女たちはそれぞれの誇りを胸に、一歩を踏み出すのです。守るため、戦うため、歩み寄るため。
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】1巻が発売中です!! 鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさま発刊です!! どうぞよろしくお願いします!! ちなみに連載誌は電撃大王さまです。
またコミックウォーカー様やニコニコ静画様で、何話分か無料公開してます。ピクシブ様やピッコマ様で読める回もあります。もちろん電撃大王さまサイトでも。ありがたや、ありがたや。どうぞ、試し読みのほどを。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。応援よろしくです……!!なお、コミックス2巻作業で電撃大王さま連載は一回休載です。なので、新話無料公開も12月の頭あたりになります。しばしお待ちを。原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です!!
なお前の79話のおまけは、11月の21日までの公開とさせていただきます。ちょうど1カ月になるので。
消したあとに、あれは傑作でした、とそ知らぬ顔でホラ吹きまくる予定です。
「……なにがどうして、こうなった……!?」
私は馬車のなかで、身を丸くし、布を頭からかぶって隠れていた。そして、馬車から石床に降り立った若きお母様の後ろ姿を、ハラハラしながら見つめていた。いや、正確には、お母様にゆっくり近づいてくるローゼンタール伯爵夫人をだ。伯爵夫人は私のほうを向いていた。
「馬車にもうひとりの招待客が隠れているわね。どうして出てこないの」
その瞳は夜なのに爛々と輝いている。野生動物とも違う、もっとぞっとする得体が知れないものだ。〝マザー〟の警告どおりだ。たしかに伯爵夫人は魔眼もちだった。
「……ルーファス……いえ、その名前と男というのは嘘ね。私の魔眼は真実を映し出すの。本当の名前は……スカーレット。その子の外見にふさわしい名ね。それともお父君のヴェンデル様にちなんだ名前なのかしら」
息をのんで遠巻きに様子をうかがっている貴族達には聞こえないよう、お母様の耳元でローゼンタール伯爵夫人は目を細めてささやき、隠れている私にじっと視線をあてた。
思いっきりばれてるし!!
お母様達が呆然としているのを、伯爵夫人はじろりと一瞥した。それから口元に笑みを刻み、赤の貴族達に振り向き、声をはりあげた。
「……こんな素晴らしい馬車、王家にもないわ。公爵夫人、ぜひ私に、なかを一番に見学する栄誉をくださいな。みなさま、舞踏会をはじめる前に、少しだけ私にお時間を」
権力者の彼女に異を唱えるものなど、ここにいようはずがない。おまけに、
「私の申し出を断るなら、ここで舞踏会の参加者全員を呼び、あなたの大事な娘が女であると白日にさらすわよ。真祖帝のルビーもちの娘なんて、血みどろの争奪戦がはじまると思うけど」
と卑怯にも低く小さな声でお母様を脅してきた。
私を人質がわりにされ、お母様は蒼白になった。
「……そういうのはな、許せねえんだよ」
「まったく、アーノルドはすぐに後先考えない行動を。でも、ボクも同感です」
アーノルドが眉間に怒りをたぎらせ、セラフィとともに前に進み出る。王家親衛隊も騎乗したまま無言で立ちふさがった。その手には騎乗槍が携えられたままだ。
ローゼンタール伯爵夫人とのあいだの空気が緊迫する。
武装した連中に馬上から見下ろされるのは怖いものだ。馬というのは予想以上に丈があるので、まるで巨大なケンタウルスの壁に囲まれている気がしてくる。私の記憶にある「108回」のローゼンタール伯爵夫人なら、完全に腰がひけたろう。だが、この彼女はまったく別人だった。
「……ひかえなさい。私は主催者として、招待した公爵夫人を迎えにおもむいた。その返礼がこれですか。王家親衛隊の名が泣きますよ」
ぱっしと扇を打ち鳴らすと、私とお母様を守ろうとしたみんなを睥睨する。王家親衛隊相手に一歩もひこうとせず、そのぴんとした背筋は揺らがなかった。
私は驚愕した。
本物の貴族の心をもつ女性は、ときに死をもおそれぬ誇りを見せる。まさか権力と色におぼれた成りあがり者のイメージしかなかったローゼンタール伯爵夫人から、その気高さを感じとろうとは。そして伯爵夫人の言うことに筋は通っている。
普通の出迎えは、舞踏の間の手前の応接室や、気をつかっても玄関近くの大広間でおこなう。案内係ではないのだから、女主人が今夜のように大きな集まりで、玄関前の車寄せまで出迎えにくるなどありえない。そして、その行動で、ローゼンタール伯爵夫人は、今夜のお母様を特別扱いしていると、貴族達に周知させたのだ。
「……だいじょうぶだよ、コーネリアさん。馬車の中に入れてあげよう。この人は多分……悪いようにはしてこない」
黙って成り行きを見守っていたブラッドが、殺気だつみんなを止めた。
「ありがとう、恩に着るわ」
ブラッドの言葉も驚きだったが、あのローゼンタール伯爵夫人が、まさか照れ臭そうに礼を言うなんて意外だった。
「108回」では傲岸不遜を絵に描いた女で、気に喰わない相手には平然と刺客を差し向けた。私もアリサのやらかしで巻き込まれ、殺されかけた。その苦い経験から、今回も途上で私達を抹殺しようと襲撃者たちを派遣したのだと信じて疑わなかったが……。
よくよく思い返すと、それにしちゃあ武装が貧弱だった……。
私はまっさおになった。
あれ、ひょっとしてただ偵察に来てただけなのに、ちんぴらな人相と態度の悪さから、王家親衛隊の連中が刺客と勘違いし、ぼこぼこにしちゃったのでは……。うん、私は悪くない。すべては弓キチかつお母様命の脳筋野郎どものせいです。だから、私を恨まないで。こっちに来ないでください。
私の必死の祈りもむなしく、ローゼンタール伯爵夫人はつかつかと馬車の中に昇ってくると、私を覆っている布をむんずと摑み、ひっぺがした。大人の姿になった私を見おろす。
ひいいっ!! どうかお見逃しを!!
「……ごきげんよう。はじめましてと言うべきかしら。お嬢ちゃん。たしかにその姿じゃ、人前には出られないわね。だから感謝なさい。こちらから話し合いに出向いてあげたわ」
不気味な眼光をたたえ、ローゼンタール伯爵夫人が腰をかがめて、じいっと私をのぞきこんだ。言葉は皮肉たっぷりだが、口調は思いのほか優しかった。
遮るものがなくなり、せめてもと座席で猫のように身を丸くし、赤じゅうたんに偽装しようとする私にため息をつく。
「……あの人とそっくりな瞳ね。そんな可愛らしい外見で、みっともない真似はおよしなさい。魔王姫とおそれられる宮廷一の切れ者のルーファスとはまるで別人ね。そっちがあんたの素なの? ルビーの後継者として、性別を隠そうとするのもわかるけど、安心なさいな。私の魔眼で、貴族達には今、認識阻害をかけているから」
私は挨拶も礼も忘れ、呆然としていた。
あのローゼンタール伯爵夫人が私を可愛いと褒めた!? 「108回」ではいつも敵意に満ちた無言のまなざしだけだったのに。
「あんたも、外の三人の男の子も、素性と身分をでっちあげておくわ。どうやって大人になったか知らないけど、それじゃ元の名前は名乗れないでしょう」
しかも至れり尽くせりのフォローまでだと!?
