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武神降臨

【電撃大王さまの11月号(9月26日発売)より、鳥生ちのり様によるコミカライズ開始!! 】

※コミックウォーカ様のフロースコミックや、ニコニコ静画様で、無料公開もやってます!! 赤ちゃんスカ、かわいい!! オナラで人生切り開け!? ぜひご覧ください。

【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻、KADOKAWAエンターブレイン様より発売中!!】


ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!



「……ンハハーッ……!! ザマミロ。赤髪のお姫様は死ぬ。メイドっ娘、君のせいでネ」


無貌(むぼう)のアディスが、ブラッドに地面に押さえつけられながら嘲笑する。


「てめぇ……!!」

「イイネ、イイネ。その泣きそうな顔が見たかっタ」


ごぼごぼと血泡が、仮面と顔の隙間からあふれているのにお構いなしだ。

ブラッドが心痛で苦悶するのを見るのに夢中で、自分の苦痛なんか忘れてるんだ。

なんて根性のひん曲がった奴……!!


……って冷静に分析してる場合じゃない!!

アディスの謎の攻撃で死にかけてるの私だよ!!


ひゅうんっと音がし、鞭のようなものが私の胸から離れた。

それは倒れたアディスの腰のあたりから伸びていて……毛が生えていて……のたうつように動いて……うそでしょ!? もしかして、これって動物の尾!?


「この尾はネ。小生が命の危機に追い込まれると、敵を排除しようとするのサ。小生の意志と関係なくネ。普段は姿も気配も見えないようにしてるがネ。君らにも尾骶骨がアルダロウ。あれは尾の名残サ。小生は先祖返りってワケダヨ」


私はさっき感じた違和感が正しかったことを知った。

そうか、だから六本腕で重心の偏ったアディスが、安定した空中戦もどきができたんだ。

動物の尾は、身体のバランスを保つ驚異的な能力がある。

私としたことが、もっと早く気がつくべきだった!!


「ンハハーッ!! 奥の手ならぬ、奥の尾だネ!! メイドっ子にも読めなかったロウ? フヒッ!! 君の注意不足ガ姫様を追いこんダ。ぜんぶ、ぜーんぶ、君のせいーッ」


ブラッドがびくりと身を震わせた。目の光が動揺する。


バカ!! なんで拳を止めてんの!! 

あんた、瀕死のアディスに馬乗りになってんのよ!!

やっと摑んだそいつを倒すチャンスでしょ!! 

早く拳を打ち込んで!! 

そのむかつく仮面ヤローの顔を粉砕しなさい!!

尾が自動で攻撃してこようが、実体化した今、あんたならかわせるでしょう!?


私は絶叫しようとしたが、声が出ない。

ブラッドの様子に、手応えありと判断したアディスは、さらに会話をたたみかける。


「おや、ドウシタネ? メイドっ娘。手がとまってるガ? 苦しんでる姫様なんかほっておいて、小生にとどめを刺したまえヨ。弱ってる奴をいたぶるのは、スカッとするだろウ。小生が姫様にそうしたようにネ。それが人の本性サ。君も暴力に夢中になったから、姫様の安全への注意がおろそかになった。違うカネ? ンハハーッ!! 同じサ、君も小生と同じ!!」


「オレは……そんなつもりじゃ……!!」


泣きそうな表情になったブラッドの心を、アディスは容赦なく抉っていく。


「オヤ、マダ偽善者の仮面をはずさない? シラケルネ。ナラバ、クイズでもして盛り上がロウか。よーく姫様を観察シテご覧。早く答えを出さないと、助けられなくなるヨ? サア―、姫様が苦しんでる原因はナニカナ、ナニカナ」


アディスは喉が潰されたので、血痰混じりのくぐもった声だ。

唾を飲むのさえ苦痛のはずなのに、わざわざ語りかける理由なんてわかりきっている。


ブラッドの隙をつくるためと、回復の時間稼ぎだ。 


それも私を人質代わりにして!! なんて卑怯な!!


もし、あおられているのが、ブラッド自身のことなら、彼は耳も貸さずアディスにとどめを刺したろう。

だが、私を盾に取られ、ブラッドは完全に固まってしまっていた。

しかも狡猾なアディスは、ブラッドのせいで私がこんな目にあったと罪悪感を煽り立てた。


今のブラッドは強い。いくら少年でも「血の(あがな)い」を使いこなす以上、「108回」の成人ブラッドとさえ渡り合えるだろう。だが、このブラッドは非情に徹しきれていない。その優しさがガルム戦のときは実力以上の強さを引き出したが、今回は完全に裏目に出てしまった。


ブラッド!! 私はほっといて、早くアディスにとどめを刺して!! 

耳を貸しちゃ、ダメ!! そいつがまともなことを言うはずがない!!


私は地面から再度叫ぼうとしたが、息が詰まったように声が出せない。

手足が痺れ、力が抜けていく……!!


この苦痛はおぼえがある。

「108回」での最期のとき味あわされた感覚だ。

他ならぬブラッドの成人したその手によって。

これは……〝心臓止め〟だ!!

