外道にして非道の王子ドミニコ。その不快な記憶に、私は怒りにうち震えるのです。
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】4巻が3月3日発売しました!! めでたい雛祭り!! 鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさまです!! 表紙は「真の歴史」のスカーレットです!! セラフィ残念!! 君の出番はない。なぜならこれが最終巻だから。だいじょうぶ、スカパパもスカママも一緒だ。でも、可哀そうだから、せめて今話で少しだけしあわせな未来を夢見させてあげよう。
1巻2巻3巻ともども、どうぞよろしくお願いします!! 鳥生さま、今まで本当にお疲れさまでした!! え? 印刷遅延? 一部書店に入荷遅れ発生!? もしかして表紙になれなかったキャラたちの呪い!?
「ワウワウオー。ガルル」
「ひひっ、まったくその通りよ。わしとかわいい犬達の出番がないなど」
黙れ、おまえたちの表紙はもともと未来永劫ない。
おや? コミックウォーカー様で公開再掲載がはじまってる!?
感謝感激!! 未読の方は、この機会にぜひ!!
鳥生さまへの激励も是非!!
合言葉はトリノスカルテ!!
http://torinos12.web.fc2.com/
ピクシブ様やピッコマ様で読める無料回もあります。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。他に公開してくださってるサイトがあればぜひぜひお教えください。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!!
そして、原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です
「〈大陸覇窮会議〉……!? 二段は国力が劣るハイドランジアを、大陸の枢軸を動かす会議に突然参加させるのですか。今まで歯牙にもかけなかったのに。マンモス級の円形闘技場も建設中だというし……。あのいかれ王子は相変わらず何を考えてるんだ」
国王陛下のもとに先導して案内する途中のマーガレット王女から、状況の説明をされ、私達は愕然とした。
チューベロッサの王子ドミニコと直接面識のあるセラフィの反応は特に激烈で、言い捨てた後、はっとなってマーガレットに謝罪した。後悔の色が顔にあった。普段冷静なセラフィがドミニコのことになると別人のように苛立つ。
よほど嫌な目にあわされたのだろう。あいつ、目をつけた人間は本性むきだしでいたぶってくるもんね。気持ちはわかるよ。それにしても円形闘技場ね。そうか、「108回」の女王時代、私が死闘を演じたあの呪われた建物、この時点では未完成だったのか。
マーガレットは咎めず寂しげな微笑で、「謝ることはないわ。ハイドランジアが弱いのは事実だもの」とだけセラフィに言った。好機とばかりに、不安だから私を助けて、とスカウトは仕掛けなかった。マーガレットにとっても、ハイドランジアの脆弱さは深刻な悩みの種なのだろう。憂慮の深いため息をついた。
マーガレット第二王女は天才だ。
だが、その進む道は、彼女をもってしても険しいものになる。いろいろなものを背負うには小さすぎる背中を見て、私は不憫でならなかった。
彼女は本気でこの国の富国強兵に取り組みたい。
しかし、そのためには国家の抜本的な改革が必要だ。
必ず既得権益や旧体制と衝突することになる。
この国の貴族社会は強固であり、それを壊そうとするもの、はみ出すものは容赦なく潰す。特に貴族女性の社会は男性以上に閉鎖的だ。ひとつの家に等しい。そして、そこには家長ともいうべき実力者の老貴婦人たちが君臨している。彼女達そのものが伝統という名のルールブックだ。もう人間というかシステム化してるから、年代で交代しても顔と名前が変わるだけ。役目は健在。もう半分不死の怪物だ。ハイドランジア王家の権威が弱体化している今、いくら王女だろうとその影響からは逃れられない。
マーガレットの当面の敵はこの老貴婦人達になる。
私も「108回」の令嬢時代、苦労させられたんだ。彼女達が目くばせするだけで、お茶会や舞踏会、正賓会の招待状がぱったりと届かなくなる。顔を合わせたら、みんな他人行儀な挨拶はしてくるんだよ。でも、そそくさと立ち去っちゃう。今までの仲間もそうだ。親しくして同類と見なされたら次は自分の番だと怯えるからだ。真綿で首を絞めるような村八分状態。もちろんこちらの発言なんて黙殺扱いだ。
では、どう打破するか。
みんなの意識改革? 元締めの老貴婦人達をこちらに好意的にな人間にする?
無理だ。物事をごり押しするには圧倒的な力が必要だもの。権威か権力か資金力か軍事力。そもそもそれがないから苦労しているんだ。外国の力を借りれば、大改革だって可能だけど悪手ね。悪魔に加勢を頼むようなもんだ。債務はトイチ以上で取り立てられる。あとで碌な事にはならないよ。
……他にもうひとつ社交界の攻略方法があるんだ。
マーガレットにレクチャーの必要はなさそうね。きっと自身がそれをよくわかっている。
まだ五歳の小さな歩幅なので相当足早のはずなのに、それを微塵も感じさせない優雅な動きだ。感嘆ものだ。厳格な老貴婦人たちもぐうの音も出まい。剣の達人が切り口で腕前をはかれるように、私は歩きで貴婦人レベルをはかることが出来る。後ろ姿に隙がないし格がある。お目付け役が背後から小声で修正をかけ続けても、並みの令嬢では不可能な御業だ。
この国では十五歳で令嬢は社交界デビューする。しかし、マーガレットほど見事な足さばきが出来るデビュタントはいない。きっとマーガレットはお腹の中にいるときから、将来の戦いを見据え、貴婦人業務の特訓に励んでいたんだ。
……そう、もうひとつの老貴婦人たちを黙らせる術は、奴らの流儀で完全試合を成し遂げてしまうことだ。
説明するね。彼女達は自らの価値観が絶対と思っている。誇りにしている。そこがウィークポイントだ。価値観=彼女達のプライド、人生。だから、それを逆手にとって相手の心をへし折る。負けを認めさせる。そうするとあら不思議。敵意を引っ込めるどころか、一目置いて味方になってくれちゃったりするのだ。
それが「108回」時代の私のメインの戦い方だった。マーガレットも同じ道を歩む気だ。
困難極まりない茨道だが、マーガレットならやり遂げるだろう。彼女は才気だけではない。尋常でない胆力がある。
なにせ今も、一触即発のお父様と近衛隊のあいだに割って入り、あっと言う間に主導権を奪い去ると、場をおさめてしまったのだ。
天才というか鬼才の王女様である。
お母様を殺そうとした元凶、苦労してつかまえたシャイロックの兄妹を奪われ、さらにエセルリードまで攫われたお父様は、王家の不手際に怒り心頭だった。
「信頼したからまかせた。その仕打ちがこれか。やはりアルフレド殿下亡きあとの王家に存在価値などない。この手で引導を渡してくれる」
お父様は亡き王弟殿下を盲目的に敬愛していた。〝血の惨劇〟での大虐殺は冤罪と今でも信じ、国王陛下の陰謀を疑っている。今回の件で、国王陛下がシャイロック商会に忖度したのではないかと疑い、燻っていた憤懣が爆発したのだ。
不敬の極みの発言に、翻意の言質を取ったとばかりに、対峙していた近衛の連中が得意げに上から目線で非難した。貴族の子弟で構成される彼等はプライドが高く、英雄のお父様や最強と謳われる王家親衛隊をよく思っていない。
だが、みなまで言い終わる前に、五、六人が壁に叩きつけられ失神し、残った奴らは蒼白になって黙りこんだ。お父様の棍さばきは稲妻のスピードだった。そして怒り狂う雄象より危険だった。ふっとばされた連中は時代遅れの仰々しい鎧をまとっていなければ即死していた。無惨にへしゃげているからあとで脱ぐのに苦労するだろう。金属が変形し、中身に突き刺さっていないことを祈るよ。
「わ、我々は誇り高い貴族の……!!」
「死神に聞いてみろ。戦場で命は平等だと答えが返ってくる」
いや、ここ戦場じゃなく王宮ですけど……。
せせら笑うお父様に、近衛兵の心はぼっきり折れた。自分達が相手していたのが死を日常とする怪物と思い知ったんだ。遅いし甘い。守られることが前提の貴族の特権など、三国志の猛将メンタルのお父様に通用するはずがない。
「……選べ。戦って死ぬか。逃げるところを背中から殺されるか」
殲滅モードに入ったお父様は、棍を振りかざして迫る。もう止まらない。恐怖の二択を鼻先に突きつけられ、近衛隊はパニックで右往左往するか、恐怖で立ちすくんでいる。
「やばいな。死人が出るぞ」
見兼ねたブラッドが抱っこしていた私をセラフィに預け、阻止しようと走り出したとき、マーガレット王女が飛びこんできた。彼女は近衛隊を叱りつけ、非礼を詫び、全責任は王女の自分が負うとお父様に言い放ち、近衛隊士の助命を懇願した。じつに見事な呼吸だった。登場のタイミングをはかっていたのではと思わせたほどだ。
若き近衛隊士たちは、うっとりとマーガレットを仰ぎ見ていた。地獄に舞い降りた救いの天使様に見えたろう。そして煽るだけ煽っていざとなったら自分達を盾にして逃げようとした上司たちに不信を抱いた。お父様襲来にいち早く遁走した王妃と王子にもだ。噂は貴族の若き子弟仲間にあっと言う間に広がるはずだ。マーガレットは彼等の支持を多く得るだろう。
