言葉よ、思いよ、あなたに届け。
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】3巻が8月5日発売しました!! 鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさまです!! 表紙はブラッドです!! かっこいい!! 1巻2巻ともども、どうぞよろしくお願いします!! ちなみに連載誌は電撃大王さまです。
また11月17日 11時より コミックウォーカー様やニコニコ静画様で、21話「永訣……そして……」②が公開予定です!!
戦いは終わった。
しかし、大陸動乱をはらんだ新たな危機が。
スカーレットを守るため、ブラッドたちは世界を欺く決意をします。
そして、アリサが歴史の影で蠢きだすのです。
血に彩られた舞踏会、最後に立っているのは果たして……。
ピクシブ様やピッコマ様で読める回もあります。もちろん電撃大王さまサイトでも。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。他に公開してくださってるサイトがあればぜひぜひお教えください。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!! そして、原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です!!
みなさん、ごきげんよう。
私、本編の主人公、スカーレット・ルビー・ノエル・リンガード。
ぴちぴち生まれたての公爵家令嬢。永遠の零歳児がキャッチフレーズ。
男所帯の船の上でオムツをどうやって換えてたかは、ナ・イ・シ・ョ。
……作者、死ねばいいのに。早く私を超絶美少女に成長させてよね。赤ちゃんで恋愛なんかやれるもんか。
おまわりさん!! 異世界恋愛タグ詐欺がここにいますよ……!!
そんな悩めるお年頃の私ですが、現在、鮫がうろうろする荒ぶる海のはるか上空、命綱なしで強風に流されてます。絶景かな、絶景かな。このままだとメイド服に女装した少年ブラッドともに心中墜落する未来確定。ねえ、この作品、児童……いえ、新生児虐待って言葉知ってる?
「やばいな。煙幕が奴隷船にかかった。甲板が見えなくなったぞ」
ブラッドが呟く。
回復魔法も蘇生アイテムもなく、危険だけはいっちょまえの腐った世界観。しかもこちらは新生児ボディ。もう開き直って笑っちゃうよね。マスター!! 危険オーダー追加です!! 女は度胸、どんと来い。殴る蹴るで試練は乗り越えろ。次は隕石でも降ってくるのかな。
「心配ないって。忘れたか。オレには奥の手がある。いくぜ、血の贖い……!!」
ブラッドが不敵に笑う。
その瞳が赤く染まり、血潮が霧となり、背に翼のようにまとわりつく。そうか、彼にはこの身体能力ブースト技があった!! 落水を覚悟し、体内酸素濃度をあげるべく深呼吸に励んでいた私は、思わずアオオオオと叫んだ。
「そんなに喜ぶなって」
ブラッドがちょっと照れ気味だ。
うん、このとんちきヤロウ。違う。あんたの血の贖いの副作用の血の霧で、背中にくくられている私がまっかっかなのよ。なんでヒロインがこんなスプラッタな目に会わないといけないのか。
私はふくれつつらをした。
まだ幼さが残るけど頼りがいのある横顔に一瞬見とれ、胸がとくんと鳴ったのは内緒だ。
「スカチビの両翼の騎士になるって誓ったばっかりだからな。セラフィばかりにいい恰好はさせられないぜ。今度はオレの番だ。期待……しな」
女の子なら男の子に一回は言われてみたい台詞だ。
きっとこのあと超人的な脚力で空気を蹴るとか、旋回して危機を脱するとかの離れ業を…。
「……!! ……」
だが、私のテンションはごろごろと急滑落した。
