武神の力は闇を貫きます。そしてアリサが動き出すのです。
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ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
はるか彼方から伝わる戦いの波動を感じ、アリサは夜を嗤う。
「……あはあっ、すてきな月夜だこと。さすが私の恋仇。少年ブラッドの身を借りても、その強さは健在。ふふ、キスしてあげたいほど、ぞくぞくするわ。残念だけど、アディスでは勝負にならないわね」
それは、七妖衆、無貌のアディスを鎧袖一触にした「彼」への賛辞だった。
よみがえった好敵手を思い、彼女の唇が弧を描く。
アリサは、妖精を思わす可憐な足取りで、うきうきと上機嫌で、夜の庭園を散策する。
もう間もなくローゼンタール伯爵夫人手邸では舞踏会の開始時間だ。
招かれた人々は、すでに屋敷の中で、宴の始まりを今や遅しと待ちかねている。参加人数が多いため、馬車と従者たちは混雑を避け、表玄関側の少し離れた待機所に整列している。
夜の庭園は屋敷の裏側にあるため、今は無人だ。
アリサただ一人、幼い女王のように庭園に君臨する。
動物の形に植木を刈り込んだたくさんのトピアリーの列が、月に影を伸ばし、アリサの前にかしずく。
それが妙にアリサに似合った。
どんな舞台においても、たとえそこが無人でも、ものごとの主人公になってしまう。
そういう圧倒的なオーラをアリサはまとっていた。
「……ふふっ、こちらの舞踏会より、あちらのほうが愉しそう。でもね、その前のスカーレットの戦いに、私はもっと心が躍ったわ。強者が勝つなんて獣でもできる。弱者が創意工夫で勝ってこそ人間。弱肉強食……その自然の掟に叛逆するが人の業」
アリサは夜空に浮かぶ、か細い蒼い月を見上げ、両手を伸ばす。
「その業は、いつか人を月にまで押し上げるでしょう」
この世界の誰一人として見えない遠い未来を思い、アリサは猫のように目を細めた。
「ねえ、アディス。学びなさい。おまえがこだわる強者と弱者の区分けなど無意味なの。強かろうが弱かろうが、負けは負けだもの。……ふふ、降臨した「彼」にずいぶん手ひどくやられたようね、。さあ、あの究極の戦士に、破滅のブルーダイヤはどう目を見開くかしら。きっとアディスの六臂魔猿の本性を解放し、『彼』を試さずにはいられまい」
アリサは、シャンデリアの光がこぼれる屋敷を背に、くすくすと笑う。
「あははっ!! アディス、あの呪われたダイヤの光で、その異形を余すことなくさらけ出しなさい。どんなに醜くても、戦士であることを忘れない限り、私が愛してあげる。だけど「彼」に心を折られ、怯えた家畜に成り下がるなら……私がこの手で殺してあげるわ」
そして小さく呟く。
「……ああ、神の目のルビーと、破滅のブルーダイヤ。今夜、二つの宝石はひかれあい、共鳴する。私とスカーレットのように。ふふ、運命の共振……ソロモンはうまいこと名づけたわ。だけど、その呼び名はスカーレットと五人の勇士のものじゃない。私達二人にこそふさわしいものだわ……」
謎かけのように口にするアリサの目は、もう月を映していない。
そのはるか先、宇宙の深淵を見つめている。
いつもの冷酷な碧眼ではない。高揚し、透明がかった炎の色だ。
「……さあ、幕を開けましょう。この戦いを、私達二人だけのものにするために。……神にも運命にも邪魔はさせない」
そして虚空を凝視したあと、彼女はいつもの嘲笑を浮かべる。
「ねえ、スカーレット。あなたはルビーの後継者。ならば真祖帝の裏の顔を知るべきだわ。……真祖帝は、大陸を統一しただけの人間の王ではない。闇の住人をも従えた盟主だった。闇は人が作り出す……。七妖衆はその落とし仔たち。あわれな王への成り損ない。だから私は彼らと踊るの。ふふっ、みんな、みんな、かわいそう」
ブルードレスの裾を揺らし、アリサが、ほのかな月明かりと遊ぶ。
軽やかにステップを踏むたび金髪が踊る。
「だから、ついておいで。闇の仔たち。私がおまえ達に生きる意味を与えてあげる」
屋敷のあちこちに据え付けられたガーゴイルたちの石像が、アリサを見守る。もし彼らが生あるものなら、その翼が動いたなら、アリサの足元に舞い降り、槍や盾をかかげ、恭順の意を示しただろう。
闇の落とし仔たちは、自分達の盟主を敏感に嗅ぎ分ける。
アリサは誰よりもそれをよく知っている。
「……私とスカーレットを中心に、光と闇は回る。私達は昼と夜との道標。闇に堕ちた者に、その光は殊更にまばゆい。だから闇の仔らは無関心ではいられない。七妖衆もそう。憎むか、惹かれるか、あなたは彼らに強い感情をぶつけられる。それにどう応えるのかしら。ルビーを手にした以上、もうその宿命からは逃れられない。楽しみだわ」
そしてアリサは、えへらと凄まじい嗤いを浮かべた。
「……ああ、憎くて愛しいスカーレット。あなたのことを思い浮かべすぎて、私、もう我慢できない。予定より早いけど、今すぐあなたに会いに行くことにするわ。ふふ、まずは思いきり抱きついて、それから……。いきなり私が現れたら、七妖衆はどんな顔をするかしら。あなた達がどんなアドリブで華を添えてくれるか……期待しているわ」
◇
みなさん、こんばんは。
この物語の主人公、スカーレット・ルビー・ノエル・リンガードと申します。
これは断じて尺稼ぎではありません。よって自己紹介は以下省略。
ブラッドの身体を使って、突然現れた「彼」とは、いったい何者なのか。
その戦闘スタイルは〈治外の民〉に酷似している。
もちろん長の息子であるブラッドにもだ。
というか性格も口調も今のブラッドに瓜二つだ。だとしたら……!!
