ロナの恋心の結末。そして、人々は悲しい夜を思い出し、涙するのです。
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【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】1巻が発売中です!!
鳥生ちのり様作画!! KADOKAWAさまのFLОSコミックさま発刊です!!
どうぞよろしくお願いします!! ちなみに連載誌は電撃大王さまです。
またコミックウォーカー様やニコニコ静画様でも無料公開してますので、どうぞ、試し読みのほどを。
無料更新日は、本日8月5日予定です。
ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。
応援よろしくです……!!
原作小説の【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中です!!
ロナは、ローゼンタール伯爵夫人は、今でも思う。
炎が弟のロニーをのみこみ、夜を焦がしたとき。自分が魔女の汚名を着せられ、愛する弟達を失い、絶望したとき。そこに救いとして差し出されたヴェンデルの手。あの手に、なにもかも忘れ、すがりつけていたら、どんなにしあわせだったろうかと。
恋仲になれたと思っているわけではない。
貧民の自分と侯爵子息のヴェンデルは身分差がありすぎた。そして幼すぎた。ヴェンデルからは、淡い好意以上のものは望めなかったろう。でも、それだけでロナには十分だった。
ただ、残酷な結論だが、その場合、ロナは若くして死ぬことになった。
なぜなら、ロナがヴェンデルに抱いていたのは、ヴェンデルの役に立って死にたいと思いつめる、そんな我が身を顧みない恋心だったからだ。
ロナは、コーネリアのような特別な人間ではない。どんなに頑張っても、身を投げだすぐらいでしか役に立てない。波瀾万丈のヴェンデルの人生には、最後までとてもついていけない。
ロナ本人が、誰よりもそれを痛感していた。
だから、ロナは、いじめの夜にコーネリアが心折れたときに、悔し涙を流した。
自分だったら、世界中の人間が敵になっても立ち向かう。だって、あなたはヴェンデル様を、隣で支えてあげられる唯一無二の女性じゃないの。どこまでも一緒に歩いて行けるじゃないの!! なのに、どうして!?
愛してもらえなくてもいい。
だけど、少しでもヴェンデル様の助けになりたい。だから、ロナは多くの男達に身をまかせ、国王の寵姫にのぼった。ヴェンデルに、もうロナと名乗れなくなるほど、恥ずべき行いで何百回も身も心も汚さなければ、その権力さえ手にいれることができなかった。
なのに、私の欲しかったものをすべて持ち、高潔なままでいられるあなたが、たった一度の試練で、膝を屈するの!? ヴェンデル様を悲しませるの!? じゃあ、私の人生はなんなの!? あまりにみじめすぎるじゃない!!
それは言葉にすれば、そういう想いだった。
ロナにとってヴェンデルは神に等しい存在だったのだ。そして、危険なまでのヴェンデルへの感謝と崇拝は、今もなお彼女の胸に燃えさかっている。
たとえ二十五年を経て、ローゼンタール伯爵夫人になってもー、
愛妻をいじめた首謀者とヴェンデルに誤解され、蛇蝎のごとく憎まれてもー、
その恋は決してゆるがない。
だけど……、それは、死ぬよりつらい日々だった。
だから、何度も思い返した。
もし、あの夜、ヴェンデルの手を取れていたなら、こんなつらい思いはしなくてもよかったのだろうかと。いつか敵が多かったヴェンデルを身を呈してかばい、その腕のなかで息絶える結末ぐらいは、罪深い自分にも許されたのだろうかと。
その夢想は、狂おしいほどに胸を焦がした。
ローゼンタール伯爵夫人は、血がにじむほど唇を噛みしめた。
この恋が報われなくてもいい。抱かれることなど望まない。嫌われていてさえかまわない。だけど、このままでは死んでも死にきれない。せめて、コーネリアがヴェンデルを託すのにふさわしいと、自分が納得できるまでは。
だから、ローゼンタール伯爵夫人は、命がけで魔眼を発動させ、コーネリアをもう一度試そうとしている。そして、もし、自分の目にかなうようなら、莫大な財産をコーネリアに移譲する用意をしてあった。それだけの覚悟をもって、この舞踏会に臨んでいる。
そして、ローゼンタール伯爵夫人は、すべての恋のはじまりのあの日に、再び想いを馳せるのだった。
愛する肉親すべてを失い、けれど、ヴェンデルの瞳がロナだけを映してくれた、絶望と歓喜の交錯した、あの忘れえぬ夜へとー、
◇◇◇◇◇◇
「よく聞け!! ぼくはヴィルヘルム侯爵が嫡子。ヴェンデル・クリスタル・ノエル・リンガード!! 異端審問官マシュウ・グロウスに告ぐ!! その子は、ぼくの大切な友人だ。断じて魔女などではない!! 彼女を傷つけることは、ぼくの名誉を傷つけたも同然だ。今すぐこちらに引き渡せ」
ヴェンデルは抜刀し、鋭く命じた。
その剣先は、はるか群衆の向こうのマシュウに突きつけられていた。
紅い瞳が、暗く燃えあがる。
それは火刑の炎さえも圧するようだった。
いつもの才気煥発とした明るい色ではない。
闇夜につながる剣呑なの日没の色。ラグナロクの色だ。
はじめて見るその瞳の色彩に、ロナは背筋が寒くなり、そして禁断の歓喜にうち震えた。
ヴェンデル様が私のために本気で怒ってくれている……!!
私を救うためだけに、こんな地獄に、たった一人でとびこんできてくれた。
ロナは、この瞬間、死んでもいいと思った。そして、弟達を失ったばかりにもかかわらず、恋心を抑えられない罪深さにおののいた。だが、誰がロナを責められよう。狂おしい恋は、すべての理屈をこえ、人の心をうち震わす。
ヴェンデルの名乗りを耳にした群衆が、大きくざわめいた。
「……侯爵家……!!」
「輝石名……!! 貴族のなかの貴族……」
みなの動揺する意味が、そのときのロナにはわからなかったが、輝石名を持つということは、創始三百年以上の貴族の血統であることを示す。命懸けの政争を勝ち抜いたときのハイドランジア国王が、家来たちの恩に報いるため、守護石を与えた故事に端を発する。由緒正しい貴族のあかしだ。
ヴェンデルの場合、クリスタルがこの輝石名に当たる。スカーレットはルビーだ。
マシュウはすばやく周囲の反応をたしかめた。渋面になる。
〝……してやられたわ。なんと小憎たらしいガキだ。一瞬でこの場の雰囲気をかっさらいおった。この齢で自分の魅せ方をよく理解している〟
瞳にたたえた怒りに似合わず、ヴェンデルの行動は冷静だった。
マシュウとの戦いに専念できるよう、まずは圧倒的な数の群衆を黙らせる手段をとった。
粗野な貧民相手には、単純な強さを見せつけて。
身分というものをわかっている町人達には、貴族の権威でもって。
どちらも普段のヴェンデルなら決して使わない。
ロナを助けるため、彼はなりふり構わぬ手をうったのだ。
〝……ふむ、正しい。初手で暴徒どもを封じこめおった。全員の気が、奴ひとりに向いた。貧民どもはともかく、町人どもは、もうこれ以上扇動しても、暴動にのってこまい。やはり、ただの貴族のクソガキではないな〟
マシュウはそう認めざるをえなかった。
邪悪な魔法は解けた。
暴動の独特のひりつく雰囲気は、悪質な薬物に似ている。アドレナリンを分泌させ、人の理性を麻痺し、より野蛮な集団行為に走らせる。逆にいうと、正気のままでは人は簡単には暴力に酔えない。モラルが邪魔をするからだ。
悲劇の女の子をたった一人で助けにきた貴族の子供というロマンスは、彼らの心の琴線を強烈に刺激し、正気に立ち戻らせた。
「我が名前で足りぬというなら、あとは剣でおぎなおう。マシュウ、ぼくと勝負しろ。ぼくは彼女の名誉のため戦う。子供ひとりの挑戦も受けられないほど、おまえの正義は薄っぺらか?」
ヴェンデルのあおり言葉に、どっと民衆がわいた。
彼らは暴動よりも、この物語の続きを期待した。
いけすかない異端審問官がぼこぼこにされるなら、さぞかし痛快だろう。
彼らは暴徒から観客になった。
みなが固唾をのみ、マシュウの返事を待っている。
