両雄並び立たず。けれど、アリサは「真の歴史のブラッド」に意外な取引をもちかけるのです。
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ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
対峙する兄弟二人は、極度の集中の域にあった。
周囲のざわめきも、悩める心も、すべてが麻酔がかかったように遠ざかる。
そこまで雑念を払わないと不覚を取る、と互いに理解していた。
そこはもう二人だけの世界に等しい。
いや、さらに兄と弟であることも、己さえも消えた。
ただ技をふるうだけの忘我に……。
歓喜に似た熱さに二人は溶けた。
満を持して二人が技を繰り出そうとしたそのときだ。
白い稲光が、前触れもなく空間を染めた。
すべてを切り裂く白刃の煌めきと例えるべきかもしれない。
何者も間に立ち入らせないほど昂っていた、戦士二人の闘気をも断ち切ったのだから。
誰が信じよう。
それを成したのが、金髪を華やかになびかせたたった一人の幼女であることを。
「……あはあっ、愛憎と殺気のいい匂いがするわ。私を差し置いてこんな楽しい前座なんて……妬けるわね。ごきげんよう。あなたのことは、『真の歴史のブラッド』とでも呼ぶべきかしら?」
蒼いケープマントを揺らし、彼女はふわりと舞い降りた。
軽やかなのに、死を告知する鳥のように不吉な印象だった。
腰に大きなリボンのついたスカートの両端をつまみ、優雅に礼をする。
伏せられていた天使のように可憐な顔があがった。
アリサ・ディアマンディは、驚くほど長い睫毛の瞼を開いた。
この戦士二人の死闘を前座としか思わない怪物は、ぐるんっとあたりを見渡した。
見開かれた蒼い瞳は、地獄の最下層の凍てついた氷色だ。
気温が一気に低下した。
えへらと歪んだ笑みが、空気さえもねじ曲げていくようだった。
戦士二人はほぼ同時にその場から飛び退いたが、反応は対極だった。
「……化物女、いつの間に……!!」
メイド服を着て、頭に赤いリボンをつけた「彼」は、驚愕に髪を逆立てた。
少年ブラッドの身体を借りて顕現している……
アリサの今の呼び方を使うなら、「真の歴史のブラッド」だ。
「……アリサ様……!!」
黒衣の背の高い少年は、驚きながらも恭しく片膝をつこうとした。
こちらは、七妖衆の一人、裂神のアゲロスだった。
ブラッドの実の兄だ。
それを見た幼女アリサの顔色が変わった。
「……この愚かものが!!」
アリサはふわりと浮き上がると旋回し、蹴りを叩きこんだ。
「真の歴史のブラッド」にではない。自分の忠臣であるアゲロスにだ。
アゲロスはものも言わず、弾丸のようにぶっとんだ。
一撃で瞳孔が揺れる。意識がとびかけていた。
舞のように華麗なアリサの技は、凶悪無比な威力を誇る。
遠心力、タイミング、相手の隙まで完璧について放たれる。
人が同族殺しのため積み上げた技術体系の粋だ。
ただの拳や蹴りが、すべてクリティカルヒットになる。
たとえ幼女の体でも、その危険度は大熊をはるかに凌駕する。
「……ちっ!?」
自分に向けて飛ばされてきたアゲロスの身体を、「真の歴史のブラッド」は無意識に抱き止めた。
その身体は成長途中の少年なので、アゲロスとは身長差がある。
両手をいっぱいに広げて、なんとか成し遂げたが、視界も完全に遮られた。
まさかのアリサの行動に度肝を抜かれ、一瞬意識がそれた。
それはアリサにとって、大きすぎる隙だった。
「あら、麗しき兄弟愛だこと。憎んでいるようでも、咄嗟のときには、かばってあげるのね。私もその抱擁に加わりたいわ。挨拶がわりに」
アリサがころころ笑った。
「真の歴史のブラッド」の腹に、突然に激痛が走り抜ける。
自分の腹を見下ろした彼は、なにが起きたか理解し、痛恨の想いに歯軋りした。
抱擁の言葉のとおり、アゲロスの背中にアリサが密着していた。
アゲロスを蹴り飛ばしたあと、その姿に身を隠すようにして、急接近していたのだ。
おそるべき行動速度だ。
だが、その右手が見えない。
アリサは貫手で、アゲロスの身体を刺し貫いていたからだ。
