ロナからの手紙。そして〝雷鳴のポルカ〟。あまたの令嬢を奈落に落としたそのダンスが、皮肉にも、お母様とローゼンタール伯爵夫人の架け橋となるのです。
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】2巻が発売中です!! 鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさま発刊です!! 1巻ともども、どうぞよろしくお願いします!! ちなみに連載誌は電撃大王さまです。
またコミックウォーカー様やニコニコ静画様で、2月3日の11時から、13話①が無料公開予定です!!
合言葉はONIKU!! 赤ちゃんスカーレットが体をはりまくり!! そこまでいかなかったらごめんなさい。ピクシブ様やピッコマ様で読める回もあります。もちろん電撃大王さまサイトでも。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。他に公開してくださってるサイトがあればぜひぜひお教えください。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!! 原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です!!
二頭の馬が夜を疾駆する。
従者のバーナードは小さな目を必死にこらした。
暗い森の道は、再現なくぶつかってくる黒い悪意の連続だった。
あるじの紅の公爵についていくのがやっとだ。
一瞬でも油断し、かわしそこねれば、道にはみだした梢の爪に身体をもっていかれる。
このスピードで落馬すれば、見通しのいい昼間だってただでは済まない。まして今は足元まで闇に包まれ、どこに危険な根が張り出しているかさえわからない。おそろしく神経を消耗する。額ににじむ汗が風で冷たくなる。
「……せめて、もう少し速度を落として……」
そう何度かあるじに言いかけた泣き言を、バーナードは再び喉の奥にのみこんだ。
英雄の従者としてのプライドが許さなかっただけではない。
〝まして今の自分は、大恩あるスカーレット姫様より賜った分不相応な名馬に騎乗しているのだ。ぶざまなど見せられるものか〟
現実よりちょっぴり美化されたスカーレットの顔を脳裏に浮かべ、バーナードはみずからを奮い立たせた。
スカーレットは、地味だが確実に仕事をこなすバーナードを高く評価していて、よく銀器を贈ってくれるのだが、彼はそれらを自分の執務室に、家宝として並べたて薄曇りひとつつかぬよう磨きあげている。そして、感謝のあかしとして、就寝前にその前に跪きスカーレットへの忠誠をあらたに誓うのだった。まるで女神扱いであり、忠誠よりも崇拝に近いかもしれない。
彼女を守るため散っていった三老戦士の想いまで乗りうつったかのようなその心酔っぷりは、周囲が辟易するほど突き抜けていた。普段は誰より慎重で常識人なのに、スカーレットのためとなれば、率先しての闇仕事もいとわない。
「……あのお父様についていくのは大変でしょう? これであなたの負担が少しでも減るといいのだけれど」
そうスカーレットが苦笑し、バーナードの誕生日に、この馬を立派な馬具と馬小屋ごと引き渡してくれたときは、驚きと喜びに息をのんだ。馬を養うためにしては多すぎる俸禄までついていた。
「……姫様……どうして……」
「あなたの欲しいものぐらいわかります。働き者ぞろいの我が家でも、あなたの仕事ぶりは輝いているもの」
そう言って次々と自分の目立たない裏方仕事の功績を口にし、褒めてくれた。
「貧乏だったときから公爵家を支えてくれてありがとう。このあかぎれた手は、私達の誇りです」
スカーレットは慈悲深い女王陛下のようにバーナードの手を包みこみ、ほほえんだ。バーナードは肩を震わせた。
「……私のような一介の従者に……ここまで……」
バーナードは胸が詰まってただ頭をさげた。
名馬は騎士のほまれだ。バーナードは馬の目利きもできる。天才である紅の公爵をあらゆる面からサポートできるよう血縁の三老戦士に叩き込まれたのだ。これほどの馬を、まさか無爵の自分に与えてくれるとは。そして彼は大の馬好きだった。だが、武辺もの揃いの一族のなかで、非力で肩身の狭い思いをしてきた彼は、恥ずかしくてその思いを口にすることはできなかった。けれど、そんな押し殺した気持ちを、スカーレットは彼の献身的な馬の世話ぶりから斟酌してくれていたのだ。
「けれどバーナード、無理をしてでもお父様についていけと言っているのではないのですよ。あなたはそのままで十分です。自分の価値を低く見積もらないで。我が家にとって、あなたは万夫不当の勇士よりかけがえのない人です。自分の命も守ってもらうため、この馬はあなたにプレゼントするのです」
「……ありがたきお言葉、肝に銘じます」
バーナードは彼女に仕えられることに誇りと喜びを見出すのだった。
……もっともスカーレットにすれば、これは執事役と従者役と馬丁役と召使役と下男仕事まで一手に引き受け、貧乏時代の公爵家を薄給で支えてくれたバーナードへの恩返しだけでなく、優秀で裏切らない人材を絶対に手放したくないという、さりげない引き留め政策だったりする。「108回」で国民に総離反された苦い経験をもつスカーレットは、人間関係におそろしいまでに気を配る。
「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵。チートは二の次、三の次」
とスカーレットはどこかで聞いたような座右の銘を心でつぶやく。堀が抜けているのがちょっぴり不安であるが、とにかく経済的な余裕ができた今、スカーレットは恩を売る機会を決して逃さない。いわばこれは防衛本能に近い。
しかし、生まれついての美貌と、女王時代につちかった話術と、きっぷのよさが合わさり、それはときとして、本人の予想さえ超えた人たらしの業として発揮されるのだった……。
「それと……誕生日には間に合いませんでしたが、あなたに働きにふさわしい栄誉を」
「……姫様……!!」
バーナードはこらえきれず感涙した。しかもスカーレットは王家に働きかけ、バーナードに騎士爵位を用意してくれていたのだ。
幼いころより抱いてきた騎士への憧れまで、この賢く美しく優しくすばらしい姫君は見抜いてくださっていた。武勲をまったく立てられないのに、英雄紅の公爵の従者につけられたときは、あのもやしが? と三老戦士をのぞく一族に危惧された。酒の席でつい油断して騎士になりたいと口にしたときは、満場で笑いものにされた。あの屈辱と悲しさは生涯忘れられない。そんなとっくに諦めていた夢まで、スカーレット姫はかなえてくださった。王家の第二王女のマーガレット様は天才と名高いが、なんの、なんの、うちのスカーレット姫様に比べれば……!!