権柄尽くな態度だけだった「108回」とはまるで違う。考えの底がまったく読めない。そして、その危険度は、「108回」のときの比ではない。なにしろ魔眼とやらにはとんでもなく強烈な催眠効果がある。この屋敷周囲の人間すべての意識に影響を及ぼしているのだ。王城で発動すれば、国王ごと国家の中枢をあやつれる激ヤバ能力だ。
そういえば、ヤドリギのオカ魔女さんは、七妖衆を相手どるには幽幻か魔眼が必須と言っていた。私達は無貌のアディスを辛くも退けはしたが、幽幻そのものは破れていない。それだけでも魔眼のパワーがわかる。下手をするとこちらが気づかないうちに操られ、自殺をはかっていたりとかありうるのだ。最悪、ローゼンタール伯爵夫人の力量は、七妖衆に匹敵するかもしれない。
なんで、もう、次から次に難題が。
……万事うまくいっていたはずだったのに、私のはったり大作戦は。
もっとも、もともと正統派な正面突破の予定が、ローゼンタール伯爵夫人の魔眼で台無しにされ、あわてて新案をひねり出したのだが。
だけど、まさか敵のボスがいきなりこちらに乗りこんでくるなんて。
私は泣きそうな気分で、ローゼンタール伯爵夫人邸に到着する直前のことを思い出していた。
◇◇◇◇◇
……突然だが、みなさんは、貴族の格を決める男性使用人の条件をご存じだろうか。能力? 人柄? 体力? 協調性? 違う。とびぬけて大事なものがもう一つある。それは背の高さだ。
バカみたいと思うだろうし、私も同感だけど、貴族界では、同じくらいのなるべく背の高い使用人を揃えるのが、家格に関わるほど重要なのだ。背丈で使用人の採用や給金が決まるほどだ。クワガタコレクターたちが自分のクワガタの大きさを自慢しあっていると例えればわかっていただけるだろうか。
だから、私はブラッドに頼んで〈治外の民〉からイケメン高身長の連中を選抜し、今夜の舞踏会に使用人として連れてきていた。ローゼンタール伯爵夫人の屋敷の近くになったら、そのうちのひとりを御者役にまわし、豪華八頭立て馬車+美形高身長使用人だらけの必殺コンボで、敵地にのりこむつもりだったのだ。だが、予想外のローゼンタール伯爵夫人の魔眼のため、彼らは結界の外にはじきとばされてしまった。私の計画は瓦解した。
……残ったのは、「生コーネリア嬢、最高!!」と雄叫びをあげる、お母様の大ファンの、若き王家親衛隊の連中。大人になったセラフィとアーノルド。そして極めつけは、なぜか長髪になり、ファッショナブルな前衛衣装に変わってしまい、より異国少女度を増したブラッドだ。
こんなのでどう収拾つけろというのだ。特にブラッド。
胸元まで垂れたでか襟は、レースばりばり。肩口がぽんっとふくらんだジゴ袖をし、子供が着るような胸の位置でしぼったドレスは、表一枚目をわざと後ろ腰でたくしあげてプリーツをつくっている。さらに編み上げブーツの膝近くまで足が見えているときた。大きく開いたデコルテに、くるぶしまで隠れるロングスカートが基本の、ハイドランジアの令嬢服装デフォとは真逆だ。まさに頭隠して尻隠さず。
いや、待てよ。たしか、「108回」での私の女王末期、大陸でこんなハイウエストなファッションが流行っていたような……。ただどの人生においても、その頃、私は生きるか死ぬかに追い詰められていて、モードチェックなんかしている余裕がなく、記憶がおぼろなのだけど。
とにかく計画は一から練り直しだ。まったく!!
ぎゃーと喚きながら足をばたばたさせる私を、セラフィ以外のみんなはドン引きして見ていた。
「舞踏会、そんなに楽しみなのか。うんうん、スカチビも女の子だったんだな」
あほブラッドめ、しみじみと頷くな。これが楽しんでるように見えるか。ちゃんと私の心を読め。
「……違いますよ。今夜の舞踏会で、公爵夫人を優勢にするため練りあげたプランが、すべて台無しになったからです。ボクも我儘な大貴族の気分ひとつで、それまでの契約を無効とされ、悔しい思いをしてきました。だから、理不尽な魔眼で盤面をひっくり返されたスカーレットさんの気持ちがよくわかります」
そのとおり!! 苦労人のセラフィをちょっとは見習え。このメイド風来坊が。これは脳天気に楽しんでるんじゃなく、苦悩してんの!! サーカス一座みたいなこのカオスなメンバーでどうやり過ごすかってね。
しかもだ。伯爵夫人の魔眼の力で、今夜の舞踏会の貴族達は、みんな十四年前の心に戻ったって!? なによ、そのわけわからない状態は!? じゃあ、うちの公爵家は、ただの貧乏所帯としか認識されないじゃないの。魔犬ガルム討伐の威名も、私の悪名の脅しも、積みあげたものはすべて使えない。
だいたい、仮装舞踏会に向かってるだけだったのに、なんでブルーダイヤぶらさげた破滅の魔女だの、七妖衆だの、魔犬だの、アリサだのが次から次に現れて、ついには占い師〝マザー〟まで登場するの!? あげくに敵役のローゼンタール伯爵夫人は、魔女にジョブチェンジ!? 舞台は十四年前の夜に移動!?
私はバトルファンタジー世界の住人じゃないんだぞ。チートな知識で、権謀術数とびかう現実世界を駆け抜け、お金をがっつりと溜め込んで、ひきこもりライフを満喫したいだけの、ただの女王経験ありの四歳児だ。それがなんで魔人たちと死闘なんか繰り広げる羽目になっているのだ。私、「108回」のときより、波瀾万丈な人生を驀進してないか? 納得がいかぬ。憤懣やるかたなし。
馬車のなかで地団太踏んでおのれの不幸を呪ったあと、 私はふぅーっと息を吐きだした。
お悩みタイム、終わり。これ以上は時間のムダだ。少なくとも孤立無援の女王として殺されたときより、はるかに状況はマシだ。代案を考えよう。急に押し黙って次案の構築に集中しだした私を、アーノルドが薄気味悪そうに見ている。
「……なあ、あのお嬢ちゃん、がらっと雰囲気変わったぞ。なにかに取り憑かれてるのか」
失礼なヤツめ。
だけど、私のこの切り替えの早さは、はたから見ると、人間離れして見えるらしい。自分ではわからないが、考えに没頭しているとき、無表情で紅い瞳を底光りさせてるということだし。
「いや、スカチビはいつもあんなんだぞ」
アーノルド以外のつき合いの長いみんなはすでに慣れっこなんだけどね。
女王時代の癖だ。あんな非人間的な勤務にさらされれば、誰だって私みたいになる。片づけても片づけても押し寄せる国難の決裁。玉座の優雅な女王陛下のイメージにはほど遠く、執務室の椅子と机をすり減らし、目を血走らせ、腱鞘炎の恐怖と戦いながら、ひたすら羽ペンのサインを走らせる毎日。目に落ちる汗を防ぐため、額に巻くのはティアラではなく、綿の布だ。もう拷問に近い。
そのうち自由な時間がほしいなあ、なんて思う余裕もなくなり、一分でも多く睡眠をとることばかり考えながら、マシーンのように手を動かすことになる。そして待望の睡眠時間がとれても、夢見るのはぐうぐう眠ること。あげく緊急事態で叩き起こされ、せっかくしあわせな夢を見てたのにと枕を濡らすのだ。しまいには儀式の最中、背筋を伸ばし、目を開いて眠る特技を身につけた。
そこまで追いつめられると、くどくど悩む時間さえ惜しくなってくる。銃弾飛び交う戦争中は、人はただ生き残ること、目の前の任務をこなすことに必死になる。私も同じだった。悩む暇なんてあったら睡眠時間に回す。気持ちを切り替えてる時間ももったいない。そのときの習い性がいまだに抜けきっていないのだ。
「スカチビは悩んで眠れないってことがないんだ。一分刻みで、寝たり起きたりできる」
「すげえな、野生動物かよ……。四歳児なのに。さすが師匠の娘……」
「わ、私はスカーレットにそんなおそろしい習慣を強要しませんよ……!!」
「さすがスカーレットさんです。商人として、ボクもよくわかります。時間はお金ですから。一分一秒でも有効に使いたい」
ブラッドが我がことのように胸を張り、アーノルドが唖然とし、お母様があわてて弁明し、セラフィが感心して深くうなずく。
だから、たおやかな私を化物あつかいするな。
あんたらの才能のほうがよっぽど人間離れしてるでしょうが。
と、時間がない。切り替え、切り替え。
さいわい豪華絢爛馬車は健在だ。こいつを中心に作戦を練り直す。
常識外ではあるが、使える駒はいくつもある。
……よし、この組み合わせで行こう。
「な、なんか今度はにやにやしだしたぞ。おっかねぇ……」
「いい考えがまとまっただけだろ。スカチビは頭いいけど、感情がわりと顔に出るんだ」
「いろいろな表情を見せるスカーレットさん……とても魅力的です」
外野、うるさい。
まず最初に赤の貴族たちの度肝をぬくべく放つジャブは、ハイドランジア最強の王家親衛隊だ。
彼らが王家の虎の子だと、貴族で知らないものはいない。動員するのは困難を極める。かつてお父様がそれをしたときは、国家予算に影響を及ぼすほどの未払いの報奨金を犠牲にしたほどだ。その王家親衛隊が馬車の護衛をしていれば、国王陛下が私達を全面バックアップしていると、誰だって思うに決まっている。……どうせあの古ダヌキ陛下、もともと私達に恩を売ろうと、彼らを派遣したはずだ。ならば、王家の御威光をめいっぱい利用させてもらう。