私は汗ばんだ拳を握りしめていたことに気づき、手の平を開いた。
……待て待て、落ちつけ、私。感情的になるな。冷静に判断しろ。
まずは深呼吸だ。吸って吐いて、吸って……。
「なにやってんだ? ヒッヒッフーが気に入ったのか?」
「彼」が不思議そうに私に問いかける。
だから、それは妊婦さんの呼吸だって!!
「一緒にやるか?」
あんたがやって、どうすんの!!
そういうとこ、ほんと今のブラッドそっくりだな!! まったく。
…………。
まず「彼」は「108回」で私を殺した寡黙な成人ブラッドではない。
性格も強さもまるで違う。
だけど、私には記憶にない「108回」以外の人生がある。
私であって私でない、未確認婦なアンノ子ちゃんの人生だ。
もし「彼」がアンノ子ちゃんの人生でのブラッドだとしたら、辻褄が合うのではないか……。
「彼」が出てきてから、胸が締めつけられるような切なさで、なんか落ち着かない。
心の中のアンノ子ちゃんと出会ったときを思い出す。
きっと「彼」が力を貸してくれるって言って、彼女は泣いてた。
彼女の想いが私に伝わった。
あのとき共鳴した気持ちと、まったく同じだ。
……うん? ということはアンノ子ちゃんが涙してた原因って、もしかして「彼」か?
あんないい子を泣かせるなんて許せないな。
私と同じ顔をしているのだから、アンノ子ちゃんはいい子に決まっているのだ。
おのれ、この女泣かせめが。白々しい顔でメイド服など着おって。
私のジト目に気づいたのに、「彼」は、にっこりスルーした。
「そういや、今日はずいぶんクラッシックなドレスを着てるんだな。そのスラッシュだと『銀の時代』中期の衣装か。おっ、当時の銀糸まで再現してる。手間かかるけど艶がいいよな。で、その縫い取りはロザ仕様だな。こってるなあ」
としきりに感心している。
……へえ、いい審美眼してるよ。うむ!! 「彼」はブラッドじゃないな。
私は、心の中で、自分の推理結果を即時撤回した。
だって貴族でさえ、相当な衣装の知識がないと、今の発言は、ぽんっと出てこないもの。社交界の顔役の貴婦人たちが、ほうと身を乗り出すと思う。便利なサポート辞典セラフィ並みの教養だ。
つまり「彼」は間違いなく知識人ってこと。
ひょっとしたら貴族かもしれない。
いきなり上流階級の社交界に放り込まれても、会話の中心になれるレベルだ。
つまみ食いばっかする、あほのブラッドとは真逆です。
「スカーレットの紅い瞳と赤髪は、こういう赤のドレスにほんと似合うよな。世界で唯一のおまえだけの特権だよ」
はい、レディへの気遣いも忘れていません。満点です。
口調こそ乱暴だが、その気になれば綺麗な言葉遣いもお手のものと私は睨んだよ。
「108回」の成人ブラッドは勉強家の一面もあったが、あくまで実戦的な知識限定だった。
殺人術とかトラップの仕掛け方とか……。
ブラッドが貴族女性との会話に必要な知識に長けるなど、天地がひっくり返ってもありえない。「彼」とは趣きが違い過ぎる。
……しかし、「彼」の本質は、ただの如才ない会話上手ではもちろんない。
「……で、どうする? おまえのリクエスト通り、アディスを半殺しにするか? さっきは見逃してやったが、殺されかけたおまえが望むなら、それを叶えてやるぐらいには、俺もこいつにむかついている」
さっそく会話が血まみれです。
不穏な台詞を吐き、「彼」が右手で剣印結んで前に突き出し、左拳をぐっと腰にひきつける構えをとった。狙いは気絶したアディスだ。ぴりぴりと空気が帯電する。
「ちょっ、ちょっと待って……!! なにする気なの!?」
私は狼狽した。ものすごーくやばい予感が走り抜ける。
だって、そうじゃない。
まず「彼」が取り憑いている肉体……ブラッドのスペックが危険極まりない。
フリフリエプロンのメイド服に、頭にまっかなリボンというふざけた格好でも、その戦闘力は、野生の虎以上といわれる魔犬二匹を、三年前にあっさり撃破した。
次のガルムが強すぎて霞んだけど、もうその時点で異常すぎる。
今はそのうえに、身体能力ブースト技の「血の贖い」を使いこなすのだ。
魔犬ガルムとの死闘は、ブラッドに十年分の修行にも匹敵する経験を与え、その才能を開花させた。今のブラッドの強さは三年前の比ではない。もはや戦闘集団である〈治外の民〉でさえ誰も歯が立たない。長であるブラッドの父親でさえ含めてだ。
彼の父親が、ブラッドを〈治外の民〉の史上最高傑作と評するのは、決して親馬鹿ではない。
ブラッド本人は、修行の旅に出ている兄のほうが、自分より強いと言うが、私はそうは思わない。
ブラッドの才は桁外れだ。あんな人間そうそう生まれてたまるものか。
「108回」の人生に照らし合わせても、今のブラッドに勝てそうな人間の戦士は、そう記憶にない。
名馬つきのお父様か、鉄球持ちのマッツオ、猛虎元帥シュタインドルフ。
近接戦では、まずその三名ぐらいだろう。
今回の七妖衆が現れるまでは、記憶をあさっても、それぐらいしか思いつかなかった。
今はそのハイスペックなブラッドのボディに、『彼』の強さが上乗せされているのだ。
「彼」の強さは破格というか、次元を超えた異質のレベルだ。
人の域ではなく、神域だ。
ぞっとする強さを誇った七妖衆のアディスを、玩具みたいに翻弄して撃破した。
しかも、まだ力の底をまったく見せていない。
つまり「彼」にとっては軽く小突いたつもりでも、アディスの頭蓋が爆発しかねないのだ。
私は、不本意なスプラッタショーを、がぶり寄りS席観戦する羽目になる。
シャチのショーよろしく血の雨を頭から浴びることになるだろう。
私のひきつった問いかけに、「彼」は首を傾げた。
「……なにって……『無惨紅葉』を出力抑えて放つだけだよ」
ふぎゃああああっ!! ほらね!! 懸念が的中しましたよ!!