またマーガレットは声も動作も映えるんだ。
貴族女性は誰しも話の流れを見極め、望む方向に、あるいは自分のほうに引き寄せる術に長けている。女主人として催事で人をもてなす以上、コックが料理をするほどに必須な嗜みだからだ。だが、戦場で水を得た魚のように光輝くのは異常だ。
きらびやかな燭台の光と金銀に彩られた社交界は、膨大な富に支えられなんでも揃う夢と魔法の世界だ。実際はマナーという共通意識の水面下で、権力や感情が糜爛となって火花を散らすが、外からは容易にわからない。
だが、意外なことに暴力だけはそこにない。腕力だよりの蛮族とレッテルを張られるのは、貴族として格が落ちることだからだ。お母様が受けた虐めはある意味例外だ。あのときの赤の貴族達、密室で酸欠ハイになったか変な薬でもきめて、ラリってたんじゃないだろうか。
貴婦人令嬢たちは、たいてい直接の暴力とは生涯無縁で過ごす。彼女達は暴力に侵される存在ではなく、見えないところで暴力によって守られる存在なんだ。怒鳴られることさえ稀だろう。
なのにマーガレットは恐れることなく踏みこんできた。これで五歳。まさに異質の王女様だ。
マーガレットは頭を下げたが、お父様の放つ殺気に怯えていなかった。死地を笑って駆け抜ける戦士並みの胆力に、お父様も感嘆して矛をおさめた。マーガレットは亡きアルフレド殿下にそっくりの面差しだからか、
「殿下を彷彿とさせる。王族はこうでなくては」
と顔を綻ばせてさえいた。きわめてレアな光景に私達は目が点になった。
ループ記憶がない「108回」のときの私が、マーガレットと同じことが出来たのは何歳ぐらいのときだったろう。
恥ずかしいけど正直に言う。
私は場をおさめたマーガレットの優秀さを見たとき、激しく落ちこみ、劣等感に苛まれた。
……もし「108回」でマーガレットが早逝しなければ、私ではなく、彼女が女王の座についていれば、ハイドランジアはまっぷたつに割れて争う未来を迎えずに済んだのではないか。そう思ったからだ。
あの当時のハイドランジアはひどい状況だった。だから、それまでは誰が王位についても結果は変わらなかったろうと、心のどこかで言い訳出来ていたのだ。
金髪碧眼のマーガレットを見ると、何故かアリサを思いだす。不思議なことに、姉妹かと思うくらいふたりの顔立ちは似通っている。お花畑のアリサと一緒にされるなど天才マーガレットにとっては言語同断、不本意極まりないだろうけど。
反乱軍は一枚岩ではなかったし、首魁があのアリサだ。私という共通の敵を失ってまとまりを保てたとは思えない。侵攻準備をしていた四大国にあっさり壊滅させられたはずだ。私は死んで見届けられなかったけど、そのあとの予測ぐらいつく。四大国の軍は治安維持をかかげハイドランジアに駐留。そのまま領地分割。ハイドランジアの国民と国土は引き裂かれ、その長い自治の歴史の幕を閉じただろう。
想像するだけで胸が痛い。国民に叛旗をひるがえされた最期だったけど、私は私なりに女王としてハイドランジアを愛していた。滅んでなんかほしくなかった。
涙を浮かべた私に目ざとく気づき、セラフィがおたおたし、ハンカチで目元を拭いてくれようとした。私はなんでもないよというふうに懸命に微笑んだ。ふふ、優しさでかえって鼻の奥が痛くなっちゃった。
「108回」では何度も私にとどめを刺したブラッドやセラフィが、まさかこんな頼れる仲間になるなんてね。人生って不思議だ。ひとつ言っておきますけど、もし、また敵にまわったら、私、本気で見栄も外聞もなく泣き叫ぶからね。泣き止んでなんてあげないんだから。だからお願い。どうかずっと私と……。
「だいじょうぶだ。心配いらない。オレ達はずっとスカーレットと一緒だ。約束したろ」
ブラッドがわからないながらぽんぽんと私の背中を叩いた。セラフィも遠慮がちに手を伸ばすと、そっと私の手を握ってくれた。
「あなたは勇気ある女性だ。だけどまだ新生児です。だから、困ったときは甘えていいんです。これからだってずっと。あなたがいつでも頼れるように、ボクたちも共に歩み続けるから」
もう……!! 私、こう見えても享年二十八歳のおねえさんよ。おねえさんって生き物は、見た目より打たれ強かったりするけど、年下の健気な男の子達の優しさには、やたら涙腺が脆いんだ。
私はお言葉に甘え、ハンカチで思いっきり洟をかんでセラフィに返した。セラフィは少し迷い、そして力強くうなずくと、丁寧にたたむと懐にいそいそとハンカチをしまった。
「将来のスカーレットさん記念館の展示品がまた手に入った」
とんでもない事をぼそっと呟く。そういえば私の使用済みオムツとか時々行方不明になるけど、あれ、セラフィの仕業じゃないよね? 天才となんとかは紙一重って言うし。不安だ。
「……赤ちゃんなのにもてもてね。スカーレット。羨ましいわ」
マーガレットに茶化され、疑惑のジト目でセラフィを観察していた私は、頭のてっぺんから爪先までまっかになった。
私、断じてショタじゃないからね!!
「うむ、さすがは僕とコーネリアの娘だ。しかし、この子を人生の伴侶に迎えるにはそれなりの覚悟が必要だぞ」
誇らしげに胸を張るとお父様が割って入った。
やめて!! 事態を混迷させないで、さらっと流して!!
そんなことするから、物語が停滞し、作者がキャラ同士の出会いを忘れたりするのよ。
お父様は「僕の愛する妻のスカートの奥を目撃したのは誰だ」と唸りながら、そのへんを徘徊してればいいのです。メルヴィル家伝統のあの破廉恥衣裳。あんなの視線誘導する秘仏大開帳祭りです。まるでたちの悪い美人局……。
見た目は貴公子、言動は奇行士、エキセントリックな妻ラヴウォーリアー。それがお父様の固定キャラです。いいパパキャラの後付けなんてむず痒いです。
「覚悟とプランなら。……とっくにボクのこの胸に!!」
だから、セラフィも応じちゃダメだって。
「オランジュ商会の海外支部をつくり、各国に別荘をかまえます。もちろんスカーレットさん名義で。そして、それぞれの国の一番美しい季節をスカーレットさんに堪能してもらいます。お金に糸目はつけません。美景のなかのスカーレットさんは金額なんかじゃはかれない。それにその別荘をスカーレットさんの各国の社交界への足掛かりにするつもりですから。お嬢さんはハイドランジア一国におさまる器じゃない!!」
いや、力説してるけど、私の将来の夢って引きこもりなんですけど……。
「そして、ハイドランジアが滅びても、お嬢さんを守り抜く自信がボクにはある。世界最速のブロンシュ号に追いつけるものはこの世に存在しない。そして、生涯お嬢さんをボクの女神と仰ぎます。活躍の場と安全の保障。そして永遠の愛。以上がボクの三連の婚約指輪です」
セラフィの超早口のいかれたプレゼンテーションに、お父様がうんうんと満足そうに頷いた。手応えありっとばかりにセラフィが拳を握りしめた。
却下ああっ!!
おそろしい。セラフィめ、そんなこと企んでいたのか。
気持ちはありがたいけど、私は社交界なんてもう関わりたくないの!! 知らないうちに処刑ルートに入ったらどうすんのよ。
私は恐怖でブラッドの胸にしがみついた。
「……げっぷか?」
勘違いしたブラッドが私を肩にのせてぽんぽん叩いた。違うし逆よ!! 逆!! うつ伏せじゃなく仰向けになってる!! 海老ぞってるって!! あんた、私をバックブリーカーで殺す気!?
お、落ち着こう。これはあくまでセラフィの立案段階。覆すのは容易だ。私はセラフィに目くばせした。ほら、以心伝心。私は社交界進出なんて望んでないんだって。お父様が勘違いする前に軌道修正して……!!
だが、私のアイコンタクトをウインクと勘違いしたセラフィは、きょろきょろすると、照れくさそうに投げキッスを返してきた。違う。そうじゃない。この天才君、完璧超人なのに、妙にドジっ子属性があるんだよな。母性本能をくすぐられるというか。
『あなた、頬にソースが……。ふふ、いつまでたっても子供なんだから』
『す、すみません。つい女神みたいなスカーレットさんに見とれてて……』
『もう。結婚したんだから、他人行儀な敬語はやめてよね。……私達、もうすぐパパとママになるんだし』
『パパとママ!? スカーレットさん!! それって、まさか……!!』
うわあああああっ!! 母性本能が刺激され、変な妄想をしてしまった!! こら、おなかに手を当てて幸せ笑みする想像の私!! 今さら頬を含羞に染めて、こくんと頷くな!! もっと恥ずかしい行為の結果でしょうが!! そこの想像のセラフィ!! 私を高い高いみたいに抱き上げ、喜び泣きしながら、くるくる回転しないで!! 急激なGは妊婦さんの体に毒よ!!
私が深呼吸して漸く気持ちを落ち着かせたところで、ブラッドがにかっと笑って口にした。
「オレはセラフィみたいな商才がないからな。贅沢は約束できない。だけど、世界中を敵に回しても、スカーレットを守ってみせるよ。それだけは誓える」
落ち着きかけた私の心臓が、違う意味でまたとくんとくんと暴れ出す。
だから、なんであんたはこのタイミングで張り合うみたいなことを……!!