先制パンチで、貴族達が怯んだところで、いきなり渾身の右ストレートだ。
メインの豪華絢爛馬車を登場させる。
馬車は貴族のステータスシンボルだ。それだけに審美眼は厳しいが、この馬車は私が精魂傾けてつくりあげた傑作だ。ケチをつけられるやわな作りはしていない。それどころか私が「108回」の女王即位後に開発された、この時点ではありえない技術まで投入している。
思い出す。女王な頃の私だって女のはしくれであり、すてきな馬車に憧れはあった。だけど国庫に余裕はなく、由緒正しい外装だけ取り繕った内装がかび臭い馬車を、我慢してずっと使い続けていたのだ。内情を知る貴族達にくすくす陰口を叩かれた屈辱は忘れない。なにがパンツに穴のあいたケチ女王よ。私は国のために私生活を切り詰めまくったの。手袋も一回こっきりで捨てるふりをして体面をたもちながら、あとでこっそり回収してました……。
だけど、自分の懐には一銭だって入れなかった。出来のいい女王とは言い難かったけど、公僕としての立場だけは忘れなかった。たまるのはお金ではなくストレスばかりの悲しい日々だった。
それに比べると、自由に使えるお金が手元にある今は最高だ。正々堂々、私が商売で儲けた金だ。まあ、未来の知識チートにだいぶ助けてもらったけど。とにかく私は過去の鬱憤を晴らすべく、大人買い的なパトスを馬車製作に叩きつけたのだった。
さらに秘密工房で、この馬車の仕上がりをチェックをしてもらったのは、天才と名高いマーガレット王女だ。彼女は驚きで目を丸くしたあと、急にニコニコ顔になり、「ヴィルヘルム公爵家と王家以外にこの馬車をつくってあげたら駄目よ」と口にした。一目で価値を見抜いたらしい。それにしても王家への献上は決定事項なのね……。
「そのかわり王家の紋章を使えるようお父様に口をきいてあげる。使えるカードは一枚でも多い方がいいでしょう? 足りなかったら私のキスもつけるわ」
マーガレットは唇に人差し指をつけ、イタズラっぽくほほえんだ。ちょっと心惹かれるお誘いだけど、遠慮しときます。比べるのも失礼だけど、なぜかこの天才王女様に時々あほアリサの面影を見て、びくっとなるのだ。マーガレットは私の反応などおかまいなしに、頭の中で思考のスパークを散らしていた。
「ああ、将来的には、功績があった貴族だけに勲章がわりとして、この馬車を与えるのもいいかも。きっと、皆が奥様やご令嬢に泣きつかれ、こぞって王家のために手柄を立てようとするでしょうね。ふふ、あそこの奥様も持ってるのに、うちはあの馬車をいつもらえるの、ってね。女の虚栄心は怖いものね」
こ、怖いのは、息をするように王家の利益のために行動するマーガレットのほうよ。
国王陛下が古ダヌキなら、こっちは妖狐だ。これで十歳なんだから驚きだ。
悪いけど、外国勢力の傀儡の王妃や王子なんかとは出来が違いすぎる。あの二人は、ハイドランジアの改革者とか腰ぎんちゃくの連中におだてられてるけど、いきなり外国の流儀そのままにに宮廷マナーと服装を変えようとか、やってることは猿真似レベルだ。というか正気の沙汰じゃない。
王妃様達は、「ハイドランジアの文化は一回り遅れているから、生まれ変わるために、そっくり外国の文化を取り入れるべき」と主張する。だけど実際のところは、他の大国のほうが一部の先端技術は優れているが、それはハイドランジアも同様だ。つまり文化レベルはイーブンに近い。
商売柄、大陸中を飛びまわっているセラフィも私と同じ意見だ。彼の外国の見識は、王妃様や王子の比ではない。
ぶっちゃけ言うと、王妃様たちは気分で、国産の衣装や宝飾をすべて馬鹿にし、外国産をありがたがり、一派もそれに右にならっているだけなのだ。
愚かだ。王族はまず自国と自国民を守らなければならない。それが出来ず、いたずらに国を貶めるものに、王の一族を名乗る資格などない。……それに四大国の本当の狙いは……。
「……わかっているわ。まず文化で侵略し、仲間意識をもたせておいて、こちらの警戒をゆるめていく。そして、ハイドランジアの宮廷までひそかに入りこみ、裏からハイドランジアを支配でしょ。武力に依らない静かな侵略戦争。みえみえの手口だわ。でも、注意しても、お母様とお兄様は聞く耳をもたないの」
私が言うまでもなく、マーガレットは四大国の狙いを見抜いて、辛辣に吐き捨てた。
「あのお母様とお兄様は、ハイドランジアという木を腐らせる寄生虫よ。その素質を知っていたから、お父様は、私以外の王族にスカーレットの性別を明かさなかったの。感情で動くお母様達が知れば、大陸制覇の野望にとりつかれ、あなたを無理矢理お兄様の伴侶にしようとするから。そんなことを強要すれば、ヴィルヘルム公爵家との全面戦争になる。四大国と戦うどころか、内乱で王家が滅びるわ。私は勝ち目のない戦いはしたくないの」
マーガレットは嘆息し、私は大いにあわてた。
この切れ者に必要以上に警戒されては、この先やりづらくてしかたない。
「マーガレット、さすがに王家を敵にまわしたら、私達に勝ち目はないと思うよ……」
「あるでしょ。毒殺や暗殺も含め、あらゆる手段を解禁したら。隠してもムダよ。バレンタイン卿から聞いた魔犬ガルム戦の様子、それにその後の公爵家の戦力増強から割り出して、あなた達の戦力はおおよそ摑んでいるの」
とマーガレットはばっさり切って捨てた。まるで軍師だ。一を聞いて十を理解する、これだからこの王女様はおっかないのである。天才王女の異名は伊達じゃない。
「……私のシュミレーションだと、七割以上の確率で王家が負けるわ。かなり贔屓目に見てもね。ヴィルヘルム公爵家には、王城の守りを突破し、私達を狙う手段が幾つもある。対して公爵邸の守りを突破できる王家側の手駒は、バレンタイン卿率いる王家親衛隊だけ。しかも、あなた達相手には本気で戦いたがらない。王家側が勝つには、初手で大軍勢をもって公爵邸を包囲し、奇襲に近いかたちで殲滅戦を成功させるしかないわ」
正面きってじゃ勝負になんかならないと言うマーガレットに、私は押し黙るしかなかった。
それは私のひそかに出した結論とまったく同じだったからだ。
お父様、お母様、ブラッドという強力な個だけではなく、〈治外の民〉という集団を擁する私達は、王城のあらゆるところに同時に暗殺者を送りこめる。そして、私も女王をやった経験で、王城のつくりは隠し通路も含め、手に取るようにわかっている。私の記憶をもとにした図面はすでに作成済みだ。最難関のマッツオをお父様が釘付けにさえしてくれれば、私達の勝利は揺るがない。
……王妃一派は私を目の仇にしているので、最悪の抗争に備えておく必要があった。しかし、なぜ王妃様は私を嫌うのか。やっぱり、真祖帝の後継者のあかしのルビーの持ち主(男性として)だから、危険視しているのか。
だが、そうではないとマーガレットは自嘲した。
「問題はスカーレット、あなたが貴族と中流階級が融合した新文化の中心であることなの。お母様とお兄様はね。スカーレット、あなたに嫉妬し、つまらない対抗意識を燃やしてるのよ。」
ため息交じりのマーガレットに理由を教えられ、私は目をぱちくりした。
意味がわからない。たしかに私はルーファスとして、中流階級にまで、上流の貴族文化を広めた。そして、「108回」での経験で、中流階級に空前の貴族文化ブームが起こる流れを知っていたから、調度品や礼装、マナー講座、すべてをひっくるめて供給できる新事業を起こした。外交上、四大国の文化には精通してたし、今後の歴史も摑んでいる。仮に私がなにもしなかったとしても、華麗な伝統重視の貴族文化と機能実用重視の中産階級文化が融合し、新たな文化が大陸で花開くのだ。そういう歴史の流れになっている。私はちゃっかり割って入り、美味しいとこをいただいただけなのである。
ええ、新文化の担い手なんて大それたことは考えてません。
だいたい、その新規事業は、ハイドランジアでではなく、中流階級が急速に力をつけている海外で展開したのよ。ハイドランジアの中流階級の台頭は少し遅れると知っていたから、後回しにしたのだ。なんで王妃様達に対抗意識を燃やされるのかわからない。
あっ、と私はあることに気づき、思わず声をあげた。
「……わかったよ。四大国がやろうとした文化からの侵略を、逆に私に仕掛けられたと勘違いしたのか。だから、外国派の王妃様たちは、あわててハイドランジアに四大国の文化を輸入し、巻き返しをはかろうと……」
それならば理解できる。見えない戦争はすでに始まっていたのだ。
だが、私の言葉を聞き、マーガレットは乾いた笑い声をあげた。
「違うわ。そんな高度な駆け引きは、お母様とお兄様は考えていない。さっき言ったでしょう。嫉妬だって。家臣であるはずのあなたが、主君の自分達を差し置き、新文化の旗頭になっているのが許せない。自分達こそ時代の主役であるべきだ。あなたのやってることなんて、つまらないことだと主張したい。ただそれだけの動機よ。そのためなら外国と平然と手を結ぶ。四大国はそれにつけこみ、二人をあやつっているの」
……はい? 今、なんと?
