛らしく小首を傾げた。
「……うーん、まだ思い出せないの? スカーレット様を殺した五人の勇士には、『真の歴史』の記憶がよみがえるはずなんだけどお? ……もうっ。セラフィったら鈍いんだから。しょうがないなあ。アリサが特別に目覚めを手伝ってあげる」
アリサは、わざとらしい天真爛漫な笑顔と口調で、ひとさし指にキスをし、その指先をセラフィに突きつけた。全身が凍りつく恐怖に棒立ちのセラフィに、妖艶な笑みを叩きつける。
「あははっ!! 覚悟は出来た? 思いだしなさい。自分が誰を殺したかを」
セラフィの視界が、ぐにゃりと歪んだ。無音の衝撃がセラフィの額を貫いた。それは一瞬で脳髄を縛る不可視の鎖を粉砕した。アリサに会った喜びでおさまっていた虚無感と不快感が、倍化した勢いで噴き出してきた。だが、違う。それは最初だけだった。その先にもっと胸をかきむしられるものが待っていた。
「……うあ……!! ……うわあああっ……!!」
セラフィは頭を抱え絶叫した。
桜吹雪のように無数の記憶が鮮やかにあふれだす。
その中心で、〈治外の民〉の民族衣装をきたスカーレットが笑っていた。
〝こんな私を、いつも守ってくれて、ありがとう。セラフィ〟
ありったけの信頼と親愛をこめた、花がほころぶような微笑み。
感情の光が炸裂する。
セラフィはすべて思い出した。
「……スカーレット……さん……!!」
失われた「真の記憶」を。
なにより守りたかったものを。
そして、最愛の人を、たった今自分が手にかけてしまった事実を。
「……ああっ!! ……うわあああっ……!!」
セラフィは悲鳴をあげた。爪が皮膚を破り、血が頬を伝う。
涙だけではとてもこの悲しみには足りないというふうに。
「僕は……なんてことを……!!」
膝をつきセラフィは天を仰いで慟哭した。
どんなに嘆いてももう取返しがつかない。
「アリサ……よくも……!! この悪魔が……!! オランジュのみんなもおまえが……!!」
「まあ、ひどい。私への愛を誓ったばかりで悪魔呼ばわり? 不誠実な男だこと」
セラフィの怨嗟と苦悶も、アリサにとっては揶揄して愉しむ娯楽でしかない。
「……でも、『真の歴史』の記憶がよみがえると話が早いわね。正解よ。オランジュ商会の連中を殺したのは私。泣きじゃくるあなたを、ほおずりして慰めてあげたわね。おぼえてる? 私達が結ばれたあの夜のことを。彼らを切り刻んだこの手をあなたの背中にまわし、私は息をはずませたわ。道化への笑いを必死にこらえてね」
「……アリサ……!! おまえは……!! おまえだけは殺す……!!」
「あら、愛と憎しみは紙一重よ。あれだけ溺れた私の身体を忘れられるのかしら。清い仲のままだったスカーレットと違ってね」
悪びれもせず、ころころと笑うアリサに、セラフィは逆上して飛びかかった。
「地獄の業火に焼かれろ!! この外道が!!」
アリサは音もなくすうっと後退し、突進をかわした。
「地獄の業火? 笑わせる。そんなものとっくに味わい尽くしたわ。それより、私にかまっている時間があるのかしら。ご覧。あなたの愛したスカーレットを」
その言葉はとてつもなく不吉な響きをはらんでいた。
殺気だったセラフィが、アリサから目を離し、振り向くほどに。
吊るされていたスカーレットの遺骸が、地面に引きずり降ろされていた。男が、女が、子供が、老人が輪になり、彼女を取り囲んでいた。叫びながら次々に武器を振りあげる。
ごっごっと鈍い音が響く。鉄器が肉を針山のように貫く音だ。人混みから突き出たスカーレットの繊手が、悲し気に力なく揺れる。
セラフィは絶叫した。
「スカーレットさん!!」
絞首刑だけでは飽き足らず、暴徒たちはスカーレットの死体を獣のように解体し、人の尊厳を破壊し尽くそうとしていた。
男が顔じゅうを口のようにして叫ぶ。
「悪の女王が!! おい、ありったけの剣をもってこい!! こいつの罪の重さにつりあうにゃ、何本刺しても重さが足りねえよ!!」
