反省しないアンブロシーヌに、お父様は怒髪天をつきます。そして、私達はエセルリードの行方に戦慄するのです。※今回は大陸地図入りです。
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】3巻が8月5日発売しました!! 鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさまです!! 表紙はブラッドです!! かっこいい!! 1巻2巻ともども、どうぞよろしくお願いします!! ちなみに連載誌は電撃大王さまです。
またコミックウォーカー様やニコニコ静画様で、19話②が本日9月15日の11時に公開予定です!!
真祖帝のルビーに憑りついた怨霊たちは、触れる者すべてを呪い殺そうとします。
彼らの哀しみを知ったスカーレット!!
その心の叫びと優しさは、恨みの炎を拭うことができるのか!?
そして、スカーレットの姿が炎に包まれ……!?
コミカライズ「108回」ですが、ピクシブ様やピッコマ様で読める回もあります。もちろん電撃大王さまサイトでも。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。他に公開してくださってるサイトがあればぜひぜひお教えください。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!! そして、原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です!!
ハイドランジアの周辺地図を載せておきます。ご参照にしていただければ。
えー、①レヴァンダ、②ロベリア、③チューベロッサ、④ベーアバオム、⑤ハイドランジアが五大国になります。赤字の~万は、兵力ではなく、人口です。ハイドランジア海外領の人口は、ハイドランジアに含まれていません。
兵科適性をご覧いただくとなんとなく各国のカラーが見えてくるかと思います。弓とか騎とか歩とか細分化すべきですが、まあ、ざっくりということで……。
五大国のほかに四小国があります。⑥アコニア、⑦リーリウム、⑧グルナディエ、⑧ヒペリカムです。これらの国の人口と兵科適性は煩雑になるのであえて載せていません。多くて人口400万、得意な兵科でもB以下という感じです。
なお聖教会の中心の聖都は、チューベロッサの領内にあります。半独立した存在です。
現在の大陸の主な戦場は、ハイドランジア海外領と、レヴァンダの南下政策に反抗する南方二国連合の国境あたりになります。それでは本編をどうぞ引き続きご覧ください。
※蝗害はバッタですが、ややこしいのでイナゴに統一しています。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「 ……イナゴだと? 草むらで跳ねているあの虫が、このハイドランジアを滅亡寸前に追いこむというのか。最弱とはいえ、この国は五大国に名を列ねるのだぞ?」
私が「108回」で体験した蝗害を語ると、国王陛下は窪んだ眼窩の奥でまばたきした。
信じられないのも無理からぬこと。このハイドランジアどころか、大陸でさえ蝗の大発生の記録はない。なんのことやらさっぱりだろう。ましてそれが国家滅亡クラスの脅威などと突然言われてもね。
まあ、骸骨そっくりの風貌の国王陛下と、天使の美貌の美少女マーガレットが、父娘というのも信じられないことだけど。
「ほんとだよ。この蝗害で60万人も餓死者が出るってさ。その蝗、植物どころか肉まで喰うから、国中の食べ物みんななくなっちまうって。……えと、マジか、スカチビ?」
我が通訳のブラッドも半信半疑だ。
「……60万……!! 疫病クラスですね……。復興までどれぐらいかかるか……」
数字に聡いセラフィが考えこむ。
その人口激減が及ぼす影響をシュミレートしているのだろう。
大都市レベルでも10万人ほどのこの世界では、60万人というのは目のくらむ数字だ。ましてハイドランジアの人口は700万人ほど。五大国ではもっとも人口が少ない。60万人も餓死の状況は、国家機能が麻痺するレベルだ。栄養失調でまともに動けない人はそれよりはるかに多いもの。実際「108回」の歴史では、この蝗害をきっかけに、王家は急速に求心力を失い、滅びの道を歩みはじめる。
ちょっとここで寄り道してワンポイント。「108回」の私の人生は、すべてが同じだったわけではない。女王即位以外では、回ごとにだいぶ細部が違っている。殺され方だって、私にとどめを刺した相手だって変わっている。
だけど、自然災害だけは、どの回でもまったく同じパターンだった。そして、蝗害は必ず起きた。これも天災扱いなんだ。となると発生そのものはどうやっても防げない。出来るのは対策をたてての被害の縮小のみだ。
おそらく蝗害発生のキーはいくつかの自然条件だ。それがそろうと、奴らは狂暴化し、爆発的に飛距離を伸ばす。食性や咬合力まで変わる。麻袋だって噛み千切るし、なまじな壁は食い破って侵入してくる。
とにかく、このまま手をこまねいていては、半年後には、ハイドランジアの小麦という小麦、食料という食料が奴らに食らい尽くされる。貴族でさえ、家畜用のライ麦や燕麦を口にする……食べもの大暗黒時代が到来するのだ。一般民衆の悲惨さなど語るまでもない。さらに頼みの綱のジャガイモが、黒く腐る病気で不作になる。おまけに蝗どもは毒草まで喰らい、毒をたくわえたまま溺死することで、水源を汚染する。踏んだり蹴ったりである。記録には全滅した農村さえあるとされる。
たしかにシャイロック一家の討伐は一刻一秒を争う。
まごまごしてると逃げられる。
少しでも早くお母様の仇を取りたいお父様は不服顔だ。
だけど、王家の最高権力の陛下と頭脳のマーガレット王女のふたりがここにいる今こそ、国の中枢そのものをダイレクトに動かせる千載一遇の大チャンスなんだ。迫る未曾有の大災害を知らんぷりすることは、私には出来なかった。
女王時代に聞いた、天災で命を失った幼子たちを抱えた親たちの泣き叫び声が、脳裏によみがえる。あんな思いは二度とごめんだ。今回こそは……!!
