私!! 出陣!! 想いと指先のふれあうとき。
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【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】2巻が発売中です!! 鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさま発刊です!! 1巻ともども、どうぞよろしくお願いします!! ちなみに連載誌は電撃大王さまです。
またコミックウォーカー様やニコニコ静画様で、15話②が無料公開中です!!
炎上する公爵邸!! 愛する妻を救わんと馬を疾走させるスカーレットパパ。しかし、同行するセラフィは、スカーレットママの死を予知してし、公爵邸ではなく池に進路変更するべきだと訴えますが、その行為は、予知を信じないスカーレットパパの激しい怒りをかってしまうのです。スカーレットパパが刀を抜いて迫る!! はたしてセラフィの想いは通じるのか!?
ピクシブ様やピッコマ様で読める回もあります。もちろん電撃大王さまサイトでも。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。他に公開してくださってるサイトがあればぜひぜひお教えください。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!! 原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です。
【コーネリアに惚れこんだとある赤の貴族の有力派閥の貴婦人】
……私達赤の貴族は、さまざまな催しに慣れている。
主催者も面子と評判がかかっているから、贅を尽くし、あらゆる手を使い、ゲストから感嘆を引き出そうと必死だ。皮肉なことに、その繰り返しは私達の感性を摩耗させる。よほどのことでなければ感動はしなくなる。困った贅沢病とよく仲間内で笑い合うほどだ。
だけど、今夜の舞踏会のファーストダンスは、久しぶりに私達の心をときめかせた。
ローゼンタール伯爵夫人とヴィルヘルム公爵夫人の〝雷鳴のポルカ〟は、ほんとうに素晴らしかった。楽器の弦が切れ、最終の四段の手前までだったのが、惜しくてたまらない。最後まで見たかった。それでも社交界の伝説としてずっと語り継がれるほどの出来栄えだった。
貴族の女性陣にとっては〝雷鳴〟シリーズは、特別な意味をもつ。大舞台で披露し喝采を浴びることを、みんな少女時代に一度は夢見る。それはシンデレラのような夢物語であり、その代償に目が飛び出るほどの高難度を要求する。気のいい仙女の魔法なんて現実にはないのだ。踊りが苦手だったヴィルヘルム公爵夫人が身に着けるのにどれだけ努力をしたのか。女達は誰もが激しく胸をうたれた。
だから、ヴィルヘルム公爵夫人が、コーネリア様が、〝雷鳴のポルカ〟を踊り終えたとき、彼女を山育ちの田舎者と侮る雰囲気は、女達から一掃されていた。
公爵夫人は、たった三曲で、気難しい赤の貴族の女達のほとんどを味方につけた。公爵夫人は唯一の正しい選択をした。噂と違い聡明な方だ。
……彼女はこの国に並ぶものがないほどの弓の達人として名を轟かせている。実際、ローゼンタール伯爵夫人とのやり取りで見せた公爵夫人の弓の腕前は神業だった。だけど、たとえ目の前で見せつけられても、弓の腕前では、赤の貴族の女性達には心から認められない。女達が共有する価値感のなかで存在を示せなければ、珍しがられるライオンにはなれても、ルールの向こうの異質なきわもの扱いのままなのだ。
だけど、公爵夫人はダンスで、正々堂々とルールのなかでの尊敬を勝ち取った。私達の心を震わせた。
予言してもいいわ。これから先、どうあっても公爵夫人を認めようとしないのは、偏屈なバイゴッド侯爵夫妻くらいになる。
ことあるごとに義娘の公爵夫人を貶めようとする姿が、なぜか今夜は見えないわ。互いに幸いだったわね。今後は公爵夫人への悪口を耳にするたび、貴婦人達は眉をひそめ、扇で口元を隠し、不快そうにその場から立ち去るだろう。私達はもう公爵夫人を誇れる仲間として認めたの。彼女をけなす人と会話なんかしたくないもの。
舞踏の間の中央に立つ公爵夫人は輝いて見えた。まるで月の光が惜しみない賛辞として降り注ぐように。彼女は社交界の主役を張れるということを、権力や裏工作ではなく、実力で証明した。
「……すごいわ!! コーネリア様!!」
気がつくと私は駆け寄り、すごいわ、と馬鹿みたいに繰り返しながら、公爵夫人の片腕を抱えこんでいた。まるで感情のままに行動する小娘だ。
打算じゃない。本気だった。あとで思い出して赤面するほど我を忘れていた。
……最初はこんなつもりじゃなかった。あの紋章の仕掛けのある黄金の馬車や王家親衛隊を見たときは、公爵夫人に利用価値があると冷徹に計算した。
しかも、公爵夫人は社交界に伝手はほとんどないもの。私達の派閥に取りこむチャンスだと思った。仲間も諸手をあげて賛同した。
私達赤の貴族は国王陛下と疎遠だ。だけど王家の寵愛が明らかな公爵夫人を通せば、誼を通じることもできる。それだけじゃなく、あの人嫌いで有名な紅の公爵への接近も……。社交界で噂にならない日はない怜悧な横顔を思い浮かべ、私はぞくぞくした。それを成しえたら私達はきっと周囲から一目も二目も置かれるだろう。
社交界は女達の熾烈な競争の場だ。
常に周囲の力を見極める努力を怠らなければ、あっという間に落伍者になる。
それなのにあの場の赤の貴族達は、到着した公爵夫人の力を目の当たりにしてもなお侮蔑していた。なんて鈍さだろうと私は唇を噛みしめた。そんな体たらくだから新興の青の貴族に離される一方なのだ。
巻き込まれて同類と思われてはたまらない。だから私達一派は一度その場を離れ、あらためて公爵夫人への接触の機会をうかがうことにした。
その点、ローゼンタール伯爵夫人はさすがだった。自ら公爵夫人を出迎えに戸外まで赴いた。社交界に君臨するにはわけがあるのだ。微笑するローゼンタール伯爵夫人と廊下ですれ違ったときは背筋が寒くなった。まるで私達のたくらみなどお見通しという笑みに、前にそびえる壁の高さを実感した。だけど、公爵夫人を取りこめれば、きっと私達だっていつかローゼンタール伯爵夫人を超えるチャンスが……。
でも、あの方は、公爵夫人、コーネリア様は、ダンスで私達の心を奪った。その感動で、謀略を吹き飛ばし、私の心を逆に取りこんでしまった。
