思わぬ結末
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ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
アリサは一人、尖塔の上に座り、夜風に金髪をなびかせていた。
少年はすでに姿を消していた。
アリサの体中からチキチキと音がしだす。
アリサのブルーのドレスの肩口のケープの隙間、襟元、ハイウエストのスカートの裾、いたるところから、何十もの金色の金属色の甲虫たちが這い出して来る。
黄金のブローチにしか見えないが、小刻みに噛み合わされる大きく鋭い牙が、獰猛な生命体であると主張していた。アリサが飼っている黄金蟲どもだ。
「あら、我慢しきれなかったの? ごめんなさいね、今日はまだ死体はないのよ」
アリサは愛おしげに蟲達を指先でくすぐる。
くすくすと可愛らしい花のような笑みを漏らす。
「……それにしても、さっきのあの子の顔ったら……傑作だったわね」
スカーレット達を襲撃させた本当の狙いは、七妖衆へ強さの試練を与えるためだと教えられ、呆然としていた少年の顔を思い出したのだ。
まさか七妖衆達がわが試されるとは、予想もしてなかったのだろう。
「……あの子達は、まだ私の求めるものを正しく理解していない。七妖衆はたしかに強いわ。でもね、強さは私一人で事足りるの。称賛もいらないわ。私は自分の評価を他人に委ねる気などない。絶対の忠誠も不要よ。おのれが正しいと揺るぎない信念があるのなら、私と袂を分かってもかまわない。私が真に欲しいのは、運命にさえ屈しない……、意志の力で奇跡を起こせるような人間……。そう、『真の歴史』のときのスカーレットのような」
アリサは両手を空に向かって伸ばし、語りかける。
「ああ、愛しくて憎らしいスカーレット。思えば、『真の歴史』の貴女ほど、私の心に近い存在はなかった。あれから、幾千幾万のループの夜を越えてきたけど……。あなたへの想いは狂おしく、強くとどまることを知らないの」
感極まったように両腕で自らを抱きしめる。
その小さな体では膨らむ気持ちを抑えきれないというふうに。
ぶんっとアリサの幼女姿が霞むと、見事なプロポーションの美しい令嬢に姿を変える。
〈治外の民〉の血を使った幻覚技、血桜胡蝶の応用だ。
だが、こんな応用を〈治外の民〉でさえ誰も知らない。いや、出来ない。
この域に到達したものがアリサ以外にいないからだ。
異能というべき天才が、ループの膨大な時を費やしてはじめて成せた業だ。
アリサの本当の肉体はいまだ幼女であり、技を維持する血液量は不足しているが、彼女には黄金蟲たちがつき従っている。蟲達がサポートすることで今のアリサでも十分に技を使いこなせる。
黄金蟲は幻覚を見せ、獣を崖から墜落死させるなどして、その死肉を喰らう甲虫だ。
黄金蟲達はアリサに力を貸し、アリサは蟲達に犠牲者の肉を提供する。
彼らは共生の関係にある。
「……ああ、スカーレット。私と貴女は運命の双子星よ。『108回』のループを経て、私は貴女に、貴女は私に、より近い存在になったわ。でも、まだ足りない……まだよ、まだ。もっと、もっと……。ふふ、ルビーの中の『彼』にも邪魔はさせない。『彼』は強い。今の幼い私になら勝てるかもしれない。だから、七妖衆をぶつけ、その少ない顕現時間を削り取ってあげる。せいぜい楽しくダンスするといいわ」
アリサは呟くと、軽やかにステップを踏むように、とんっと屋根から虚空に躍り出た。
「恋敵さん、あなたは素敵だけれど、今夜の舞踏会には招かれざる客なのよ」
ひゅうんっと吸い込まれるように落下する中、アリサは金髪を押さえ、えへらと嗤った。
「……未来が見えるというのは、存外つまらないものだわ」
ごおおっと大気が鳴った。
突風が窓を震動させ、夜の梢を激しくざわつかせる。
時ならぬ風に身をまかせ、アリサは何事もなかったかのように、ふわりと芝生の上に着地した。
衣類の乱れひとつなかった。
すっとスカートの両端をつまみ、淑女の礼を取る。
目撃者がいたとしても、到底信じられなかったろう。
もちろんアリサの技をもってすれば、この程度の高さは問題ではない。
真に恐るべきは、アリサは予知のみで今の離れ業をやってのけたということだ。
アリサはいつの間にか幼女の姿に戻り、やせ細った月を仰ぎ見る。
再び、さっきまで傍らにいた少年を思い出す。
「いくら七妖衆でも今はひよこ。『彼』には完膚なきまで打ちのめされる。だけど、裂神のアゲロス……あなたの拳なら、一糸報いることが出来るかもしれない。絶え間ない死の恐怖の中、それでもあきらめず最強を追い求めた拳。明日をも知れぬ病人が見る夢ではないと、他人は笑うでしょう」
アリサは少年の名を呼び、片手をさし上げる。
「けれど、天空の月を摑もうとするその拳こそが、運命に抗う人の意志。人の業。ならば、この私が行く末を見届けてあげる。たとえ神が嘲笑ったとしても」
アリサの口元の笑みは邪悪な三日月を描いていたが、冷たい眼差しは月明かりのせいか、ほんの少し期待しているように見えた。
「……だから、私に証明しなさい。たとえ一発放つだけで、息も絶え絶えになる哀れな拳でもいい。力も、速度も、技術も、才能さえも凌駕する一撃を、人の意志で創り出しなさい。……今夜の戦いの結果いかんによっては、あなたが最強に届く可能性も見えてくるわ」
◇
みなさん、こんばんは。
私、本編の主人公、スカーレット・ルビー・ノエル・リンガードと申します。
お見知りおきを。
あわただしい自己紹介でごめんなさい。
私達、今、戦闘の真っ最中なのです。
突然出現した七妖衆、幻影城のファンダズマを名乗る巨人めがけ、上空から再びアーノルドの六本の矢が襲いかかった。
「……ふっ……!!」
お母様も鋭く息を吐き、その攻撃に合わせる。
並外れた防御力の持ち主と踏み、変化なしの弓威中心の直線攻撃だ。
だが、先ほどと同じく、巨人が身震いしただけで、その背中に矢は弾き飛ばされた。
喉元を狙ったお母様の矢も同様だ。
なんの痛痒も感じず聳え立つ姿は、まさに難攻不落の城だった。
なんなの、あいつ!!