バーナードの気持ちをざっと言葉にするとそんな感じである。
「あとは領地ね。あなたが老後も安心して暮らしていけるように。王家と選定中ですので、もう少しだけ待っててくれる?」
「そこまで……この私を……」
もはや五体投地したいレベルの言葉まで賜った。バーナードは、清らかで可愛らしい輝くようなこの姫君に巡り会えたことを、心から神に感謝した。スカーレット的には、重要な資金源である銀器への造詣が深いバーナードを、近場の領地という鎖でしばりつけ、引退後も死ぬまで協力してもらおうという結構薄汚れた思惑なのだが。
「……ロナが……生きていた……!!」
紅の公爵、ヴェンデルが馬上で漏らしたうめきで、スカーレット賛美にひたっていたバーナードは冷水を浴びせられたように、はっとなった。スカーレットに心服していても、バーナードの真のあるじへの忠義は不動のものだった。
馬術の冴えはいつもどおりだが、ヴェンデルのただでさえ白い顔は完全に血の気を失っていた。
ロナと名乗る女性が差出人の手紙を、旅先で見た瞬間から、ヴェンデルは常の冷静さを失った。ずっと眉間に苦悶のしわが刻まれている。青白い月明りに照らされた今だってそうだ。ロナが生きていた、と呟くのも何度めかになる。ずっと思考が堂々巡りをしている証拠だ。果断なあるじには珍しいことだった。
……手紙は、〝ヴェンデル様の愛しい奥方のコーネリア様が、ローゼンタール伯爵夫人邸の舞踏会に招かれました。至急駆けつけられたし〟という旨の短い文面だった。文末に、あなた様に大恩を受けたロナ。お目にかかることは出来ませんが、いつも幸運を祈っております。と添えてあった。涙でにじんだあとのあるその文字を目にしたとき、ヴェンデルは雷にうたれたように硬直した。手紙を取り落としたことさえ気づかなかった。
その手紙は、ヴェンデルの心の古傷をしこたま抉ったのだ。
ハイドランジアの英雄で最大戦力であるヴェンデルは、国内外に敵が山ほどいる。ましてローゼンタール伯爵夫人は十四年前の奥方様のいじめの首謀者だ。もしこの手紙が罠であるなら、あるじの致命傷になるかもしれない。そうバーナードが危惧するのは当然だったが、ヴェンデルは一蹴した。
「……罠の可能性はないな。これはまぎれもなくロナの筆跡だ。忘れなど……するものか」
時同じくして飛来したセラフィからの移動鳩も、舞踏会が事実であると教えてくれた。たとえ帰巣場所が移動しても追尾してくる貴重な移動鳩を、セラフィは一羽、ヴェンデルにまわしてくれていた。
ヴェンデルは震える指先で手紙を拾いあげ、遠い目をした。
「なぜだ。ロナ。なぜ生きているなら教えてくれなかった。たとえ君がどんな姿になったとしても、僕らの気持ちは変わりはしなかったのに」
呟くヴェンデルの唇はわなないていた。
ロナはひどい性的虐待を受けていた。それをみなに知られていることにロナも気づいていた。多感な少女の頃には耐えられないものだったろう。それでなお彼女は自分達に心を開いてくれた。短かったが、自分達にはたしかな心の絆があった。自惚れでないと断言できる。
それなのにロナが、あの魔女狩りの夜のあと、自分達のもとに姿を見せるのを躊躇ったのなら、文にしたためるのもはばかられるような酷い目にあったのではないか。ヴェンデルはそう思い、歯軋りした。
戦地を駆け巡ったヴェンデルは、人がどこまで悲惨な境遇におちるかを嫌というほど目にしてきた。慰み者にされた挙句、見せしめとして顔の皮をはがされ、肉にじかに通した鎖で柱にぶら下げられた女性達……全身に焼きごてをあてられ、化膿した皮膚がずれおちた人々……モラルの縛りがはずれた人間は、おぞけをふるう凶悪さを発揮する。征服、性衝動、破壊、暗いどろどろした欲望は、同じ人間に対してこそ余すことなく叩きつけられる。
あのときロナを火刑にしようとした異端審問官マシュウは、そんな人間の闇の体現者だった。魔女狩りの正義の御旗のもとに、どんな卑怯な真似もやってのけた。その下劣なやり口は、歴戦の三老戦士が吐き気がすると評するほどだった。
あの異端審問官はロナが道連れにし、炎の川面に沈んだ。だが、あいつが生きていて、もし同じく生きていたロナに報復したとしたら。
……ロナ……!!
