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冬の薔薇が咲くとき。初恋の想いは時をこえて……。

ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!

【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】2巻が発売中です!! 鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさま発刊です!! 1巻ともども、どうぞよろしくお願いします!! ちなみに連載誌は電撃大王さまです。


またコミックウォーカー様やニコニコ静画様で、3月3日の11時から、14話①が無料公開予定です!!


アリサとソロモンが仲たがい!? 魔犬襲撃の裏で錯綜する思惑とは!? ピクシブ様やピッコマ様で読める回もあります。もちろん電撃大王さまサイトでも。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。他に公開してくださってるサイトがあればぜひぜひお教えください。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!! 原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です!!

「……あはっ、アディス。ずいぶん手ひどく痛めつけられたものね。仮面がヒビだらけじゃない。おまえはあるじの私から賜ったものは大切にできる人間と思っていたけど。……私の買い被りだったかしら」


幼女は金髪をなびかせ、口元を三日月の形につりあげた。凍てついた瞳の光は、胸元のブルーダイヤと同じ底知れぬ蒼色だ。百万の責めよりおそろしかった。


「め、面目次第も、ございまセン……!!」


その前にひざまずき、肩を震わせ、うなだれる白ずくめのタキシードの長身の怪人。そののっぺりした仮面は、敗北のあかしとしててあちこちがへこみ、砕け、もはや原型を留めていない。


アリサとその配下の無貌(むぼう)のアディスである。


稲光の閃きが、影絵のようにふたりの姿を映し出した。

入り組んだ森の木々が、嘲笑する観客のように揺れる。

敬愛するあるじの前で醜態をさらす屈辱に、アディスはわなないた。


「こ、の、汚名は、再戦、をもって、必ず(そそ)ぎ……」


アディスは必死に訴えた。


仮面と顔のあいだから冷や汗が落ちる。ろれつがまわっていない。ブラッドの身体を借りて顕現した「彼」に負わされたダメージから回復していないのだ。


だが、アディスは、いまだスカーレットとブラッドのコンビに敗北したとは思っていない。規格外の「彼」に手も足も出なかったのは認めざるをえない。何度戦っても勝てる気がしない。しかし、あのふたり相手なら圧倒していた。格下と侮ったのが失敗だった。今度再戦するときは、いたぶったりせず、一気呵成にスカーレットの首を取れば楽勝だ。そうアリサに言い訳した。


黙って耳を傾けているアリサの眉間がだんだん険しくなる。


「愚かものが……!!」


吐き捨てると、くるんっと可憐にターンし、もみじのように小さな掌で、アリサはアディスの頬を軽く叩いた。ぺちんという音が聞こえてきそうだ。お遊戯会を思わせた。何も知らない大人達が見ると、いたずらな天使のようだと顔をほころばせたろう。


だが、そばに控え、固唾をのんで成り行きを見守っていた他の七妖衆(しちようしゅう)は、地獄を目撃したようにまっさおになった。暗い森を落雷のような轟音がつんざいた。


「……ぐわッ!?」


アディスは絞殺された鶏のような悲鳴をあげた。仮面がゆがみ、足がぶわっと浮きあがる。長い四肢がでたらめにがくがくと震え、勝手にあらぬ方向にねじ曲がっていく。アリサが平手打ちにこめた「狂乱(きょうらん)」が、アディスの体内で荒れ狂い、神経と骨と筋肉を翻弄しているのだ。四方八方から雑巾絞りにかけられているような異様な光景だ。アディスは赦しをこうこともできず、空中で泡をふいて悶絶のダンスを踊った。


「この私の七妖衆が、よりにもよって敗北の言い訳だと? おまえは私に恥をかかせた。その腐った性根、一滴残らず絞り出してくれる」


アリサの瞳が蒼い怒りに燃える。


「アリサ様!!」


見かねた幻影城のファンダズマが立ち上がったとき、アリサは無造作に手を振り上げた。


「……ふん、忠臣に失望させられると、こたえるものね。心配しなくても殺しはしないわ。ただの軽いお仕置きよ」


身体がねじきられる寸前に、アディスは「狂乱」から開放されたが、その体は宙に放りあげられた。きりもみ状態で下に叩きつけられる。


「自らおのれに罰を与えなさい」


アディスはそのまますさまじい勢いで旋回し、体全体で地面を削り取った。筋肉が勝手に暴走し、アディスを自滅においこんでいく。固い仮面と石がぶつかり火花が散った。スカーレット達を大苦戦させた魔人がまるで赤子扱いだ。


「……ガ……!! ……ごッ……!!」


摩擦熱によるつんとした臭いを漂わせ、ぐったりと地に伏して痙攣するアディスをアリサは見下ろした。凍てつかせるようなまなざしが、ふとやわらぐ。


「でもね、アディス、『彼』から逃げずに挑んだことは評価するわ。たとえ恐怖で泣き叫んだとしてもね。あれほど高い壁はそうはない。だから、ここまでにしてあげる」


実際アリサはこれでも手加減していた。その気ならアディスは死んでいた。強敵〝マザー〟とやりあったばかりで、アリサのリミッターははずれたままだ。今のアリサは抜き身の刀よりはるかに危険だ。気分ひとつで、超人ぞろいの七妖衆でさえもあっさり殺せてしまうのだ。


「アディス、ひとつ忠告してあげる。今の心構えのままでは、あなた、これから何度やってもスカーレットに勝てないわ。たとえ彼女ひとりが相手でも」


アリサは胸のブルーダイヤを指先でつまむと、そっと口づけした。


「不服そうね」


無理もない。アディスだけでなく、他の七妖衆もさすがに素直にその言葉をのみこめなかった。あの小さな令嬢ひとりに遅れをとるのでは、七妖衆の誇りなどあったものではない。


「……言葉でいっても理解しづらいでしょうね。いいわ。立ちなさい。真実は苦いゆえに自分では呑みこみづらいわ。私があなたの身体に直接叩きこんであげる」


命令に従い、アディスはよろよろと立ちあがった。三半規管が衝撃を受け、平衡感覚を失っているため、ぐるんぐるんと奇怪に上半身を回転させながら、千鳥足で左右にふらつく。こんなグロッキー状態でアリサとやりあうなど自殺行為だが、彼ら七妖衆は、アリサへの忠誠に命をかける。言葉にそむくという選択肢はない。


「あはっ、安心なさい。処刑する気はないわ」


アディスがアリサの勘気に触れたのではと、蒼白になった七妖衆に、アリサは口元をつりあげた。


「……代わりに、おもしろいものを見せてあげるわ」


手にしたブルーダイヤがあやしい黒々とした光をほとばしらせ、輝く闇でアリサを覆う。闇が晴れたとき彼らは仰天した。


「いかが? 素敵なお召し替えでしょう」


そこにいたのはアリサではなく、赤髪をなびかせ、紅い瞳を挑発的に光らす幼女姿のスカーレットそのものだった。本人と違っているのは、首からさげているのがルビーではなく、ブルーダイヤのペンダントというところだけだ。


「スカーレット本人と同じ身体能力で相手してあげる。遊びましょ、アディス。本気でかかってきなさい。妙な手加減などしたら……おまえを殺すわ」


いや、その冷酷無比な瞳の光も、本物のスカーレットには持ちえないものだった。逡巡するアディスの背筋を氷の刃が刺した。


「……ひッ、ひああああッ!!!」


追いつめられたアディスは奇声をあげ、優雅な歩みで近づいてくるスカーレット姿のアリサに襲い掛かった。見学している七妖衆は戦慄した。アディスは本気だ。


「心地よい殺気ね」


スカーレットの顔をしたアリサが嬉しそうに笑う。


アディスの姿がぶんっと霞んだ。踏み込み技の〝刹那(せつな)〟で急加速したのだ。あわせて〝幽幻(ゆうげん)〟で隠蔽した見えない剛腕が走る。加速と不可視の攻撃のあわせ技だ。背筋が寒くなる爆裂音がした。さきほど一撃で、完全武装の王家親衛隊をまとめて戦闘不能にした以上の威力だ。