〝……ちっ、催眠ももはや効果なしか。完全に小僧の舞台に巻き込まれたな。こちらで相手せざるをえんか〟
マシュウは、山高帽と外套の銀飾りを炎にきらめかせ、反応が薄いことに苦笑した。一定のタイミングで明滅させることで、視野狭窄のように、意識をすぼめ、民衆を暗示にかかりやすくす小道具なのだ。
だが、もはや誰もそちらに気を取られない。
ヴェンデルという光が強すぎ、かすんでしまうのだ。
立っているだけでも、おそろしいほどに華がある。天性の舞台の主役としか言いようがない。まして、今はわざと目線を集めるよう、派手な身振りをしている。何千人の中に紛れてもはっきりわかる。燃えさかる炎までが彼を引き立てる舞台道具に思えてくる。
〝それに、あのうすきみわるい目。どうもあれがいかん〟
ヴェンデルの紅い瞳に見すえられると、猛りきっていた暴徒たちが、急に怯む。あるいはぽかんと見惚れる。いくら物珍しい色彩とはいえ、催眠状態をうち消す力でもあるのではないかと勘繰りたくなる。
その中でもっとも劇的に反応したのが、側近のジョンだった。
ヴェンデルから目が離せなくなり、ついには馬乗りになっていたロナから離れ、ゆらゆらと不安そうに身体をゆすっている。体格までしぼんでしまったようだ。
「……蟲人形……? ……な、なんで俺は、ガキどもにあんなことを……!?」
狂的な笑顔がはげ落ち、戸惑い怯えた表情があらわれる。
マシュウは舌打ちした。
「ジョオオオオオン!!!」
独特のイントネーションの呼びかけに、ジョンはびくっと硬直した。
その手にマシュウは懐から取り出した毒々しい丸薬を握らせた。
「いかんなあ。神への信仰が薄れている。とっておきの薬を飲んでいいぞ。天国へとべる。なあ、あの紅目の小僧をおまえの好きにしたくはないか。あの美しい顔が、手足をもがれ、泣き叫ぶさまを見たくはないか? おまえのコレクションのどれも足元に及ばぬ上物だぞ」
「い、いやだ!! 思い出した!! 俺はあんたに騙されてこの薬を飲まされた!! それから、頭がぼーっとして、じ、自分が自分でなくなって……!! いやだあーっ!!」
ジョンは悲鳴をあげて抵抗するが、言葉とうらはらに手は勝手に動き、丸薬を口に放りこんだ。
邪悪な笑みが再びジョンの顔をぬりつぶした。
身体がめりめりとふくれあがる。
「があっ!! 生意気な小僧が!! 貴族のガキがどんな具合か確かめてやる。どけ!! 道をあけろ!!」
わめきながら、斧をふりまわし、人混みに突入する。
刈り取られそうになったみなが悲鳴をあげて逃げ惑った。
手で払いのけられた男が数メートル宙をとぶ。人間の膂力ではない。
豹変したジョンの背中を見送りながら、マシュウは呆然としているロナに笑いかけた。
「さすが森の民ヴィスクムの秘薬。よく効く」
「ヴィスクム……?」
ロナには聞き覚えの無い言葉だ。
「そぉおだ。とうに滅んだ部族でな。薬草毒草の扱いに長けておった。私はその末裔だよ。特にあの薬は傑作でな。暗示と併用すれば、別人格を宿らせることが可能になる。ヴィスクムには子供達を生贄にする風習があってな。ジョンはその中でも特に残忍だった神官をモデルにしておる。素手で子供を口から引き裂いた狂人だ。恐怖と苦痛を与えるほど、生贄は上質になるという信念をもっていた」
ロナはさっきジョンに股裂きにされかかったことを思い出した。
マシュウの言っている意味はまったくわからない。
だが、おそろしく危険なことを口にしていることは、本能で直感した。
「とはいえ、生贄があたりまえだった太古の常識では、とても現代には生きられん。つじつま合わせのにせの記憶は与えてあるがね。だが、猟奇性はなんら損なわれておらんよ。元が死刑囚というのもあるがな。かわいそうに、あの貴族の坊や、人間の形を残せんぞ」
「ヴェンデル様!! 逃げて!!」
警告しようととびおきたロナを、マシュウは蹴り飛ばした。
そのまま抜刀し、剣先を天めざしてあげ、振り降ろす。
「この暴動を起こすには苦労したのだぞ。台無しにした責任はとってもらう」
ロナは袈裟懸けに切られたと思い、身をすくめた。
だが、刃はロナをかすめただけだった。
代りに、ぼんぼんっと音をあげ、周囲の廃倉庫が燃え上がった。
風にあおられ、火は瞬く間に燃え広がった。
「……ふふっ、そう怯えるな。おまえはあの小僧を釣る大事なエサよ。今は殺さん」
待機していたマシュウの手下どもへの火つけの合図だったのだ。
「あいつらは、いくら死のうがかまわんがな。おとなしく魔女狩りのにぎやかしをしていればいいものを。それさえ出来ぬなら、焚き木がわりぐらいにしかならん」
炎の壁に閉じ込められる恐怖で、群衆がパニックになり、右往左往する。悲鳴と怒鳴り声が飛び交う。町人も貧民も争っているどころではなくなった。転倒した人間に蹴躓き、次々に将棋倒しになる。もはやヴェンデルとジョンがどこにいるかもわからない大混乱だ。
「……どうして、そんなひどいことができるの!? 人間なのに……!!」
言葉を失うロナにマシュウは嗤う。
「ちがうな。人間だからこそ、できるのだよ」
そのままロナの白い喉元をくいっと剣の峰でひきおこし、さぐるように見下ろす。
「……ヴェンデルか。そういえば、何年か前、真祖帝の特徴をもった子供の、王位継承騒ぎがあったな。くだらぬ子供をまつりあげた詐欺まがいと侮っていた。だが、無能だったのは、子供ではなく両親だったのか。あれだけの才能を王に擁立できなんだとは。おかげでこの街の魔女狩りは失敗だ。撤収させてもらう。しかぁし」
言葉と裏腹に愉しそうなマシュウに、ロナは総毛だった。
こいつにヴェンデルを近づけてはいけない。そう直感した。
マシュウはすうっと刃をひいた。
「ほぉら、愛しの王子さまによく見てもらえ」
ロナの皮膚にぷつぷつと血珠が浮かび上がる。
「このまま、顔を剥ぎ、鼻と耳を削ぐか? 化物づらになっても、悲劇のヒロインを気取っていられるかね? ぜひ私に教えてくれたまえよ」
「ロナあっ!!」
「……ガキがっ!! 死ねっ!!」
ヴェンデルがロナに気を取られた隙をつき、人混みにまぎれて接近したジョンが襲いかかった。
後方に避けようとしたヴェンデルだが、人の波に肩がぶつかり、押し戻されてしまう。
「……くっ……!!」
かろうじて剣でジョンの斧を受け止めるが、子供用の細身のものだ。今の異音からして数合の打ち合いでへし折られるだろう。
マシュウはその様子を高みの見物しながら、ロナに嘲笑を浴びせかけた。
「……やはり、おまえはあの小僧の弱点だな。おまえをとらえていれば、あの小僧は必死にここにやってくる。いくら強くても所詮は子供の体力。消耗しきったところを叩いてくれる」
マシュウの見抜いたとおり、小柄なヴェンデルは体力に難がある。
「いや、その前にジョンに勝てるかな? あの丸薬は、肉体の力を最大限に引き出す。正気には戻れんだろうが、なに、また別のジョンをさがすさ。代わりなどいくらでも作れる」
マシュウのジョンを見る目は、側近に向けるものてはなく、実験動物に向けるものだった。
「ほう、最後くらいは私の役に立ってくれそうだぞ。素晴らしいぞ。二十七人めのジョン」
ヴェンデルは、フットワークを封じられた状態で、なんとかジョンの攻撃をかわし続けているが、すでに肩で息をしている。ヴェンデル自身が体力の弱点を承知している。だから、先制で貧民の暴徒たちを派手に投げ飛ばすことで、周囲の相手を怯ませ、長期戦をさけたのだ。
圧倒的に見えても、ヴェンデルの強さは内に爆弾を抱えている。
一歩間違えば、即座に砕けるガラスの鋭さだ。
だが、ヴェンデルは引こうとしない。
「……なっ……!?」
ジョンの振り下ろした戦斧をかわし、ヴェンデルはその上にひらりと飛び乗った。てこのように足で得物を踏みおさえられ、ジョンはあわてた。ヴェンデルを力づくで放り上げるか、得物を捨て素手で襲いかかるか、その咄嗟の迷いを、ヴェンデルは見逃さなかった。
剣をもちかえると、斧の柄を駆けのぼり、一瞬でジョンの懐にとびこんだ。
紅い瞳の光の残曳が、テールランプのように夜に刻まれる。
「……化物……め……!!」
「……おまえの心がな。ロナが泣いている。邪魔だ。どけ」