背筋が凍り、崩れていく気がした。
そこから先はあまりにおそろしすぎる想像だった。連中の手にかかったロナの弟の亡骸は到底人の所業とは思えなかった。あのような拷問が行われたら、ロナは死ぬほうがはるかにましという苦痛を味わったろう。もはや生きていても人の形さえ留めていないかもしれない。
〝それでもロナ。僕も爺達もマリエルさんも、君の心根の優しさに惹かれたのだ。冬に咲く薔薇よ。たとえどんなに姿が変わろうと、その想いは変わりはしない。だから……もう一度、君に会いたい〟
ヴェンデルの気持ちが伝わった愛馬はさらに速度をあげた。
〝……あのときの僕は非力だった。だから君を守りきれなかった。十四年前のコーネリアのときだってそうだ。だが、もう二度と同じ轍は踏まん。今の僕ならどんな敵だろうと打ち砕いてみせる〟
ヴェンデルは向かい風の中、きっと顔をあげた。
なぜロナがローゼンタール伯爵夫人の動きを知っているのか。なぜ今になって連絡してきたのか。どうやって隠密にしていた自分の滞在先に手紙を届けられたのか。疑問と迷いはまだ振り切れない。しかし行先はただひとつだ。
「いくぞ、バーナード。ローゼンタール伯爵夫人邸へ。すべての答えは、きっとそこにある」
「御意!!」
流星のように二騎は闇を駆ける。
〝……ロナ、せっかく君が教えてくれたんだ。愛するコーネリアを、僕は伯爵夫人の魔の手から必ず救ってみせる。十四年前のように好き勝手にはさせん。コーネリアに指一本触れてみろ。問答無用で斬り捨ててくれる。そしてロナ。願わくば、君とも再会できることを。僕の大切なふたりの女性。今度こそ守り抜いてみせる〟
決意を胸にヴェンデルは風のなかを行く。
「駆けろ!! ウラヌスよ!! 運べ!! 僕をコーネリアとロナのもとへ!!」
ヴェンデルの願いを耳にし、愛馬は勇壮にいなないた。
だが、悲しいことにヴェンデルは気づいていなかった。憎むべきローゼンタール伯爵夫人こそがロナ本人だという驚愕の真実に。しかたないことだ。まさか貧民だったロナが、その恋心ゆえに、ただヴェンデルを守るために、人生すべてを擲ち、伯爵夫人の座に昇りつめたなど誰が予想できようか。
「しかし、わざわざ手紙で知らせたのなら、ロナさんは伯爵夫人邸におられないのでは」
バーナードの疑問にヴェンデルは答えた。
「……いや、いる。勘だが。コーネリアとロナ、かけがえのないふたりが、僕の助けを必要としている。そんな気がするのだ」
「わかりました」
戦場でのあるじのその勘ははずれたことがない。
愛妻を心配するあまり揺らいだのは、公爵邸爆発のときだけだ。
バーナードもそれ以上何も言わなかった。そして……今回もその直感は正しかったのだと、すべてが終わったあとで噛みしめることになった。
王宮で顔を合わせてもすれ違うだけだったヴェンデルとロナ。長い悲しみの夜を経て、運命はようやくふたりを引き合わせる気になった。だが、残された時間はあまりに短かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「……〝雷鳴〟!?」
ローゼンタール伯爵夫人の意図に気づいた貴婦人たちが大きくざわめく。
先ほどまでのお母様を侮る雰囲気が一変した。
「まさか!? ダンスの最高峰よ。私だって、あんなもの……」
山育ちの公爵夫人がファーストダンスなどまともに踊れるものですか、と陰口を叩いていた鷲鼻の夫人が、茫然と言いかけ黙りこむ。口にすれば敗北を認めることになる。握りしめた扇の先が痙攣するように震えた。他人を馬鹿にできるのは、自分より格下だと思えるからだ。
〝雷鳴〟はその名のとおり、口さがない貴婦人達の頭上に轟き、全員を軽いパニックにおちいらせた。
「もし公爵夫人の代わりをしたいという方がいらっしゃったら、どうぞ、名乗りでてくださいな」
優雅に羽根扇をあおってのローゼンタール伯爵夫人の問いと視線に、面の皮の厚い赤の貴族達が、さっと目をそらした。冷や汗が伝う。もし指名されたら、赤っ恥をかくのがわかりきっているからだ。赤だけに。
「あら、みなさま踊りが得意なのに、お優しいこと。よほど公爵夫人に華を譲りたいのね」
伯爵夫人の皮肉にも誰も応じない。応じられるわけがない。
踊れる者がほとんどいないからこその〝雷鳴〟の威名だ。完遂したら国王陛下の耳にだって入るほどだ。通常は何年もかけて人脈をつくり、評価を高めて、必死に築き上げる社交界での高みに、一気に駆け上がる反則的なワイルドカードでもある。
「108回」での令嬢時代、私は社交界デビューを、〝雷鳴〟のヴェニーズワルツで飾った。それは伝説になり、私は一夜にして社交界での地位を盤石のものとした。あまたの令嬢が悔しがり羨ましがって真似をしようとしたが、結局みんな断念せざるをえなかった。
私から見ても異常な踊りの天才のアリサならできたはずだけど、あいつは人生の一大事のデビュタントの儀式でも、いい男と食べ物と私にしか興味がないど変態だった。国王陛下への謁見のドレスも、しきたりの純白ではなく、ひらひらのパステルカラーだったし。よく許されたよ、あんなの……。神はあほ娘に余計な乳と才能を与えてしまわれた。