自分の肩を、アゲロスの背中に押し当てるほど深くだ。
「あら? 私では届かなかったみたい。幼女の短い手は嫌いだわ」
指先がアゲロスの腹から生えていた。
その指先で「真の歴史のブラッド」の取り憑いた少年ブラッドの腹部を抉ったのだ。
アリサを相手にする場合は、一瞬の迷いが致命傷になる。
傷が浅かったのは、アゲロスの胴体ぶん、アリサの腕の長さが差し引かれたからだ。
「腹の皮一枚ってところね。無様なあいさつでごめんなさい」
アリサは血に染まった紅葉のような指を、からかうようにひらひらさせた。
「なんてことを……!! てめえの忠臣だろうがよ」
歯をむいて唸る「真の歴史のブラッド」に、愛くるしくアリサは笑い返す。
「忠臣? 戦っている最中に、自ら片膝を地につこうとする忠臣など、持った憶えはないわ。そんなことより、まさか、あのブラッドのメイド服のお嬢さん姿が見られるなんてね。似合ってるじゃない。ループを繰り返した甲斐があったというものだわ」
傲慢極まりない言葉に「真の歴史のブラッド」は激昂した。
「……そんなこと、だと……!? てめえ、兄貴の気持ちをなんだと……!!」
常人なら失神するほどの気迫が放射される。
それをアリサはそよ風のように受け流した。
「いくら技を練っても、兄のことで逆上する癖は直っていないのね。その弱点、修正したほうがいいわよ。……そして舐めるな。私はおまえより、はるかにおまえの兄のことを知っている。ねえ、アゲロス」
その嘲る口調の意味にはっと気づき、「真の歴史のブラッド」が稲妻の速さで飛び退き、それに匹敵する速度の光芒が空を薙いだ。
「……そうか。〝幽幻〟の物体透過を使ったのか。化物女の得意技だったな……!! 相変わらず最悪の性格してるぜ」
「……黙れ、ブラッド……アリサ様への、無礼は……許さない……!!」
「くそ兄貴が……!! すっかり化物女に毒されやがって」
手刀を振り下ろした姿勢のまま、激しくしわぶくアゲロスを、「真の歴史のブラッド」は睨みつけた。ブラッドの白いエプロンと黒のワンピースが、袈裟懸けに大きく切り裂かれていた。あとコンマ一秒でも反応が遅れていたら、上半身ごと斜めに分断され、地にずれ落ちていた。
対するアゲロスは無傷だ。
黒衣に穴さえ開いていない。
アリサは、布一切れさえ傷つけることなくアゲロスの体を貫通し、その先のブラッドの肉体のみに攻撃をしかけたのだ。信じがたい神業だった。
「真の歴史のブラッド」はあらためて顔を引き締めた。
たとえ年端もいかぬ幼女でも、アリサは七妖衆よりはるかに強敵だと認識したのだ。
もっともアリサはそれ以上追撃する気はないらしく、咳き込むアゲロスを諭していた。
「〝鬼哭〟に撃ち負けなかったのは褒めてあげる。だけど、私を見たぐらいで気をそらすのは失態よ。戦いの最中は、私への礼など忘れなさい。全身全霊を一撃にこめるのが、あなたの唯一の戦い方。そうしなければ、私達二人には届かない」
そしてアリサは表情を和らげる。
「それでも、あなたは入り口には届いた。今、私達二人とと同じ世界にいるのが、その証よ。だいぶ苦しいみたいだけど」
アゲロスは咳き込み終わったあとも、苦しげな呼気を繰り返していた。
その姿が霞のようにふうっと薄くなりかけ、懸命にかぶりを振ると意識を集中すると、また輪郭がはっきりする。奇妙な光景だった。
いや、この三人をのぞく周囲の様子は、もっと奇妙だった。
時間が止まっているように、すべてが動きをやめ、そして平板に見える。
失神しているアディスやセラフィ、それにコーネリアだけではない。
自在に動いているはずのスカーレットやファンダズマまでもだ。
それはアディスがマーガレット王女を襲撃した際、王女が見せられた奇怪な光景そのものだった。
アリサは愉しそうに解説する。
「……隠形技の〝幽幻〟は、認識をはずす技。極めれば、世界から身を隠すこともできる。普通の人間から見るとまるで魔法だわ。攻撃はすり抜けてしまうし、身体を見えなくすることも可能。こんなふうにね」
アリサはアゲロスの腿を手刀で薙いだ。
一切傷をつけることなく、アリサの手は、すうっと腿をすり抜ける。
アリサは三日月の形に口を吊り上げた。