胸が踊る。計算抜きであの方に近づきたいと思った。私の友人なのよ、と胸を張って誇りたいと願った。忘れかけていた少女時代の懊悩で苦しくなる。私だって昔はこんなふうに踊ってみたいと夢見ていたのだ。私だけじゃない。派閥のほぼ全員がだ。大人になるとき分不相応な夢は捨てざるをえなかったけど、あの日の憧憬まで忘れたわけじゃない。私達が集うようになった最初の共通の話題はダンスだった。
堰をきったように絶賛の言葉があふれでる。私達は少女時代の夢を公爵夫人に重ねた。私達の派閥のみんなに取り囲まれ、困っている公爵夫人が、コーネリア様がかわいいと思った。褒められ慣れてないのね。
……みんな、目が節穴だ。この人の価値に気づいていなかったなんて。いえ、私もだ。苦いものが口中に広がる。私だって一緒になってコーネリア様の悪口を言った。
……今さら謝るなんて虫のいいことは出来ない。謝って許されることじゃない。だから、せめてこれからはコーネリア様を守っていこう。社交界に不慣れなこの方は、きっとこれからもたくさんの悪意にさらされる。その防波堤になるのが私達の償いだ。
無言のうちに、私達一派はそう誓っていた。
だから、ブルワー子爵がコーネリア様を山猿と侮蔑したとき、私達はローゼンタール伯爵夫人に遅れまいと立ちはだかった。いえ、それだけでなく、私達の怒りは本物だった。ブルワー子爵は力づくで女に言うことを聞かせようとした。なんて卑怯な反則。社交界のルールに則り、堂々と踊りで戦い抜き、尊敬を勝ち得たコーネリア様に比べ、とても許せない暴挙だった。
だけど、私達の憤怒は、それよりもまっかな髪をなびかす一人の少女に凍りつかされる事になった。。
「ここは社交界。ならば私の戦場よ」
そう言って助けに入ろうとした男の子達をおさえたスカーレットというその娘は、小柄で華奢だった。
なのに怒り狂ったブルワー子爵に寸毫もたじろぐことなく、コーネリア様とローゼンタール伯爵夫人の代わりに、彼の踊りの相手をすると言い放った。
無謀さに青ざめた。たしかにブルワー子爵の隙をついて投げ飛ばした技は見事だった。だけど、ひとたび掴まれてしまえば、女の力では男に抗することは無理だ。しかも子爵は怪力自慢のうえ、ダンスは密着するヴェニーズワルツだった。逃れようがない。
ブルワー子爵がその少女を踊りにかこつけ潰そうとしていたのは明らかだった。指をへし折ろうとし、足払いまでかけた。なのに、スカーレットは軽々とすべての猛攻を捌いた。
子爵は、動きが一瞬止まるコントラチェックのときに故意に彼女を押し倒し、後頭部を柱にぶつけようとさえした。殺意のこもった勢いだった。彼女の頭がトマトのように潰されたと思い、私は恐怖で身をすくめた。なのに柱は子爵の背に移動していた。
「あら、手を伸ばす場所が間違ってませんこと? 踊りの姿勢を矯正してくれるおつもり? でも、ご遠慮しますわ。私、踊りには自信がありますので」
スカーレットは上半身をそらしたまま茶目っけたっぷりな声でからかうが、その瞳の冷たさはおそろしいものだった。直前にわずかに逆スゥエイをかけて、子爵の目線と動きをつり、曲とのタイミングを狂わせたのだ。離れて見ていた私達にはかろうじて認識できたが、至近距離でされたブルワー子爵はなにが起きたかまるで理解できず、呆然としていた。
「では次はこちらの番ですわね。矯正してあげます。マナー違反とその歪んだ心をね」
スカーレットの挑発に子爵は激怒した。あの手この手を尽くし、彼女を潰そうとしたが、結果みじめに翻弄された。格が違いすぎた。子爵のたくらみを粉砕するたびに、スカーレットの肢体を彩るアトラスシルクのショールが流れ、烈火のように照り映える。彼女は余裕たっぷりで、ブルワー子爵を憐れむような笑みさえ浮かべたままだった。
襲撃をその場でかわしているんじゃない。彼女はこのヴェニーズワルツの回転を数センチ単位で、タイミングを秒単位で支配していた。まるで設計図どおりに組みこまれるパズルの手順を見せられているようだった。ブルワー子爵の暴力さえそのパーツのひとつにすぎなかった。彼がいくら躍起になっても数分前からすべて行動は読まれ、対処法も決められていた。
私達は背筋が寒くなった。
こんなの人間技じゃない。人の運命をもてあそぶ悪魔だ。
流れる赤髪と相俟って、スカーレットは地獄の炎をまとったようだった。とてもブルワー子爵の手になんか負える相手ではない。
圧倒的な炎の舞に、ブルワー子爵の目が次第に恐怖に凍りついていく。それは見学している私達も同じだった。怖い。スカーレットというあの少女がひたすらに怖い。理解も共感もまるでできない。
コーネリア様と違い、私達と同じ舞台で戦うことで、より異質さを際立たせる存在に、私達は目を離す勇気もなく、ただ震えることしかできなかった。
けれど、本当の恐怖は、ダンスの終了時に待っていたのだった。
【スカーレットの視点】
「……くそっ、なにが起きた……!?」
ぐううっと唸ると、床に首から叩きつけられたはずのブルワー子爵が、むくりと身を起こした。うっとおしそうに首をひねっている。
私は殺人者にならなかったことにほっとすると同時に、すさまじい違和感をおぼえた。
ひっと悲鳴を喉の奥で鳴らし、婦人たちが後ずさりした。ゾンビのような恐怖を感じたのだろう。
小太りの子爵はどう贔屓目に見ても体術に秀でているとは思えない。受け身なしで落ちて、なんで無傷でいられるの? ほんとは首の骨が折れてるのに、憤怒で気づいてないだけなんじゃ……。いつ頭がだらんと落っこちるか気が気じゃない。
「……ちびの小娘が……」
充血した目玉は私への憎悪で飛び出さんばかりだ。
女王時代に聞きなれた悪口を私はスルーした。
どうやらお母様とローゼンタール伯爵夫人のかわりに、私は彼の憎しみの独り占めに成功したらしい。
荒い鼻息が聞える。残念ながら彼は無傷らしい。そのきわめて頑丈な頸骨に乾杯だ。きっと将来悪いことをして死刑になるとき、首切り役人の腕を何度も痺れさせ困らせるだろう。迷惑なヤツは死ぬ寸前まで迷惑なものなのだ。
ぎりぎりと歯軋りの音が広間に響き、舞踏会の優雅なオーケストラの調べを台無しにした。不協和音がすぎる。せっかくお母様とローゼンタール伯爵夫人のダンスで最高潮に盛り上がっていたのに。空気を読まない男は嫌われるのよ。
私は鉄扇をぴしっと閉じた。
あんたはこの場にふさわしくない。だから、ガマガエルとダンスしたほうが楽しそうだけど、特別にお相手して、優雅につまみだしてあげる。覚悟なさい。
「……おまえみたいな未発達な女が、この儂の相手だと」
おい、今どこに視線をやってほざいた?
