大陸覇窮会議への招待状。そして、おぞましく奇妙な演奏会。
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【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】3巻が8月5日発売しました!! 鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさまです!! 表紙はブラッドです!! かっこいい!! 1巻2巻ともども、どうぞよろしくお願いします!! ちなみに4巻は来年3月発売予定です!!
また12月15日 11時より コミックウォーカー様やニコニコ静画様で、22話「スカーレットとアリサ、そして二人は出会うのです。」②が公開されました!! 一足先に電撃大王さまに掲載された最終回になります!! 作画の鳥生さまに大感謝です!! お疲れ様でした!! ぱちぱち!! 最後はスカーレットと手を取り合うアリサ!! 大人姿のブラッドやセラフィ、アーノルドも出演です!! みなさまにスカの大モテの未来を想像していただけると嬉しいです!! 鳥生さまへの激励も下記ツイッターで是非!!
https://twitter.com/12_tori
ピクシブ様やピッコマ様で読める無料回もあります。もちろん電撃大王さまサイトでも。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。他に公開してくださってるサイトがあればぜひぜひお教えください。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!! もし新作を描かれるときはそちらも!! そして、原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です
ハイドランジア第二王女マーガレットは、六歳前なのに、すでに美姫と名高い。
「幼い頃可愛い子も、大人になってそうとは限らない」
とありがちな嘲笑する者はいない。
マーガレットは絶世の美女になると、万人が理屈抜きで直感するからだ。
突出した才能の持ち主が幼くても異彩を放つようにだ。
まるで発光しているように華がある。立っても歩いてもとにかく目立つ。気がつくとマーガレットを目で追ってしまっている。金髪碧眼の屈託のない笑顔は、まるで絵画の天使のように人を惹きつけてやまない。
大金を積んででも、完璧と美しさを追い求める貴族達にとり、賢く性格も明るく人懐っこいマーガレットは、好み直球ど真ん中だ。まさに神のつくりたもうた奇跡であり、デビュタントのあかつきには、どれほどの男達が胸を恋焦がすのだろうかと、思わずにはいられない。そして、王族でさえなかったら我が家に迎えられたのにと、深いため息をつくのだ。
……だが、わかる人間はわかる。
マーガレットの外見はともかく、天真爛漫な素振りや愛くるしさは計算されたものだ。マーガレットの本質は、内側に秘めた剣呑で貪欲な氷の知性なのだ。
実際、少し前まで、マーガレットは宮中の侍女たちの心胆寒からしめた存在だった。その頃のマーガレットは自分の能力を抑制することを知らなかった。
たとえば花瓶を破損してしまい、後輩に罪をなすりつけようとする先輩メイドがいたとすると、すうっと近づき、わざとらしく首を傾げ、頬に手を当てて話しかけるのだ。
「あなたの袖の花粉、それ、その花瓶の花のものよね? 拭き取ったみたいだけど、絨毯にもまだ少し散っている。花瓶も花もその子が触る前から、不自然に位置がずれていた。ねえ、さっき何かが落ちる音がしたあと、あなた、真っ青になって立ち去ったわよね? 〝階段上〟で走るメイドなんて珍しいから、ついのぞいてしまったわ。そもそも花瓶の毎日の水替えはあなたの担当でしょう。なのに、どうして急に後輩のこの子に押しつけたの?」
くすくす笑いながら、ひとつひとつ丹念に退路を断つ。
「私、目と耳もいいし、一度見たものや聞いたことは忘れないの」
そのやり口は熟練のハンターのものだった。一事が万事そんな感じだ。
最初は子供の戯言と、愛想笑いして受け流していた大人たちも、あっという間に追い詰められて蒼白になった。
思考パターンや相手の状況、人間関係から正解を導きだすのは、マーガレットにとりそう難しいことではなかった。これで不正を暴くだけなら、虐げられた者達に感謝されるだけで済んだろう。
マーガレットが問題児と恐れられたのは、人の隠したい秘密を暴き出すことにまで貪欲だったからだ。禁止されていた職場恋愛、小さな嘘を重ねてつくりだした逢瀬、いつも同じグループのメンバーがいないときの陰口。生活苦ゆえ袖の下に入れて持ち帰った蝋燭の燃えさし。秘密をまったくもたぬ女などいない。
容赦ない暴露ゲームは、侍女たちを憔悴させた。青ざめて立ち尽くし、あるいは泣き崩れ、伏して転属を乞う者まであらわれた。
ドライなマーガレットには理解できなかった。知られて泣くほど嫌だったら、最初からしなければいいのだ。なのに、なぜ彼女たちはこの世の終わりのように泣くのか。母の王妃も涙を浮かべ、自分のことを毛嫌いした。わからない、大人になるとこんな心が不安定で不完全な生き物になるのか? だとしたら、成長とはなんとつまらないことだろう。
マーガレットは孤立しつつあった。
その考えを正してくれたのは父の国王だった。
「マーガレット。突出した自分を物差にしてはいかん。おまえは正しい。だが、その正解は、大多数の人間にとっては不幸と感じるものだ。正解不正解だけでものを見てはいかん。幸か不幸かも、人間には大事なのだぞ」
醜い父は、美しいマーガレットの最大の理解者で師だった。
「そういういい加減なところが、大人の醍醐味よ。慣れれば悪くないと思えるようになるぞ。だから安心して大人におなり」
そう笑う国王がいなければ、マーガレットは心から語り合える人のいない孤独な生涯を送るか、人生なかばで倦み、おのれの命を絶っていたかもしれない。
国王とマーガレットの顔は驚くほど似ていない。じつは彼女は叔父のアルフレドとはそっくりなのだが、それを知らぬ口さがない連中は、マーガレットは王妃様の不貞の子と面白可笑しく噂する。王がマーガレットを可愛がるのも、すでに愛人として目をつけているため、という下賤な話まであった。
マーガレットはそれを聞くたび、目に涙を浮かべ、仲睦まじい両親を中傷されて悲しむ健気な娘を演じた。
しかし、内心では、
〝いっそ本当に私が不貞の子だったらいいのに。そうすれば、私はお父様の花嫁になれるもの。身辺の甘いお母様を嵌め、不倫の証拠をでっちあげて、失脚させようかしら……〟
などとおそろしく危ないことを企んでいたのだった。
表向きは抑制を憶えても、内面は以前以上にやばいことになっていた。
「将来の夢はパパのお嫁さんです」と無邪気に笑う世の女児たちと違い、マーガレットはすべてを理解した上でそうだから性質が悪い。自分の異常な本性を見抜き、なお愛でてくれる父王こそ伴侶として望ましいと、本気で胸をときめかす。血縁や常識がブレーキにならない。アリサの従姉だけあって、天才でも、やはりどこか人としてとち狂っているのである。
マーガレットは王妃を追い落とした後の脳内シュミレートを何度か行った。
自分も王女としての身分は剥奪されるだろうけど、べつに平民でもかまわない。先王の愛妾として台頭し、絶大な権力をふるったローゼンタール伯爵夫人の前例もある。それに王は能力重視主義だ。たとえわけあり娘でも、これだけ有能な自分を国政に参加させないわけがない。そうなれば王に近づくのは時間の問題だ。官吏としても、王の理解者としても、自分と競える相手など宮中に存在しないのだから。
自分は悲運を乗り越え、今度は娘としてではなく、恋人兼側近として国王に寄り添うのだ。ふたりきりのときは〝お父様〟と甘く囁いて……。