「だからこそ〝幽幻〟の習得は、七妖衆のあかしでもあるの。でも、〝幽幻〟にも段階がある。上位の〝幽幻〟を使われた場合、下位の習得者では認識できないわ。アディスやファンダズマは、まだこの境地には至っていないということね」
そして、アリサは、地面に這いつくばったまま凍りついているアディスの傍らにしゃがみこんだ。
その首筋に指先をあてて微笑む。
「……よく首を落とされず、生き残ったわね。『人間』に認識されなくなる程度のあなたが、『世界』に認識されなくなるレベルを相手にして。感謝なさい。『真の歴史のブラッド』が甘ちゃんで。でも、最後まで闘志を失わなかったことは評価してあげる。今日の完敗が、きっともっとあなたを強くしてくれるわ」
アリサは満足そうにえへらと嗤い、立ち上がると歩きだした。
ゆったりした歩みなのに、コマ落としのようにスカーレットとの距離を詰めた。
アリサの動きに警戒していた「真の歴史のブラッド」が虚をつかれたほどだった。
アリサは、彫像のように固まっているスカーレットの頬にふわりとキスをした。
「……ああ、憎くて愛しいスカーレット。幼くても、私の胸はこんなにも昂っている。だけど唇は後の楽しみに取っておくわ。だって抑えないと、貴女をここで無茶苦茶にしたくなるもの」
上気した頬をすりつけるようにすると、名残惜し気に身を離し、踵を返す。
その先には、ブルーダイヤを首から下げたフードの少女がいた。
彼女もまたスカーレット達と同じく、止まった世界の中にいた。
十歳くらいのその顔立ちは、金髪も含め、どこかアリサに似ていた。
アリサは振り向き、「真の歴史のブラッド」に楽しそうに問いかけた。
「ふふ、この子が誰かわかるかしら? よーく思い出してごらんなさいな」
機先をくじかれ、いぶかしげに眉をひそめた「真の歴史のブラッド」の目が見開かれた。
「……まさか!? マーガレット……王女様か……!?」
「正解よ。あははっ!! かわいそうに。いくら幼い姿とはいえ、すぐに思い出してあげなさいな。まさかブルーダイヤごと殺そうとするなんて、薄情な男だこと」
「殺す気なんかなかった。ちゃんとダイヤにだけ的は絞ってたさ」
「真の歴史のブラッド」は反論したが、歯切れが悪かった。
彼の弱点を突けたことにアリサは内心でほくそ笑みながら、一気に場の主導権を握りにかかった。
「それにしても、『真の歴史』のあなたとは因縁浅からぬ仲でしょう。……そう、この子は、かわいくて聡明なハイドランジア第二王女のマーガレット。私の従姉よ。ふふっ、スカーレットの女王即位の最大の障壁。だから、「108回」では、いつも殺してあげていたけど、今回は生かしておくことにしたの。従姉と寝た経験は、私もまだなかったわ。そのうち堕としてあげる……。最高の王女に磨き上げてからね。血縁があると、肌の相性がいいって本当かしら……。とても楽しみ」
アリサはさくらんぼを思わす唇を舐めた。
可憐な舌先なのに、蛇淫という言葉がぴったりだった。
「てめえ……!! 次から次に、どこまで人の運命を弄べば……!!」
髪の毛を逆立てるようにして唸る「真の歴史のブラッド」は平静さを失っていた。
アリサは冷笑を浴びせかけた。
「……あはあっ、怒ったの? 浮気心はいけないわ。 スカーレットが哀しむわよ。それに私は、前途多難なこのあわれな娘に、力を貸してあげるだけよ。マーガレットが私と寝床を共にすることを拒み続けるのなら、それはそれでかまわない」
「なんだと……」
「耳が悪いのかしら。私は、ハイドランジア一国なんかこの子にくれてやる、って言ってるの。だって、今回はスカーレットの元に、神の目のルビーが再び戻ったもの。だったら、この国だけじゃなく、大陸中を災厄の炎にくべなくちゃ……!! 『真の歴史』のときのように」
うっとりとアリサは呟く。
淫猥な蛇どころではない、世界を呑み込む大蛇の鬼気を放っていた。
アリサは指先をブルーダイヤに這わせた。
「真の歴史のブラッド」は嫌な予感に、ぞくりと身を震わせた。
神の目のルビーとこのブルーダイヤは、凍りついた刻の中で、異様な輝きを放ち続けている。
アリサにあれ以上、ブルーダイヤを触れさせてはいけない……!!
