ファーストダンス
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】2巻が12月17日に発売です!! 鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさま発刊です!! 1巻ともども、どうぞよろしくお願いします!! ちなみに連載誌は電撃大王さまです。
またコミックウォーカー様やニコニコ静画様で、12月16日の11時から、11話②が無料公開開始です!!
ブラッドが最高にかっこいいです!! 惚れちまうぜ!! メイド服だけど。ピクシブ様やピッコマ様で読める回もあります。もちろん電撃大王さまサイトでも。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!! 原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です!!
みなさん、こんばんは!!
見た目は成人、中身は幼女。
きらめく紅い瞳になびく赤髪。
私、本編の主人公、スカーレット・ルビー・ノエル・ハイドランジアと申します。
はじめての方、以後お見知りおきを。
惨殺された「108回」ものループ人生記憶をもつ美少女です。女王なんかもやってたりしました。民に追われて殺されたけどね!! だけど、その知識と経験はすべて思い出した!! 未来になにが起きるかもすべて把握済よ!!
……これからは殺され続けたループ人生を脱却し、悠々自適なひきこもり生活をめざすのだ。未来は私のためにある。成功を約束されたも同然の人生の船出って、なんて輝いているのかしら。ああっ、この楽しさ、みなさんにも分けてあげたい。
というわけで、今の私の栄光の人生遍歴を列挙します。
もう知ってるよ、という方は、ざっと読みとばしてね!!
生まれてすぐに殺されかけたり、鉄をも溶かす高熱でも殺せない小山の大きさの不死身の狂犬が、私を食べようと偏執的に追い回してきたり、見えない攻撃を放つ変態白ずくめ魔人に心臓止められて殺されかけたり……。大陸中に目をつけられる、いわくつきの呪いのルビーの正統所有者にいつのまにかなってたり……。
あの……神様、私の新しき人生、船出した途端に、いきなり大嵐で転覆しかかってるんですけど?
「殺」の字だらけのエピソード紹介とはこれいかに。
この世界、魔術やスキルみたいな人間への優遇措置がないのに。
知識チート以上に、私の人生バグってません?
主に不幸方面に……。
でも、そんな私のピンチを救うべく、集結してくる男の子たちがいた。そう、これよ。やっぱヒロインはこうじゃなくっちゃ。
でも、そいつらって「108回」のループ人生で、私を惨殺してくれた五人の勇士たち……。二度と関わるまいと誓ったのに、なんで向こうから勝手にやってくるの……。そしてついにはループ人生で女王やってた私をおとしめ、国民ひきいて反乱おこした悪友アリサまで登場し、しかもいきなり私に、運命の王子様見つけた宣言……。私、女なんですけど。
ままならぬ人生に、今日もまた私はよみがえるトラウマシャウトをあげるのでした。なにがどうしてこうなったあッ!? しかも未邂逅の残り二人の勇士どもは、奇声が似合うマッドサイエンティスト鼻眼鏡と、男女見境なしの変態ナルシスト美少女顔の狼使い……こいつらが登場すると考えただけで頭痛が……。
以上ざっと自己紹介でした!!
あ、これ、一部抜粋で、もっとたくさんの不幸がふりかかってます。
ほんと、ろくな目にあってないなあ。
……さて、現在の私達の状況。
かっこよくてほっそり美人で、しかも弓の天才という、私の自慢のお母様。
でも、お母様は、貴族達のひどいいじめのあった舞踏会をきっかけに、10年間もひきこもっていたの。あれから14年、やっとトラウマを克服しかけたところに舞いこんだ一通の手紙。それはいじめの首謀者だったローゼンタール伯爵夫人からの舞踏会の招待状でした。
お母様は
「私はスカーレットの母として、恥ずかしくない人間でありたい。みっともなくていい。震えてもいい。だけど……もう、過去の恐怖からは逃げません」
と出席を決意します。
お母様ったら男前……。そして、そう思ってくださるのは嬉しいのですが、当の娘の私は、「108回」のループ人生の最後では、たいてい追手から命からがら逃げ回ってます……。
それに心配です。
だって、舞踏会の主催者のローゼンタール伯爵夫人は、「108回」のループ人生のとき、令嬢だったころの私を殺そうとした性悪女なんだもの。主にアリサのとばっちりでだけど……。そういや、あのときも舞踏会だったっけ……。
あのあほ娘ときたら、社交界の権力者だったローゼンタール伯爵夫人の若い恋人にちょっかい出して、そいつがベッドの中で漏らした伯爵夫人の悪口をそのまんま夫人本人に伝えたのだ。それも激怒した伯爵夫人に、「アリサのバックには、スカーレットさまがいるんだから!!」ととんでもない啖呵をきってだ。
私は口にしていた飲み物を吹き出し、震えあがった。道理で、むっちゃ、私のこと睨んでるわけだよ!! ええ、即その場から、アリサを引っ張ってとんずらしました。なにせローゼンタール伯爵夫人といえば権力者ということ以上にやさぐれてることで有名で、敵にまわすと何をしでかすかわからないと恐れられていたもの。
でも、すでに時遅し。帰りに、ローゼンタール伯爵夫人の差し向けた刺客に襲われ、馬車は転覆するわ、アリサをかばったせいで、全身打撲で後頭部を強打するわで、私は散々な目にあわされたのだった。いきなり殺そうとするなんてひどすぎません? 私、ほんとは無関係なのに……。
這う這うの体でなんとか逃げ帰れはしたけど、いつ再報復がくるかと、布団を頭からかぶってガタガタ震える羽目になった。暗殺対策で窓辺に置いてあるスカーレットちゃん身代わり人形も、4号まで増員した。
頼みの綱のマッツオとエセルリードは折あしく海外に出かけて不在だし、ローゼンタール伯爵夫人が旅行先ではやり病にかかり急死するまでは、ほんと生きた心地がしなかったよ。(※実際はローゼンタール伯爵夫人は、アリサの報復によって惨死しているが、スカーレットはそのことを知らない。書籍版エピソードより)
……とにかく私にとってローゼンタール伯爵夫人は、派手好き、わがまま、すぐブチ切れる、と三三七拍子そろった悪女だったのだ。そのうえ毒蛇の執念深さをもつ。アンブロシーヌの上位互換だ。
だから、今のローゼンタール伯爵夫人に出会ったときには、正直驚いた。目を疑った。
魔眼の力を得て、14年前のあのいじめの夜を再現したこともそうだが、なにより私を殺そうとしたときの彼女よりもはるかに若いとはいえ、あの荒廃した雰囲気が微塵もない。言動もお母様を挑発しているように見せかけているけど、これは見せ場をつくろうとしている? 私だってバカじゃないからそれくらい察せる。赤の貴族達が二度とお母様を侮れなくなるよう、ギャフンさせるのが目的だよね、これ……。じゃあ、伯爵夫人は、14年前のいじめの首謀者どころかむしろそれを阻止しようとしていたの?