私の頭にマーガレットの言葉の内容がしみこむまで、少し時間がかかった。
「ちょ、ちょっと待って。うそでしょ……!? そんなくだらないプライドで、王妃様達はハイドランジアの社交界を引っかきまわしているの!?」
つまりは私への当てつけのため、宮廷のしきたりをねじ曲げ、外国をもちあげ、ハイドランジアまでも貶めたということか。仮にも女王業をやった私としては、頭をぶん殴られるほどの衝撃だった。前はもっとまともな方達だったのに、お金と権力で人はここまで堕ちるのか。王族の誇りと私的なプライドを取り違えるにもほどがある。
呆気に取られるしかない。
「情けなくて頭を抱えたくなるでしょ。身内のお父様や私はもっとよ」
マーガレットは苦笑してそう言った。
私だって頭を抱えたい。
ちっぽけなプライドのため、自国の誇りを外国に売り渡すような真似をする。そんな自分ファーストな王妃と志を同じくする王子が、次代の国王なんて悪夢だ。ハイドランジアの安定と発展のために滅私奉公する国王の義務など放棄し、ただ権力をふるうのに夢中になる未来が目に見えている。いきなり私の全財産没収とか、ルビーごと四大国のどこかに売り渡すとか、子供なみの行動をやりかねない。ハイドランジアは滅亡一直線だ。
私の女王時代のほうがはるかにマシだ。四大国の最終目的がハイドランジア併合だと、とっくに調べはついているのだ。しかも私に敵意丸出しときた。こんなの猿とチェスするようなもので、考えの読み合いどころかまともな話し合いすらできやしない。未来はあまりに暗い。よし、国が転覆する前に、ハイドランジアから逃亡する準備をはじめよう。
「……スカーレット、夜逃げする気でしょ」
はい、さっそくマーガレットが釘を刺しにきました。
「心配いらないわ。今、王妃王子一派の貴族の首のすげ替えの準備中だから。ごますりに夢中で足元の領のセキュリティがおろそかになっていたから、簡単に弱みを調べられたわ。取り巻きという手足をもぎとれば、もともと無能なお母様たちは何もできなくなる。膿も叩きだせるし、一石二鳥のいい機会だわ」
扇で口元を隠し、ほほほと嗤うマーガレット。
たくましいなあ。転んでもただでは起きないのね……。
「……だから、もうすぐチェックメイト」
マーガレットは扇を閉じ、すぐ横の机面をぱしいんっと指した。
そして少し大げさにため息をつく。
「それに比べるとヴィルヘルム領の調査は大変だったのよ。領民の好感度が高くて口は堅いし、肝心なことは厳重に伏せられていて、だいぶ苦労したわ」
……やっぱりうちの領も調べてたのか。
マーガレットは肩をすくめウィンクをした。あざとらしさがなく、板についている。ころころと変わる表情に惹きつけられる。ほほえましい。もっとも十歳の女の子が、政界で味方を増やすために身につけたものだと知らなければだけどね……。
「王家の諜報部では埒が明かないから、私が公爵邸に遊びに来る道すがら、いろいろ調べたの」
こわっ!! マーガレットそんなことしてたのか。
蝗害の食糧危機のとき、領民に恩を売りまくっといてよかったよ。ハイドランジア全体が飢餓に苦しんでいたとき、ヴィルヘルム領だけは別天地だった。買い貯めておいた食糧を無償で放出し続けたのだ。それにより、いつ暴動が起きてもおかしくないほど悪化していた領民との関係が、一気に良好になった。飢えから救ったのもさることながら、他の領がどうなっても、ヴィルヘルム領の領民たちだけは必ず守ってもらえる、という安心と信頼、ちょっぴりの優越感を得られたのが大きい。
ま、領土を荒廃させた元凶は先任のバイゴッド侯爵で、私達現公爵家も、領民同様に被害者なのだと発信し続けたのが実を結んだのもあるけどね。……お父様、情報操作がほんと下手だな。優秀すぎて、他人の怨みや劣等感がいまいち理解できてない。お母様との人間関係しか頭にないのかもしれない。マーガレットほどはやりすぎだけど、もう少しあちこちに目を配ってもらいたいものだ。
しかし、マーガレットは本当に油断できない。
「……内緒だけど、お父様と私は、ヴィルヘルム領を臣従させるよりは、むしろ共存共栄の方針なの。他の貴族達の前では絶対に言えないけど、なかば独立国のつもりでいるわ。だって、あなたも含めコントロールできる代物じゃないもの。私達はお母様達と違い、身の程を知っているの。あなた達の力量を正しく評価し、こんな好条件をつける君主、他の国にいるかしら」
私は黙って耳を傾けていた。
確かにそうだ。マーガレットは敵にまわすと厄介だけど、味方にするとものすごく頼もしい。国王陛下もだ。「108回」では、国家を疲弊させ、ハイドランジアを滅亡寸前に追いこんだ愚王として知られていたが、実際に今回の人生で接してみるとかなりの切れ者だった。
おそらく「108回」の国王陛下は、蝗害からはじまったハイドランジアの大混乱の責任と、貴族と国民の不満、王家弱体化の悪評をわざと一身に受け退位し、希望の星のマーガレット王女を無傷のまま即位させようとしていたのだろう。いわば人身御供の役割を果たそうとしたのだ。
「108回」ではマーガレットの急死で落胆し、ほんとうの愚王になってしまったが、なかなか老獪なのだ。そして、その鋭さをさらに色濃く受け継いだのがマーガレットだ。そろそろ私が説得で心を揺れていると見透かし、とどめを放つだろう。
「あなたのお父様の紅の公爵、あの人は無自覚な爆弾よ。常識はずれに強さもそうだけど、女性を魅了しすぎる。あれは呪いに近いカリスマ性よ。本人が無頓着だからよかったけど、自覚して動いてたら、たぶん社交界の裏の支配者になっていたわ」
思わぬ方向からとどめの一撃が来た。
あの紅の公爵ならぬ、いらない公爵のお父様が? にわかには信じがたい。身内の私から見ると、顔と強さ以外は、どこを切っても残念だらけだ。あんなのに惹かれる女性は目が曇っている。マーガレットが私をからかっているのかと思ったぐらいだ。
だが、彼女は真面目に話を続けた。
「紅の公爵の独身時代、彼と結婚できなければ自殺するって騒いだ女性は一人や二人じゃなかったわ。でも、紅の公爵はあなたのお母様以外には目もくれなかった。だけど、人前で冷淡な態度で拒絶されたらプライドが傷つく。愛は恨みに変わるわ。彼がもう少し女性に気を遣えていたら問題はなかったんでしょうけどね。うちのお姉さまをはじめ、どれだけの令嬢や婦人の気持ちを彼が袖にしたか、教えてあげましょうか」
マーガレットは有力な貴族夫人の名前を次々にあげ、私は震えあがった。
冗談じゃない。王家の降嫁話を蹴ったのは知ってたけど、まさかの相手がマジ惚れモード!? 今だけでなく過去からも火種をまき散らすのか、あの迷惑ラブウォーリアーは。
四方八方、潜在的な敵だらけじゃないか。いつ足元から火がついても不思議はない。そして同時に気がついた。今名前があがった貴婦人達ほとんどに、マーガレットがルーファス……私を紹介してまわってくれていたことに。
「……あなた、御婦人方に評判いいわよ。礼儀正しいし、相手の顔も立てられて、お喋り上手。あなたのお父様にはできなかったことよ。真祖帝のルビーの後継者にして、幼くして子爵の爵位を自力でもぎとった紅の公爵以上の天才児が、恭しく笑顔で接してくれるんだもの。百年の恨みも吹き飛んだみたいね」
そういえば最初やたらみんなしかめっ面していたのに、話終わった後はにこにこしていたっけ。お父様が原因の爆弾を知らないうちに私は解体していたのか。マーガレットは私に挽回のチャンスをくれたわけだ。
しかし、あの妻ラブ残念公爵が、そんな凄まじいもてかたをしていたとは夢にも思わなかった。なにせ本人ときたら、女性関係の昔話は、若きお母様のことばっかり。それ以外は、ロナっていう仲良かった娘のことを躊躇いがちに口にする程度なんだもの。
魔女狩りの火刑から救えなかったとか、街中で暴動がおき、川面まで炎に包まれたとかむちゃくちゃ言ってたけど、どこの世紀末よ。おまけにあんな心根の優しい娘はいなかった、とか目に涙まで浮かべてたし。どうせ横で涙ぐんで聞いてたお母様の同情をひくため、話を盛ったんでしょ。それか思い出補正でその子を美化しているに違いない。
だってブルネットの髪にヘーゼルの瞳なんて、あのお母様いじめの元凶のローゼンタール伯爵夫人と同じじゃない。私は「108回」の令嬢時代に彼女に何度も殺されかけているから、ちょっと含むものがあるのだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。きっとロナも外面ばっかりで裏ではつんつんした意地悪女なのだ。私の好みは、頭が良すぎて冷たく見えるけど、本当は優しいってマーガレットみたいなタイプだ。ね、マーガレット感謝してるよ。
「お礼はいいわ。スカーレットが私のパートナーとしてふさわしいかどうかの試験も兼ねてたから。貴婦人達の御機嫌取りもできないようじゃ、これから先お話にならないもの。ふふ、でも、ちゃんと恩には感じていてね」