薔薇色の禁忌の夢に、マーガレットは身悶えするほど酔いしれ、しかし、すぐにため息をついた。
〝でも、だめね。こんな穴だらけの嘘、肝心のお父様が騙されるわけないわ。大人になって美貌で誘惑しようとしても、そんなものに流されるお父様じゃないし。やっぱり花嫁ではなく、愛娘の立場で我慢しましょう。それにしても、陰口を言う人達はどうしてわからないのかしら。お父様と私の中身はそっくりよ。むしろあのお母様と私の血が繋がっている方こそ不思議だわ〟
そして、下腹部を撫で、ああお父様の子が産みたかったな、とため息をついた。とんでもない五歳児もいたものである。スカーレットは、「108回」で夭逝したマーガレットを、悲劇の天才王女と認識しているが、現物はその斜め上をいく奇人なのだ。
そんなマーガレットにとり、国王との会話は、刺激と潤いに満ちた至福の時間だった。
マーガレットが、「私達の睦言」と心のなかでひそかに命名していると知ったら、父の国王も仰天しただろう。
だが、その夜の会話は、いつもと少しばかりおもむきが違っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昼の城は美しく荘厳だが、夜の城はなぜか醜く不吉だ。
城に押しこめられた後ろ暗い歴史が、夜の息吹で目を覚まし、高らかに嘲笑を浴びせてくるためなのかもしれない。そして、城を目にする者達に、耳を這いずるような声で囁くのだ。
〝とくと見よ、この城を。罪の重さに歪んだまことの醜い姿を〟と。
狂おしい笑い声に似た夜の猛禽の鳴き声が、闇のしじまに響き渡る。
ハイドランジア城に、密偵が凶報をもたらしたのもそんな禍々しい夜だった。ぼんやりした雲間の月の光に、ひびわれのように森の梢がかぎ爪を広げるなか、葦毛の早馬が脇目もふらず一心不乱に駆けてきて、城門のなかに飛びこんだ。
「……馬鹿な!! 監獄島が襲撃されただと!? あそこの海峡が凪ぐ日はまだだ。海は大荒れだったはずだぞ」
私室でマーガレットと歓談中だったハイドランジア国王は、息せききった密偵の報告を、死刑宣告をされた囚人の顔で聞き返した。頬と眼窩の翳りが強くなり、ミイラを思わす風貌になる。
重要な知らせをこの痩せこけた王は家臣を介さず直接聞く。情報漏洩と報告の歪曲を防ぐためだ。裏切られ続けた国王の人生は、身内にこそ真の敵はひそむ、という哲学を学ばせた。
「恐れながら、奴らは悪天候をものともせず……!! 襲撃者は女……」
密偵がそこまで口にしたとき、国王は最後まで聞けず、たえきれなくなって椅子を蹴って立ちあがった。のし掛かるしんとした夜の闇を振り払うように首を振った。
「女……!! とうとう来たのか……!! あの女が……」
王の震える手に当たったテーブルのグラスが、絞首刑を思わす唐突さで端から落下し、むきだしの木の床で木っ端みじんに砕けた。質素を好む王は絨毯を敷いていないのだ。蒼くきらめく破片が不穏にまき散らされた。血の色のワインが飛散し、国王の裾を汚した。国王はのろのろと痴呆のようにそれを見下ろした。顔からすべての表情が抜け落ちていた。密偵が気圧され、報告の続きを忘れるほど常軌を逸していた。
「……おお、神よ……!! 私は……」
なにかを思いだしたのか、国王の喉ぼとけがくひっと首を絞められたように鳴る。目の焦点が激しく揺れ動いた。
「お父様?」
同席していた王女マーガレットが小さな身体で飛びつき、ぐらついた王を献身的に支える。ついでに力いっぱい全身を押しつけることも忘れない。幼くても、スキンシップのチャンスは見逃さない。けれど手応えの無さにがっくりした。
〝残念だわ。もう少し身体が成長していれば、少なくとも、女であるという事ぐらいは意識してもらえたのに〟
そして、したたかなマーガレットは、悲鳴に似た王の呟きを一言たりとも聞き逃さなかった。
〝……女……ね……。どういうことかしら?〟
マーガレットは、父である王が漏らした言葉と違和感を、少しのジェラシーとともに咀嚼した。
たとえ愛娘といえど、たやすく心の内をさらす王ではない。そんな甘さでは、とっくに謀略の海に死体になって沈んでいる。しかし、今の国王からは常の用心深さとしたたかさがすっかり消し飛び、顔には死相さえ浮かんでいた。
〝誰かしら? 用心深いお父様を、ここまで取り乱させるなんて。お父様と敵対する女といえば、思いつくのはローゼンタール伯爵夫人だけれど〟
だが、伯爵夫人に往年の権力はもうない。王の脅威にはなりえない。
続いて頭に浮かんだのは、離宮の王太后、そして王妃だがー、
〝おばあ様の事をあの女とは呼ばないだろうし、お母様では格不足。却下ね。襲われた監獄島のほうから、理由をたどる方がよさそうだわ〟
父の背に甲斐甲斐しく手を添え、椅子に座らせながら、マーガレットの愛らしい金髪のなかの頭脳がフル回転する。
外面如菩薩内心如夜叉なのではない。想いが強すぎいささか歪んでいるが、国王を尊敬し、父と慕うあたたかい感情は本物だ。だが、マーガレットは、同時に冷めた考察を怜悧に閃かせることが出来る。そして他ならぬ国王本人がそんなマーガレットを評価する。慣例を破り、息子ではなく、娘のほうを後継者にしようとするほどにだ。
国王にとっては、マーガレットの金髪碧眼の愛くるしさは二の次だ。それだけで娘を溺愛する甘い王ではない。王の評価基準は、容姿が一。中身が九だ。シビアすぎるが、自身が見た目の悪さで先王にひどく冷遇されたため、美しくても中身がからっぽな人間には、嫌悪を抱きさえする。
だから、価値観が真逆の王と王妃とはそりが合わない。
まだ女盛りでとかく華やかな王妃と、陰鬱でしょぼくれた国王は、容姿からして正反対だ。
そして、面白いことに、宮中の天使と呼ばれる愛くるしいマーガレットは、美しい王妃ではなく、醜い父王と意気投合しているのだった。
最初は王妃も、マーガレットを自慢の娘として、金髪碧眼の最高級ビスク・ドールのように着飾らせ、会う人々に見せびらかしていた。だが、マーガレットは可愛いと褒められる日々にうんざりだった。
「もう着飾るのはイヤ。あの人たちと会うのも退屈だし、なにより時間のムダよ。それにマーガレットは、生まれつきの容姿なんかより、中身を、才能を褒めてほしいの……!!」
たどたどしい口調で訴える三歳のマーガレットを、王妃は理解しがたい化物を見る目で見た。
もしマーガレットが、ドレスを叩きつけ地団太踏んで泣き叫ぶなら、まだ着つけの拘束に子供が癇癪玉を爆発させたと笑い、愛せたろう。
だが、娘はこれまでどんな髪のセットにもドレスの着つけにも身じろぎひとつしなかった。それを王妃は、女の子らしいお洒落を、マーガレットが楽しんでいるからだと思っていた。
けれど、違ったのだ。母親であっても羨ましく思うほどの美貌も、社交界一の華としての輝かしい未来も、それを見て私の血だと誇らしげに胸を張りたい王妃の望みも、貴族の娘たちがこの世の一大事とするドレスもアクセサリーも、たぶん恋の話も、マーガレットにとっては、本当はみんなゴミくず同然だったのだ。
「聞いておくれ。美しい后よ。人の容色など所詮は皮一枚だ。年を経れば無惨に衰える。分不相応に予算を費やしてなんになろう。才能、信念、生き方、変わらぬ宝は人の内側にこそあるのだ。私はそなたとは、そういう永遠の絆を結びたいと思う」
と結婚式のときため息をついた醜い夫の姿が、娘に重なった。
〝なんたる侮辱か。王妃たる私が、どの貴婦人よりも高価な宝石を身につけたい、誰よりも美しくありたいと願うのは我欲ではない。王家の権威を守るためだ。尊ぶためだ。だからこそこんな醜い夫にも嫁いだのに〟
王妃は胸のうちで王を激しく罵った。