うつろに目を見開いたままのスカーレットの顔を、女が憎々し気に踏みにじる。
「あたしらを飢えさせといて、いいドレス着やがって!! あんたなんか犬以下だ。這いつくばって泥でも喰らいやがれ!!」
負けじと別の女がしゃしゃりでる。
「足首を切り落とすのよ!! ご自慢のダンスが二度と踊れないように!! あの世で悔し涙を流させてやる!!」
男も女も、目と鼻の先に迫りくる四大国の死の脅威に気づかず、物言わぬスカーレットの死体の破壊に夢中になっていた。群集はあさましく愚かだった。
セラフィはアリサへの怒りも忘れて叫び、走り寄って彼らを制止しようとした。
「やめろ!! スカーレットさんは、悪の女王なんかじゃない!! その人こそが本当の……!!」
だが、その悲痛な訴えは誰にも届かなかった。
応えたのはアリサの冷たい声だけだった。
「おしゃべり男はお呼びでないわ。セラフィ・オランジュ。私は観劇の邪魔をされるのが嫌いなの」
叫ぶ途中でセラフィは声ひとつ立てられなくなり、ぶざまに地に転がっていた。まるでアリサの声に断ち切られたようにだ。手にも足にも力が入らない。
「な……なにが……!?」
それでも必死に這うセラフィを、アリサは見下した。
「あはあっ、まるで芋虫ね。よく考えなさいな。私は正体を明かしたの。さっきまで抱きしめていて、ただで済むわけないでしょう。声帯と心臓、それに肺、全身の筋肉と腱を破壊したわ。あなたに出来るのは、みじめに這いながら死ぬことだけ。あなたが殺したスカーレットが、死んでなお下衆に蹂躙される様を目に焼きつけてね。さよなら」
アリサは背を向けた。
暴徒たちに損壊されるスカーレットのほうに楽しげに歩いていく。
丘を渡る風に、なびく金髪を押さえ目を細める。
「気持ちいい風だこと。旅立つには悪くない日だわ」
地面に引き据えられたスカーレットの白く細いうなじに、斧が振りあげられていた。縄のすれあとが赤く痛々しい。
「女王の首を切り落とせ!! さらしものにして、なるべくたくさんの人間にツバをかけてもらうんだ!!」
その光景を嗤いながら眺めていたアリサが、突然ばっと飛び退いた。
「侮ったわ。セラフィ。まさかその状態で動けるなんてね」
はねおきたセラフィが、具風のようにアリサに突進してきたのだ。
「いいわ。受け止めてあげる。あなたの残りの命すべてをかけた想いを」
だが、指先はアリサをかすめただけに留まった。失笑しかけたアリサは眉をしかめた。セラフィはそのまま止まらなかった。最初からアリサには目もくれていなかったのだ。そのままセラフィは、処刑台を囲む群集に突入した。スカーレットの亡骸に、憎悪をぶつける彼らをおしのけ、そしてー、
「はあっ!? なんだ!?」
斧を振りおろした男が驚愕の叫びをあげた。重い刃はスカーレットに届かなかった。セラフィが覆いかぶさり、代わりに肩口で受け止めたのだ。
「……スカー……レット……さん……こんな悲しい光景は、見ちゃ……いけない……。ほんとうのあなたは、誰より人に愛されてたんだ……」
セラフィはほほえみ、スカーレットの見開かれたままの瞳を、そっと手で閉じ、擦り傷だらけの頬を愛おしそうに撫で、泥をぬぐった。肉を裂き骨に食い込んだ刃を意にも介さない。心の痛みがその比ではなかったからだ。続く刃も迷わず背中で受けた。
「……がんばりましたね。……たったひとりで……。どんな姿に、なっても……やっぱり、あなたは……世界一気高く、綺麗だ……」
そして、取り囲む暴徒たちから投げつけられる怨嗟と侮蔑の叫びを聞かせまいと、スカーレットの頭をぎゅっと抱え込んだ。その行為が、殺気だった連中の攻撃衝動を爆発させた。怒声とともに、剣が、槍が、あらゆる暴力がセラフィの背に降りそそいだ。だが、セラフィは決して手をはなさなかった。