「まあ、かくれんぼ? それとも鬼ごっこ(イット)かしら? こわいこわい」


アリサはわざとらしく両手で口元をおさえ、そうおどけてみせるが、見ている七妖衆は気が気ではない。いつものアリサなら問題ないが、スカーレットの身体能力は人間の範疇にとどまっている。それを模倣した今のアリサでは、かわすことも耐えることもかなわない。一瞬で血みどろの肉塊と化す。


「ふふ、でも悪くない選択よ。不可視の鬼の攻撃というのはね……」


アリサは目を細め、アディスの苛烈な決断を褒めた。


「……でも残念ねえ。先に捕まったのはあなたのほう」


アリサは口元をゆがませた。


「……がッ……!! ごごッ……!!」


アディスは電撃にうたれたように硬直した。


七妖衆達は驚愕のなかで見た。


アディスの背中にきらめく青い輝きがあった。


いつのまにかブルーダイヤのペンダントがアリサの手を離れ、アディスの背に、凍える光と鎖をまとわりつかせていた。


「勝負ありよ。いつ投げつけられたか感知できなかったでしょう? 何故かわかる? このブルーダイヤも、あの子のルビーも、あなたの〝幽幻〟より上の性質をもつからよ。だから、持ち主が使いこなせば、あなたレベルでは見ることも感じることも出来なくなるの。〝マザー〟や『彼』クラスなら話は別だけどね」


呪いで金縛りになったアディスに、アリサが凄愴にほほえんだ。


「あはっ、なぜ一度、スカーレットに同じような手をやられたのに、教訓を生かせなかったかわかる? 彼女を格下と侮るからよ」


アリサが指先を向けると、ブルーダイヤはひとりでに空を飛び、その手の中に収まった。


「さあ、アディス。ぶつかり遊びに負けた独楽(コマ)は、みじめにはねとばされるのが運命。向上心のないお馬鹿さん。風で頭を冷やして反省なさい」


アリサに向けるはずだった全運動エネルギーを、反動も含め、すべてアディスはおのれで受けることになった。もんどりうちながら宙に舞う。


「あはははっ、飛んだ飛んだ」


アリサが手を叩いて笑う。


アディスはうなりと悲鳴をあげ、縦回転しながら血しぶきと泡を撒き散らす。


七妖衆達は震撼した。


アリサの行動にもだが、言葉が真実と悟ったからだ。


一方的に攻撃できる行動隠蔽技の〝幽幻〟は、感知されない限り無敵だ。だが、より上位の〝幽幻〟もちには通用しない。逆に手も足も出せず、完敗する。アディスが、ブラッドに顕現した「彼」にいいように翻弄されたとおりだ。これはまさしくその再現でもあった。


アリサや〝マザー〟、それに「彼」と同じ高みに立てなければ、自分達は遠くない未来、スカーレットに一方的に叩きのめされる。その事実は七妖衆のプライドをうちのめした。


「勝てない意味を思い知ったかしら。これに呪いという一撃必殺が加われば、スカーレットはおそるべき強敵に進化するわ。じきにスカーレットはルビーを自在に動かせるようになる。きっかけさえあればすぐにでもね。すでにその兆候はあったでしょう」


アリサが問うたのは、先ほどスカーレットのやった、自動的にルビーが戻ってくることを利用した奇襲のことだ。だが、今のアディスには答える余裕などあろうはずがなかった。


「……ッ!!」


受け身もとれず遠心力で手足を振り回しながら、アディスは木立に激突した。幹や枝をへし折りながらも勢いは殺しきれず、地面を削っても回転はなお止まらない。


「あははっ、楽しそうな空中遊泳だこと。それともフープまわしかしら? 本人が回っちゃダメじゃない、アディス。……あら、だけど、いくら遊びに夢中でも、レディを下から見上げるのはマナー違反よ」


元の姿に戻ったアリサは、可憐にスカートのすそをさばいた。壊れた人形のように足元に転がってきたアディスの顔を、屈んで覗きこむ。


「それとも、まだ遊び足りないっておねだり? だったら次はダンスのお相手をお願いしようかしら。お人形のようにふりまわしてあげる。スカーレットの得意分野でもあるわね。……彼女の〝雷鳴(らいめい)〟は私でも目を見張るわ」


「……お……お許し……ヲ……アリサ、さま……小生は……モウ……」


瀕死のアディスだったが、息も絶え絶えで懸命に辞退した。アリサのダンスといえば、殺人技の〝天舞〟だ。これ以上つきあわされたら、確実に命がなくなる。


「そう、残念ね。ふふ、今夜の舞踏会では、きっとスカーレットも舞うわ。舞姿を思い出して私も昂っていたのだけど……」


アリサは立ちあがり、寂しい月明りの夜空を仰いだ。


「……ねえ、スカーレット。貴女は〝雷鳴〟をどう思っているの。社交界でのサクセスストーリーをかなえるシンデレラのガラスの靴かしら? ふふ、だとしたら、とんだ見当違いよ」


アリサは金のほつれ毛を耳にかきあげた。同じ夜の下にいる想い人に語りかける。


「〝雷鳴〟は、女達の恨みのこめられた、死をまとう赤い靴なの。極めた先にあるのは地獄だわ。あはっ、それに気づいても、貴女は私と同じ道を歩めるかしら。とても愉しみだわ」


くすくす嗤うアリサの背後に、音もなく巨影が寄り添う。


白銀のたてがみを月光にきらめかせ、小山のような獣がぬっと口吻をつきだし、アリサに頬ずりした。魔犬ガルムの仔マーナガルムだ。マーガレット王女を送り届け、アリサに命じられた任務もこなし、疾風のようにあるじの元に戻ってきたのだ。


「おかえり。マーナガルム。ごくろうさま。……そう、〝マザー〟がおとなしく帰るはずがないとは思ったけど、そんな人間離れしたことを企んでいたの。さすがは闇の血の継承者ね。いいわ。それも一興。好きにさせましょう。手はうってある。あの化け物の鼻を明かしてやるのも悪くないわ」


アリサは、マーナガルムの輝く剛毛を指先ですいてやりながら、上機嫌でほほえんだ。


「今夜の宴は気の利いた晩餐になりそうだわ。まずはコーネリア、貴女の人生をたっぷり賞味してあげる。あら? 貴女も〝雷鳴〟を踊るの? しかも、あの女と一緒に? あはははっ、なんの冗談かしら。いいわ。スカーレットの記憶に焼きつくほど、鮮やかに踊るのよ。呪われた赤い靴で、気高く美しく咲き乱れなさい……」


アリサはおそろしい笑顔を浮かべた。軽やかにステップを踏み、くるくるとその場で回りだす。ハイウエストのスカートが、リボンをたなびかせ、花のように広がった。どんどん速く、人間には不可能なスピードに。怨霊の呻きのように空気が悲鳴をあげる。アリサは〝雷鳴〟を踊っていた。


「……!!」


幻影城のファンダズマが思わず身をのりだす。


空間が歪んだような気がした。舞うアリサは氷壁のようであり、神話の大怪物のようであり、また女神のようにも見えた。


「……まさか〝雷鳴〟の正体は……!! アリサ様の、あの……」


いにしえのインディアン戦士のように直感にすぐれた彼は、アリサがなぜ〝雷鳴〟を呪われたと表現したかを悟った。もし成長したセラフィがここに居合わせたら、同じ反応をしたろう。だとしたら、〝雷鳴〟が、華やかな貴族令嬢貴婦人のステータスとして持て囃されるのは運命の皮肉というべきだった。