これは未来を知る私の責務だと思うし、女王として守れなかった人々への罪滅ぼしだ。
……がんばれ、私。捲土重来!! ふおおおおっ!! 刮目せよ!! 今こそ海千山千の四大国と渡り合った私の口八丁手八丁、そして女の色香が炸裂するとき!! ハイドランジアの宝石の交渉術、とくとご覧あ……。
「あいわかった。スカーレットの言葉を信じよう。紅の公爵と魔弓の狩人の娘にして、真祖帝のルビーの後継者よ。対応策があるなら遠慮なく申せ」
「ホワアアッ!?」
だが、国王陛下は拍子抜けするほどあっさりと警告を受け入れ、私の気合は空回りした。
え、いいの? 自分で言うのもなんだけど、私、新生児なんだけど。
だいじょうぶ? この王様。
困惑している私をよそに、国王陛下は目をしょぼつかせ、うむうむと頻りにうなずいている。
なんか拍子抜けする……。
やせこけた老いた雄鶏と会話してるみたいだ。
肉が固くヒネポンにでもしないと食べれなそうである。
「……受け入れられたのが不思議か? そなた、頭は切れるが自己評価が低すぎだ。真祖帝のルビーの後継者だぞ。その言葉は聖女以上に重いのだ。そなたの言葉に耳を傾けずして、何に耳を傾けるのだ? 」
そして、国王陛下は、喉ぼとけを伸ばし、遠いまなざしをした。
「……もうひとつ理由がある。私はな、弟のアルフレドの百分の一も才能がなく、容姿にも運にも恵まれなかった。醜いものを毛嫌いした先王陛下には、羽毛がぼろぼろの雄鶏と嘲られたものよ。こんな貧相では家臣にはったりもきかせられなかんだ……。さて、そんな私が、どうやって曲りなりにも王など務めてこられたと思う? ん?」
ぎろっと再び国王陛下の目が凄みを増す。
うん、アルフレド王弟殿下か。文書の記録では見たよ。ものすごく優秀だったけど、当時の聖教会の聖女と添い遂げようとして猛反対にあって発狂し、血の粛清事件を引き起こして死刑になったんだっけ。
だが、実物は優秀なんて言葉で語れるレベルじゃなかったんだ。
あとでお父様が教えてくれたことだが、
〝アルフレド殿下か。たとえるなら、僕の技、バレンタイン卿の力、そしてセラフィ君の頭脳をあわせもった方だった。容姿はマーガレット王女殿下にそっくりだな。まさに神の寵愛の化身だった。僕やバレンタイン卿が兄とも慕った存在だ〟
なんだそうだ。聞いたとき私は、飲んだばかりのメアリーの母乳を吹き出してしまった。
どういうチートスペック殿下よ!! しかもあの気難しいお父様を心酔させるカリスマ持ちなんて。
聞いたときは現国王陛下に心から同情したよ。そんな弟がいたら、常に劣等感に苛まれ、家臣からの評価もつらかったろう。だけどさ、王弟殿下の名を語るとき、国王陛下の目には懐かしさと誇らしげな色が浮かんでいたんだ。兄弟仲はよかったのかな。国王陛下がマーガレット王女びいきなのは、アルフレド殿下の面影を重ねているからなのかもしれない。
っと、今の時点に話を戻そう。
国王陛下は鷲鼻の鼻孔をぴくぴくさせた。
「……私が唯一アルフレドにまさるもの。それは、ここぞというときの勝負の嗅覚よ……!! 弱者ゆえに研ぎ澄まされた能力ともいえるな。ウサギめの耳が大きいのと同じよ。その嗅覚が告げるのだ。ここが勝負所だ。スカーレットに賭けろ。これを逃がせば、おまえは一生みじめな敗残者だとな」
国王陛下の印象が、貧祖な貧乏神から、地獄からの勝負師にかわった。
私の勘が告げる。これは破滅と紙一重の賭けが出来るやばい人だ……。
私の座右の銘はさわらぬ神に祟りなしだ。
よし、あとはワンクションおいて、マーガレットを窓口にしよう。
ドン引きした私の産着を、座ったままの国王陛下の筋張った長い指ががっちり掴んだ。
「くく……逃がさんよ。長い長い雌伏のときは終わった。あちこちから受けた屈辱の利息で、いまや骨と皮ばかりの我が身ははちきれんばかりよ。とく語れい、策を」
はい、プラン提案を逆に強要されてます。
心臓をわしづかみにされた気分だ。
こんなかわいくない上目遣いは見たことがない。
私は亡者にぶら下がられたカンダタさん気分だった。
「まあ、情熱的なアプローチだこと。赤ちゃんの頃から国王陛下をここまで魅了するなんて。将来有望ね。スカーレット」
私を抱っこしたマーガレットは、きゃっきゃと大喜びだ。
頼むから、私のぷにぷにほっぺを、国王陛下の髭にむりやり近づけようとしないで。
根底に流れる狂気の血筋を感じる。
似てないと思ったけど、やっぱりこの父にしてこの娘ありだよ!!
私の窮状を見かね、ブラッドが、ぱんっとマーガレットの腕から私を奪還した。
「スカチビ漏らしたみたいだから、こっちで預かるよ」
あんたねえ!! もうちょっとマシな口実を!!