同時にブラッドも私と同じ結論に達していた。


「……てめえ、どこまで腐ってやがる……!!」

「……ンハハーッ!! そう!! やっと気づいたようだネ!! 君お得意の〝心臓止め〟で姫様は殺されるのサ。あー、爽快ダネ!! 小生の尾は実に器用でネ。生まれながらに〝心臓止め〟を使用するのサ。姫様の命が尽きるまで、もう一刻の猶予もないヨ!!」


ブラッドはみなまで聞いていなかった。

せっかくアディスに馬乗りになっていたのに、はじかれたように立ち上がった。

身をひるがえし、私のもとに駆け寄り、地面でうごめいていた私を抱きおこす。


「……心配するな。スカチビ、すぐ治してやる。〝心臓止め〟ならオレが本家だ」


私の背中に触れたブラッドの手からぬくもりが伝わる。


ああ、少し楽になった。でも、わかる。胸の苦しさはそのままだ。

ブラッドには悪いけど、これはもう助からないかな。

だからアディスを倒して!! こんな悪魔を放置しておいちゃ駄目だよ。

私のことはもういいから。


「ンハハハハハっ!! 無理無理!! 一撃必殺の心臓止めがそんな生易しいものでないことは、宗家の君本人がよく知ってるダロウ」


アディスがゲラゲラ笑う。

煽っているように見せかけ、奴は狡猾に回復をはかっている。

このままだと、再び立ち上がってしまう……!!


「……うるせえ!! 黙れよ!!」


ブラッドがアディスを振り向きもせず怒鳴る。

私を助けようと集中するあまり、おとがいからぽとぽとと汗が落ちる。


やめて!! ブラッド!! 

アディスが復活したら、私だけじゃなく、あんたまで殺されちゃう!!


「スカーレット!?」


「スカーレットさん!!」


お母様の悲鳴とセラフィの叫びが聞こえた。


二人とも私を心配して、あの強敵のファンダズマとやり合いながら、なんとかここまで追っかけてきてくれたんだ。ああ、私のために命をかけてくれる人がこんなにいる。ブラッドもだ。みんな、まだ私を助けることを諦めていない。


だったら、本人の私が諦めてどうするの!!


私は残り少ない気力を奮い起こした。

反省しなきゃ。また私の悪い癖が出ていた。


「108回」で何度も殺されたり、殺されかけたりしたせいで、私は死に慣れてしまっている。もちろん死ぬのは怖いのだけれど、心の奥底にどこか諦めた気持ちがある。しかたないな、と思ってしまうのだ。


でも、今はあがかなきゃ。愛する人がみんな亡くなってしまい、ひとりぼっちになった女王時代の最期とは違うんだ。私にはまだ守りたいものだって、たくさんあるんだもの……!!


私は〝神の目のルビー〟に必死に祈った。


お願い!! あなたが私を持ち主と認めてくれているなら!! 

どうか私に力を貸して!! 

このままじゃ、私を助けるために、みんなが殺されてしまう!!


たとえ光蝙蝠族(ひかりこうもりぞく)達の霊は封じられていても、このルビーには神秘的な力がある。


そうだ!! 「彼」!! 


魔犬ガルム戦のとき、光蝙蝠族の呪いを解く橋渡しをしてくれた「彼」も、ひょっとしたらルビーの中にいるかもしれない!! 一瞬の出逢いだったけど、「彼」からは底知れない強さを感じた。


ああ!! でも、「彼」の名前、知らない!! 

前の私と同じ、名無しのゴンベエじゃん!!

どえやって呼びかけたらいいの!!

お、お願い!! ルビー様!! ゴンベエ様!! 

かわいいスカーレットちゃんが大ピンチですよ!!

どうか助けておくんなまし!!

スカーレット救出作戦にどうか心温まるご支援を!!


「……すまんが、おまえ達を行かせるわけにはいかん。アディス、上から例の遠距離射撃の矢がくるぞ。十秒後だ。かわせ。おまえなら、あと五秒で回復するだろう。もう手助けはいるまい」


駆け寄ろうとするお母様とセラフィの前に、ファンダズマの巨大な影が立ち塞がった。


「ンハハーッ。また祖霊の囁きの予知かネ。便利ダヨ。フム、おかげ動けるようになりそうだヨ。メイドっ娘にあのまま攻撃されてたら、小生もオダブツだったがネ。ンハハッ!! まさかあんな見え透いた口車に乗るなんて!? みすみすチャンスを逃す大マヌケ!! 優しさという名の大マヌケには、笑いが止まらんネ」


アディスは早口でまくしたて、げらげら笑った。


ほんっと、むかつくなこいつは!!


回復したアディスが助言に従い、十秒寸前でばんっ跳ね起き、大きく後ろに飛び退く。


「ンハハハーッ!! 惜しい惜しいネ」


アーノルドの矢が轟音とともに降り注ぎ、地面を抉ったが、アディスの衣装を数か所切り刻んだだけに終わった。


またファンダズマの祖霊の囁きに邪魔された!!

攻撃の無効化もそうだけど、こいつのこの予知じみた能力は本当に厄介だ。

もしかしたら今のアーノルドの攻撃で、アディスを倒せていたかもしれなかったのに!!


「……そこをどけぇーっ!!」


私の身にただならぬことが起きていることを察知したお母様が、血相を変え、矢を乱射する。

ファンダズマの鉄壁防御を突き破るため、エネルギーをロスする変化技は捨て、まっすぐの矢を渾身の力を込めて放つ。だが、ファンダズマが身を震わすと、すべての矢は木端微塵になった。まるで獣が体についた水滴をとばすようなあっけなさだった。


「その弓の腕前、見事。女の身でよくぞ練り上げた。幾たびおまえの矢をこの身に受けたことか。おまえがもし男なら、この勝負は……。いや、これは真の戦士への侮辱だな」


ファンダズマはそう言いながら、すうっと影のように動いた。

巨体に似合わぬおそろしい速さだった。あっという間に距離を詰めた。


「……ッ……!?」


ブウンッと唸りがし、お母様の背中がびくんっと揺れた。

ファンダズマの岩の塊みたいな右拳が、お母様の腹にめり込んでいた。素手だ。

剣先のついた右手甲は今の移動の間に引き抜かれ、左脇に抱えられていた。


「……俺の得意とする振動波だ。殺しはせぬが、神経に直接叩きこみ、体を麻痺させた。もう意識を保つのも難しかろう。しばし眠れ、おまえは一流の戦士だった」


声もなく崩れ落ちたお母様は、だが、地面を這いながら、両腕でファンダズマの片足を抱え込んだ。

ファンダズマの目に驚きの色が広がる。


「……行かせ……ない……私は……スカーレットを、守るって……約束したの……!! そうしたら……あの子は……嬉しそうに笑ってくれたのよ……!! あの子を殺そうとした……こんな私に……!! どんなに嬉しかったか……!! だから、守らなきゃ……私が、スカーレットを……」