おまけにブラッドとセラフィまで、伯爵夫人の真情をくみだすし……。
ちょっと、ブラッド!! そこどきなさいな。優等生組の席は私のものよ!! このままだと私は、見たまんまで物事を判断して憤慨しているアホノルドと同じグループ分けになってしまう!! クールビューティーな私のイメージがピンチだ!!
あわてた私は遅れじと、ローゼンタール伯爵夫人の前に立ちふさがった。
「伯爵夫人、聞かせて。あなたは本当はお母様の敵ですか……!! それとも……!! あなたの表情は信念に殉じる人の顔よ。いじめを楽しめる人の顔じゃない。私は……よくわかる。もしなにかわけがあったなら、お願い、話して……!!」
今の伯爵夫人の表情には見覚えがある。これは私達を逃がすため、ひとりで魔犬ガルムを食い止めようとしたお母様と同じ表情だ。誰かのために命を捨てる悲愴な覚悟を決めたときの顔だ。
私は切々と訴えた。
言葉の細部はぼかすのがポイントである。こうすれば、そんなこと思っていないと反論されなくて済むし、セリフに含みももたせられる。女王時代の交渉事でつちかった悪知恵だ。
……なによ、ブラッド。その苦笑は。
文句ある? 綺麗ごとだけじゃ、おまんまなんて食っていけないのよ。
私の読みは図星だったらしく、ローゼンタール伯爵夫人は胸をつかれたように俯いた。
うんうん、人間生きてりゃいろいろあるもの。お母様も私と同じお気持ちっぽい。母娘だもの。わかるんだ。過去の確執は水に流してあげるとしよう。私のほうは今の人生じゃなく「108回」の出来事だったけど。
月が私達を優しく照らす。和解のときはきた。さあ、寛容な私達母娘のふくよかな胸にとびこんでたんと泣くがよい。
けれど、ローゼンタール伯爵夫人から返ってきた言葉は「あんたみたいな小娘に同情されるほど落ちぶれてないわ。自分の粗末な胸の将来の心配でもしたら」という悪たれ口だった。
な、なんてひどいことを……!!
ほら、お母様が「……うっ……!!」って呻いて胸を押さえて悲鳴をあげたじゃない!! お母様、苦しいでしょうが堪えてください。きっと伯爵夫人にはなにか深いわけが……。
「……あのな、スカチビ、今の粗末な胸って、おまえのことだぞ。コーネリアさんのことじゃない」
拳を握りしめる私に、ブラッドがため息をつく。
そんなバカな。私の胸の前には前途洋々たる未来が広がっているはず……。
お、お母様!? ご自分は無罪の勝訴みたいに、ぱあっと顔を明るくしないでください。私達は一蓮托生、仲良し母娘のはずでしょう。成長期の私より、授乳期でもAクラスを突っ走っていたご自分のほうが崖っぷち状況なのですよ。
びゅううっと風が物悲しく鳴った。
……おのれ、ローゼンタール伯爵夫人。まさか母娘の絆にくさびをうちこむ卑劣な手に出ようとは。月夜の晩ばかりと思うなよ。この恨みはらさでおくべきか。そのロケットおっぱい、鷲掴みにして引っ張って、垂れ乳にしてやるんだから。
とりあえず、貧乳は弓使いの進化とか、空気を読まない発言を得意げにしたアホノルドを、お母様と共同作業でアイアンクロー責めすることで、私の鬱憤は晴れた。
よし、アーノルドのヤツは、これから私の心のバランサーとしてのサンドバッグ役に決定だ。
ツッコミどころ満載の発言製造マシーンだし、なにより本人もちょっぴり嬉しそうだ。こいつ子供とはいえ強面すぎて、女子は敬遠気味だろうから、容赦ないどつきが新鮮なのかもしれない。……セラフィ、なんでちょっと羨ましそうな顔してるの? 人には向き不向きがあるの。あんたまでボケにまわったら、私がひとりでツッコミにまわって大変になるから、おとなしく委員長キャラを貫くように。
……そうこうするうちに、ローゼンタール伯爵夫人の誘導で、お母様は超絶弓技を見せつけ、調子にのってた赤の貴族達をまっさおに黙りこませたのだった。
そりゃそうだ。メルヴィルの矢は、人混みをぬい、障害物を回避してターゲットを射貫く。おまけにかすっただけで即死する猛毒つきだ。本来お母様にちょっかい出すというのは、ガラガラ蛇の巣に素手を突っ込むぐらい勇気が必要なことなのだ。そんな覚悟を決めていじめをする度胸など、ここにいる赤の貴族達は持ち合わせていない。
だが、死に体の赤の貴族達の一部が妙なことで復活した。
「さすがはコーネリア嬢!!」
「我々は今……伝説を目撃した」
「これが、弓技の無限の可能性……この場に居合わせたことを……ただ感謝」
きっかけは、息をのんで、お母様とローゼンタール伯爵夫人の対決を見守っていたハイドランジア王家親衛隊の面々が大興奮し、お母様を取り囲んだことだった。彼ら自身も弓の達人だ。だから余計にお母様の神業にしびれたのだろう。胴上げでもはじめそうな勢いだ。
「ちょ、ちょっと、みなさま……どうか少し落ち着いて……。今さらですよ。あなた達なら、私の腕をよくご存じでしょうに……」
熱気に気圧されたお母様が、なんとかなだめようとするが、火に油をそそぐ結果になった。
お母様、それ悪手です。
たしかに王家親衛隊と我が家は戦友ですし、深い親交もあります。でも、今の王家親衛隊は14年前に心と姿が戻っているのです。
「……みんな、聞いたか。これは……英雄は英雄を知ると、言ってくださったのだな」
「なんという栄誉……」
「この感動、どう伝えたら」
「この場が舞踏会場であったなら、一晩中でも、コーネリア嬢にダンスを申込み続けるのに」
「ずるいぞ!! オレだって……!!」