人には触れてほしくない話題があるのよ。
よし決めた。ダンスなんてまどろっこしい事はやめて、今すぐ処刑執行だ。
「やめろって!! おまえ、一応公爵令嬢だろ!! いきなり暴力沙汰はまずいって」
ええい、離せ!! ブラッド!!
女には戦わねばならぬときがあるの!!
暴れる私を羽交い絞めで止めながら、ブラッドがこっそり口にした。
「……やめとけって。あいつ、痛覚が麻痺してるみたいだし言動も変だ。なにしでかすかわからないから用心したほうがいい。選手交代だ、こういう手合いはオレの専門分野だ。脳を揺らして動きを止める」
成り行きを凝視していたセラフィもブラッドに同意した。
「ブラッドの言う通りです。あの男、嫌な気配の風に取り憑れている。以前に呪われた海域で、あんなふうに豹変した船乗りを見たことがあります。ここはボクらにおまかせを」
その言葉にアーノルドも厳しいまなざしで頷く。
「おお、思い出すぜ。悪霊憑きの幽霊船騒ぎのときか。あんときゃあ、暴れるのを数人がかりでも押さえつけられなかったけな。鏃をはずした矢で心臓を強打して仮死状態にさせたな。スカーレット、早く俺様達の後ろへまわったほうがいいぜ」
あんたら子供なのに色々と冒険を体験してんのね。
生きざまバイオレンスすぎない?
貴公子然としたセラフィも意外と武闘派なのよね。
さすが「108回」で女王の私を死に追いこんだ男達である。
敵にまわすとおっかないけど味方だとほんと頼もしい。
だけどね。私だって悪逆女王をつとめた身。よってたかって男の子に守られるなんて、私のキャラじゃないのよ。あ、でも無貌のアディスみたいなスーパー変態キャラが来襲してきたら、喜んで守られヒロインやらせていただきます。
「気持ちだけありがたく頂戴しておくよ。さっき言ったでしょ。ここは社交界。女の戦場よ」
私は赤髪を耳にかきあげ、嫣然とほほえんだ。
ここでブラッド達の手を借りれば、男の暴力の前には女が無力だと認めるようなものだ。それは悔しい。お母様とローゼンタール伯爵夫人、二人の素晴らしいダンスへの冒涜だ。そう、女にも意地ってものがあるのだ。
「だ、だけどよ、あんなヤツ相手に武器も持たず……」
危惧で顔を曇らせるアーノルドに、私は不敵に笑いかけ、くるっと華麗にターンした。
「……武器ならもう身に着けてるよ。女にとってはこのドレスが甲冑なの。そして剣は……」
「……わかったぜ!!」
よしよし、アーノルド、あんたもわかってきたじゃない。アホ呼ばわりはやめようかな……。
「その鉄の扇だな。それでスパっと喉笛を……。狙った獲物は、確実に息の音止めるってか。そして私の獲物を横取りするなってことだろ。さすが師匠の娘。おそるべきメルヴィルの血統だぜ……」
やっぱ、あんたはアホノルド!! おそるべきはあんたの頭のなかだ。人を勝手に殺戮マシーン認定するな。
お母様、うんうんと頷いて、誇らしげに胸を張らないでください。
「それでこそ私の娘。メルヴィルの女です。我らは狩人。羊飼いにあらず。獣との死闘のなかで命つなぐ者です。お祖母様、お母様、安心してください。メルヴィルの血統と生きざまは、まちがいなくこの子に受け継がれています……」
ご先祖へのご報告モードに入っちゃった。どうもメルヴィルがらみだとお母様は血なまぐさい変人と化す。普段はポンコツだけど楚々とした美人なのに。あのですね。私はメルヴィルの家督もあの破廉恥衣裳も継承する気さらさらないですから。
……さ、話進めよっと。
私は頬を紅潮させ、ご先祖へ祈りを捧げているお母様に向き直った。
「お母様、そのアトラスシルクをお借しください。優美さはときに暴力に勝るのだと、ダンスで証明してみせます。お母様とローゼンタール伯爵夫人のあのダンスの感動を、ないがしろにはさせません」
舞は剣よりも強し!! アトラスシルクのショールこそが私の武器よ。
「スカーレット、その気持ちは嬉しいけれど……」
「コーネリアさん。いろいろ理由はつけてるけど、スカチビは頭にきてるんだ。説得したってムダだよ。そしてこうなったスカチビはわがままだけど絶対無敵なんだ」
渋るお母様を、ブラッドが取り成してくれた。
セラフィとアーノルドも笑う。
「そうですね。スカーレットさんはボクにとって勝利の女神だ。負けるはずがない。心配などおこがましいことでした」
私は頬をまっかにしてしまった。セラフィ、やめて。女の子に「勝利の女神」発言は、照れ臭いなんてもんじゃないんだから。どうもセラフィは私を美化しすぎるきらいがある。「108回」で城落ちしまくった敗北女王としては気恥ずかしくてしょうがない。
「へっ、俺様は、まだスカーレットの底を見せてもらってねぇ。セラフィがそこまで心酔する理由ってヤツをたっぷり堪能させてもらわぁ」
それに比べるとアーノルドの悪たれ口はほっとする。「見てなさい。ほえ面かかせてあげるから」と切り返す余裕があった。
「スカーレットさんならきっとアーノルドが見たことがない景色を見せてくれる」
だからセラフィ、やめてって。ハードル無駄にあげないで。
でも不思議だ。こうしてこの三人とわいわいやってると妙にしっくりくる。まるで長年チームを組んでいたみたいな感覚だ。さっき無貌のアディスと戦闘したときも、すんなりと連携が取れた。「108回」でも対話をもっと試みていたら殺し合いは避けられたかもしれない。
私は頭を振って感傷を振り払った。
過ぎた過去に気を取られている場合ではない。
気を引き締めよう。
目の前には、私への敵意をみなぎらせ、ふしゅううっと鼻息を荒くするブルちゃん子爵がいるのだ。
「儂を放置しておしゃべりとは。いい加減にしろ、おまえら……」
まるでおあずけ食らった闘牛だ。私の赤髪が真紅の布に見えているに違いない。よく今まで待っていてくれたものだ。悪役の鑑だ。
「……スカーレット、無理はしないでね」
お母様が躊躇いがちにアトラスシルクのショールを手渡してくれた。私はそれを天女の羽衣のように羽織り、両端を腕から垂らした。
「お待たせしました。ブルワー卿。では私がダンスのお相手いたします」
「ふざけるな!! こんな小娘の相手をなぜ儂が……!!」