がくがくと震える体に鞭うち、必死にファンダズマを引き留めようとする。


「……おねがい……!! 私はどうなってもいい……!! あの子は……スカーレットだけは……!!」


戦士のプライドもかなぐり捨て、ファンダズマに懇願する。


私は胸を突かれた。

私はとうに忘れていたが、お母様は生まれたばかりの私を殺そうとした。

だけど、あのときのお母様は麻薬を盛られ、義父母に苛め抜かれ、心神喪失していた。

過酷な状況で、衰弱死寸前まで追いつめられていた。

実際、「108回」において、あの直後、お母様は心臓発作を起こして亡くなっている。

お母様の非など何ひとつない。


なのにお母様はずっと気に病んでいた。

しかも、私が軽い気持ちで了承した約束を、そんなにずっと大事に思っていてくれたなんて……!!

お母様……!!

私は、たった一回だけ向けられた殺意の、何万倍もの愛を、あなたに注いでもらいました……!!


私はお母様に駆け寄りたかった。

背中から抱きついて、大好きと何百回も言いたかった。

なのに、私の手足はぴくりとも動かず、ただぜい音のような呼吸の響きだけが、体のうちで聞こえている。


「……訂正しよう。俺の振動波を受け、なお動けた人間は、数えるほどしかいない。おまえは戦士としてだけではなく、母親としても一流だ」


ファンダズマは賞賛し、お母様向けて剛腕を振り下ろした。


「おまえは誰よりも立派な母だった。自分を責めるな。すばらしい母娘の愛を踏みにじった俺を、ただ恨むがいい」


ブウンッと再び振動音がし、お母様の身体がはねた。

ファンダズマの足から両手が離れ、地面に身をうちつけた。

それでもなお諦めず、這いずり、私のほうに指先を伸ばそうとした。


「……いま……行くから……ね……スカ―……レット……」


「……なんという壮絶な……母の愛と、戦士の強さを合わせ持つ者は、これほどの存在なのか。もはや目も耳もきかないであろうに。なまなかなことでは止められぬ。多少、後遺症が残るかもしれんが許せ」


三度めの振動波をファンダズマに打ち込まれ、ついにお母様は意識を絶たれた。


「……スカ―……ㇾッ……お母さんが……すぐに……」


気を失う寸前まで私に呼びかけ続けた。

震える指先がぱたりと地面に落ちるのを、私は胸の張り裂ける思いで、視界の片隅にとらえていた。


涙を浮かべたまま倒れ伏したお母様を、ファンダズマは悲しそうに見下ろした。


「ここは戦場。その涙も拭ってやれぬ。許せ。……そして、小さな戦士、おまえもだ」


ファンダズマは、ばっと振り向いた。ふおんっと身体が霞む。

お母様がファンダズマを引きつけている間に、死角をついてすり抜けようとしていたセラフィを足で止めた。


クールな言動に似合わず、セラフィは人情家だ。

お母様を見捨てるような真似は、苦渋の決断だったはずだ。

感情を押さえつけるため噛みしめたのか、口の端から血が流れていた。

それでも彼は私を助けることを優先しようとした。

きっとそれがお母様の望みであると信じて。


機を読んだセラフィの動きは、熟練の戦士を欺けるほど見事だった。

体力のなさを気力と知力で完全にカバーしていた。

だが、今回は相手が悪すぎた。


「……ぐっ……!?」


ファンダズマは手加減はしていたが、その重量と加速はすさまじく、セラフィはサッカーボールのように吹っ飛んで斜面を転がっていった。立ち木に引っかかって途中で止まったが、完全に気を失っていた。


「……おまえの風読みと頭脳は脅威だ。放置するのは危険すぎる。ここが海の上なら、追い詰められていたのは俺達だったと祖霊も言っている。こちらの手のうちをさらした以上、合流はさせられん」


「ンハハーッ!! 非力でまぬけな船長坊や。さっき、散々偉そうな口を叩いて、結果がコレかネ。弓矢のママさんも、死にかけの猫のようにしぶとくて笑えるヨ。痛快痛快!! ……ン~、スカッとしたネ。ヤッパリ弱い奴がぐだぐだ抵抗してるとストレス溜まるよネ。強い奴が勝つ、シンプルいい気分のまま、とどめを刺したい今日この頃サ」


お母様とセラフィの息の音を止めようと、喜々としてアディスが走り出したが、ファンダズマの大喝で渋々停止した。


「この俺の戦いを侮辱するな!! 戦士達へ手出しは許さんぞ!! アディス!!」


めきめきと一回り身体が膨れ上がった。

巨人ファンダズマは激怒しているように見えたが、ちらりと私を一瞥したときの沈痛なまなざしで、半ばはわざとだとわかった。自分と戦った相手だからと理由をつけて、お母様とセラフィを殺させない気なんだ。なんとか私とブラッドも助けてやりたい、と目が語っていた。


ファンダズマが内心で葛藤していることを狡猾に察し、アディスは念押しした。


「ンハーッ、わかったヨ。そのかわり、お姫様とメイドっ娘は小生の獲物ダヨ? 君も知ってるダロ。今日のこの仮面は、小生が「主」からいただいたもの。それを傷つけられてスゴスゴひくのは、我らが「主」への侮辱というものダロ」