だってブラッドのやつ、メイド服のスカートを両手で広げ、コウモリの飛膜のようにし、それを強く羽ばたかせることで、ずれた落下位置をすいーっと軌道修正したんだ。
「どうだ、驚いたろ。こんなこともあろうかとスカートの裾に紐つけといたんだ」
ばさばさと羽音もどきを立てながら、ブラッドは自慢げに鼻をうごめかした。スカートが羽ばたきでめくれ上がらないよう、がに股にしてぴたり合わせた両靴裏で、その紐を挟みこみきっちり固定している。
うん、確かに驚いたよ。あまりの恰好悪さに。いくら飛行に筋力が必要だからって、切り札と文字数使ってまでやることか。乙女のときめき返せ。
さ、次いこ。
「この煙、かえって好都合だ。このまま煙にまぎれ一気に詰める」
上から接近するものには気づきづらい。まして煙に隠れていれば猶更。用心深いエセルリードにも問題なく接近できるはすだ。羽ばたきをやめたブラッドとともに急降下する矢になった私は、目を細め、緊張で汗ばんだ手で胸元のルビーを握りしめた。
だが、眼下の煙を突き抜けたとき、私達は押し寄せる強風も忘れ、驚愕の目を見開いた。
ロープで舷側にぶらさがった手負いの獣のようなエセルリードが、こちらを見上げるように睨みつけている。
「うそだろ。血の贖いの状態のオレの動きに目が反応するなんて……」
ブラッドが呻く。
薬物中毒のせいか、それとも恨みで心の何かの箍が外れたのか、今のエセルリードは常識では測れない存在と化していた。
「厄介だな。かわされるかも知れない」
ブラッドが危惧する。
私は自分の顔からさあっと血の気を失せたのを感じた。胸が焦燥で押し潰されそうだ。エセルリードにとって突然現れた私達は鮫ども以上の敵に見えるだろう。彼はきっと海への逃避を撰ぶ。運命はどこまでエセルリードに辛く当たれば気が済むんだ。
あと少しなのに!! あと一歩でエセルリードに触れられるところまで来たのに……!! こんな無力な赤ん坊の身体じゃ、彼に呼びかけることも出来やしない……!!
「スカチビ。ルビーが光って……!!」
ブラッドが驚きの叫びをあげる。
真祖帝のルビーが光るなんてしょっちゅうだ。何を今さらと言いかけた私も息をのんだ。焔が私のベビーボディ全体を包みこんでいる。これは、あのときと同じ……!!
視界にうつる私の手が伸びる。足も赤ん坊の頼りないものではなく、すらっと伸びていく。ふわっとドレスが典雅に風に舞う。赤く艶やかな髪も。私、大人の姿に変身しちゃっ……!!
「子供だなあ。五、六歳くらいの」
ブラッドの言うとおり、私は六歳ぐらいみぎりの女の子姿になっていた。手足の成長は途中で止まってしまった。幼女用にカスタマイズしたこのドレス、お気に入りだったからよく覚えている。鏡の前でよくカーテシーと笑顔の練習をしたものだ。貴族の女の子のたしなみである。乳歯の生え変わりの時期が憂鬱だったっけ……。
「前みたいに大人姿だったら、ルビーを持った手も思いきり伸ばせたのにな」
ブラッドが残念がる。
冗談ではない。確かにエセルリードへの命中率はあがるだろうが、私は今、ブラッドの背中におんぶ紐でくくられているのだ。妙齢のレディーが小さな男の娘メイドに後ろからべったりハグする通報案件姿になってしまう。
それに、これは「108回」でエセルリードとはじめて出会ったときの姿だ。再会にこれほどふさわしいものはない。ならば、彼に呼びかける言葉はひとつしかない。私は涙を拭い、大きく息を吸い込んだ。
「108回」での幼児期の私にとってはただの思いつきの遊びだった他愛ない言葉。けれど、それは初対面のエセルリードを慟哭させた。彼の亡き恋人のマリーさんの口癖だったからだ。
「……あなたの笑顔が……」
死に際のエセルリードのほほえみが脳裏に浮かぶ。マリーさんはそれをずっと隣で見てきて、きっと同じように笑顔を返して、ふたりは心から笑い合って……!! きっと、それだけで他に何もいらないって思うくらい幸せだったはずで……。……なのに……!!