しかし、軽々とやったけど、神業の武術の呼吸だ。このタイミングを駆使し、ブラッドはたいていの相手を一瞬で地面に転がすことが出来る。む、とお父様が片眉をあげ、したたかなこの王女も、いつの間に? という驚きを満面に浮かべた。だけど、敵もさるもの。すぐに悠然とした表情になる。崩れない優雅さは社交界の女の正義だ。動揺すれば即座に侮られる。この子すごいわ。断罪イベントになっても、油断してると逆に周囲を味方につけちゃいそう。
「ふふ、私もスカーレットとの会話で、一晩中踊りあかしたいですわ。この子の知識は宝の山ですもの。ですが、お父様。急ぎませんと、シャイロックを取り逃がします。紅の公爵様の暴れ出しそうなお顔をご覧になってくださいまし。今にも叛旗をひるがえしそう……。蝗害対応の細かい詰めは後にしましょう。スカーレット、またあとでね。〝見捨てる貴族〟、〝見捨てない貴族〟、それと麦の安全な保管場所は私達で選定しておきますから」
「ふむ、忙しくなるな。だが、これは嬉しい悲鳴よな。久しぶりに王の責務に労働の喜びをおぼえそうだ」
こわっ、そんなこと頼んでないし!!
この王家父娘、蝗害の情報を伏せ、敵対派の農地を潰す気だ。
私の不満そうな目に気づき、マーガレット王女は、国民そのものを飢えさす気はないと確約してくれた。なら、いいけどさ……。
蝗害が四大国にまで及ぶと告げると、国王陛下とマーガレットは、ものすごーく黒い笑顔を見せた。
「ほう、夢が広がるな」
くすくす笑うと、地図を広げ、私達ほったらかしで悪だくみに熱中しだした。
ふたりは額をつきあわせ、「国の食料保管庫が火事になったと偽り、中身の麦をどこかにこっそり移動しよう。そして、補填するため金か麦を差し出せと、貴族や商人に強要しよう」プランを立てはじめた。
あまりにえぐい手に、能ある鷹は爪隠すで沈黙していたセラフィが、そこまでする? みたいな驚きを浮かべてしまう。
今は大陸全体で麦が豊作でどこも在庫がありあまっているから、みな、金ではなく麦を選択するだろう。たいした負担にもならないから供出にも抵抗はないはずだ。
そして蝗害のあと、王家は、燃えたといつわった元々保管していた麦を放出し、貴族や国民に恩を売るというわけか。それまでの隠し場所は、先王が無駄に拡張し、内装途中で逝去した離宮かな。あそこ今王家でも持て余してるし、やたら頑丈だし。目ばりすれば凶悪イナゴも手出しできなかろう。
食糧放出の折りには、どうせマーガレットが、「家臣や国民のためなら、王家は喜んで身を削ります」とか涙を浮かべて演説するんだろうなあ。だまされた民衆の大歓声が聞こえるようだよ。この腹黒王女様にとっては赤子の手をひねるようなもんだろう。
そして国王陛下も娘に負けてはいなかった。
「よし、私はぼけたふりをするぞ。国内貴族に謀反を起こされるかと杞憂し、ひそかに籠城の準備をしている愚王になりきるのだ。どうせなら大陸からも麦を輸入しようではないか。どこも豊作すぎて困っているからな。麦が主産業のレヴァンダあたりはきっと飛びつく。国王は国内の麦には毒をしこまれると疑心暗鬼だと噂を流せば、疑惑の目も誤魔化せよう。四大国は、私を馬鹿にしきっているからな」
「まあ、すてきな思いつきですわ。さっそく涎を垂らすぼけたお姿の練習をしませんと」
「まかせよ。大得意だ」
どこがすてき……。もうやだ。この司馬懿な父娘……。
「お父様。いずれにしても蝗害のあと、王家派と反王家派の力関係は逆転します。私が十年計画で進めようとしていたことを、スカーレットは数か月で成し遂げてくれることになります。しかもこちらは兵も損なわないし、あちこちに余計な借りもつくらないで済みます。事が成ったあかつきには……」
「うむ、スカーレットには、子爵位ぐらいは授けぬとな。いや、伯爵位か。スカーレットを、王家が優遇していると示さねば、担ごうとする馬鹿どもが湧いてくるからな。さて、頭の固い元老どもをどう納得させるか」
会話を聞いて、お父様はちょっと嫌そうな顔をした。
バイゴッド侯爵夫妻が、「真祖帝と同じ赤髪紅瞳の我が子ヴェンデルこそ、この国の跡取りにふさわしい」と騒ぎ立てた事件を思いだしたのだろう。そのためにお父様は先王に睨まれ、さらにたくらみがうまくいかなかったバイゴッド侯爵夫妻の八つ当たりで冷遇されたのだ。
マーガレットはお父様の目つきに気づいていた。
ご息女を変な輩から守るためですよ、と前置きし、
「スカーレットは、四大国の王子達をたばかるため、男の子を偽装するそうです。でしたら私の婚約者にすれば、爵位も授けやすいと思いますわ」
ととんでも発言をした。
国王陛下がうなずく。
「ふむ、おまえとつりあう天才の相方がいれば、王家の繁栄は約束されたようなもの。しかも真祖帝のルビーもちよ。四大国が血相変えよう。奴らを悔しがらせるためなら協力は惜しまん。いくらでも私を使え。必要なら誰にでも頭を下げるぞ。堪えるほど収穫は愉しみになるというもの」
赤ちゃんに爵位とかなんの冗談よ。親の複数爵位から継承する、名目爵位ならともかくさ。
しかもちゃっかり私を王家に取りこもうとしてるし。ま、こっちも悠々自適引きこもりプランのためには、現政権に倒れてもらっちゃ困るから手を貸すけど。……さすがに婚約者は冗談だよね? 冗談と言ってほしい。マーガレットの目が怖い。なんかアリサに似ている。この子、目的のためなら手段を選ばなそう……。