セラフィが衝撃を受けた顔で呟く。
「まさかブラッドがライバル……!? だとしたら、ボクは……!!」
あー、深く悩まないほうがいいよ。どうせあほブラッドはなにも考えてないで能天気に発言しただけだから。でないとこんなこっ恥ずかしいセリフ自然に出てくるもんか。ちょっとは嬉しいけどさ。あー、もう。このお城のなか暖房効きすぎじゃない? 頬が熱いよ。
だが、私のラブコメした火照りは、国王陛下の私室に踏みこんだとたん一瞬で凍りついた。
「……これは……!!」
さしものお父様も喉の奥で唸った。
頑丈なテーブルの天板がまっぷたつになり破壊されていた。燭台が床に投げ出され、蝋燭の芯が斜めに炎をあげる。少ない調度品も派手にひっくり返っている。もし宮殿の他の部屋のように備品があふれていたらとっくに引火していたろう。まるで嵐が室内で荒れ狂ったようだ。
溶けた蝋の広がり具合から見て、時間はまだそれほど経っていまい。床のみならず壁にまで血痕が飛び散るさまは、「108回」で見た薬物中毒者が、力任せに家族を部屋中に叩きつけまくった現場にそっくりだった。人間をハンマーがわりにした惨状だ。そして、考えたくないけど今回あわれな人間武器にされたのは……。部屋の隅の破片にまみれたボロくずが呻きをあげて微かに動いた。国王陛下だ!! まだ息がある!!
「……お父様!!」
一瞬で事態を把握したマーガレットが悲鳴をあげた。血まみれで横たわる国王陛下に駆け寄る。先ほどまでの優雅な足運びなど忘れ、五歳の女の子の短い手足を必死に振った。スカートの裾を踏んで、顔から床に突っ込んだ。ごろごろ転がりながら、鼻血を拭いもせず父の身体にしがみつき、顔を埋めてわんわんと泣きわめく。
「死んじゃやだ!! 死んじゃやだ!! お父様!! お父様!!」
駄々っ子のような呼びかけは、マーガレットのどんな演説よりも私の心に突き刺さった。
「僕も娘を持ったからか。こういうのはひどく堪える。見ておられん」
国王陛下を糾弾する気満々だったお父様も同じ気持ちだったらしく、気勢をくじかれ、悄然としてつぶやき目をそらした。
私の要請より早くブラッドが飛燕の速さで動き、血流操作による治癒に取りかかっていた。
「だいじょうぶ。出血は派手だけど、重要な血管や臓器は無事だ。命に別状はない。すぐ止血できるよ。見かけによらず凄く鍛えた体が守ってくれたんだな。姫様のパパはたいした男だよ」
よく通る声で語りかけると、はじかれたように顔をあげたマーガレットに頷く。
「〈治外の民〉の長の息子の名において保証するよ。だからもう泣くな。愛娘がそんな泣きべそじゃ、かわいい顔が台無しだ。パパだってよけいな心配をするだろ?」
そう言うとマーガレットの首筋に触れた。魔法のように鼻血が止まる。効果に呆然としているマーガレットの顔についた血を、エプロンで拭い微笑みかけた。
「よし、これで元通り。綺麗になった。なっ。少しは信用してくれたかい」
こくこくと齢相応の幼女の動作で頷くマーガレットの金髪をくしゃっとする。
「いい子だ」
すごいな。天才マーガレット王女を恐れげもなく子供扱い……。あんた、ほんとに怖いもの知らずだよ。
だけど、こんなときのブラッドはメイド姿なのに本当に頼もしく見える。うん、マーガレットの目が潤んでいるのは、きっと感謝からだろう。そう思おう。
そして自信っぷりに違わず、蒼白だった国王陛下の肌に血色が戻り、意識を取り戻した。
「……すまぬ。マーガレット。心配を……」
かすれて途切れ途切れだが、たしかな意志の通った声だった。震える指先でマーガレットの頭を撫でようとする。脳の心配もいらないようだ。
「そなたの……おかげか。たいした……腕だ。感謝を……」
ブラッドに目をやり礼を口にした。迷うことなく判断したところをみると、もしかしたら過去に〈治外の民〉の血流治癒の体験があるのかもしれない。
「ヴェンデル。許せ。シャイロックめらを、奪われた……責任は私に……」
続いてお父様を視界の隅にとらえ詫びを言いかけたが、お父様はかぶりを振った。
「今は無理をせずお休みください。責めは致しません。シャイロックのデズモンド会頭の本邸を、王家親衛隊をさし向けてまで包囲していただいたことに感謝します」
死にかけでも構わず陛下を小突き回すのではないかと内心はらはらしていた私達は、ほっと胸を撫で下ろした。意外なことにお父様はむしろ申し訳なさそうな顔をしていた。誠意の証としてハイドランジア最強の王家親衛隊を派遣してくれたことで、国王陛下の身辺警護が手薄になったと引け目を感じているようだ。それにこんな状態の国王陛下はまともに話せるはずがなく、これ以上の責任の追求はすべてマーガレットが矢面に立って受けることになる。お父様はあきらかにそれを避けるため身を退いた。意外だ。人の情があったのか。
何をしでかすかわからないお父様の側にマーガレットを置いていくのが心残りだったのだろう。娘の安全が保障された陛下は、なにか言いかけたが再び失神した。その前に周囲を不安そうに見回していたけど、襲撃者がまだいるかと不安だったんだろう。大丈夫、ここにはお父様もブラッドもいる。刺客どころか軍隊が来てもへっちゃらだよ。
だが、語らずとも下手人は死体になってすぐに見つかった。陛下の部屋の窓の真下、中庭に転がっていたからだ。
その胸には無数のナイフが突き立っていた。なにがどうなってるの?
「陛下のしわざだろう。公にしないが暗器術の達人だからな」
お父様はこともなげに言い放った。私達は顔を見合わせた。さすが狸国王。腹芸だけでなく、いろんなものを懐に隠していた模様。嘔吐にまみれ重傷は負っても刺客を撃退したのか。そして相討ちになりかけながら自分だけ生き延びた。国王陛下のしぶとい生き様を象徴しているようだ。
だが、私達を戦慄させたのはそこではなかった。
侍女の恰好をした刺客の頸骨はへし折れていた。片目がなく顔面はなかば陥没していた。少し離れた魔除けの石像が、角に長い髪と肉片をまとわりつかせ、血塗られた獰猛な笑みを浮かべていた。刺客は、国王陛下の部屋から十メートルぶんを落下し、加速をつけてその像に叩きつけられたのだ。
だが、地面に無惨に広がるスカートを見ても同情心はわかなかった。悪いけど嫌悪と恐怖が先に立った。なぜなら、即死したはずのその女性の爪ははがれ、再び塔を這い登ろうとしたひっかき傷とずれ落ちた痕跡が、三メートルほど上の壁まであったからだ。
手には壁に繁茂したツタの一部が握られていた。蔓が切れなかったら、もしかして国王陛下の元に再侵入を果たしたのではないか。ぞっとして目をそらした私は、足元の植え込みに転がっていた無機質に光る目玉と視線を合わせてしまった。「108回」での忌まわしい記憶がぼこぼこと甦り、私は悲鳴をあげそうになった。
「おそらくチューベロッサの刺客だ。似たような兵士が何度か海外領での戦いに投入された。厄介だったぞ。特殊な秘薬と暗示により馬鹿げた力を発揮し、致命傷を負っても薬が切れるまで平然と活動する。女子供でも怪物と化す外道の術だ」
お父様が唸り、私の予想を裏付けた。
「聞いたことはあります。その麻薬は猛毒であり、使われると、超人的な身体能力と引き換えに、一刻ほどの命もなくなるとか……まさか本気で実用化しているとは」
嫌悪感でセラフィの頬も粟立っていた。
「ボクは個人的にチューベロッサの王子ドミニコを知っています。やります。あいつなら」
セラフィは吐き捨てた。
セラフィに私も同意だ。ろくでなし揃いの四大国の四王子のなかで、ドミニコは一見一番まともだ。美形であり所作も洗練されている。おそろしいほど華もある。お父様のように立っているだけでスポットライトが当てられている印象を与える。万人の人混みでも目立つ。アイドル業でもすれば一世を風靡したろう。
実際舞踏会ではあまたの令嬢たちの嬌声の的だった。ドミニコ・オンステージだ。だが、それは幸せにも中身を知らないからだ。いつも笑顔だが、私は顔を見るだけで吐き気がしていた。あいつの精神は蛇のように異質だ。
他の王子達も極悪人に間違いはないが、まだ悪い意味で人間味がある。性欲、征服欲、自己顕示欲……。徹底受け入れたくはないが理解は及ぶ。だが、ドミニコは……。あいつは普通じゃない。おぞましい破壊願望が心の奥底で渦巻いている……。
やめよう。あいつのことを考えると、こっちまで精神汚染されたように鬱になる。
そう健気にも切り替えようとした私なのに、落ち着いたマーガレットが、自分の寝室であらためて現況説明したことで、またもあいつを思いだす憂き目にあった。
マーガレットの鼻血は止まったが、腫れた瞼が痛々しい。ブラッドの治療不足ではない。ついさっきまで国王陛下の身体にしがみついて泣きじゃくっていたのだ。わずか五歳の王女が涙をこらえ、国王の名代役を果たさねばならないのがこの国の現実だ。多分国王陛下が亡くなってもマーガレットは嘆く時間さえ与えられず、フォローに奔走することになるだろう。ハイドランジアの危機を真剣に受け止め、対策を考えている貴族は殆どいない。
マーガレットの部屋のベッドは女の子らしく無数のぬいぐるみであふれていた。強がっても本心は寂しいのだろう。あとは可愛らしい調度品はほぼなく、実務的で殺伐としていた。がらんとした王城で孤独な執務に耐え、昏く寒い大廊下から疲れ切った足取りで寝室に戻り、物言わぬぬいぐるみに囲まれ、身を丸めて眠りにつくマーガレットを思うと涙が出そうになった。
「あの侍女に化けた刺客は、少なくとも二年以上前から王宮勤めよ。他にも王宮には工作員がたくさんもぐりこんでいると見るべきね。貴重な労働力を提供してくれるチューベロッサに感謝すべきかしら。今回の件は、飴と鞭だわ。〈大陸覇窮会議〉に招待されたからってつけあがるな。その気になればいつでも命を狙える。だから逆らうなってメッセージね」
不安なんてもんじゃないだろうに、おどけて肩をすくめてみせるマーガレットを抱きしめたくなった。うむ、手がまわらない。私が新生児ボディというのをすっかり忘れてた。