「無惨紅葉」って、ガルム戦でのブラッドの決め技だったやつでしょ!!
相手の心臓の鼓動を強制的に高めて、血液の水圧で身体を爆発させる技じゃない!!
「だけ」じゃないでしょうが!! 元の技の殺意度が強すぎる!!
「やりすぎにもほどがあるよ!! 殺す気満々じゃないの!!」
思わずつっこむ私。
「いや、殺さない程度にするよ。血液の刃で、筋組織と筋を分断して、二度と怪力がふるえないようにする。出血はすぐ止めるし、脳や神経は損傷させないようコントロールする。こいつのプライドの源は強さだ。だから、それを破壊したほうが、こちらの質問に従順に答えると思う」
「彼」は事もなげに言うが、怖すぎる!! がちの廃人一歩手前じゃないの。
「それはそうなんだけど、なんていうかな……」
私はため息をついた。
「彼」は理知的で優しいが、容赦ない凄みが見え隠れする。
多分くぐった修羅場が桁違いなのだ。
勘だが、英雄のお父様や王家親衛隊隊長のマッツオより、いや世界最強といわれた「108回」の成人ブラッドよりも、はるかに多くの戦場を経験してきている。
地獄が日常すぎて、一部の感覚が麻痺している。
だから一度決断すれば、躊躇わず、敵の首を刎ねてしまう。
命を取らないのはまだ温情だ。
そもそも「彼」のやろうとしていることは間違ってはいない。
アディスは私を殺そうとしたし、ここで見逃せば、また私を狙うかもしれない。
それに尋問しようにも、もしアディスが暴れ出したら、「彼」なしでこいつを止められる保証はない。「彼」がいなければ、私はとっくに死んでいた。その非情な決断はすべて私のためを思ってだ。
それなのに当事者の私が綺麗ごとを吐くなど、許されるはずもない。
「……ごめんなさい。言いすぎました。アディスの処置はまかせます。だけど、せめて日常生活には支障なきよう……」
「その必要はない。そちらの疑問には、アディスの代りにすべて俺が正直に答えよう。大戦士の前に抵抗は無意味だ」
ファンダズマの巨体が、ぬっと夜の闇から現れた。
背後からいきなり声をかけられた私は飛び上がりそうになった。
ファンダズマは、両肩にかついできたお母様とセラフィを、そっと地面に下ろした。
どかっと胡坐を組む。逃げる気はないとの意志表明だ。
「二人とも気絶させただけで、傷つけてはいない。じきに目を覚ますだろう。弓矢の戦士には、三度ばかり振動波を放ったが……」
「……致命傷にならないよう、振動波の出力を抑えたんだな。たしかに、おまえには害意がない。いいだろう。アディスでは尋問しても嘘をつくかもしれない。おまえに話を聞くとしよう。スカーレット、それでいいか?」
お母様とセラフィの身体に触れ、体調を確かめた後、「彼」は私に問うた。
私はほっとして頷き、ファンダズマに向き直った。
ファンダズマは深々と頭を下げた。
「……寛大な処遇に感謝する」
近くで見ると、座っていても、岩の塊みたいな存在感がある。
だが、私を見下ろすまなざしはおだやかだ。
もしかして幼女の私と少しでも目線の高さを合わそうと座ったのでは、そう思い当たった。
狂ったアディスとは話をするだけで疲れそうだ。
同じ話すのなら、こういう理知的な相手がいいに決まっている。
それにマッツオやエセルリードなど、私は巨人タイプと妙に相性がいいのだ。
「……あなた達、七妖衆ってなにものなの? どうして私達を襲ったの?」
神域の「彼」だから、あっさり鎮圧したが、アディスもファンダズマも真性の化物だ。
四大国の騎士団の中にさえ敵う相手はいないだろう。
なのに無名なのはどう考えてもおかしい。
「……姫よ、アディスのこの姿を見て、どう思う」
ファンダズマは、失神しているアディスに目を落とし、私に静かに問う。
あらためて見ると、背中から四本の剛腕が生えたアディスは異形すぎる。
醜悪な毛むくじゃらの手は、人のものとは思えない。
まるで巨大な蜘蛛のようだ。そのうえ長い尾までもある。
先ほど背中に受けたナイフが押し出され、ぼとぼとと落下した。
わずかに血がにじんでいるだけだ。
人間だったら即死ものだったが、たぶん服の下にも毛皮があり、たいしたダメージを受けていないのだ。私が口に出すのを躊躇った言葉を、ファンダズマは微笑し、自ら口にした。
「……そなたは優しいな。よいのだ。正直、化物そのものだろう。だが人間なのだ。我々、七妖衆は……最古の四家によって作り出された作品の失敗作だ。この国の歴史の黒幕のあの四家のな。だから長い間、闇に秘されていたのだ」
「最古の四家って……ハイドランジア最古の四家?」
突然、思いもかけない名前がとびだし、私は目をぱちくりさせた。
その四家のことなら、私も知っている。
この国の旧支配者の「赤の貴族」達の中で、もっとも古い家柄の貴族達だ。
だが、爵位は伯爵にすぎず、中央の権力とも無縁であり、僻地の自領で細々と暮らしている。
「……女王じだ……んんっ、んん……このあいだも、たまたま宮殿で見かけたけど、『赤の貴族』たちにもほとんど無視されて、隅っこで所在なげに、うろうろしてたよ。あの四家のことだよね」
彼らには、「108回」の女王時代にも何度も会っているが、血が旧いだけの無能貴族と馬鹿にされ、宮殿に出てくるのも本当につらそうなお爺ちゃん達だった。しかもトイレを捜して、よく迷ってるしね。黒幕という名がこれほど似合わない貴族もいない。
だが、ファンダズマは重々しくうなずいた。
「……ありえないと思うのだろう? だが騙されるな。利口が無能のふりをするのは容易いのだ。あいつらは現ハイドランジア王家など傀儡政権ぐらいにしか思っていない。今のこの国になぞ興味はないのだ。むしろ自領にこもっていられる閑職ぐらいのほうがいろいろ都合がいい。奴らの目的はただひとつ。かつて大陸を統一した『真祖帝』の復活だ」
ちょっ、ちょっとストップ!? いきなり情報がどかっと来たよ!?