ブルワー子爵は顔中を口にして喚いた。まだ納得してなかったの? 私は大口開けたオオカミの前にたたずむ赤ずきんになった気がした。説得前に誰か傘を貸してくださいな。この人、唾と口臭がひどいのです。
どう説得するか思案していると、いくぶん血色を取り戻したローゼンタール伯爵夫人が割って入った。
「ブルワー卿。もし、その子が誰もが納得する踊りができなければ、私を自由にしていただいてかまいませんわ」
「……!!」
ブルワー子爵がまっかかな目を瞬いた。あれ? 狂気をおしのけ好色な光がよぎったよ。視線がローゼンタール伯爵夫人の顔と胸をいったりきたりしてる。
「あとで冗談だったと反故にする気では……」
探るような目つきだ。念押しするなんて、もしかしてエロで正気を取り戻したのか。エロは狂気より強し……。
ローゼンタール伯爵夫人は挑発するように笑った。
「今夜の主催者として、約束を破るような無粋はしませんわ。それに私、こう見えてギャンブルは得意ですのよ。そうやって先王様の寵姫にのぼりつめましたもの」
しばらくしてブルワー子爵はうなずいた。
「……よかろう。二言はございませぬな」
「先王に賜った薔薇の丘の名にかけて」
ブルワー子爵は納得した。
ローゼンタール伯爵夫人がそっと私に身を寄せ耳打ちする。
「あいつは必ず汚い手を使ってくるわ。気にくわない女達を何人もダンスにかこつけて潰してきてる。常套手段なの。注意なさい」
私を心配しての警告だったが、かえって私の闘志に火をつけた。戦いが男にとってときに譲れないものであるように、女にとっての社交界でのダンスは、ときに人生をほど懸けるほど大切なものだ。みんな必死に花開こうとするのだ。その気持ちを土足で踏みにじるなんて許せない。
「……女の敵ってわけね。じゃあ、潰された女の人達の無念も叩きこんでこなきゃね。負けられない理由が増えちゃった。心配無用よ。あなたが私に賭けたことは後悔させない」
髪の毛が逆立つほどに昂る。
困ったことに、私は誰かの報復を……と思うと燃えずにはいられないのだ。べつにいい人間ぶるのではない。それを免罪符に攻撃抑制がはじけ飛ぶのだ。私の心の奥底には危険な怪物が燻り、常に解放されるチャンスを窺っている。血で血を洗う王位継承戦、悪逆と呼ばれた女王時代、何度かおぼえがある。あのイカれたお父様の血を引いているのだ。じゅうぶんにありうることだ。うん、ちょっと落ちこみそう。
ローゼンタール伯爵夫人は眩しそうに、そして懐かしそうに私に微笑した。
「ふふ、心配なんかしないわ。だって、あなたの怒った瞳、ヴェンデル様にそっくりだもの。きっと、どんな不可能も可能に変えてしまうわ」
少女のような含羞が声の響きにある。遠い故郷を懐かしむような切なさも。
この人はもしかして……。
私は声に出して質問しかけたがやめた。ローゼンタール伯爵夫人が想いを秘めるなら、無理に聞き出そうとするのは野暮だ。
言わぬが花。行動をもって私も大輪の花を咲かせよう。
私はローゼンタール伯爵夫人にヴェニーズワルツをリクエストした。すぐに彼女が手をあげ、オーケストラに指示し、ゆるやかに音楽が奏でられだした。
ファーストダンスが終わったのでここからは全員参加だ。お母様とローゼンタール伯爵夫人は消耗著しいので、やむなくご休憩である。
ブルワー子爵と私も礼を交わした。私を殺しそうなまなざしだ。友好など母親のおなかに置き忘れてきたのだろう。可愛げと余裕のない男は嫌われるんだから。
平然と歩をすすめ身を寄せるのは、拷問器具の鉄の処女にとびこむほどの克己心がいった。
ぐいっと乱暴に私を引っ張り、ブルワー子爵が耳元でささやいた。
「これでもう逃げられん。後悔しても遅い。侮った報いを受けてもらう」
私はわざと歯をむいて微笑してやった。
「その言葉そっくりお返ししてあげる。でも勘違いしないで。今からおこなうのは躾よ。女を舐めるとどうなるか、頭の悪いブルドッグに教育するためのね」
相手が宣戦布告した以上、私も体裁を取り繕うのはやめだ。ここからは「108回」の悪役令嬢時代の毒舌全開よ。睦言のように囁き、くすくす笑ってあげると、ブルワー子爵のこめかみの血管がぴくぴく膨張した。ごめんね、ブルドッグ。こんなヤツに例えて。
「……っの……!!」
怒りのあまり言葉を失い、口をぱくぱくさせている。脳卒中になって死ねばいいのに。
「まあ、おかしい。ブルドッグから金魚にでも宗旨替え?」
私はすかさず追い討ちの高笑いをした。
「おほほ、卿はユーモアをご存じなのね。身のほどもね。ご自分を犬から魚に格下げするなんて。ローゼンタール伯爵夫人にしつこく言い寄るどこかの馬鹿子爵に見習わせてあげたいですわ」
言い合いで女に勝てるわけがないでしょ。もちろんダンスは続行したままだ。こんなことで息はあがらない。かつて〝雷鳴〟を踊りながら並み居る強敵たちを論破したことに比べれば児戯である。
「……!!」
怒髪天をつく状態になったブルワー子爵は、リバースターンしながら私を無理やりコーナーに押しこもうとした。初顔合わせでやることじゃない。マナー違反だ。ここは中央に移動してフレッカールが常道でしょ? というかふくらみすぎだ。このままでは曲がりそこなった車のように私は壁に激突する。
だけどムダよ。〝雷鳴〟に比べれば、こんな回転数の踊りはお遊戯だ。迫る壁を流麗にすりぬけ、平然と踊り続ける私に、あてがはずれたブルワー子爵は醜く顔をゆがめた。
「……!!」
はらはらしながら見守っていたローゼンタール伯爵夫人が小さく警戒の声をあげた。踊りの達人の彼女だけは気づいたのだ。ブルワー子爵が巧妙にステップを変え、私への踏み込みを逆にとったのを。高速回転はそのための布石だった。誰も目で追えないようにして、私をけつまずかせるためのトラップをしかけてきた。しかもこの向きとタイミング。そのままいったら私は顔面をロマリア風の柱にクラッシュさせたろう。なるほどブルワー子爵が踊りでの女性潰しを得意としているのは本当らしい。
……だけどね。あんたは喧嘩を売る相手をまちがえた。
私はカウンターでいやというほどブルワー子爵の足の甲を踏んでやった。ブルワー子爵が激痛に喚く。