私は孤軍奮闘して頑張る女の子にとても弱いのだ。
どうしても女王時代の自分と重ねてしまう。
しかし〈大陸覇窮会議〉か。厄介極まりない……。
早い話が、不要な衝突を避けるため、大陸の国々の代表同士が集まり、ここはうちの縄張りだから手を出さないでね、と確認し合う話合いなんだけど、四大国以外はそもそも会議のメンバーにさえ入れてもらってないんだよ。弱いものに口を差し挟む権利など無しってことだ。大陸の力関係の縮図そのまんまなんだよね。四大国以外は刺身のツマ以下。またこの忌まわしい会議に関わることになるとは。
私はため息をつき、そして肚をくくった。くそ四王子とはなるべく近づきたくなかったけど、マーガレットに協力せざるをえないか……。悪辣ドミニコが裏で糸を引いている以上、会議に参加しても辞退してもハイドランジアに待つのは地獄だ。どっちにもからめ手を用意していると考えるべきだ。あのくそ野郎にはどれだけ警戒してもまだ足りない。放置しておくと引き籠り計画なんて立てていられなくなる。
国王陛下とマーガレットは有能だけど、ドミニコの悪をまだ甘く見ている。やつの行動原理は狂気と破壊衝動だ。常識的な読みが通用しないから、識者ほど足元をすくわれる。そんなやつが大国を動かす権力者で得体の知れない力持ちときた。危険度でいえば魔犬ガルムなんて比較にならない。
じつは私は「108回」時代、新米女王だった頃に、この〈大陸覇窮会議〉に強制参加させられたことがある。会議の前にはオリンピックみたいな祭典があって、各国が競技をもって国力を競い合い、その結果は境界線取り決めに大きく反映される。
だけど当時の困窮したハイドランジアが、四大国の精鋭とまともに張り合える選手を用意できる余裕があるわけがなかった。王子達の目的は私を公然と嬲ることだったんだ。
……当時のハイドランジアの窮状を思いだすと憂鬱になる。
蝗害からはじまった天災ラッシュで、国庫と食料備蓄はからっぽ。そして飢餓に怒った民衆が、貴族に叛旗をひるがえし、平民議会の設立を求め、全国で暴動を起こした。鎮圧にあたる国軍は弱体化していて、戦いは長期化した。それに便乗した暴徒たちが略奪を働き、国土はもう無茶苦茶。お荷物の海外領では地元豪族の大規模な反乱が連発し、こちらも泥沼戦争に突入した。さらに宗教戦争まで……。
ありとあらゆる爆発要素を大鍋にぶちこんだ大混乱のなか、愛娘マーガレットを失い正気を失った国王陛下は、とどめとばかり、王家の血をひく者の中から、もっとも次期国王に相応しい者を選び出すという悪名高い王位継承戦を宣言した。
もう国を亡ぼす気だったとしか思えない。だってうっすらと王家の血をひくだけの人間なら、男系女系問わずならこの国には何百人もいるんだ。
だけど、れっきとした王族たちは反対するどころかみんな自領の城に引き籠るか、海外に逃亡していた。ここまで治安が悪化し王家が弱体化しては、いつ小勢力乱立の戦国時代に逆戻りしても不思議はなかったもの。国王なんてババ札、誰も引きたくはなかったんだ。
……結果皮肉なことに、命をかけても国を建て直したいという青雲の志の連中か、ハイリスクを恐れず野望を実現しようというアクの強い奴らばかりが、王位継承戦に名乗りをあげることになった。乱世こそ英雄をつくるのだ。不肖私もその一人だった。
そして勝ち抜き、女王に即位し、負けた候補者たちのお尻をひっぱたき、国家の立て直しに奔走した。有能な連中はみんなそっちで手一杯だった。災害復興に等しい。〈大陸覇窮会議〉に人をまわす余裕なんてあるはずがなかった。
それこそが無理やり私を〈大陸覇窮会議〉に引っ張っていった王子たちの狙いだった。選手を出さない以上、ハイドランジアは無条件降伏したも同義と、言いがかりを吹っかけて来た。
そして代案として、私がハイドランジアの全代表に指名され、七種類すべての「雷鳴」を踊らされる事になったんだ。「雷鳴」はひとつ踊りきるだけで、国の踊り手の代表と称えられるダンスの最高峰だ。踊り慣れた令嬢でも、ひとつどころか半分といかず酸欠と心身の消耗で失神する。私はそれを、相手が入れ代わり立ち代わりの三時間ぶっ続けでやらされた。
そして失敗したら、王子達に身体で詫びると誓わされた。
さんざん手古摺らせてくれた生意気な小娘が、曲がりなりにも女王にまでのし上がった。だが、ここで頂点からどん底まで引きずり下ろし、心も体もへし折ったとき、どんな絶望した泣き顔を見せてくれるか。その期待に、奴らの目は薄気味悪く輝いていた。
だけど、お生憎さま。私のほうこそ、あんたらの鼻っ柱をへし折る気満々なのよ。
舞台は、チューベロッサの有り余る財力で再現されたロマリアの円形闘技場だったよ。セラフィの話してた娯楽建造物だ。一国の女王が完全に見世物扱いされている。正午はとうに過ぎた。太陽は我が世の春を謳歌している。陽射しは圧倒的で、コロッセオのあちこちに張りめぐらされた日除け幕が役に立たないほどだった。辟易した貴婦人たちの絹製の日傘があちこちで揺れていた。しかし、この太陽はあとは沈むだけだ。私はそれを王子達になぞらえた。うん、この野外舞台こそ、私の戦いにふさわしい。
しかし、さすが貿易で儲けまくっている海洋国家だ。建築費用、ハイドランジアの年間予算の何年分だろうか。う、羨ましくなんかない。たとえプライベートではくたびれた使い古しのパンツの倹約生活でも、心は錦よ!!
私は心を奮い立たせた。
すり鉢を思わす建物の内側に五万を超える座席がぐるっと並ぶ。見下ろす観客の注視を一身に集め、凛として立った私を、無駄なあがきをすると思ったのだろう。四王子たちは嗜虐的なにやにや笑いを浮かべ、舐めるようにして見学していた。勝利を確信し、あいつらは私を弄ぶ順番の相談をしていた。人気は純潔を散らす一番手ではなく最終だ。次に使う者がいなければ、遠慮せず私を壊せるからだ。歴戦の娼婦や悪女でさえ恐怖で失禁するあいつらの異常性癖はよく知っている。令嬢時代に何度も凌辱されかかったもの。全裸で這いつくばって服従宣言などまだ序の口だ。
くそっ、凌辱される羽目になったら、毛玉だらけのプライベートパンツ履いていってげんなりさせてやる。
だが、ぎらぎら昂っていた王子達の表情は、次第に当てが外れたという憮然としたものになり、不機嫌極まりない仏頂面になり、そして愕然としたあほみたいな顔になった。裏腹に会場のボルテージがあがるあがる。いつまでたっても私がダンスを失敗せず、とうとう最後の〝雷鳴のワルツ〟までたどり着いたからだ。
あー、すっきりした。くそ王子達の考えぐらい、〈大陸覇窮会議〉に強制招待されたときからお見通しよ。だから、女王業の忙しい間を縫い、睡眠時間を削り、必死に「雷鳴」の特訓に励んだのだ。私は罠にはまったふりをして、あんた達を逆に罠にはめたの。「雷鳴」の提案を受けたときは、笑いを堪え、悲劇の女王を演じるのに苦労した。
そのときの私はなりは小さくても研ぎ澄まされた名刀だった。創始者を除けば、歴史上、このときの私以上に「雷鳴」を踊れる存在はないと自負できる。
ダンスの変態的天才のアリサが真剣になれば別だろうけど、あの娘はむらっ気がありすぎ、「雷鳴」ひとつでさえ最後まで踊りきることはなかった。
「かっこいい男の人見つけた!!」ってすぐダンスを放棄してたもの。ぽつんと残されたパートナーに同情するよ……。もっともそのあと「くんくん、スカーレットさまのにおいがする。発見!! なんでアリサのとこ来てくれないの!?」ってドリフトかまして、柱のかげに身を隠していた私のところに飛んできたうえ「大変!! スカーレットさま、お胸がぺったんこ。まさか男の人になっちゃった!? たしかめなきゃ!!」って私のスカートをまくり上げると顔を突っ込んできたのだけど……。
貴族女性が生足首見せるだけで恥じらう価値観のなかで、大勢の前で太腿まで丸出しにされ、足の形すべてを目撃される私って……。しかもそのとき油断して履いていたよれパンツまで……。
「このお花畑あほ娘が!!」拳骨を頭に落すと「うわああん!! スカーレットさまがぶった!! アリサ、心配しただけなのに!! スカーレットさまのバカ!! 絶壁!! ピンクちくび!!」と泣き喚いた。まさに泣きっ面に蜂。私のプライバシーを誰か守ってください……。
アリサの最大の被害者はぶっちぎりで私だ。恥ずかしさのあまり、私はそれから一月ほど社交界に顔を出せなくなった。厚顔無恥なアリサが、しばらく私を独占できると大喜びし、泊まりの準備をして押しかけて来たのは言うまでもない。
……どうも回想にアリサが割り込んでくると、私の格好いいシーンが台無しになるよ。
とにかく私の快進撃に、敵地のコロシアム全体が、拍手と大歓声で沸きに沸いた。特に女性達の興奮と声援が凄い。会場の気温は右肩上がり。その熱に背中を押され、私の動きがさらにキレを増す。王位継承戦のダンスバトルのときを思いだす。
女性達は心のなかで快哉を叫ぶ。「目に焼きつけて!! 男達!! これが女の底力よ!!」と。
声に出さなくても私にはわかったよ。
だって、社交界や屋敷の女主人としての地位こそ確立されているが、貴族女性は男性に比べ活躍の場がない。能力的に劣ると一般に認識されるからだ。そして能力の最盛期を披露することなく、ほとんどがひっそり人生を終える。口にこそ出さないが皆悔しがっている。着飾るのも美しさを追い求めるのも、競争意識や我欲からだけではない。そこを磨くこと必須の限定された戦いの場ぐらいしか与えられないからだ。
貴族女性は誰しも一度は思ったことがあるはずだ。チャンスをください。そして私を評価してください、と。このときの私は彼女達の夢の体現者だった。
四王子を除くほぼすべての観客が私の味方についた熱気の渦のなか、ドミニコの私を値踏みするような冷めた目が妙に心に引っかかった。
こいつ、本当はこういう展開になることを織り込み済みだった?