そう思うとあらたな涙がこぼれた。
涙の粒が落下の風に乗り、天にきらきらと輝きながら飛んでいく。
そのとき、冷たい海風ではない、ふわっとしたあたたかい風が、私を抱きしめた。
〝……ありがとうございます……私たちのために泣いてくださって……どうか、エセルリードさまを…〟
姿は見えなかったけど、たしかに女の人の声が聞えた。どんなにその人が生前エセルリードを愛していたか、痛いほどに心に伝わってきた。そして、今の復讐に狂った彼を見て、どんなに悲しんでいるかも。
私にはわかった。彼女が亡くなったエセルリードの恋人だということが。
その死に際まで、彼女は……マリーさんは、エセルリードを愛し続けた。だから、誰も看取ることがない最期なのに、こう言い残したんだ。私は泣き声で叫んだ。マリーさんのそのときの気持ちを思うと泣かずにはいられなかった。
「「……あなたの……笑顔が……大好きです……!!」」
私の言葉とマリーさんの心がひとつになった。
わかる!? エセルリード!! マリーさんはね。理不尽に命を奪われながら、誰も恨まず、あなたへの愛に満ちたまま息をひきとったの。あなたに出会えてよかった、しあわせだったと懸命に伝えようとしたの!! マリーさんの言い残した想い、たしかにあなたに伝えたよ!! 彼女はどんな貴族女性よりも気高い最期のときを迎えた。あなたへの愛があったから出来たことよ。
なのに、そのあなたが今、マリーさんの心を踏みにじってるのよ!! あなたがこの世で一番愛した人を、あなた自身が泣かせてるの!! 復讐が悪いとは言わない。悪い奴は裁きを受けるべきとも思う。だけど、そのためにあなた自身が外道に堕ちてどうするのよ!!
どうせ復讐と薬に狂った今のあなたには、まともに届かないでしょうけど!! あら、びっくりした顔をして硬直している。記憶が混濁していても少しは言葉が響いたの!? でもね、まだ足りない。マリーさんの気持ちは伝えた。こっからは、私の伝えたいぶんよ!! 言いたいことはただひとつ!!
「……いつまでマリーさんを泣かせてるの!? この……バカああああっ!!!!」
私はルビーを握りこんだまま、思いっきりエセルリードの頬を殴り飛ばした。手がびりびりと痛い。でも心の痛さがそれを忘れさせた。
エセルリードの気持ちはわかる。第三者の私が口出しなんて越権だろう。綺麗ごとだと罵られても仕方ないと思う。
だから、これは私の傲慢で身勝手な願い。
このままじゃ、マリーさんもエセルリードも救われなさすぎなんだよ……!! お願い、届いて。マリーさんが愛したあなたは。私を何度も助けてくれたあなたは。そんな人の心を失った狂獣じゃなかったはずよ。
あなたは、雨の中、お父様のお墓の前で泣き崩れる私に言ってくれたじゃない。
後悔も悲しみも雨と同じで止むときがくる。だから、泣くだけ泣いたら、人は歩き出さなければならない。それが亡くなった人の想いを無駄にしないことだって。自分もそうやって恥をしのんで生きてきたって。私が泣き止むまで、ずっとそばにいてくれるって。心のなかで共に涙を流すって。そして、ずぶ濡れになりながら、私の横で、私が泣き終わるのを待ち続けてくれたよね。
私、忘れてないよ。
だから、今度は私の番。同じようにあなたに恩返しするよ。悲しみが癒えるまでずっと一緒にいる。あなたの悲しみを思って泣くよ。
だけど、あなたがそんなんじゃ、私、いつまでたっても泣き止めないじゃないの……!!
だから、お願い……!! 元の優しいエセルリードに戻ってよ……!!
「スカーレット」
ブラッドがいたわる様に私の熱をもった拳に手を重ねた。手がじんじんする。たぶんこれから思いっきり腫れるだろう。だけど、いいの。エセルリードの心の痛みの万分の一でも分かち合いたいから……。
「すげえパンチだったな。えぐすぎだ」
「へ!?」
私のルビー入りパンチは、落下速度が加わったため、予想以上の威力になり、エセルリードにロープを手放させ、さらに空中で一回転させた。完全に失神していた。
「ルビーの麻痺効果いらなかったんじゃないか……?」
そ、そんなことないもん。あれはルビーの呪いの力よ。断じてかよわい乙女たる私のパンチによるものではない。それにお父様のお墓の前で雨の日に泣くって……。そんな記憶ないんだけど。しかも私はお父様のお墓に「ごめんなさい。お父様がどれだけ私を愛してくださったかわからなかった駄目な娘で」とか抱きついて泣き叫んでいた。恥ずかしすぎる悪夢だ。お母様への愛でとち狂ったクレージーお父様にため息つくならわかるけど。
「……ふむ。ふたりとも見事だった。エセルリードは確保したぞ」
その白馬にのったクレージー公爵は、長い棍を伸ばし、物干しざおの先端で洗濯物をひっかける要領で、空中のエセルリードを掬い上げた。てこの原理の負担とかまるきり無視している。というか、白馬が脚をついている場所が、甲板じゃなくラットラインだ。その位置は甲板よりもずっと下の位置、しかも船の外側に超急勾配で張られたロープだ。手すりの向こうからじゃ棍が届かないと判断して飛び出して来たんだろうけど、たぶん70度以上の角度がある。断崖に暮らすヤギだってこんな自殺行為は遠慮するだろう。
やーめよ。この非常識な妻ラブ公爵についてまともに考えるだけ時間の無駄だ。
それよりも今は……!!