「刺すなら、いくらでも代わりに僕を刺せ……!! この人は、こんな目にあっていい人じゃない!! 誰より素晴らしい女性だった……!! それなのに……!! 僕は、自分が許せない……!! 自分が憎い……!!」
絞り出すなようなセラフィの嘆きは、勢いづいた暴徒たちを怯ませ、後退させた。しかし、セラフィは彼らを見てさえいなかった。その瞳にはもうスカーレットしか映っていなかった。
セラフィの目から涙があふれだしたが、それは痛みのせいではなかった。悲しみと後悔の涙だった。
「……ごめんなさい……。……スカーレットさん。あなたは最期のとき……涙さえ零さなかった……!! ……本当に辛いとき、あなたは決して顔に出さなかった……!! そこまで追いこんだのは僕だ……!! なにもかも抱えこませ、ひとりぼっちにしたのは、この僕だ……!!」
セラフィはスカーレットを抱きしめ慟哭した。
それは人が出せるとは思えないほど悲痛に満ちた絶叫だった。
「あんなに守るって誓ったのに……!! ……僕はスカーレットさんに気づきさえしなかった……!! それどころか……!! ……ああっ……!! ……あああっ……!!」
悲しみのあまり途中から言葉の体さえ成していなかった。そしてセラフィは血を吐いて息絶えた。
愛する人のそばで死ねる悦びの表情は微塵もなく、ひたすらに自分を責め、最後までスカーレットに謝りながら、地獄の後悔のなか人生を終えた。きっとセラフィを笑って許してくれたであろうスカーレットは、世界で唯一彼の心を救える女性は、すでに物言わぬ骸と化していた。
折り重なったふたりに歩み寄って、アリサはため息をついた。
「興ざめだわ。セラフィ・オランジュ。この私でなく、スカーレットを選んだのね。ふられちゃったわ。笑わせる。スカーレットを殺したくせに悲劇のナイトぶって。……私なんかこの手でスカーレットを殺すこともかなわないのに」
だが、アリサの蒼い瞳には、冷たい侮蔑ではなくおだやかな敬意があった。
アリサは屈むとセラフィの顔をひと撫でした。
その手の下から穏やかになったセラフィの死に顔が現れた。
アリサは、スカーレットとセラフィの手をそっと重ねた。
アリサが来たことに気づき、一度はセラフィに気おされ、あとずさった群衆が活気づいた。
救国の乙女、アリサ、と連呼し、女王に罰をと咆哮し、セラフィをスカーレットから引き剥がそうとした。
アリサは立ちあがると、おそろしい笑顔を浮かべた。
「『救国の乙女』? この私が? あはあっ!! 反吐が出るわ」
アリサは華麗にターンした。足元の枯れ葉が舞いあがる中、ブルーのドレスが、死神の大鎌のように冷たく煌めく。ばああんっと音をたて、最初に首吊り台が木っ端みじんになった。だが、そのことに驚いた人間は誰もいなかった。間髪入れず、その場にいたすべての者達が、全身から宙高く血を噴き出し、絶命したからだ。
まっかな血の雨がふりそそぐなか、アリサは両手を広げ、くるくると回る。金髪が光の軌跡を描く。舞台でスポットライトを独占する女優のように。
「もうあなた達はいらないわ。愚かすぎて観客の役さえ務まらない。せめてフィナーレの花吹雪になりなさい」
アリサが使ったのは、〝無惨紅葉〟。
敵の心臓を強制拍動させ、血液の水圧をもって、その身体を内側から自壊させる技だ。のちに「109回」において、少年ブラッドが魔犬ガルムのとどめに使った乾坤一擲の技を、アリサは軽々と複数の相手に放ってみせた。それも指一本触れずにだ。その技量は神域という言葉さえ生易しい。ふりそそぐ大量の血液は、アリサ、そしてスカーレット、セラフィの亡骸には一滴もあたっていない。アリサはそこまで計算する余裕があった。
「セラフィ。ラストシーンは悪くなかったわ。スカーレットのそばで眠るくらいは許しましょう。それと褒美がわりに、あなたが望んだ私の死を見せてあげる」
アリサは丘の上に立ち、金髪をかきあげ、微笑して天を見た。