信じられないという表情でうめくジョンの顎を、柄頭で横からうちぬく。そのままジョンの胸板を蹴って、空中で身をひるがえした。
脳震盪をおこしたジョンは失神し、地響きをたてて背中から倒れこんだ。
ジョンの身体が地につくより早く、ヴェンデルはロナめざし、人波にとびこんでいた。
「ほう、たいしたものだ。ジョンが力を解放しきる前に倒しおった。だが、ジョンとの死闘のあと、子供の体力でこの人混みを抜ければ、どれだけ疲労するだろうなあ」
マシュウの指摘どおり、パニックにおちいった大人たちの流れに逆らい、前に進むことは、ヴェンデルにとって激流での遊泳に等しかった。すでにジョンとの戦いで、心身ともにかなり疲弊している。みるみるうちに汗だくになり、顔色が悪くなっていく。
勝負あったと判断したマシュウは、ロナをのぞきこみ嘲笑する。
「おまえのおかげで、ずいぶん楽な決闘になりそうだ。ほう、その表情。よほどあの小僧に惚れておるな。どうだ。好いた男が自分のせいで死に近づいていくのを見るのは。それが、男を破滅に導く魔女の気持ちよ……なっ!?」
得意げに語っていたマシュウが、ぎょっとし、絶句した。
ロナは、ヴェンデルの負担になるまいと、身を投げ出すようにし、自らマシュウの剣で喉を突こうとしたのだ。
「バカにしないで!! ヴェンデル様の足手まといになるぐらいなら、死んでやる!!」
下からねめつけるロナの目は、異様な光を放っていた。
悲痛な張りつめた瞳だ。
マシュウはロナを侮っていた。
弟達を失ったロナは手負いの虎状態だった。命など惜しくはないのだ。ヴェンデルだけは絶対に守るという気迫をみなぎらせ、刃めがけて特攻してくる。
「……くっ……!! この……!! ……いい加減にしろ!!」
まとわりつく自殺志願者という異常事態に、さすがのマシュウも閉口した。
殺してしまっては人質の意味がなくなってしまう。
もてあましたマシュウは、やむをえず薬物をしみこませたハンカチで、ロナの口を覆い、身体の自由を奪った。ロナは異様な興奮状態にあり、うまく脳震盪で停止させる自信がなかったからだ。
「……この私が、森の民の技に頼るだと? まったく腹立たしい」
他人を言葉ひとつであやつれると自負するマシュウにとって、無力な少女ひとりに奥の手まで出したことは、屈辱以外のなにものでもなかった。
「無駄なあがきをしおって。だが、もう指一本動かせまい。ええ?」
苛立ちをおさえきれず、麻痺して崩れ落ちたロナの背中を蹴る。
「……ヴェンデル様は……殺させ……ない……!!」
水牛を昏倒させる植物毒にもかかわらず、ロナが呻いてまだ動くことに、マシュウはぞっとした。
狂おしいまでの少女の恋が、麻痺した身体を突き動かす。
「もう……私には……なにもないもの……!! あの人しか……私には……!!」
それどころか、ロナは両手で爪をたて、マシュウの脚にしがみついた。
この瞬間、ロナの気迫はマシュウを後退りさせていた。振りほどこうとしても、ロナは手を離そうとしない。ロニーをのみこんだ炎が、マシュウを嘲るように猛る。そんなふうに炎が見えたことははじめてで、マシュウは息をのんだ。
「こ、この忌々しい魔女めが!!」
余裕たっぷりのいつもの声ではなく、追い詰められた叫びをあげ、マシュウはロナに剣をふりおろした。殺してはいけないという判断を忘れていた。
剣戟の音が鳴り渡り、火花が散った。
「……させるか。ここからは、ぼくが相手になる……!!」
紅い瞳が静かな怒りに燃え、マシュウを下から睨みつける。
「……ッ!! この生意気な小僧が……!!」
言うまでもなく、ヴェンデルが風を巻いてとびこみ、マシュウの凶刃を受け止めたのだ。
「子供の膂力程度で、この私と張り合う気か!! クソが!! 舐めおって!!」
鍔迫り合いに持ち込まれたマシュウは歯軋りし、剣ごとヴェンデルをふきとばした。
ヴェンデルは体勢を崩すことなく、後方に着地し、間合いを取る。
「……待たせた。がんばったね。ロナ。……ロニー君は?」
いたわるように声をかけられ、ロナは言葉を詰まらせた。
「……ヴェンデル……さま……!!」
きてくれて嬉しい。
でも、私、がんばれてなんてない。
助けてもらう資格なんてない。
優しい声をかけてもらうなんて許されない。
だって、なに一つ守れなかった。
ロナはただ、ロニーをのみこんだ炎を見て、涙するしかなかった。
「ロニーは……もう……!! 全部、私のせいで……!!」
すべてを察したヴェンデルは頷き、哀悼のかわりに剣をかまえた。
「わかった。仇を取ろう。ぼくら二人でだ」
ロナの言いたくても口にできなかった願いを、ヴェンデルは自分から口にした。
「……だから、もう泣かないで。ロナはなにひとつ悪くない。君の哀しみも悔しさも、ぼくが剣にこめて、こいつにぶつけるから」
あたたかく力強い言葉に、ロナの心は震えた。
止めようとしても涙がとめどなくあふれる。
「……はい……!! お願い……します……!!」
「くっ、ガキどもが調子に乗りおって」
火の粉が舞う中、ヴェンデルの紅い瞳と対峙したマシュウは、立ち眩みをおぼえた。嘲笑しようとしたがうまくいかない。ロナに気圧されてから流れがかわったのだと自覚し、苛立つ。
〝この私が圧されているだと!? 紅い目の小僧はともかく、この非力な娘までにか!? ふざけるな!!〟
プライドの高さゆえ、不甲斐ない自分への怒りで、いつもの冷徹さを失った。しつこく這い上がってくる邪魔なロナの手をとにかく振りほどかねばと、この場で一番脅威であるヴェンデルへの注意を怠った。
ヴェンデルは冷静にその隙をついた。
ヴェンデルのおそろしいところは、どんなに怒っても、剣筋は鈍らず、目的完遂のために、よりいっそう鋭さを増すところだ。
〝怒りの炎は肚にため、頭の芯は常に氷のように冴え冴えと。守りたいものがあるなら、絶対に集中力を切らせてはいけませぬぞ。それが一流の戦士というヤツですじゃ〟
三老戦士に叩きこまれた教えは、彼のなかに忠実に息づいていた。
子供の身長を最大限に利用し、ヴェンデルははためくマシュウの外套の死角から踏み込む。ためらいが一切ない。その神速は、稲妻のようだった。
〝……ちっ!! こちらのマントに隠れて……!! なんだ、この馬鹿げた踏みこみは!?〟
連閃が飛燕のように交差する。
不意をつかれたマシュウにはかわせなかった。
子供用の剣とはいえ、この瞬間に勝負は決まっていた。
……普通ならば。
マシュウの外套は普通ではなかった。
火花と鋭い音を散らし、ヴェンデルの剣がはじかれた。
外套の内部に鎖帷子が編み込んであったのだ。
「ふふっ、焦らせおる。だがな、その小さな剣では、この特製の外套は切り裂けんと見た」
余裕を取り戻したマシュウは、ヴェンデルから目を離さず、ロナを足で蹴りほどいた。ロナはマシュウの脚元に転倒した。薬がまわりきったロナに再びしがみつく力は残っていなかった。
「……悔しい……私……やっぱり、なんにもできない……ヴェンデル様……ごめんなさい……」
やっとの想いでそれだけ伝え、涙を流すロナに、ヴェンデルは優しくほほえんだ。
「謝る必要なんてない。ロナの笑顔は人をしあわせな気持ちにする。それは君にしかできないことだ。ぼくにはそれで十分だ。ぼくだけじゃない。爺達もマリエルさんも君が好きだ。心から心配してる。ロナの居場所は、ぼくたちのところだ。帰ろう。ぼくらの家に。こいつを倒して」
それはどんなに心を震わせてくれた言葉だったろう。
ロナは泣きながら頷くしかできなかった。
「ほほう、まるで口説き文句だ。この外套におまえの剣は通用せんのはわかったのに余裕だな」
マシュウはせせら笑う。
だが、内心は舌をまいていた。
〝こいつ、本当に子供か? 歴戦の戦士の佇まいをしおって。まるで隙を見せん〟〟
動揺を誘おうとしているのだが、ヴェンデルの剣先と姿勢はぶれない。ロナを殺してみたらあるいは、とも考えたのだが、どうにも嫌な予感がしてならない。
だが、ヴェンデルにも、迂闊には攻勢に移れないわけがあった。
「ほれほれ、どうした。お姫さまはここだぞ。取りに来ないのか。王子さまは口だけか。ほほう、膝にきているな。わかるぞ、おまえはもう限界だ」
ヴェンデルはロナを取り返せる位置に移動しようとするが、マシュウは抜け目なくさせまいとする。剣先でヴェンデルを挑発する。息詰まる時間がすぎる。