「……来い!! 鮫ども!! 極上の御馳走のお出ましだぜ!!」
落下するブラッドの叫びに応え、ぶわっと海面が盛り上がる。とてつもない大きさの鼻づらが、水流を滝のように流しながら現れた。鯨と見間違わんばかりのスケールだ。きっとこのあたりの鮫のボスだろう。
だが、ブラッドは欠片も動じなかった。彼は不死身の魔獣の連続噛みつきの真上でタップダンス回避をした猛者だ。ちょっと物足りないぐらいだったかも知れない。
「足場、あんがとさん。こいつはお代だ。とっときな!!」
鮫が大口を開ききる前に、踏みつけるようにして思いっきり顔を蹴った。文字通り踏み台だ。信じがたい脚力を受け、鮫の巨体全体がぐんっと沈み、押しのけられた海水が波となって奴隷船を揺さぶった。高く跳躍したブラッドは軽々と私とともに甲板に舞い降りた。
「ブラッド、気をつけてください」
電光石化で奴隷船をすべて掌握したセラフィが駆けつけて文句を言う。ブラッドの背にくくられた幼女姿の私に目を見張る。
「ボクと同じ年ぐらいのスカーレットさんはこんなに愛らしくなるんですね。いえ、もちろん今の赤ちゃん姿も可愛いですが。うん、ボクのほうがちょっぴりだけ背が高いみたいだ。よかった……。これならダンスに誘いやすい」
背が低いことはセラフィのコンプレックスだ。ほっと胸を撫でおろしている。
安心して。セラフィは成長するとお父様より背が高くなるんだから。
だけど、私のこの幼女姿はあくまで仮のもの。私達は六歳差がある。互いの成長途中を比べても無意味と思うんだけどな。セラフィって天才なのに時々まぬけよね。
とはいえ今の波をも利用し、はじめて操る奴隷船で回頭行動までやってのけた腕は流石だった。正直私は開いた口がふさがらなかった。大鮫を一蹴したブラッドといい、こんな連中が五人も敵にまわったら、「108回」の女王の私が敗れたのも当たり前だ。むしろ持ち堪えたほうよ。自分で自分を褒めてあげたい。
そして、彼等の奮闘はもうひとりの超人に余計な火をつけた。
気絶して白い腹をさらして浮かびあがった大鮫を一瞥し、お父様は凄みのある笑みを浮かべた。
「……大人として負けてはいられないな。ウラヌスよ」
エセルリードをそっと床に横たえると、再び馬上の人となり愛馬を鼓舞した。
愛馬はだあんっと甲板をしなるほど蹴り、空に舞いあがった。
「帰ってコーネリアに話をするとき、一番活躍したのは僕だと褒めてもらわねばならん。とりあえず戦艦を落としてくるとしよう」
お、大人げなさにも程がある……。
中身は子供。能力は超人。なんて迷惑な……。
お父様の駆る白馬は、足の踏み場のない甲板を避け、ロープからロープに飛鳥のように渡っていく。白い稲妻が軌跡を描いてるよ。それだけではない。奴隷船につながれて荒海に漂う不安定なボートに、波しぶきひとつ立てず、ふわりという感じで降り立った。
え、馬って蹄だよね。肉球生物じゃないよね。どういう運動神経と筋力!? 珍獣を散々見たであろうオランジュの船乗り達も驚愕のまなこを開く。ペガサスだったほうがまだ納得がいく。
「なあ、あの馬。セラフィが用意したんだろ。ガルムと同じ魔獣か?」
旅慣れたブラッドが思わず問いかけるほど異様だった。
「ボクが目利きしたときは、優秀ですがまともな馬だったんですが……」
海では不思議なことがいくらでも起きる、が口癖のセラフィも首を傾げた。
私は背筋が寒くなった。
朱と交われば赤くなる。
クレージーデュークなお父様にパートナー認定され、きっとあの馬も魔物と化したのだ。朝目覚めるとキスするぐらい可愛がってるもんなあ。きっと馬ではいられなくなったんだ。おそろしい。腐ったみかんは箱の他のみかんもダメにするのだ。