「……うむ、仕方なかろう」


嫌々というふうにファンダズマがひいた。


「ンハハーッ!! そうこなくてはネ」


両手を広げたアディスが嬉しそうに叫びながら、ブラッドの後ろに立った。

密着することでアーノルドの鳥瞰射撃を防ぐ気だ。

なのにブラッドは私を助けるため屈んだまま、その場から動こうとしない。


「……大丈夫だ。オレがここにいる。スカチビ、すぐに治してやるからな。オレがぜんぶなんとかする。だから……なにも心配するな」


「ンハハーッ!! いかすネ!! メイドっ子!! そこまで強がるなんて流石ダヨ。ナラバ、そこから逃げず、〝心臓止め〟を受けてみるがイイ。小生自身もこの技を使えるのサ。どこまで恐怖に耐えれるかお楽しみだヨ!!」


勝ち誇ったアディスが、脅しと愚弄の言葉を投げかけるが、ブラッドは背を向けたまま、私の治療に専念している。私の不安を少しでも除こうと、終始笑顔のままで。


私は何度も心の中で、逃げてと叫んだ。


結局ルビーと「彼」に私の祈りは届かなかった。奇跡は起きない。

「108回」のときと同じだ。祈りも願いも役に立たない。

ただ残酷な結末だけが迫ってくる。


ブラッドの背に、アディスは広げた掌を当てた。


「サア、治療を急がないと、愉快な『心臓止め』の秒読み開始だヨ。十、九、八……」


私は身動きひとつできぬ身体で、声なき悲鳴をあげた。


アディスの奴、私と同じ死因をブラッドに与える気だ。

それも完全に馬鹿にする目的だけでだ。

どこまで人の運命を弄ぶ気なの!?


ブラッド、もう逃げて!! お願いだから、逃げてよ!! まだ間に合うよ!! 

やめて!! 殺すなら、私一人を殺して!! 私の大切な人たちを奪うのはやめて!! ひどいよ!! もう、こんなのは……!! 神様、お願いです!! どうか……!!


私の祈りを目を見て察し、アディスは嘲笑した。 


「……七……以下、飽きたから秒読み略ゥ。……ン~ッ、姫サマは、自分はどうなっても坊やは助けてって悲痛な顔だネ。ブゥーッ!! むかつくネ、優しいだけのヒロインなんて、心がてんで動きまセーンッ!! ンハハーッ!! ……せめて派手に死ネ」


アディスが肩口のぬいぐるみを引きちぎると、ばっと数羽の鳩が舞った。

羽毛が飛び散る中、ぱああんっと無慈悲な音が響いた。

幾度も幾度もだ。その度にブラッドの体が揺れた。口端から血がこぼれた。


「ンハハハーッ!! このメイド少年、バカすぎるッ!! 赤髪のお姫様を見捨てれば、自分一人は助かったノニ!! 結果は治療も間に合わず、共倒れ!! そんな単純な計算も出来ないから、弱者は屑ナノサ。やはり強さがすべてという小生の価値感は正しい!! ゴミ掃除終了!! アー、すっとしたネ」


アディスの驕りたかぶった声が響くなか、ブラッドが私に覆いかぶさるようにし、がくりと項垂れた。見開いた目からは光が失われていた。私を守ろうとするかのように、両腕で私を抱きかかえ、座り込んだままで、ブラッドは息絶えていた。


目まぐるしく変化するあの魅力的な瞳が、黒い硬玉と化していた。

いつも飄々として、優しく、勇敢で、何度も私を助けてくれ、微笑みかけたあの素晴らしい漆黒の目が、私のせいで……!! 私をかばったばっかりに……!!


なのに私は……ブラッドのために、声をあげて泣くことさえ出来ない……!!

ごめんね……!! ごめんなさい……!!

私なんて……生まれてこなければよかったんだ……!!


「……あ……ああ……!!」


私の目から涙があふれ出るのを見て、アディスが嘲笑する。


「ンハハハーッ!! 声も出せないのに、悲劇のヒロイン気取りかネ!? 男や手下を繰り出さないと、何一つできない無能ガ!! たまには自分の拳で小生に殴りかかって来たまえヨ!? そのひ弱な拳で、圧倒的な強さの小生にサ!! デキルカナ、デキナイヨネ」


ちくしょう……!! 悔しい……!! 悔しいよ……!!

こんな思いあがった奴に、ブラッドが殺されたなんて!!

それもこんな汚い手で!!


「いい加減にしろ、アディス。貴様のやり口、反吐が出る。勝負はついたろう。いくぞ」


堪りかねたファンダズマがアディスをうながし、歩き出した。

アディスは仮面の下で舌打ちし、ファンダズマの巨大な背中を追おうとした。

その足がぴたりと止まった。


「……ンハハーッ!! これで立ち去ると思った? エエ!? 思っちゃっタ? そんなツマラナイことするハズナーイ!! パーティー最後の盛り上がりサ。仮面を潰してくれた礼に、メイドっ子の顔面は潰していくヨ!!」


アディスがぬうっと私をのぞきこみ、ゲラゲラ嗤った。

こいつ、どこまで性根が腐ってるんだ……!!


「ンハハーッ!! 弱い奴は脇役!! 脇役に、綺麗な顔なんか必要ナイ!! スポットライトを浴びれるのは強い主役ノミ!! 後はゴミ!! ゴミに顔なんて勿体ないのサ!! せめて花火になって華を添えるがイイさ」


狂ったように嗤いながら、アディスの拳がブラッドの顔面を砕こうと振り上げられた。


やめて!! 私のことはなんて言ってもいい!!

だけどブラッドのことをゴミなんて呼ばないで!!

こんなひどいことをしないで!!