ヴェンデルはマシュウの周りをまわって、隙をうかがうしかなかった。対してマシュウは中央に陣取り身体の向きを変えるだけだ。リーチの差もあり、迂闊にとびこめない。ヴェンデルの息が荒くなっていく。時間が長引くほど、疲労が蓄積し、体力のないヴェンデルは不利になっていく。
「どうした、最初の勇ましい口ぶりは。こないなら、こちらから遊びに行ってやろうか?」
このまま持久戦を続ければ、労なく勝てるとマシュウは判断した。
「……その外套。爺達と同じものか」
ヴェンデルを言葉でいたぶりだしたマシュウは、その言葉に嫌そうな顔をした。
「……こんな酔狂な外套をつけたジジイどもは、あの戦キチガイの三人しかおらん。おまえ、あいつらの知り合いか」
無視できずヴェンデルに質問してしまう。冷徹な計画をつみあげるマシュウにとって、力押しで盤面をひっくり返す三老戦士は鬼門だ。
「ブライアンじいと、ビルじいと、ボブじいの事なら、ぼくの師匠だ」
その言葉が終わらぬうち、
「若殿おーっ!! 異端審問官マシュウとやらのたくらみは潰えましたぞ!! 町長たちも無事に救いだしました!!」
胴間声が大混乱の喧噪さえ貫いた。
白髭ブライアンたちが文字通り人垣をかき分けてやってくる。
「のけい!! このバカげた魔女狩りも、火刑も、もう終わりだ!!」
三老戦士達はまるでブルトーザーの編隊のようだった。たとえこの場にたむろしているすべての人間が暴徒のままだったとしても、まるで歯が立たず、あっさり左右に押しのけられたろう。
「……間に合わなんだか……!!」
煙に混じる人が焼ける匂いに、三老戦士は暗鬱とした表情になった。戦場育ちの彼らは、ロニーの結末を即座に悟った。
「……ちっ、やはりあの戦馬鹿どもか。厄介な。まったく今回はケチのつきっぱなしだ」
渋面になったマシュウを目にし、黒髭ボビーがいきりたつ。
「貴様!! やはり、『マムシ』か!! このクソ傭兵が!! 今日こそ引導渡してくれる!!」
「ここであったが百年目よ。二度とよみがえらんよう、そっ首叩き落としてくれる……!!」
茶髭ビルは抑えたトーンだが、目の殺気は黒髭に負けず劣らずだ。
「『マムシ』? たしか東洋の毒蛇の名だったか」
ヴェンデルの言葉に、白髭ブライアンがうなずく。
「さよう。狡猾で執念深く、異常にしぶとい蛇だそうです。こやつの奇怪な毒と技が東洋を思わすからと、傭兵仲間がつけたあだ名ですじゃ。行方不明になったと思っていたら、まさか異端審問官になっていようとは。無辜の民を何人も巻き添えにしたド外道が。おい、『マムシ』。神の使徒を名乗って、さらにやりたい放題か。おまえだけは生かしておけん。わしらがおまえを気に食わんからだ。犠牲者の恨み、しっかり晴らさせてもらうぞ……」
異端審問所の権威など、この三老戦士には通じない。
世のため、人のため、とか言わないのがいかにもこの老人達らしかった。
彼らは自分流の戦士の理にしたがって動く。
外道は殺す。なぜなら矯正などできず、生きている限り、毒をまき散らすからだ。
乱暴にして単純明快な思考だ。
そして、マシュウを許せないのは、三老戦士だけではない。
「……聞いてくれ!! この街を愛する諸君!! 私はこの街の町長だ!!」
白髭ブライアンの背後から町長が進み出た。
三老戦士が守護像のように脇を固める。
町長だ、と気づいた群衆がどよめく。
町長はうなずき、手をあげて応えた。
大きく息を吸い込み、異端審問官マシュウを睨みつけ、口火をきった。
「私はその男マシュウにとらえられた。そして、ひどい拷問を受け、魔女の仲間であると自白しろと強要された。私だけではない。後ろにいる彼らもだ」
町長の背後で、とらえられていた町の名士たちも頷く。
「マシュウは私達の財産を狙っていた。魔女やその仲間として処刑された者は、全財産を異端審問所に没収されるという決まりがあるからだ。だから、マシュウは私達をどうしても魔女にしたかった。見てくれ。奴が私になにをしたかを!!」
町長はすべての爪をはがされた手をふりかざした。
先端はまだ紫色に潰されたままだ。
夜の炎の照明でも、その悲惨さははっきりわかった。
目撃した聴衆に衝撃が走りぬける。
ころよしと町長は声をはりあげた。
「私が本当に魔女の仲間というのなら、制裁も甘んじて受けよう。だが、もちろん違う。だからこそマシュウは、私を拷問にかけてでも、魔女という自白を引き出そうとした。他に証拠などろくにないからだ。マシュウが主張する、私達が魔女の仲間であるという論拠は、ロニーという少年による告発。それだけだ。だが、その告発さえもマシュウによる罠だった。私は異端審問所で真実を盗み聞きした」
町長はわかりやすいように、少し事情を変更し、説明している。
その話術は見事に聴衆の心を摑んだ。
暴動のきっかけになったロニーの名が、町長の口から出たので、全員が耳をそばだてた。
町長はわざと声を荒げ、マシュウを傷だらけの指で指さした。
「マシュウはロニー君を脅したのだ!! 卑劣にも彼の姉弟を人質にとって!! そして、自分達が財産を奪いたい人間達のリストをつくり、魔女として告発させた!! いやがって泣くロニー君に無理矢理にだ!! そして、すべての罪をロニー君にかぶせ、そ知らぬ顔をして、彼を火刑台におくった!! 真実を最後まで黙っていれば、姉弟を救ってやるからと囁いて!! 肉親を思う幼い子の心を利用した、まさに鬼畜の所業だ!! しかもマシュウたちは、ロニー君との約束を破った!! 死人に口なしと、姉弟すべてを殺そうとしたのだ!!」
「……ええい!! ジョオオオオン!! いつまでのんきに寝ている!! そいつらを黙らせろ!!」
いらだってマシュウが叫ぶ。
耳をつんざく雄叫びをあげ、バネじかけのようにジョンがはねおきた。
みしみしと筋肉がふくれあがっていく。だが、だらんと開いた口からは涎が垂れっぱなしだ。血走った目は焦点があっていない。わめく声は言葉の体をなしておらず、ばりばりと掻きむしる皮膚は破れ、血をふきだす。完全に正気を失っている。
近づくのでさえ命の危険を感じるその狂態に、周囲が悲鳴をあげて逃げ惑う。
ジョンは武器をもつ知恵もなくしたのか、バトルアックスを放り出したまま、両手を広げ、町長めがけて突進してきた。途中にいた群衆がはねとばされ次々に宙に舞う。まるでブレーキの壊れたダンプカーだ。
「……薬物中毒者じゃ。完全にいかれとるわい。町長は下がっとれ。ここはわしらにまかせろ」
だが、三老戦士の申し出を、町長は拒否した。
「お断りする!! 言葉こそが私の武器。皆に語りかけることが私の戦い。ここは私の戦場だ。それに、ここでひいたら、テディ―君に顔向けができん!!」
その名前を出されては、三老戦士も折れざるをえなかった。
「やれやれ、あんたも相当の馬鹿じゃ。だが、気に入った」
「マリエルの選んだ男だけのことはある。好きにせい。わしらはわしらで勝手にやるわい」
黒髭ボビーと白髭ブライアンが呵々大笑し、ジョンを迎え討とうとした。だが、茶髭ビルが二人をさえぎるように前に進み出ていた。
「悪いが、おまえらにもここは譲れんのう。そうか、こいつがジョンか。テディ―の恨み、晴らしてくれる」
「おい、おまえ一人でやる気か。わしらだって……」
「頼む。ここはわしにやらせてくれ。わしが迎えに行ったとき、もっと気をつけておれば……ロナは二人の弟を失わずにすんだ。わしは……自分が許せん」
思いつめた茶髭の口調に、黒髭と白髭は顔を見合わせた。
「わしら全員の責任じゃ。おまえだけのせいではないわい」
「と慰めても聞く頑固爺ではあるまいよ。よかろう、口先での謝罪などわしらには似合わん。あとは刃で語ってこい」
どんっと白髭ブライアンに背中を拳で突かれ、
「応ッ!!」
と雄叫びをあげ、茶髭ビルはぐんっと前に踏み出した。
ジョンとすれ違いざまに、茶髭の鎌が一閃した。
旋風が吹き荒れ、どどっと鈍い音が連続した。
ジョンは感電したかのように、がくんっと急停止した。
脂汗がだらだら流れ出す。
どこも斬れていないのに、なぜか手がまったく言うことをきかない。
いや、それどころか……!!