私の疑惑が確信に変わったのは、私がついに「雷鳴」完全制覇を成し遂げ、ラストダンスのパートナー役をつとめたチューベロッサの若き伯爵と、互いを称える礼を交わしたときだった。
「さすがだね。小さな花。君は今日、伝説にのぼりつめた」
彼は小声で私を褒めた。嬉しかった。
踊りの名手として知られた若き伯爵……マルコは、私が令嬢時代から鎬を削った相手だ。一言で言うと「こいつ、やる。負けたくない」という関係。しょっちゅう口喧嘩したよ。齢は向こうのほうが私より十は上だったけど遠慮なんてしなかった。
「少しは年上への敬意を学んだらどうだい。おちび」
「童顔の女顔がなに言ってんだか」
って感じだったよ。
中性的な美形で、はじめて出会ったとき、私は男装の麗人と勘違いした。のちにネタに出来るほど仲良くなったけど、最初はそれを根にもたれ、ずいぶんつっけんどんな態度を取られたよ。マルコは容姿がコンプレックスで、本当は海の男になりたかったらしい。少年の頃、艦隊司令の秘書兼世話係をしていたんだって。ずいぶん可愛がってもらったけど、家庭の事情でその道を断念したって悔しそうに語ってた。私とのやり合いのなかで、互いを認め合ってからは、マルコは本当に最高の友人になったよ。
背が低めの私のことを、おそれを知らぬ小さな花と呼び、(最初はレディ・クズリと呼んでいた!! ひどくない!?)敵地での舞踏会では、よくエスコート役を買って出てくれた。ずいぶん嫌がらせから庇ってもらった。それに顔の広さを生かしたあちこちへの顔繫ぎ。ダンスの特訓の相手。挙げればきりがない。お礼を言おうとしても、
「礼には及ばないよ。これは投資だ。君ほど底が見えない女性はない。女王陛下になったとしても不思議には思わないな。『見こんだ相手には、恩を売れるときに売っておけ。そうすれば人生が楽しくなる』ぐうたらな師匠の教えだよ」
ってはぐらかしてたっけ。
買い被りすぎて照れちゃうよ。
後日、私が本当に女王に即位したときには仰天し、
「もう気安くは話せないな。今までの御無礼、どうかお許しください」
なんて柄にもなく寂しそうに畏まるから、
「もし、私が失脚したら、無一文になって転がり込むから、これからも仲良くしてね」
って返してやった。そしたら吹き出し、
「いいな、それ。そうしたらずっと君とダンスに明け暮れることが出来るな。失脚の日が待ち遠しいね。二十四時間、亡命先として門戸を開いておくよ。……だから、何かあったら遠慮せず、着の身着のまま、ぼくのところに逃げておいで」
って言ってくれた。
私達は顔を見合わせ爆笑した。うん、私も約束していたようにマンツーマンで教えかけの絵を仕込んであげる。ふたりの友情は永久不滅だよ!!
今回の〈大陸覇窮会議〉の騒ぎでは、国の反逆者と認定される危険を犯し、いざというときは私をハイドランジアに脱出させる手筈まで整えていてくれていた。昔の伝手がいろいろあるらしい。現地入りした私の「雷鳴」の調整役をひそかに買って出てくれたのも彼だ。私が無事踊りきったことを、この会場でもっとも喜んでくれていたひとりだった。
「さすが女王陛下。その偉業に心から敬服いたします。お相手させていただいた幸運に感謝を。今日の貴女の輝きは、生涯私の心を独占し続けるでしょう。……願わくば、その万分の一でもいい。どうか貴女のお心に私が残れますことを」
「よきダンスの成功は、最良のパートナーあってこそ。私が踊りきれたのはあなたのおかげです。その正々堂々とした雄姿、忘れることなどありましょうか」
私達は呼吸を調え、わざと儀式ばった挨拶を交わし、火照った頬で微笑みあった。
実際そうだ。やせ我慢していたが、私は疲労困憊で限界だった。他の何人かの相手役のように、彼が私を潰すつもりでいたら、防ぎきることは出来なかった。だが、彼はフェアどころか、私の負担を最小限にとどめるリードをし、陽射しで目がくらまないよう位置取りに気を遣い、疲れが王子達にばれないよう、身体を盾にして遮る好意さえ見せてくれた。
彼は悪戯っぽく笑んでいた。きっと私も同じ顔をしていたろう。傍目にはわからないが、私達は共犯者だった。健闘を讃えあっていると見えたらしく、どおっと歓声が大きく膨らんだ。まるで世界中の鐘が鳴り響いているようだった。物語のハッピーエンドは間近だった。このままなら。
「……取繕った幸せな結末など、コロッセオには似合わない。ふさわしいのは血に酔いしれる狂気だ。さあ、スカーレット。地獄の第二幕の幕開けといこうじゃないか」
悪意に満ちた言葉にぎょっとした。私は離れた相手の言葉を読唇術で読める。
観客席で脚を組んだドミニコが爽やかな笑顔で、指を鳴らした瞬間、マルコは豹変した。
「……帰さない。君をここから帰すものか……!!」
そう呻くと、顔がこわばった能面と化し、突然に隠し持ったナイフを振りかざし、颶風となって私に襲いかかった。十年来の友愛に満ちた目はあたたかさを失い、懊悩に強張っていた。硬いガラス玉を思わせた。青ざめた私の顔がいっぱいに映っていた。
「……マルコ!? どうしたの!?」
「死んでくれ!! ぼくもすぐにあとを追う!!」
暗殺騒ぎは私の日常茶飯事だったのに、ショックで反応が遅れた。そのうえ先ずマルコの心配をし問いかける愚を犯した。ドミニコに脅されているのではないかと疑ったにしてもだ。対処優先、原因究明はあとからがモットーの、私らしくない失態だった。もう受け流しも払い落しも間に合わない。後ろに飛び退こうとしたが、「雷鳴」ぶっ続けで足もとっくに限界を迎えていた。
私はぶざまに尻餅をついた。絶体絶命だ。だが、マルコの凶刃は私の鼻先ぎりぎりのところで急停止した。
「……逃げろ……小さな……花……!!」
マルコは全身を震わせ殺人衝動に逆らっていた。だが、マルコの意志に反し、その手はぎりぎりと振りかざした刃を、私に振り下ろそうとする。そして抗いがたいと判断したマルコは、私を守るため白刃を自らの頸動脈に押し当て自害をはかった。
「……さよなら、だ……-ぼくの、一番大切な……!! ……かわいい、ライバル……!!」
マルコの目から一筋の涙が頬を伝った。そして悲しい微笑み。胸がしめつけられた。そこにいたのは、たしかにいつもの私の親友、冷めた態度に見えるけど、とってもあったかいものを心に秘めたマルコだった。彼は命を捨ててまで、私への友情を示してくれた。
「マルコ!!」
私は彼の腕にとびつきナイフをもぎとろうとした。だが、疲労困憊した膝は寸前でがくんと沈み、私はぶざまに転倒した。三時間に及ぶダンスを共に戦い抜いてくれた肉体は、最後の最後に私を裏切った。
どうして……!!
絶望した私の目の前の床に、マルコが取り落としたナイフが落下し、乾いた響きを立てた。
もしかして自害をやめた。
そう一抹の希望を抱き、はじかれるように彼を見上げた私の目に、マルコの口元からこぼれる鮮やかな血泡が映った。そしてマルコの胸からは大剣の切っ先が生えていた。ぎらぎらした無慈悲な金属の光と鮮やかな血糊が私の目を射た。その向こうにドミニコのチェシャ猫そっくりの笑みいっぱいが広がっていた。
「私の支配をはねのけるとは驚きだな。マルコ。いささかプライドが傷ついた。それほどまでにスカーレットで胸がいっぱいか」
ドミニコがいつの間にか舞台に飛びあがり、マルコを背後から刺し貫いていた。
「よくぞ私の胸を痛ませた。ささやかなお返しだ。どれほどの想いが詰まっているか、おまえの胸もえぐりとって、確かめてやろう」
そう囁くと悪魔の笑みを浮かべ、剣をぐりっと回し、刃を上に返した。
「はて、愛があふれているかと思ったが、ありふれた血の泡しか出てこない。引き裂きかたが足りなかったかな?」
首を傾げると、刃を突き刺したままマルコの身体を持ち上げる。枯れ木が爆ぜるような嫌な音がした。あばら骨が断ち切られる音だった。マルコは自分の重みで刃に切り裂かれていた。痙攣するマルコの爪先が宙を蹴る。あまりに無惨な光景を理解することを頭が拒否し、私はしばらく呆然としていた。
「ははっ、スカーレット。驚きで思考が停止しているな。よし、私がかわりに正解を当ててやろう。これはもしかして求愛のダンスではないかな? なっ、そうだろう!! マルコ。だが、そんな死にそうな顔では女の胸も高鳴るまいよ。ほら笑顔を見せろ。ダンスは楽しく元気にだ」
ドミニコ曇りなき王子様スマイルは、串刺し刑にされてもがく捕虜を、無邪気に鈍感に愛でるドラキュラ公のそれだった。
私の目の前が怒りでまっかになった。こいつはこの世に存在させちゃいけない奴だ!!