私は神様にお祈りした。願わくば、私の大切なお母様が、あの変態魔人に毒され、道を踏み外しませんように。どうか、得体の知れない獣の毛皮マントをし、ミニスカ姿の腿丸出しで、必殺技名を叫びながら毒矢をぶっ放す現状以上にひどいことになりませんように。
……よく考えたら、すでに手遅れかもしれなかった。
「うわわっ……!?」
悲鳴をあげてセラフィが腰を抜かした。
ルビーが点滅し、幼女姿の変身が解けた私は、ブラッドからの返り血べったりの赤ちゃん姿に戻った。変身していたときは血痕ごと消えてたのに……。血まみれの新生児はインパクトがある。人間の根源的な恐怖をなぜか揺さぶるのだ。
私はため息をついた。ちょっと恋愛の芽がもたげてもすぐホラーだ。そして、あのお父様とひとつ屋根の下で暮らすのだ。私ことスカーレットちゃんも血だけではなくお父様毒で赤く染まる危険性は十分にある。名は体を表し、私にもお父様の呪われた血が流れている。
大ピンチだ。実家ひきこもり計画は速やかに破棄し、独立プランに考え直さねばならぬかもしれない。新生児で世帯主……。まだ頭頂骨の角も決まっていないのに、まさか住処の決定に頭を悩まさねばならぬとは……。
この作品はヒロインにちっとも優しくない。そして私の敏感お肌にもだ。航海中ゆえ真水は貴重だ。きっと身を清めるのに海水浴をする羽目になる。まるで因幡の白ウサギ状態だ。
「……だいじょうぶ。心配ないって。ロマリアの焔の輻射熱でも平気だったんだから。スカチビほどバカみたいに頑丈な肌の赤ん坊は見たことがない。肌理は細かいのにな。きっとふてぶてしい本人に似たんだ」
余計な太鼓判を押していい笑顔でほほえむブラッドをぶん殴り、私は盛大なため息をまたついたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
いっぽう私達がエセルリードを救うべく奮闘していた頃、ほとんどの乗組員が出払ったブランシュ号は、最強をうたわれる「シャチ艦隊」に一隻で立ち向かおうとしていた。セラフィの読みでは相手は軍艦四隻だ。孤軍奮闘もいいとこだ。いくら世界最速を誇るといっても、人手不足の非戦闘艦には荷が重すぎる。
これは、ブロンシュ号に残った乗組員たちの話を後日聞き、その様子を私スカーレットの語り口で再現ドラマ化したものである。あとで声優代は請求するからよろしくね。
「……スカチビ、オアオアしか言えないじゃん。オレが代わりにやってやるよ」
シャラップ!! ブラッドは引っ込んでて。心の声で語るから問題ないの。それにあんたにまかせると、ズギャボアアンッとかデケデケデケデーデンとかティラリーンターラリーラとか効果音とBGMまで口でつけたがるから、真面目に聞く気が失せるのよ。
「オレが子供のころ、母上がなるべくドラマチックにって物語を脚色して聞かせてくれたんだ。そのせいかな。癖がうつっちまった」だそうな。
ちなみにブラッドのお母様語りによると、人魚姫は魔女の薬に頼らず根性で足を生やし、しあわせの王子のツバメはいくばくかの金箔を元手に大商人になり丘を買い占め、白雪姫は自ら腹にパンチして毒リンゴを吐きだすんだって……。逞しすぎて原型留めてないじゃん。その教育の集大成がブラッドなのか……。
それにしても「108回」の寡黙な殺し屋ブラッド、大人になっても今の癖が抜けず、状況を報告してたら笑えるんだけど。
「……ガシャンガシャンガシャン。鎧の音が聞える。女王軍のお出ましだ。俺は樹上から奇襲をかけた。パアアアン。心臓止め、俺の得意技だ。大軍でも問題ない。闇に紛れ、確実に各個撃破していく。どんな窮地でも自動的に体は動く。俺は孤独な戦闘マシーンだ。ただ闇だけが俺の友だ。ボオオオッ、パチパチ、生木の爆ぜる音と煙の臭い。手を焼いた奴らは森を焼き、俺を燻りだす作戦に出た。……ひとつ言っておく。今のは駄洒落ではない」
って沈痛な仏頂面してぼそぼそとさ。