そして、この父娘のターゲットは私だけじゃなかった。なんとお母様もだった。魔犬ガルムを討伐した功績を海外に大大的に宣伝し、ニューヒロインとしてプロデュースしよう計画だ。引っ込み思案のお母様、心労で死ぬんじゃないか。反対すると思ったお父様も、「戦女神の美しさを他国に知らしめないのは罪ですわ」と説得され、大納得しちゃったし。このあほ公爵が……。
「くく、これで我が王家は、「紅の公爵」、「王家親衛隊長ヴァレンタイン卿」、「天才王女マーガレット」に加え、「魔弾の射手コーネリア」と「真祖帝のルビーの後継者」までカードとして持つことになるな。もう四大国にひけは取らん」
五指をすべて折って国王陛下はご満悦である。
「もしかしたら、もっとカードが増えるかもしれませんわ」
ブラッドとセラフィを一瞥し、マーガレットはほほえんだ。
強張った表情のふたりを見て、国王陛下は哄笑した。
「ほう、マーガレットの御眼鏡にかなう相手が他にもいたか。なかなかないことだ。頼もしいぞ」
上機嫌で笑い合う腹黒父娘のもとを辞し、私達はシャイロック商会の長子デクスターと長女アンブロシーヌのあとを追った。会頭デズモンドは屋敷から動いていないが、このふたりは海外に逃げるつもりだ。監視していたオランジュ商会から、毎度おなじみの移動鳩でお知らせが届いている。
伝書鳩は、固定されたĀ地点とB地点でのみやりとりする。
移動鳩は、固定された地点と、移動するC点のやりとりが出来る。
つまり片方が動きながらでも使える便利な鳩さんだ。
これによりセラフィの旗艦のブロンシュ号は、大海原をゆきながら、陸の状況を逐一手にとるように把握できる。セラフィの高い情報収集能力の要のひとつだ。
それにしても、アンブロシーヌ達の馬車の動きがあまりにも……。
「遅すぎますね。半日かけてたったこれだけの移動? これは囮ではありませんか?」
正気に戻ったバーナードが、オランジュ商会の出先機関で報告を受け、困惑して首をかしげた。仮にもシャイロック商会が逃走用に選んだ馬車がここまで鈍足などありえない。影武者と疑いたくなるだろう。
「馬車を目くらましにして、本人たちは馬で別ルートを逃げた可能性も考慮しますか?」
だが、お父様は即座に断言した。
「必要ない。この遅さこそ本物の奴らのなによりの証拠だ。追うぞ」
私もじつはお父様に同意見だった。「108回」での奴らの小物っぷりをよく知っていたからだ。セラフィも、オランジュ商会の仲間達の監視をごまかせるはずがないと強気だ。
「目印がなにもない海では、豆粒のように遠い一羽のカモメが生死の分かれ目になります。オランジュの面々が影武者などに騙されることはありません」
訝し気にしたがったブラッドとバーナードだが、あっという間にアンブロシーヌ達の馬車に追いついたとき、あんぐりと口を開けた。ぎらぎらと金で飾り立てた豪勢な馬車の四頭立てが、のろのろと走っていたからだ。
「……うっそだろ。命がかかってんだぜ。シャイロック商会って、まぬけの集まりなのか?」
ブラッドは信じられないというふうだった。シャイロック商会がおくりこんだ魔犬ガルムの桁外れの強さから、雇い主の彼らを過大評価していたのだ。
アンブロシーヌらは私の予想の上さえいく馬鹿だった。足の速い旅行用の馬車ではなく、シャイロックが所有する一番高価な馬車を引っ張り出したのだ。大貴族が儀式用に使うものを模したものだ。その轍は妙に深い。地面が柔らかいのではない。馬車が重たすぎるのだ。牽引する馬が気の毒によたよたして今にも倒れそうだ。こんなもの舗装された平坦な道以外で使うなよ……。
私達の追跡に気づき、髪を振り乱して喚くアンブロシーヌのどぎつい化粧顔が、馬車の窓に見えた。あいかわらず我儘で癇癪持ちそうだ。「108回」で、母なし子と嘲笑われた記憶がよみがえり、不快になった。こいつが裏でお母様殺害の糸をひいていたと知ったからなおさらだ。
アンブロシーヌはパニックになって手が付けられないらしく、きんきん声が外まで響いてきた。隣にいる兄のデクスターが耳をふさぐようにし、連絡窓から御者をしきりにせっついている。だが、御者がいくら必死に鞭をふるっても、馬車のスピードはあがらない。自重もさることながら、馬車に埋もれんばかりの金の細工品やど派手な毛皮織物、金貨の箱をぎゅうぎゅうに詰め込んでいるせいだ。重量オーバーの重ね掛けだ。自業自得とはまさにこの事である。
これ以上走らせたら馬が死にます。荷物を捨ててください、と抗議の悲鳴をあげる御者。
この財宝ひとつでそんな駄馬いくつ買えると思ってるの!? 殺していいからもっと飛ばすのよ!! と金切声をあげるアンブロシーヌ。
ものごとを値段でしかはかれない傲慢さ。「108回」のときとまったく変わらぬ下衆っぷりだ。
「愚かな。世界有数の大商会の一族でありながら、金の重さで破滅するのか。なんという情けなさだ。エセルリードさんの足元にも及ばない」
セラフィが怒りを隠そうともせず吐き捨てる。こんな奴らに、と歯軋りする。
シャイロック商会の罠により、オランジュ商会を壊滅させられた彼としては、こんな愚物どもにしてやられたことが悔しくて仕方ないのだ。