「……ちっ……!!」
「真の歴史のブラッド」は身を翻した。
させまいとしたアゲロスの横をすり抜ける。
ちっと肩先がかすめたが、それは躱し損なったのではなく、玄妙な力の流れのコントロールだった。
アゲロスの膝ががくりと崩れる。
見た目にはわからなくても、竜巻にまきこまれたほどの圧力が、アゲロスの運動を内部で封じ込めた。
アゲロスは、入魂の技の三連続で瀕死だった。
そのうえ自分の分をこえた〝幽幻〟を維持するので精一杯だったので、もはや抗う力は残されていなかった。
「……なにを企んでいるか知らないが、むしろ姿を現したのは好都合だ!! ダイヤごとおまえをここで潰す!! 〝鬼哭〟!!」
転倒するアゲロスに目もくれず、「真の歴史のブラッド」は大きく前方に踏み込んだ。
瞳が赤く耀き、背中の血煙が鋭利な翼を形どる。
その拳から、〝鬼哭〟が迸り、アリサに襲いかかった。
すべてを狂わす〝狂乱〟とすべてを貫く〝伝導〟の併せ技は、暴龍と化した。
空間を軋ませ、アリサを呑み込もうとする。
横殴りの雨のように叩きつける鬼の哭き声に、アリサは心地よさげに耳を傾け、髪をなびかせた。
「あはあっ……!! 男はすぐにがっつくわね。〝鬼哭〟に襲われるのは初体験だわ。宮廷演奏会よりいい音色。初心者にしては上出来よ。でも、少し情念が足りないようね。お手本を見せてあげる」
アリサの蒼い瞳が、紅く燃える。
「私に従い、歌え。破滅の魔女の歌を」
短く命じると、ブルーダイヤが眩い光をまき散らした。
「ふふ、これがこのブルーダイヤの秘めた本当の力よ」
ただの光ではない。
それはアメーバーのように蠢く得体の知れない光だった。
邪悪な命が感じられた。
不気味な歌声が優しく囁き、背筋を這う旋律が、空間に響き渡る。
幼いアリサがねっとりとした輝きに包まれ、光の一部が盛り上がる。
それを突き破り、アリサは再び姿を現した。
羊水の海から、悪魔が産み落とされたようだった。美の神を冒涜した絵画を思わせた。
アリサはぐるりと身を回した。
豊かな金髪が流れ、すらりとした手足が舞う。
目を見張るようなプロポーションが、蒼い光の残滓と血煙の飛沫をまとう。
「真の歴史のブラッド」の目がまなじりが裂けんばかりに見開かれる。
百戦錬磨のこの男の瞳にさえ、隠しきれない衝撃と恐怖がよぎる。
アリサは艶然と笑った。
「あはっ!! あははっ!! 見せてあげるわ!! 力の果てを!!」
高笑いするその姿は、まぎれもなく成人したアリサだった。
煌びやかな軍服のジャケットをマントのように肩に羽織り、舞台の主役のように足を踏み出す。
「……馬鹿な……!! ありえない……!!」
震えるその声を、アリサは技をもって否定した。
「……うふふっ、私も〝鬼哭〟でお出迎えしましょう。さあ、どちらが勝つかしら」
アリサは螺旋状に〝鬼哭〟をまとった。
予備動作もほとんどなかった。
「〝鬼哭〟だと……!?」
信じがたい光景に「真の歴史のブラッド」が唸る。
〝鬼哭〟は強力無比なだけに、肉体への反動が大きい。
ブラッドはまだ少年だが、その身体は「血の贖い」に発動慣れしている。
限界を越えた身体能力発揮に肉体が適応しているのだ。
その下地があったからこそ、〝鬼哭〟の発動にも耐えた。
いくらアリサでも、〝鬼哭〟は幼女の肉体で放てる代物ではない。
黄金蟲や〝血桜胡蝶〟で大人姿の幻を作れても、〝鬼哭〟は扱えないのだ。
「あはあっ、疑問なら確かめ合えばいい。愛なら肌で。強さなら拳で。さあ、おいで」
アリサが悪魔の顔で、誘うように嗤った。
真一文字に突き進む「真の歴史のブラッド」の〝鬼哭〟、それがアリサを取り巻くように高速回転する〝鬼哭〟と激突した。鍔迫り合いの轟きが、耳を聾する。
「ちっ、やはり幻の身体じゃなく、実体化かよ!! どうなってやがる!!」
「あはあっ、なにを驚いているのかしら。女なら秘密の一つや二つあって当然でしょう」
歯軋りする「真の歴史のブラッド」をアリサが嘲笑う。
二人の超人の〝鬼哭〟は咆哮とともに絡み合い、大気を揺るがした。
蒼い電光の火花が散り、つんとした空気の灼ける匂いが漂う。
それはまさに天の覇権を争う龍達だった。
アゲロスは地面にみじめに伏したまま、切歯扼腕してその光景を睨んでいた。
悔しさと哀しさで気が狂いそうだった。
頬を滂沱とした涙が伝う。
神々の戦いを繰り広げる二人に比べ、自分のなんと矮小なことか。
しかも一人は自分と同じ血をひいた弟だ。
なのに、どうしてここまでの才能の差が……!!