王妃の考えも間違いではないが、大貴族の令嬢としてなに不自由なく華やかに生きてきた王妃と、国庫の残金ならびに計算のペン先の音が、常に頭のなかで明滅する王とでは、ものの見方が違いすぎた。そのときから王妃は王のことが大嫌いになった。王妃の椅子を守るため、寝床は嫌々共にしたが、愛で行為をしたことなど一度もない。
〝やっぱりあの男の娘だわ。気持ち悪い……!!〟
そう心で吐き捨てた王妃は、マーガレットのもとを訪れなくなった。
見かけると露骨に眉を顰め、距離を置くようになり、そのぶんの愛情を「素直な」王子に注ぐようになった。
母が憎み、父が愛したマーガレットのその資質が今、思う存分に発揮されていた。
〝監獄島……。ハイドランジアのいわくつきの犯罪者を、古来より完全に外界から隔離してきた断崖絶壁の孤島ね……〟
マーガレットは島の様相を思い浮かべた。
その岩だらけの島には、政治犯や死刑囚などが収監されている。渦巻く海峡のまっただなかにあり、上空から俯瞰すると、青と白の油絵具を分厚く叩きつけたなかに、島ひとつがかろうじて頭を出しているように見える。実際はかなり島の標高がある為そうはならないのだが、ちょっと海が荒れるだけで、ひとたまりもなく呑み込まれそうな印象だ。そして、海峡の潮の流れはおそろしく速く、ベテランの船乗りたちも、海がおだやかな日以外の渡航など自殺行為だと、唾を飛ばして断言する。
とは言え、外洋航海で造船と航海技術が劇的に進んだ現在、セラフィが指揮するブロンシュ号など、この海峡を突っ切れる船は数少ないが存在する。困難だが監獄島への上陸は不可能ではない。
〝あのお父様が、ただ監獄島が襲われたというだけで、ああも驚くはずがないわ。……前から疑わしくは思っていたけれど、やっぱり監獄島に、誰か奪われては困る人が収監されているのね。私も知らされていない、大貴族。いえ、もしかするともっと上の身分の……〟
監獄島への不自然に多い出費を、マーガレットは以前から気にかけていた。
最初は、王家に都合の悪い政治犯の発言を漏れ聞く看守たちへの口止め料と思った。しかし、それにしては額が大きすぎるし、年に何度も高級家具や食材が運び込まれている意味がわからない。しかもその認可は、直接国王が与え、他の役人の目になるべく触れさせまいとしていた。
マーガレットは、破格の高待遇をされる囚人がいるという結論に達した。だとしたら、どんな囚人なのか。
マーガレットは考えこんだ。
最初に思い浮かべたのは、他国の王位争いに敗れた亡命者だ。
自国にとどまっては、不安の種を残さぬよう殺される可能性が高い。だから、安全な海外に逃げ、ひそかに捲土重来を期すというのはよくある話だ。かくまうほうとしても、神輿をかつぎ堂々と他国に内政干渉できるようになる旨味がある。だが、リスクもある。露呈すれば国家間戦争に突入しかねない。
〝そもそも亡命者の後ろ盾になる軍事力は、今のハイドランジアにはないわ。却下ね〟
もし四大国が乗り出してくれば、それを防ぐ力は、今のハイドランジアにはないのだ。父がそんな愚をおかすとは思えない。四大国の影響力は絶大で、大陸の大きな動きには、必ずどこかで絡んでいる。
マーガレットは他にもいくつかの仮定の候補を思い浮かべ、脳内で検証して次々に却下した。そして最後に残されたのは……。
〝生きていることが知られては困る人物。世間には死んだと思われている人物を、お父様は監獄島に幽閉しているんだわ〟
マーガレットは、ごくまれに見せる国王の不安げな横顔を思いだしていた。うつろな視線はぐらつき、唇はわなないていた。いつもの冷静な王とまるで違う。今、国王が密偵の報告に狼狽した様子とまったく同じだ。あのとき国王は、無人の柱の影や階段上の暗がりを凝視していた。きっとそこに誰かの幻を見てしまい、罪の記憶に怯えていたのだ。
〝けれど、権力争いで殺すか殺されるかの人生だったお父様が、今さら幽閉ぐらいで、良心の呵責に苛まれるかしら。……もしも愛する者、たとえば私を自らの手で社会的に葬ったのなら、まだわかるのだけど。そんな人、他にいるのかしら〟
マーガレットは、父王の心に永遠に刻まれるなら、そんな未来も悪くないと瞼を上気させた。
私がいなくなっても癖でつい背後に話しかけてしまい、寂寥感に涙するほど愛されるなら。
そこまで考えたとき、ぱちんとマーガレットの頭のなかで、飛び散った点がひとつにつながり、星座のように形になった。
〝……いた。思い出話をするだけで、お父様が涙ぐむほどの人間がひとり。弟のアルフレド叔父様だ。血の惨劇で処刑されたはずのアルフレド叔父様が、生きて収監されているとするとなると、すべての辻褄が合うわ〟
アルフレドの名は監獄島関係の記録には出てこないし、結局は勘頼りの結論だ。だが、マーガレットは自信があった。殺さず幽閉しただけで国王が心を病む人間は、自分以外には彼ぐらいしかいない。
それに思い出す幼き日の出来事がある。
「マーガレットが、姿ではなく、中身を好きになってほしいって思うのは、いけないことだつたのでしょうか? 間違っていたのでしょうか。たった一言で、お母様がマーガレットを嫌いになるほどに……」
母の王妃に手のひら返しで疎まれるようになったとき、マーガレットは落ちこんで涙ぐんだ。
今思い返せば、あんな人にバカみたいと思えるが、三歳の女の子にとり母親に嫌われるというのは、全世界からの拒否に等しかった。
元気のないマーガレットを訝しみ、わけを尋ねた国王は、詳細に耳を傾け目をむくと、うつむくマーガレットの両肩におそるおそる手を伸ばし、それから意を決したようにきつく彼女を抱きしめた。
「マーガレット。おまえは間違っておらぬ。いけないことなどあるものか。だが、母を恨むな。これは、見た目の美しさを忌むあまり、愛らしいおまえから目をそらしていた私の責任だ。なぜ、おまえの中身を見なかった。これでは、私を苦しめたあきめくらどもと同じではないか……!! マーガレット、許せ。これからは、この醜い父が、美しいおまえの最大の守護者で教師だ。父の味わった影も光もすべておまえに教えよう」
冷酷で偏屈な人間と母が陰口を叩く父の手はあたたかかった。
「国王へいか……」
見上げ、おずおずと語りかけると、国王は笑い、かぶりを振った。
「よい、公のとき以外は父とお呼び。この世でおまえだけに与える特権だ」
「お父さま……!!」
その抱擁から、ふたりの本当の父娘と、師弟としての関係がはじまったのだった。
マーガレットは珍しく声をあげて泣いた。魂の理解者を得た喜びにうち震えた。国王も涙を浮かべていた。
そして、国王は、涙に濡れた頬で、マーガレットに頬ずりしながら呟いたのだ。
「……許してくれ。アルフレド。愛する弟よ。こんな素晴らしい娘を授かるとわかっていれば、おまえと聖女を添い遂げさせてやれたものを……!!」
あらたな涙がこぼれ、あとは嗚咽で言葉にならなかった。
ずいぶん昔の事だが、マーガレットはそのときの言葉を忘れた事はない。
自分の人生の重大な転機だったこともあるが、国王が、思い出話で誰かの名を呼び、あそこまで泣くことは本当に珍しいのだ。
アルフレドの名前を今ここで口にし、国王の反応を見て、自分の考えの正しさを確かめたいとい誘惑を、マーガレットは押さえつけた。あの日の大切な思い出を壊すようで出来なかった。気をそらすため、再び思考の海に心を投じる。
〝……だとすると、お父様の口にした「女」というのは、アルフレド叔父様の恋人だったという聖女かしら? 聖女も叔父様同様じつは死んではおらず、しかも出現にお父様が苦悶するとなると、たぶん理由は……〟
結論を導きだしたマーガレットの顔色が曇る。
それを悟られまいと表情をとりつくろい睫毛を伏せた。国王が心配でたまらないというふうにだ。案じているのは本気なので演技の必要はなかった。そのあいだも閃光の思索はやまない。
〝……血の惨劇の真相は……発狂したアルフレド叔父様の虐殺劇などではなかったんだわ〟