「見ておったか、テディ―。師匠として弟子の仇は討った。これが王家親衛隊の刃筋じゃ。おまえへの手向けよ。教えてやりたかった技よ。すまんのう。わしにはそれぐらいしてやれん」
そう呟く茶髭ビルは、背後のジョンを振り返らなかった。
火柱に照らされたロナの涙にぬれた顔を見て、沈痛な表情を皺に刻んでいた。
「こいつは楽には死なさん。テディ―の、ロニーの、ロナの苦痛の何万分の一かを味わさねば、わしの気がすまん」
ジョンの両肘から先が、斜めにずれた。
それから股間からぽとりと肉塊が落下した。
一拍おくれ、噴水のように血飛沫が舞う。
「……ぎゃあああああおうッ!!?」
獣の咆哮をあげ、ジョンは地面をのたうちまくった。
その眼窩はまっかな洞穴になっていた。
あまりに凄惨な光景にその場の人々は蒼白になった。
茶髭ビルは、一瞬でジョンの両手を切り飛ばし、目を潰し、刃先で急所をえぐりだしていた。
「薬物中毒でも、これはこたえるじゃろう。頭がいかれとるのなら、身体で思いしれ。これからの貴様には不要なものじゃ。これであの世にいっても、二度と子供達を泣かすことはできん」
絶叫し、泡をふいて痙攣するジョンを、茶髭ビルは冷たく一瞥し、切り落した肉塊をぐしゃりと踏み潰した。血と体液とともに白い球が、足の下からはみだす。それを踏みにじると白膜が割れ、雲丹に似たものが四散した。
「物足りんが、後がつかえとる。これで勘弁してやるわい」
見ていた男達が、ひゅうんっという感覚に襲われ、思わず膝を閉じる。
「……すまんな。わしの気はすんだ。次はおまえらの番じゃ」
茶髭ビルの言葉に黒髭ボビーが呆れかえった。
「これ以上なにをやれというんじゃ。もういいわい」
周囲はどん引いていたが、注目は集まった。
町長は逆にそれを好機に変えた。
ジョンがたくさんの子供達にどれほど非道なことをしたか、そしてこの報いがどれだけ当然なのか、簡潔にしかし的確に、熱弁をふるった。聴衆は話にひきこまれていった。特にテディ―が姉弟のために我が身を犠牲にし、ジョンに弄ばれ、謝罪をして死んでいったくだりで義憤に燃えた。
「テディ―君は、謝りながら息を引き取った!! 誰を恨みもせず、ただロナ君とロニー君の未来だけを案じて!! 私の手を取り頼んだのだ!! 街のみんなの争いを止めてほしいと!! だから、私はここに来た!! 我々が罪を問うべきは誰だ!? 互いを思い合う気持ちを、悪党に利用されたかわいそうな姉弟たちか!? 違うだろう!!」
テディ―の最期を聞いて、たまらずにロナは両手で顔をおおって慟哭した。
その涙を見る人々の目には、もはや怒りや嫌悪はなく、憐憫と同情だけがあった。町長の説得により、彼らは、ロナは魔女ではなく、弟達を命がけで守ろうとしたけなげで悲運の少女と正しく認識した。
「我々も告発する!! マシュウとジョンの非道を!」
異端審問所の役人達の証言が、町長の言葉を後押しする。
皆の怒りのまなざしは、元凶の異端審問官マシュウ一人に向けられた。
貧民達も騒ぎ出した。彼らは、ついさっき、マシュウの合図であちこちから火の手があがったのを目撃した。マシュウの卑劣なやり口を知った今、貧民街の放火もマシュウのしわざではないかと思いあたったのだ。
いまや争っている者は誰一人いなくなった。
その潮目を逃さず町長がたたみかける。
「……聞けば、このマシュウという男。元傭兵で、街を落とすときには、まず内部で仲間割れを起こさせ、同士討ちで自滅させる卑怯な手を得意としていたという!! 今回の暴動はまさしくそれだ!! まちがいなく今回の暴動の黒幕はマシュウだ!! 魔女狩りをやりすいよう、我らを憎しみ合わせ、街の団結を壊そうとしたのだ!! だが、我々はもう思い通りにはならない!! 我らの敵は誰だ!! そこの神の使徒を語る資格などまったくない男だ!!」
強引な結論だが、町長の言葉は正鵠を射ていた。
なにより演説は聴衆の心を動かせば勝利だ。
まして正義は明らかにこちらにある。
もはや町長の独壇場であった。
マシュウがいくら抑えようとしても無駄だった。
「ロニー君とテディ―君は、マシュウに殺された!! 彼らはこの街の誇り高き子供だった!! 死をもって、我らにマシュウの陰謀を知らせてくれた!! 子供の無念を晴らせ!! 我らこの街の大人たちの手で!! 未来を胸をはって子供達に託せるように!!」
町長の言葉が皆に火をつけた。
マシュウを裁けという叫びがあがりはじめた。やがてそれは一斉の掛け声のようになり、地を揺るがす怒涛となった。マシュウの口車にのり、無実のロニーを死なせてしまったという負い目が拍車をかけた。
ロニーとテディ―の死は意味をもった。
それはロナにとってわずかな救いになった。
「ロニー……テディ―……あなた達が、みんなを動かしたんだよ。すごいよ。……二人とも……二人とも……。私の自慢の弟だよ……!!」
感極まって声をつまらせたロナの頬を一筋の涙が伝う。
「……ロナ、君の弟たちは誇りと名誉を取り戻した。あとは君が笑顔を取り戻すだけだ。きっと弟達もそう望んでいる。悪夢を終わらせよう」
ロナのそばに移動したヴェンデルが、服を切り裂かれてむきだしになったロナの肩に、ふわりと上着を羽織らせる。守るようにロナの肩を抱き、背後に隠れるよううながす。
「マシュウ、罪の清算をするときだ。おまえが生きている限り、ロナの弟達は安心して眠れない。彼らの魂の安らぎために、ロナのこれからのしあわせのために、おまえをここで討つ」
片手の剣をマシュウに突きつける。
「……ちっ、どいつもこいつも……!!」
マシュウは四面楚歌におちいった。
ロナを人質にとるどころではない。
このままでは四方八方から寄ってたかって袋叩きにされて殺される。群衆たちは今やマシュウ一人をターゲットにし、じりじりと包囲の輪を縮めつつある。そのうえ、
「若殿お!! 今行きますぞお!!」
「『マムシ』め!! この鎌の錆に変えてくれる……!!」
「元凶がまだ残っていたのう。テディ―の苦しみ、貴様も身をもって味わうがいい」
三老戦士が凄まじい形相で走ってくる。
「ちっ、忌々しいジジイどもが!!」
これ以上ここにとどまることは、マシュウにとっても死を意味していた。
「……やむを得ん。まさか、ここまでこの私が追い詰められるとはな」
だが、マシュウはまだ最後の仕掛けを残していた。
廃倉庫群にまとわりつく炎が、突如、ぼうんっと爆発的に燃え広がった。もろくなっていた廃墟が、内側からの熱気と爆風の膨張に耐えきれず、ばきばきと異音をたてて倒壊しだす。まるで炎の滝だ。
「ここから先は極秘の話になるのでな。余計な人間どもは邪魔だ」
頭上から火の粉が降り注ぎ、マシュウに殺到しかけていた人々が泡をくって退避した。
「若殿おっ!!」
「くっ!! おのれ!!」
三老戦士達も行く手を炎の海に遮られた。あちこちに熱気のつむじ風が発生し、さすがの老戦士達も突破は不可能だった。
炎の向こうには、ヴェンデルとロナ、そしてマシュウだけが取り残された。
山高帽の尖った影法師をゆらめかせ、マシュウが不気味に嗤う。
「魔女狩りで得る財産よりも、はるかに貴重な実験体が手に入ったわい。小僧。おまえの器なら、きっと二十七番めのジョンとは比較にならぬほど、強力な人格を宿らせることができる。失態をおぎなって余りある成果だ。聖教会のお偉方も喜ぶだろうて」
ヴェンデルとロナに緊張が走り抜ける。