……前言撤回。やっぱ頭が切れすぎる子は怖いです。
マーガレットは長い睫毛を伏せた。
「……嫌な女の子だと自分でも思うわ。だけど、ハイドランジアの未来を守るためには、私がこう生きるしかないの。力のあるあなた達を引き留めるためなら、なりふりなんかかまってられない。その代り、私がこの国の王女にふさわしくないと思ったら、見捨ててもらってもかまわないわ」
マーガレットは唇を噛みしめた。
それは十歳の女の子が抱くには、悲しいまでの覚悟と意地だった。
こんなことを言うマーガレットを私が嫌いになれるわけがない。そして、マーガレットもそれをよくわかっている。私達は嘘偽りない本音をぶつける。だけど、利用できるものを利用しないでいられるほど純粋な乙女心は持ち合わせていない。だから、長く会話していると、いつも終盤には読み合いの火花が散る。美辞麗句など不要だ。これが私達流のつき合いであり、友情だ。
「……ねえ、スカーレット、あなた達ほど力があったら、たとえ他国に移っても必要以上に警戒されるわ。真祖帝のルビーの持ち主の夢が引きこもりなんて、誰も信じてくれないもの。でも、私はあなたの本心をよく知っている。夢の実現を心から応援できる。それにハイドランジアから離れると、銀山のような領内の資産も手放さなきゃいけなくなるわ。新天地であらたな道を切り開くより、ここで邪魔者を私と一緒に排除して、今までつくった道をより歩きやすくするほうがずっと楽よ。持ちつ持たれつずっと仲良くやっていきましょう」
えげつないマーガレット節が冴えわたる。この王女さま、しっかりこちらの隠し銀山も把握していた。天使の微笑を見せながらこれだよ。
だけど、その場しのぎの嘘は言っていない。マーガレットには本物の王族の矜持があるので、口にしたことは反故にしない。私も女王時代、なけなしの矜持を必死に守り抜こうとした。だから、マーガレットに親近感をおぼえ、信頼できるのだ。
と言うよりウマが合うというべきか。手を組む場合、意外に大事なのはこれだったりする。いかにうま味があっても、ウマが合わなければ、早晩関係はうまくいかなくなるものだ。心の中で駄洒落の三連撃をつぶやき、私は深くうなずいた。
やはり私の壮大な夢、引きこもりの引きこもりによる引きこもりのための王道楽土建国のための、ハイドランジアの国情安定に一番必要なのはマーガレットだ。この後、四大国が露骨にハイドランジア侵略の野心をむきだしにしてくる乱世の歴史を知っているだけに余計にだ。まぬけ王子では、悪魔のような四王子どもと同じテーブルにさえつけないだろう。マーガレットが王家の主導権をとっている限りは、私はハイドランジアに定住しよう。
「……わかったよ。これからもよろしくね、戦友」
……多くは語らなくても彼女にはこれで通じるはずだ。私は差し出されたマーガレットの手を取り、がっちり握手しあった。ここに密約は成った。
「あなたがルーファスとして私と結婚してくれれば、もっと協力できるのだけど。ベッドのなかでいつでも密談がかわせるし」
マーガレットは真顔で言った。
笑えない冗談だ。四王子の略奪婚を避けるため男装しているが、私はれっきとした女である。
「むちゃ言わないで。私、引きこもりにはなるけど、恋はあきらめたつもりはないよ」
今度こそ女王時代に果たせなかったロマンチックな恋愛を満喫するのだ。
「恋? ハイドランジアの貴族にはいないでしょう。スカーレットにつりあう殿方なんて。だいたいスカーレット、男ってことになってるじゃない。それとも秘密を共有する恋人がそばに……いそうにないわね」
マーガレットは私の手を握ったまま首を傾げた。
なぜ断言する。
私だってね、恋人候補の一人や二人ぐらい、身近をちょいちょいっと探せば……。
思い凝らし、私は頭を抱えそうになった。
……ダメじゃん!! 私の身近って、齢の近い男性が、ブラッドとセラフィくらいしかいないよ!!
二人とも「108回」で女王だった私を殺した、いわば怨敵である。ロマンチックの欠片もない。あんな連中と結婚でもしようものなら、朝チュンで目覚めたとき、顔を見てトラウマで絶叫必至だ。モーニングコーヒーならぬモーニングシャウトである。ショックで心停止しかねない。まさに結婚は人生の墓場……。。
なんの私はまだ四歳。時間はいくらでもある。いつか大手をふって令嬢に戻れる日を夢見て、これからひそかに女子力を磨き、にじみでる魅力で、「あいつ男なのに何故俺はこんなにどきどきするんだろう」と多くの男達をお悩み地獄に叩きこんでやるのだ。
……あのマーガレットさん、そろそろ手を離してくださいませんこと。
「……いやっ。私がスカーレットのいちばんなんだから」
マーガレットはもう一方の手も添え、私の手をぎゅっと握りこみ、駄々をこねるようにぶんぶんとかぶりを振った。年相応の仕草に切り替えたそのギャップ破壊力たるや。私が男だったらいちころだろう。でも、マーガレットの場合、これはすべて計算尽くなんだよな。しかし、アリサといいマーガレットといい、なぜに私は女にばかりもてるのだ。「108回」の令嬢時代も、アリサにつきまとわれたせいで、やたら百合的な方々に迫られたし。女運ではなく男運がほしい。私は天を仰いで嘆息した。
……しかし、さすが天才王女さまだ。私の考えなどお見通しだったな。
マーガレットに言われるまでもなく、私は同型の馬車を王家に献上することで、我が家の馬車の価値をロイヤルプレミア化しようと目論んでいた。だが、まさか王女の鶴の一声で、王家の紋章の使用許可までおりるとは思わなかった。私はほくほくだった。普通に申請などしようものなら、どんな無理難題を吹っ掛けられたかわからないもの。そして、お金に換算すればいくらの儲けと、私が嬉しそうに頭のなかでソロバンをはじいていることは、当然マーガレットに筒抜けなのだった。
かくして我が豪華馬車には、公爵家の紋章だけでなく、王家の紋章も取り付けられることになった。ちょっとした仕掛けを添えてね。目聡い貴族なら、これを見逃すはずはない。
長い回想シーンは終わり、舞台は現在に戻る。
私は、ローゼンタール伯爵夫人邸に豪華馬車が再出発する前に、付属のランタンすべてに火を灯した。磨き上げられた扉が光を反射し、地面に王家の紋章がうっすら浮かび上がる。
「スカーレットさん……これは、まさか魔鏡……!?」
さすが博識セラフィだ。そのとおり、東洋の魔鏡の応用だ。肉眼ではとらえられないほどの裏面からの凹凸の差が、複雑な陰影を生む。この技術は「108回」の私の女王時代に献上されたものだ。この時点のハイドランジアには渡来しておらず、知る貴族など誰もいない。魔法としか思えないだろう。
「いつ見てもこいつには驚かされるな」
御者台でブラッドが感心し、窓にはりついていたアーノルドが額をねじこむようにして感動の声をあげる。あんたは遠足にきた子供か。「108回」で私を射殺しまくったアーチャーの面影は微塵もなく、あちゃらか野郎と化している。「108回」と同じ大人姿なので違和感がすごい。あっちの血の涙を流した復讐鬼のあんたが、今のあんたを見たら、きっと違う意味で泣くと思う。まあ、アホノルドのことはしばらく放置しておこう。
もう一人のあほのブラッドが、馬車の脇をかためた王家親衛隊の面々と競争レースをはじめたので、連絡窓から後頭部に扇を投げつけてやった。あいたっという悲鳴があがり、馬車が減速する。たわけめ。これは億ションならぬ億馬車よ。オークションに出したら、多分天井知らずに値がつりあがるんだから。七妖衆の襲撃でも奇跡的に無傷だったのに、味方にきずものにされたら、泣くに泣けないのだ。ついでに並走する王家親衛隊の連中も睨みつけ、レースを中断させた。
そしておごそか運転に切りかわった馬車は、ついに粛々とローゼンタール伯爵夫人邸に到着した。
私はブラッドにいつもの少年らしいにかっとした笑顔ではなく、ミステリアスな笑みを浮かべるよう厳命した。
こちらの弱点、御者が見栄えのする男性ではなく、女の子(に見える)のブラッドということを、災い転じて福に変えるのだ。
普通なら笑いもの必至だ。だけど、人はものごとに意味を求めようとする。王家親衛隊、王家の紋つきの馬車、と揃えた私達が、御者だけまともに手配できなかったとはまず考えない。ここで少女御者をもってきたのは、なにか深い意味があるのでは、と勘繰りたくなるのだ。
ここでブラッドの八頭もの駿馬を手綱ひとつで手足のようにさばく腕前が生きてくる。そのインパクトは強烈だ。こんな鮮やかな手並みの御者など、ハイドランジア中のどの貴族も抱えていないからだ。他人が持てないものを持ちたがる貴族にとっては垂涎の的だ。