ほら、お母様が王家親衛隊を特別視してると勘違いさせた。
大歓声をあげた彼らは、自分こそがお母様にダンスを申し込むのだと、妙な対抗意識を燃やし、口喧嘩をはじめた。あー、せっかくだけど、正式に招待されてないあんたらは、舞踏会場には入れないから。
けれど、ハイドランジア最強をうたわれる騎士団に、アイドル扱いされるお母様を見て、赤の貴族の女性陣がいい感情を抱くわけがない。今も昔も一流の騎士にかしずかれるというのは貴婦人のステータスなのだ。嫉妬は恐怖さえ駆逐する。女ならなおさらだ。お母様の「強さ」を見せつけられて目が死んでいる赤の貴族の男達と違い、すさまじい目でお母様を睨みつける彼女らに、私は不安をおぼえずにはいられなかった。
ブラッドとセラフィも私と同じ気持ちらしく、顔を見合せていた。ローゼンタール伯爵夫人は羽根扇で顔をなかば隠していたが、困ったものだこと、というふうにしかめた眉がちらっと見えた。
私達の懸念をよそに、王家親衛隊の大騒ぎは続いていた。
元々ノリがいい連中だが、そこに若さというかバカさが加わわると、もう手がつけられない。なるほど、三老戦士やマッツオみたいなごりっごりのファイターがまとめ役になるわけだ。いざとなるれば鉄拳でどつき回さなければ、この熱狂は制御できない。
「お、俺様も師匠と一曲……」
しれっとバカの群れに加わるな、アホノルド。そもそもアーノルドがダンスをしてるところなんて、「108回」で見たことないんだけど。まさか求愛のダンスとか、弓の神に生贄をささげるダンスとかするんじゃないでしょうね。
「……アーノルドはああ見えても、ひととおり社交ダンスは習得してますよ」
私の疑惑のジト目に気づき、セラフィがさりげなく親友のサポートにまわった。
ふうん、意外だ。そういや、あいつ上流貴族の息子だった。
「セラフィも踊れるの?」
「ええ、人並みくらいには。ぜひ、いつかスカーレットさんにお相手を……」
謙遜家のこいつが人並みというからには、自信ありということだ。さすが努力の勉強家だ。将来にそなえ社交界のマナーは習得済というわけだ。そして、今、笑顔で口にしかけた台詞をはっとして吞みこんだね。おねえさんは見逃さなかったよ。私との身長差に気づいたんでしょ。大人の姿になったセラフィは身長百八十センチ以上ある。たいして私は百五十センチほど。ヒールをはいてもその差は歴然だ。普通は30センチも身長差があったら、ダンスは不可能だ。普通ならね。
「ええ、そのときはお手柔らかに」
私はむきになって反論したりせず、余裕の笑みを返した。
たしかに大人になっても私の身長は平均より低い。だけど、ダンスで不覚を取ったことはただの一度もないのだ。「108回」で諸外国の要人を招いたときも、最初私を侮っていた連中の顔を、一曲踊った後には、称賛一色に変えてきた。王位争奪戦を勝ち抜き、女王業をはってた私にとり、ダンスとは生き残るための武器だった。ぶざまを見せれば進退に関わる息詰まる空気のなか、私はそれを必殺の刃の域にまで昇華したのだ。
ダンスの行きつく先は、精妙な人体操作の粋だ。
体重移動、身体さばき、筋肉の予備動作、軸移動、あらゆるものを使い、パートナーを誘導し、共によき流れをつくりだす。高度な武術の組手に相通ずるものがある。小柄な武術の達人は、掴みかかる大男の力を巧みにコントロールし、逆に投げ飛ばす。私もダンスに関しては似たようなことが出来るのだ。たとえば悪意をもって足をわざと引っかけようとしたり、ふんぞり返ったホールドでこちらの体勢を崩そうとしても、その動きに入るだいぶ前から相手の意図を察知し、回避できる。
……お母様も雷鳴など特殊なものをのぞけば、ひととおりのダンスはマスターした。だけど、女性をリードすべき男性がわざとそっぽを向いたり、横で踊っている組に妨害されたらまともには踊れない。だから、悪意に満ちるであろう今宵の舞踏会場では私のサポートが必要だ。
私の戦闘力は、お母様やブラッドには遠く及ばない。
けれど断言しよう。
大人の姿の今、ことダンスに関してだけは、私は誰にも負けない自信がある。
……ごめん、ひとりだけ勝てる自信がない相手がいた。
あほ娘のアリサだ。
すべてにおいて鈍くさかったあいつだけど、ダンスは別格だった。
あいつは女性には嫌われまくっていたから、しょっちゅうひどい目にあわされた。ま、ところかまわず気にいった男性に抱きついてたから、恨みを買うのも自業自得なんだけどね。踊っている最中に背後からワインをぶっかけられるなどザラだった。だけど、ダンスの最中のアリサは、優雅に回転しながら、無数の水滴のあいだをすり抜けた。背中に目がついているなんて表現じゃまだ足りない。あのときアリサは、意地悪な夫人の手鏡の反射をまともにくらい、瞼を閉じていた。
なのに、腕に垂らしたアトラスシルクのショールを彩雲のようにたなびかせ、それにさえ染み一つつくらなかった。アトラスシルクの生地は一定の速度と光にあたる角度でまわすと、虹色の光から一色の輝きに変わる。じつはそれこそがアトラスシルクの本領で、ダンスの名手の証明になるのだ。
アリサが得意としたのは青色……凍りついた山脈の頂きを思わす色だった。あの瞬間のアリサは、まるで天から舞い降りた凍える水流をまとった冬の女神だった。
私は見惚れるを通りこし、敗北感にうちのめされた。