想像して笑い転げていた私のほっぺをブラッドが掴んで引っ張った。
「……なんかわかんないけど、すごいムカつく」
ひ、ひたい。そんなにおこんなくたって……。
「どうしよっかな。スカチビがこっそりオナラするたびに、心を読んでみんなに言いふらしちゃおっかなあ」
そ、それだけは勘弁して。授乳と排泄行為は新生児にとって欠くべからざるもの。時にはコントロール出来ないときだってあるのです。もうしません。神様、仏様、ブラッド大明神様……!! それにしてももしかして私、大人になってもブラッドに情報筒抜け? 乙女のプライバシー保護はどうなってんの? まあ、先のことは後で考えるか。とりあえず気を取り直し、再現ドラマスタートです!!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「俺プレッシャーで吐きそう。なんでギャンブルで鍛えた動体視力と勘しか能がないのに、船をまかされるなんて大役を……」
ブロンシュ号の後部甲板で、バンダナさんは頭を抱えていた。いつも額に巻いてるバンダナが目印なので私はそう呼んでいるのだ。航海長もバンダナを巻いているが、あっちは浅黒い肌や航海長など他にわかりやすい特徴がある。よって栄えあるバンダナさんの称号は、この若者に進呈してあげることにした。命名料はサービスしとくよ。
「なんと嘆かわしい。それだけセラフィ様に信頼されているという証ではありませんか。海の男なら奮い立ちこそすれ、落胆など言語道断」
と傍らに後ろ手を組んで佇む口髭の初老の紳士がため息をつく。どんな荒れ海のときも身なりと姿勢を崩さない不屈のダンディズムをもつ彼を、私はダンディ口髭さんと呼んでいる。私がそう告げると彼はにっこりし銀の蝶の飾りをさりげなくプレゼントしてくれた。
「値が張るものではありませんが、素敵なレディとして羽化するよう願いをこめて……」だってさ。これがまた年月が醸し出すいぶし銀のいい色合いなんだ。ピカピカの新品でないところが私の好みを押さえてるよね。
うーん、今は落ちついているけど、この人若い時は相当もてたと見た。そして彼は商会のみならずオランジュ家の重鎮でもある。
「不肖、この私は二代に渡りオランジュ家に執事として仕えてまいりました。誰よりも先代とセラフィ様の背中を目に焼きつけてきたと自負しております。神がかったその操船の御業を、短時間ならここに再現できるくらいには」
そう彼はバンダナさんに断言した。
執事というのはとにかく記憶力が必要な職務だ。館全体の把握もそうだし、館の女主人のサポートをするには、厄介極まりない来客たちの顔と名前、立場と「いろんな」交友関係まで記憶していなければならない。そうでないとパーティーの席や呼び出しの順番、宿泊の部屋の手配で大チョンボをやらかすことになる。接待に失敗すれば主の評判は地に堕ちる。屋敷のすべてを頭に叩きこみ隅々まで気を配る。それが執事の役割なのだ。
そんな強者ぞろいの執事のなかでもダンディ口髭さんは突出している。
瞬間記憶能力に近いものを持っているのではと私は睨んでいる。私も速読には自信があるけど、ダンディ口髭さんはぱらぱらっと帳簿をカードをシャッフルするごとくめくるんだ。報告書もそう。それでしっかり内容は頭に入っていて、どこそこの計算に誤りがあるようです、と後で担当者に指摘するんだ。
その記憶能力は事務仕事だけでなく、海でも遺憾なく発揮された。
「若さとは失敗を恐れず進むことであり、戦う前から怯えてうずくまることではないはずです。安心なさい。フォローは老人の私が引き受けます。伊達に齢は重ねておりません。あなたは存分にその目と勘を発揮することに全神経を注ぎこむだけでいいのです。……よくお聞きなさい。私はセラフィ様たちの技は再現できても勘はない。どれだけ真似をしても魂はないのです。しかし、あなたなら……」