「……この人でなし……!!」
気がつくと指でドミニコの目をえぐりにいっていた。いまのドミニコは剣で両手がふさがっている。攻撃を避けるには、剣から手を離すしかない。サディストのこいつはマルコを苦しめる愉しみに執着し、迷うはずだ。その隙をつく。可能なら眼窩の奥の脳まで貫く。今の私は自分の大嫌いな冷酷な部分を全開にしていた。だが、信じがたいことにドミニコは、柄を握る手を片手に持ちかえた。
「おおっ、マルコ。身を挺して主君をかばうか。その忠義、感動したぞ」
そして縫い留めたマルコを私に突きつけた。
剣に人ひとり刺しておいて片手で軽々と持ち上げる!? ありえない!! 驚愕した私を、ドミニコは空いたもういっぽうの手で払いのけた。私の視界が自分の勢いごと、ぐるんっと回転した。そのまま痛烈に背中から床に叩きつけられた。
「……っ……!!」
「さて……しつけのなっていない雌猫には、軽くおしおきが必要だな」
衝撃で息が詰まり硬直している私の鳩尾を、容赦なくドミニコは、どすんっと追い討ちで踏みつけた。鉄杭をおなかにのせられ、上から巨大ハンマーでぶっ叩かれた気がした。
「女どもはウェストの細さに一喜一憂するのだろう? 手伝ってやる。おや、これではおしおきでなく褒美だな。ははっ、感動で声も出ないか」
重い激痛で世界が燃えた。ぶわっと全身に冷汗が噴き出す。マルコとドミニコの男ふたりぶんの体重が神経叢を直撃したのだ。どこが軽くだ。背骨が砕け内臓が口から飛び出したかと思った。ドレスの強固なコルセットに胴体を守られていなければ実際そうなったろう。
「さあ、どんどん絞ってやるぞ。一センチ、二センチ……」
ドミニコは踏みつけた足をどかさず圧力を加えてきた。身をねじって逃れようとしたが、その靴裏は接着剤でもついているのかと思うほどに微動だにしない。
胸郭が、潰れる……息が、でき……ない……!!
私は悶絶してのたうった。
ドミニコはそれを興味深そうに見おろした。
「変わった動きだ。これはマルコの求愛のダンスへのお返しのつもりかな? だが、ダンスは立ってするものだ。寝転がって横着したら駄目だろう。しかたない。私が一からステップをレクチャーしてやろう。ワンツー、ワンツー。いけないな。スカーレット力みすぎだ。顔がまっかだぞ。内臓でも飛び出そうな顔だ。おや? 今度は蒼くなってきた。ダンスに百面相は不要だろう?」
掛け声にあわせ、踏みつける力を強めたり弱めたりし、足の下でもがく私の感触を楽しみながら、ドミニコが爆笑する。
「ずいぶん苦しそうだな。スカーレット。困ったな、マルコ。新人女王陛下では、男二人同時相手のプレイはきついようだ。私は気を遣って加減しているぞ。なのにおまえがこの剣に全体重をのせているせいで、スカーレットはカエルのように潰れて死にかけているのだ。少しは相手のことを労わるべきだな。愛は思いやりだぞ?」
ドミニコの煽りにマルコは涙を流し、死んだほうがましであろう苦痛に耐え、足が地面から離れたまま剣を体から引きぬこうとしていた。死から逃れようとしてではない。私をなんとか助けようとしてだ。その凄絶なまでの優しさに私も苦悶を忘れて泣いた。
だが、そんな涙は、ドミニコの心にはまったく響かなかった。
「ははっ!! すごいぞ!! これが火事場の馬鹿力か。いや、愛の力かな? よし、愛で奇跡を起こしてみせろ。いいぞ、惜しい。あと一息だ。ほら、頑張れ。……ふむ、残念。ここで振り出しに戻ってしまったか」
声援しながらドミニコはわざとらしくため息をついた。サディストの奴は、私にそうしているように、剣先を下げたり上げたりし、マルコの努力を弄んでいた。そのたびにマルコの身体は貫いた刃の上を前後に滑った。鋸引きだ。マルコの肉と骨は悲鳴をあげ、どんどん刃が食い込んだ。マルコの動きが弱弱しいものになり、ついに意識を失った。
「どうした。意気込んでいたわりには、まるで昆虫標本だな。おまえの愛は虫けら程度か。おや、もうぐったりか。つまらん。死んだか? では昆虫採集遊びは終わりだ。私は男女平等論者だからな。心配しなくともスカーレットとも遊んでやる。次は球蹴りだ」
そう言いながらドミニコは足を下し、私の腹をサッカーボールのように蹴った。重圧がのいて息を吸う間さえ与えられなかった。暗殺対策で強化している特別製のストマッカーが異音を発してへしゃげた。私は飛び石のように何度も床をバウンドして転がった。
「おお、さすがのダンスの名手だ。六回転もしたぞ。人よりボールのほうがお似合いだな。しかしボールに目や鼻がついているのはおかしい。顔から蹴り潰すべきだったか」
このキチ野郎……!! 私は心のなかでドミニコを罵った。声が出せない。衝撃で体中がばらばらになったみたいだ。立ちあがれない。もう少し下を蹴られていたら死んでいた。
失神からさめたマルコが唸った。
「……やめ……ろ……!! その子……に……手を……出したら殺す……!!」
「ははっ、まだ息があったか。手は出していない。足を出しただけだ。だが、おまえは偉そうに口を出すだけだな。女が蹴られてから恥ずかしげもなくよく凄めるな?」
首をねじ曲げ、人を殺せそうな視線を叩きつけたマルコを、ドミニコは口元を歪めて皮肉った。マルコの眼差しが怯んだのを見て、ドミニコは爆笑した。
「丸焼きそっくりな串刺し姿で笑わせてくれる。道化には褒美をやらねばな。そうだ、マルコ、領地を建て直したおまえは、使用人どもと家族のような間柄だそうだな。よし、使用人は本当の家族ごと皆殺しだ」
最低の思いつきにマルコと私は蒼白になった。だがドミニコの外道の本領発揮はここからだった。
「子供も、女も等しく、尻の穴から串刺し刑にする。縦と横の違いはあるが、おまえとおそろいだな。季節外れの七面鳥のクリスマスプレゼントだ。『マルコは命惜しさに使用人どもを人身御供にした』とメッセージカードを添えてやる。さあ、奴らはおまえを信じ、忠義を保てるのか? 呪って死んでいくか? 絆が試されるときだなあ。メリークリスマス!! マルコ!!」
残酷すぎるドミニコの宣言。
マルコは絶望で声なき絶叫を放った。氷像でさえ涙を流しそうな悲嘆も、ドミニコには届かなかった。ごぼっと血を吐いたマルコに、やつは困ったように首を傾げた。
「おや、もう肩甲骨を過ぎ、刃が鎖骨に達してしまったか。切れすぎる剣というのも考えものだな。剣はなまくらに限る。使用人どもの尻に突き刺す杭の先端は、なるべく鈍くしなくては……。そうだ。串刺しにする順番は奴ら自身に選ばせてやろう。平民どもの大好きな多数決と民主主義だ。きっと喜ぶぞ。……おいおい、マルコ。そんな怖い目で主君を睨むものではないぞ? スカーレットまで。淑女失格だな」
そう朗らかに言ったドミニコは、思い出したようにおぞましい慈悲の笑みで付け加えた。
「おっと、すまない。忘れていた。マルコ。死ぬ前に教えておこう。昔、圧力をかけ、おまえを船にいられなくしたのは私だ。師にしがみついて、女のように声をあげて、別れたくないといつまでも泣いていたな。まるで引き裂かれる恋人だった。気まぐれの余興だったがあれは笑えたぞ。もしかして、深い仲だったのか? 海の上は女日照りだものな。誘ったのはどちらからだ? まったく、あの男もとぼけた顔をして見境ない色狂いだ」
なんでこんなひどいことを朗々と語れるの!?
猛毒のような嘲笑と侮辱に、マルコの髪が逆立っていた。
「……許さ……ない……!! どこまで人を、弄べば……!! ぼくのことは、いい……!! だけど、みんなを……!! 司令まで侮辱して……!!」
ふりしぼる声は怒りと悲しみに満ちていた。
……こいつ、次から次に、どこまでマルコの人生を踏みにじれば……!!