私だって万全の環境なら同じことをやれる。だけど、周囲が敵だらけでは、アリサと同じ真似はとてもできない。正直悔しかった。私が踊りの名手になったのは、人間離れしたアリサの影を追い続けたこともあると思う。
「……スカーレットさまあ!! アリサ踊って汗かいちゃった。自分じゃ届かないから、おっぱいのあいだに手を突っ込んで、ごしごしてえ」
もっとも踊っているとき以外のあいつは、私に駆けよる途中でなにもない床で転倒し、わんわん大泣きする幼児みたいなヤツだったけど。私は、乳がもげるほど肌をこすってやろうとしていた手をひっこめ、よしよしとアリサを慰めるしかなかった。
「……スカーレットさん、どうかしました? 舞踏会がはじまりますよ」
立ち止まってしまった私を心配し、セラフィが声をかけてくれた。
「ご、ごめん。今行くよ」
私は赤面し、頭をふってアリサの幻影を追い払った。あまりにイメージが強烈すぎ、現実と夢想が逆転していたのだ。現実主義者の私には珍しかった。あるいは私は虫の知らせで、今後の展開を察知していたのかもしれない。アリサ級の神業が必要な危機に、すぐに舞踏会で出くわすことになったのだから……。
◇◇◇◇◇
ローゼンタール伯爵夫人邸では、楽団が典雅に曲を奏で続けていた。
ハープまである四十人以上の大編成だ。ここからは見えなくても、私は音で聞き分けられる。その規模をから、ローゼンタール伯爵夫人がこの舞踏会にかける意気込みが伝わってくる。
「しっかし、まさかオレたちまで、舞踏会に参加できるなんてなあ」
ローゼンタールの名にふさわしく、舞踏の大広間だけでなく、玄関の大ホールまでも埋め尽くした薔薇の芳香と、シャンデリアの蝋燭の光に目を細めながら、ブラッドが私に小声でささやいた。
「言っちゃなんだけど、普通オレみたいな素性のわからんヤツ入れるか? ローゼンタール伯爵夫人って、貴族にしちゃあ、ずいぶん太っ腹だな。スカチビんとこの家みたいだ」
銀の燭台の値踏みをしていた私はうなずいた。
ブラッドの言う通りだ。これは私にとっても意外だった。「108回」では気にくわないからと、すぐに私に暗殺部隊を差し向けてきたぐらいだったのに、今の伯爵夫人はまるで別人だ。
きちんとした舞踏会は、フリー参加ではない。基本的に招待状が必須だ。主催者側は、参加者の人数を把握し、クロークルームや休憩時の食事、馬車のとめ場所などをきっちり確保する必要があるからだ。シンデレラのように飛び入りで宮廷舞踏会に参加など、現実では夢物語だ。よほどの縁故でなければ門前払いをくらうのは確実だからだ。
会の品位や規模が上がるほど、主催側の神経の尖らせ具合も半端でなくなっていく。正賓会ほどでなくても、不手際のないおもてなしをしないと、その貴族は笑いものにされてしまうからだ。おもてなし総指揮を執る女主人の、社交界での評価を大きく左右する、いわば女達の戦場なのである。
まさに諸刃の剣としか表現しようがなく、多額の資金と人員をはじめてのイベントに投入したにもかかわらず、芳しい評価を得られず、ショックで半狂乱になった貴族の若奥様たちを、私は何人も見てきた。
百戦錬磨のローゼンタール伯爵夫人は新米夫人たちと違い、さすがに場慣れしていて堂々たるものだが、それにしてもよそ者のブラッド、セラフィ、アーノルドまで参加を許可するとは大盤振る舞いすぎだ。
ちなみに王家親衛隊の面々はさすがに参加を許可されませんでした……。連中、だいぶローゼンタール伯爵夫人に食い下がっていたが、ばっさり却下された。落胆しきって、なかば泣きべそだが仕方ない。
「……冗談じゃないわ。ハイドランジア王家親衛隊が、14年前の舞踏会に参加したなんてムチャクチャすぎるわ。赤の貴族達の記憶がぐちゃぐちゃになるじゃないの」
憮然としてローゼンタール伯爵夫人は呟いていた。
「……?」
そのときは言葉の意味がわからず聞き逃したが、あとでどれだけ伯爵夫人がお母様のことを思って動いてくれていたかわかった台詞だった。
ローゼンタール伯爵夫人は、屋敷に入る直前、私とお母様、ブラッド、セラフィ、アーノルドのところに悠然と歩いてくると、まわりに聞こえないよう少しひそめた声で語りかけた。
「私の魔眼の力で、あなた達は外国の貴族の子息ということにしてあるから、そのつもりで行動なさい。ああ、スカーレット。さすがにあなたの紅い瞳はまずいから、コーネリアさんと同じ瞳の色に見えるようにしてあるわ」
もっともな処置だ。赤髪はともかく、真祖帝と同じ紅い瞳なんて、私もお父様以外に出会ったことはない。そのままだと血縁ばればれになる。しかし、魔眼ってなんでもありだな。
「……それにしても真祖帝のルビーの力はすごいわね。伝説の呪物だけのことはあるわ。私の魔眼の力なんて無視して、あなた達を大人の姿に変えちゃうし。リスクなしでそれなんてうらやましいわ」
向こうにしたら、こっちこそ、ということらしい。口ぶりからしてルビーのほうが上位なのか。今でこそ使用ににリスクなしだけどね。手に入れるときは呪いで苦労したのよ。頼まれたって交換しないからね。
「……少しぐらいなら、私でも、なんとかあなた達の外見もいじれるんだけど。……根本から変えようとすると、魔眼もはじかれてしまうわ」
異様に目を輝かせたあと、ローゼンタール伯爵夫人はため息をついた。
「これぐらいなら出来るんだけど」
「……う、うおおッ!?」
ブラッドが驚きの声をあげた。
あわてふためく彼を見た私達も仰天した。
「な、なんだ!? オレの胸が……!!」
ブラッドの胸が隆起した……!!