私はアディスの拳の前に立ち塞がりたかった。

だが、私の身体も死にかけていた。心の中で悲鳴をあげるしか出来なかった。


「よせ!! アディス!!」


ファンダズマが叫び、こちらに走ってこようとする。

だけど、間に合わない!! アディスの拳は止まらない!! 

もう……ダメだ……!!


絶望が全身に広がる。


私がもっとしっかり、こいつの残酷な性に気がついていれば……!!


「……ンハハハーッ!! 顔面パーンッ!! ンひひッ!! ……プギッ!?」


だが、次の瞬間、アディスは豚の悲鳴のような声をあげて吹っ飛ばされた。

私は、何が起きたのかまったく理解が追いつかず呆然とするしかなかった。

アディスは錐揉み回転して宙を飛び、立ち木を数本薙ぎ倒して地面に叩きつけられた。

まるで巨龍の突進でもくらったかのようだった。


「……グボッッ!? ……ガボボボーッ!?」


アディスの踏み潰されたカエルのような声が聞こえた。

身体を強打し、肺胞の息をすべて叩き出されたためだ。

障害物をへし折っても、なお勢いは殺せず、数回バウンドしてようやく止まった。


ギャグマンガそのものだったが、実際に見ると、壮絶すぎてまったく笑えなかった。


呆然としていたのは私だけではない。制止に入ろうとしたファンダズマもだ。

そしてなにより瀕死の蟲のようにうごめいているアディスが、我が身に起きたことが信じられなかったろう。


「……ゴボォッ……な、ナニがオキタ……!?」


私の胸元で、神の目のルビーが光を迸らせていた。

あたりを真紅の光に染める。

ルビーの中央の瞳が、かっと見開かれていた。


ルビーの光に照らされ、ブラッドのメイド服とリボンが緋色にひるがえる。

まるで戦火の中の援軍の旗のように。


ブラッド……!?


息絶えたはずのブラッドが不敵な笑みを浮かべていた。

彼がアディスを払いのけたんだ。

だけど私は直感した。


いや、違う。これはブラッドの身体だけど、中身はブラッドじゃない。

片膝をつき、片腕で私を抱きかかえたまま、その神業は繰り出された。

まるで目障りな蠅を、右手一本で無造作に追い払うように。

いや、実際、その程度の感覚だったのかもしれない。

私でも感じ取れる。

今の一撃だけで、底知れぬ強さが垣間見えた。


彼はアディスのほうなど目もくれず、ただ私にだけ優しく笑いかけた。

ブラッドの顔をして。


だが、少年のブラッドにはない、幾多の修羅場をくぐり抜けた戦士の表情がそこにあった。それだけじゃない。まるで陽だまりの記憶のような懐かしさで胸がいっぱいになる。どんな危機も必ずなんとかしてくれるような無条件の安心感……。


私にはわかった。

これは「彼」だ。

ブラッドの姿をしているけど、ブラッドじゃない。

光蝙蝠族(ひかりこうもりぞく)の霊と私を邂逅させ、神の目のルビーの持ち主として認めさせるため、力を貸してくれた「彼」がブラッドの身体を借りて現れたんだ。


祈り……届いたよ……!!


私のまなじりからあふれる涙を、「彼」はそっと指先で拭った。


「……よう、久しぶり。よくがんばったな。相変わらずのがんばりすぎで、ひやひやしたぜ。……今、治してやるからな。……心拍同調(しんぱくどうちょう)……!!」


「彼」が瞼を閉じ、呟くと、私の体全体がどくんっと脈動した。


この感覚は……そうだ……ブラッドがはじめて「血の贖い」を発動したときと同じだ。

ブラッドと私がひとつに溶け合ったような、切なく、ちょっぴり気恥ずかしいあのぬくもり……。

まるで止まっていた心臓が再び動きだすような……。


私……すっごく、どきどきしてる……? 

これって心が高鳴ってるの……? 

まるで愛する人の腕の中に抱かれてるみたい……。


「……ぐごばあッ……!!!」


私は、アディスもびっくりの濁声をあげ、海老のようにはねあがって蘇生した。


高鳴っていたのは心ではなく、胸だった。

本当に心臓が鼓動しはじめたのだ。

肺が空気を貪ろうと暴走気味に膨らみ、過剰摂取で私は激しく咳き込んだ。


「……あわてんなって。はい、息を吸って吐いて。ひっひっ、ふー。ひっひっ、ふー」


「彼」が私の背中をさすりながら、安定した呼吸をうながす。


こら、私は妊婦さんかっての。

とと、まずは以前のことも含めて礼を言わなきゃ。レディの心得よ。


「あ、ありがちょう。ガルム戦のときと今回、二回も助けていただき、心から感謝いたちます」


蘇生したばっかりで、舌がまわりきらぬッ!! かっこ悪う!!


「彼」は破顔し、私の髪を軽くくしゃっとかき回した。


太陽みたいなその笑顔は、体の持ち主のブラッドとそっくりだった。


「おう、どういたしまして。俺を憶えててくれて嬉しいぜ。もっと早く助けるつもりだったが、とっくに失神してるはずのこの……坊やがずいぶん粘ったんでな。よっぽどおまえさんを助けたかったんだろう。出てくるのが遅くなっちまった。ごめんな」


「……あの……ブリャッドは……」


「彼」の言葉に私ははっとし、あわてて問いかけた。

舌足らずになっているのを気にしている場合ではなかった。

ブラッドは私をかばい、アディスの〝心臓止め〟を何度も喰らった。


もしかして……!!


氷を全身にぶちこまれたように悪寒が止まらなくなった私の背を、「彼」は安心させるようにぽんと叩いた。ふわっとあったかさが広がる。


「……心配すんな。この坊やは〈治外(ちがい)(たみ)〉の宗家だからな。最低限のダメージになるよう血流を自分でコントロールしていた。おかげで死んでたわりには、治すのはたやすかったよ」


……いや、いろいろおかしいでしょ。今の発言!?