「……痛風かしら。食生活に気を配ったほうがよろしくてよ」
不公平にならないよう右だけでなく左の足の甲も踏んでおいた。バランスがとれるようにという私からのささやかな気遣いだ。
まわりから見えなくなるのは、あんたの動きだけじゃなく、私の動きもなのよ。しかもこちらはロングスカートの目隠しつきだ。有利すぎて笑いが出る。格上相手に罠をはった愚かさを思い知るがいい。そして感謝なさい。その気になればヒールで骨を粉砕できたのに手加減、いえ足加減してあげたんだから。
「まだ夜はこれからよ。躾もね……」
嗤いかける私を、アーノルドが瞬きしながら眺めていた。金色の目がとびだしそうだ。褐色の肌が蒼白になっていた。
「……こえぇ……。俺、絶対にあいつと喧嘩はやめとこう……」
ちょっと!! 俺様キャラを崩すほど怯えないで!! この挑発は半分わざとよ!!
そしてアーノルドだけではない。ブルワー子爵が大声を出したせいで、赤の貴族達の大半が踊りを中断し、私達の踊りを注視していた。ま、こうなるのを狙ってわざとやったんだけどね。
「注目の的ね。もう逃げられない。公開処刑されるのはどちらかしら」
私が煽るとブルワー子爵は喉の奥を鳴らした。うめきに怒りだけでなく恐怖が混じっていた。追いつめるつもりが追いつめられていたとやっと気づいたらしい。
そこからのブルワー子爵は滅茶苦茶だった。
私の手を引っぱって体勢を崩そうとするわ、露骨な足払いをかけてくるわと、もうなりふり構わずだ。もう踊りの体をなしていない。対して私は逆に中心軸さえ崩さず、悠々とダンスを続けた。ブルワー子爵の手首の関節をきめ、動きの流れで背筋をコントロールし、足払いもステップに数え、踊りのなかに組みこんだ。さあ、ここから少しづつ心を折っていこう。
ブルワー子爵は満面冷や汗びっしょりになってきた。
わけがわからないだろう。組んだホールドをふりほどくどころか、腕の角度さえあっという間に矯正され、強制的に踊りを続行させられているのだから。邪悪な魔法でマリオネットにでもされた気がしているはずだ。
「もう終わり?」
私は恐怖をあおるべく悪役令嬢らしいおそろしげな笑みを浮かべてやった。
お馬鹿さん。なんのために私が密着するワルツを選んだと思ってるの。
武術の達人は片手を握るだけで相手の動きを予測できるという。
私だってダンスはそれなりに極めているのよ。
掌に肩甲骨、上腕、互いの手の握り、それに接触している上半身。これだけボディコンタクトしていれば、あんたの次の動きなんて目をつむったって筒抜けなの。いくらでも対処できる。
コントラチェックの隙をついて、私の後頭部を柱にぶつけようとしてきたときも、数分前から意図が見え見えだった。だから同じ速度を続けて目を慣らしたところで、わざと逆に動き、意識をひきつけ、そこで回転速度を変えた。当然今までと同じテンポのつもりで踊ればずれる。だが子爵は気づけなかった。私と子爵の位置は入れ替わり、私の後頭部を斜めふりおろしする予定だった柱を見失い、子爵は仰天していた。
私はため息をつきそうだった。歯応えがなさすぎる。お父様なら絶対に引っかからない。こんなの一手先しか読めないチェス初心者を熟練者が相手するようなものだ。もうちょっと楽しませてよね。無理か。驚愕で呼吸を忘れてチアノーゼ起こしかけてる。しかたない。締めに入ろう。
「私とホールドをつくったときから、いえ、私を踊りで潰そうとしたときから、すでにあんたの敗北は決定していたの」
私が勝利宣言をするとブルワー子爵が顔をひきつらせた。
もう怒鳴る気力も失ったらしい。
お母様から借りたアトラスシルクのショールが、私が回るにつれて赤く輝く。私の好きな回転数ができている証拠だ。赤の貴族達が大きくどよめく。お母様にはさすがに無理だったが、これがのちの社交界でアトラスシルクがもてはやされた真の理由だ。一定の速さでまわすと特定の色を発光する不思議な性質があるのだ。アリサが得意としたのは青で私は赤だった。それは踊りを極めたという免状がわりでもあった。ハイドランジアの宝石と私がたたえられたのは、ルビーという輝石名と紅い瞳と赤髪という外見、そして踊りの際のこの赤い輝きにある。
……もちろんブルワー子爵の関節をきめるときは、このアトラスシルクの輝きに紛れてこっそりやっている。目立つものに観客の目をひきつけ、本命の動きから目をそらす。マジックの基本である。
私は勝利を確信し余裕しゃくしゃくだった。曲ももう終わりに近い。剣山のように並び立つ豪華な金の燭台の向こうのお母様たちを安心させるため笑顔を向けた。その一瞬の気のゆるみがいけなかった。
「……燭台で……串刺しになれ!!」
ぐんっと体全体がひきあげられた。フレッカールの遠心力が最高潮のところで私の足がふわりと浮いた。ブルワー子爵が私を空中に放り投げた。読み合いで到底勝てないと悟り、踊りを捨て、盤面をひっくり返す禁じ手に出たのだ。落下先には槍の穂先のように燭台の先端がぎらりと光っていた。
しまった……!! まさか衆人環視のなかで殺人行為をしてくるなんて。恐怖で追いつめすぎたんだ。殺らなければ殺られる心境だったのだろう。怯えて痙攣しているブルワー子爵の顔を見たとき、もっと警戒しておくんだった。
「スカーレット!!」
お母様とローゼンタール伯爵夫人が悲鳴をあげ、危機をすでに察知していたブラッド、セラフィ、アーノルドが飛び出していた。
だが、わずかに間に合わない。このままでは私は落下し、背中はチーズのように穴だらけになるだろう。……なのに私の心は静かだった。
なぜかアリサの舞を再び思い出した。
そういえば、「108回」でアリサは手ひどいいじめを受けていた。私が一緒で睨みをきかせているときは大丈夫だったが、ある夜、私の名前を騙った舞踏会にほいほいと連れ出された。私が会場に駆けつけたときには、令嬢と貴婦人たちの意地悪な笑い声のなか、アリサは今の私とまったく同じ窮地にあった。燭台こそなかったが、床で怪我をしてもかまわない勢いで、アリサは宙に投げ出されていた。
思い出せ。あのとき、アリサはどうした……!?