「な、なんとかしてくれ」
ブラッドに助けを求められたセラフィとアーノルドがまっさおになり、自分の胸をおさえ、薄情にも飛び退いた。
「う、海ではいくらでも不思議なことが起きます。しばらく事態を静観すべきです」
いや、セラフィ。だからここは陸だって……。
「お、俺様に触るんじゃねえ!! うつったらどうすんだ!! 胸がそんなに腫れちまったら、弓が引けなくなるじゃねぇか」
胸が……腫れる……? そして、うつる……!!
はっとなった私とお母様が、稲妻のごとく飛び出したのは同時だった。
「ブラッド!! その胸の腫れ、私がもらったげる!! 感謝して早くよこしなさい!!」
「いいえ、スカーレット!! 娘に厄災を背負わすわけには!! ここは母親の私が!!」
「いえいえ!! お母様、気遣いは無用です!! 若い頃の苦労は買ってでもしろと言いますし!! それにお母様、お乳が邪魔で弓が引けなくなったら一大事ですよ!!」
「やめろおっ!! 争うなら、オレの胸から手を離してやってくれ!! 胸がもげちまう!!」
獲物を逃がすまいと、ブラッドの巨胸を鷲掴みにし、骨肉相食む私とお母様と、悲鳴をあげるブラッドを、セラフィとアーノルドが怯えて見ていた。
……なんか文句ある? おっぱいがでっかいかどうかは、女にとって切羽詰まった大問題なのよ。男のあんた達には、おっぱいヒエラルキーの最下層の住人の無念はわかるまい。
お母様は凛と顔をあげた。
「やむを得ません。私は弓を引退します。弟子のアーノルドをメルヴィルの後継者にします。アーノルド、あなたに教えることはもうありません。免許皆伝です。受け継ぎなさい。メルヴィルの魂を。あの呪われた戦装束とともに」
お母様は悲愴な表情でアーノルドに言い渡し、ついでにちゃっかり戦装束も押しつけようとはかった。
突然の宣言に、アーノルドは金色の目を見開いて悲鳴をあげた。
「そりゃねえぜ!! 師匠!! 俺は弟子入りしたばっかで何も教えてもらっちゃいねぇよ!! な、なあ、セラフィ。メルヴィルの戦装束ってなんなんだ。悪い予感しかしねぇ……」
野生の本能で不穏なものを嗅ぎとり、褐色の肌を灰色にしているアーノルドに、セラフィは悲痛な面持ちでうつむいた。
「……ひとことで言うなら、太もも丸出しのミニスカートだ。アーノルド、もし君があの戦装束を継承するなら、これからは闇の狩人ではなく、露出狂の狩人と名乗ることになるだろう。だが、心配するな。ボクらの友情は、それぐらいで揺るぎはしない」
オレンジがかった前髪の奥でエメラルドの瞳が優しく光った。
アーノルドは鷹を思わす瞳をつりあげて叫んだ。
「……心配しかねぇよ!! 俺様に変態の汚名をかぶれってのか!!」
たしかに基本ロングスカートで足首さえも見せない貴族女性の常識からすると、メルヴィルの戦装束は狂気の沙汰以外のなにものでもない。だけど、変態は言い過ぎよ!!
「へ、変態……」
ほら!! お母様がショックで、矢が命中したウサギみたいに倒れちゃったじゃないの!!
うつろな目で、「……うふふ、そうよ。どうせ私は変態……三十路をすぎて、生足丸出しの恥知らずの女……」
って寂しい笑い声を立ててるよ!!
どーすんのよ、これ……。ウサギは寂しいと死んじゃうのよ。
おのれ、アホノルド!! せめてもう少し婉曲な表現を使いなさい!! やんわりと!! どうしようもない破廉恥衣装とか!! 痴女みたいな恰好とか!! お母様はなにも悪くない!! 衣装がすべて悪いのよ!! 私のお母様を傷つけるヤツは絶対に許さないんだから!!
息巻く私にブラッドが呆れ顔をした。
「……いや、スカチビ。おまえも大概ストレートだと思うぞ」
なによ、あほブラッドのくせに!!
あれ? あんた、おっぱいいつの間に引っ込んだの?
私の疑問にローゼンタール伯爵夫人が答えた。
「……言ったでしょ。私の魔眼の力は、真祖帝のルビーに跳ね返されるって。この坊やは自身がなにか特別な力に覆われているから、ルビーの影響を受けきっていないの。だからほんの少し魔眼の力を通せただけ……。でも、やっぱりすぐに元通りになってしまうの」
じゃ、じゃあ、私の夢のおっぱいもりもり計画は……!!