「わかってますよ。そこまでご老体に気を遣われて座りこんでちゃ、俺も立つ瀬がないってもんだ。やってやりますよ。無謀な大役。俺の人生で最大のギャンブルだ。くぅーっ、初航海を思いだすな」
ダンディ口髭さんの言葉を遮り、バンダナさんは武者震いして立ちあがった。
「ふむ、その意気です。しかし、ご老体とは無礼。せめて年長者とか人生の大先輩と呼んでほしいものですな。はて、気力だけでなく、ここに入ったばかりの生意気な鼻っ柱まで戻ってしまったのか。再教育が必要ですかな」
ふうっと息をつき片目をつぶるダンディ口髭さんにバンダナさんは悲鳴をあげた。
「か、勘弁してくださいよ。あの鬼軍曹っぷりは二度とごめんです。……あ、やばい気配が待ち伏せしてますよ。このヤな感じは、賭け事で相手がどでかい役を隠して、こっちを誘ってるときのもんだ。たぶん奴さん達はここで一気に勝負を仕掛けてきますよ」
「ふむ、おそらくは火矢による包囲一斉射撃でしょうな。で、賭けのときあなたならどうしますか」
問われたバンダナさんは力こぶをつくり、ぱんと勇ましくそれを叩いた。
「決まってます!! 誘いにのったふりをして、逆に相手を嵌めてやる。相手以上のカードをどかんと鼻先に叩きつけてやるんです。それが最高にスカッとします。だから、ここはぎりぎりまで引きつけて、ありえない急旋回で矢をかわし、立て続けにもう一度避け、度肝をぬかれた相手に側舷からの斉射でカウンターをぶちかまします!! 敵が有能ならオランジュ商会が奴隷船を乗っ取ったって気づくはずだ。こっちは手薄だときっと舐めきってる。その油断を隠し玉の〝マリオネット姫〟で突き破ってやります!! あれなら僅かな手勢でブロンシュ号を十全に動かせます」
バンダナさんの意気軒高な提案に、ダンディ口髭さんはふむと思案した。
〝マリオネット姫〟、それはわずかの人数でもブロンシュ号のさまざまな操船作業を可能にする絡繰りだ。無数の歯車と滑車あるいは梃や水圧などを介することで力を数十倍にも増幅する。そして、ロープの金具の繋ぎ先を入れ替えることで、帆のヤードを回転させたり、バリスタの一斉射撃など使い方を選択できる。人数頼りの帆船にとっては夢のような機構だ。
だが、じつはそれ以上に問題が山積みだ。まず各部品の消耗が激しすぎ、下手すれば一回で限界を迎える。それと絡繰りがデリケートすぎ、すぐ目詰まりや僅かなずれ、摩擦などで動かなくなる。一度そうなれば、頭が痛くなる手順で部品をいったん取りはずしかない。だから、この絡繰りに精通した航海長が付きっきりで走りまわり、わずかな軋みや震えから事前に異常を予見し、先回りして微調整していくのが必須だ。それだけやって奇跡的に使えて三回だけ。ブラッドの〝無惨紅葉〟と同じで、リスクありまくりのロマン砲なのだ。
それと最大の問題点。動力源としてこの絡繰りの元を回すのは一人だが、製作者の設計ミスで、熊でも回せない代物が出来てしまった。摩擦や帆の重さ、風の抵抗などを計算に入れ忘れたのだ。どうやら世俗離れした研究肌の天才だったらしい。そして、今は消息不明。もはや不良債権と言ってもいいレベルだ。絡繰りを撤去し、空いた空間を有効活用するべきでは、という意見もあったそうだ。
だが、今、マッツオというハイドランジア一の怪力の持ち主を得て、〝マリオネット姫〟は息を吹き返した。
ダンディ口髭さんはバンダナさんに修正案を提示した。
「〝マリオネット姫〟を使うのは、最初の急旋回。それと一斉射撃のみに押さえておきましょう。三回目はセラフィ様達と合流するときに取っておくべきですな。切り札を使いきるべきではありません。二回目の回避は船尾アンカーと海流の流れを利用して行います」