たとえ命を捨てても、地べたを這いずる自分では、星の輝きには届かない。
そう割り切れれば、どんなに楽になることか。
アゲロスが苦しんでいるのは、諦めていないからだ。
ちっぽけな存在でも、本気で届かぬ夢を追い求めている。
血反吐を吐きながら、全身全霊をかけ、じりじりと最強の座に迫っていく。
残り少ない命を必死に燃やして。
だから、アリサは七妖衆の中で、もっともアゲロスを愛おしく思っている。
アリサは残酷で気まぐれだが、自分を楽しませてくれる人間には寛大だ。
「あははっ!! みじめなアゲロス。かわいそうなアゲロス。だけど、あなたには、この戦いを見る資格が誰よりもある。どんな高みだろうと、登ることを諦められないその狂おしい想い、私にもよくわかるわ。ならばご覧。強さの頂きを」
アリサはそう言うと、〝鬼哭〟が衝突し合う狂気の渦のまっただ中で、優雅に身を翻し、舞った。
「あはあっ!! 猛々しく男らしい〝鬼哭〟だこと。堪能したわ。お礼に、女の魔性を教えてあげる」
アリサはその場で回り出した。
どんどん速度があがる。
アリサのまとう〝鬼哭〟が、哭き声から狂った嗤い声に変化した。
「真の歴史のブラッド」の〝鬼哭〟が苦しげに身をよじり、ぼこぼこと膨張した。
「……俺の〝鬼哭〟が……!? なにをした!?」
愕然とする「真の歴史のブラッド」に、アリサはえへらと嗤い返した。
「あははっ!! なにを狼狽えているの? かわいそうな初心者さん。私と同衾していれば、女の魔性をたっぷり教えこまれていたでしょうに。……わからないかしら。あなたの〝鬼哭〟の中の〝狂乱〟が、私に引っ張られて暴走したのよ。〝狂乱〟は女の業そのもの。女の狂おしい想いを、男などが再現できるものか。ほうら、はじけ飛ぶがいい」
轟音と閃光を断末魔のように撒き散らし、「真の歴史のブラッド」の〝鬼哭〟が消し飛んだ。
四散したエネルギーが電光になって閃く中を突っ切り、アリサがゆっくりと歩いてくる。
アリサの〝鬼哭〟はまったく減じていない。
嵐の衣のようにまとわりついたまま、アリサの歩みにつれ、ぐにゃりと歪んだ景色の尾をひく。
「あはっ!! 綺麗ねえ。ここまでの技をふるうあなたの腸はどんな色かしら。とっても興味があるわ。さあ、腹を割って殺意で語り合いましょう」
雷光に照らされた姿は、まさに死の女神そのものだった。
どんな勇士も心折れる凄まじさだ。
だが、「真の歴史のブラッド」は笑った。
窮地に追い込まれるほど、彼は真価を発揮する。
「……はっ!! 化物女が。どんだけ奥の手を隠し持ってやがる。だけどな、そう簡単に腹の中まで見せてやると思うなよ。こっちにだって、ちっぽけな牙ぐらいあるんだぜ」
口調こそ乱暴だが、それは恐怖を隠す強がりではなかった。
アリサにもそれは通じていて、むしろ機嫌よさそうにくすくす笑った。
この両雄はある意味、もっとも気心が知れた仲なのだ。
「……ちっぽけな牙ですって? あなたの牙は、この私さえ貫きうる強く鋭い牙よ」
アリサの言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼女のまとった〝鬼哭〟が断末魔の叫びをあげ、爆散した。アリサは眉一筋動かさず、その様子を横目で眺めていたが、満足そうな笑みが口端にあった。
「……ほら。さすがね」
「……ま、男の意地ってやつさ。俺で楽しむ気なら、それなりの覚悟はしな。〝狂乱〟では勝てなくても、〝伝導〟はこっちに分がある。〝伝導〟は届く力。一足先に、そっちの〝鬼哭〟の奥深くに致命傷を与えてたってとこだ」
「真の歴史のブラッド」がにやりと笑い、アリサは花開くようにほほえんだ。
歪んだ笑みより、おそろしい笑顔だった。
「相討ちね。すてきよ、昂るわ。さすが私の認める恋敵。もしスカーレットがいないのなら、私が伴侶に望んだかもしれない男。でも、その借り物の身体じゃ、もう限界でしょう。いくら脅して時間稼ぎをしても無駄よ」