聖女に恋したアルフレド王子が周囲に反対されたあげく発狂し、三百人もの貴族、教会関係者を虐殺した事件は、ハイドランジア王家史上最大の醜聞だ。その犠牲者には当の聖女も含まれていた。
自分と同じく天才と呼ばれ、しかも国王の心を大きく占める亡きアルフレド叔父に、マーガレットは強い関心を抱き、いろいろと調べたことがあった。王子が破滅の最後を迎えたことが、他人事とは思えなかったのだ。
当時を知る者達は臆して語りたがらなかった。しかし、幼すぎるマーガレットの天使の笑顔に気を許し、ぽろっと口を滑らした人間たちもいた。彼等は一様に王子と聖女の賢さと人格を称え、どれだけ愛し合っていたかを強調した。
そこからマーガレットが導き出したふたりのイメージは、どうやっても血の惨劇のエンドに向かわなかった。
アルフレド王子は怒りに我を忘れるタイプではないし、万が一凶行に及ぼうとしても、その場にいた聖女がそれを止めただろう。愛妻のコーネリアの受けた仕打ちに激昂し、赤の貴族を皆殺しにしようとした紅の公爵を、コーネリア本人が制止したように。
愛する人の言葉ほど絶大な鎖はないのだ。ましてその本人の聖女ごと殺してしまうなど絶対にありえない。
私の違和感は正しかったんだわ、とマーガレットは心のなかで静かに呟いた。おそらく王子は加害者ではなく被害者だ。
〝そして、お父様は事件の黒幕、あるいは原因の一人の可能性が高いということね。本当の叔父様を知るからこそ、虐殺者の汚名を着せ、幽閉して真実を隠したことに心を病んだ? いえ、きっともっと深い裏がある。監獄島……直接おもむいて真実をつきとめる必要があるわ〟
マーガレットは決意した。
正義感などではない。糾弾でもない。もし黒幕が父の国王としても何か深いわけがあるのだと思う。そんなことで落胆はしない。理由なく非道を行う人ではないし、マーガレットはすでに清濁併せのむ境地にある。国王と一蓮托生の覚悟もだ。だからこそ、国王が隠している闇を自分が知らされていないのが無念だ。まだ子供扱いされていることが悲しい。自分は父の支えになりたいのだ。
そして、とマーガレットは思う。
アルフレドと聖女と仲がよかったという王太后、たぶん彼女は真相を知っている。
だが、寡黙な祖母の口は固い。真実は教えてくれまい。それに敗北を認めるようで悔しい。
王太后の有能さを直接見たことはないが「もし先帝に疎まれ遠ざけられていなければ、ハイドランジアの過去の失策は、三分の一以下で済んだろう」と国王は称賛していた。「離宮にいながら、国のすべてを把握している」とも聞かされた。
それほど優秀な祖母が、のこのこ安易に答えを聞きに来た孫をどう思うか。想像すると恥辱に全身がわななく。きっと、「こんな簡単な答えにさえ自力でたどり着けないの」と侮蔑どころか黙殺されて終わる。
〝きっとおばあ様にとっての及第点は、不世出の天才と呼ばれた息子のアルフレド叔父様なのだわ。だから、私とは会おうともしない。悔しい。いつか必ず、あなたこそ私の真の孫と言わせてみせるわ〟
血が出るほど唇を噛みしめたマーガレットの碧眼に情念の炎が燃える。
ことは自分だけでは済まない。可愛がってくれている父の沽券にもかかわる。父の心にいまだ居座るアルフレドへの対抗意識もある。
ただ幸か不幸かマーガレットは勘違いしていた。王太后が基準点にしているのはアルフレドではない。アリサだ。もし自分より年下の従妹の、その神がかった優秀さをこのときのマーガレットが知ったら、戦慄し絶望のあまり神を呪い、塔から身投げしたかもしれない。
とはいえ、アリサにこそ及ばないが、マーガレットもまたハイドランジアの長い血統のなかに偶然生まれた奇跡のサラブレッドだ。鋭い思考力と女の直感が見事に交配成功した怪物だ。
ただ、サラブッドが度外れた速さと引き換えに、壊れやすい虚弱体質になったように、マーガレットには、たとえ天が相手でも挑もうとする不撓不屈が、自壊因子のようにセットされてしまっている。その執拗なまでの情熱は、やがて玉座への道を志すマーガレットの人生を、乱世の激動へと誘っていく。
そして極めて優秀ゆえに、マーガレットはすぐに気づく。
未来と「108回」の人生を知るスカーレットと、その上をいくアリサ、四大国の王子達が、山となり彼女の才能の前に聳えている。
マーガレットの才能自体は四王子達を凌駕していても、境遇、動かせる力を加味した総合力は遠く及ばない。スカーレットとアリサは規格外の化物だ。生まれた時代が悪かったとしか言いようがない。
それでも、マーガレットは翼折れても彼等に追いつくのを諦めないだろう。たとえ太陽に挑むイカロスの自殺行為とわかっていようとだ。死にかけの身で最強の頂きに挑むのをやめられない七妖衆アゲロスと同じように。
どれだけ人を魅了する美貌に恵まれようと、男性達に言い寄られ持て囃されようと、そこにマーガレットの幸せはない。価値を見出せない。だからこそ王妃は鬼子としてマーガレットを遠ざけた。花束よりも報告書。天に昇る愛の囁きよりも、敵を黙らせる地獄の策が、マーガレットの望みだ。
事実、のちにアルフレドとアンジェラの悲劇の真相を知ったときも、マーガレットの反応は驚くほど薄かった。何故それほど賢いふたりが、片方が確実に生き残る策を取れなかったのかと不思議に思った。マーガレットは恋が理解できなかった。
父に対する恋心は、おのれと同じ不遇な者へのシンパシーであり、少し歪んだ家族愛だった。強烈でも、マーガレット自身を変えるほどの本当の恋ではなかったのだ。
そのときの聖女と王子ふたりの恋人の気持ちが痛いほどわかり、情景を思い浮かべただけで涙があふれたのは、ずっと先、マーガレットが悲しい自分の恋に出会ってからだ。
彼女は冷静な恋の傍観者から当事者になり、失ったものの大きさに声をあげて泣くことになる。恋はそれが幸せで大切であるほど、無くしてから、息が詰まるほど鮮烈に記憶のなかで輝く。壊れたものは二度と戻らない。だが、思い出は不変で燦然と光を放つ。そして、耐えがたく胸を苛むのだ。
愛する者が生きていたときまで、時間を戻してほしい。
必死にそう嘆いて祈っても、神は応じない。胸に押し寄せてくるのは、自分がどれだけ愛されていたかという事、狂おしいほど懐かしい思い出の数々だけだ。そして、そのときには二度と帰れないという無慈悲な事実にうちのめされる。
だが、マーガレットが自分のなかに眠る恋心を自覚するのはまだ先の話。今のマーガレットはまだ幼く、国王と密偵のやり取りを、ただ冷静に分析し続けていた。
「……では、監獄島に捕えていたシャイロック商会の子供達を奪ったのは、『シャチ艦隊』所属の二番艦だというのか。女だけで構成されるという……」
密偵の報告をすべて聞き終わった国王は、さっきまでの取り乱しようが嘘のように、冷静を取り戻していた。
ふむう、と息をつき思案する。
「狙いはシャイロックの財産か? だが、国内のシャイロック商会は、すでにほぼこちらで差し押さえている。しかも侵入した船は、海峡内で堂々とチューベロッサ王国の旗を掲げていたらしい。まるで犯行声明だ。わからんな。……マーガレット、どう思う?」
問われたマーガレットは、
〝報告の女というのはその事だったのね。お父様は勘違いしたんだわ。でも、おかげで真相に迫れそう〟
と思いながら、にっこりと微笑んだ。
「不謹慎ながら、女の私としては、まず彼女達の腕と度胸に拍手喝采したいところですわ。……狙いはわかりませんが、そこまであからさまなら、いずれチューベロッサからなんらかの交渉を持ち掛けてくると思いますわ」
それ以外に答えはない。国王もそう結論したはずだ。国王は時々娘の自分の器量を試すのだ。
まだ子ども扱いするのね、困ったお父様だこと、と心のなかで含み笑いを漏らし、お返しとばかりマーガレットは、ひどく怯えたふりをした。
「それよりも私達が恐れるべきは、苦労を台無しにされ、おめおめと仇を逃がしてしまったことへの紅の公爵様の怒りだと思いますわ」