「無理ね」
はかなく散った夢は、立ち直れないほど悲しい。その夢が甘美であったほど。
お母様と私はショックでがっくりなった。
ローゼンタール伯爵夫人の魔眼とルビーのトレードとかひそかに考えていたのに。
「……そっかぁ。オレに特別な力が……特別かあ。あいたあっ!?」
私は腹立ちまぎれに、得意満面なブラッドの脛をがしがし蹴ってやった。
黙れ、チート生物。私はどうせ平均値以下よ。遥かなるおっぱい山の頂を、谷底から仰ぎ見るしかできない女よ。持たざる者の恨みを思い知れ。
「いや、スカーレットは胸があろうとなかろうと可愛いだろ。それでじゅうぶん」
我が魂の慟哭を感じ取ったのか、ブラッドは怒りもせず、私の頭をぽんぽんと叩き、慰めてくれた。涙を指先で拭うおまけつきだ。
「な、なによ。今は私のほうが背が高いんだから。可愛いなんて言われても……う、嬉しくなんかないんだからね!!」
嘘です。むっちゃ嬉しいです。
「じゃあ美人だ。だから、いつまでもむくれるな。せっかくの美人が台無しだぞ」
そう笑顔で言われ、私はにまにまする顔を見られまいと、あわててそっぽを向いた。
べつにブラッドに言われたから嬉しいんじゃないんだからね。女の子は誉められると嬉しい生き物なのだ。
機嫌が直った私を見て、アーノルドとセラフィがこそこそ話をしている。
「な、なあ、セラフィ。ブラッドのやつ、今の計算してやったのか」
「いや、あれは天然だ。そこがブラッドのおそろしいところだ」
「すげえな。兄貴が聞いたら血の涙を流して口惜しがるだろうぜ。女を口説くことには命を懸けてるから」
「残念だ。その努力を弓のほうにまわせば、公爵夫人に匹敵する名人になったろうに。宝の持ち腐れだ。神はまちがった人間に弓の才能を与えてしまった」
セラフィが嘆く。
アーノルドのお兄さんって、女遊びがすぎて、背中から刺されたってロクデナシか。そのまま大量出血して死ねばよかったのに。
ローゼンタール伯爵夫人が嘆息して割って入った。
「……痴話げんかはもう終わったかしら。いい加減話を先に進めてもいい? 私にはゆっくりしている余裕はないの」
「ち、痴話げんかなんかじゃ……」
まっかになって食ってかかろうとした私は、伯爵夫人の顔色の悪さに冷や水を浴びせられた気がした。汗びっしょりで息も荒い。明らかにただごとではない。
「……だいじょうぶですか? ローゼンタール伯爵夫人。どこかで休まれては……」
心配して走り寄ったお母様の手を、伯爵夫人は乱暴に振り払った。
「ずいぶん余裕ね。悪女の私によけいな気をつかう暇があるのなら、もっと自分を堂々と魅せることに神経を集中しなさい。社交界はああいう魑魅魍魎どもの巣よ。よそ見して隙を見せたら脇腹を喰いちぎられるわ」
ローゼンタール伯爵夫人は顎をしゃくった。
そのときになって私達は、赤の貴族達が金縛りにあったように硬直していることに気づいた。私達の醜態を目撃されないよう、ローゼンタール伯爵夫人が、彼らの時間を止めてくれていたのだ。そんなこともできるのか。だけど、魔眼でこれだけの大人数を一度に操ると負担が半端ないということか。
「戦場で男達が命を燃やすように、女達は社交の場に命を懸けるの。だから汚い手も平気で使う。くだらない噂で人をおとしめようとする。男と同じステージで戦えるあなたにとっては、女々しくてどうしても好きになれない場所だと思う。だけどね……!!」
ローゼンタール伯爵夫人は息を整えると、それまでの優雅な動作にそぐわぬ荒々しさで、がっとお母様の両肩を摑んだ。
「だけど、英雄、紅の公爵のパートナーでありたいなら。あの人を本気で支えたいなら。……社交界で戦って勝ち抜きなさい。この豪華で虚飾に満ちた舞台を、ルールに則って制すの。それができなければ、貴族の男達の裏にいる女達は動かせないわ」
ぎゅっと食いこんだ指先から、抑えきれない激情が迸るようだった。ローゼンタール伯爵夫人がお母様に本音で語っていることが伝わってきた。
その気持ちを受け、お母様も緊張に満ちた表情で、しかし目は一切そらさなかった。
その真剣な眼差しに、ローゼンタール伯爵夫人は、ふと厳しい表情をやわらげた。
指をぱちんと鳴らすと、赤の貴族達の停止の魔法が解かれた。
「コーネリアさん、私はあなたをファーストダンスの相手に指名するわ。もしぶざまに失敗するなら、指をさして嗤ってあげる。赤の貴族達も嵩にかかって嘲笑してくるでしょうね。ガラスのハートのあなたに耐えられるかしら」
そう言って冷笑し、手を差し出した。
「ここから先は、お得意の弓矢が通用しない舞台よ。飛びこむ勇気はおあり?」
お母様は躊躇わずにその手を取った。
「喜んでお申込みを承りますわ。ローゼンタール伯爵夫人」
ふたりの貴婦人は一瞬だけ顔を見合せ、ほほえみあった。
……だが、ウェディングレセプションでのなごやかな新郎新婦のファーストダンスと違い、こちらはふたりの女性の意地と矜持のぶつかりあいだ。ほほえみの裏で、見えない緊迫の火花が散る。
「みなさま!! 公爵夫人がご自慢のダンスを、お手本として私達に示してくれるそうよ。私、お相手をたまわりましたの。ああ、光栄だわ。虫唾が走るくらい」
ローゼンタール伯爵夫人は、赤の貴族達に聞こえるように言い放つと、くるりとお母様に背を向け、颯爽と歩き出した。固唾をのんで見守っていた私達は、緊張から解き放たれ、はあっと息を吐いた。