異端審問官の範疇におさまらない、もっと得体の知れない雰囲気が、マシュウの全身から立ち昇りつつあった。
「ほう、私の秘めた力に気づいたか。だが、もう逃げ場はないぞ」
マシュウは両手を広げ、ゆっくりと近づいてくる。
「聖教会ではな。失われつつある信仰を取り戻すため、過去の聖人や聖女をよみがえらせる計画をすすめておる。自分達に都合のいい操り人形としてな。それがジョン・ドゥ計画。皮肉な名称だろう? ジョンの名前はそこから取ったのだよ。私の裏の顔はその尖兵なのだ。さあ、ここからは、森の民ヴィスクムの秘術をもって、全力で相手してやる」
ざわざわと音をたて、つる草がマシュウの袖口から這い出してくる。
「ロナ……ぼくの後ろに。必ず君は守るから」
だが、ヴェンデルは冷汗びっしょりだった。
さっきまでのマシュウとはまるで別人だと悟ったのだ。
ヴェンデルの紅い瞳は、戦闘での最適解をぼんやりだが見ることができる。だが、今は未来予想は暗黒に塗りつぶされている。それは勝ち目がないことを意味していた。
「なまじ勘がいいと無惨だな。そうまでしてその娘を守りたいか。よかろう。ならば、その娘も一緒に連れて行ってやる。互いが憎しみあう人格を植えつけたらどうなるか。くくっ、これは見物だ」
まさに悪魔の笑顔だった。
ロナはいざとなったら自分が飛びだし、ヴェンデルの盾となる覚悟を決めた。
ヴェンデルはこのあいだまで赤の他人だった自分のためにここまでしてくれた。恋するということを教えてくれた。もう十分だ。生まれてきた甲斐があった。ヴェンデルのためなら、この命など惜しくない。
「さあ、いくぞ。あまり抵抗するなら、この場で心を破壊して連れて行く。いい加減で降参したほうが身のためだぞ」
マシュウが踏み込み、ヴェンデルが一瞬のカウンターにすべてを懸けようと集中し、ロナが彼を守るため飛び出しかけたとき、
「おおおおおおおッ!! 若様あああっ!! これをお使いくだされ!!」
絶望に満ちた空気をぶち破ったのは、白髭ブライアンの雄叫びと、ぶおんぶおんという凄まじい風切り音だった。ジョンが取り落したバトルアックスを、ブライアンが投擲したのだ。炎の海を突っ切り、空気を旋回で切り裂き、一直線にヴェンデルめがけ飛来してくる。
「ロナ!! 伏せて!!」
殺人的な勢いだった。
だが、ロナがヴェンデルの言葉にしたがったのは、斧が怖かったからではない。
「……だいじょうぶ。ぼくを信じて」
彼がそう言ったからだ。
「……馬鹿め。三戦士ともあろうものが耄碌しおったか。子供の細腕で扱いきれる武器ではないわ。それどころかまともに受け止められず、大怪我するぞ」
嘲笑したマシュウの表情が凍りついた。
バトルアックスは、髪の毛数本を散らし、伏せたロナの頭上を吹きすぎた。片手を伸ばしたヴェンデルに触れると、バトルアックスはごとんっとその場に落ちた。まるですべての速度を吸収されたかのような不自然さだった。あれだけ勢いのあった重量物がありえない。白髭ブライアンの怪力はよく知っている。ヴェンデルがまっぷたつになっても不思議がないほどの全力の投擲だった。
〝あの威力が消えるなどありえん!! いや、もしも、消えてないとしたら……!!〟
マシュウは、ヴェンデルの身体が不自然なほどにねじられているのを見た。マシュウの背筋を戦慄が走る。斧を受け止める直前まで、ヴェンデルはそんな体勢は取っていなかった。
〝……こいつのリンガード家のお家芸は、乗馬した馬の力をも利用する馬闘術……!! たしか自身の身体に一度ためこみ、増幅して放つとかいう……!! では、白髭のジジイの狙いは……!! まずい……!! かわせ!! 駄目だ!! 間に合わん!! ガードを!!〟
マシュウは電光石火の思考速度で危機を察知し、剣を逆手にもちかえ、左腕の上膊に沿わせ、腕をあげた。
続くヴェンデルの行動速度は、マシュウの目でさえ追えなかった。爆発としか例えようのない剣閃がはねあがり、剣ごとマシュウの左腕を断った。マシュウが看破したとおり、ヴェンデルは投げつけられたバトルアックスの威力を、すべて自分に取り込み、バネがはじけるように一気に放ったのだ。白髭ブライアンの全力を喰らい、さらに増幅された剣速は、そのままつる草を断ち、マシュウの鎖帷子入りの外套をも切り裂き、喉元に向かって駆け上った。
「やった!!」
「さすが若殿じゃ!!」
三老戦士もヴェンデルの勝利を確信し、拳を握りしめた。
「……化物小僧が……!!」
蒼ざめたマシュウがうめく。
「私の負けだ」
口髭の下で口元がつりあがる。
「……もしも、貴様が非情に徹しきれていたらな」
きいんっと異音が走った。
根元から折れ飛んだヴェンデルの剣の刃が宙を舞った。
「……くっ……!!」
「ほうら、地面に這いつくばれ。高潔な王子様が」
すべての力を使い果たしたヴェンデルを、マシュウは力いっぱい蹴り飛ばした。
地面をボールのように何度も転がり、ヴェンデルは動けなくなった。
「ヴェンデル様!!」
ロナの悲鳴が響き渡る。
マシュウは残った右手で、ロナの首を後ろから摑み、高々と宙にさしあげた。
「小娘。礼を言うぞ。おまえのおかげで私は助かった。もしもこの小僧に、おまえごと私を斬る気概があったなら、勝負はついていた。だが、戦いに、もしもはない。おそろしい威力の剣だっただけに、急停止させた反動は半端ではなかったろう。もはや指一本まともに動かせんはずだ」
三老戦士が憤怒に歯軋りする。
「この卑劣漢が……!!」
あのとき、喉元をヴェンデルの剣に裂かれる寸前、マシュウはロナを盾にし突きつけ、ヴェンデルに斬撃を自ら停止させたのだ。マシュウは左腕が斬り飛ばされているわずかのあいだに、つる草を使い、ロナを引き寄せていた。初見でヴェンデルの剣威を見抜いたのだ。魔性の勘の冴えだった。
子供用の細身の刀身では、それまでの金属疲労と無理矢理の急ブレーキに耐えきれず、自壊してしまった。
全精力をそそぎこんだ乾坤一擲だったうえに、急制動の反動までくらったヴェンデルは、全身の筋繊維がずたずたになった。もう立つことすら叶わない。
「……なあに、ぼろぼろの身体だろうが案ずることはない。ヴィスクムの優れた医術をもってすれば、元以上の強靭な身体になるさ。もっともその頃には、おまえは自分が誰かわからなくなっていようが」
ロナなどもう用済みだといわんばかりに放り捨て、マシュウは勝利の高笑いをしながら、ヴェンデルを捕えるべく近づいていく。
「ふははっ、真祖帝と同じ特徴の実験体か。じつに楽しみだ。おまえもこの娘も、情という足かせをはずせん愚かものだ。そんなクソな人格など、跡形もなく消し去ってくれるわ。感謝するがいい」
左腕を失ってもその足取りは乱れない。
単純な強さよりも、その精神力としたたかさこそ恐ろしい。
……だが、用心深いマシュウがひとつだけまだ侮っていたものがあった。
「……私はいくら馬鹿にされてもいい……!! ……だけど……!!」
それは恋する少女の想いの強さと覚悟、そして大好きな人を侮辱されたときの怒りだった。
ロナが腰にタックルをするようにして、マシュウにとびついた。それだけではいくら全身全霊をこめてもマシュウはびくともしなかったろう。実際マシュウは無駄な抵抗と鼻で笑っていた。その嗤いが凍りついた。
「……だけど、ヴェンデル様を馬鹿にするのは許せない!! ……落ちろおっ!!」
ロナが、マシュウにしがみついたまま、虚空に身を躍らせた。
「……うおおおっ!?」