「くそっ!! 追手はわずかだ!! 討って出て潰してしまえ!! 褒美は三倍出すぞ!!」
窓をあけてわめいたデクスターに応え、追従していた二十騎ほどのシャイロック商会の護衛が、喊声をあげて私達のほうに突進してくる。こちらは馬は二頭のみ。しかも戦えそうなのはお父様だけだ。あとは従者のバーナードに、相乗りしている子供二人に赤ちゃんひとり。数を頼みにあっさり潰せると勝ち誇っていた。
だが、襲撃者たちの足並みはそろっておらず、練度の低さが際立った。
「ふひっ!! ガキだが女がいるぜ。早い者順だな」
「てめえは最後だ。滅茶苦茶やるから、女が使い物にならなくなるし、あとが汚なくて萎えるんだよ」
メイド服のブラッドを女と勘違いし、卑猥なお楽しみを相談する奴らまでいた。そんなことに気を取られるから、まともな陣形も取れないのよ。人馬一体レベルの王家親衛隊のトライデントを見てきたばかりだと無様すぎた。そもそもお父様の強さに気づかない時点で三流だ。
「……問おう。死を前に思いだす大切な人はいるか。いたら引け。これが最後のチャンスだ」
「ひゃああ!! お貴族様はかっこいいな!! 顔面つぶされたあと、もう一回ほざいてみろよ!!」
「世間の厳しさってのを教えてやるぜ!!」
お父様の忠告をげらげら嘲笑い、先頭きって突っ込んできた奴ふたりめがけ、棍が一閃した。肌色の球ふたつが綺麗な放物線をえがき、後続のやつらの懐におさまった。
「なんだあ? 濡れた球? ……ひっ……!?」
いぶかしげに目をやった連中が、すっとんきょうな悲鳴をあげ、それを放り出した。球には髪と目鼻があった。生首だ。首なしになった前にいたふたりが、走る馬の鞍からずれ落ち、鐙みに足をとらえられたまま、地面をはねまわる。赤黒い首の切断面が、テールランプのように激しく左右に揺れる。お父様の棍が、先鋒ふたりを同時に斬首したんだ。先ほど木で石を斬る神業を目撃していなければ、とても信じられなかったろう。
「なんだよ!? こりゃあああっ!?」
連中は泡食って手綱をひき、馬を返そうとした。蹄の音と砂埃と悲鳴が錯綜する。だが、時すでに遅し。全員がお父様の殺戮圏内に入りこんでいた。
「……もう遅い。さっき言ったろう。最後のチャンスだと」
刀より鋭い殺気が迸る。
「ちっ!! 娘の前でぽんぽん人を殺すんじゃねぇよ!! セラフィ、頼む!!」
憮然として叫んだブラッドが、私をセラフィに押しつけ、馬の背を蹴った。
「これだから戦場帰りは!!」
お父様の二撃めよりぎりぎり早く、ブラッドが先制の蹴りをくれ、暴漢全員を馬上から叩き落とした。その反動を利用し、さらに上空に浮き、すでに放たれたお父様の棍をかわす。
「くっ……!!」
お父様もあわてて棍を停止したのだが、少し間に合わず、ブラッドのひるがえるメイド服の裾を、大きく引き裂いてしまった。剃刀でやったみたいな断面だ。九死に一生をえた暴漢たちが、腰を抜かしたまま恐怖の目を見張る。空中でふわふわしている布地を鋭利に切るなんて普通じゃない。しかも刃でなく棍でだ。巻き添えをくらって斬られた大木が何本か、年輪をさらし、ばきばきと他の樹々を巻きこんで倒れこむ。
「バカ!! 何をぼおっとしてんだ!! 早く逃げろってんだ!! 次はオレも止められないぞ!!」
ブラッドに怒鳴られ、暴漢たちは電撃にうたれたように飛びあがった。
馬に乗ることも忘れ、パニックの悲鳴をあげ、一斉に回れ右して逃げ去った。ほぼ四つん這い状態だ。馬たちもあとに続く。
「おい!! 待て!! 契約違反だぞ!! 戻れ!! わかった!! 四倍、いや五倍だそう!!」
あわただしい蹄の音と阿鼻叫喚が通り過ぎ、置き去りにされたデクスターが馬車から怒鳴るが、呪いの罵り声だけが遠くから返ってきた。
「ぼけが!! てめぇでやってみやがれ!!」
「百倍でも割にあわねぇ!! 死んじまったら金もくそもあるか!!」
「よくも死神と戦わせようしやがったな!! てめぇらだけ地獄に堕ちやがれ!!」
暴漢達は自分達が、人間ではなく、ドラゴンに等しい怪物に特攻させられるところだったと悟ったのだ。
「……あんたらもさ。早くその馬車捨てて逃げたほうがいいよ」
ブラッドの警告より早く、すでに馬車の御者は鞭を放り出し、逃走の意がないと示していた。どのみちお父様の切った木が倒れて道をふさぎ、これ以上は進めなかったのだ。
「貴様、なにをしている!! 金を払わんぞ!!」と怒るデクスターを黙殺し、横の馬丁とともに転がるように地面に飛び降り、引き革と梶棒の金具をはずし、馬を解放した。お父様がいつ棍をふるってくるのかと気が気でなかったのだろう。死に物狂いの限界をこえた作業っぷりだった。
「おい、待て。無給では困ろう。持っていけ」
お父様は棍で馬車の窓を叩き割ると、クロテンのコートを先端でひっかけ、ふぁさっと御者たちの手元におとした。白い毛混じり、シルバーヘアというやつだ。最高級品だ。お駄賃としてはおつりがくるだろう。
「あ、あたしのコートが……!!」
アンブロシーヌが取り返そうと馬車から身を乗り出し、追いかけようとした。ここにいたっても自分の置かれた立場がわかっていない。あわててデクスターが引き戻す。どっちも救えない悪党だが、まだこっちのほうが状況判断が出来る頭があるらしい。