アリサにその気がない以上、私と同じことができる令嬢などいるはずがない。天才王女様のマーガレットは、「108回」では決まって早逝だったしね。
練習すればするほど〝雷鳴〟の難しさはわかってくる。何人もの気の強い才媛が、練習中にあまりの壁の高さに絶望し、自信を打ち砕かれ、ときには精神に異常をきたした。まるで登山者を徹底的に振り落とす孤高の頂であり、おかげで私の社交界デビュー後、〝雷鳴〟にはデビュタント殺しという不名誉な通り名がつけ加わわった。
社交界での称賛という甘い誘惑で、世間知らずの少女を頂きに挑ませ、ここを越えればゆるい傾斜になるから頑張れ、君なら登りきれると励まし、精も根も尽き果てたところで、ジャジャーンと雲のヴェールをとっぱらってオーバーハングを見せつけ、爆笑しながら奈落に突き落とす悪魔だ。
緊張でがちがちになる社交界デビューに、そんな〝雷鳴〟で挑むなど狂気の沙汰だ。強風吹きすさぶ絶壁のふちをハイヒールで歩くより無謀だ。出だしの音楽を聴くだけで足がすくむだろう。待っているのは周囲の称賛ではなく、身の程知らずという嘲笑だと、踊る前から肌でわかってしまう。私は、のちの血で血を洗う王位争奪戦を見据えていたから、スタートダッシュとして敢行できたのだ。そこまでの覚悟がないと〝雷鳴〟は踊れない。
……だからこそ私はこんなに焦っているのだ。お母様はとっくに成人しているが、社交界にはほとんど顔を出していない。今回のファーストダンスが、実質のデビュー戦だ。いくらなんでも荷が勝ちすぎる。
「……どいて!! 道を開けてってば!!」
だが、赤の貴族達が十重二十重に、舞踏の間の中心にいるお母様とローゼンタール伯爵夫人を取り囲む形になっているため、私はなかなか二人のところに近づけない。
「……では、公爵夫人。どの〝雷鳴〟を踊るか、お選びくださいな」
ローゼンタール伯爵夫人が、緊張で顔をこわばらせたお母様にうながす。若い頃の姿に戻ったお母様はいつもよりずっとかぼそく見えた。
音楽が鳴りだしたらもう手が出せなくなる。
令嬢貴婦人にとり〝雷鳴〟は神聖な儀式に近い。一度はじまったのに横槍を出して中止など、決して許されない。失敗して笑われるよりもひどいことになる。卑怯者としてお母様の名は地に落ちる。
「……させるもんか。今なら、まだ……!!」
業を煮やした私は強硬手段に出ようとした。胸元に隠した真祖帝のルビーを振り回し、さえぎる貴族達を失神させ、突破口を開こうとしたのだ。光蝙蝠族達の怨恨は解けたとはいえ、ルビーの呪いは健在で、私以外の人間が触れると衝撃で昏倒してしまう。七妖衆の無貌のアディスからでさえ一度はダウンをとった私の奥の手だ。だが、できなかった。
「……気持ちはわかるけど落ちつけ、スカチビ」
ルビーを引っ張り出す前に、後ろから追いついたブラッドが、私の手をおさえたからだ。
「……ッ……!!」
私は声なき悲鳴をあげた。あやうく大声を出して、シリアスな雰囲気を台無しにするところだった。急いだブラッドは、胸元にすでに指をさしこんでいた私を、最速確実な方法で止めた。すなわち私の手を胸ごと鷲掴みにしたのだ。
「あ、あんたね。いくら私が魅力的だからって、こういうのは段階を踏んで……」
「……ああ、おまえはいい女だよ。だから、いつものおまえらしく、コーネリアさんをよく見てあげな」
ブラッドがにっこりし、私ははっとなってお母様のほうに目をやった。
目があったお母様は、緊張した面持ちながらも力強くうなずき、まかせてというふうに、ぐっと親指を立てた。
「……な、わかったろ。どんなピンチからもスカチビを守り抜いた最高の母親がやるって決めたんだ。信頼して応援するのが愛娘のつとめってやつさ」
ブラッドもにっと笑い、親指を立ててお母様に応えた。
私は羞恥で身が縮む思いだった。
そうだ、ブラッドの言うとおりだ。私はさっきお母様の努力に、太鼓判を押したばかりじゃないか。この世の誰が信じなくても、私だけは最後までお母様を信じなくてどうする。お母様の覚悟を見ずに、〝雷鳴〟の名にふりまわされ動揺するなんて、赤の貴族連中と大差ないじゃないか。
「落ち着けって!! アーノルド!!」
「離しやがれ!! セラフィ!! 師匠の危機だ!! ここで弟子が動かないでどうするよ……!! 師匠に危害を加えようとする奴は、俺様がすべて成敗すりゃ済む話……」
「大貴族の息子なのに、どうして君はいつもそうアホ脳筋なんだ!? 陸には陸の、海には海のルールがある!! 社交界の枠組みのなかで戦おうとする公爵夫人の心意気がなぜわからない」
鉄弓をふりまわすアーノルドを、セラフィが背後から羽交い絞めにし、ため息をつきながら諭していた。
人の振り見て我が振り直せ。私、アホノルドと同じことをしようとしてたのか……。本人の意向を無視した思いやりは、ときとして破滅を招くと、「108回」で何度も体験し、酸いも甘い嚙分けたつもりだったのに、私こそ人生のデビュタントみたいなもんだ。反省。猛省。もうしない。ブラッドに感謝だな。