マルコが可哀想でならなかった。力一杯抱きしめて慰めたかった。
「……マルコ!!」
痛みをこらえて跳ね起きた私の目に、マルコが空中から、ゆっくり落下する様が飛びこんできた。
「許さないだと? 驚きだ。じつに気があうな。おまえこそ中途半端に終わり、私の愉しみに水をさした。早く幽霊になって化けて出ろ。そのときこそ、気が狂うまで壊しきってやる」
ドミニコが逆袈裟でマルコの鎖骨を断ち、刀を上に振り抜いていた。噴水のような血飛沫をあげて倒れてきたマルコは、とびついて抱きとめた私の腕のなかで痙攣した。
「……あ……!! ああ……!!」
私は小さな悲鳴をあげた。ぐったりとのしかかるマルコの身体から、命が流血になって抜けていき、私のドレスを真紅に染める。阿鼻叫喚におちいった会場のなか、ドミニコが身を寄せ、私の耳元で囁いた。甘く不快なにおいがした。腐臭だ。こいつの魂が腐りきった臭いだ。
「……人生は悲劇だな、スカーレット。いつの時代も男は女で道を誤る。おまえに惚れたせいでマルコは死ぬ。使用人も仲良く道連れだ。ひどい悪女だな。マルコが可哀想と思わんか」
そしてドミニコは私のおとがいを指で挟み、検分するかのように上を向かせた。マントが地獄の軍勢の軍旗のようにはためく。
「ひとつ取引を提案してやろう。得意の『雷鳴』を私とここで踊れ。さっきのように気合いの入ったものをだ。思いっきり足をふりあげるヤツがいい。ただし、その澄ましたドレスは脱ぎ捨て、猿のように裸でだ。そうすればマルコの使用人どもは助けてやる。ふふ」
私はぞっとした。うそぶくドミニコの目に好色な光は一切なく、冷酷な悪意が渦巻いていたからだ。直感する。こいつは、私の裸が見たいんじゃない。衆人環視にさらして笑いものにしたいのでもない。我が身可愛さに、みんなを見捨てるところが見たいんだ。
「『雷鳴』の全制覇は、前人未踏の栄誉といっていい。それを自ら踏みにじり、糞まみれに堕とせ。思いだすだけで生きていたくないと絶叫するほどにな。……おまえの国の民どもには『色狂いの女王は、ダンスを披露するだけでは飽き足らず、他国で裸を見せつけて快感にうち震えた』と伝えてやる。さすが我等の女王陛下と涙を流して喜ぶだろう。国に凱旋するときが愉しみだな?」
脅しじゃない。こいつは間違いなく実行する。国に帰れば私を待っているのは地獄だろう。
だけど、私の答えは決まっている。体が屈辱で震える卑劣な提案に、私はマルコを抱きしめ、きっと顔をあげた。お願い、気高くふるまえるよう、あなたの勇気を私にも分けて。
「……マルコの家の人達を助けるって約束を守る保証は?」
そう私はドミニコに問うた。
「神ではなく、この私自身に私が誓おう。これほど確かなものはない」
ドミニコは傲慢にうそぶいた。最低の答えだ。だが、だからこそこいつはこの約束だけは違えまい。
私はうなずき、そっとマルコを床におろし、毅然と立ちあがった。
「ふん」
つまらなそうな顔をしているドミニコのもとに歩み寄ろうとしたが、マルコが私のスカートの裾を掴んで止めた。
「……頼む……やめて、くれ……ぼくらのために、君の……名誉を、穢さないで……」
慟哭して懇願するマルコの涙を、私はしゃがみこんでぬぐった。
「……心配しないで。たとえどんな醜態をさらしても、人から嘲笑されても、私は私。変わらない。このくだらないちっぽけな名誉だけは、神様にだって壊させやしない。……ただのバカな意地かもしれないけど、でもね、私は胸をはって、あなたを見つめられる自分でいたいの。……だから、なにが起きても幻滅しないで。どうかお願い、見守っていて」
マルコがどれだけの覚悟で今私を止めたかはわかっている。彼がどれほど使用人たちと深い絆で結ばれているかは知っている。本音は命にかえても助けたいはずだ。だけど断腸の思いで私の名誉を優先しようとしてくれた。
「……駄目だ……!! ぼくは、もうすぐ死ぬ……残りの人生すべてをかけ……君に償うことさえ、出来ないんだ……!!」
その言葉どおり、もし命があったらマルコはきっと魂までも、私のために捧げてくれたろう。彼はそういう人だ。その気持ちだけで嬉しかった。報われた。
苦しい息の下、悔しさで慟哭するマルコを、私は抱きしめた。
私のくしゃくしゃになった顔がマルコから見えないように。
「私はあなたと踊れて楽しかった。私には、私達には、それで十分よ。そうでしょ?」
私は涙をこらえ、万感の思いをこめ呟いた。
泣くもんか。くじけるもんか。
だって、マルコはいつも言ってたよね。前向きな私の笑顔は元気をくれるって。明るい気持ちになれるって。だから、私は歯をくいしばって微笑んであなたを見送ることにしたよ。ごめんね、これが私にできる精一杯の餞別だよ。
ねえ、私、ちゃんと笑えてる?
私は懸命に笑顔をつくり、マルコをのぞきこんだ。
「じゃあ、行ってくるね」
そして、私は行かせまいとするマルコの指に手を添え、優しくドレスの生地からほどき立ちあがった。
さあ、ドミニコ、勝負だ!!
だが、炎のような私の決意とは裏腹に、ドミニコのまなざしは氷のようだった。氷柱を背筋に差し込まれた気がした。いつも口元に刻まれていた余裕の笑いが消えている……!! なにかやばい!! 私の本能が最大音量で危険だと喚きだした。
「……ドレスを剥ぐ程度では、おまえには地獄が足りなかったか。私も意地にかけ、そのプライドを叩き潰し、泣き狂う本性を引きずり出したくなった。まずは魔女狩りの試練からだ」
ドミニコが低く呟き、指揮者のように両手を上にあげた。
そのときになって私は周囲が不自然にしんと静まり返っていることに気づいた。マルコの悲劇に気を取られていてそれどころではなかったのだ。
「血に染まって嗤っていた」
「おぞましい。魔女だ」
周囲のひそひそとした囁きが、急にくっきりと聞えた。
さっきまでの熱狂が嘘のように、観客の憎悪が渦巻く。私を押潰そうとする。非難のまなざしが私ひとりに集中する。万人の非難にみちた静寂と視線は、歓声以上に凄まじい迫力があった。
おかしい。いくらチューベロッサの民が殆どとはいえ、返り血を浴びた私より、まず傍若無人なドミニコのふるまいを咎めるべきだろう。それにここには他国の人間もいるのに。
そうだ、他の四王子は……!! 足の引っ張り合いが大好きなあいつらが、ドミニコを貶めるチャンスを見逃すはずが。だが、王子達はロイヤルボックスで蒼白になって身を縮めこんでいた。まるでおさな子のように頭を抱えがたがた震えている。傲岸不遜なあいつらがどうして……!?
「他の王子どもを煽り、突破口を開こうとしても徒労だぞ。今の奴らには、この舞台の上の私が見えていない。いや認識する余裕がないと言うべきか」
呆然としている私に、ドミニコが嘲笑を叩きつけた。
「まだわからないか。もう少し鋭いと買い被っていたぞ。……人の感情は一枚岩ではない。そのとき一番強い感情が表に出てきているだけだ。たとえば心から賞賛したつもりでも、その裏には、嫉妬や羨望、悔しさが渦巻いている。では、裏に押しこめた感情をこちらで選び、増幅、解放してやったらどうなるか」
私は戦慄した。ぶわっと背中が冷や汗にまみれる。うなじの遅れ毛が恐怖でちりちりする。もしかしてマルコが変貌したのは……!? まさか、こいつは……!!
ドミニコはこともなげに答えた。
「そうだ。私は人の感情を操れる。精神力が強すぎる相手は、だいぶ崩す必要があるがな。マルコは難敵だったが、おまえを独占したかった。こいつは、親友役を必死に演じながら、常におまえを押し倒したい欲望に悶え苦しんでいたのさ。ダンスの相手をしているときも、おまえに触れるたびに、不埒なうずきで狂わんばかりだった。いつもおまえを自分だけの女にしたいと願っていた。だから、その身勝手な感情を膨らませてやった。はははっ、悲劇の主人公ぶっても、それが薄汚いこいつの本性だ。友情? 誤魔化すのがうまいただの色情狂だ。大好きなスカーレットに思いを知ってもらえてよかったな、マルコ」
よりによって神様は、なんてヤツになんて能力を……!!
ドミニコの哄笑に、マルコは恥辱にたえかね涙を流した。
「……君にだけは……最低なぼくを……知られたくなかった……!! ……もう死んでしまいたい……!!」
「マルコ……」
マルコは私を女性として愛していた。鈍い私はそんなことにも気づかず、ずっとマルコの好意に甘え、同性のように近い距離で接してきたのだ。マルコはどんな気持ちでそれを見ていたのだろう。私はどうすればいいかわからず立ち竦んだ。今、どんな慰めを口にしても、たとえ愛に応える言葉を言っても、マルコはそれを憐みからと取るだろう。傷つくだろう。ドミニコはその状況に私達をわざと追いこんだ。
「ははっ、死ぬんだよ。もうおまえは。最低の色気違いとしてスカーレットに記憶されてな。なぜ泣く? 私のおかげで惚れた女の裸を見ながら逝けるんだ。至福だろう? そうか!! 嬉し涙か」
「あんたは……!!」
もし怒りが炎になるのなら、私はドミニコを焼き殺していた。
欲望を抱いたとて私はマルコを軽蔑しない。信頼は些かも揺るがない。私にだって口に出せないような醜い部分はいっぱいあるし、千倍以上のマルコのすばらしさを知っている。
マルコは私を守るため自害しようとしたとき「ぼくの一番大切な、かわいいライバル」と別れを告げた。一瞬息を継いだ。今ならわかる。本当はあのとき私に愛を告白しようとして思いとどまったんだ。残される私が気を遣わないように。マルコはそういう優しい人だ。その想いを、ドミニコは最低に貶めたやり方でマルコの死に際に暴露した。死後の魂の安らぎさえ与えないつもりだ。この悪魔……!!