御者たちはコートを押し戴くようにお父様に平身低頭したあと、長い手綱を引きずったままで逃げ去る馬たちに負けじと、こけつまろびつ、あっという間に森の奥に駆け去ってしまった。
馬もなくぽつんと本体だけ残された豪華馬車は、金ぴかなのにひどくみすぼらしく哀れに見えた。
「置き去りか。金に目がくらんだ悪党にふさわしい末路だな。観念して出てこい」
お父様の棍が唸り、動けない馬車へのとどめとばかり、車輪をすべて吹っ飛ばした。
一瞬空中に浮いた車体が、どすんと地響きをたてて落下する。車内で悲鳴があがったが、アンブロシーヌ達は馬車に押しこんだ財宝の山に身を隠したままだ。私達はあきれ返った。まだ籠城を決めこむ気か。
「悪党ほど往生際が悪いというのは本当だな」
お父様が忌々しげに吐き捨て、棍を構えなおす。
「ブラッド、君は優しいな。先ほどはよく僕を止めてくれた。復讐心にかられ娘の前で殺戮をしようとしたことは、恥じ入るしかない。だが、元凶のこいつらにだけは慈悲はかけんぞ」
「……因果応報だからしかたないね。でも、こいつらは悪事の生き証人だ。生かして自供させたほうが罪の償いになる。嘘を言っても、オレなら血流で見抜けるしね」
ブラッドの言葉に重々しくお父様はうなずいた。
「わかった。考慮しよう。出てこい。おまえたち。投降すれば命だけは保証する」
お母様を傷つけられたお父様としては、最大限の譲歩だったのだろう。だが、アンブロシーヌらは車内に引き籠ったままだった。恐怖で足がすくんで動けないのかもしれないが、完全にお父様の逆鱗に触れてしまった。お父様の紅い瞳が、翳りを帯びた落日の色になる。激して鮮やかだったときより、はるかに危険な色だ。
「出てこぬか。命乞いでもすれば、まだ慈悲のかけようもあったものを。では、財宝とともに、その御大層な棺のなかで死ね。……赤塵旋風」
お父様が頭上にかまえた棍を超高速で回転しだす。忘れもしない。魔犬ガルムを一発で戦闘不能にしたお父様の必殺技だ。つんざく風切り音とともに砂埃が舞い上がり、竜巻のような連撃が馬車に叩きつけられた。
「我が奥義は、すべてを塵にかえす。ひき肉になって四散し、虫の腹におさまるがいい。楽には死なさん。罪を嚙みしめられるよう、ゆっくりと削り取ってやる。ありがたく思え」
異音を発し、馬車が数回大きく揺れた。そのあと、火花をまき散らし、馬車の屋根と扉が吹っ飛んだ。贅をこらした彫金がはずれ、壁がはがれ、むきだしになったフレームがひしゃげていく。支えがなくなってあふれだした毛皮や金銀の調度品が、容赦ない旋風で木っ端みじんに巻きあげられる。も、もったいない……!!
「ひいっ!! やめて!! 私のロベリアの王宮金細工が……!! チューベロッサの北方羅紗織が……!!」
たまりかねたアンブロシーヌが、腰に抱きついたデクスターを引きずるようにし、車外に飛び出してきた。お父様はおそろしく冷たい目で、馬上からふたりを見下ろした。デクスターは死人の顔色になり、痙攣するように震え出した。
「……ずいぶんと装飾物に造詣が深いのだな。そんなにここの宝物は良いものか」
目利きを褒められたと勘違いしたアンブロシーヌは、ぱあっと顔を明るくした。
「ええ!! もちろんですわ!! 私が金に糸目をつけず買いそろえた品々ですもの!! 特にこれなどは、昔、ヒペリカムの王女様が身につけたといわれるディアナ朝のティアラで……」
「よせ!! アンブロシーヌ!! 頼むからやめてくれ!!」と悲鳴をあげるデクスターを突き飛ばし、大得意にひけらかす。「殺される!! 俺達ここで殺されちまうよう!!」と身を丸めて泣き叫ぶデクスターにふんっと侮蔑の鼻息を鳴らし、お父様に向き直る。
「私を妾に迎えていただければ……いえ!! 結婚してくだされば、この宝物は、いえ、シャイロックの莫大な資金は、みな公爵様のものに……!!」
アンブロシーヌはみなまで言い終わらなかった。手にしたティアラが炸裂して消えたからだ。それだけでは済まなかった。きょとんとした目で上げていた左手を見たアンブロシーヌが、魂消るような絶叫を放った。
「あひいいっ!? わた……!! 私の……!! 私の薬指がないいいっ……!?」
「……不愉快だ。おまえのような女に嵌めてやる婚約指輪は持ち合わせていない。僕は金にはさして興味がない。妻という最高の宝物をすでに手にしているからだ。得意の知識で、尊い彼女のことを少しでも語れるなら命は助けてやろう。まず名前は?」
棍の先端を突きつけて問うお父様の迫力は、片手を押さえてのたうつアンブロシーヌが痛みを忘れるほど凄まじかった。
「質問が聞こえないようだな。それとも答える気がないのか? では、死ね」
ようやく自分の置かれた立場を理解し、アンブロシーヌがかすれた悲鳴をあげた。お父様の目にわずかに笑いが浮かんでいるのを認識したのだ。お父様はアンブロシーヌたちを殺す理由がほしくてうずうずしていた。命乞いなどむしろしてほしくないのだ。
「ま、待ってください!! すぐに答えますわ!! コゼット様……い、いえ、コリーン……コンスタンス様……でしたっけ……?」
姑息にもお父様の反応をちらちら横目でうかがいながら、アンブロシーヌは堰をきったようにまくしたてるが、みるみるうちに顔色が悪くなり、声がしぼんでいく。名前を間違えるたびに、お父様の眉間は険しくなり、いまや雷を飛ばさんばかりだった。