そもそも〝心臓止め〟は、一度決まると蘇生不能な必殺技だったはず。

だって、文字通り心臓を強制停止させてしまうんだもの。

だからブラッドだって滅多に使わなかったのに。

なのに、なんで「彼」は気軽にぽんぽんそれを治せるの!?


でたらめな光景を目撃し、ファンダズマの目玉が飛び出しそうになっていた。

岩のような巨体をおののかせ、呻く。


「……馬鹿な。死者をよみがえらせただと……それにその強さ……人の域ではない……!! おまえが、祖霊が告げた大戦士か。……神か悪魔か」


「……神? 悪魔? そんなもん大層なもんじゃねぇよ」


「彼」は苦笑した。


「俺は、惚れた女一人守れなかった最低のくずさ。あいつは独りぼっちで頑張ってたのに、気づいてさえやれなかった。後悔してもしきれねぇ……!! いくら謝っても、償いきれねえ……」


それまでの明るさとはうってかわった苦悶の表情を「彼」は浮かべた。

その女の人のことを思い出したのだろう。まなじりに光るものがあった。

私は手を伸ばし、指先でそれを拭った。なぜかそうしなければいけない気がした。


「……なにかやむを得ない事情があったんでちょ? だって、あなたは悪い人に見えないもの。その彼女さんもきっと恨んでにゃいと思うよ」


「彼」は驚いて目を見開き、そして泣き笑いのような顔をした。


「……その言い方、あいつそっくりだよ。ありがとうな」


そ、そう? いい女の言動はやっぱり万国共通ってことかしら。

あっ、こら!! 頭をなでなでするな!! 子供扱いしないで!!


「……ンハハハーッ!! 認めなイ!! これは何かの間違いダ!! 幻覚の類で小生を欺いた!! そうに決まってル!!」


よろめきながら立ち上がったアディスが喚きたてた。

ほんっと、こいつ、しつこいな!!

悪態をつこうとした私は、アディスの様子を見て息をのんだ。


さっきまでの不死身の強さが嘘のように、白い礼服はぼろぼろになり、破けた蝶の羽のようだし、全身血まみれで、膝ががくがく震えていた。事もなげに払っただけの「彼」の一撃がどれだけ脅威的だったか悟り、私は戦慄した。たしかに人の域の強さではない。


アディスの声にはいつもの嘲りはなく、恐怖でうわずり、裏返っていた。


「ンハッ!! 弱者の分際で!! 後悔シロ!! 今、化けの皮をはいでやるヨ!!」


虚勢を張っているのが丸わかりで、みじめだった。

だが、もっと哀れなことに、アディス本人はそれに気づかなかった。


「よせ!! アディス!! 頭を冷やせ!! 退くんだ!! わからんか!? 我々がかなう相手ではない!!」


ファンダズマが制止しようとしたが、常に自分の思い込みを相手に押しつけてきたアディスは、まったく聞く耳を持たなかった。


「ウルサイ!! 不快不快ッ!! 七妖衆(しちようしゅう)ともあろうものが!! あまりにもつまらん発言だヨ!! さっきまで死にかけていたメイド坊やに、この小生が負けるとでも言うのかネ!! ソンナハズがナイ!! コイツは、しつこいだけの虫けらだよヨ。何を怯える必要ガ……」


「……ああ、そうさ。俺は一番大切な女を手にかけちまった最低の虫けらだよ」


駄々っ子のようなアディスの叫びは、「彼」の一言で断ち切られた。

静かな口調なのに、場を、ずんと支配する威厳があった。

アディスとはまったく格が違う。


「だけどな。自分より弱い相手にしかいきれないお前は、その虫けら以下だ。喚いてないで早くかかってこい。頭で理解できないなら、体でわからせてやる」


「彼」らしくもない挑発だったが、私の頭にぽんと手を置いて、離れて歩き出したことで、「彼」の意図がわかった。私を巻き込まないため、アディスの憎しみをすべて引き受ける気なんだ。


「……それとも俺が怖すぎて足がすくむか。だったら、俺は一回だけしか拳をふるわない。どうだ、この条件でもまだ向かってくる勇気がわかないか。……ふん、やっとやる気になったか」


うわぁ……あおる、あおる。


その狙いどおり、アディスはすさまじい殺気を「彼」に叩きつけていた。

もはや私など眼中にない。なのに「彼」は、殺気を柳に風と受け流していた。


「……しかし、なんつー格好だ。まあ、体は鍛えちゃいるみたいだが……」


「彼」はメイド服のスカートの両端をつまみ、ぱたぱた振って嘆息した。


「頭にリボンまで……。元の俺の姿だったら自殺もんだぞ」


「……ンハハーッ!! だったら、今死ネ!!」


アディスはかろうじて残ったぬいぐるみ二つを、服から一気にはぎ取った。

犬と猫のぬいぐるみの怪異な顔がゆがむ。ぶちぶちとねじ切られ、綿が撒き散らされる。

内臓している暗器の類を取り出したんだ!! 


「殺ス!! もはや赤髪の姫様などドウでもイイヨ!! コノ侮辱、絶対に許さナイ!!」


たぶん例の〝幽幻(ゆうげん)〟で、見えない攻撃にして使ってくるはず!!


「……気をつけて!! そのぬいぐるみの中に武器が……!! ……!?」


注意をうながそうとした私は凍りついた。

突然、私の視界いっぱいに、迫りくる無数の投げナイフと風切り音が広がった。

アディスがにやりと仮面の下で不気味に嗤ったのが見えた気がした。


……しまった!! 嵌められた!! 

〝幽幻〟で攻撃を仕掛けられたのは私のほうだ。

アディスの奴、激昂したふりをして、「彼」が私から離れるのを待っていたんだ!!