頭を整理させて。
じゃあ最古の四家の伯爵達は、無能を演じてわざと自領にひきこもってたってこと!?
私がやろうとしているひきこもり計画を、代々で実行してきたわけ!?
「……ファンダズマの言ってることは真実だ。最古の四家は『真祖帝』の狂信者なんだ。巧妙に隠しているが、この国の歴史裏で常に暗躍してきた。いつか再来する『真祖帝』の元、再び大陸を統一することを悲願としている。手段問わずでな」
と「彼」が言った。
あんまりいい感情を抱いていないことが、表情と口調でわかる。
私は思わず、胸元のルビーを見たが、光蝙蝠族が封じられた今、答えてくれるものはない。
ファンダズマは再びうなずき、話を進める。
「……だが、新たな『真祖帝』はどれだけ待ち望んでも現れなかった。証のルビーも失われ、業を煮やした四家の奴らはとうとう禁忌に手を出した。命の創造……自らの手で『真祖帝』を作り出そうとしたのだ。人が、かけあわせで新たな犬や麦を生み出したようにな。その失敗作が、俺やアディスだ」
そしてファンダズマは、私とルビーを一瞥し、苦笑した。
「自然に生まれてこそ本物で、ルビーも本物にのみ惹かれるにな。……人の手によって作り出された我らは、異形と引き換えに強さを手に入れた。だが、所詮はまがいもの。先ほど見ての通り、アディスもルビーに拒絶された。わかってくれとはとても言えんが、『真祖帝』の後継たる姫よ。我々、七妖衆がおまえに抱く思いは複雑なのだ。特にもっとも異形のアディスはな」
その言葉の沈痛な響きに、私は思わず失神しているアディスを見た。
巨大蜘蛛を思わす六本の腕。猿のように長い尾。常に仮面をつけているのも、礼服に身を包むのも、〝幽幻〟で背中の四本の腕を隠すのも、心の中では異形を恥じているからなのかも。
「……でも、人間の姿をここまで変えるなんて、いったいどうやって……」
たしかに遺伝は存在する。親子兄弟は似ているし、貴族達は肖像画をよく残すから、代々の顔を見れば一目瞭然だ。もちろん育った環境もあろうが、武門の家系には身体能力に優れた者が、音楽家の家系には、音楽の素養の高い物が生まれやすいのも周知の事実だ。血筋同士のかけ合わせによって、ある程度は狙った姿や能力を得る確率を上げることもできよう。
だけど……六本腕に有尾の人間なんて、人の手で作り出せるものだろうか。
「108回」で私を惨殺した五人の勇士の一人、大学者ソロモンでも不可能のはずだ。
生命は粘土細工とは違うのだ。
「108回」の女王時代、各国から献上されたユニコーンやキメラを見たことはあるが、すべて死体だった。もっと言えば、それは複数の動物の死体を巧妙に継ぎ合わせたものだった。
「……姫よ、おまえも見たろう。先ほどのブルーダイヤ、あれは生命を歪める呪物だ。あの呪物と薬物を使い、人の形を成す前の胎児に施術したのだ。最古の四家は、無数の妊婦をさらって実験台にした。大抵は術に耐えきれず、母子ともに死亡した。我らは数少ない生き残りだ」
……私は思わず下腹部を押さえた。
女にとっては気分が悪すぎる話だった。
最古というかサイコの四家だよ。聞くんじゃなかった。
「……おい、おまえらの主の化物女は、最古の四家を掌握したんだろう? 四家が、真祖帝の後継者のスカーレットに接触してこない理由はそれしかない。今回の襲撃もあの女が黒幕だろう。答えろ」
突然の「彼」の質問に、剛毅なファンダズマがびくりと身を強張らせた。
え、「彼」って七妖衆のボスを知ってるの!?
「……我が主こそ、真祖帝の後継者にふさわしいと、四家は認めたのだ。ゆえに……今はあの方を盟主と仰いでいる。我ら七妖衆にとっても、あの方の采配は絶対だ……。俺とアディスは……おまえたちの力を試すよう命ぜられた」
ファンダズマは口ごもりながら、「彼」の推測を渋々肯定した。
主への畏敬と恐怖がありありと表情にあらわれていた。
私は息をのんだ。また話が膨らんだよ!!
はじめが、最古の四家の人体実験。
さらに、その四家が無条件で付き従う、私以外の真祖帝の後継者!?
そんな存在、「108回」でも聞いたことがないんですけど!?