「正解よ。だから、〝雷鳴〟は、希望にあふれたデビュタント達の鬼門なの。女の絶望と悲しみを味わったものだけが、はじめて真に踊ることができるのよ」


アリサはおそろしい笑顔をさらに深くした。


「あははっ!! コーネリア、だから、貴女も〝雷鳴〟の真似事ぐらいできるかもね。母親としてもっとも輝いたその瞬間を、私が摘みに行ってあげる。額縁の絵のように切り取って飾るのよ。感謝なさい。スカーレットのなかで、貴女は理想の母親として永遠に生き続けられるわ。厳しい冬をのりこえた花は美しく咲く。愛する母の死は、あの子をより一層強く美しくしてくれるわ。それにね……。貴女のお腹の子は、きっと私とスカーレットの邪魔になる。かわいそうだけど、〝時〟が余計な介入をする前に、先手をうたせてもらわなきゃね」


狂気じみた意志を瞳にたたえ、触れたものを殺す鬼気をまとい、アリサはひとり浮かび上がるように月夜に舞う。


足元のその影法師さえも恐怖の対象になった。誰もが震えあがり、小さなアリサの顔を仰ぎ見ることさえ出来なかった。七妖衆も森も夜さえもしわぶきひとつ立てず、こうべを垂れ、凍りついていた。


彼女はまさしく夜の玉座に君臨する女帝だった。


「あはははっ!! この舞踏会にひとり、邪念にまみれた小悪党がいるわ。ブルーダイヤ、破滅の魔女よ。その心の闇を燃えあがらせなさい。スカーレットという光を、より鮮やかに輝かせるために」


アリサの命に応じ、ブルーダイヤから放たれたおぞましい黒い光が、夜の彼方に尾をひいて飛んでいく。アリサはまさに人の運命をもてあそぶ死の女神だった。だが、身を伏せ、アリサをじっと見守る魔犬マーナガルムの瞳孔に映るアリサの後ろ姿は、ひどく儚げで、そして何故かとても物悲しく見えた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇


〝雷鳴のポルカ〟は少女の恋がテーマのダンスだ。


第一段は幼年期の初恋。

第二段は禁じられた恋。

第三段は命燃やすような恋。

第四段は恋の成就で構成される。


全体的に明るい曲調が、どんなときも笑顔でがんばる少女を思わせる。


だが、メアリーははじめてこの曲を耳にしたとき、「……とても悲しい曲ですね。涙をこらえてわざと明るくふるまっている女の人を感じます。どんなにつらくても、泣いているだけじゃ、人は生きていけないから……」と口にした。


私もじつは同感だった。


「108回」の令嬢時代に口にしたときは、王位継承戦のライバル達に、スカーレットさんの感性はおかしい、とずいぶん揶揄われたので、胸の奥にしまいこんでいたが。


そして、驚くべきことに、お母様も私達と同意見だったのである。


「だったら、ダンスの苦手な私も、きっと〝雷鳴のポルカ〟を踊れるわ。理解できる。だって、私の一番の親友の生き方そのものだもの」


メアリーの手をとり、お母様はそうほほえんだ。


たしかに愛息のヨシュアを失った哀しみをのりこえ、他人を笑顔で励ますことのできるメアリーは、私とお母様のいだく〝雷鳴のポルカ〟のイメージにぴったりだった。


「……奥様……。あのひどいいどめを乗り越えた奥様こそ、その資格がおありです」


お母様の手を握り返して涙ぐむメアリーに、私は感無量でうんうんと頷いたのだった。


女同士の友情はいいものだ。


……ちなみに、もしやとメアリーにも〝雷鳴のポルカ〟を練習してもらったけど、結果は散々で、転倒しまくったメアリーはたんこぶだらけになったのでした。おかしいなあ、私がダンスで見込み違いをするなんて、滅多にないんだけど……。


「すげえぜ!! さすがは俺様の師匠だ!!」


興奮したアーノルドの叫びで、私は回想シーンから引き戻された。

軽快な音楽の調べが、金の飾りがきらめく舞踏の間を渡っていく。


アーノルドの言うとおりだった。


ローゼンタール伯爵夫人と踊るお母様は、どの練習のときよりも出色の出来だった。私の想定を大きく超えていた。私は我が不明を恥じた。練習よりも本番に強い人間というのはたしかに存在していて、かくいう私もそのひとりだった。


よく考えたら、お母様は魔犬ガルムと一対一でやりあったほど肚はすわっていた。単騎でガルムを倒す寸前まで大健闘したのだ。不必要な劣等感と対人恐怖症が足を引っ張っていただけで、覚悟さえ決まれば、お母様が舞踏会程度で遅れをとるはずがなかった。


「見ろよ。あの赤の貴族どもの呆然っぷり。鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔してるぜ。ざまぁみろってんだ」


アーノルドは鼻高々だった。


最初はお母様を見せ物あつかいして漏れ出ていた失笑が、今はくすりとも聞こえてこない。息をのむ。その表現が今の赤の貴族達にはぴったりだった。


この舞踏の間は彫刻や絵画の贅をこらしている。その傑作群に、しかし、今は誰も目をやろうとはしない。石造りの女神やテンペラ画の天使はおおいに不満だろう。今夜の主役であり、観客の視線をひとりじめにするのは、中央で踊るお母様とローゼンタール伯爵夫人だった。彫刻や絵画を置き去りにする勢いで、ふたりは回転する。ドレスのスカートが広がり、大輪の花ふたつが、寄り添い、離れ、小鳥のように舞台をはねる。


第一段ももう中盤にさしかかっていた。


ここまでノーミスだ。


このお母様が十年引きこもっていたなど誰が信じられるだろう。まだ体力も十分だ。片足ジャンプが高すぎ、スカートの中身が膝までのぞくんではないかと、ちょっとハラハラさせられるほどだ。


「……なあ、師匠が、えらく若い年齢に見えてきたんだけどよ。どうなってんだ。師匠に肩入れしすぎて、俺様の目がおかしくなっちまったのか」


熱心に見入っていたアーノルドが、おそるおそる私に尋ねてきた。


「いや、若いっつーか、俺様達と変わらない年齢に見えるぜ。それによ、あのいけすかないはずの伯爵夫人まで……」


「安心して。錯覚じゃないよ。お母様、よくぞこの域まで……」


私は感動していた。


神がかったレベルで〝雷鳴〟シリーズを舞うとき、踊り手の内面が、テーマにそって強くあらわれる。それは観客の想像力にまで影響を及ぼす。


どよめきが波紋のように広がっていく。辛辣な赤の貴族達が批判も忘れ、ぽかんとお母様達を眺めていた。魅入られたという表現がぴったりだった。〝雷鳴のポルカ〟の第一段は、幼年期の恋だ。その場の誰もが、野山を駆けまわる屈託のない笑顔の少女時代のお母様の幻を見た。


「なかなか上手に踊るじゃない」


ローゼンタール伯爵夫人は、ぴたりとついていきながら、舞台いっぱいを躍動するお母様を褒めた。


こちらもたいしたものだ。元気な仔馬のように跳ね回るお母様を、行き過ぎないように、さりげなく手綱を握ってくれている。女性がリードしているように見えると、ダンスは見苦しいものになりかねないからだ。お母様の行動を先回りできるほど女性パートを熟知している証拠だ。


私はなぜローゼンタール伯爵夫人が互いに別のパートナーをたてて、お母様と競わなかったかわかった気がした。まともに〝雷鳴〟で勝負しあえるレベル差ではない。だから、男役を買ってでることでお母様に花を持たせたんだ。


そして、信じがたいことだが、これがローゼンタール伯爵夫人の本質だと私は気づき始めていた。自分を犠牲にして誰かのために生きようとする。しっかり者で心優しい家族思いの町娘のような。


「……まさか……!?」


私は驚愕にうち震えた。

天啓のように閃いたものがあったからだ。


その姿は、お父様が涙を浮かべて語っていたロナという少女の思い出とぴたりと一致した。


弟達を守ろうと命を懸けた、ローゼンタール伯爵夫人と同じヘーゼルの瞳の色の、けなげな幼い姉の姿に……!! 


私の理性は否定する。


まさか、絶対にありえない!! お父様が憎んでやまないローゼンタール伯爵夫人が、あの亡くなったはずのロナなんて!! それに貧民の娘が、先王の寵姫になった!? その台頭から逆算するとたった十年足らずで!? 