「……ちっ、ばれてたかよ」
「真の歴史のブラッド」は苦笑し、髪をがしがしかき回した。
「今のおまえ相手なら、いいとこまでやり合えると思ったんだが、まさか大人になるなんて予想外だったぜ……」
その指先は大きく震えていた。
拳をぎゅっと握り、見つめながらため息をつく。
「……自分で言うのもなんだが、俺が乗りうつっているこいつはすげえ。この齢で『血の贖い』を使いこなすんだからな。だけど、さすがに〝鬼哭〟の連発には身体が耐えられそうにない。せめてなあ、あと十年、いや五年こいつが鍛え込んでりゃ……」
「そうしたら、『真の歴史』のあなたすら超えるでしょうね。……アゲロス!! よく聞きなさい!!」
アリサは突然呼びかけた。
苦しげに〝幽幻〟を維持していたアゲロスが、はっと顔をあげた。
アリサは試すような瞳でアゲロスを見つめ、話を続ける。
「この圧倒的なブラッドは、あなたの知っている弟本人ではない。いわば、あなたの弟の可能性。今は弟よりあなたのほうが強い。けれど、そう遠くない未来に、弟はあなたを超え、この高み以上に到達する。彼は本当の天才よ。あなたとは天地ほどの才能の差がある。だけど最強を目指すなら、決して避けて通れない壁だわ。あなたの気持を聞かせなさい」
『真の歴史』のことを話しても、アゲロスには理解できない。
だから詳細な説明は省略された。
だが、アリサの言いたいことは伝わった。
アゲロスは、きっとアリサを見つめた。
「……ぼくは弟より前に行きたい!! 弟に、ブラッドにどれだけ才能があっても……!! ぼくの命の続く限り、負けたくない……!!」
迷いのないその答えに、アリサは微笑した。
「いい目だわ。荊の道を歩く覚悟は出来ているようね。ならば、これより先、あなたは私から離れ、マーガレット王女を陰から護衛しなさい」
思いもかけぬアリサの指示に、わけがわからず、アゲロスのみならず、「真の歴史のブラッド」まで、ぽかんとした顔をした。アリサはしてやったりという得意げな表情をし、時が凍りついたままのマーガレットを顎先でしゃくった。悪魔のようなアリサだが、そういう稚気がある。
「マーガレットが王位を争う相手の、兄王子と王妃一派には、四大国がついているの。これから彼女は内と外から絶えず命を狙われることになるわ。ふふっ、スカーレットが思っているよりも、状況ははるかに悪いのよ。……あはあっ、かわいそうな王女様。本気でこの国を立て直したいと願えば願うほど、骨肉の争いと内乱を招くなんて。私に殺されるほうが、よっぽど幸せかもね」
「そんな……」
アゲロスは息をのみ、アリサに面影の似た悲運の王女の顔を見た。
最強という無謀な夢に取り憑かれた彼には、王女の届かない思いと、幸薄さに心をうたれるものがあった。共感と憐憫の想いに、アゲロスは服の胸元をぎゅっと握りしめた。
「……やります。やらせてください。マーガレット王女を守ります」
突き動かされるように、アゲロスは言った。
自分でも驚くほど言葉に熱がこもっていた。
アリサは笑った。
「……ふふ、命に代えてもって顔ね。男というのは、本当に単純、騎士物語に弱いこと。女はもっと現実的よ。王子様の迎えを夢見ながら、手は邪魔者を刺し殺すの。まあ、いいわ。ブラッド、残念ね。愛しのマーガレットのナイト役は、お兄さんに譲ってあげなさいな」
「馬鹿ぬかせ。俺とマーガレット……さまは、そんな仲じゃなかった」
「真の歴史のブラッド」は苦笑しながらも、どこかほっとした雰囲気だった。
兄のアゲロスに人間らしい気持ちが残っているとわかったからだ。
「まさか、おまえが兄貴にそんな命令をくだすとは思わなかったけどな。マーガレット様は、一生懸命な人だったからな。今回は報われてほしいぜ……」
「あはははっ!! なにを勘違いしているのかしら。私がマーガレットの幸せのために、わざわざアゲロスに命令したと本気で思っているの? つくづくお人好しだこと。むしろ逆よ。ハイドランジアをより大きな戦禍に巻きこむために決まってるじゃない」