「……あ、あははっ、お、おかしいですわね。少し度忘れしてしまいまして……」
「もういい。どうやら宝物のことはいくらでも憶えられても、自分が殺そうとした人間には露ほどの興味もなかったようだな」
アンブロシーヌが十度間違ったところで、お父様は醜い愛想笑いを遮り、棍をふりあげた。
アンブロシーヌはひいいっと声をひきつらせ絶叫した。
「わ、私はあなたのご両親のバイゴッド侯爵夫妻に、あなたとの仲を認めてもらいましたわ!! 私を殺すとあのおふたりが黙っては……!!」
アンブロシーヌとしては印籠でも出したつもりだったのだろうが、これが悪いほうの決定打になった。
「……もう救えない。自分から絶壁を飛び降りてしまった」
セラフィが蒼白になってうめく。アンブロシーヌのリサーチ不足にあきれる。お父様親子の確執を知らないで、愛人になるとかほざいていたのか。
お父様の目がこれ以上はないというくらい冷たくなった。
「残念だったな。そのふたりなら売国の容疑で失脚した。もう罪人だ。国王陛下がじきに爵位を取り上げるだろう。ずいぶんおまえとは癒着していたようだな。僕の妻子を害そうとし、さらに国にも仇を成した。ふむ、生かしておく理由などないな」
それは事実上の死刑宣告だった。
棍をふりかざしたお父様の影が、ずうんっとアンブロシーヌにのしかかった。視界いっぱいの大岩が倒れかかってくるような凄まじさだった。
「……ひいっ……!?」
鈍感なアンブロシーヌも、さすがに本能で死を悟った。断末魔のうめきを喉の奥で鳴らし、腰を抜かした。目がぐるんっと白目をむき、だらんとだらしなく開いた口元から泡とも涎ともつかないものがこぼれた。座りこんだ膝下から水音が漏れた。黒々と地面が濡れ、異臭がたちのぼる。失禁したんだ。
「……えはっ、えへへへっ……」
表情筋が痙攣したのと、腹腔の空気が逆流したせいだろう。奇怪な笑い声のようなものをたて、失神し、ごちんっと顔面から小便だらけの地面につっこんだ。正座して斬首された死体を思わせた。尻をあげ気味のポーズのまま、勢いよく放尿し続ける。放屁の音も混じる。自律神経がたえきれず破綻したんだ。
人間の尊厳を失った醜態にみな引いたが、お父様は容赦なかった。
「恥にまみれて死ぬ。似合いの末路だな」
そのまま断罪の一撃をアンブロシーヌの頭蓋に振り下ろそうとした。
「……コーネリア様……お名前はコーネリア様です……!!」
風切り音に混じった蚊の鳴くような声が、寸前でお父様の棍を止めた。
アンブロシーヌではなかった。恐怖のあまり動けなくなり、ひたすら身を縮め、隅で小さくなっていたデクスターだった。かすれた声で念仏のようにお母様の名前を繰り返していた。本人はのどを振り絞って叫んでいるつもりだが、声帯がこわばってまともに声が出ていなかったのだ。
「首の皮一枚で命がつながったな。コーネリアに感謝するがいい」
お父様の身体から張りつめた殺気が抜け、私達は胸をなでおろした。
「……助かりたければ、三男のエセルリードに家督を譲れ。おまえ達の裁きは彼と国に任せるとしよう。エセルリードはどこだ?」
命拾いして、ほううっと息を吐き、泣き笑いをしていたデクスターの顔が徐々に強張りだした。家督を譲ることに不服があるのか? いや、これはもっと違う反応だ。まさか……!!
「答えろ。エセルリードになにをした」
お父様も勘づき、棍を突きつけてデクスターに問うた。
デクスターは観念したのか、うなだれたまま悪事を告白した。
「……薬で意識を混濁させ、南方への開拓船に乗せました……!! エセルリードは、俺達への復讐に憑りつかれた!! シャイロックの裏仕事の証拠と二重帳簿をさらし、商会を破産させようとしたんだ!! 親父は頼もしいと褒めたが、俺達は怖かった。今のあいつは普通じゃない……!! だから……!! 仕方なかった!! 仕方なかったんだよぉ……!!」
涙と鼻水まみれになってデクスターが泣き喚く。
金の力の虚飾が剥げると子供と変わらなかった。
幼児でも修羅場をくぐったセラフィのほうが、百倍は胆力がある。
「南方開拓船……!! 〈世界の果て〉行きか!! なんてことを……!!」
海外事情に明るいセラフィが絶句した。
〈世界の果て〉とは、大陸の南端に広がる広大な未開墾地の通称だ。
その総面積は、ハイドランジアの国土の半分に匹敵すると言われている。特異な風土病と過酷な自然が、長い間人の入植を拒み続けてきた地だ。開拓団を何度も何度も全滅させ、ようやく人々はここでは人間は長く生きられないのだと学習し、手出しをあきらめた。
だが、五大国のひとつレヴァンダは、人間を消耗品として扱うことで、その問題をクリアした。死ねば死んだ分だけ新たな人間を送りこめばいいと、自国のみならず他の国々からも罪人や貧民をかき集め、開拓民と称し、〈世界の果て〉に送りこみ、強制労働を強いた。そして着々と開墾地を広げている。
その開拓民を移送する船が、エセルリードが乗せられた南方開拓船。通称奴隷船だ。
〈世界の果て〉では人は名前でなく、番号で呼ばれる。死亡率が高すぎ、そうしないと管理が出来ないのだ。入植した半分が一年で死亡すると言われている。脱走しようとしたら監視のレヴァンダ軍に殺される。まさにこの世の地獄だ。
だけどね!! この私を甘く見ないで!!