だけど、ありえないからこそ、慧眼のお父様が可能性を見落としたのではないか……!! 


そして、私の直感は、その驚愕の真実こそが正解だと告げていた。


昔から気にはなっていた。


若き日のお父様は、真祖帝に似た風貌から、ハイドランジア先王に疎まれていた。戦死を期待され、過酷な戦場に何度も送られた。だが、いつもどこかにさりげなく脱出ルートが用意されていた。まるで先王の考えをあらかじめ知っていて周到に準備したように。


検証して私も何度も首を傾げた。


三老戦士達が根回ししていたのかと思っていたが、あんなことはよほどの先王の側近が情報を漏らさない限りはできるはずがなかったのだ。そして疑り深く、当時の王妃とも王子とも仲が悪かった先王が、そこまで心を許すのは限られた人間しかいなかったはずだ。たとえば……!!


私の考えにうなずくように、胸元に隠したルビーがあたたかく光った。


「……!!」


考えに気を取られていた私は、お母様へのダンスの注意を散漫にしていた。


「お母様!?」


気づいたときはもう遅かった。


お母様が左右の足の着地を間違えた!!


そのままの足順だと、ローゼンタール伯爵夫人の足と激突する!!


「……あら、ごめんあそばせ」


伯爵夫人は冷笑すると、肩でお母様を軽く押した。


二人の足はすんでのところですれ違い、互いの位置を換えた。


「山育ちにはきらびやかな室内が珍しいのかしら。ぼおっと見とれないほうが身のためよ」


背中ごしの侮蔑に、わあああっと赤の貴族達がわく。


単純バカどもめ。

傍目にはローゼンタール伯爵夫人がお母様に意地悪な妨害をしたように見えたろう。

だけど、あれは……!!


「馬鹿な俺様でもわかったよ、さすがに。今のはミスした師匠を助けたんだろう」


また暴れだしやしないだろうかという私の懸念のちらちらまなざしに、アーノルドは苦笑した。


「どうやら俺様の目が節穴だったみてぇだな。あの伯爵夫人はわざと悪ぶっちゃいるが、師匠の味方だ。ちっ、今になって思うと、いろいろ腑に落ちるぜ」


その鋭い金の鷹のまなざしから、嘘のように敵意がぬぐい去られていた。


そうだ。まっすぐゆえに思いこみが激しいが、アーノルドの看破能力は、本来五人の勇士随一なんだ。こいつはは相棒の大フクロウと視界を共有し、真実を見抜く。「108回」では、私も偽装工作を何度も見抜かれ、煮え湯を飲まされた。……落城のときも、先に逃がした侍女たちの変装をあっさり見破っていた。でも、反乱軍の男達にはいっさい伝えないで、黙って見逃してくれた。乱暴者なのに心優しい奴なんだ。


そして……!! 


私は不思議な感動で胸がいっぱいになっていた。


真祖帝のルビーが教えてくれる。


信じられないことだけど、ローゼンタール伯爵夫人は、今、お母様にしたように、ずっとお父様を先王の暴虐から守り続けていたんだ。どんなにお父様に憎まれても、受けた恩をずっと忘れずに。そのために先王の寵姫まで昇りつめたんだ。たぶん血のにじむ努力の果てに。


あの人がやっぱりロナなんだ。


真祖帝のルビーがさらに熱と光を強くする。ドレスの布越しからも漏れ出るくらいだった。私はまわりに気づかれないよう胸を両手でおさえた。


私の脳裏に、唐突に、酔眼の豪華な衣裳の大男が浮かんだ。人相は悪いが現国王陛下の面影がある。肖像画で見たハイドランジア先王だ。玉座にふんぞり返り、家来たちに頭ごなしになにか叫んでいる。敵陣まっただなかにお父様を残し、全軍を引き上げさせろという無茶ぶりだった。家来達は異議も申し立てられず、蒼白になってへこへこしている。逆らうと処刑されるからだ。絵に描いたような暴君だ。


その玉座はバカ高い階段の上にしつらえられていた。こんなのお芝居でしか見たことないよ。これ、最後に先王がマント踏んで転がり落ち、大怪我したっていう伝説級の愚物だ。それがきっかけで先王は逝去あそばされたんだ。噴飯ものだ。猿となんとかは高いところに登りたがるってね。そして、若きローゼンタール伯爵夫人が、先王の隣に立ち、しなだれかかるようにして、耳元でささやいていた。


「……ねえ、国王陛下。あの無礼な(くれない)の英雄とやらを、もう殺して楽にしてあげるおつもりですか。慈悲深いお方。私、あの男のもっと苦しむ顔が見たいですわ。たとえば、ここはこの世の地獄と聞いてますわ……」


と当時の紛争地帯の名をあげた。


「呼び戻されてほっとした紅の英雄が、さらなる死地に送られると知ったときのまぬけ顔、見逃すには惜しいと思いませんこと?」


そう言い放ち、驕慢な笑みを浮かべるローゼンタール伯爵夫人に、家来たちは面を伏せたまま、握りしめた憤りの拳を震わせた。こんな女狐にハイドランジアの英雄が運命を弄ばれていいのかと。


だけど、私にはわかった。ローゼンタール伯爵夫人は、悪女の仮面をかぶってまで、お父様を救おうとしてたんだ。ずっと心のなかの血の涙をひた隠しにして。毒婦と陰口を叩かれながらも、たった一人で孤独に耐えながら。


国民の理解が得られず、悪逆女王とののしられた自分の姿が重なった。


ルビーが見せてくれた過去の幻影は、ふっと揺らぎすぐ消えた。


現実の光景が戻ってくる。


だけど、私の視界にうつるローゼンタール伯爵夫人の舞姿は、まだにじんだままだった。


「ほら、これ使いな」


ブラッドがさりげなくレースのハンカチを渡してくれた。


あ、ありがと。そういう気遣い好きよ。


「鼻の頭、赤くなってるぜ。鼻水もかんどきなよ。あ、返さなくていい。ばっちいから」


そういうデリカシーのなさ大っ嫌い。


私のふくれっつらに、ブラッドは吹き出した。


「……はは、怒ったり笑ったり百面相してるほうがスカチビらしくて安心する。頭がいい奴はひとりで抱えこんじまいがちだ。オレがいつも隣にいること忘れんなよ」


……わかってるよ。からかってばかりいるけど、私が困ったとき、ブラッドはいつも側で助けてくれた。でも、ローゼンタール伯爵夫人には誰もいなかった。零から伯爵夫人の座に昇りつめるには、特殊な才能がない限りは、女の武器の色香を使い、権力者の男を渡り歩くしかない。そんな生き方をすれば、周りは敵ばかりで気を抜くことすら出来なかったはずだ。


私は凛としてお母様をエスコートとするローゼンタール伯爵夫人を見て、哀しみで胸が痛くなった。本来、男に媚びを売るような性格ではないはずだ。


……お父様の話から推察するに、ロナとお父様のあいだには淡い恋愛感情があったようだ。それはもしかしたらロナにとって初恋だったのかもしれない。だとしたら、女としてどんな思いで、初恋の人を守るため、好きでもない男達に身をまかせてきたのだろう。


そして、私は気づいた。


ローゼンタール伯爵夫人のステップには既視感があった。あれは、お父様のダンスだ。ただでさえ難しい〝雷鳴〟をあそこまで模倣できるなんて。あの人は、たぶんずっとお父様の後ろ姿を追い続けてきたんだ。


「……あの伯爵夫人は哀しい人だな。なんとなくオレにもわかるよ。だけど、信念がある人間が自分で選んだ人生を、あわれんで泣いちゃいけない。今、オレ達にできることは、その生きざまを見届けることだけだ。そうだろ?」