「なんだと……」
「アリサ様……」
突然声をあげてはじけるように笑い出したアリサに、「真の歴史のブラッド」のみならず、アゲロスまで鼻白んだ。それほどアリサの嗤いは悪意に満ちていた。
「あはあっ、考えてごらんなさい。愚かな王子と王妃が助けを求めたことで、四大国はハイドランジアに介入する口実を得た。その権利を手離すわけないでしょう。マーガレットが四大国の干渉を退ければ退けるほど、躍起になって本腰を入れてくるだけよ。すぐに軍隊派遣がはじまるわ。しかも自国より強大な国が複数。一歩でも道を踏み間違えただけで、ハイドランジアに待つ未来は、焼け野原と領地割譲よ。つまりアゲロス、あなたには常に四大国すべてを敵にまわす覚悟が必要なの。どう? ちょっとすてきな修行でしょう?」
それは病弱で持久力に乏しいアゲロスにとって、死刑宣告に等しかった。
蒼白になって押し黙ってしまったアゲロスに代り、「真の歴史のブラッド」が血相を変えて、アリサに食ってかかった。
「てめえ、なんて汚い手を……!!」
アリサは平然と受け流した。
「あら、私に怒るのはお門違いだわ。すべてはこの国の王族たちが招いたこと。……スカーレットの施策により、王族は権力と富を得た。それは人を狂わす毒よ。たとえ『108回』では善人だったとしても、違う条件では、人はたやすく悪になる。未来の知識は、必ずしも良い結果を招くとは限らない。女王の経験を積んでも、あの子はそこの認識が甘い。私なら、マーガレット王女以外の有力な継承候補をすべて皆殺しにしてから、王家に権力を与えたわ。もう遅いけどね。すでに四大国をこの国に招き入れてしまったもの」
アリサの考えは怖ろしいが、正鵠を射たものだった。
黙って耳を傾けるしかない。
特に、「真の歴史」でのアリサの苛烈さと有能さが身にしみてわかっている「真の歴史のブラッド」はだ。
「マーガレットの支配体制のハイドランジアを存続させたいのなら、マーガレットが四大国のいずれかに嫁ぎ、この国の女王を兼ねた王妃になるしかないわ。でも、そうはならない。何故かわかるかしら」
アリサは猫がネズミをなぶるような顔つきで質問する。
「真の歴史のブラッド」がものすごく嫌そうに答えた。
「……原因はスカーレットだろう。マーガレット様を伴侶にしてしまうと、あいつを娶っての『真祖帝』の後継者を名乗れなくなる。本気で大陸統一を狙う連中は、どうしてもスカーレットを妻に欲しいんだ」
「正解よ。四王子たちは、セラフィの策略で、スカーレットが男か女かわからなくなって、手出しを控えているだけ。拉致して性別を確かめることも本気で検討しているわ」
「……いくら四大国相手でも、スカーレットは、そう簡単にやられるタマじゃないぜ。まして今回は、公爵邸は要塞化してるし、父親の紅の公爵も母親も万全の状態で健在。〈治外の民〉やセラフィ、王家親衛隊だって……」
「真の歴史のブラッド」は反論するが、アリサの次の一言であっさり雲散霧消した。
「……あはあっ、愛する人を信じるとでも言いたいのかしら。知識チートもあるしね。でも、これは御存じ? 今回、ループの知識を憶えているのは、私とスカーレット、それとあなただけではない。ソロモンもそうよ。彼は、歴史を修正する〝時〟の走狗に成り果てたわ。もっとも本人には本人なりの思惑があるみたいで、一応私とは同盟の関係にあるけど……」
「ソロモンが!?」
それは「真の歴史のブラッド」を絶句させる威力を有していた。
かつての盟友のまさかの裏切りに、衝撃の色を隠せないが、学術の鬼だったソロモンならやりかねないとも認めていた。
「そうよ、ご丁寧に、五人の勇士のすべての特殊能力まで与えられてね。そのうえ肉体を強化し、知識と術で武装している。……手強いわよ、私やあなたでも足をすくわれかねないほどに。そして、〝時〟の走狗は、ソロモンだけではない可能性がある。四大国の動きがきな臭いの。誰かはわからないけど、裏にループの知識持ちの匂いがするわ」