国王の反応を窺うが、国王は苦笑を一握りほど浮かべただけだった。職業がら紅の公爵の危険極まりない実体を知る密偵が、思わず身震いしたのとは対照的だ。
「……たしかにな。だが、私の予感では悪いことはまだ終わらんぞ。凶報というのは続けてもたらされるものだ。不幸は集うのが大好きだからな」
国王の言葉が終らぬうちに、第二の密偵が駆け込んできた。
「火急の際ゆえご無礼を!! シャイロック商会の三子、エセルリードが、監獄島に輸送途中に何者かに奪われましてございます!!」
「……なっ。嫌な予感ばかりよく当たるものよ。あの『シャチ艦隊』とがっぷり四つに組みあってまでもぎ取ったトロフィーをあっさり奪われたのだ。この細首だけでなく、王城が吹き飛ぶかもしれんの。巻きこまれたくなければ、マーガレットは逃げたほうがよいぞ」
振り向きウインクして低く笑う国王は、すっかり肚が据わった平常運転に戻っていた。頭上が弾雨にさらされても飄然としているだろう。
マーガレットは嬉しくてキスの雨を降らせたくなった。
「逃げる? まさか。偉大な国王陛下が、迫る危機にどう対処するか、おおいに私の将来の参考にさせていただきますわ。それよりお兄様とお母様に避難勧告をされては?」
国王は喉ぼとけをひくつかせ、声をあげて笑った。
「いらんいらん。あいつらは、自分に迫る危機にだけは、野ネズミよりも敏感よ。勝手に逃げよるわ。これで国に迫る危機にも敏感なら、まだ王位も考えたが……。見てくれと、いらんプライドばかり育ちおって……。そのくせちょっとした風ですぐへたる。作物も子供も過保護はいかんわい。しかし、チューベロッサが交渉カードを切るより早く紅の公爵が駆けつけてくれば、本当に私は殺されるかもしれんな。死ぬのはかまわんが、手塩にかけた花畑を、価値のわからん馬鹿者どもに踏み荒らされるのも業腹よな。ふむ、一応、マーガレットに有利な遺言状をしたためておくか」
日記を書く気軽さで国王が筆を取ろうとした正にそのとき、第三の知らせが駆け込んできた。
だが、今度の密偵は先のふたりと違い、口頭の報告ではなく、跪いて恭しく書面を掲げた。
「……恐れながら、どうぞこの文をお取りください。監獄島の所長室に投げ込まれたものです。所長が提出を渋ったため、お届けが遅くなりました。如何いたしましょう」
第三の密偵はそう言うと、じっと国王の答えを待った。所長の処分を尋ねているのだ。
彼等は伝達や情報収集だけでなく、敵地かく乱や暗殺も請け負う。実態は忍びのものだ。ハイドランジア王家の光の盾剣が、マッツオ率いる王家親衛隊なら、闇の暗器がこの彼等だ。
国王は苦笑し手をひらひらさせた。
「よい。所長を咎めるな。厳重な監獄島の中枢にたやすく賊を許したとなると、手引きを疑われ死刑になると恐れたのだ。あれは働きものだが臆病だ。ここは許し恩を売っておこう」
国王はマーガレットに笑いかけた。
「甘さではないぞ。チューベロッサは謀略を得意とする。こちらの混乱を故意に狙う。奴らの手に乗ってははいかん。所長を処断すれば即座に監獄島の内部に調略を仕掛ける気だ。それに恩を理解できる者への施しは悪いことではない。ふふ、今更マーガレットにこのレクチャーは不要よな。天使の笑顔をもつおまえの得意技だ」
「ありがとうございます。出来ればお父様と似たお顔に生まれたかったのですが、武器になると教えられてから、この顔も悪くないと思えるようになりました。ご期待に沿えるようこれからも大いに励みますわ」
微笑みあう親子から、闇の住人の密偵達はぞっとするものを見た表情で目をそらした。
国王は深くため息をつき肩を落とした。
「それにしても、監獄島は、この王城と並ぶ我が国の難攻不落の象徴なのだがな。それをたやすく突破されると堪えるわ。『シャチ艦隊』はおそろしいな。チューベロッサめ。その気になればハイドランジアのどこにでも攻めこめるという露骨な脅しを残しおって」
燭台で燃える蝋が爆ぜ、苛立つようにジリジリと小さく鳴る。
国王の痩身が灯に照らされ、黒々とした影法師が部屋中に揺れる。それは憤りか、あるいは……。
密偵からマーガレットの手を介し、チューベロッサの文を受け取り広げ見ていた国王は、苦虫を噛み潰した顔をした。だが、窪んだ目はぎらぎら輝いている。
「布石を打っておいてこの文を突きつけるか。舐めおって。だが、えぐい。急所を心得ておる。暗愚な王ではハイドランジアなど鎧袖一触よな。見よ、マーガレット。地獄への招待状だ」
国王に示され文を覗きこんだマーガレット王女が、驚きに綺麗なブルーの瞳を見開く。
「お父様、これは……!!」
国王が皺首で頷く。
「うむ、大陸覇窮会議への推薦状よ。列強めらが大陸の版図を広げ、勝手に縄張りを取り決める五年に一度の傲慢な祭典だ。国の威信をかけた軍なき戦争よ」
さすがのマーガレットもしばらく言葉を失った。
大陸覇窮会議とは、不要な衝突を避けるため、列強が国境を確認しあう会議。ならびに、会議前日におこなわれる各国の国力を示威しあう祭典の総称である。
武官の一騎打ち、文官の論戦、乗馬、弓術、ダンス、艦隊の模擬戦、料理や芸術や新兵器の披露など、さまざまな催しが行われる。その目的はただひとつ、「うちの国を舐めると、おまえらえらい目にあうぞ」、と他国に知らしめることだ。結果は最終日の国境を決める会議に強く反映される。ハイドランジア国王が軍なき戦争と言ったのはそのためだ。
この大陸覇窮会議の歴史は古いのだが、ここ百年近くの参加国は、チューベロッサ、ロベリア、ベーアバオム、レヴァンダの四か国に限られていた。他の国々は、大陸の趨勢を決める資格などないから、無視してよいと見下されていたのだ。その傲慢ぶりは名称に如実にあらわれている。すなわち大陸を覇の窮みをもって治める事が出来る者だけが、会議に参加する資格を与えられる。
「覇窮会議への参加は先王の悲願だったが……ついに叶えられなんだ。それがよりによってホスト国として開催しろと……。チューベロッサの王子め。飴と鞭のつもりか、とんでもない代替品を持ちかけてきおった。そこまでするとは、シャイロックの子等、いったい何に関わっておる。だが、この飴は、下手をうつと骨をも腐らす猛毒よ。ふふ、ハイドランジアを列強に認めさせられるか、今より下に見られるか、その場合すぐに侵略がはじまるかも知れんな。丁半博打すぎて背筋が寒くなるわ」
だんっと椅子を揺らす勢いで座り、背もたれを軋ます王に、マーガレットはおだやかに微笑んだ。
「うふふ、お父様、笑顔が隠せてませんわ。国の命運、いえ大陸全体が動くお話。私もぞくぞくします。最高の御馳走ですわ。いい時代に国王陛下になられましたね。羨ましいですわ」
娘の天使の微笑みに、王は歯をむき出した悪魔の笑みで応じた。
「ふふ、御馳走とは言いおる。ハイドランジアには難題が山積みよ。為政者が底なしに喰らい続けねば国政がすぐに腐れ果てる。がむしゃらな飢えこそ誉よ。だが、今回のこれは御馳走すぎて腹を壊すかもしれん。大陸覇窮会議の主催国というこの飴が、紅の公爵という後門の狼をなだめる餌になるか、それとも前門の虎になり、前後から我が身を食い破るか。マーガレットよ、父のあわれな生き様をよく見ておれ」
「はい、ときめきますわ。しかと眼に焼きつけさせていただきます」
目元と頬をピンクの恍惚に染め、しかし、にっこりと完璧な所作でマーガレット王女が礼をしたとき、階下で騒ぎが起きた。怒鳴り声、あわただしい足音。多数の鎧と剣と矛のうち鳴らす音。それから石壁と床を震わす轟音。そして怯えきった不自然な沈黙。密偵達の顔に緊張が走る。
「やれやれだ。どうやら紅の公爵が、監獄島での失態を嗅ぎつけ、駆けつけたらしい。で、通せ通さぬでひと悶着し、こちらが一撃で黙らされたと。聞かんでもわかるわ。情けない。座る間もないわ」
国王は椅子を蹴って立ちあがった。