近すぎる!! もう……回避できない!! 


「……ンハハーッ!! ザマミロ!! 小生を甘く見たことを後悔し……ぐぉおオオッ!?」


勝ち誇ろうとしたアディスはぶざまに悲鳴をあげた。

自分に何が起きたかもわからなかったろう。

離れていた私だって何一つ見えなかったのだから。

ただ後から、多分こうだったと推論できただけだ。


「彼」はアディスの懐に飛び込み、奴の首を引っ掴んだ。

そのまま超高速で移動し、投げナイフの前に回り込み、アディスを盾のように振りかざした。

アディスは自分が投げた刃物を、自分の背中で受け止めることになった。

どすどすっと胸の悪くなる鈍い音が連続し、アディスの体がはねた。


「……ど素人め、その程度にしか〝幽幻〟を使えないのか。いいか、よく憶えておけ。隠形技〝幽幻〟と踏み込み技〝刹那(せつな)〟を同時発動すると、こういう超加速だって可能に……おい、人が教えてやってるんだ。のんきに戦い中に寝るなよ」


片手で軽々とアディスを吊り上げたまま、「彼」はアディスを揺さぶった。


いや、それ、どう見ても気絶ですけど……!!


傍から見ると、小柄なメイド服の少女が、長身の仮面の怪人を風船みたいに持ち上げている異様な光景だ。アディスのふざけた白い礼服と相まって、奇術にしか思えない。

アディスはぐったりしたまま返事をしなかった。


当り前だ。あんなでたらめな急加速に巻き込まれ、人間の体が耐えられるわけがない。

全身の血管があちこち破裂したはずだ。脳や内臓に障害を負っても不思議はない。

下手をすると背中に刺さった無数のナイフよりもそちらのダメージのほうが深刻かもしれない。


「しょうがない奴だな。おい、起きろって。まだ俺はなにもしてないぞ」


「彼」はアディスに気つけ代わりのデコピンをはじめた。

ぼすぼすっと音をたて、ひとさし指が仮面に穴を開ける。


私は震え上がった。

普通じゃなさすぎた。仮面にひびさえ入らないのだ。

ただ穴だけが穿たれていく。

たぶん指先に威力が集中しすぎていて、素材を一気にぶち抜いてしまうのだろう。


そして私はさらに恐ろしいことに気づき、愕然とした。


「彼」は黒瞳のままだ。


つまり身体強化技の「血の(あがな)い」を発動していない。

なのに、この強さ!? あなた、出演するところ、間違えてませんか!? 

ここはジャンル異世界恋愛よ。

この作品は端っこにかろうじてぶら下がっているだけだけどね!!。


穴ぼこチーズになる寸前で、幸か不幸かアディスは息を吹き返した。


「彼」は赤いリボンを揺らして愛嬌たっぷりににっこり笑った。


「よかった。気がついたか。今から約束通り、おまえを一発だけ殴る。まあ、その、なんだ。手加減はするが、死なないように気をつけろ」


えぐすぎる・……。

言葉の意味を理解し、アディスはひきつった悲鳴をあげ、手足を振り回した。

今度は演技ではなかった。死神の大鎌に首を引っかけられてる気がしたろう。

命の危険を本能が察知し、半狂乱になっていた。


毛むくじゃらの奇怪な腕四本がむくむくと背中から生えた。

恐怖とダメージで〝幽幻〟が保てなくなり、実体を現したんだ。

その長い猿臂は、人間の手よりも猿を思わせた。剛毛の蜘蛛みたいだ。

おそろしい力を秘めていると一目でわかる凶悪な形状だ。

あの腕一本でアディスは自分の体重くらい苦もなく持ち上げられるのだろう。

あんなものを見えなくして振り回せるんじゃ、変幻自在の動きも、こちらが翻弄されるのも当然だ。


だが、アディス自慢の怪力も、命の危機に発動するという尾も、今はまったく無意味だった。

必死の抵抗はすべて空を切るだけだった。


「彼」は規格外すぎた。

攻撃はすべていなされるか、「彼」の身体をすり抜けた。

喉を摑んでいる「彼」の手を振りほどくことさえ出来なかった。


「……馬鹿だな。〝幽幻〟は本来、接近戦でのはずし技だぞ。これでも化物女の次ぐらいには極めてるんだ。普通の殴る蹴るが、俺に通用するもんか。おまえはとっくに詰んでるんだよ。あきらめろ」


無慈悲な宣言に、ヒヒーッとアディスは泣き叫びながら、火がついたように暴れた。

プライドを打ち砕かれ、絶望で頭がおかしくなりかけていた。


絶対の自信を持っていた自分の強さが、「彼」の前ではゴミクズなみの価値しかないと思い知らされたのだ。全人生を否定されたに等しい。悪夢以外のなにものでもないだろう。命乞いをしなかったのだけが、せめて最後に残された矜持だ。


死刑寸前の罪人を見ているようで、私はだんだん気分が悪くなってきた。


「彼」も同様に感じたらしく、深いため息をついた。


「やれやれ、弱い者いじめなんかするもんじゃないな……。おい、いたぶられる者のみじめな気持ちがわかったか。上には上がいるということも。二度と忘れないよう恐怖を骨の髄まで叩きこめ」


ぱっと「彼」はアディスから手を離した。


「……じゃあ行くぞ。死なないように覚悟しろ」


だんっと「彼」が一歩だけ前に踏み込んだ。


その攻撃は風というより光だった。

アディスは反応さえできなかった。

アディスの背後の森が揺れた。

まっくろなレーザーが走り抜けたようだった。

いや不可視のドリルといったほうが正しいかも知れない。

突き出した拳の先の空間がゆらりと歪み、間髪置かず、ぼしゅうっと一直線に森が貫かれた。

人間の胴ほどの穴が、樹々の幹に次々に、冗談みたいに穿たれていく。

止まらない……!!