そのうえ、オカ魔女さんが首から下げてるあのブルーダイヤが生命を歪める!?
それで作り出されたのが七妖衆!?
どこからツッコメばいいかわかんなくなってきたよ!! もうお腹いっぱいです。
「教えろ。現在の化物女と俺、どっちが強い?」
「彼」はファンダズマに追い討ちの質問をした。
ファンダズマは苦し気に、ぐうと呼吸した。
「今の幼いうちのあいつなら、俺でも倒せるかどうか知りたい」
「彼」は稲妻の気配をみなぎらせていた。放射される圧迫感に息が詰まる。
信じられない。もう一人の真祖帝の後継者って、「彼」と同格以上の強さなの!?
しかも「彼」の口ぶりからすると、相手はまだ成長途中の年齢だ。
しかも女性……!! いったい何者なの……。
私も固唾を飲んでファンダズマの答えを待った。
ファンダズマの額にどっと汗が噴き出した。
「……それは……!!」
「……ウギャーッ!! ギギィーッ!!」
突然、脳天まで貫くような金切り声が響き渡った。
字面にすると馬鹿みたいだが、至近距離で浴びせられたその絶叫は、心臓を鷲掴みにされたほどの衝撃だった。耳の奥が痛い。
アディスが六本の腕を振り回し、金切り声で地面を転げ回って暴れていた。
毒を盛られてのたうつ犠牲者にそっくりだった。
えっ、「彼」がなにかしたの!?
私の視線に気づいた「彼」が、両手を広げ、俺じゃないよジェスチャーをした。
そのあいだも、アディスの絶叫は絶えることなく続く。
「キャオオオウッ!! ウキャアアッ!!」
実際はもっと形容しがたい声だった。
言葉の体を成しておらず、猿の叫びにそっくりだった。
白い礼服を自ら掻きむしり、びりびりに引き裂いていく。
剛毛が服の下からあらわれる。
なにが起きてもはずさなかったトップハットが、ずるりと落ちた。
私はぞっとした。
仮面をつけてはいたが、その異様な風貌はもう隠しようがない。
髪ではなく毛皮に覆われ、耳が生々しく飛び出している。
猿そのものの姿だった。
あいつの妙な語尾って、キャラづけじゃなく、もしかして普通の人と声帯のつくりが少し違うせいかも、と私は思い当たった。
猿化したアディスは手近の樹の幹をばりばりと引っかく。
いや、そんな生易しいものではなかった。
二撃目で、象の突進も受け止められそうな樹が、ささくれだった中身を無惨にさらし、へし折れた。
蒼い光に背後から照らされ、アディスがガギイッと唸り、ぐるんっとこちらを見た。
仮面の隙間からあふれ出す涎が夜目にも糸をひいて舞う。
野生動物の独特の美しさは微塵もなく、凶悪な破壊衝動の権化だ。
「……破滅の……魔女……!!」
ファンダズマが唸った。
ごーごーっと息をするアディスの後ろから、ゆっくりと近づいてくる人影があった。
その胸元のペンダントから、まばゆく禍々しい蒼い光が迸る。
あのブルーダイヤだ。
その光がアディスを変貌させた原因だった。
だけど、あれは、オカ魔女さん……じゃない……!!
身体は同じだったが、これはまったくの別人だ。
フードに覆われたその顔に、もうヤドリギはない。豊かな金髪がこぼれる。
まだ少女だと直感した。
なんか、どっかで見たようなシルエットだ。
だがブルーダイヤの光が強すぎ、その顔はまともに直視できなかった。
それほどの光量なのに、奇妙なことに、ブルーダイヤの中央でかっと見開かれた瞳が、はっきりとわかった。宝石の中に目の紋様!? どうなってるの!? 神の目のルビーとそっくりじゃない!!
「まさか、あの子が、もう一人の真祖帝の後継者なの……?」
「……違う。あれは、あの化物女じゃない。だが、この忌まわしいダイヤは危険だ。ここで破壊させてもらう。下がっていろ、スカーレット。少し本気を出す」
はい!! お言葉に甘え、不肖スカーレット、全力退避いたします。
私は可及的かつ速やかに「彼」の言葉に従い、その場からとんずらした。
「彼」の瞳が赤くなり、血煙が羽根のように背中に立ち昇ったからだ。
身体能力強化技の「血の贖い」の発動だ。
ただでさえ人間離れしている「彼」がどれだけの強さを奮うのか、考えるだにおそろしい。
巻き込まれたら、私なんか一発でオダブツだ。
私は避難場所を探した。
すでに気絶したお母様とセラフィを抱え、後退済だったファンダズマの巨体の蔭に、素早く身を隠す。
「……おじゃまします」
人は城、人は生垣、人は堀。
幻影城の字名を持ち、筋肉の震動で物理攻撃を無効化するファンダズマなら、最強の盾になってくれるだろう。
ファンダズマは苦笑しつつ、軽く頷いた。
おおっ、あんた、やっぱいい奴だね。
「ねえ、七妖衆なんかやめて、私のとこのボディガードしません? 給料はずむよ!!」
「……っ!! ……ぶはははっ……!!」
つい勧誘してしまった私に、ファンダズマは目を丸くし、それから吹き出した。
大笑いしながら、私を見下ろす。
「いや、大した胆だ。俺は正直あの大戦士が恐ろしい。今すぐ逃げ出したいくらいだ。だが、おまえはまったく動じておらん。正直、誘いに心が揺れたよ。……見よ」
ファンダズマは顎をしゃくった。
……? 森の樹々の梢から、ばらばらと何かが落ちて来る?