ブラッドが落ちこんだ私の頭をぽんぽんと叩き、励ますように諭した。


「……ローゼンタール伯爵夫人は、魂をかけて、コーネリアさんとのダンスに臨んでるんだ。あの〝雷鳴〟ってのは相当きついのに、汗ひとつかいてない。具合だって相当悪いはずなのに、気力で封じこめてるんだ。血流操作はほどこしたけど、歩くのだってつらいはずだ。たいしたタマだよ」


「ええ、ボクも驚きました。宮中の毒サソリという悪名とはまるで違う。あれは信念に殉じる覚悟の顔ですよ。尊敬に値する女性です」


セラフィもつぶやき、アーノルドは渋面になった。


「ちえっ、おまえら、みんなして伯爵夫人の本心にとっくに気づいていたわけか。師匠も含めてよ。俺様だけ周回遅れかよ。見事に騙されてる赤の貴族どもと、自分が同レベルだったと思うと、嫌になるぜ」


私達は苦笑したが、アーノルドの評価を下げなかった。むしろ逆だ。自分の未熟をすぐ認められる人間は器が大きい。


〝雷鳴のポルカ〟は第二段にうつった。


禁じられた恋。


近づきたいのに近づけない恋のもどかしさを表現した踊りだ。


この段は背を向け合ってのパートが異様に多い。対面してのホールドはほとんど取らない。ポルカとしては異質の段なのだ。だが、対面している以上に、ダンスは困難だ。視界に入らないときの相手の動きも常に意識しなければ、一瞬で総崩れになってしまう。


互いが激しく回り、近づき、指先だけを触れ合わせ、また離れる。メヌエットに、ぶつかり合う独楽(コマ)のような高速回転と片足跳躍を加えたら似たものになるかもしれない。ただし軌跡はZだけではなく、さまざまに変化するし、その状態で、さらに踊り手たちは、舞台に円いっぱいを描いて動くことを要求される。移動しながらのキャッチボールのようなものだが、難度はその比ではない。


ポルカ独特の、片方の足でもう片方を送り出すようなステップと、スキップのような足さばきは、頻繁に左右の足の進退が入れ替わる。


しかも、踊り手同士は互いに触れそうなすれすれを交差することを求められる。少しでもタイミングや位置が狂ったら衝突必至だ。そうなったら、〝雷鳴〟のハイスピードな伴奏に追いつくことはもう不可能だ。


踊り手が常に一発勝負の緊張を強いられる、手に汗握るパートである。


「……師匠、よくあんなの踊れんな。俺様だったら、頭と足がこんがらがって、とっくに転倒してるぜ」


酷使に悲鳴をあげはじめた弦楽器の明るいしらべのなか、アーノルドが唸る。


「たしかに公爵夫人とローゼンタール伯爵夫人の技量は見事だ。だけど、それ以上に、ふたりのコンビネーションがすごい。……信じられない。〝雷鳴のポルカ〟を、はじめて組んだ同士でここまで踊れるものなのか」


とセラフィが驚きに目を見張る。


「たぶんお母様とローゼンタール伯爵夫人は気が合うのよ」


陳腐な表現だがそうとしか言いようがない。長年のパートナーのように、お母様と伯爵夫人の息がぴったりなのはそのためだ。もっと早く誤解のない出会いをしていれば、きっと仲の良い友人同士になれたはずだ。


ローゼンタール伯爵夫人が、背中合わせにお母様に語りかける。


「ふん、家に籠ってたにしちゃ上出来よ。よくついてくるじゃないの」


尊敬する先輩に褒められ、嬉しくてしかたない後輩というふうな笑顔を、お母様はみせた。


「これでも練習しましたから。いつまでも……怯えて引きこもっているだけじゃ、私は娘についていけなくなる。あの子はどこまでも高く飛べる子です。良人(おっと)のヴェンデルもそう。私はずっとヴェンデルの足かせでした。それがコンプレックスでした。でも、嘆いているだけでは、なにひとつ変えらなかったんです。それよりは、母として、妻として、一歩でも前に踏み出すべきだ。私の家族と、友達のメアリーの勇気が、私にそう教えてくれました」


いえ、お母様、お言葉ですが、私の夢がそもそも引きこもりなんですけど……。

でも、お気持ちはすっごく嬉しいです。


「……だから、貴女の踊りのステップには迷いがないのね。覚悟のあらわれってわけね」


花のように回転しながら、お母様と伯爵夫人は語り合う。


「……でもね、コーネリア、あなたはまだ甘いわ。さきほど赤の貴族への復讐は望まないと言ったわね。けれど、彼らは今も十四年前のいじめの夜のことを嘲笑いの種にしているわ。あることないこと、あたりに得意げに吹聴してね。それはあなたがついていきたい紅の公爵様やスカーレットの評判も下げることになる。あなた、甘く見られているのよ。なにをしても反撃してこないってね。あなたの崇高な思いなど、愚か者達には届かない。ならば、過去の報復ではなく、未来のために、あなたは復讐を果たすべきだわ」


私はぎょっとした。赤の貴族達が見ているまっただなかでしていい話じゃない。けれど、その会話は、赤の貴族達にはまるで聞こえていないようだった。けっこう距離がある私やブラッド達にはお母様達の話の内容がはっきり聞き取れるのに。考えてみれば不思議だ。楽器の音や結構なざわめきだってあるのだ。真祖帝のルビーの力か、あるいはローゼンタール伯爵夫人の魔眼の力によるものなのだろう。


「復讐を考えなかったわけではないようね。踊り……乱れが出たわよ」


さりげなくお母様の足の間違いをドレスの裾で隠しながら、伯爵夫人が注意する。お母様は睫毛を伏せたまま礼を言い、指先を伸ばした。応じた伯爵夫人の指をぎゅっと握る。本来の〝雷鳴のポルカ〟にはない動作だ。


「……赤の貴族達が今も私の悪口を言っているのは気づいていました。復讐を望まなかったといえば嘘になります。あんなにひどい目にあわせて、まだ私を面白半分に踏みにじるの? 絶対に許せないと……。恥ずかしいことですが、報復を想像し、甘美なうずきを覚えるのも本音です。娘の裏の権力を借りれば簡単にできるでしょう。私は……きたない女です」


もしお母様が今踊っている相手が私だったら、ダンスを中断し、「お母様、それは違います」と叫んで抱きついたろう。あんな人間の尊厳を破壊するいじめにあえば、誰だって恨みを抱くに決まっている。誰がお母様を責められよう。お母様が望むなら、私は王家も大貴族たちも動員し、ためらいなく復讐の手伝いをする。


「……だったら、どうして復讐しないの?」


離脱のタイミングになったが、ローゼンタール伯爵夫人は、お母様の手を振りほどかず、クローズドポジションを取った。即興でリードして次につなげる気だ。じっとお母様の目を見つめ、問いかける。お母様も見つめ返した。


「……私がスカーレットの母親だからです。もし、娘の力を借りて復讐などすれば……私は二度とあの子の母親を名乗れなくなります。私は、一度……娘を殺しかけました。この手に復讐の血まで重ねて、どうして愛しい娘を笑顔で抱くことができるでしょう」


「ふん、綺麗ごとね。現実は泥と血にまみれたものよ」


ふたりの視線がぶつかり、電光を散らすようだった。第二段は、即興から通常の流れに戻り、フィニッシュに入った。


「綺麗ごととは重々承知しております」


お母様は凛としてほほえんだ。


「私は……ヴェンデルやスカーレットのような翼の生えた天才じゃない。さっきはついていきたいと言いましたが、実際は地面から見上げることしかできません。才能では家族を支えられない」


いや、師匠は弓の超天才……と喚きたてようとしたアーノルドの口を私はおさえた。


しっ!! 今いいとこなんだから、引っ込んでてて!!