「まさか……」
「女の嗅覚を侮らないことね。ルビーの中でかろうじて存在を保っているあなたに、スカーレットを守り抜けるかしら。限界なのは、少年ブラッドの肉体だけじゃない。あなたの魂もでしょう。今ここで打ち倒せば、たぶん二度と表に現れることはできない。私にとっては、最大の敵を滅ぼす最高の好機よねえ」
「ちっ……!!」
氷の気配をまとったアリサに、「真の歴史のブラッド」は、残り少ないエネルギーをかき集めた。
「あはあっ、限界ぎりぎりのその状態で、この私とやり合う気?」
ふううっと鋭い息吹が空をつんざく。
それがアリサの嘲笑に対する答えだった。
乾坤一擲を放つための過度の意識集中で死相が浮かぶ。
びしりびしりと音をたて、大気が緊迫していく。
これで消滅してもかまわないほど振絞った一撃に向け、すべてが集束していく。
だが、そんな「真の歴史のブラッド」の起死回生をかけた想いさえも、アリサの前には無意味だった。
「……あははっ!! おいで、マーナガルム」
アリサは月の女神のように片手を差し伸ばした。
それに応じるように、巨大な白銀の獣が、アリサの背後を守るように、突如として出現した。長い口吻にずらりと牙が生えそろっていても、どこかその姿は神々しい。月光に背中のたてがみが輝き、真紅の瞳がはるか高みから「真の歴史のブラッド」を見おろした。
七妖衆ファンダズマでさえ子供に見えるそのサイズは、まさしく魔犬ガルム直系のあかしだった。
「ふふっ、少しは驚いてもらえたかしら。魔犬ガルムの仔は五匹いるけど、マーナガルムは私の一番のお気に入りなの」
小山のような身を屈め、ぬうっと顔を近づけた魔犬マーナガルムを、アリサは愛撫した。
「真の歴史のブラッド」は自分が絶体絶命に追い込まれたと悟った。
この刻が停止したような世界で、マーナガルムは自在に動いている。
それは、この魔犬が、自分達と同じ域の〝幽幻〟を習得していることを意味する。
同じ土俵にいる以上、この巨躯の魔犬とは、力押しに近い形で戦わざるを得ない。
単純な力において、この魔犬は無双だろう。
最強のアリサとこの魔犬を同時に相手どっては、万に一つの勝ち目もない。
だが、ここでアリサは意外な提案をした。
「ブラッド、私と休戦協定を結びなさいな」
耳を疑う「真の歴史のブラッド」に、アリサはかまわず続けた。
「その身体の持ち主の少年のブラッドは、私への切り札になるわ。彼を育てる時間をあなたにあげる。その代り、私の邪魔をしないでほしいの。私はスカーレットと一緒に暮らしたいのよ。ふふっ、姉妹のように、親友のように、恋人のように、小さいときからずっと……」
そしてアリサは頬を上気させ、ほうっと吐息をついた。
「泣いて感謝なさいな。不完全な男のかわりに、これからは、女がスカーレットを隣で守るわ。身も心も私の虜になるほどにね。もし、あなたがこの申し出を拒否するなら……七妖衆と魔犬二百余匹を総動員して、ハイドランジアを今すぐ焦土にしてあげる。あはあっ、ご返答はいかが?」
アリサは、えへらと凄まじい嗤いを浮かべた。
お読みいただきありがとうございます!!
コミカライズ第3話目その1が、12月3日の11時より無料公開開始です!!
今回は、赤ちゃんスカと幼女スカのスカ祭り。
ぷにぷにほっぺのスカの可愛さに酔いしれろ!!
そして幼女アリサが……!!
さらにメアリーのあのシーンが!!
お楽しみに!!
コミカライズのほうから来ていただいた方、作画の鳥生ちのり様が、ツイッターをされています。
漫画の応援コメントをぜひぜひ、そちらに!!
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なお、悪口コメントは、なまくらのほうに。
あまりに悪意に満ちてると思ったら削除しますけど(笑)
お待ちしております。