暗くてよく見えないけど……。
「逃げることもできず身を潜めていた鳥や小動物が、大戦士の闘気にあてられ気絶したのだ。象だろうと獅子だろうと逃れられん。あれは……祟り神の力だ。もはや人ではない」
ファンダズマの言葉を裏付けるように、ごおっと風が巻き、「彼」のメイド服のスカートの裾をはためかす。螺旋のように「彼」の周囲を駆け昇る。背中の血煙の翼がより鋭角に絞られていく。
……まさか〈治外の民〉の最強技、「無惨紅葉」を使う気!?
でも、あの技は、三十秒の溜め時間と、踏み込み一歩ぶんだけの射程距離、途中で発動を止められないなどのハイリスクの塊のはず。いくら「彼」でも魔猿と化したアディスに命中させるのは不可能だ。
だが、「彼」は「無惨紅葉」を使おうとしているのではなかった。
私がそれに気づいたのは、「彼」を中心に巻き起こったつむじ風が、おおんっと吠え声のような異様な響きを伴い、ゆらゆらと周囲の景色が屈曲したのを見てからだった。
……私は本能的にファンダズマの服にしがみついた。
あの技は……なにか、物凄く危険なものだ……!!
アディスも野生の勘で危険を察知したのか、威嚇の叫びをあげるばかりで、飛びかからない。
負け犬の、いやさ負け猿の遠吠えだ。怯えきっている。
「彼」は喚くアディスをまったく見ておらず、その背後のブルーダイヤを見据えていた。
「……あの化物女に、嫌ってほど叩きこまれたおかげで、俺もこの技を習得できたぜ。行くぜ、パクリの上、ちっとばっかり我流だが、威力だけは折り紙つきだ。〝伝導〟と〝狂乱〟のミックス技。……〝鬼哭〟……!!」
そう呟くと「彼」は足を踏み出した。
一歩、二歩、足を進める度に、圧迫感が膨れ上がっていく。
まるで巨大化する台風だ。
背筋が寒くなる。
鬼が哭き叫んでいるような鳴動音。
体毛を逆立てアディスがかすれ声で喚くが、それはもう明らかに悲鳴だった。
その悲鳴すら、鳴り響く轟音は呑み込んでいく。
「……どけ。死ぬぞ」
「彼」が短く警告する。それがきっかけになった。
「……ウキャアアアアッ!! キキキィッ!!」
パニックに陥ったアディスは正常な判断力を失い、あろうことか「彼」に突撃する選択をした。あほの極みだ。断崖絶壁から、簀巻きでダイブするほうが、まだマシだ。恐怖のあまり、頭の線が一本切れたのだろう。無貌のアディスあらため、無謀のアディスとこれからは呼んでやろう。
だが、その動きはおそろしく速かった。
というより私の目には消えたようにしか見えなかった。
「また姿を隠す〝幽幻〟!?」
「いや、単純な速さだ。手強いぞ。ああなったアディスは……」
ファンダズマの言う通りだった。
正面から行くと見せかけ、アディスは「彼」の背後に回り込み、攻撃を仕掛けた。
私の目でアディスの姿は追えないが、奴が足場にした樹の幹が、竹のようにしなったので軌跡はわかった。その復元力を利用し、アディスはさらに加速した。稲妻が森を飛び交っているようだ。
十分に速度を蓄えた身体を旋回させ、六本の腕がプロペラのように「彼」に襲いかかる。
まるで人間手裏剣だ。だが、「彼」は振り返りさえしなかった。
「アキャオアアアッ!! ホアッキャアアアアッ!!」
アディスの奇声と激突音が響き渡る。
……なんか赤ん坊時代の私が、いかれてシャウトしてるみたいです。
ぜひともやめてほしい。元祖は私なんだからね!!
小さな竜巻と大きな竜巻がぶつかりあったようだった。
キキンッと鋭い音が脳天を突き抜け、私は思わず耳を覆った。頭の中が痺れたよ。
ファンダズマも眉をしかめていた。
蒼い火花がガリガリと散る。
「彼」のメイド服の肩のフリルがわずかに裂けた。
「……〝鬼哭〟の渦をわずかでも突破したことは誉めてやろう。だが、愚かだ。おまえたちの主は、〝鬼哭〟がどんなに危険な技か、教えなかったのか」
「彼」は背を向けたまま呟く。まるで魔王様のセリフだ。
「……なんか俺、悪役みたいだな」
あ、苦笑してる。自覚あるんだ。
だけど、その歩みは止まらない。
攻防は一瞬で終了した。
ボギャッとボゴッとも聞こえる、嫌な音がした。
人間が巨大な落石の直撃を喰らうと、こんな音がするのではないかと思った。
陽炎のようにアディスの姿が歪んだ。
なんかピエロが、大袈裟に身体をひねったような、面白おかしいポーズをしている。
次の瞬間、アディスは弾きあいに負けた独楽のように、ぐるぐる振り回されながら、宙を舞っていた。
おー、たーまやー。
怒ったオス象に鼻で天高く放り上げられでもしない限り、あんな体験はできないだろう。
あいむ、ふらいんぐ、である。
さすがに私もアディス君が気の毒になった。
ブラッドの一撃で気絶した後、逆襲に転じたはいいが、今度はブラッドに取り憑いた「彼」によって、ずっとサンドバック状態だ。きっとメイド服がトラウマになるに違いない。
だが、アディスの不幸はこれからだった。
なかなかアディスが落下してこない。
不審に思って目をこらすと、空中でバタバタとダンスしていた。
なにをとち狂ってるんだろう、あやつり人形のパントマイムでもしてるつもりか。
七妖衆を引退し、サーカスにでも入団する気かな。
と最初呆れたが、何が起きているか理解したとき、私は心底震え上がった。
ファンダズマが、ぐむうっと喉を鳴らした。
吐き気がしたんですね。同志よ、その気持ち、よくわかります!!