「さっそく天使の笑顔の使い道がきたぞ、マーガレット。すまんが至急出迎えにいってくれ。衛兵どもが皆殺しにされかねん。……ああ、おまえたちもついて行ってやってくれ。王家親衛隊はシャイロック本邸包囲のため出払っているからな。だが、紅の公爵に手出しは不要ぞ。かえってマーガレットが危険だ」
いつの間にか三人の密偵以外に十人をこえる人影が、王の部屋にあらわれ跪いていた。全員が覆面で顔を隠している。王は暗殺に備え、隠密等を近辺に常に潜ませている。彼等は王に危機が迫ったと判断し、姿を現したのだ。
「遠巻きに見ているだけでよい。マーガレットひとりの方が安全よ。ヴェンデルめは無茶苦茶なヤツだが、よほどの悪党か妻がらみでない限り、女には手を出さん。だが、万事加減を知らん。下手に刺激しての巻き添えならばありうるからな。空気を読めん馬鹿が現れ、ヴェンデルに突っかかったら、そっちのほうを黙らせろ」
隠密たちは、恭しく拝命するマーガレットと王のあいだを、不安そうに目線を泳がせていたが、王の言葉に明らかにほっとした雰囲気を見せた。紅の公爵の狂気の戦場伝説が夢物語ではないと知っているためだ。立ち塞がれば、ほぼ100%殺される。暗殺術もまったく通用しない。表沙汰にはなっていないが、海外領で四大国自慢の特殊部隊をいくつも壊滅させている。熊の群れに飛びこむ方がまだ生還率が高い。いくら影に生きる者達といえど、犬死とわかりきっている死地に赴くのは抵抗がある。
苦労人で現実主義の現国王はその点理解があるし、身分の差別もしない。怖さはあるが仕えやすい。先王の時代など、影たちは使い捨てで墓も認めてもらえなかったのだ。
だから、影たちは自身の安泰のため、現国王の思想を色濃く受け継ぐマーガレットに継承者になってほしいと、ひそかに強く望んでいる。怖いところは王と同じだが、少なくても手駒を無駄死にはさせない。
兄の王子のほうは駄目だ。あれは悪人ではないが、母の王妃の顔色ばかり窺う。信念がないから、言葉が強い身近な人間にすぐ付和雷同する。そのくせプライドは高いので、目下の意見には闇雲に反対したりする。視野狭窄なのだ。あれでは、目に触れないところで血が流れていても、気にも留めないどころか気づいてもくれまい。
国王がマーガレットを同席して自分達に会うことが多いのはそう思うよう誘導されているからだと彼等も気づいてはいるが、客観的に見てもそう判断せざるを得ない。それに裏働きの自分達の支持を、国王やマーガレットが必要と思ってくれている事に悪い気はしない。なにより兄王子が頭ではこの激動の時代、ハイドランジアそのものが転覆する。
「……愚かな上をもつは現場の不幸よ。最近同じ騒ぎがあったばかりだぞ。部下どもの命をなんと思っておる。手足ではなく頭をぶっ叩かれねば、無能は学習できんらしい。足もとの城内でこれか。地方はいっそうひどかろう。大陸覇窮会議で、敵国にこの内情は悟られたくないな」
ハイドランジア国王は、今夜何度めかになる深いため息をついた。
「私が敵国ならば、即座に国にとって返し、ハイドランジア侵略の準備をはじめるわ」
影たちは、まだこの方が国王なのが救いだと思いながら、心のなかで同意し強く頷いた。危機感による一種の連帯感が一同に生まれた。
「その御心、上に立つ者として肝に銘じますわ」
マーガレット王女が微笑み、国王は苦笑した。
「一番理解している者に決意をあらたにされてもな。おまえの爪の垢を煎じて飲ませたい輩は山ほどおるが、数が多すぎてその小さな手ではとても賄いきれん」
「まあ、大変。では、私は一刻も早く大きくなりませんと」
可愛らしく口を押えてのマーガレットの返しに、国王だけでなく、影達も覆面の下で笑みをこぼした。
彼等が立ち去ったあとも、余韻に浸るように国王は笑いを浮かべたままだった。蔑まれたひどい半生だったが、良い娘に恵まれたと幸せを噛みしめていた。
だが、そのとき、それを嘲笑うかのような声が響き渡った。
「……ふははっ、すばらしいですねえ。国を憂う国王、けなげな王女、忠義を尽くす家臣。じつに感動的だ。しかし、だからこそ、学者の性としては、その舞台裏の真実を暴いてみたくなるのですよ」
部屋中の蝋燭がかき消える。
闇より漆黒なアカデミックガウンがひるがえった。窓から差しこむ月の光に、さっきまで影も形もなかった長身の青年の輪郭がぼうっと浮かびあがる。鼻眼鏡をくいっと押し上げ、胸に手を当て恭しく一礼した。まるで闇のなかから湧き出たようだ。その慇懃な動作とは裏腹に口端は吊り上がっている。国王の優しい笑いもまた怖いものに変わる。
「来ていたのか。ソロモン。隠密たちに気配さえ悟らせんとは、相変わらずあきれた怪物よ」
「ふふ、学問の力に不可能はないのです」
「吠えおるわ」
王が咳き込み、身を折る。月光にソロモンの鼻眼鏡がきらめいた。
「ふむ、おかしいですね。窓は開けていないので、外の冷気は吸わなかったはず……」
そう首を傾げたときには、無数の光条がソロモンめがけ殺到していた。まさかの国王が、座ったまま、数本の暗器を同時に思えるほどの早業で投擲したのだ。身を屈めたのは外套の裏に隠した武器を取るためだった。替え玉ではない。本人だ。この端倪すべからざる王は、密偵たちさえ知らぬ奥の手を隠し持っていたのだ。
そして、ソロモンはそれを、さらに異常な行動で迎え撃った。
「無駄ですよ、武では知識の徒を倒せません」
ソロモンは鼻眼鏡を指でつまむと、なんとそのただ一振りで、刃をひとつ残らず、放った国王本人めがけ正確に跳ね返した。四方八方からの同時攻撃をものともしなかった。あまりにも速すぎ、きいんと甲高い音がひとつに重なって聞えた。寝返った刀身たちが月の光に閃く。
「ふふ、眼鏡は剣よりも強し」
針金のように細いフレームで行うには非現実すぎ、レンズを鏡として光が乱反射したようにしか見えなかった。
暗器はなんと国王の輪郭に沿うように次々と背もたれに突き刺さった。
「やはりこの程度通用せんか」
国王は冷や汗ひとつかかず、予想通りというふうに瞑目して呟いた。
対してソロモンも気を悪くした風ふうもなく、身をそらせ高笑いを響かせた。
「ふははっ!! そういえば、うっかり手土産を忘れていました!! 今のをプレゼント代わりに進呈しましょう。しかし困りましたね。もう一人の連れの分のお土産をどうするか」
ソロモンの言葉が終らないうちに、アカデミックガウンのかげから、緑色の長髪がぴょこんとのぞいた。禍々しい潮の匂いが鼻をつく。
「いひっ、だいじょうぶですよお。ゴルゴナはあ、登場するだけで、殿方達みんなをハッピーにするサプライズなんですからあ」
ぱっちりした瞳の小悪魔風の美少女が飛び出し、国王に嗤いかけた。
海藻色の瞳がにいっと邪悪に歪む。ぎざぎざの歯をむき出すと、おそろしく獰猛な印象になった。絢爛豪華なドレスをつまみ、華麗に淑女の礼をしたが、服の意匠が妙に古臭い。切りこみがあちこち入り、後ろ襟が衝立のように大きい。
「……ゴル……ゴナ……!!」
息をのむ国王にウインクして気取ったポーズを決める。金の刺繍が冷たく煌めく。
「ひさしぶりっ、国王っち。血の惨劇以来だっけ。ずいぶん老けたねえ。あれ、どうしたの?」
酸欠のように喘いでいる国王に、不思議そうに首を傾げる。
ソロモンが呆れた顔をしてわざとらしく諭す。
「だから注意したでしょう。ゴルゴナ。それは二百年前に流行ったドレスです。あまりの時代遅れに国王がびっくりしているではありませんか。心臓が止まったらどうするんです」
「ええ? こないだ海に身投げした人から剥いだばっかりだと思ったのに。寿命が短いせいかなあ。人のファッションてころころ変わりすぎい」
ゴルゴナはけらけら笑った。胸を見せつけるように揺らし、ずいっと国王に顔を近づける。