予想外のロナの行動に、さしものマシュウも慌てふためいた。一気にロナの全体重と勢いに引きずりこまれかけ、ととっとぶざまにたたらを踏んだ。のけぞった姿勢を必死に引き戻そうとする。ここから落ちれば、はるか下の川面までまっさかさまだ。だが、左腕なしのバランスにまだ不慣れで、いつものように身体が動かせない。
「このぉ……!! 離せ!! 離さんか!!」
ロナを振りほどこうにも右手一本ではままならない。
「……こうなれば、つる草で身体を分断してくれる……!!」
強靭なつる草が鋼線のようにロナにからみつき、ぎりぎりと締め上げる。ロナの柔肌にくいこみ、血珠の輪をつくっていく。だが、ロナは決して手を離さない。
〝ロニー……!! テディ―!! お願い!! 私に力を貸して……!!〟
その祈りが通じたのか、火事で熱せられて上昇気流が発生したのか、轟音とともに竜巻が発生し、火の粉を天高く巻き上げた。竜巻に直撃され、燃えさかる火刑の柱と薪の山がぐらついた。マシュウめがけ崩落してくる。それはまるで怒れる炎の龍だった。
「馬鹿な……」
マシュウは恐怖に目を見張り、息をのんだ。
一番近くの廃倉庫の壁までが、呼応するように火を噴いて倒れかかってくる。
「ありえん……!! この私が燃焼範囲を見誤るなど……!!」
炎の軍勢は、ヴェンデルのみを避ける絶妙な動きで、マシュウの頭上めがけて雪崩落ちてくる。逃げ場がどこにもない。まるでロナの願いが乗り移ったかのようだった。
「ロナああっ!! やめるんだ!! そんなことはしちゃダメだ!!」
ヴェンデルは必死に上体を起こし、ロナを引き留めようとしたが、這うのがやっとのありさまだった。
「今、助けにいく……!! だから……!!」
懸命に伸ばすその指の先で、ロナはほほえんだ。
「ヴェンデル様、ありがとう。あなたに会えて、私……。私、あなたのことが……」
万感の想いをこめたその言葉の先は声にしなかった。
きっとヴェンデルが困ってしまうと思ったからだ。
「ロナちゃん!!」
町長の妻子を安全なところに避難させ、駆けつけてきたマリエルだけが、読唇術でロナの言葉を読み取った。
〝ヴェンデル様、だいすきです〟
可憐な唇でそうつむぎ、花のような笑顔をうかべ、マシュウを道連れにロナは落下した。凄絶な破砕音と炎の群れが二人をのみこんだ。三メートルほど下の暗い川面に水柱があがり、ばちばちっと水蒸気がはじける。
次々にあらたな炎の激流が突入し、夜の川面を緋に染めあげる。
ロナの生存は絶望的だった。
「……ロナあっっ!! なんでだよ!? うわあああっ!!」
地面を拳で叩き、ヴェンデルが慟哭する。
届かなかった。
守れなかった。
けなげに懸命に咲いていた花だったのに。
散り際のロナの美しい笑顔は、ヴェンデルに深い疵となって刻まれた。
この夜の悲劇はずっとヴェンデルの心に影を落とすことになる。彼が真に闇から救われるのは、のちの伴侶であるコーネリアとの運命の出会いまで待つことになる。
「……なんということじゃ……!!」
炎の海のすきまを縫い、駆けつけてきた三老戦士が惨状に唸る。
「これは……もう……!!」
ヴェンデルの気持を慮り、言葉を濁す。
「ぼくのせいだ……!! ぼくの力が足りなかったから、ロナは……!!」
助け起こしにきた白髭ブライアンの胸板にしがみつき、おさな子のように声をあげ、ヴェンデルは泣いた。白髭ブライアンは、茶髭ビルと黒髭ボビーに、ロナを探すよう促した。二人はうなずき、小舟を出すべく走り去った。彼らとて、万に一つの可能性があるなら、捜索をあきらめたくはなかった。
白髭はしばらくヴェンデルに泣かれるがままにしていた。
彼はよく知っている。その非凡な才能と違い、ヴェンデルは優しい。
今回の件でどれだけ深く傷ついたかよくわかる。
だからこそ、ブライアンは心を鬼にした。
「……若殿!! いつまで泣いておられるか!! 失礼つかまつる!!」
ヴェンデルをひきはがすと、分厚い掌で頬をはりとばした。
「悔しかったら、もっと強くなりなされ!! 愛する人をどんな敵からも守れるように!! 余人にはできぬ!! じゃが、あなた様なら出来る!! それだけの武才をあなた様はお持ちじゃ」
傷がまだ癒えぬヴェンデルを叱咤することは、彼を孫とも思うブライアンにとって、身を切られるつらさだった。
本心では慰めてやりたい。だが、それでは、ヴェンデルの心に悲しみだけを残すことになりかねない。そんなことは誰よりロナが望むまい。
喪失の悲痛を乗り越えるよう奮いたたせる。それが自分の役目だ。恨まれても、憎まれても成し遂げる。ロナが愛したヴェンデルを、過去にとらわれ、打ちひしがれるだけの、つまらない男には絶対にしない。それが自分がロナにしてやれる唯一のはなむけだと、白髭ブライアンは唇を噛みしめた。
月光と炎が、老いた師と幼い弟子の影を照らす。
「……ロナちゃん!! どこ!! お願い!! 返事をして!!」
マリエルは泣きながらロナを求め、川べりを走る。
彼女はロナの告白を見た。
「あんな大切なことを、声にしないまま、終わるなんて……!! そんな終わり方……そんな悲しい恋……私は絶対に認めない!! お願い!! 返事をして!! ロナちゃん!!」
だが、かえってくるのは暗い川の流れる音と、いまだ燃え燻る残響のみだった。
声が枯れるまで呼び続け、足裏が火傷するまで探し続け、マリエルは力つき、岸に崩れ落ちた。
「……ロナ……ちゃん……!!」
気丈なマリエルが、両手で顔を覆って慟哭した。
「大バカよ、あなた……!!」
短いつきあいだが、妹のように思っていた。
不憫な人生を送ってきたぶん、これからはしあわせになってほしかった。
どんな道に進んでも困らないよう、色々なことを教えるつもりでいた。
だが、もうどんな望みもかなわない。
彼女は報われないまま逝ってしまった。
人々の哀しみをのみこみ、夜の河は滔々と流れる。
燃えはじける音は、亡くなった幼い姉弟へのレクエイムのようだった。
……そして、時は流れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
しめやかに雨が降る。
マリエルの弔問には多くの人が訪れた。
彼女は最後まで独身を貫いた。
町長の妻は亡くなるとき、ぜひマリエルを後妻にと遺言した。だが、マリエルは首を縦にふらなかった。町長だけでなく、懐いていた息子までも懇願したが、頑として譲らなかった。
「私が認めるこの家の女主人は、いつまでも奥様ただ一人。たとえ亡くなられていようと、それは永久に変わりません。私も含め、誰も奥様の代りなど果たせません」
もの静かだった町長の妻の内助の功を、誰よりも認めていたのはマリエルだった。地味な外見というだけで、周囲のほとんどが不当に低く評価していたのが、マリエルは不満だったのだ。
マリエルの言葉により、町長の妻の名声は、死して高まることになった。町長の息子は生涯その恩を忘れることはなかった。いかにもマリエルらしい女の矜持だった。
教会での葬儀までのあいだ、自宅の居間に安置されたマリエルのそばに、人が絶えることはなかった。形式ではなく、ほとんどの人が本気で泣いていた。こじんまりとした家のあちこちは、上質な黒ラシャで飾られた。皆が自発的に用意したのだ。持ち寄ったローズマリーの優しい匂いが満ちる。マリエルがどれだけ慕われていたかのあかしであった。
多くの弔問客のなかで、とりわけ異彩を放ったのは、白髭、茶髭、黒髭の三人のドワーフのような老人達だった。