私の知りうる限り最高の馬術の名手のお父様が、ブラッドには馬扱いの天稟がある、と手放しで褒めるだけのことはある。手綱や鞭なしでも、馬がすすんで従いたくなる騎手というのが稀にいるらしく、ブラッドもその一人なんだそうだ。私なんてポニーの流星号さえ持て余しているのに。この気難しい我が愛馬、腹が立つことにブラッドにめろめろである。あいつめ、ブラッドになでられている時は、こともあろうに飼い主の私にお尻を向け、遠くにいってろと後ろ弱キックで威嚇してくるのだ。いつも世話してやってるのは誰だと思っているのだ。くそう、おやつのニンジン一本こっそり食べてやる。
……とにかく私の作戦は成功した。
玄関の様子を、意地悪そうに観察していた貴族達が、驚きの表情を浮かべ大きくどよめく。
ローゼンタール伯爵夫人は派手好きで有名だが、彼女ご自慢の大広間よりもずっと煌びやかな馬車が、門外不出の王家親隊に護衛され、突然に車寄せに出現したのだ。地面には王家の紋様が伸び、さらに八頭の馬を一人で自在にあやつる謎の少女は、見たこともないファッションをし、王家親衛隊のマントを羽織っている。……箔付けに王家に無断で借りたが、まあマーガレットにあとで許してもらおう。しかし、一歩間違えれば傾奇者だな。
とにかく赤の貴族達の驚愕さもありなん。
……? なぜ案内係の使用人達の何人かがこっそり小さく手を振ってるんだろ。もしや馬車の窓から垣間見える私の美貌に心を奪われて……。罪作りな自分に慄きかけた私は、連中の視線の先に気づき、ずっこけそうになった。御者台に乗ったブラッドが、長髪を耳にかきあげ、投げキッスのお返しをくれていた。
おい、女装メイド野郎、誰がそんなサービスをやれと言った。ああ、わかった。私がさっき、しばらく女らしくしときなさい、と命令したからか。あとでこいつには令嬢教育が必要だな。だいたいあんたが目立ってどうする。今夜の主役はあんたじゃないのよ。お母様なんだから。
……気を取り直して。
「さあ、お母様、リベンジの宴の始まりです。今夜のお母様は狩られる立場ではなく、赤の貴族どもを狩りたてる側です。弓矢ではなく、貴族の流儀を武器にして」
「私なんかに本当にできるかしら。情けないけど、足の震えが……止まらないの」
お母様は泣きそうな笑顔を見せた。それだけ十四年前のいじめはひどかったのだ。私もトラウマのつらさは、五人の勇士に再会しての恒例シャウトでよく知っている。しかし、今かけるべき言葉は慰めなんかじゃない。
「……だいじょうぶです。お母様は、この私の地獄の特訓コースに耐えきりました。いまや舞踏会の主役だってはれるのです。それにお母様はあの魔犬ガルムと一対一で対峙されたんですよ。あいつより怖い貴族なんて、この世に存在しません。今、お母様に必要なのはたったひとつ……踏み出す勇気だけです」
この戦いはお母様が過去を乗り越えるための戦いだ。
社交界流の戦いなら、私の得意とするところだ。マーガレットでも出てこない限りは、どんな相手も独壇場でやりこめる自信がある。だけど、娘にかばわれるお母様の気持ちを考えるとできなかった。それに、お母様のトラウマを克服しようと意志を尊重したかった。だから私は、出しゃばって戦うかわりに、お母様の勝利を信じて送り出すのだ。令嬢スキルオールAクラス以上の私が保証する。今のお母様は宮廷以外ならどこにでも通用する。歯を食いしばって今日という日のため努力されたのだ。お母様は私の自慢の教え子です。
私はためらうお母様の肩口に、新作ショールを羽織らせ、その背中を押した。
「これは卒業証書がわりです。東洋では、天女が羽衣をまとい、空を飛ぶといいます。このショールは羽衣にも負けない出来と自負しています」
私はお母様の両手をとって激励した。
「十四年前、お母様をいじめた連中を空から見下ろすつもりで行きましょう。実際のお母様は天女のように素晴らしいと思い知らせてやるのです。このシルクだって、お母様のお力があったから完成したのです。ほら、落ち着いて見てください。赤の貴族達の顔、鳩が豆鉄砲くらったみたいです。王家親衛隊、豪華絢爛馬車、スーパー御者のブラッドと驚きすぎて、心はぼろぼろの落城寸前です。あとはとどめの一矢をくれてやるだけです」
お母様は外の様子を見て苦笑いした。
「……本当ね。私の記憶の中のあの人達は、影の魔物みたいに大きくて恐ろしかったのに……あんなに、私よりも……小さかったのね。不思議ね、あなたの励ましを聞くと勇気がわいてくるわ」
お母様は女性にしては長身だ。そして狩りを得意とするので抜群の距離感覚を誇る。正しく大きさが見えているのは気圧されていない証拠だ。
満足しかけた私は、お母様が不意にぽろぽろ涙をこぼしたので慌てふためいた。
「……ご、ごめんなさい。スカーレット。あなたが大きくなったせいかしら。あのときの私に、こんなふうに励ましてくれる友達がいたら、どんなによかっただろうって思えてきて……。私、山育ちだったから、貴族の女の人の知り合いさえいなかったの……」
お母様は不器用に涙をぬぐった。
孤独なまま追い詰められていったお母様の気持ちを想い、私は胸がしめつけられ、ぎゅっとお母様を抱きしめた。今このときだけは、大人の背丈と手足の長さがあることが心からありがたかった。
「かわいそうなお母様、でも、私はお母様を憐れんだりはしません。だって、私の知るこの世でもっとも誇り高く強い女性は、お母様ですから」
お母様はしばらく私に成されるがままにしていたが、やがて照れ臭そうに私の腕の何から逃れた。
「……まさかあんなに小さかったスカーレットに、抱きしめてもらう日がくるなんてね。不思議な感覚です。くすぐったくて、でも、体の底から力がわいてくる。昔、お母様に言われたわ。母親というのは子供がそばにいれば、世界最強だって。今はその言葉の意味がよくわかる。どんな相手にも負ける気がしない。だって私は、世界一自慢の娘の母親ですもの。スカーレットが私の娘でよかった」
か、感動させにこないでください……!!
私こそお母様が私の母親でいてくれて、どれだけ嬉しかったことか。
「……だから、スカーレットを抱きしめ返すのは、この戦いに勝って帰ってきてからにします。それこそがあなたの気持に報いることだと思うから」
お母様は私の一番ほしかった言葉をくださり、そして、凛とした顔をあげた。もうおそれなど欠片もない。戦いにおもむく狩りの女神の顔だ。
「失敗をおそれていた私は馬鹿だったわ。娘にここまで頑張ってもらって奮い立たないなら母親じゃない。私は、あなたに恥じない親でありたい。ただそれだけを考えればよかったのよ。見ていてね、スカーレット」
そしてお母様は、羽織ったショールの片端を剣のように握りしめた。
このショールも、この時点では存在しない私達の秘密兵器だ。
その生地はとうに絶滅したと思われていたアトラス蚕というカイコから採取されるシルクだ。雪より白く、重さなど感じられないほど軽やかなのに麻なみに丈夫で、しかもあたる光の色と角度によって、ふわっとした虹色に輝くのだ。「108回」の私の令嬢時代の宮廷においては、その希少価値と美しさで争奪戦が起き、価格が暴騰していた。このアトラス蚕のシルクで織られたものをどれだけ身につけているかで、貴婦人令嬢たちの力が推し量れたぐらいだ。
蚕の食性は好き嫌いが激しいが、このアトラス蚕はぶっちぎりの変わり種で、口にするのは新月期以外の毒性の低い「毒婦の頭巾」のみだ。ただしこの繭そのままでは、斑がひどく使い物にならない。
……だが、メルヴィルの必殺の毒矢の材料である「毒婦の頭巾」の新月時の猛毒抽出液に、アトラス蚕の繭を浸すという奇天烈な製法によって、その糸は天界のものと見まがうまでに美しくなる。
じつはこの製法は、大昔の「銀の時代」にとある貴族家が秘伝の家業としていたものだった。アトラスシルクは一世を風靡し、その当時の王族や大貴族たちの肖像画は、たいていこの服飾を身に着けている。ちなみにアトラスの名前は、普通の蚕より一回り大きいからついたのではない。国家にもたらした莫大な利益から、天を支える巨人、アトラスの名を冠されたのだ。
けれど、つくるにも育てるにも大量の「毒婦の頭巾」を保有することになるので、その貴族家は王家からあらぬ疑いをかけられた。さらに最終工程後の毒抜きを加減すれば、アトラスシルクは暗殺にも使える。だが、権益を狙った言いがかりだったとも伝えられる。真実は今となってはわからない。とにかく彼らは滅ぼされるときにアトラス蚕をすべて道連れにした。王家がいくら血眼になって探してもただの一匹さえも生きた個体は見つからなかった。アトラスシルクは幻となった。
……だが、そのあまりに見事な絹糸に魅了された庭師が、アトラス蚕をひそかに懐に入れ、逃げのびていたのだ。その末裔の村からアトラスシルクは復興することになる。私は「108回」の知識で、その逸話を知っていた。だから、アトラス蚕を神事用としてひそかに飼育していたその奥地の村に、三拝九拝の覚悟でおもむき、この蚕をゲットした。
もっとも、庭師の末裔たちには、ただ先祖より伝わるなんだかありがたいらしい変な生物として守り続けてきただけだったので、目をぱちくりさせていた。最終工程に必要な猛毒化する新月期の「毒婦の頭巾」はプレミアだし、さすがにアトラスシルクを完成させてしまえば、いずれ足がつき、村に危機が及ぶとご先祖が警戒しているうちに、アトラス蚕の伝承が途絶えてしまったのだろう。