稲光が閃いた気がした。時間感覚が遅延する。私の体が勝手に動く。どうすればいいか、まるであらかじめ決められていたように。鮮やかに脳裏に焼きついたアリサの動きを私はトレースしていた。
そうだ。あの光景を見たとき、私は踊りにおいてだけはアリサに一生かなわないと思い知らされたのだ。
私は両手足をひきつけた。遠心力すべてが速度に変わった。そして回転の進む方向をコントールした。アトラスシルクのショールが赤い竜巻となる。私は遠く離れた宙に舞わなかった。呆然としているブルワー子爵の身体に沿うようにスピンした。滞空したままブルワー子爵の背中を経由し、弧を描いて再び彼の真正面に飛びこんだ。まるで独楽のようにだ。スカーレット号、無事帰還に成功セリ。ブルワー子爵からすれば私がいったん消え、瞬間移動して帰ってきたようにしか見えなかったろう。
そこでちょうど曲が終わったので、私は何事もなかったようにエレガントに礼をした。
複雑だ。まさかお花畑アリサに助けられる日がくるとは。
ブルワー子爵が口をぱくぱくする。酸欠金魚復活だ。
「……なんなんだ……おまえは……!!」
驚きのあまり目玉がずれ落ちそうだ。しぼりだした言葉はかすれて震えていた。
私は髪をかきあげて微笑んだ。
「礼儀知らずね。仮にもパートナーをつとめた相手に、終了の礼どころか、そんな見世物の化け物を見る目を向けるなんて。まだ躾が足りなかったかしら」
「ば、化け物が……!!」
ブルワー子爵の顔こそ見物だった。いかに私が理不尽な存在か死人の顔色で訴えようとしたが、志半ばで白目をむいて泡をふき、どおんっと派手に昏倒した。
「あら、夜はこれからなのにもうお休み? 元気を出してもう一曲いかが?」
立てるわけがない。私は回転しながら、彼の無防備な延髄に後ろから肘を入れたのだ。
戦慄が止まらない。すんでのところで手加減できたが、あのまま感情の昂りをまともにぶつけていたら、私は子爵を殺していた……!!
「……私の相手には力不足よ。女の足元に這いつくばる気分はどう? 床の冷たさで頭を冷やして、これからの生き方を見直すことね」
わざとらしい苦笑を浮かべることを成功したが、私は膝の震えが抑えられず、歩き出せなかった。自分のなかにひそむ獣と一瞬だけどまともに相対してしまった。そいつはブルワー子爵などとは比較にならないほど凶悪で危険だった。
しいんと水をうったようにあたりは静まり返っていた。
自分がなにを見せつけてしまったか否が応でも自覚させられる。
ああ、この孤独感にはおぼえがある。「108回」の女王時代にさんざん味わったよ。私の本性を知っても変わらぬ親愛の情を向けてくれたのは、マッツオやエセルリードなど一握りの側近だけだった。
沈黙を破ったのは意外な人物だった。
「すげぇな!! スカーレット!!」
大袈裟に賞賛しながら、大股で歩み寄ったアーノルドががっと私の両肩を掴んだ。しかし単細胞の能天気からではない。小声で他のみんなには聞こえないよう呟いた。
「おまえはなにも悪くねえ。だから、もう震えるな」
アーノルドは私の押し殺した恐怖を見抜いていた。
「……でけえ力をもったヤツがその力に怯えるのは、そいつがいいヤツだからだ。おまえの震えは俺が全部持っていってやる。俺は、俺達は、おまえという人間をよく知っている。味方は大勢いるんだ。迷ったときは思い出せ。おまえはひとりじゃない。怖がることなんて何ひとつねぇ」
理論のかけらもない暴論なのに、なぜか耳に心地よかった。
……こいつが本気で言ってるからだ。
有無をいわせぬ情熱的な金の鷹の目。その熱にあてられてか、そこに映る私はもう怯えていなかった。きょとんとした等身大の自分自身がおかしくなり、私は笑ってしまった。
「それよそれ。不敵に笑ってこそ……スカーレット……ってもんだぜ」
ああ、思い出したよ。アーノルドは本気で語るとき、「俺様」じゃなく、「俺」って言うんだ。そして、私の名前を少し照れながら口にするのを見て、私は不覚にも、このバカをちょとかわいいと思ってしまった。
「……アーノルド、レディにむかって不敵な笑いはないだろう。だけどボクも同感だ。スカーレットさんの笑顔を守りたいと心から思う。商人としての打算抜きでも、あなたの笑顔はボクの宝物だからです」
セラフィが私の片方の手を取り、腰を折ると、恭しく手の甲に口づけした。礼儀正しいが、エメラルドの瞳の奥にはアーノルドに負けない炎がある。そのギャップに私の胸はどぎまぎした。顔が火照る。ずるいよ。セラフィはこういうこと大真面目にやってのけるんだもん。
ところでさ。私の夢って引きこもりなんだけど……。
セラフィ、私と一緒に自宅警備員する気? 入り婿になっちゃうよ。セラフィを高評価しているお父様が大喜びしそうだ。きっと愛するお母様に異国のプレゼントとかしようと、セラフィに無茶ぶりをすることになるだろう。
次に私の頭がぽんぽんと優しく叩かれた。