「〝時〟のおでましね。心躍る断罪の時間よ。これでこの世界は終わり。御大層な侵略戦争をしかけた四王子の滑稽なこと。ふふ、喜ぶのは狂人のドミニコだけね」
曇天が不気味に渦巻きだす。無数の鈍くよどんだ色がそこに混じった。まるで絵具を一斉に垂らし、水をかきまぜたように。雲間の差し込みのようにあちこちから光が降り注ぐ。その異様な光景は、蹂躙する軍隊も、逃げ惑う民衆さえも愕然とさせた。不信心な者は悲鳴をあげて膝をついて許しを乞い、信心ある者は懸命に祈りをささげた。理屈ではない。彼等は本能で直感した。世界の終焉がやってきた事を。
〝……『救国の乙女』に死を!! 歴史の敗者に死を!!〟
大気と大地を鳴動させ、すさまじい意志が響き渡る。
それはまさしく神の声そのものだった。
アリサはまったく臆さず、両手を天に差し伸べた。
「あはははっ!! やってみなさいな!! ほら、『女王』を五人の勇士とともに倒した『救国の乙女』はここにいるわ!!」
〝身の程知らずが!! 神の決定に異を唱えるか。『女王』は滅びておらぬ。すでに次の歴史は定まった!!〟
景色を紫に染めあげ落雷が天下る。
直撃を受けたアリサは髪を逆立たせ、平然と高笑いする。
「あはあっ、この程度? 〝幽幻〟で回避せずわざと受けてあげているのに? ぬるくて欠伸が出るわ。次は焼死? 病死? 早く世界中のありったけの死を寄こしなさいな」
そしてアリサは生きて焼かれながら、スカーレットのほうを一瞥し、目を細めた。
「……ふふっ、食べ飽きたフルコースだけど、貴女には、一欠けらも恵んでもあげないわ。似合わないもの。この豪勢なもてなしには、神殺しの私こそが相応しい」
続いて大地より噴きあがる炎が、まとわりつく黒い病魔が、アリサの肌を爆ぜさせる。骨が砕ける。墜落死の衝撃が襲ったのだ。だが、アリサは決して倒れない。その狂おしい信念は、どんな災害でも折ることはできない。なかば崩れ人の形をなくしても、その凛とした立ち姿は胸に迫る美しさがあった。
天をつく巨大な両開きの扉が、水平線の向こうから立ちあがる。それはおごそかな神話の光景そのものだった。だが、開こうとした途端、亀裂が走り抜け、崩れ落ちていく。
〝……閉じる……!! 〝時〟の分岐が……!! なぜだ……!!〟
大気をゆるがす苦悶の声に、アリサは満足そうにほほえんだ。
「……なぜ? 『女王』も『救国の乙女』も死ねば道標は消える。歴史は先に進めないのよ。神など気取っているからそんな事も忘れてしまう。あなこそ身の程を知りなさい」
〝……まさか!? 貴様は……!?〟
愕然とする声には答えず、アリサは嗤った。
「歴史の敗者? 知ったことではないわ。勝敗を決めるのは、この世の誰でもない。剣を交える私達ふたりのみ。……巻き戻った運命の果てで、また会いましょう。スカーレット……」
アリサはかろうじて残ったドレスのスカートの両端をつまみ、優雅に淑女の礼をとった。
そして、崩壊は世界に及び、すべてが巨大な光の渦にのみこまれた……。
◇◇◇◇◇◇
「スカーレットさん!! 見てください!! ついに品種掛け合わせに成功したんです!!」
興奮したセラフィが鉢植えを抱えあげた。
胸元ではフワフワモコモコした真っ赤な花の房が揺れている。
花だけでなく葉まで真紅に染まっている。まるでフリルで飾り立てたドレスを思わす豪華さだ。
そして漂ってくる甘く濃厚なのに爽やかな香り。今の社交界の流行りにぴったりだ。
「108回」においては20年以上あとに誕生し、一大センセーションを巻き起こした品種。女王だった私にはその極秘の交配図が献上されていた。その記憶を頼りについに再現にこぎつけたのである。
「さすがセラフィ!! 完璧よ!!」
「スカーレットさんならそう言っていただけると思っていました!!」
「これは……くるよ!! 貴族社会を席巻しよう!!」
「はい!! ブームをつくり、そして儲けまくりましょう!!」
私の蔵にまた金がうなる!!