「……心音でわかる。表情は少し緊張しているけど、コーネリアさんは今、ベストコンディションだよ」
私を安心させるためのフォローも忘れない。
恥ずかしくて口には出せないけど、いつも私を支えてくれてありがとう。
「……ところでブラッド、あんた、乙女のふくらみをいつまで触ってる気?」
私は照れ隠しでブラッドを茶化した。ブラッドは私の胸に手を当てたままだ。それでお母様とサムズアップしあったりしてるもんだから、まるで痴漢を奨励してるような妙な絵面になってしまっている。
「さては私に惚れたな。こういうことした責任はちゃんと取ってよね」
ブラッドが女装してなければ、ちょっとしたわいせつ案件ものだ。
だけど、今の成人姿の私はブラッドより背が高い。余裕を取り戻した私は年上おねえさん気分でブラッドをからかったつもりだった。どうせつるぺたスカチビの胸のくせに、とか笑ってくるだろうけど、おおらかに拳骨一発で済ましてやろうと思っていたのだ。
「わ、わりぃ。きっちり責任は取るから……」
「う、うん」
なのにブラッドのやつ、火に触れたようにあわてて指を引っ込め、耳までまっかにするという似合わない態度をとるもんだから、ものすごく気まずい雰囲気になってしまった。ていうか、あんた責任取るって……どういう……。え、やだ。なんか私まで耳たぶが熱くなってきちゃった……。
「お詫びとして、オレの小遣いで買えるだけのお菓子を買っていいよ。今度一緒におしのびでデートしよう。費用は全部オレもちで。スカチビは女の子だもんな。傷つけちゃったら償わなきゃな。懐が……寂しくなるけどしかたない。グッバイ、オレの小銭たち」
……こら、哀愁たっぷりにまぬけなセリフをつぶやくな。なにが小銭たちだ。あんたのお友達はジャンプするとポケットのなかでチリンチリン鳴るのか。
一気に気分がクールダウンし、私はあきれ果てた。
私、そんなお安い女じゃないんだから。だいたいポケットマネーで億馬車を用意できるこの私を、お菓子で篭絡しようなんて、どんだけ子供扱いしてるのだ。
なのに、ちょっぴり心が浮き立つ自分が情けない。
「108回」の女王時代の節約地獄でフラストレーションためまくった記憶が抜けないのか、私は無料のプレゼントという言葉にとても弱いのだ。贈り主ランキングトップのセラフィなんか、プレゼント攻勢で、私のトラウマをかき消してしまったほどだ。過去のいきさつは水に流し、こいつと仲良くしとけば、これからもうまい汁がたんまりだと、私の猛きパッションが防衛本能を押しのけたのだ。罪を憎んで金を憎まず!!
「貴族の食事じゃなくても、焼きたてや揚げたては美味いもんだぜ。海外から流れてきて、馴染みがないからまだ正当に評価されてない店と顔見知りなんだ。どうだ?」
ブラッドはウインクし、にかっと笑った。
ブラッドはあちこち旅をしてきたせいで妙に顔が広い。ときどきとんでもない当たりを引いてくる。毒殺したいの? というようなゲテモノを勧められ閉口することもあるが、今回は大当たりだと私の女の勘が告げている。
いいよ、手のひらコロコロされてあげましょう。
「思いっきり私を楽しませないと許さないんだからね」
「かしこまりました。精一杯ご奉仕いたしますよ、姫君」
ブラッドは大仰な動作で胸に手をあて腰を折り、私の手に恭しく口づけをするふりをした。お母様に対するお父様のしぐさを思い出し、もっと上向くはずだった私のテンションは、ちょっぴり下降線をたどった。
「……スカチビの親父さんなら、『コーネリア、君の笑顔ひとつあれば、僕は百万の労苦も厭わない。君のしあわせこそが僕の生きる喜びだからだ』とか言いそうだな」
ブラッドは声色を変えて言った。声帯模写うまっ。でも、可憐な少女姿で、そのイケメンボイスはいかがなものか。〈治外の民〉の言霊とばしの応用か。おもしろいから、今度お父様の声で変なセリフを色々やってもらって遊ぼう。
「……じゃ、じゃあ、ヴェンデルの声で、あんなことやこんなことも……」
お母様、今の会話、離れてるのによく聞こえたな!? なに頬を赤らめてるんですか。今はシリアスシーンですよ。つられてなぜかローゼンタール伯爵夫人までそわそわしてるじゃないですか。だいたいお母様がひとこと頼めば、もの真似なんかじゃなく、妻ラブお父様ご本人がドブ水だって喜んですすってくれますよ。
さ、話を戻そっと。
「それ、家でもしょっちゅう言ってるよ。お母様のためなら、全世界相手に戦える人だから」
いろいろ問題があるお父様だが、その揺るぎない信念は尊敬できる。
私達は顔を見合わせて笑った。私の迷いは晴れた。
「……お父様を見習って、お母様の晴れ舞台を信じて見守りましょう」
私は自らの不明を詫びるため、お母様に淑女の礼をした。お母様も気づいてすぐにそっと返礼してくれた。
「アーノルド、君も弟子なら、スカーレットさんを見習って公爵夫人を信じろ。それにしてもデートとは羨ましい。いつかボクもお相手していただいてよろしいですか? 後悔と退屈はさせないと約束しますよ」
ようやくアーノルドを説得したセラフィがこっちにやってきた。