……そして、ただでさえ過疎化し、狭い畑しか維持できなくなっていた村は、私が訪れたとき蝗害により、絶滅の危機に瀕していた。私は彼らの救済と説得にのりだした。
「……わたちが、この村を救いまちゅ。このアトラスかいこごと、みなちゃまを、雇用させてくだちゃい。飢えなくなりゅどころか、この村はどこよりも豊かな村に生まれ変わるのでちゅ。この村をハイドランジアのりゅうこうの最先端の発信源とちまちょう。さあ、わたちと一緒に輝かちい未来を勝ち取りまちょう!!」
おい、ブラッド、笑いをこらえてぷるぷるするな。
しかたないじゃない。このときの私は一歳足らずだもの。
舌足らずだが、拳を握りしめ、一気呵成に熱弁をふるう一歳にもならない私に、村人たちは仰天したが、持参した手つけ金と食糧を見ると、「神様のお使いが村の危機を救いに降臨された。きっとそのために御先祖はこの面倒くさい蚕を我等に残されたのだ」と、なんだか勝手に勘違いし、とんとん拍子の拍子抜けに話が進んでしまった。
真価を知らなければアトラス蚕はただの穀潰しであり、その餌用の「毒婦の頭巾」は命がけになるほど採取がむずかしい。早い話が、村も持て余していたのだ。
その「毒婦の頭巾」を、しかももっとも難度の高い新月期の猛毒のものを、ひょいひょいお手軽に摘み取り、山のようにためこんでいたお母様は、どんだけチートなのよ……。お母様に同行させてもらったことがあるが、とんでもなく危険な場所ばかりに生えているし、いつ猛毒化するかもまったくわからなかった。個体差があるのだ。それを嗅ぎ分けられるのは、ずっと毒矢を扱ってきたメルヴィル家の本能なのだろう。私にはまるで感知できなかった。私はお金の匂いを嗅ぎつける能力と引き換えに、その能力を退化させてしまったようだ。
いいの、人には適材適所、おのおの果たすべき役割があるもの。
そして今日の私のすべきことは、キャスティングと裏方よ。
「……おい、そろそろ師匠に登場していたただかねえと」
馬車の外からノックし、アーノルドが遠慮がちに声をかけてくる。
わかってるよ。これ以上もったいぶると、赤の貴族たちが息をのむようつくりあげた場が壊れる。
お母様と私はうなずきあった。
「いいよ、お願い」
私が返事すると、外で待機していたアーノルドとセラフィが、恭しく扉を開き、タラップをおろした。貴族服を着た凛々しい若者たちが、お母様にかしずくように奉仕するさまに、貴婦人が羨望と嫉妬でどよめく。ふたりには馬丁の役を頼み、ここに到着する寸前に馬車の後尾に移動してもらった。
「ふたりとも見栄えはいいし背も高い。それで貴族の恰好なんだから、インパクト大よ」
「よくわからねえが、師匠のお役に立てるなら、弟子の本懐ってやつだぜ」
「そうですね。これは背が高いボクにしか務まらない役だ。背が高いボクにしか……」
二つ返事で快くひきうけたアーノルドに比べ、セラフィのヤツ、感無量でずっと窓に映った自分に見惚れてた。そんなにチビなのがコンプレックスだったのか。
大人の姿になった今、セラフィはもともと長身のアーノルドと背丈がほとんど変わらない。対照的な品のいいセラフィと野生味あふれるアーノルド。イメージと違い、セラフィが平民でアーノルドが貴族なのがおもしろい。
ふたりが開け放った扉の向こうの夜風に、お母様が、純白のアトラスシルクのショールを、夜の灯にきらめかせながら、ゆっくと進みでる。
「……虹色に光っている……!!」
「まさか、失われたアトラスシルク……!?」
服装に煩そうな高級ものに身を包んだ婦人たちが、ショックにうめく。卒倒しかけるもの、涎を流さんばかりに前に身を乗り出すもの、反応はさまざまだが、手応えありだ。赤の貴族は古い家柄だ。アトラスシルクの伝承を知っている者も多いと思ったよ。
馬車から凛然と降り立ったお母様を嘲笑う者はもう誰一人いなかった。
よしっ、摑みはオッケー。演出も配役も完璧!! あとは赤の貴族どもに、存分に実力を見せつけやるのです、お母様!! よしっ、私もお母様をサポートすべく、あとに続いて……。うきうきと動きだしかけた私は凍りついた。
「……スカーレット、あなた、その姿をみんなに見せてだいじょうぶなの? しかもルビーを出したままで……」
お母様がわずかに首をねじ曲げ、心配そうに私を見たのだ。セラフィも同様の反応だ。
まったくそのとおりだ!!
こんなビューティホーに成長したドレス姿で降りて行っては、さすがに男の女装では通らない。四歳のルーファスとはわけが違う。そして、真祖帝のルビーをもつ女性を娶った男は、大陸覇王の資格を得るのだ。このままでは、お母様のリベンジ舞踏会どころか、私の大お見合いパーティーと化してしまう。お母様のプロデュースに夢中で、自分のことにまったく気がまわっていなかった。
あぶない、あぶない。御忠告いたみいります。私は亀の首のごとく引っ込んでおります。引きこもり希望なだけに。
だが、ことは私の望み通りには進まなかった。
「……まさか伝説のアトラスシルクにお目にかかれるとはね。それに、その馬車の見事なこと。ねえ、みなさまもそう思いませんこと?」
赤の貴族達の人垣をまっぷたつに割り、こちらに歩いてくるローゼンタール伯爵夫人とばっちり目があってしまった。羽根扇で口元を見えないにし、夫人は誰ともなく周囲に問いかけるが、貴族達はあいまいな笑みをし、返事に窮している。ローゼンタール伯爵夫人が表情を隠しているため、真意がわからないのだ。
これだけの数の貴族達を言葉ひとつで翻弄する。
全盛期には遠く及ばないとはいえ、まだその権勢侮りがたし……ってダメじゃん!! 今をみんな十四年前って思いこんでるんだった!! ローゼンタール伯爵夫人が飛ぶ鳥落とす勢いだった頃だ!! なにせ招待した王族を座ったままで迎えたって逸話があるくらいなのだ。
……さっきもちらっと触れたけど説明しとこう。正賓会や舞踏会では、主催者側は招待客にとても気を遣う。なので応接間なり、どこなりで、ひとりひとりに親しげに挨拶をし、また座席や行列の順番などを頼むものなのだ。座ったままで迎えるなんてとんでもないことである。
その思いあがったローゼンタール伯爵夫人が、どうして出迎えどころか玄関まで来てるのか、もしかして門前払いでもくらわせ、貴族達の前で、お母様に恥をかかせる気なのでは……。馬車やアトラスシルクを褒めちぎっているのも、上げて落とすつもりなのかも。だったら、私にも考えが……。
「よせ、スカチビ。あの人からは邪悪なものは感じない」
ブラッドに鋭い声で止められなければ、かっとなった私は、なりふり構わず、馬車の外に飛び出していたろう。
「そんなわけないでしょ。悪女で有名なローゼンタール伯爵夫人だよ。このままじゃ、お母様が」
抑えた声で反論するも、ブラッドは頑として意見をひるがえさなかった。
「オレは噂じゃなく、自分の目で見たものを信じる。だから、たとえばスカチビがどんなに世間で悪く言われても、おまえがいい奴ってだって気持ちは絶対ゆるがない。おまえもオレを信じてくれ」
……そういえば、敵味方に分かれて戦った「108回」でも、〈治外の里〉を全滅させた私にさえ、あなたは優しかった。憎んだほうが簡単だったろうに、最後の謝罪まで受け入れてくれた。わかった。あなたの言葉を信じる……。
「あれ? こっちに歩いてくるぞ。馬車の中に乗りこんでくる気なんじゃ。まずいかも」
今さら不安げな声を出すな!! あほブラッドが!! 信じた私がバカだったよ!!
私はあわてて防寒用のひざ掛けを引っ掴み、頭からかぶって座席と一体化した。
私は今からイスカーレットである……。うーむ、最初は仮装舞踏会に女装して出かけたのに、まさか最終的に椅子に化けることになるとは。合格点のファンファーレもらえるだろうか。
だが、私の渾身の偽装はあっさり見抜かれ、冒頭のとおり、あきれ顔のローゼンタール伯爵夫人に馬車に乗りこまれる羽目に陥ったのだった。
……馬車のなかに、伯爵夫人にともなうようにお母様とブラッドも入ってきた。お母様はちょっぴりバツが悪そうな顔をしている。颯爽と出て行ったばっかりなのに、すぐに出戻りしたからだろう。だが、ブラッドと同じで不安そうな表情ではない。こんな魔眼なんてわけのわからないものを光らせているローゼンタール伯爵夫人と狭いひとつ屋根の下にいるのにだ。薬物、暗器、生物、無手の技、刃物、ギミックとあらゆる暗殺手段をしかけられた経験持ちの私としては、密室で敵意をもった相手と同席なんてまっぴらごめんなのに。
その一挙手一投足にびくびくしている私をよそに、ローゼンタール伯爵夫人はため息をついた。
「いきなり乗りこんできてごめんなさいね。馬車の中でないと他の人に話が聞かれてしまうから」
あ、謝った!? あの厚顔無恥なローゼンタール伯爵夫人が!?