私は感謝のあまりセラフィの頬にキスの雨を降らせた。
「こ、こ、光栄です!!!」
セラフィはぴんと直立不動になって叫んだ。抱えた花よりもまっかだ。
可愛い。天才なのに本当に純情なんだ。
踊りあがって喜ぶハイテンションの私達を見て、メイド姿のブラッドが首を傾げた。
「いや、これ、ただのスナップドラゴンだろ。頭、大丈夫か」
「「シャラップ!!」」
私とセラフィは同時に叫んだ。
まったく無知蒙昧な輩め。おねえさんが啓蒙してやらねば。
スナップドラゴン、東洋では金魚草と呼ばれる花は、たしかに我が国ではポピュラーだ。増えやすいし丈夫だし色も豊富なのでガーデニングの常連さんである。だが、今ここにあるこの花は違うのだ。
憤慨しつつブラッドが淹れてくれたお茶を口にする。
香り、味、ともに完璧。さすがメアリーのお墨付きだ。
セラフィも感嘆の声をあげる。
サムズアップし、私は花の説明に入った。
「よく見て、ブラッド。この金魚草の葉の色、まっかでしょ。それに花もすごく大きい。そして、なによりこの濃密な柑橘を思わす香り……」
「え。マジか。これ全部この花の自前なのか。すごいな。葉は塗って、匂いは果物の汁しぼってかけたのかと思ってた」
あっけらかんととんでもないことを言うブラッドにずっこけた。私は詐欺師じゃない。それにそんなペテン、目が肥えた貴族達に通用するもんか。
「鮮やかで力強いこの花は、きっと誰からも長く愛されるでしょう。だから、ボクはこの品種に、スカーレットさん、あなたのお名前を捧げたい」
セラフィは鉢植えをテーブルに置くと、跪き、恭しく私の手をとって懇願した。
前髪からのぞくエメラルドの瞳は優しさと真剣さにあふれていた。不覚にもとくんと胸が鳴った。その上目遣いずるい。普段髪で隠しているが、セラフィは美形だ。仕草も華がある。ハイドランジアの王子殿下なんかより、よっぽど王子らしいのである。これが……ギャップ萌え……!!
それに私はセラフィがどれだけこの花づくりに心を砕いてくれたかよく知っているのだ。自分の夢を叶えようと一生懸命になってくれた男の子に、女の子がときめかないわけがない。
花の新品種に私の名前をつけるなんて、指輪のプロポーズよりロマンチックかも……。サムズアップじゃなくてトゥー・サムズアップをあげればよかった。
「スカチビ、おい、スカチビって」
乙女な気持ちにひたっていた私は、ブラッドの呼びかけで現実に引き戻された。
まったく乙女心を解さないヤツめ。
サムズダウンをくれてやろうとした私は、「これこれ」というブラッドの指摘に鳥肌だった。
セラフィの持参した新品種の金魚草に、いつの間にかわさわさと羽虫がたかっていた。まっかな花がまっくろに埋め尽くされてる!!