お母様とローゼンタール伯爵夫人が見つめ合ったまま、激しくまわる。爪先から火花が散りそうだ。


「……だけど、どんな高く飛べる鳥も、いつか疲れるときがきっと来ます。血の雨に濡れて飛べなくなることだって。そんなとき翼を休めるための止まり木に私はなりたい。羽根の血を残らずこの身で吸い取り、だいじょうぶ、あなたはまだ飛べると励ましてあげたい。それが娘にできる私の償い……。そのために、私は復讐の血で汚れるわけにはいかないんです」


……お母様……。


「つまり、師匠は吸い取りがいい、清潔で乾いたタオルでありたいってことか」


と余計な口を叩いたアーノルドの首を私は締め上げた。


この鷹の目小僧、本気で落としてやろうか。

ある意味あってるたとえだけど、感動が台無しだよ!!


「ふん、けっきょく自分がいい子ちゃんでいたいってだけじゃない。甘々なお嬢ちゃん、いえ、のんきな田舎者の考えだわね」


ローゼンタール伯爵夫人が吐き捨て、私はかっとなりかけた。


お母様がいじめでどれだけ苦しんだかも知らないで。

立ち直るのに、どれほど血を吐くような思いだったか、あんたにわかるの!?


「落ち着けって。ファーストダンスに乱入しようとするんじゃねぇ」


がるる、とうなりながら、ローゼンタール伯爵夫人に詰め寄ろうとした私を、アーノルドがあわてて羽交い絞めにした。片方が怒ると片方が冷静になるものなのだ。


……後になって、私は、ローゼンタール伯爵夫人がどれだけ悲惨な人生を歩んできたか思い知った。真祖帝のルビーが私にさっき教えてくれたのはその断片でしかなかったのだ。そして軽々しく怒ったことを後悔した。たしかに彼女はお母様にそう言える数少ない人間のひとりだったのだ。


〝雷鳴のポルカ〟の第二段が終わり、お母様とローゼンタール伯爵夫人は礼を交わした。


お母様は肩で息をしていた。


やはりお母様に本番での〝雷鳴〟は負担が大きすぎる。

少しでも気がゆるむと、疲労が一気に襲ってくるだろう。


「しっかりなさい。貴族の社交界で少しでも弱みを見せれば、ハイエナどもに寄ってたかって食い荒らされるわよ。そんなふらついたざまで、紅の公爵様……ヴェンデル様の翼を休める場所になりたい? 娘についていきたいですって? 笑わせないで」


とローゼンタール伯爵夫人に叱咤され、お母様はぴんと背筋を伸ばした。


「その調子よ。やればできるじゃない。どんなピンチでも女王様のつもりで堂々とふるまうの。貴族は、少しでも相手の上に立つための、肚の読み合いが日常茶飯事よ。だから余裕たっぷりの仮面をかぶるの。手持ちのカードを悟られないように」


ローゼンタール伯爵夫人は、悪たれ口を叩きながら、お母様に社交界のいろはを伝えようとしていた。


「あの伯爵夫人は命をかけて、コーネリアさんを教え導こうとしてるんだ。たぶん、もう、あの人は……」


ブラッドは哀しみを瞳にたたえ、言葉を濁した。


〝雷鳴のポルカ〟は第三段に入った。


ここから動きはさらに激しくなり、大ジャンプを多用するようになる。


テーマは、……命、燃やす恋……!!


ローゼンタール伯爵夫人は輝くようなオーラを放ち、美しかった。だが、それは蝋燭が燃え尽きる直前の悲しい燃えあがりだった。


私も「108回」の女王時代、何度か目にした。死に瀕しても、誰かにどうしても伝えたい言葉がある人間は、ときにこうした一瞬の持ち直しを見せることがある。


「コーネリア、あなたは自己評価が低すぎる。すぎた謙遜はときに悪徳になると覚えなさい。さっきの弓矢の技も、このダンスも見事だったわ。このローゼンタール伯爵夫人が褒めるのよ。もっと自信を持ちなさい」


男役を淡々とこなしながら、伯爵夫人はお母様をリードする。もしかしたら、これがラストダンスになるかもしれないのに……。


「自分の復讐の……権利を放棄し、家族のために生きる。そんな甘い信念で、社交界を生き抜くのは過酷よ。でも、あなたのたしかな力になっているようね。呆れた人ね。もう好きになさいな」


言い捨てたローゼンタール伯爵夫人の口元がほころぶ。

舞い散る桜を思わせた。

それは、これからのお母様への激励の花吹雪だった。


「ヴェンデル様も、あなたたち家族を守るために、莫大な褒賞の権利を蹴ったわ。似たもの夫婦ね。やっぱりお似合いのカップルよ。あなたたちは……」


遠くを懐かしむ目をローゼンタール伯爵夫人はみせた。


「……あなたのステップ。ヴェンデル様を感じるわ。教えてもらったの?」


「いえ、基本は娘に。でも、相手役はいつも良人(おっと)につとめてもらってました」


「ふふっ、私なんかが、名高い紅の公爵様と同じ役なんて光栄だわ。あの方のダンスはそれは素晴らしかったのよ。願いがかなうなら、もう一度だけでも見てみたかった……」


寂しい笑顔を伯爵夫人は浮かべた。


一度だけでいいから、女性としてお父様のダンスの相手をしたかった、


そんな乙女心が口調から微かに匂った。


そこからお母様は思わぬ行動に出た。


〝雷鳴のポルカ〟の第三段が終盤にさしかかったとき、決然と面をあげ、伯爵夫人に言い放った。


「ローゼンタール伯爵夫人。男役と女役を交換しましょう。良人のダンスは私の心に焼きついています。ここからなら、私でも踊ることができます」


私達も仰天したが、ローゼンタール伯爵夫人は、もっと愕然としていた。


「ど、どうして……」


驚きで、言葉が出てこないローゼンタール伯爵夫人に、お母様は莞爾として笑いかけた。


「……良人からよく聞かされました。ブルネットの髪に、ヘーゼルの瞳のけなげな女の子の思い出話を。図星ですね。どうやらこんな私にも、女の勘というものがあったようです」


お母様は胸に手をあて、恭しく腰を折った。


お母様も気づかれたんだ……!! 

ローゼンタール伯爵夫人がロナってことに。


「良人は、その子の、ロナさんのことを語るとき、いつも涙を浮かべていました。大輪を咲かせるはずだった冬の薔薇を守れなかった。炎に散らせてしまったと。その花、良人の代わりに私が見届けます。お相手願えますか」


そのしぐさはお父様に瓜二つだった。


「……粋な真似を……」


ローゼンタール伯爵夫人は苦笑しようとしたが、うまくいかなかった。感情が抑えきれない少女のような泣き笑いの表情を浮かべ、それから、鼻を赤くし、含羞のほほえみを見せた。胸元からふるびた薔薇のコサージュを取り出し、髪に飾った。


「喜んでお受けしますわ。〝ヴェンデルさま〟」


ドレスのスカートの両端をつまみ、優雅に礼をした。


社交界の女王の仮面を脱ぎ捨て、彼女は束の間だけロナに戻った。

頬を紅潮させ、踊る姿は、技量よりも初々しさがまさった。

失われた歳月と恋焦がれた日々を埋めるような、万感の思いをこめたステップ……。

指先のひとつひとつから、ロナの気持ちが迸る。


大好きです。名乗りたい。

でも、できない。

私はこんなに汚れてしまった。


すべてを失った炎の海。


たったひとりで歩き続けた、むくわれない暗い曲がりくねった道。


そんななか、ロナは思い出の薔薇を胸に抱きしめる。それが彼女の道しるべ。たったひとつ彼女に残された宝物。造花だから枯れない、しかし、これ以上咲くことも散ることもできない、時の停止した花……。美しいが残酷な薔薇。


ロナの声なき悲痛な想いがこだまする。


たとえ、どんなにこの身が罪にまみれ、この心が醜く成り果てようとも、ずっと、ずっと、この気持ちだけは永遠に……!!