「いいぜ。そこまで熱烈に求められるとなんか照れちゃうけどな」
「……なにが悲しくてブラッド、君とデートしなきゃいけないんだ。スカーレットさんのほうに決まってるだろう」
「……お、俺様もデート……」
ばつが悪そうに引っ張られてきたアーノルドが、ごにょごにょと口ごもる。俺様キャラのくせにはっきりしない奴だ。私はため息をついた。これではいつまでたってもお母様のダンスシーンにうつれないではないか。
「わかってるよ、どうせあんたはお母様とデートしたいんでしょ。クレージーな妻ラブ公爵に殺されるからやめときなさい。トラウマ忘れてたら、娘の私が特別にデートしたげるから、それで我慢することね」
どうせぶうたれると思っていたが、あにはからんや、アーノルドは褐色の肌をぱあっと明るくし、こくこくと頷いた。
「……すっげえ嬉しいぜ」
どストレートに感謝され、私は少しどぎまぎした。かなり目つきの悪い強面が、笑うと別人のように人懐っこく見える。そうそう人間、妥協って大事よ。そして崇拝するお母様の代理として、私にいっぱい貢ぐがいいさ。
「どうすれば楽しんでもらえるか、一生懸命考えてくるぜ」
代理に対するとは思えないほど本気であれこれ思案しだすが、お母様のこともやはり心配らしく、そっちに目をやっては不安な顔をし、こっちに視線を戻しては明るい笑顔といったりきたりで忙しい。激情家だけに感情がまるっきり隠せない。小気味いいほど筒抜けだ。おもしろ可愛いとこあるじゃない。
私はちょいちょいとアーノルドを手招きし、身を屈めさせ、頭をなでなでしてやった。それでもつま先立ちし、背伸びをしないと届かなかったけど。
「よしよし落ちつきなさい。時間はまだたっぷりあるんだから、あとでゆっくり一緒にデートプランを考えましょ。私も楽しみにしてるから。まずはお母様の勝利をみんなで祈ろ」
一瞬アーノルドがぼおっと顔を紅潮させ、子供扱いされて激怒したのかと、私はびびりまくった。こんな背丈の奴に胸倉つかまれてつるし上げられたら、小柄な私の足裏は地上一メートルを空中遊泳だ。だが、アーノルドは「……お、おう」と言うと殊勝にもぴんと背を伸ばし、お母様を見守ることに意識を集中しだした。
て、手なずけ成功……!!
猛獣使いは倍以上ある猛獣を、意のままに従わせるという。
私、えらい。自分のテイマーの才能がこわい。
きっと、あの魔人のようなお父様を服従させるお母様の血がついに覚醒したのだ。
「……ま、まさかアーノルドまで……!? ボクはどうしたらいいんだ。友をとるべきか。愛をとるべきか。それが問題だ……」
なぜかセラフィが頭を抱えて苦悩し、心配したアーノルドがおたおたし、セラフィを懸命に介抱しだした。
なにコントみたいなことやってんだ、この迷コンビ……。
さっき暴れるアーノルドを抑えこもうとしたため、セラフィの前髪は乱れ、ほつれ、隠していた綺麗なエメラルド色の瞳が露出している。そうすると普段は目立たない美形さが際立つ。どたばた劇をちら見していた貴婦人達から、はあっとため息が漏れるのは、呆れていたのではなく、魅了されていたからだと遅ればせながら私は気づいた。そういえば「108回」でも母性本能をくすぐるとか称され、妙にもてていたっけ。鋭い野性味あふれるアーノルドも癖が強い美形と言えなくもない。ワイルド好きな女子にはたまらないだろう。
そして、可憐なヒロインの私は、両方の推し達からの敵意の集中砲火を受けていた。視線がちくちくと全身を刺す。気弱な令嬢なら体調不良におちいるな。私がセラフィとアーノルドを侍らせているように見えるからだね。
誤解もいいとこだ。セラフィは私のお金儲け知識を利用したいだけだし、アーノルドにいたってはお母様の代用品だ。お母様のいじめの件はともかく、こんなことで、身も心も十四年前にもどり昂るおば様達と敵対する気はないのである。あんまり興奮すると元の年齢に戻ったとき、反動で寝たきりになるんだから。
本来は四歳のぴちぴちガールな私は、奴らの嫉妬を鷹揚に受け流した。
その余裕がよけいに小憎らしく映ったのか、ひそひそ陰口が可聴領域にまでアップした。
「あの小娘。チビのくせに偉そうに。まるで躾のなってない小型犬みたいだわ」
「殿方は弱いものをかばおうとするから。それを自分の力と勘違いし、怖いもの知らずで育ってきたんだわ。子供のつくった落とし穴から出られず死ぬような背丈のくせに」
「あの娘には、背の高い殿方より、ハンプティ・ダンプティこそお似合いだわ」
「きっと子供用のサイズの服をいつまでも着られるよう成長を止めたのよ。ケチくさそうな顔をしてるもの」
……。……もうおしまいかしら。
ひととおり耳を傾けてから、じいっと臆することなく視線をあわせ、アルカイックスマイルでほほえむ私を、貴婦人達は理解できないものを見る目で見た。すっかり腰がひけている。
〝なんとでもおっしゃいな。私が「108回」の女王時代、どれだけ国内外から、背丈のことで悪口雑言を受けたと思ってるの。それより、貴女はそのご自慢の背にふさわしいだけの中身をお持ちなのかしら〟