「……あの、それは俺に〝アギトの海域〟の複雑な流れを読みきれってこと? この潮の変わり目に?」
おそるおそる問いかけるバンダナさんに、ダンディ口髭さんはうなずいた。
「当然です。他に誰がいるのです。若い時の苦労は買ってでもしろと言います。年寄りは後進に道を譲るもの……。老兵は去り行くのみ。健闘を祈ります」
「……絶対さっきの俺の失言、根にもってるでしょ!! やればいいんでしょ!! やれば!! やってやるぜ!! まずは一回目の回避!! 〝マリオネット姫〟……」
伝声管に叫びかけたバンダナさんの横から、つうとダンディ口髭さんが進み出た。
「〝マリオネット姫〟の起動を要請します。右方向いっぱいに舵を切ります。カウントダウン開始。十、九、八、……」
「ずるい!! 俺が起動宣言したかったのに!!」
横取りされてバンダナさんは地団太踏んだ。ダンディ口髭さんはすまし顔だ。
「若者は年寄りには席を譲るものです」
「さっきと言うこと違ってるし!! このじじむさい格言好きめ」
悪態をつかれても馬耳東風だ。
「亀の甲より年の功。老練と言ってほしいものです」
そうこうするうちに煙の向こうから「シャチ艦隊」の船影が浮かび上がってきた。そして空を切り裂く無数の矢音。火矢だ。炎の雨が煙を曳きながら、視界いっぱいに広がり、襲いかかってくる。まともに喰らえばどんな船だろうとたちどころに火だるまになる。容赦ない一斉射撃だ。
震えがくる終末の光景だが、ダンディ口髭さんはあわてなかった。まるで主人に日課のアフタヌーンティーを注ぐように、恭しく伝声管に一礼した。
「……二、一、〝マリオネット姫〟起動」
言下に命を吹き込まれたようにブロンシュ号が鳴動した。甲板下でマッツオが巻きあげ機に似た装置を回しだしたのだ。ブロンシュ号がぼうっと発光する。セントエルモの火として船乗りたちに知られる現象だが、マリオネット姫を起動させたブロンシュ号は、マストだけでなく船全体が輝く。鮮烈な白となり、その帆と船体は見る者を畏怖させるのだ。
「ははっ、陸ではあまたの戦いを経験したが、海ははじめてだ。しかも相手は『シャチ艦隊』。相手にとって不足なし。このマッツオ、縁の下の力持ちを見事に果たして見せようぞ」
マッツオは頼もしく大笑いしながら、楽々と両手いっぱいの石臼を思わせる装置を動かす。ごとんごとんと重たい音が部屋全体を揺らす。巨大な風車や水車に匹敵する怪力無双ぶりに、〝マリオネット姫〟の維持に全神経を注ぎこんでいる航海長でさえ見惚れた。
「さすがはヴァレンタイン卿。正直、今すぐスカウトしたいくらいでさ」
「ふむ、悪くないな。海の男はどいつも蒼空のように気持ちいい。国王陛下の御不興を買ったときは、ここに再就職させてもらうとしよう。しかし、問題がひとつある。某の図体には甲板下はいささか狭すぎる」
身を屈めて装置を回転させながらマッツオは苦笑した。
「ちげえねぇ。ヴァレンタイン卿を迎えるときゃ、ここを吹き抜けにしないといけませんな。でっかい男にはでっかい空がお似合いですぜ。甲板ぶち抜いてお待ちしておりやす」
男くさい笑顔のふたりは顔を見合わせ大爆笑した。
ガングロとマッチョ。
むんむん濃い笑顔の相乗効果で、室温が五度くらい上昇しそうである。
そこから後の出来事は細かく語る必要はないだろう。
みんなが力を尽くした結果、ブロンシュ号は「シャチ艦隊」の包囲を見事突破し、再び私達を乗せ、この海域を脱出した。私達はエセルリード救出に成功したのだ。
……だが、戦いはまだ終わっていなかった。
私達はすぐにそれを思い知らされることになったのだった。
お読みいただきありがとうございました!!
すみません。もう少し進める気でしたが時間切れです。
次で導入部は終わりにします。
よろしかったらまたお立ち寄りください!!