「わかった!! これは狐かタヌキが化けてるんだ。よし、ブラッド、煙の用意よ。燻りだして、隠しているしっぽを引きずりだしてやる」
「やらねえよ。なんだタヌキって。アライグマのことか」
エキサイトする私にブラッドはあきれ声だった。
あ、ハイドランジアにはラクーンドッグが生息してないんだった。東洋の伝説によると、人や妖怪に変身したり、〇んたまぶくろで相手を圧し潰したりするらしいよ。狐のライバルで、とある忍者の里では、とっくりや帳簿をぶらさげた置物がつくられているらしい……。
「人を化かしたり、タヌキ同士で大合戦もやらかすらしいよ……」
「嘘くさい。おまえが絶対化かされてる……」
な、なによ。みんな、そんな残念そうなものを見る目で、私を見ないでよ。「108回」の女王時代に、東洋通の船乗りに聞いたんだから、間違いないんだって。魔狼とか魔犬がいるんだからタヌキだっていても不思議はないでしょ。私、ハイドランジアの危機を救うため、タヌキの助太刀をなかば本気で検討していたんだから。四大国をタヌキの幻術できりきり舞いさせてやるのだ。
「……あなたが本当は夢見がちな女の子だということはわかったわ。いつもは相当無理してたのね。今夜も母親を守るためにこんなにいろいろ準備してきて。公爵夫人はいい娘さんを持ったわね」
「ええ、スカーレットは私の自慢の娘です」
ローゼンタール伯爵夫人が慈しむ眼差しをし、お母様が嬉しそうにうなずく。
「うらやましいわ。私は子供ができない身体だから……あなたはよかったわね。十年も不妊の苦しみに耐えたあなたに、きっと神様が報いてくださったのよ。その宝、大切にしなさい」
「ローゼンタール伯爵夫人……」
「そんな顔をしないで。憐れんだりされるのは嫌い。私が不妊なのは子供の頃からわかっていたの。それよりたいしたものでしょう。先王様を最後まで騙し通したのだから。あんがいその子の夢想みたいに私もタヌキとかだったりして」
「まあ……」
お母様はくすくす笑った。
ちょっとお……なんかいい話っぽくまとめられちゃったけど、私が赤毛のアン状態と勘違いされたままなんですけど……。それに急にいい人ぶっても信用なんかできるもんか。
「夢見がちって……あなただって幻術を使ってるじゃないですか……」
だいたい自分だってファンタジーに片足突っこんでるくせに、納得がいかぬのです。
ローゼンタール伯爵夫人はがんぜない子供をからかうようにコロコロ笑った。
「たしかにね。でも、タヌキとやらのように愉快な幻術合戦をしかける気はないわ。私は正々堂々の女の戦いを望むの。公爵夫人……いえ、コーネリアさんと呼ばせてね。十四年前の舞踏会、あなたは心に大きな傷を負った。不本意に罠にはめられた。私はその主催者だった。謝る気はないわ。あなたは復讐を望むかしら」
馬車の空気が緊迫する。私の警戒レベルがマックスに達した。遠回しの宣戦布告にしか聞こえない。
……ちっ、やっぱり仕掛けてくる気か。だけど、大人の姿になった私なら、ローゼンタール伯爵夫人が魔眼を発動する前に、目を潰せる。さいわい刃つきの扇は何本か無事だ。
「……!!」
懐の扇を閃かせようとした私の手首を、ブラッドが目立たぬよう下のほうでがっと握って止めた。
ちょっと様子を見てろ、と視線でうながしてくる。
お母様はしばらく瞑目し、それから静かに語り出した。
「……あの夜、赤の貴族達はおもしろ半分に私をいたぶりました。いじめた自覚さえなかったと思う。私にとっては人生が壊されるほどの出来事だったのに。あのあと、何度も寝汗にまみれて悪夢でとびおきました。正直、復讐を望んだこともありました。そんな軽い気持ちで、私をもてあそんだ人達が許せなかった……」
私とブラッドは息をのんで耳を傾けていた。
十四年前の夜の詳細な感情を、お母様から聞くのは、「毒婦の頭巾」の秘密保管部屋におもむいたとき以来だ。
「……良人のヴェンデルはきっと今でも復讐を望んでいます。だけど、私はしたくない。慈悲ではありません。それをすれば、きっとヴェンデルが愛してくれた私ではなくなってしまうからです。そして、娘のスカーレットの目を真正面から見られなくなるから。これは綺麗ごとではなく、私の小さな意地です。私は過去にとらわれるより、今ある大切なものを守りたいのです」
そうきっぱり言いきったお母様の横顔は誰よりも美しかった。
「お母様……」
感動で声をつまらせた私の肩をブラッドが軽く叩き、深くうなずいた。
そうね、あんたの言う通りだったよ。私はあやうく浅慮で、お母様の誇り高さを台無しにするところだった。今の私達には手段を問わなければ、赤の貴族達に復讐する手段はいくらでもある。だけどお母様は赤の貴族達と同レベルに堕ちることより、悔しさや悲しみをのみこみ、未来に生きる覚悟を示してくださった。それは女王の心構えにも通じることだった。
「……さっすが、ししょおおっ、泣かせるぜ……」
外でアーノルドがおいおい号泣し、私の感動を台無しにしてくれた。心配して馬車の扉に耳をつけて、なかの会話を盗み聞いていたのだろう。こいつは後でお仕置きだな。
「そう……甘美な自分の復讐より、大切な人達のために苦い未来を選ぶのね……。それは簡単なようでとても勇気がいることだわ。だけど、相手にその気持ちは伝わらず、つけあがってくるだけかもしれない。殴り倒せる拳があるのに、それでもまだあなたは我慢できるの?」
ローゼンタール伯爵夫人の問いにお母様は微笑んだ。
「私のことならばいくらでも。でも、私の大切な人達を傷つけたり、侮辱するならば、容赦はしません。すぐに地獄を見せてさしあげます」
穏やかだが凄みのある笑顔に、ローゼンタール伯爵夫人はうなずいた。
「そうね。私の知っている素晴らしい女性達も、きっとあなたと同じことを言ったと思うわ。……お母さんも、マリエルさんも」
懐かしげな色がよぎるとヘーゼルの瞳が少し優しく見えた。
そしてローゼンタール伯爵夫人は、お母様の緑のドレスに目を落とした。
「……ひとつだけ聞かせて。あなたほどの覚悟のある人が、どうして赤の貴族達に取り囲まれて、血や残飯をかけられたとき、そのドレスをかばって震えていたの? その程度で怯むほど勇気がないとは、私には思えないのだけど……」
こいつ、いじめの首謀者のくせにいけしゃあしゃあと……!!
私はまたも沸騰しかけたが、窓の外からきりきり聞こえる音に水をさされた。中をのぞき込みながらアーノルドが憤怒の表情で歯軋りし、セラフィが必死に羽交い絞めして、馬車から引きはがそうとしていた。
「許せねえ、ぶちのめしてやる……!!」
「アーノルド、落ち着け!! 過去の話だって……」
自分より早く誰かに激怒されると、怒るタイミングを逃すものだ。私はため息をつき、ジェスチャーで、アーノルドにステイして少し離れて待つように伝えた。これ以上は話を聞かれては困る。短気なアーノルドが、ぽかんと様子を眺めている背後の貴族たちこそそのいじめの張本人だと知ったら、即報復に乗り出すだろう。軽く打ちすえるだけのつもりでも、大人アーノルドの膂力であの鋼弓を振り回せば、当たった者は大怪我必至だ。舞踏会の催しが血祭カーニバルに変わってしまう。
ローゼンタール伯爵夫人の魔眼により、十四年前と寸分たがわずに再現された思い出のドレスを、お母様は愛おしむように撫でた。少し寂しい表情をしたのは、本物は再生不可能なまでに汚され尽くされたことを思い出したからだろう。
「……このドレスは私の大切な思い出でした。ヴェンデルが私のために選んでくれ、ふたりがはじめてキスを交わしたときの。だから、自分のことなんかどうなってもいいから、このドレスだけは、どうしても守りたかったのです……」
お母様の答えに、ローゼンタール伯爵夫人は息をのんだ。
「……そう……だったの……。やっと……長年の疑問が解けたわ……」
驚きのあまり舌の根がこわばったのか、苦労して言葉を押し出した。
「……あなたは……ヴェンデル様との思い出を守ろうとしたのね。私は……馬鹿だったわ。あの人の選んだ女性ってわかっていたのに。どうして、あのとき、一歩を踏み出さなかったんだろう……」
ローゼンタール伯爵夫人の言っている意味は私にはわからない。
だけど、「みんなが私を馬鹿にしているなか、あの人だけは本気で怒っていた」という先ほどのお母様の言葉を思い返さずにはいられなかった。
そして、ローゼンタール伯爵夫人の目からすうっと涙が一筋落ち、困ったように下手くそに指でこねくりまわしているのを見て、この社交界の我儘女王のことがそんなに嫌いではなくなったのだった。
お読みいただきありがとうございます!!
あいかわらず長くて申し訳ございません!!
なお、今回はバトルなしです。女性キャラたちの気持ちのぶつかり合いがメインになってます。
……うまく描けてるかどうかは別にして。
よろしかったらまたお立ち寄りください!!