いつも変わらず、にかっと底抜けに明るく笑いかけるブラッドだった。
「……ま、そういうこと。だからさ、ひとりで悩みを抱えこむな。スカチビは頭いいけど、出来ないことだって、たくさんある。そんなときのためにオレ達がいるんだ。もし万が一、おまえが間違った道に進んじまったときは、オレ達が命がけでも止めてやる。今なら三人セットのスマイルつきでお買得だぜ。おひとついかが? お姫さま」
悪戯っぽくウインクする。
「だからさ。安心して思いきって色々やっちまえ。スカチビらしくさ。心配ない。いつも後ろでオレ達が見守ってるから」
セラフィとアーノルドもうなずき笑顔を向けた。
ふわっと身体の芯があたたかくなり、強張りがほどけ楽になったのは、ブラッドが血流操作をほどこしてくれたからだけではない。
享年二十八歳のおねえさんには、頼れる男の子達の思いやりが胸にしみるんだ。
ブラッドは床で気絶しているブルワー子爵を一瞥した。
「……それからな。その困った貴族のおっさん。しばらくしたら目を覚ますぞ。応急処置はしといた。そっちも心配いらないよ。後遺症もだいじょうぶ。しっかし見事なスカチビの一撃だったな」
まったく気が回りすぎるくらい回してくれるんだから。
医者いらず。歩くなんでも屋。一家に一台、ブラッド君である。
三人ともあんまり私に優しくしないでよ。「108回」のときみたいに敵味方に分かれたら私ぎゃん泣きしちゃうじゃない。まったく赤ちゃんからやり直したせいか、どうも涙もろくなっていけない。
「すばらしいものを見せてもらったわ」
ぱんぱんと拍手が響く。赤の貴族達がざっと道を開けた。ローゼンタール伯爵夫人が微笑んで歩み寄ってくる。お母様も一緒だ。伯爵夫人は床で伸びているブルワー子爵にちらっと目をやり、こっそり私に耳打ちした。
「すっとしたわ。ブルワー子爵は〝十四年後〟もこういう性格なの。今回の件で懲りて、少しは反省してくれるといいのだけれど」
「???」
はて、どういうこと? 言葉の意味がわからず、私がきょとんとしているあいだに、ローゼンタール伯爵夫人は、ひとりの貴婦人を手招きし、私達に紹介した。彼女は待ちかねたようにやってきた。才気と勝気さが目の輝きでわかった。さっきお母様にまっさきに駆け寄ってきた人だ。
「こちらヨーク卿夫人。上昇志向が強くて策謀が大好きな困った人だけど、頭は切れるし、認めた相手は絶対に裏切らない。ダンスが大好きなの。コーネリア様のいい友人になると思うわ」
むちゃくちゃな言われようだが、ヨーク卿夫人は誇らしげに胸を張った。ローゼンタール伯爵夫人の太鼓判が嬉しいらしい。金色がかったブラウンの艶やかな髪が揺れる。ちびで小生意気なヨークシャ・テリアというイメージだ。そしてたしかにお母様に惜しみない尊敬のまなざしを注いでいる。だけど、なぜか私をちらちら横目でおっかなびっくり探ってるのよね。まるで猛獣が襲いかかってこないか確かめてるみたいだ。心外だよ。こんな美少女に。
そのうち安全と判断したのか、ヨーク卿夫人は仲間たちとお母様を褒めちぎりだした。アイドルみたいにちやほやされてお母様は目を白黒させている。特にヨーク卿夫人は会話だけでは足りぬとばかりスキンシップまで敢行している。この人、アリサみたいに百合っ気があるんじゃ……。引き籠っていたお母様には荷が勝ちすぎ、応対もしどろもどろだ。幻滅されるのではとやきもきしたが、彼女達はむしろ慈しむまなざしで盛り上がっていた。こりゃ、あばたもえくぼ状態だ。
見かねたローゼンタール伯爵夫人が解散を命じなければ、そのままお母様を拉致し、二次会に突入しかねなかった。ヨーク卿夫人たちは名残惜し気に立ち去ったが、興奮さめやらず、遠くできゃあきゃあ盛り上がっていた。このままほっといたら「コーネリア様伝説」をあちこちで吹聴しかねない。控え目なお母様が羞恥で死ぬ。
でも、さいわいなことに、今夜の舞踏会は一夜の幻。
ローゼンタール伯爵夫人の魔眼が解ければ、誰もなにもおぼえていないはずだ。
だが、お母様の静かな日常は守られるという目論見を、ローゼンタール伯爵人は否定した。
「……たしかに今夜の舞踏会は、私の魔眼で十四年前を再現したものよ。でも、ただの幻じゃないわ。起きた出来事は、本当のこととして参加者の記憶に上書きされるの。コーネリアさんをいじめた記憶の代わりにね。両方の出来事をおぼえている例外はあなた達だけになるわ」
えっ!?、つまり、それは……。
驚く私にローゼンタール伯爵夫人はうなずいた。それからお母様に向き直った。
「私が魔眼を解いたあとも、コーネリアさんが舞踏会で〝雷鳴〟を踊り、絶賛されたという記憶はみんなに残るの。私からのささやかなプレゼントよ。これで、もうあなたを侮る赤の貴族はいない。こんなものが、長く苦しんだあなたへの償いになるとは思わないけど……」
この人は、お母様の未来のために、命をかけてこの舞踏会を開催したのか……!!