まっとうな感覚の持ち主みたいだし、あなた、やっぱり我が家に雇われません?
お父様がお母様命のサイコさんなこと以外は、アットホームな楽しい職場ですよ。
アディスの手足が勝手に捻じれていく。
手足だけではない。胴体や首も、体中いたるところがだ。
まるで子供たちが残酷な好奇心にかられ、人形を面白半分で引っ張り合い、破壊するさまを見せられている気がした。よく見ると、アディスの身体に、無数の透明な揺らぎが巻きついていた。原理はわからないが、そのせいでアディスは落下さえ許されず、空中にはりつけられているんだ。
枯れ木の爆ぜるような薄気味悪い音がパキリパキとした。
骨が捻じれに耐えきれず割れた。
アディスは激痛に絶叫している……のだと思う。
だが、声が出ていない。仮面の隙間から鮮血が何度も飛ぶ。
声帯や舌もたぶん手足と同じように捻じれ、役に立たなくなっているんだ。
おそらく内臓も……!!
これ、透明な悪魔の仕業とかじゃないの!?
この作品、ついに異世界恋愛ジャンルをあきらめ、ホラーに転向ですか?
「……放たれた〝鬼哭〟の威力は、しばらくは消えない。たとえ相手が絶命しても、なお肉体をねじ曲げ、潰し、破壊し尽くす。……自分でやっといてなんだが、こんな胸糞悪い技、よくもあの化物女、思いついたもんだ」
忌々しげに「彼」が吐き捨てる。
一応ホラーではなく、とんでも武術だったらしい……。
しかし怖すぎる!!
こんな光景見たら、私、夜中にトイレ行けなくなるじゃない!!
お漏らししたら責任取ってくれる!?
ていうか、さっきから会話に出てくる化物女って誰よ!?
私、ヒロイン兼主人公なのに、さっきから置いてけぼり感、すごくないですか!?
烈しく抗議したい私の心の声は、さらなるホラー展開で、どこかに吹っ飛んだ。
「……いけ」
オカ魔女さんが取り憑いていたフードの子が、ぼそっと呟くと、胸のブルーダイヤから光が迸った。
いや、蒼い光というより、光る青黒い闇だ。
その闇が渦巻き、凝縮すると、巨大な髑髏になった。
かちかちと耳障りに歯が鳴る。大人一人ぐらいあっさり噛み砕けそうだ。
嘲笑してる?
両の眼窩から、鱗がびっしり生えたぶっとい蛇の胴体がうぞうぞしていた。
……ほら!! やっぱホラーじゃない!! この作品の明日はどっちだ。
髑髏ががっと口を開くと、周辺の空気が、さああっとそちらに向かって流れだした。
「……まずいぞ!! あれは生き物の命を吸う!!」
ファンダズマが警告する。
うん、わかってます。だって、空中でアディスの奴が痙攣してるもん。
私達よりブルーダイヤに近い位置にいたから影響もろなんだ。
あいつ、ほんとに踏んだり蹴ったりだ。
それに、私も身体が寒く、重たくなってきた。
力が抜け、膝をついてしまう。やばいよ、これ……!!
その場でまったく怯んでいないのは「彼」だけだった。
「死を司る髑髏と、再生の象徴の繋がった蛇の胴体か。たしか滅亡した〈森の民〉ウィスクムがもっとも恐れた邪神だったな。生贄を好み、命を吸うとかの。遺跡で石像を見た記憶がある」
うわ、博識。
でも、のんきに分析してる場合ではありません。
私、グロッキーです。
ファンダズマの巨体も揺らぎだしてます。
「くだらないこけ脅しだ。そんなもんで俺達がどうにかなるものか。やれるもんならやってみな」
「彼」は恐れることなく言い放つ。
ひええっ!? 分析どころか挑発はやめてください!!
「俺達」とひとくくりにしないで!!
そっちは平気でも、こっちは今、死にかけてますよ!!
私のかすれた悲鳴をよそに、「彼」は、だんっと大きく踏み込むと、右拳をねじりこむように前に突き出した。一瞬、彼のまとった哭き声がやんだ。
「……爆ぜろ」
拳の先の空間が陽炎のように歪んだ。
鬼の哭く声が一気に高まり、耳を聾する。
無形の力の塊が走り抜け、邪神の幻影に突き刺さった。
邪神は馬鹿にしたように「彼」を嗤うが、「彼」は逆ににやりと笑い返した。
「……たかが人間の拳と侮ってるんだろ。バカだな、おまえ。〝鬼哭〟は、あの化物女が編み出した奥の手だぞ。いくら強くても幻影なんかが敵うもんか。幻らしく消えろ」
「彼」の言葉通り、邪神は苦しげに顔を歪めると、轟音とともに木端微塵に爆散した。
お? おおっ、手足に力が戻ったよ。健康、さいこー!!
「このままブルーダイヤ本体も破壊させてもらう。頼むからあまり動いてくれるなよ。狙いがそれちまう」
言葉の後半は、ダイヤを首からさげたフードの少女にかけられたものだ。
「彼」はピンポイントでダイヤのみを撃ちぬく気なんだ。
「彼」は今度は左拳を突き出した。
再び破壊のエネルギーが空を歪め、ブルーダイヤめがけて突っ走る。
気圧されたようにフードの少女は後退った。
その前に誰かが飛び込んできた。
迫る〝鬼哭〟とフード少女のあいだに立ち塞がる。
咄嗟のことすぎ、私は唖然とするしかなかった。
全身黒づくめの長身の青年……いや背丈はあってもまだ少年か。
瞳も髪も漆黒だ。
どことなくブラッドを思わす顔つきだったが、その肌に精気はない。
夜目でもわかるほど蒼白だった。
やつれてるのに、思いつめたような強い眼光が印象に残った。
急な動きがこたえたのだろう。
少年は身を折って、激しく咳き込んだ。発作の類に見えた。
この少年、もしかして病気なんじゃ……。
危ない!! 「彼」の放った〝鬼哭〟にのみこまれる!!