私がにこやかに一歩進むと、威圧され、二歩、三歩と後退った。仮にも私は女王経験者だ。これだけ格の違う相手なら無言で追いこむくらい造作ないのだった。
……勝負ありね。心の豊かな者は、どっしりした城を、心のなかに持っている。厚みがあるのだ。だから心の貧しい者の悪口で傷つかない。彼らの言葉は薄っぺらい。自分で苦労して得た自前のものがほとんどないからだ。大河は小川が流れこんだとて逆流などしないものだ。
「……絶壁娘のくせに。さすがあの公爵夫人の連れだわ」
「形ばかりの身分で、胸と教養は薄っぺらですって」
「きっと野山を駆けまわるうちに、理性と胸を落としてきたのよ」
その悪口で、いったん鎮まっていたお母様への嘲笑まであちこちで復活した。
「あなた達、刀の錆びになりたいようね。その願いかなえてあげる」
売り言葉に買い言葉。私は逆上し、懐から鉄扇を抜き、連中の喉元に一閃させた。そんな乱暴な貴族令嬢など出会ったことがないのだろう。悪口を言った貴婦人達は逃げることもできず、その場で腰を抜かした。本当に裂かれたと思ったのか、蒼白になって両手で喉元をおさえている。
「……安心なさい。今のは刀じゃなくて、ただの扇よ」
「……!!」
私が扇をばっと広げると、ほっとしたのか、再び食ってかかろうとした。
「……ただし特別製の扇だから、細首くらい簡単にとばせるけど」
はらはらと風に舞うのが自分達の髪の毛数本だと悟り、貴婦人達は完全に戦意を喪失した。私はとどめとばかり、扇を指先でくるくるっと旋回させ、空中で髪の毛を細かく分断した。思い出してあとでちょっと恥ずかしくなる大道芸だ。
「ご存じ? 宙にある不安定なものより、固定されたもののほうが数段切りやすいの。たとえば立っている人間のお顔とか。まあ、そちらの方とこちらの方、お互いの鼻をすげ替えたほうがお似合いですわよ。やってさしあげましょうか」
だが、ダメ押しデモンストレーションは、ぬくぬくと高貴な身分に守られてきた彼女達のプライドを完膚なきまで打ち砕いた。
「……あ……う……」
呻いたあとは口ぱくぱくだ。目に命乞いの涙が浮かんでいる。無条件降伏である。
よみがえりかけたお母様への周囲の嘲りも、すっかり沈静化した。
いいことだ。これで少しはお母様もアウェーでも踊りやすくなるだろう。
気を良くした私は、床にぺたんと座りこんだままの貴婦人をからかうことにした。
「あら、言葉をお忘れ? 手がすべって舌を切り飛ばしちゃったのかしら。注意したつもりだったけどごめんなさいね。〝あの公爵夫人〟の連れですから。口より先に手が出てしまいますの」
なにせこちとら「108回」の血で血を洗う王位継承戦仕込みだ。こんな悪口言うしか能がない連中、殺気と啖呵だけで撃沈できる。平和主義者だから控えているだけだ。だが、奴らは……お母様を侮辱し私の逆鱗に触れた。
「よかった。舌はご無事のようね。でも、そのお顔がすだれになったほうがドスがききますわよ。人に喧嘩を売るのがお好きなようですから、そちらのほうがお好みなのではなくて。……ところで、他に私にお話しがある方は?」
……返答なし。せっかく「ですわキャラ」までつくったのに。
私は眉をつりあげ、低いトーンの異国語でまくしたてた。ときどき片言のハイドランジア語を混ぜる。
「……血、垂れる……串刺し……じっくり火、あぶる……まわす……」
喉をかっさばくゼスチャーをすると、みな顔をこわばらせた。侮辱された怒りにハイドランジア語が頭からとび、母国語で苛烈な報復を誓う蛮人にしか見えまい。誰も目を合わそうともしない。もはや腫物扱いだ。
もちろん私は演技している。
ローゼンタール伯爵夫人は私を遠方の小国の大貴族の娘と紹介していた。過激な軍事国家として知られている。その設定にのっかったのだ。どうせあんな辺境の言葉、誰も理解できないだろうし。
「あいつ怒らすとやべぇ……」
アーノルドはひいていたが、心を読めるブラッドと、語学堪能なセラフィは笑いをこらえていた。
だって私は異国語の部分で、
「暖炉でつくる串焼肉だけどさ。やっぱ血がしたたる生焼けは衛生的に問題あるから、まんべんなく火を通したいんだ。でも、あの回転はけっこう重労働だからね。熱で羽根がまわる自動焼き機をつくりたいんだ」
って言ってただけだもの。実際は「108回」の知識でつくった鋳物オーブンレンジがあるから、そんな前時代的なもの、我が家ではとっくに不要なのだ。
「……絶壁って言われてブチきれるなんて……!! 心に厚みがとか、大河がどうとかかっこつけて考えてたのに、胸が薄っぺらって悪口ひとつで逆上……ああ、おかしい……!!」
うっさい、ブラッド!! あんた、そっちの理由で笑ってたの!? 乙女の心のうちを、微に入り細をうがった暴露説明しないで!! みんな、違うよ!! 私はお母様を侮辱されたから怒ったの!! そりゃあ、ちょっぴりは貧乳呼ばわりされて怒ったけどさ。
そうこうするうちにお母様は〝雷鳴〟の選択を終えた。
「〝雷鳴のポルカ〟か。雷鳴シリーズで一番最初に生まれたとされる……。その激しいタップ音が〝雷鳴〟の由来になったともいわれる体力の消耗の激しい踊りだ」