あの……終着点はどこですか? ずーっと向こうの樹の幹まで抉られてるんですが。


「……武神……!!」


ファンダズマが地面についた両膝を、砕けんばかりに握りしめ、肩を震わせた。


たしかに人間の成せる技ではなかった。

世界最強といわれた「108回」のブラッドでさえ、足元にも及ばないだろう。

「彼」っていったい何者なの!?


私達の驚きをよそに、「彼」はあくまで涼やかに夜風にメイド服をなびかせていた。


「……本気になった俺の拳は、空気や物体を伝わり、はるか彼方の物まで貫通する。〝伝導(でんどう)〟って言うんだ。冥途の土産によく覚えておけ。……メイド服なだけに」


いろいろ台無しにする駄洒落に私はがくりとなった。


「彼」の拳威は、その拳の延長線上の空間を突き進み、遮る物を粉砕する。

そんな怪物じみた技は、女王時代にも聞いたことがない。

まさに神のごとき強さだ。

なのに、そのキャラは、まるで今の少年ブラッドが、そのまんま大人になったようだった。


「……ま、殺しちゃいないけどな」


「彼」はアディスに拳を当てなかった。

ぶつかる寸前でわずかに横にはずしたのだ。

だが、アディスは、その桁外れな拳威を全身全霊で体感してしまった。

自分は死んだと確信した。

失神して泡をふいて地面にぶっ倒れていた。

黒々とした影が身体の下に広がる。異臭がした。失禁だ。


「わりぃな。スカーレット。おまえをひどい目にあわせた奴だけど、さすがにこれ以上はな。殺したほうがよかったか?」


語りかける「彼」の言葉に私はかぶりを振った。


私も「彼」の気持はよくわかる。これ以上やると虐殺だ。

自分達の正義で断罪をする人間は、いずれ魔道に堕ちる。

女王時代に私が嫌というほど体験したことだ。


「ううん、殺さずにいてくれてよかった。それに虫けらと蔑んだ私たちの前で、醜態をさらしたんだもの。プライドが高いアディスにとっては死ぬよりつらいでちょう」


最後に舌が回りきらなかった私に、「彼」は吹き出した。


わああん!! まだ蘇生の後遺症が!! 数少ない私の決めシーンが!!


「……おまえなら、きっとそう言ってくれると思ってたよ」


両手で頭を抱えて懊悩する私に、「彼」は笑いかけた。

青空の下のひまわりのように素敵な笑顔だった。

神の目のルビーが瞳を見開いたまま光る。

私はなぜか、きゅうんっと胸が締めつけられた。

恥ずかしそうにほほえむアンノ子ちゃんの幻が、一瞬見えた気がした。


……罪を憎んで人を憎まず。

これでいいんだよね、アンノ子ちゃん。

憎しみあうのは女王時代でもうたくさん。

これからは私は、愛の人として生きるの。


それにこれからは鬼強い「彼」も戦力に加わったし。

アディスなんて怖くもなんともないのだ。

ぶっちめて洗いざらい背後関係を吐かせてやるのだ。


「……あ、言い忘れてたけど、俺、いつでも出てこれるわけじゃないから。出現するだけでだいぶパワーみたいなの使っちまうんだよな。次に出られるのは、一年後か、二年後か……。今だっていつまでこいつの身体に留まれるか……」


まじですか……!!


私のハッピーライフ計画は、わずか2分で終わりを告げた。


「……よち!! アディスを半殺しにしまちょう。再起不能の一歩手前ぐらいに」


私は緊急提案をした。

愛の人なんて、のんきにやってられるか。

人生は波瀾万丈!! 対応は臨機応変よ!!

「彼」という無敵戦力なしで、こんな危険な変態、そのまま放置できるか!!

世のため人のため私のために、足腰立たなくしておかねば……!!


私の夢のひきこもり生活の安定のため、死んでもらう……まではいかないけど、夜中一人でトイレに行けなくなるくらいの恐怖を味わってもらわなきゃね!!

二度と私を狙う気なんてなくなるくらいに!!

できたら記憶が飛んで、私のこと忘れるくらいに!!


「……おまえ、さっきと言うことが180度違ってるぞ」


「彼」が呆れ、心の中でアンノ子ちゃんががっくりしてるけど、これでいいの!!

だって人間と船舶は、針路変更がつきものじゃない!?

それに女は思いきりが肝心よ。

……ということで、悪逆女王、上等よ!? 夜露死苦ゥ!!

私はヤンキー座りをし、荒ぶる決意を表明した。

股間接やわらか幼女は、この姿勢が大得意なのです。 

お読みいただきありがとうございます!!


コミカライズ第2話目が、11月5日の11時より無料公開開始です!!

メイドっ娘ブラッドが、アクションシーンを魅せてくれますよー。

そしてお花畑アリサも登場です!! かわいい!! ……しかし……!! 


コミカライズのほうから来ていただいた方、作画の鳥生ちのり様が、ツイッターをされています。

漫画の応援コメントをぜひぜひ、そちらに!!

https://twitter.com/12_tori


なお、悪口コメントは、なまくらのほうに。

あまりに悪意に満ちてると思ったら削除しますけど(笑)

お待ちしております。

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― 新着の感想 ―
[一言] アディス、超嫌なやつですけど、流石に可哀想ですね・・ そして”彼”の強さ、神格・・・・! この強さに勝てるなんて、アリサ、やっぱり化け物です! 怖い!!
[一言] 人前でへをこく描写が書かれ、へをこいて人生変わるヒロイン兼主人公(自称宝石(笑))とかなろうどころか、ラノベ&一般文芸合わせてもいないよw
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