普通の男なら谷間に目が釘付けになるが、こわばった国王の目はゴルゴナの口元に注がれていた。鮫よりはるかに危険な人喰いの本性を知っているのだ。ゴルゴナは脅すようにがちがちと牙を鳴らした。国王は微動だにしない。注意を払っているだけで、怯えているわけではないのだ。ゴルゴナの瞳が獲物を狙う深海魚のように爛々と輝いた。
「……憎たらしいほどの胆力だよねえ。こんな国王っちの心臓がショックなんかで止まるわけがないですよお。だって、実の弟アルフレド様を毒殺した大悪人ですもん。ああ、アルフレド様もおかわいそう。あれだけ兄弟仲が良かった兄に殺されるとは、夢にも思っていなかったでしょうに」
ゴルゴナは、およよと泣き真似をした。
「違う……!! あれは……!!」
血相を変えて立ちあがろうとした国王の顔に、ゴルゴナはいひっと笑いを叩きつけ、胸を圧しつけて押し戻した。
「はい、ゴルゴナちゃんをまっすぐ見てくださあい。尋問を開始しまあす」
そむけた国王の顔を胸に挟んで、無理やり正面に戻す。もがく国王に捕食衝動を刺激され、ゴルゴナははあっと吐息を漏らし、切なげに身をくねらせた。ぷっくりした唇が耳までばりばりと裂けた。
「活きがよくて美味しそう……。ちょっとぐらいなら……」
くぐもった声と大量に落ちてきた涎で、ゴルゴナの変身を悟った国王が暴れるが、陸での強さが七妖衆最下位とはいえゴルゴナの膂力は尋常ではない。鉄の万力のように振りほどけない。
カツ丼を用意するどころか、被疑者を食べようとする狂気の尋問だ。
嗜虐の笑みを浮かべて、齧りつくべく大きく上体をそらしたが、ソロモンの冷たい一瞥に気づき、ゴルゴナは苦笑して元の美少女に戻った。やん、とか言ってもじもじして誤魔化す。
ソロモンに陸では到底かなわない。怒りを買って粉砕されたら元には戻れない。アリサへの告げ口も怖い。
ゴルゴナは方針を転換し、普通に手で国王を押さえつけた。肩に指先が食い込み、国王ごと押さえつけられた椅子はみしみしと悲鳴をあげた。
「さあ、まじめに答えてくださいねえ。非力な女だからって舐めないでくださいよお。その気になれば国王っちを三頭身に潰すことぐらいは出来るんですからあ。わかってますよお。国王っちが本当に殺したかったのは、アンジェラ様だったんでしょお。だから、あのブルーダイヤを、ふたりの婚約発表の儀式のとき、いきなり持って来たんだよねえ」
その囁きは、怪力の脅しにも動じなかった国王を凍りつかせる不穏をはらんでいた。
ゴルゴナは会心の笑みを浮かべた。
「いひっ、ビンゴ? 生き残りから聞いたよお。『愛する弟たちの門出を祝福するため、最高の宝石を用意しました』とか言ってたんだってねえ。国王っちったら、最低のお兄さあん。あれ聖教会もグルだったんでしょ。アンジェラ様ったら、幸せの絶頂って感じの笑顔だったのに、どん底に突き落とされたみたいにまっさおになったんだって? ずるいなあ。その絶望の表情、間近で見たかったなあ……」
ゴルゴナは国王の耳元で音をたてて舌なめずりした。それだけでは済まずゴルゴナは耳朶を甘噛みした。鋭すぎる歯に血が滴ったが、国王は気づかずがたがた震えていた。
「罪が血液に溶け込んでいいお味」
ゴルゴナは残忍な光を目に浮かべ、国王の耳の穴をぺちゃぺちゃ舐め回して濡らしながら、嬉しそうにとどめの一言を舌先とともにねじこんだ。
「ねえ、国王っちさあ、あの宝石の呪い、知ってたんでしょ? アルフレド様が死んだら、アンジェラ様ならどうするかも」
「……!!」
舌先で脳を貫かれたようにびくんっと硬直した国王に、おおっと歓声をあげソロモンが拍手喝采した。
「そういうことですか!! なんとすばらしい!! まさか非力な人の身で、黄昏の民の長アンジェラを殺してのけたとは……!! 彼女は嫋やかな容姿とは裏腹に、強さの究極といえる存在でした。私でさえ倒す自信がないほどのね。だが、命そのものを吸い取られては、流石にひとたまりもなかったでしょう。まさに悪だくみは剣より強し。人の知恵こそ、神羅万象を焼き尽くす最高の武器なのですよ」
ソロモンは途中から、土気色の顔色になった国王そっちのけで、ゴルゴナに自説を力説しだした。眼鏡をくいくいして知性のアピールも忘れない。
ゴルゴナはゴルゴナで、答えを聞き出して国王に興味がなくなったのか、
「おなか空いた。もう帰っていい?」
とごねはじめる。
それだけでは飽き足らず、ふくれっ面をして床に腹ばいになり、顎をつけ、シャクトリムシのようにお尻を上げ下げして這い出した。
「もうお腹ぺこぺこで歩きたくなあい」
その醜態を二百年前の貴婦人の絢爛たるドレスを着てやるのだ。無理な可動域に耐えきれず、びりびりと音をたててドレスが破れ、白い艶めかしい肌がのぞく。
「いひひっ、ゴルゴナちゃんセクシーに脱皮中」
ゴルゴナはけらけら笑い転げた。まさにカオスだ。
「仕方ありませんねえ。あとは私が国王とお話しておきましょう」
どちらも狂った魔人だが、ソロモンのほうがまだ分別があった。
ため息をつき帰るようにゴルゴナを促す。
国王はほっとした。ソロモンなら話が通じる。ゴルゴナは突発的な気分で暴走する。たぶん本人も自分が何がしたいかわかっていない。酔っ払いのほうがまだ行動が読めるくらいだ。いつ城内で大量虐殺をおっぱじめても不思議はない。そして、ここには、ゴルゴナの暴走を押さえられたアンジェラやアルフレドはもういないのだ。
今更自分の命を惜しみはしないが、愛娘のマーガレットだけは殺させるわけにはいかない。マーガレットは斜陽のハイドランジアに残された希望だ。
だが、ゴルゴナは国王の予想よりもはるかに邪悪だった。
そして移り気なだけで馬鹿ではなかったのだ。
ゴルゴナはとんっと音もなく床から跳ね上がると、びりびりになった衣裳を無数の軍旗のようになびかせ、半裸で国王を冷たく見下した。片腿をすっと上げると、椅子に座った国王の股のつけ根ぎりぎりに、踏み砕く勢いでだんっと足をおろした。スカートの奥の秘密をさらすことになったが気にも留めない。
貴人は奴隷に裸を見られても動じない。人間と見なしていないからだ。ゴルゴナのまとった雰囲気はまさにそれだった。子供のようなさっきまでの姿とはまるで別人だ。
「……マーガレットちゃんって可愛くて美味しそうだよねえ。帰りがけに、丸齧りしちゃおっと」
言葉遣いこそ前のままだったが、低く嘲り笑う口調は、激痛の落雷のように国王を貫いた。椅子からずれ落ち、発作を起こしたように胸を押さえて喘ぐ。ゴルゴナは床を這う国王を、愉し気に眺めた。
「や……やめろ……!! マーガレットにだけは……!!」
必死にすがりつく国王を、ゴルゴナは慈母の笑みを浮かべて、膝をそろえて屈みこみ、よしよしと撫でた。
「だいじょうぶ。ゴルゴナだって鬼じゃないもん。娘を心配する父親の気持ち、わっかるよお」
藁にもすがる思いで希望を見出した国王に、一転して邪悪な嗤いを叩きつける。
「だからさ。半分だけは食べ残しておいてあげる。そして、可哀そうなマーガレットちゃんの亡骸を抱きしめて泣く国王っちを、ゴルゴナは優しく抱いて慰めてあげるの。こんなふうに」
はあっとゴルゴナは甘い吐息をし、閉じた膝を広げると、太腿で国王の顔を挟みこんだ。いひひっと歯をむきだし、国王の顔を下腹部に押しつける。うっとりと呟く。
「ほら、パパ。聞こえる? ゴルゴナのお腹の皮一枚向こうの、マーガレットちゃんの泣き声が。お父様助けてって、最後まで泣いてたんだよお。このままじゃ可哀そうだよお。いひっ、ゴルゴナ、ママになった気分。母性愛がうずくなあ。ねえ、パパあ。ゴルゴナの胎内のマーガレットちゃんをもっと奥で感じてあげて……。どうすればいいか、男の人ならわかるでしょお。常識なんか忘れて、みんなで気持ちよく一つに溶け合おうよお」
「黙れ!! けがらわしい化物め!!」
憤怒のあまり火事場の馬鹿力を発揮した国王は、ゴルゴナを突き飛ばし、床から跳ね起きた。尻もちをつき、あたたと臀部をさするゴルゴナに、隠し持った短剣をかまえて迫る。刃には毒が塗られている。