博識セラフィは〝雷鳴〟にも詳しく、解説役をはじめた。
ちょっと、私の見せ場取らないでほしいんだけど。
でも、お母様、ナイスセレクトです。
私がもし選ぶとしたら、きっと同じものを選ぶ。〝雷鳴のポルカ〟は休むことなく跳んだりはねたりするが、それだけに目で追いづらく、間違いもわかりづらい。足が隠れるロングスカートなら猶更だ。これはダンスコンテストではない。私の経験した王位継承候補者同士の戦いと違い、〝雷鳴〟を正しく知る者はほとんどいないはずだ。素人の赤の貴族達相手にボロさえ出さなければいい。
「……殿方役は私がつとめさせていただくわ。その目、やけくそになったわけじゃないみたいね。うまく踊れる自信はおあり?」
ローゼンタール伯爵夫人に問われ、お母様は静かに、そして力強く返答した。
「わかりません。ですが、あなたに恥ずかしい踊りは見せたくない。なぜか、そう強く思えるのです。だから、私はベストを尽くします」
「嬉しいことを言ってくれるわ。その言葉、十四年前に聞きたかった……」
長いまつ毛を伏せたローゼンタール伯爵夫人の口元がほころんだ。
なにかに気づいたお母様が、はっとして尋ねた。
「ローゼンタール伯爵夫人、貴女はあのとき、もしかして……。あの弓はまさか……」
伯爵夫人は、小馬鹿にするようにふんっと鼻を鳴らした。
「……私はね……昔話を懐かしがるような優しい女じゃないの。いい加減に言葉じゃなく、踊りで語りましょう。早く位置につきなさいな」
颯爽とドレスの裾をさばき、踵を返した彼女の目に、光るものが見えたような気がしたのは、私の見間違いだったのだろうか。
「おいおい、あの女が師匠のパートナーつとめるのかよ。罠にかけたりしないだろうな。っていうかドレス姿で男パートなんて踊れんのかよ」
ローゼンタール伯爵夫人にいい感情を抱いていないアーノルドが、汗ばんだ拳を握りしめる。
「……踊るのは不可能じゃないよ。でも、事前によほど練習を積んでいないと無理ね。嫌がらせやからかう目的で出来ることじゃない」
ドレスの裾同士がぶつかりあうから、すべての〝雷鳴〟で可能ではないが、ポルカは比較的男役が容易だ。そして〝雷鳴〟の男性パートは女性のものよりわずかに難度が低い。特に最難関の第四段でその傾向が顕著だ。とはいえ、わざわざ女性が習得するには、仮に女性パートの〝雷鳴〟をマスターしていても、やはり血のにじむ努力と時間が必要だ。その事実が意味することはひとつだ。
「たぶんコーネリアさんが、〝雷鳴のポルカ〟を選ぶって確信してたんだろうな。あの伯爵夫人、コーネリアさんの性格をよく把握してるってことだ。そしてガチの本気だ。体調が悪いのに顔色ひとつ変えてない。その心意気と覚悟を、コーネリアさんは受けて立ったんだ」
ブラッドも私と同じ意見だった。
セラフィも続いて意見を述べた。
「……十四年前の不幸ないじめの件はボクも知っています。あのローゼンタール伯爵夫人が首謀者だったということも。しかし、今の彼女を見る限り、とてもそうは思えない。ボクの勘では彼女はシロです。いったい十四年前、本当はなにがあったのです」
人の目では見えない風や、水面下の海のうねりさえ読むセラフィの勘はずば抜けている。魔犬ガルム戦では、火柱をあげる公爵邸に向かおうとしたお父様を止め、すでに移動していたお母様の元に正しく導いたのも彼だ。おかげで私達は命拾いした。あのときセラフィは、激昂したお父様に剣の切っ先を突きつけられても自分の意見を曲げなかったという。そこまで自分の勘に自負があるのだ。
「……わからないよ。ただ……この〝雷鳴のポルカ〟をふたりが踊り終わったとき、きっと答えが出ている……そんな気がする」
私の言葉を後押しするように、胸元に隠したルビーが淡い輝きを放ちだしていた。
「……どうして……」
ほのかな熱で私はそれに気づいた。
〝雷鳴のポルカ〟開始の音楽が奏でられ、私ははじかれるように顔をあげた。
ブラッドもセラフィもうるさいアーノルドさえも、いや、この会場の全員が固唾をのみ、視線を舞台中央に集中させた。
お母様の緑の瞳と、ローゼンタール伯爵夫人のヘーゼルの瞳が、万感の思いをこめて互いを映しだす。ふたりは優雅に礼をした。歩み寄り、男役のローゼンタール伯爵夫人がすっと受け入れ態勢をとる。そっとお母様が寄り添い、ふたりは指をからめた。
それは誤解からすれ違ってしまった、本来は友達になれるはずだったふたりの人生が交差した瞬間でもあった。同じ行く先を見つめるプロムナードポジションをとる。爪先でもう片方の足のかかとを送り出すようにステップがはじまる。運命の歯車は回りだした。
……そして、これが、ローゼンタール伯爵夫人の人生最後のダンスとなったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
遅ればせながら明けましておめでとうございます!!
今後ともよろしくお願いいたします!!
なお踊りに現実の国名とか混じってますが、深く追求しないでください。