長年抑えつけてきたロナの感情が堰を切ったようにあふれでて、舞踏の間の雰囲気を塗り替えていく。


それはまるで一流の演劇を観ているような、いや、それ以上のものだった。


女性達はうずく胸をおさえ、男性達は汗ばんだ手を握った。


〝雷鳴のポルカ〟の第三段は、女性側の表現力が要となる。


それは見る人の心をうたずにはいられない踊りだった。


ロナは少女の頃のもろい初恋を、ずっと抱きしめて守ってきたのだ。

誰もが大人になるときに忘れさってしまう、子供時代の懊悩と淡い想いを。


「……ちくしょう、なんて悲しい踊りだ。涙があふれてきやがるぜ」


アーノルドが拳で目をこすり、鼻をすすった。


「救いはねえのかよ!?」


だいじょうぶよ、アーノルド。


だって、あそこには私のお母様がいる。なんのためにお母様が、ローゼンタール伯爵夫人のひた隠しにした思いを汲み、お父様役をかって出たと思っているの。


「あんたの師匠を信じなさい。肚をくくり、他人のために動くとき、お母様は、コーネリア・マラカイトは奇跡を起こせるの」


ローゼンタール伯爵夫人の踊りに圧倒され、誰もがそちらに注目していたが、私は気づいていた。お母様の踊りがお父様の動きを完璧にトレースしだしていることに。神がかったという表現がぴったりの出来で。


「……ヴェンデル……さま……?」


ローゼンタール伯爵夫人が呆然とつぶやく。


彼女の目には、お母様の姿に重なるお父様が映し出されていた。


「今まで、よくがんばったね。ロナ」


お母様はにっこりとうなずき、手をさしのべた。


「あ……!! ああっ……!!」


言葉を失ったローゼンタール伯爵夫人の、ロナの瞳から、涙があふれでた。それは薔薇の朝露のように、伯爵夫人の頬を濡らした。お母様は指先でやさしくその目元を拭った。


「さあ、踊ろう!!」


「……はい!!」


ローゼンタール伯爵夫人は、幼き日のロナに戻り、お母様の胸にとびこんだ。それはもう悲しみではなく、再会の喜びに燃え立つダンスだった。ロナの長い夜は明けたのだ。しっぽをふる仔犬のように一途な少女と、それをほほえんで包みこむ幼い貴公子の幻影を、私達は見た。


オーケストラの伴奏に混じり、リュートの音色が聞える。人垣の向こうから、相好を崩した髭もじゃの三老戦士がのぞいた気がした。


「……マリエルさん……!! ブライアンさん……!! ビルさん……!! ボビーさん……!!」


ローゼンタール伯爵夫人の涙が宙に舞い、真珠のようにきらめき、ダンスするふたりのあとを尾をひいて流れる。


「こんな私を、見守っていてくれたの……? こんな汚れてしまった……私を……!」


ローゼンタール伯爵夫人のつぶやきが、涙でかすれる。


三人の老人たちは、慈父の笑みをみせた。

あんたは汚れてなんかいない、とまなざしで語った。

そして、励ますように、拳をつきあげたりガッツポーズをした。


「スカーレットさん、今のは……!?」


三老戦士の顔を知るセラフィが驚きの声をあげる。


それらは陽炎のように一瞬にして消え去ったが、観客の感動はそっくりそのまま残された。


背中を押されるように、ローゼンタール伯爵夫人の踊りがさらなる熱を帯びた。

少女の純粋さと、成人女性の優雅さが手をとりあい、過去と現在がひとつになる。


……それはずっと変わらぬ想いの炎、まさに命を燃やす恋だった。


観客たちは時のたつのさえ忘れていた。


第三段の伴奏がゆっくりと消えていく。


そのとき異音を発し、弦楽器の弦が次々にはじけとんだ。


〝雷鳴〟の疲労で弦が切れました。替えも持ってきておりません。


と楽団員が詫び、ローゼンタール伯爵夫人はため息をつきうなずいた。


「残念だけど、〝雷鳴のポルカ〟ここまでのようね」


伯爵夫人は事故に見せかけたが、楽団員の手に白刃が閃いたのを、私は見逃さなかった。ローゼンタール伯爵夫人はわざとやらせたんだ。お母様の足がもう限界で、第四段まで踊るとぶざまをさらすことになるのを察して。


踊りを終えたお母様とローゼンタール伯爵夫人は、互いに礼をした。はずむ息をととのえ、観客たちに頭をさげた。そして、ふたりは顔を見合わせ、にっこりとした。


ローゼンタール伯爵夫人は目頭をぬぐい、苦笑した。


「みっともないとこ見せちゃった。まさか私のほうが心を救われるなんてね。指導しようなんて思いあがっていた自分が恥ずかしいわ。コーネリア、あなたは私の想像のはるか上をいった。今夜の舞踏会の主役はあなたよ」


お母様はかぶりを振った。


「いえ、ローゼンタール伯爵夫人、あなたのリードがあってこそです。私をただその流れを信じ、迷わず受け継いで踊っただけ。ほんとうの主役はあなたです」


「ふふっ、私に花をもたせてくれるの。相手の顔を立てる貴族の流儀もよくご存じのようね」


ローゼンタール伯爵夫人は、お母様の手を取り、高くさしあげた。


「みなさま!! 私のすばらしい友人にして、私達の新しい仲間、ヴィルヘルム公爵夫人、コーネリアさまにどうか歓迎の拍手を!!」


舌をまく完璧なタイミングだった。


その瞬間、たかぶった気持ちに戸惑っていた赤の貴族達が方向を決めた。


わああああっとどよめきと称賛の拍手が降り注いだ。耳を弄する。それはまさに〝雷鳴〟の名そのものだった。権力者のローゼンタール伯爵夫人におもねるだけではない。息せききって駆け寄ってくる女性陣の目には、お母様への憧れがあった。お母様の両手を取るようにして、「コーネリア様!! すごいわ!! すごいわ!!」と小娘のように興奮し、ぴょんぴょんと跳ねる姿には、貴族の打算や権柄ずくなど微塵もない。


……「108回」の女王時代、私が外交のおもてなしカードとして、よく使ったテクニックだから、効果はよくわかっている。


ダンスでも、料理でも、あるいは演劇や歌でも、真にすぐれたものは、その感動をもって、わだかまりやしがらみなど、心の壁や警戒心をぶち壊してしまう。その刹那に、友好的な雰囲気をねじこめば、人間は嘘のように味方に引き入れられる。感動による共感現象、私はそう呼んでいた。


もちろんお母様は計算してやったのではない。

そんなことを思うのさえ失礼だろう。

どうも女王時代の嫌な癖がたまに出る。


お母様は、力尽くの復讐に走っていたら、決して到達できなかった栄光の場所に立った。

その事実だけを素直に喜べばいいのだ。゛

暴力で仕返しするのではなく、相手に認められる土俵で、嘲笑を称賛に変える。何倍も困難な「真の復讐」を果たしたお母様を、私は心から誇りに思った。


「……自分の見てる光景が信じられねえ。あの根性ひん曲がりな赤の貴族たちが……。師匠はどんな魔法を使ったんだ……」


呆然とつぶやくアーノルドに、私は微笑んだ。


「言ったでしょ、お母様は奇跡を起こせるって。お母様の輝石名はマラカイト……。古来から邪気を払うって言われてる孔雀石なの。悲しみなんか吹き飛ばしちゃうんだから」


奇跡と輝石をかけ、私はえっへんと胸を張った。


ブラッドがうなずいた。


「……孔雀石は、子供のお守りだしな。コーネリアさんは、ローゼンタール伯爵夫人が子供の頃から大切にしてきた想いを救おうとした。その優しさが、この奇跡を呼んだんだ」


「……しっかしなあ。これじゃ、師匠がいじめられ損じゃねぇか。もう少し赤の貴族どもに痛い目みせてやったほうが……。これで和解なんて、どうも今いち釈然としねえ」


ぶつくさ不平を漏らすアーノルドの背中を、乱暴にセラフィが叩いた。


「アーノルド、無粋を言うな。ボクはいいものを見せてもらったと思ってるよ。商人は損して得取れの精神だ。公爵夫人は復讐を捨てることで、ご自分の笑顔と社交界での賞賛を得た。貴族夫人としてものすごく価値のあることだ。結果で見れば大勝利だよ。君の選んだ師匠のことだけはある」