ローゼンタール伯爵夫人は身を折って苦しそうに咳きこみ、あわててお母様が支えた。その顔色が曇る。扇でさっと隠したがローゼンタール伯爵夫人は吐血していた。お母様に寄り添われ、なんとか長椅子にたどりつき腰をおろしたが、背もたれと肘掛けのおかげでかろうじて身を支えているありさまだった。
「……限界の時間がきたようね。ざまあないわね。悪業の報いだわ。ろくな死に方はしないと覚悟はしていたけど」
苦笑するローゼンタール伯爵夫人の手を、お母様は涙を浮かべて握った。
「……いいえ、ローゼンタール伯爵夫人、あなたは私に十分よくしてくれました。きっと……十四年前のあの夜だって……!! 私が、もっと早くその優しさに気づいていれば……」
伯爵夫人が、そっと指先でお母様の涙をぬぐう。その指先は震えていた。たったそれだけの動作でさえ負担になるほど伯爵夫人は一気に衰弱していた。それでも悪ぶるのをやめない。お母様の心の負担を少しでも軽くしようとしているのだ。その優しい強がりは私達の胸を強くうった。
「……学習能力がない人ね。教えたでしょ。簡単に感情を面に出すなって。私みたいな悪い女のために泣くもんじゃないわ。……気恥ずかしいったらありゃしない。地獄いきの女は嘲笑で見送るものだわ。涙ってやつはね。友達との別れに流すものよ……」
その言葉に、お母様は床に膝をつき、握ったローゼンタール伯爵夫人の手を胸におし抱いて、泣き笑いを浮かべた。
「……だったら、私が泣くのは正解です。きっと十四年前のあの日から、ずっと私達はお友達だったのです。お互いに気づかなかっただけで。……あなたは、優しくて誇り高い……私の……自慢の親友です。今までも、これからも、ずっと……」
涙声のお母様の声は、最後らへんは途切れ途切れだった。ローゼンタール伯爵夫人は、蒼白な顔のまま、妹を見守る姉のような笑みを見せた。
「……本当に空気を読まない人ね。……死に際にそんな嬉しい言葉をくれるなんてずるいわ。……ずっと、あなたを守ってあげたいと思っちゃうじゃない……。だけど、もう……」
そしてローゼンタール伯爵夫人はここでない遠くを見た。それは彼女が失った過去の情景だった。窓から差しこむ月の光が、彼女の寂しいほほえみを照らす。
「……死にたくないなあ。……もっとあなたの力に……。……悔しいなあ。私、いつも中途半端だ……ねえ、ロニー、テディー、こんなダメなおねえちゃんだけど、どうか、あの世で会わせてね。私、いっぱい……謝らなきゃ……」
伯爵夫人の意識が混濁しはじめた。口調が昔のロナに戻ってる。ヘーゼルの瞳が灰色に褪せていく。人が亡くなる直前の現象だ。
「ローゼンタール伯爵夫人!! ブラッド!! なんとかして!!」
お母様が悲鳴をあげ、すがるような目でブラッドを見た。ブラッドは伯爵夫人の首筋に触れ、すぐにすっと立ちあがり、静かにかぶりをふった。
「……オレにも苦痛を少しやわらげることしか出来ない。もう逝かせてやろう。この人はコーネリアさんのために命を燃やし尽くしたんだ。とっくに死んでいても不思議はないのに、気力でもたせてたんだよ。奇跡でも起きない限りはもう……」
お母様とブラッドの声も、すでにローゼンタール伯爵夫人には届いていなかった。彼女は指先を伸ばし、まさぐるようにして、自分の髪を飾る古びた薔薇のコサージュを探し当てた。伯爵夫人は恥じらうような微笑を、おずおずと浮かべた。
「……私の……薔薇……」
血の気を失った頬にかすかに赤みがさした。
「……もう一度だけ……あの人に……会いたかっ……たな……」
やっと聞き取れる声でつぶやく。お父様のことだと、私とお母様は直感した。朝露のような涙が伯爵夫人の頬を伝った。瞼がゆっくりと閉じられていく。命の火が消える……!!
私達はその様子を黙って見守るしかなかった。握りしめたルビーも応えてくれない。悔しい。私はなんて無力なんだろう。長い誤解を経てやっとわかり合えたお母様と伯爵夫人なのに。ふたりの友情ははじまったばかりなのに。早すぎる別れをただ指をくわえて見ているしかできない。
「……お願い、目を開けて……!! ……ローゼンタール伯爵夫人……!! 報われないまま逝っては駄目よ……!! 神様……!! こんな悲しい結末って……!! これが、自分を捨てて他人に尽くした人への仕打ちですか……!? 」
お母様だけがあきらめきれず、伯爵夫人を抱きしめて慟哭している。
「……お母様……」
私が唇を嚙みしめたときだった。
「……コーネリア!! 無事か!!」
風をまいてお父様が舞踏の間に飛びこんできた。黄金の燭台の輝きが、端正な顔と鮮やかな紅い瞳と赤髪、そして赤い乗馬服を照らし出す。時間が静止したようだった。絵画を思わす光景に、閉じかけていたローゼンタール伯爵夫人の目が大きく見開かれた。
お父様はお母様を見つけ、ほっとした表情をしたが、抱きかかえられているローゼンタール伯爵夫人を見て、なにが起きているか理解できず困惑していた。説明を求めるように私達を見回し、まなざしが伯爵夫人のつけている髪飾りに止まった。一瞬いぶかしげに小首を傾げたあと瞬きし、稲妻にうたれたような驚愕の表情が広がった。
お父様の目の紅い虹彩が、ローゼンタール伯爵夫人のヘーゼルの瞳とブルネットの髪をはっきりと捉えていた。よろけた身体と呻きが、お父様の受けた衝撃を物語った。お父様は憎んでいたローゼンタール伯爵夫人が誰だったのか悟った。
「……君は……まさか、ロナか……? ……そうだ。間違いない。その瞳と髪の色はロナの色じゃないか……!! くそっ、どうして僕は今まで気がつかなかったんだ……!!」
おのれを呪いながら愕然として駆けてくるお父様は、いつもの取り澄ました表情が剥がれ、少年のように懸命な顔をしていた。
「……ヴェンデル……さま……」
ローゼンタール伯爵夫人の瞳に光が戻り、あらたな涙がこぼれ落ちた。伸ばした指先が、お父様の手と触れあった。
「……ロナ、君は、僕の贈った髪飾りをずっと持っていてくれたのか。こんな古びたものを、何十年も……!! それなのに、僕は君だと気づかずに……それどころか、妻の仇と君を憎んで……!! すまない……!!」
色褪せた薔薇のコサージュの色が年月を物語っていた。
ローゼンタール伯爵夫人は優しくかぶりをふった。
「……いいんです。私はこんなに汚れてしまった。……わからなくて当然です。でも、ヴェンデル様は私をおぼえていてくれた。見つけてくれた。だから、もう泣かないでください……だって、私、今、きっと世界中の誰よりも、しあわせですもの……」
後悔に慟哭するお父様の髪を、ローゼンタール伯爵夫人がそっと撫でる。
その気恥ずかしそうなほほえみは、もう思い残すことはないというように満ち足りていた。宮中の毒婦とおそれられた面影など微塵もなかった。
彼女はやっと本当の自分に戻れたのだ。
悪女の仮面をかぶってのつらく長い旅路は終わった。
奇跡は起きた。
神様は、最後の最後に、ロナに、ローゼンタール伯爵夫人の一途な初恋に、正しく報いてくれたのだった。
お読みいただきありがとうございます!!
今回もバトルシーンなしです。
もう少しこのまま続けさせてください。
次回もよろしかったら、またお立ち寄りください!!