「これじゃ、虫が七分に、花が三分!! 虫が七分に、花が三分じゃない!!」
圧倒的な戦力差に悲鳴をあげる私に、セラフィは照れた笑みを浮かべた。
「この花をスカーレットさんと思って世話をしたら不思議にこうなりまして。その魅力は万人を惹きつけるんですね。わかります」
まったく!! 天才と狂人は自重を知らないんだから!!
飛ぶ虫どころか這う虫までやってきてるし!!
なによ、この呪物!! 変なフェロモンでもまき散らしてるんじゃないの!?
この花に私の名前をつける? 却下よ!! 却下!!
「ひいっ!? スカーレットが庭中の悪い虫を呼び寄せてる!!」
「ねえねえ、おかあさあん。このスカーレット、庭に植えてもいい?」
「変なもん拾ってくるんじゃありません!! スカーレットなんてとっとと捨ててきなさい!!」
みたいな大騒ぎになるじゃないの!!
私の名前を恨む声が国中に満ちたらどうするのよ!!
私に拒絶され、セラフィはしょぼんとなった。
む、胸が痛い。だ、だけど、しょうがないじゃない。
「スかーレットを亡ぼせ!!」
「スカーレットを根こそぎにしろ!!」
みたいな展開になったら、女王時代の最期を思いだして悲しくなるんだもの。
でも、セラフィはあんなに頑張ったのに。困ったな。言い過ぎた。ぎゅって抱きつくぐらいで機嫌直してくれるなら、いくらでも抱きつくんだけど……。でも、今の私はハイドランジアの宝石と称えられた成人姿ではない。こんなちんちくりんの四歳幼女の身体じゃ、抱きつかれてもあんまり嬉しくないよね……。
気まずい雰囲気が立ちこめた。ブラッドも声をかけるのを躊躇い、無言で毒虫どもが私達のところに来ないよう追い払ってくれている。しかし、虫は次々に際限なく湧いてくる。どうしたらいいの……。
閉塞した事態を打ち破ったのは意外な人物だった。
「スカーレット!! すごいわ!! この毒蛾!! それに毒虫!! 私が探してもなかなか見つからないのよ!! それがこんなにたくさん!! 夢のよう!!」
たまたま通りがかったお母様が、目を輝かせ、息せき切って駆け寄ってきた。
「本当にもらっていいの!? ありがとう!! セラフィさん!!」
前の会話を聞いていなかったお母様は、ほくほく顔で鉢植えを抱えて去っていった。毒蛾や毒虫たちが意気揚々とぞろぞろ後に続く。いいの、あんた達? お母様、新型の毒矢づくりに励んでいるって言ってたよ。材料としてすり潰されるんじゃないかな?
私達は誰からともなく顔を合わせ、ほぼ同時に吹き出した。
本人はまるで意識していないお母様に救われたのがおかしくてたまらない。
セラフィもすっかり上機嫌である。いつの間にか背後に立っていたお父様が、そっとセラフィの耳に口を寄せ、甘く囁いたからだ。
「さすがだ。セラフィ・オランジュ。僕の愛する妻の願いをいち早く察知し、用意までするとは。君とはいい家族になれそうだ」
気難しいお父様をここまで喜ばせることが出来る人間は、お母様をのぞけばこの世にそうはいない。災い転じて福となす。人間なにが幸いするかわからない。将を射んとする者はまず馬を射よ。なんだか私の外堀が着実に埋められていく気がするよ。
ちなみに、セラフィ以外のオランジュ商会のみんなが世話をしたこの新品種の花には、変な虫寄せの効果はなく、当初の私達の目論見通り、王都に一大ブームを巻き起こしたのだった。ただあまりに儲けすぎ、既存の園芸業界に目をつけられ、利権をめぐる巨大な陰謀にまで巻きこまれることになるのだが、それはまた別の機会に語ることにしよう。
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