「マーガレットは私の希望だ!! 害するものは誰であろうと、断じて許さん……!!」
無理に顔を引きぬいたため、国王の髪は乱れ、頬は擦過傷で赤くなり、鼻血まで流れている。吊り上がった目は野獣よりも凶悪だった。
だが、捨て身の覚悟もゴルゴナにとっては余興でしかなかった。開いたままの両足を、さらに脚線美を見せつける卑猥なポーズに変え、誘うようにしなを作って笑った。
「いひひっ、絶望と怒りですっごい顔。アンジェラ様も、国王っちに嵌められたとき、きっとそんな気分だったろうなあ……」
「……!!」
国王がわずかに怯んだ瞬間、ゴルゴナの喉が震え、美しい唄を一小節だけ奏でた。
それだけで国王は激しく痙攣して刃を取り落とした。全身が硬ばり自由が利かない。油汗が全身をぐっしょり濡らす。諦めず、次の刃をまさぐろうとするが、激しい吃逆のように身体が振動した。歯を喰いしばってもどうにもならない。神経に異常をきたしたのだ。とうとう立っていられず、ぶざまに転倒した。
国王が顔面を床で潰してしまう直前に、ゴルゴナが包みこむように優しく頭を抱きかかえた。膝枕の体勢になり、露出した柔らかい内腿のうえに導いた。
「おっかえりい。やっぱ男の人って、最後は女の人のところに戻ってきちゃうんだよねえ。ましてゴルゴナは海の化身。生き物は海から来て海に帰るのです」
そう囁くと、垂れさがった艶やかな緑の髪先で、こちょこちょと国王の尖った鼻をくすぐった。
事情を知らない人が見れば、こんな美少女に……羨ましい、と思うだろう。だが、国王にとっては、脱獄に失敗したあげく処刑され、首切り役人に生首を弄ばれている最悪の気分だった。そして最悪にはまだ続きがあった。
「不幸は集まるのが大好きって言ってたよねえ」
ゴルゴナは国王の頬を両手で挟んだまま、その顔を上からのぞきこんだ。おぞましい予感に、国王は顔をそむけたかったが動かせなかった。瞼さえ閉じられない。ゴルゴナは一言一句聞き逃さないよう、わざと国王を麻痺させたのだ。
「なんでゴルゴナが、マーガレットちゃんをあんなに食べたいか。教えて・あ・げ・る」
邪悪と涎がしたたり落ち、目を恐怖に見開いた国王の顔に降りそそぐ。
「パンパカパーン!! それはねえ。ゴルゴナが大好きなアリサさまに、お顔がそっくりだからです」
そしてゴルゴナは、悪意が吹きつけるような凄絶な嗤いを浮かべた。恋人にキスをするようにゆっくりと顔を寄せ、嬉しそうに国王にアリサの出自をささやいた。毒を耳から流しこまれたように国王が喉奥までさらして絶叫した。
「……馬鹿な!! そんなはずがない!! 人間とのあいだに子供が出来るわけが!! それに計算がまったく……!!」
「うーん、男女の仲のことを疑うなんて、ゴルゴナよくないと思うよお。だって、恋って奇跡なんでしょ。それにアリサさまなら、何が起きても不思議じゃないんだなあ。なぜか聞きたい?」
ゴルゴナは小首を傾げ、まだ言い募ろうとする国王を黙らすため、舌をつまんで無理やり引きだした。興奮しているため力加減ができず、引き延ばされた舌のあちこちがめりめりと裂ける。ゴルゴナはそれを音をたて猫のように丹念に舐った。ぴちゃぴちゃと悪夢のように生々しい音が響く。時々ぞりっという耳障りな音がする。ゴルゴナはその気になれば、自分の舌を尖った鱗のように変化できるのだ。奇怪な拷問に、国王は声なき悲鳴をあげてもがいた。
そして、ゴルゴナは一句一句区切るようにはっきりと、嘲り笑う声で国王に告げた。
「……だって、アリサさまったら、ゴルゴナ以上の、すっごい化物なんだもの!! マーガレットなんて殺してやる。ハイドランジア王家なんて滅ぼしてやるってさ。きゃははは!!」
それからゴルゴナははじけるように哄笑した。けたたましいサイレンそっくりだった。
「そぉおれえぇっ!! 悪い子、悪い子、飛んでけえぇ!!」
国王を玩具のように振り回して、テーブルに背中から叩きつける。二人用のテーブルは木端みじんになり、国王は尖った残骸に体中を傷だらけにされ、血まみれでのたうちまくった。
ゴルゴナは腹を抱えて笑い転げた。目に涙が浮かんでいた。
「いひひっ!! ねえ、痛い!? 今、どんな気持ち!? でもねえ、アンジェラ様は、もっと苦しんだと思うよ!! ほら、もっともっと踊ろうよ!! 絶望も悲しみも愛も、全部混ぜて、まっくろけにして、みんなでそこに仲良く沈もうよ!! もう眠りのなかにも逃げこめないよ!! だって、国王っちには、これから悪夢の夜しか訪れないんだから!!」
ゴルゴナのひきつった甲高い笑い声に触発され、ぼんっと音をたて、消えていた蝋燭の炎が次々に高く噴き上がった。ゴルゴナは大きく両手を広げた。死の翼のように影が伸びてはためく。
「いひひひっ!! ねええ、国王っち。あれだけ非道をして、まだ人として生きることを許されると思ってるの? もう観念して、常識も、理性も、悩みも、責任感も、家族愛も、貞淑も、なにもかも捨てて堕ちてきなよお。国王っちにお似合いの、卑猥で甘く腐った奈落に、愛娘のマーガレットちゃんと一緒にさあ。誘えば、きっと大喜びでついてきてくれるよお」
ゴルゴナが牙をむきだし凶悪に笑って、悪夢に招待する。髪を振り乱し、身をくねらせて、欲望と激情のおもむくままに踊る。淫猥で貪欲なことを恥じず、誇らしげに見せつける。のたうつ大蛇やアメーバーの蠕動を思わせた。
「悪い自分に正直になって、楽になろうよお。禁忌を踏み越えたら、きっと、愉しくて最高に気持ちいい、新しい世界が歓迎してくれるよお……。どうしようもないところまで、堕ちたなら……!! アリサ、さまも、許して……くれる、かも……!! ああ!! あの、蔑んだ、蒼い、冷たい……目……!!」
踊りながら息をはずませてのけぞり、ゴルゴナはある種の絶頂を迎えた。大きく宙に振りあげた爪先がぴんと伸びて喜悦に痙攣する。感極まったゴルゴナは、自らのドレスの胸元に指をかけ、一気に下着ごと引き裂いた。怪力に内側の骨組みまではじけ飛び、たちまちドレスはぼろきれとなって、ゴルゴナの足元にずれ落ちた。
衣類から解放されたゴルゴナは、さらに卑猥に肌を光らせ、さらに激しく狂ったリズムを刻む。むせかえる甘い匂いの水滴が飛ぶ。もはや汗か涎か体液かわからない。すべては混然一体となっていた。これはサバトだ。ゆれる灯に照らされ、気狂い魔女のように、部屋中の壁と床を影法師が飛び交う。
王の部屋から人の秩序は去った。今ここを支配するのは、化物どもの混沌だ。
国王は身を震わせて嘔吐した。吐いても吐いても止まらない。痛みからではない。舌のつけ根に刺激があったからでもない。この化物どもの手がマーガレットに伸びるかもしれない絶望と、それを招いた自分の所業への後悔からだ。
湿ったえずく音と、乾いた高笑い、そして足を踏み鳴らす音が混じり合い、それに心地よさげに耳を傾けたソロモンが、アルカイク・スマイルを浮かべたまま手拍子で音頭を取った。
「ふむ、なかなか乗れますねえ。このビート」
ソロモンは満足げに頷いた。
ふたりの魔人とひとりの為政者の奏でる、おぞましい奇妙な演奏会は、いつ果てるともなく、しんとした青い月夜を渡っていった。
お読みいただきありがとうございます!!
本日朝にあげるつもりが間に合いませんでした。そして、ちょっと午後から用事が……すみません。
ごめんなさい。主人公が不在の今年最後の更新になりました。とんでもねえ……。
そのかわり、三章の目玉の大陸覇窮会議(仮称)を出せましたので……。
これで武術トーナメントもダンスバトルも弓術披露も艦隊戦もやり放題!! ひゃっほお!!
自分で自分の首を絞めているような気も……。
本年中の皆様のご厚情に感謝いたします!!
来年もどうかよろしくお願いいたします!!
みなさま、どうかよいお年を!!
……1月中になんとか1本はあげるように頑張ります。
この時期だけは本当に忙しくて……。