しかしファーストダンスか……!! まさかその手でくるとは思わなかったよ。舞踏会で、他の参加者の先陣きってのこのダンスは、一番上位の者や主役が務めるのが通例だ。お母様は公爵夫人だから、本来は役的に不思議はないけど……。お母様を蔑んでいる赤の貴族達は面白くないだろうな。ファーストダンスがお母様と知り、顔色を変えている。ファーストダンスは責任重大だが、女なら一度はあこがれる檜舞台だ。嫉妬もすごいはずだ。もし、しくじったら、ローゼンタール伯爵夫人の言ったとおり、鬼の首を取ったように騒ぎ立てるだろう。一挙手一投足を、鵜の目鷹の目で粗探しされるプレッシャーに、お母様は耐えられるだろうか。
私の不安を感知したのだろう。お母様は私に笑いかけてこう尋ねた。
「心配そうな顔をしているわね、スカーレット。正直に答えて。私にダンスを教えたあなたの目から見た今の私のレベルは?」
私は少し迷い、正直に答えた。
「お母様は、最高難度の雷鳴のさわりまで、ダンスをマスターされています。たとえここが宮廷舞踏会でも、誰かに後れを取ることはないでしょう。ただ周囲が敵だらけの死地となると、さすがに……」
口にするうちに、胸にふつふつと誇らしさがわいてきた。
ここまで成長したのは、涙ぐましいまでのお母様の努力の賜物である。ほんの数カ月前まで、夜会用のドレスを着てダンスをするたびに、ステップを踏むのではなく、ドレスの裾を踏み、すっ転んでいたのだ。
ダンスの技量不足もそうだが、メルヴィルの実家で狩猟生活に明け暮れていたお母様は、正式なドレスを着る感覚にまったく慣れていなかった。公爵家に嫁いでからは、くされバイゴッド祖父母のやらかしのせいで、超貧乏であり、丈夫な平民服でほぼ毎日を過ごしていたしね。寝巻と平民服とあの戦装束しか持っていなかったのだ。悲しすぎる公爵夫人である。その流れで我が家の経済状況が好転したあとも、着たきりスズメだったのだ。
なので私は、「私なんかにもったいないし、気をつかうし、動きづらいです」と及び腰のお母様を叱咤し、イブニングドレスを装着をしたままの生活を強制した。
私なんかって、経産婦がヒロインムーブしないでください。そうゆうのは乙女な私の役目です。お母様、貴婦人は一日何度も服を着替えるものです。楽だからとずっとエプロンつきの平民服でうろうろしないでください。きちんとしたドレスを着こなすことは、貴族女性のたしなみ、そして衆人環視のなかで堂々とダンスするための第一歩です。
「だ、だからって、スカーレット。昼間からこんなはしたない恰好を……」
たしかに胸元の大きくひらいたイブニングドレスを昼も着ているのはおかしいです。胸が不自由なお母様が、着たくない気持ちもよっくわかります。ええ、私には誰よりも。だけど、あえて私は心を鬼にします。ドレスは習うより慣れろですよ。だいじょうぶです。あのぶっとんだメルヴィルの戦装束に比べれば、なにほどのことがありましょうか。
それにあの妻ラブの変態……こほん、お父様の反応をご覧ください。さまざまにドレスアップしたお母様を見て、毎日うっきうきですよ。
「今の我が家では、愛しのコーネリアと、四季の庭の花が、色とりどりに、ぼくの目を楽しませてくれる。男としてこれほどしあわせなことがあろうか」
あいかわらず歯の浮きそうな台詞を恥ずかしげもなく……。
「このしあわせが逃げていかぬよう、君をぼくの両腕で抱きしめたい。おいで、ぼくの可愛い花よ。ベッドの上で咲き乱れるところを見せておくれ」
きりっとした顔して、まっ昼間から、娘の前で妻を繁殖行為に誘う英雄……。頭のなかにどピンクのお花が咲き乱れてるのかしら。それともカビ? つらくても耐えるのよ、スカーレット。この色情魔人の血が、私にも流れているのは事実なんだから……。
しかし、お父様の熱烈アプローチにより、お母様は日常でもドレスを嫌がらなくなった。やはり女は誉められて大輪の花を咲かすものなのだ。そして、もうひとつ……。
「コーネリア。君がダンスを学びたいというのなら……ぼくも手伝わせてもらってかまわないだろうか」
なんと、この発情期ウサギのような変態公爵は、ダンスのほうもとんでもない変態的なまでの名手だった。私が舌をまくほどだった。今まではお母様のトラウマを刺激しないため、ダンスをすべて封印していたのだ。もしかして、「108回」のお父様が、終始一貫して踊らなかったのは、苦手だったのではなく、亡くなったお母様に殉じたのかもしれないと思い当たった私は、少ししんみりした気持ちになった。
こうして私の地獄の特訓と、お父様のサポートを得て、お母様はダンスのステップを習得していった。一度コツをつかんでからのその上達の早さは、目を見張るものがあった。もともと抜群の運動神経と身体能力を誇っていたのだから当然と言えば当然だ。
閑話休題!! とにかく!! 今のお母様ならダンスの実力はじゅうぶんです!! そうだ。外野が妨害するなら、私が食い止めればいいだけだ。ならば、あと必要なのは……。
私の心を以心伝心で読み、お母様は頼もしくほほえんだ。
「……あと必要なのは、平常心で集中すること。それと……踏み出すための、私のちっぽけな勇気だけでしょう。死地? 上等よ。ガルム戦からもう慣れっこだわ。行きましょう」
私達はローゼンタール伯爵夫人と取り巻く赤の貴族達のあとを追い、屋敷に移動した。伯爵夫人が声をかけてくれていたので、招待状を見せることなく、受付を素通りできた。
二階の舞踏の間に続く、威圧するような巨大な階段を、お母様はじっと見上げた。