あんたらのひん曲がった性格はわかってた。
だから、もう手はうってあるの!!
「108回」でもエセルリードは消息不明になり、私が五歳のとき、偶然に海外で発見された。場所はレヴァンダの属国で隣国のグルナディエ。〈世界の果て〉に近い村でだった。エセルリードの全身は、鞭痕がはじけ、火傷だらけの酷いありさまだった。それだけじゃない。ひどい麻薬中毒で廃人寸前だった。
治療とコールド・ターキーを同時に行うという、常人なら発狂する地獄に耐え、エセルリードは復活した。だが、行方不明だった五年間の記憶をほとんど憶えていなかった。その間は薬の影響で、まともな意識を奪われていたからだろうとエセルリードは語っていた。
……断片的な彼の記憶から推測するに、おそらくエセルリードは薬漬けにされ〈世界の果て〉に送りこまれ、強制労働をさせられていた。そして死にかけたか何かで海か川に捨てられたのだ。証拠は見つからなかったけど、ろくでなしのアンブロシーヌなら絶対やりかねないと私は確信し、ずいぶん憤慨したものだ。
デクスターに奴隷船の出航日時と航路を聞いたあと、セラフィはため息をついた。
「……人非人どもめ。まさか、スカーレットさんの予測が当たるなんて。ご進言どおり、ブロンシュ号は、いつでも出航できるようにしてあります。奴隷船は大型船だ。レヴァンダの西海岸には対応する港がないから、属国のグルナディエに入港する。だけど、その航路だと〝アギトの海域〟を迂回せざるをえない。ボクの土俵ですね。まかせてください」
〝アギトの海域〟は海流と風が複雑にからみあう海の難所だ。おまけに沖にも関わらず暗礁地帯が広がっている。ちょっと操船を間違うと、あっという間に船底を尖った岩に食い破られる。まるで怪物が顎をあけて待ち受けているかのように……。太古の昔に神の怒りに触れて沈んだ島の亡者たちが、生者に嫉妬し引きこもうとするのだとも言われる。船乗りは絶対に回避する魔の海域だ。沈没したらまず助からない。
セラフィは、話が理解できず呆然としているデクスターに不敵に笑いかけた。
「言葉の意味がわからないか? ブロンシュ号で〝アギトの海域〟を突っきって奴隷船に先回りし、エセルリードさんを助け出すと言っているんだ。ボクを、オランジュ商会を見くびるなよ。シャイロック」
船乗りなら誰もが自殺行為とあきれかえるだろう。
だが、私は知っている。セラフィは生粋の商人にして海の男だ。誠実と信用と契約が彼の武器だ。絶対に嘘をつかないし期待を裏切らない。
私がセラフィを信用する理由はもうひとつある。
セラフィ愛用のハンターグリーンの船長服が金刺繍をきらめかせ、勝利の旗のようにひるがえる。それはセラフィの父、先代オランジュ商会会頭の形見を仕立て直したものだ。彼は嵐のなか〝アギトの海域〟を抜けてのオレンジ輸送で財を成した伝説の男だ。その血脈はセラフィに立派に受け継がれている。
時代をこえ、息子は父とおなじ〝アギトの海域〟に挑む……!!
待っててね!! エセルリード!! あなたが側近として女王の私に尽くしてくれた恩、一時だって忘れたことはなかったよ。今度は私があなたを助ける番よ!! セラフィの船に便乗して……。
まったく……セラフィは敵にするとおそろしいけど、味方にすると怖いほど頼もしいよ。セラフィ、寄って寄って。祝福のキスをほっぺにプレゼントよ!! がんばって!! 私の足として!!
……あれ? そういえば今思いだしたけど、「108回」の女王時代、私の艦隊が、セラフィに〝アギトの海域〟に誘いこまれ、ぼっこんぼっこんに壊滅させられたんだっけ……。兵士の鼓舞で同乗していた私も海に投げ出され、鮫がうようよする海で長い遊泳をする羽目になった。〝アギトの海域〟は危険だが良好な漁場でもあるから、餌を求めて鮫が寄ってくるんだ。
私は間一髪で通りすがった漁師に拾われたからまだよかったけど……。
私を追いまわす鮫が真後ろに接近しすぎ、尾びれが海面にパシャパシャ出てたから、救いを求める私を見た漁師さんが勘違いし、「ひいいいっ!? 妙に胴体が長い人魚が、なんか決死の形相で追いかけてくる!?」って悲鳴をあげて逃げようとしたっけ……。
こんなこともあろうかとハイドランジア古式泳法の免許皆伝になってなければ死んでいたよ。
きいいっ!! 思いだしたらだんだん腹が立ってきた!!
セラフィ!! 悪いけど、祝福のキスは取りやめよ!!
かわりに、気合注入の新生児パンチをあげる!! くらって震えよ、我が全体重3500グラムをのせた怒りの鉄拳を!! そこになおり、歯を食いしばりなさい!! アオオオッ!! あ痛あっ!?
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