だが、直撃を受けるすんでのところで、少年は咳を抑え込んだ。
きっと顔をあげ、無言で手刀を一閃させる。
あ、もしかして、七妖衆とかの関係者さん?
だけど、派手な技ではない。本当にただの手刀。
さっきのアディスの回転連撃のほうが百倍強力に見えた。
空をつんざき迫りくる〝鬼哭〟を止めるには、あまりに非力な蟷螂の斧。
どう考えても勝ち目などゼロだ。成す術もなく蹂躙されて終わるだろう。
なのに……不思議と目が離せない。
鋭い気配なのに、見ていると悲しくなるような独特の雰囲気。
黄昏どきの寂しさを連想させた。
極限まで研ぎ澄まし、今にも砕け散る寸前のガラス細工のような、鬼気迫る美しさ。
息も忘れて見入る私を横目で見て、ファンダズマが頷く。
「さすがルビーの後継者。奴の非凡さを見抜いたな」
いえ、全然わかりません。なんとなく見てただけです。
だが、ファンダズマの言ったとおり、凡庸に見えたその手刀は非凡だった。
真っ向から〝鬼哭〟の渦とぶつかり合い、せめぎ合う。
不可視の力が荒れ狂う大蛇のように周囲の樹々を薙ぎ倒す。
爆音が津波のように押し寄せる。
「彼」と黒衣の少年が、はじかれたように互いに後ろに軽くのけぞった。
……信じられない!! 相殺した!!
いや、それだけではない。
狭い箱の中に無理矢理押し込まれる人形のように、ばきばきと折り畳まれていたアディスが、解放され、血泡を吹いて落下してきた。気絶したまま、地面に手ひどく叩きつけられていたが毎度のことだ。どうせ死んではいまい。
黒衣の少年の手刀の余波が、アディスに巣くっていた〝鬼哭〟の威力まで消し飛ばしたんだ。
驚天動地の出来事に、私は呆然としたが、ファンダズマがせっかく勘違いしてくれているので、それっぽい言葉で乗っかることにした。
「あの少年からは刃の気配を感じました。一振りの名刀のような凄みを……それだけです」
私は髪をかきあげ、目を細めた。
嘘です。感じたのは、この人、病人っぽいのにあんなに激しく動いて大丈夫かなー、という感想だけです。まして〝鬼哭〟に立ち向かうなんて、絶対無理って思ってました。ダンプの前をよたよた横切ろうとするお爺ちゃんを見て、息をのむのに近いです。それだけです。
だけど、ファンダズマの引き抜きをあきらめていない私としては、私の評価をあげるチャンスは逃さないのだ。
「……奴の名は、裂神のアゲロス。最弱の身でありながら、最強の一撃をもつ男だ。我ら七妖衆の中で、あの大戦士と渡り合えるのは、奴しかおるまい」
親切な巨人ファンダズマが問われもしないのに解説してくれた。
一撃特化の戦士ってことかな。
やりようによっては、かなり使えそうな人材かも。
私は頭の中の勧誘リストに、黒衣の少年を付け加えた。
アディス? あんな危ないお猿さんは結構です。
飼い主さん、早く引き取ってください。
「……七妖衆だと? 裂神のアゲロスだと? ふざけるな!! あんた、ここでもあんな歴史を繰り返すつもりかよ……!!」
ええっ!? なんか「彼」がむちゃくちゃ激昂してますが!?
わけがわかりません!!
「彼」だけではない。
黒衣の少年、裂神のアゲロスなんか、もっと激烈な反応をした。
「……あははっ!! なんてことだ!! こんな残酷なことが……!! ぼくの命をかけた一撃は、おまえの左一発と同格か。なんて才能の差!! これが天に愛された者か……!! ぼくは……たった一つの夢、最強の一撃を追うことさえ許されないのか……!」
天を仰ぎ号泣し、しかも咳き込みながら、血を吐くような声で叫ぶ。
忙しそうだ。ある意味、とても器用だと思う。
「あんたの夢は不幸を呼ぶ。……だから、その夢ごと、俺が今ここで叩き潰す」
悲痛な決意を浮かべ、「彼」が構えをとる。
なんかシリアスなシーンに突入してますが……文字じゃ忘れがちですけど、あなた今メイド服に、頭に赤いリボンの女装してますから。
私のツッコミの虫がムズムズしたが、そこはファンダズマの手前、わかったようなわからないような言葉で締めることにした。実際、まったく二人の事情なんてわからないし。
「……この二人の戦い、神様はどちらに微笑むのでしょう。私にできるのは、ただ祈ることだけ」
私は両手の指を組み、瞼をそっと閉じた。敬虔な乙女に見えるように。
……神様、この物語の主役は私です。
どうか私をつんぼ桟敷に放置しないで、もっと大活躍させてください。
なんだか私の影が薄いと思います。
私はそう強く神様に祈りを捧げた。
お読みいただきありがとうございます!!
コミカライズ第2話目その2が、11月19日の11時より無料公開開始です!!
互いを理解しながら、手を取り合えなかった「108回」での、スカーレットとブラッド。
二人を待つ結末は悲劇しかない。
そんな二人を見て、嗤う者が……。
コミカライズのほうから来ていただいた方、作画の鳥生ちのり様が、ツイッターをされています。
漫画の応援コメントをぜひぜひ、そちらに!!
https://twitter.com/12_tori
なお、悪口コメントは、なまくらのほうに。
あまりに悪意に満ちてると思ったら削除しますけど(笑)
お待ちしております。