「……14年前、私は不安におののきながら、この階段の前に立ちました。おどおどし、下ばっかり見つめていた。だけど、今は」
お母様は、きっと前を見据え、力強く足を踏み出した。
曲が勇壮なポロネーズに変わった。舞踏会開始の合図がわりだ。もう参加者全員が舞踏会場に移動しているから、入場の列はつくらない。すでに舞踏の間の中央で、ローゼンタール伯爵夫人がお母様を待っていた。
舞踏の間の入り口に控えて居た係の声が、天井高く響き渡る。
「ヴィルヘルム公爵夫人様のおつきです」
会場中の視線が、入場したお母様に集中する。ざっと人混みが割れ、道ができる。敵意に満ちたまなざしのなか、怯むことなく、お母様がゆっくりとローゼンタール伯爵夫人のもとに向かう。
「コーネリアさん、踊りに専念して。まわりの奴らがなにかしようとしたら、血流で心を読んで、オレがすぐに助けに行くよ」
「連中の動向はボクも把握しています。闇夜の大嵐の海を突っきることに比べれば、そう難しいことではありません」
ブラッドとセラフィの励ましに、お母様は小さくうなずいた。
味方になると、ほんと頼りになるよ。このふたりは。
「師匠!! ファイトだ!! 後方からの援護射撃は、俺様にまかせてくれ!!」
うん、アホノルド。おまえは黙れ。ふたりに負けじと、人混みで物騒な鉄弓をふりまわすな。それ、「108回」の近接戦闘で直接相手を殴って、怪我人の山を築いてたやつでしょうが。こいつは舞踏会を殺し合いの場かなんかと勘違いしてるんじゃなかろうか。
お母様を出迎え、ローゼンタール伯爵夫人が驕慢に嗤う。
「……ふふ、宮中の毒サソリと呼ばれる私の誘いから逃げなかった度胸だけは誉めてあげる。ポロネーズより葬送曲のほうがよかったってならないことを祈るわ」
毒づく伯爵夫人に、お母様はおだやかな笑顔を返した。
「私は弓矢を交えれば、その方の本心を察することができます。いくら善人を取り繕っても、所作に心の姿勢は現れるもの。その逆もしかりです。ダンスでもきっと同じことができると信じていますわ」
「……なかなか言ってくれるわね。やれるものならやってみるがいいわ」
ローゼンタール伯爵夫人は鼻で笑うと、すっと楽団に向かって手をあげた。
私はごくりと生唾をのみこんだ。
さて、どんなダンスでローゼンタール伯爵夫人は挑んでくるのか……。
「その覚悟は認めるわ。だけど、社交界は女の戦場と教えてあげたでしょう。戦場に命をかけるのは、男達やあなただけじゃないのよ」
多数を占めるヴァイオリンなどの弦楽器団員の半数以上が、楽器をおろした。最初はメヌエットかと思った。だが、それにしては楽団員達の顔がこわばっている。これは、緊張……?
「……まさか……!?」
私の背筋を戦慄が走りぬけた。
「……スカチビ!?」
たぶん私の髪の毛は逆立っていたのだろう。ブラッドが心配して声をかけてくれたが、私はそれにも気づかず、横の椅子の肘乗せを、指が白くなるほど握りしめていた。
〝まさか……雷鳴……!!〟
際限なくダンスの速度があがる雷鳴は、踊り手だけでなく奏で手にも多大な負担を与える。弦ももたない。だから、演奏者を減らすことで、次々とローテーションし、負荷を分散するのだ。
赤の貴族達のうちでも目聡い連中が、ローゼンタール伯爵夫人の意図に気づき、大きくどよめいた。うちの豪華馬車を目にしたときより、その衝撃ぶりは上だった。
愚かにも私は考え違いをしていた。「108回」でのローゼンタール伯爵夫人は、気力体力の充溢が必要な雷鳴を踊れなかった。だから雷鳴をもってくる可能性をはなから除外していた。だけど、荒淫と権力におぼれる前のローゼンタール伯爵夫人なら、もしかして……!!
だめだ!! 人間の限界をこえた雷鳴同士の激突は、すさまじく精魂をすり減らす!! 最終的にはコンマ一秒のテンポのズレが致命傷になるのだ。「108回」では、ダンスを得意とした王位継承候補者たちでさえ、女性は私以外、誰も最後まで踊りきれなかった。
雷鳴を習い始めたばかりの今のお母様では……!! まして今、お母様は妊娠してるんだ!!
チアノーゼを起こし、床で苦悶の表情を浮かべていたライバル達を思い出し、私の肌は恐怖であわだった。
「スカチビ!! どこ行くんだ!!」
「スカーレットさん!?」
引き留めようとするブラッドとセラフィの手を振り払い、私は人混みをかきわけ走り出した。
私がかわりに出るしかない……!!
「おおっ、喧嘩か? よしっ、俺様も協力するぜ!!」
ついてくるな、アホノルド。おまえはもう家に帰れ。
あ、あれ? 動けない。どうして……!?
まさかこれも魔眼の……!!
えっ? もう文字数オーバー?
これ以上増やしたら誰も読んでくれない?
雷鳴については、77話をご参照ください?
ちょ、ちょっと!? ふざけないで!!
くさったメタネタやる暇があったら、もう少し話を進めなさいよ!!
思わせぶりなアリサの回想とかさせといて、なんなの、これは!!
お母様のピンチが!! 私の見せ場が!!
あーっ!! もう、まったく!!
い、以下次回です!!
お読みいただきありがとうございました!!
年末年始は諸事情で、更新がとどこおります。
1月中はたぶん1回しか更新できません。
またご感想への返信も遅れがちになります。
ちゃんと拝見はしておりますので、どうかご了承のほどを!!
本年はありがとうございました!! 来年もまたよろしくお願い致します!!
どうかみなさま、よいお年を!!