「いいぞ。スカーレット。少しは人間らしい顔になってきた。もっとおまえの中身をさらけ出してやろう」
ドミニコは嬉しそうに笑うと、万力の握力で私の手首をとらえて引き寄せた。この馬鹿力!! 血がにじみ骨が軋む。ふりほどけない。もがく私を弄びながらドミニコが観客に呼びかける。
「さあ、聞け。ここに貴婦人たちの憧れ『雷鳴』を踊りきった若く美しい女王がいる。きっと輝かしい賞賛の未来が待っているだろう。おまえたち、こいつをどうしたい?」
ドミニコが美しいと言うなんて絶対ろくなことにならない。
私の嫌な予感は即座に的中した。
「妬ましい。若さが、未来が」「足を折って永遠に踊れなくなればいいのに」「与えられすぎよ。不平等よ。なのに私には……」「あのきらめく目、えぐり奪って私のものにしたい」「私はあの絹のような肌をはがして貼り付けたい」「今まで恵まれたぶん、奪われて堕ちるべきだわ」
さっきまで私のダンスに共感してくれた最前列の貴婦人令嬢たちが、呪詛を唱えながら、不気味に据わった目で押し寄せてくる……!!
オペラハウスと違い、コロッセオでは一階のほうが身分の高い人々の席だ。大国チューベロッサでも上位階級の女性達が、生者を妬む幽鬼の形相で迫りくる様はおぞ気をふるうものだった。放り投げられた日傘が、足元でばきばきと踏み砕かれる。手入れされた爪が瘧のように、かちかちうち鳴なされる。それは私の皮を生きながら剥ぐという宣言だった……!!
「女はおそろしいな。上品でも一皮むけば鬼だ。さて、おまえの肌を剝きさると何が出てくるか愉しみだ。太古には、貝殻で全身を削ぎ取られ殺された女学者がいたが、千人の嫉妬の爪でえぐられる女王はどんな惨状をさらすかな?」
ドミニコはご満悦だった。悪魔のユーモア全開だ。
他人事みたいに!! あんたがみんなの悪感情を増幅した結果でしょ!!
「なに安心しろ。私は女を見た目で判断しない。鼻や耳が欠けていても気にしないぞ。二目と見れぬ赤むけた骸骨のような姿になっても、パートナーとして綺麗に着飾らせ、毎夜舞踏会に連れ出して踊ってやろう。生きていても死んでいてもな」
「そんなのただの嫌がらせでしょうが!! このド外道が!!」
思わず叫んだ私に、ドミニコは下品にげらげら嗤った。
しまった。ド外道という評価は、こいつには誉め言葉なのか。気違いめ!!
「もしかしすると、これがおまえの生涯最後のダンスになるかもしれないな。引く手あまたで羨ましいぞ。心残りがないよう命いっぱい楽しんで来い」
わさわさと手を伸ばして迫る貴婦人たちの包囲網は、もう間近に迫っていた。ドミニコは私をその真っ只中に放り込もうとした。私は首輪をはずそうとする犬のごとく必死に抵抗しながら、頭をフル回転させた。
どうする!? 捕まったら数の暴力で押し潰される。捕まらないようにするなら、各個撃破して殺し続け、肉の壁をつくるぐらいしか……!! だけどこの人達は操られているだけだ……!! 殺したくない。どうやれば切り抜けられる。
「ふむ、いかんなあ。スカーレット。さっき私の目ごと脳までえぐろうとした気迫はどうした? 肚を括れ。殺すか殺されるか、それが人生の真理だ。大人になれ。おまえを放り込んだあと、ナイフを投げ与えてやる。おまえが殺す気になればそれ一本で切り抜けられよう」
躊躇う私をドミニコが思慮深げに諭した。気違いの人生哲学なんて耳が腐る!!
投げナイフは直線に飛ぶわけではない。縦回転しながら飛ぶ。標的に刃側が命中するよう回転を見切るのが肝だ。こいつ、私に柄でなく刃のほうが届くように調整する気だ!! 受け取ろうとしたら指が落ちるように!! 希望を持たせ、そして堕とす。ドミニコのいつもの流儀だ。それに私はこの人達を殺すって決めてなんて……あっ……!!
ぐんっと体が振り回され、迷っていた私の爪先が床から離陸した。やばい!! ドミニコは私をぶん投げ、笑顔でばいばいと手をふった。むかつく!!
「はははははっ!! 殺されるほうを選んだか。マルコよ、よく見てろ。スカーレットの裸どころか、引き剝がされた肌の下まで拝めるかも知れんぞ。その幸運に泣いて感謝するがいい……む?」
絶好調のいたぶり高笑いをしていたドミニコが、不快そうに眉をしかめ飛び退いた。
そして、宙高く放り投げられていた私は、嫉妬に狂った女達の真っ只中に落下せず、途中で逞しい男の腕に抱きとめられた。まとった漆黒の外套が風でばたばたと鳴る。まるで巨大な鳥の翼に包まれた気がした。
「しがみつけ。乱暴な着地になる。舌を噛むな」
「……!!」
言葉とは裏腹に、彼の体術は完璧であり、私ひとり抱えての着地程度では衝撃ひとつなかった。その鋼の胸板から頬に伝わる規則正しく力強い鼓動は、あらゆる不安を払拭する頼もしさに満ちていた。
「……おまえは一族の仇だ。だが、あの男のやり口、それ以上に気に食わん」
一句一句ぼそっとちぎるような、不愛想でそれでいて深く響く声。
一拍遅れ、さっきまでドミニコがいた空間で、ぱああんっと乾いた音で空気が爆ぜた。
これは……〝心臓止め〟……!!
それは耳をつんざく振動となって走り、円形闘技場の柱に激突し、音叉のように共鳴させ、そしてわんわんと反響した。コロッセオそのものが音の坩堝と化したようだった。魂消る音に貫かれ、殺到していた観客たちがびくっと震えると、はっと我に返り、バツが悪そうに顔を見合わせた。
「これは……」
「私達はなにを?」
正気に戻った!?
飛びこんできた彼は、私をお姫様抱っこしたまま、ドミニコと対峙した。私の全身が驚きで痺れる。だって、今の技、そしてフードをはねのけて現れた黒目黒髪の沈痛なおもかげ。見間違うはずがない。な、なんであなたがここに……!!
ドミニコが、くっくっと喉の奥で笑った。
「やり口が気に食わんだと? 世界一の殺し屋様が随分甘いことをほざくものだな。ブラッド・ストーカー」
ドミニコを退け、窮地の私を奪還したのは、私の命をつけ狙う宿敵ブラッドだった。
ブラッドは仏頂面で吐き捨てた。
「世界一の殺し屋なぞ、周りが勝手に言い出しただけだ。俺は迷惑だ」
そうなんだ。寡黙なわりに厨二病な通り名と思ってたけど、自称じゃなかったんだ。たしかに「俺は……世界一の殺し屋ブラッド」とかぼそっと口調で自己紹介してたら変だもんね。……じゃなくて!! 後門のドミニコ、前門のブラッド!! 私、今大ピンチ!!
あわてて逃れようと腕のなかで暴れ出した私に、ブラッドは苦笑した。
「元気だな。心配しなくとも解放する」
そう言い放つと、あいつ、私の身体からぱっと手を離しやがった。
「……ちょっ……!!」
私はヒップから床に叩きつけられ悶絶した。目から火花が散り、猛抗議しようとして気づいた。『雷鳴』の後遺症&ドミニコの暴力による疲労と痛みが綺麗さっぱり消えていた。
ブラッドが血流操作術で治癒してくれたんだ。私を殺す絶好のチャンスだったのに。
「どうして……」
なんと言っていいかわからず言葉に詰まった私に、振り向きもせず、マルコのそばに屈みこみ手を当てながらブラッドは答えた。
「勘違いするな。マルコには、食中毒で倒れていたところを助けてもらった。今日はその恩義を返しに来ただけだ。どうだ、マルコ。喋れるか?」
……よりによって食中毒。タフさの体現者で血流操作もできるブラッドが倒れるなんて、いったいどんな毒物を食べたのか。
ブラッドに上体を抱き起されたマルコの顔色は、嘘のように良くなっていた。だが、ブラッドは哀しいまなざしで断言した。
「血流操作はしたが、あんたの命は五分もつまい。あのとき辞退した答えを聞かせてくれ。俺に依頼をしろ。どんな願いもひとつだけ叶えてやる。ドミニコの死か。それとも」
「ほう、高みの見物にも飽きたところだ。自分が剣闘士の真似事も悪くない」
ブラッドの素性を知りながら、ドミニコは悠然と嗤った。自信家なだけじゃない。こいつにとって他人の命も自分の命も極めて軽いものなんだ。すべてを巻きこんで破滅に導く疫病神みたいな人格破綻者だ。
だが、マルコの答えはドミニコの期待を裏切った。そして私の胸を激しくうった。
「……頼む……ぼくの小さな花を……そして、ぼくの一家のみんなを……助けてほしい……」
彼は復讐を選ばなかった。大切な人達の無事を優先した。真に誇り高き男であることを証明した。
地獄に蜘蛛の糸を見出したように、胸元を握りしめて懇願するマルコに、ブラッドは深く頷いた。
「引き受けた。その依頼、この命に代えても」
そして私のほうをちらっと一瞥した。
「小さな花、女王のことか。小さな虎ではなくてか」
本気で困惑していた。
失礼なヤツだな、おい!!
そのうえあろうことか怒りで髪を逆立てている私に、ぼそっと忠告してきた。
「ドミニコに操られかけているぞ。気をつけろ」
この憤慨は精神支配ではなく、百パーセント自家製なんですけど!?
お読みいただきありがとうございます!!
気がつけば二カ月以上更新していませんでした。
すみません!! 言い訳になりますが、なかなかに忙しかったのです。
とてもありがたいんですけど、うん、自粛ってなんだろう……。
凶悪な共通テストが終わり、そろそろ前期も結果が出る頃ですね。公立高校も。受験生のみなさま、どうか無理して体調を壊さず、栄光の未来を!!