「ちっ、セラフィがそう言うなら、そうなんだろうけどよ……」


親友に諭され、アーノルドはしぶしぶ納得した。


「さ、話はここまでだ。みんなでコーネリアさんを祝福しにいこうぜ」


ぱんっとブラッドが手を打ち合わせ、私達をうながした。

すべてが大団円に向かって動き出そうとしたそのとき、


「ふざけるな!! 儂をさしおいてファーストダンスだと!?」


割れがねのような絶叫が、和気あいあいとした空気を引き裂いた。全員がびくっと硬直したのは、それがただ大きいだけではなく、あきらかに狂気を含んだ声だったからだ。


「……ブルワー……卿……?」


合戦でもしようかという勢いで飛び込んできたのは、先ほど弓に小細工し、お母様を貶めようとしたブルワー子爵だった。ローゼンタール伯爵夫人にやりこめられ、気死した尻餅状態で置き去りにされたはずなのに。


ただでさえ凶悪な人相なのに、今は飛び出しそうな目玉をまっかにぎらつかせ、歯をむきだし、憤怒で顔面筋肉いたるところを盛大に痙攣させていた。目の焦点がぶるぶるっと震える。変な寄生虫でも入りこんだようだ。


「それも、こんな山猿女(コーネリア)がごときが相手だと!! 鼻持ちならん!! つまみだしてくれる!!」


驚いて立ちすくむ赤の貴族達を乱暴に突き飛ばしながら、お母様に迫ってくる。


「ブルワー卿!! コーネリアさまの身分は公爵夫人。そんな物言いが許されると思いまして?」


ローゼンタール伯爵夫人が立ちふさがり、羽扇のかげからブルワー子爵を睨みつけた。


まったくそのとおりですわ!! とお母様のダンスに心酔した赤の貴族の女性たちも抗議する。さっきまでお母様のことを侮っていたのに勝手なもんだ。女の集団の手のひら返しって超こわい……。


けれど、恐怖の同調圧力にも、ブルワー子爵は屈しなかった。


「うるさい!! うるさい!!」


唾をとばして怒鳴ると、ローゼンタール伯爵夫人の羽扇を叩き落とした。それも拳でだ。伯爵夫人の顔を殴打してもかまわない勢いだった。完全にいかれている。さすがに蒼白になってたじろいだ伯爵夫人の手首を、ぐっと握りしめて引き寄せようとする。骨がめきめき音を立てて軋んだ気がした。ローゼンタール伯爵夫人の眉が苦痛で寄せられる。狂人にのみ可能な手加減なしだ。


「さんざんじらしおって!! あんたは儂と踊るんだ!! 今夜一晩、いや、命果てるまでな!!」


涎を流し顔中を口にして喚くさまは正視にたえなかった。実際はもっと卑猥な言葉だったが、それはとてもここには記せない。


「……このっ……!!」


力ではとても振りほどけないと悟った伯爵夫人の目が異様に輝きだす。魔眼を発動させ、強制排除する気だ。だけど、その膝ががくんと落ちた。ローゼンタール伯爵夫人は魔眼と〝雷鳴のポルカ〟でもう体力の限界だった。このままブルワー子爵に弄ばれれば命にかかわる。


「逃げなさい!! ブルワー子爵は狂ってる!!」


果敢に飛び出そうとしたお母様と、おっかなびっくりで包囲しようとした赤の貴族たちを、ローゼンタール伯爵夫人は鋭く制止した。その足がふわりと浮く。ブルワー子爵は片手でローゼンタール伯爵夫人を軽々と振り回していた。チンパンジーじゃあるまいし!! 脳のリミッターが完全にぶっとんでいる。


「あいつ、なにかおかしい。このままじゃ大怪我が出る。悪いけど気絶させて止める」


と頼れるブラッドが飛び出そうとする。


「俺様もいるぜ。どんだけ狂ってても、眉間を射抜けばおとなしくなるだろぜ」


アホノルド、あんたはやめなさい。舞踏会が惨殺現場になるから。


それにね。


「……ふたりとも引っ込んでて。ここは社交界。ならば、(おんな)の戦場よ」


私はブルワー子爵の手首の激痛と麻痺のツボを握った。反応なし。痛覚が鈍化してるのかもしれない。あ、私にも殴りかかってきた。でも、これならどう?


「……ぐわっ!?」


ブルワー子爵は、海老のようにはねあがった。ローゼンタール伯爵夫人からも手を離してしまう。周囲には自分から跳躍したように見えたろう。だが、違う。私に向けられた力の方向をずらしたのだ。


「そんなに踊りたいなら、私がお相手してさしあげてよ」


私は優雅にスカートの両端をつまみ、淑女の礼をした。


決まった。私、やっぱりこの物語のヒロイン。かっこいい!!


あれ? ブルワー子爵、あなた、高く飛びすぎでは?


追いかける私の視点は徐々に上に角度を変えた。


はねかえしたブルワー子爵の力が予想以上に強すぎたのだ。そのまま、どかんっと石床を揺らして落下した。い、今、首から落ちなかった!?


「え、えぐすぎねぇか。スカーレットのヤツ、殺す気満々でやったぜ」


脳筋バカのアーノルドが顔を引き攣らせた。


あんたにだけは言われたくない!!


「あの……スカーレット。いくらなんでも、いきなり首折りは……」


お母様、誤解です!! これは不慮の事故です!!


「投げ飛ばす前に、麻痺のツボをおさえ、受け身を取れなくしたんだな。見事な二段構えだ。残念ながら、()りそこなったみたいだけど」


伯爵夫人を抱きとめたブラッドがしきりに感心する。


あほブラッド!! ()るとか読み仮名ふるな!! いつもみたいに私の心を読んで、ちゃんと弁護してよね!! ブルワー子爵の反応が遅れて偶然そうなったの!! 


あ、でも生きてはいるんだ。よかった。ちゃんと仕切り直して、お母様とローゼンタール伯爵夫人みたいに、ダンスで白黒つけるのだ。異世界恋愛もののタグにふさわしくね!!


「これからよ。そう……これから」


私のヒロインらしい活躍はね。


安心した私は微笑んだ。


私を遠巻きにした周囲がざわつく。

殺人狂を見る目つきになっていた


「まだやり足りないらしい」


「悪魔だ……」


「なんて残忍な笑み……」


ち、違う!! そういうつもりで言ったんじゃない!!


あ、あんたたち赤の貴族のほうがよっぽど残酷なことしてるじゃないの!!


ほら、よく見てよ。こんな可愛い悪魔がいるわけないでしょ!!

なんでみんな私から視線をそらすの!? ドン引きしないで!!


ヒロイン扱いどころか、この場でぶっちぎりの邪悪が、私みたいな雰囲気になってるんですけど!?


なにがどうしてこうなった!! 

待遇改善を断固として要求します!!

お、おのれ、以下次回!!


お読みいただきお疲れ様でした!!

なんとなく、でたらめ格闘バトルに続き、でたらめダンスバトルのコツが掴めてきました(笑)

あくまでなんとなくです。

こそこそ手直しするかもしれません。

またよかったら次回もお立ち寄りください!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今日、コーネリアさんとロナのダンスの部分だけ読み返したのですが、本当に最高すぎて、ぼろぼろ泣いてしまいました…。本当に好きです…。2人とも美しすぎます…!かっこいいです…!大好きです…!!…
[良い点] 遅ればせながら拝読致しました! アリサ様〜!!!さすがスカ強火担!!本日も見目麗しくまた、その狂気も輝いております〜!!スカちゃんの能力を過信せずその上で認めているところが愛ですね!!!狂…
[良い点] 3Bが!マリエルさんが!やっぱりロナを見守ってくれていた! こんなに嬉しいことはない!! ダンス回はダンスの整合性よりもコーネリアとロナの情感を十分に描かかれていて、本当にいい回だと思い…
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