一目で堅気でないとわかる彼らは、まっかに泣き腫らした目をし、ほとんど言葉を発さなかった。
しばらく押し黙ったまま、マリエルのそばに控え、やがて誰からともなく、武骨な指でマリエルの頬をそっと撫ぜ、別れの挨拶をはじめた。
「……この馬鹿娘が……。 こんな胸に穴のあく思いをさせおって……。 これなら槍で貫かれるほうが、よほどマシじゃ。お返しに、あの世に行ったら、息がつまるほど抱きしめてやるから、覚悟しておくんじゃぞ……」
と黒髭は笑おうとしたが、うまく笑顔をつくれなかった。
「子供の頃は、男の子みたいななりで、わしらの後をいつもつけ回したくせにのう……。あっというまに女らしゅうなって……。どんどん大きゅうなって……わしらを……追い抜いて……!! とうとう先に逝ってしまいおった。……見送るのは、つらい。つらいのう……」
在りし日を偲び、茶髭は言葉を詰まらせた。
そして、白髭はー、
「……思えば、いつもおまえとは喧嘩ばかりしておったな。じゃが、こうなってみると、不思議と楽しかった思い出ばかりが思い浮かぶわい。……なのに、なのにな……」
マリエルの頬を涙がうつ。
「……なのに、どうして……こんなに、涙がこぼれてくるんじゃろうなあ……」
「はん、似合わん台詞じゃ」
「鬼の目にも涙じゃのう。酒の肴になるわい」
そう茶化す黒髭と茶髭の顔も涙でぐしゃぐしゃだった。
雷鳴がとどろいた。
三老戦士はしばらくうなだれていたが、やがて、いかつい肩をおとし、悄然とした背中を見せて、その場を立ち去った。
戦士達の涙を隠してやろうとするかのように、ごおっと激しい雨が渦巻いた。
黒づくめの貴婦人が訪れたのは、そのすぐ後だった。
皆はどよめいた。
ヴェールで顔ははっきり見えないが、明らかに上位の貴族だったからだ。
「……マリエル……さん……」
マリエルの死に顔を見た彼女の手からローズマリーが落ちた。
がくりと床に膝をつくと、マリエルの棺にしがみつくようにし、彼女は人目もはばからず慟哭した。
「……あああっ……!! ……ああああっ……!! ……ああっ……!!」
母犬を求める仔犬の泣き声のように、聞く人の胸をうつ切ない声だった。
貴婦人は身分を明かさなかった。
目の玉の飛び出るような弔慰金を、その場ではすぐにわからぬように渡し、よろめきながら、雨がまだ降りしきる戸外に出て行った。
戸を開けたとき、風が彼女のヴェールを舞いあげ、わずかに素顔をのぞかせた。
ブルネットの髪とヘーゼルの瞳が印象的な目のさめるような美女だった。
たまたまそれを目撃した弔問客の一人は首をかしげた。その貴婦人は、遠目で一度だけ見た国王の寵姫、ローゼンタール伯爵夫人に酷似していた。だが、鼻をまっかにした童女のような泣き顔と、宮中の毒サソリと称される伯爵夫人の冷たい表情は、同一人物とはとても思えなかった。見間違えだろうと考え直し、彼はそれを他人に話すことはなかった。
貴婦人は、待機していた馬車の御者に、しばらく歩くと手振りで伝え、喪服が濡れそぼるのも気づかず、雨の街を歩いた。涙と雨が彼女の頬を濡らす。
……ロナは、ローゼンタール伯爵夫人は、生き延びていた。
あのとき、炎の渦とともに、マシュウを道連れにして落水したロナは、奇跡的にほぼ無傷だった。
気がついたときには、夜の河に、無数の残骸にまぎれるようにして漂流していた。
いまだに炎が燃える川岸から、忘れられない人達の呼び声が聞こえた。
ヴェンデルが、三老戦士が、マリエルが、必死に自分を探してくれている。
ロナの瞳から涙がこぼれた。
みんなのところに、今すぐ帰りたい。
私はここにいますと、大声で答えたい。
でも、できなかった。
燃え崩れる炎の中で、ロナは見てしまった。手足を縮こめるようにした黒い塊を。炭化して哀れなほど小さくなったロニーの亡骸だった。
ヴェンデルたちのところに戻れば、自分はしあわせになれる。
その楽しい日々は、きっとつらい記憶も癒してくれるだろう。
ロナにはできなかった。
あんな悲しい死に方をした弟達を忘れ、自分だけしあわせにはなれなかった。
〝ヴェンデルさま、ビルさん、ボビーさん、ブライアンさん、マリエルさん……さよなら。私、あなた達のご恩は一生忘れません。ああ、神様、どうかヴェンデル様の人生に祝福を〟
手を伸ばせば届いたかもしれない、胸を焦がす思いに別れをつげ、ロナは嗚咽をこらえ、死をよそおった。
「……あたっ!! あいたた……」
過去のつらい情景に気を取られていたローゼンタール伯爵夫人は、幼女がぶつかってきたことに気づかなかった。雨はいつの間にかやんでいた。子供達の一団が目に入る。身なりは小綺麗だが、みな同じしつらえの服だ。施設の子供達とすぐわかった。そして、みんな泣き腫らした目をしていた。
年長のそばかすの少女がすっとんできて、鼻をさすっている幼女を、ローゼンタール伯爵夫人からひきはがした。
「……申し訳ありません!! ロナもちゃんと謝って。あなた、マリエル院長先生の妹さんの名前をもらつたんでしょ。それにふさわしい行いをなさい」
「ごめなさい」
うながされた幼女もぺこりと頭をさげた。。
ローゼンタール伯爵夫人は衝撃を受けた。
マリエルが孤児院を運営していたことは、ひそかに調べさせてわかっていた。
彼らは孤児院の子達で、マリエルに最後のお別れをしに行くところだった。
「気にしなくてもいいわ。ロナちゃん、あなたのお名前、院長先生の妹さんと同じなの?」
震える声を悟られないよう伯爵夫人は問いかけた。
「そおだよ!! ロナ、りっぱになれるよう、いちばんのおなまえ、もらったんだ」
胸をはる幼女にかわり、そばかすの少女が答えてくれた。
「ロナさんは、院長先生の自慢の妹さんで、大切な人を守るため、亡くなられたそうです。院長先生は思い出して、よく泣いていらっしゃいました。ときどき夢に見るとおっしゃって……あの、どうかされましたか?」
そばかすの少女は心配そうにのぞきこんだ。
ローゼンタール伯爵夫人が両手で顔をおおい、すすり泣きはじめたからだ。
「……そう……妹って、呼んでくれてたの……」
マリエルは、こんな自分のことをずっと忘れないでいてくれたのだ。
「……私を……!! こんな私を……!!」
あんな短いつきあいなのに、妹と思ってくれていた。
「……私だって……!! マリエルさん……!! ……マリエル……さん……!!」
あとは言葉にならなかった。
マリエルの思いやりが、権力闘争に傷ついたロナの心にしみる。
もし宮中の人間が、ヴェールの下の伯爵夫人のぐしゃぐしゃの表情を見たら仰天したろう。ローゼンタール伯爵夫人は、こんな身も世もなく泣き崩れる女ではない。
在りし日の、やさしく髪を結ってくれたマリエルの手の感触を思い出しながら、ローゼンタール伯爵夫人は立ちつくし、少女のころの心にもどって慟哭し続けた。陽だまりのような記憶が、雨に濡れた彼女をおだやかに包みこむ。
……その後、マリエルの運営していた孤児院は、ある婦人の寄付により存続した。
婦人は決して名を明かすことはなかった。
職業訓練と教育を受けた子供達は、卒院後、それぞれが進んだ道で重宝された。
そして、さらに時が流れた。
ローゼンタール伯爵夫人の、最後の舞踏会の夜がはじまろうとしていた。
長い長い闇夜を終わらせるために。
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