フルプレートの鎧を着ているわけじゃないんだよ!!
軽装の鎧に外套で、なんであんなことが可能なのよ!!
「……あの巨人は筋肉を震動させて、攻撃の芯をぶらしているんです!! 矢じゃ無理です!! せめて『雷爬』が使えれば、話は別なんですが……」
見抜いたセラフィの言葉に、お母様は無念そうに唇を噛みしめた。
風の境目を読んで矢を急加速させる、お母様の奥の手の「雷爬」。
威力もさることながら、発生する電気が相手を一時的に麻痺させてしまうハメ技だ。
だが、魔犬ガルムと渡り合ったあの弓技は、特殊な矢羽根とお母様の愛用の複合弓をもってして、はじめて成せる技だ。今この場では使えない。風読みのセラフィが横にいるだけにさぞ悔しいだろう。
「ブラッドの『心臓止め』もはじかれるでしょう。『無惨紅葉』はわかりませんが、黙って入れさせてくれる相手ではない。あいつの筋肉の震動を突破するには、おそらく単純な質量と力押しが有効なんですが、それは……」
セラフィの言わんとすることは、私にもわかった。
三頭の馬と武装した三人の騎士の重量が一点に集中するあの技なら……!!
「……あんた達!! いつまで呑気に寝てんのよ!! 女子供に戦わせるだけなんて、誇り高き王家親衛隊の名が泣くわよ!! あんた達の力が必要なの!! 今戦わないでいつ戦うっての!!」
私達が動くより早く、オカ魔女さんがちいさな体で走り回り、気絶している騎士たちを叱咤激励していた。七妖衆とやらと顔見知りなので、私達と同じ結論にいち早くたどり着いていたのだろう。
よく見ると、オカ魔女さんの袖からつる草が伸び、みんなの口の中になにかの液を注ぎ込んでいた。咳き込みながら失神からさめた騎士たちが身を起こす。気つけ薬を植物で作り出したのか。すごいな。効果覿面だ。あとで少し分けてもらおうかな。
「……うええっ……!! 口の中にう○この臭いが……」
騎士たちは涙目でふらふらと立ち上がった。
揃ってえずきそうになっていた。
「良薬は口に苦しよ。疲労回復の効果もある優れモノよ」
オカ魔女さんが自慢げに胸を張る。私達のほうをくるりと向いた。
「あなた達にも飲ませてあげようか?」
私とお母様、ブラッドとセラフィはあわててかぶりを振った。
……結構です!! そんなファンキーなもの、心からご遠慮いたします。
馬たちが待ちかねたように騎士たちに寄り添う。
嬉しそうにその頬をなで、王家親衛隊のみんなはひらりとその背にまたがり、馬上の人となった。失神からさめたばかりでしかも鎧を着たままなのに、たいしたものだ。再び眼光鋭く槍をかまえた。さすが王国最精鋭。決めるところは、びしっと決める。口臭以外は……。
「……みなさん、バイザーをおろしてください。先ほどあなた方を馬から叩き落としたのは、無貌のアディスの殴打です。奴は自分の攻撃を見えなく出来るんです。だけど真に危険なのは拳だけです。腕の長さの間合いにだけは絶対に入らないで!! それ以外の武器の攻撃は……親衛隊の胴甲なら耐えられます」
セラフィの言ったのは、致命傷は負わないということだ。
不可視の鞭や投げナイフが襲い掛かってくるのに変わりはない。
セラフィはわかってそう口にした。
王家親衛隊も理解している。
そのうえでなお怯む者はここにはいない。
ただ槍をランスレストに固定するかちゃりという音がし、そしてウォークライが地面を揺るがす。
七妖衆なにするものぞという熱気だけが膨れ上がる。
「……ちくしょう、盛り上がってんな。うちの連中も、負けずにいっちょ……」
とブラッドが期待をこめて振り返るが、
「……〈治外の民〉のほうはダメね!! 当分目をさまさないわ」
その傍にしゃがんでいたオカ魔女さんに断言され、がっくりと肩を落とす。
「おまえらなぁ……」
文句を言いかけるが、〈治外の民〉の口にオカ魔女さんのつる草が入りこみ、ごぽっごぽっと口元から暗褐色の液がこぼれているのを見て、さあっと青ざめた。
「さっきの王家親衛隊のみんなを目覚めさせたものの、倍の濃縮液を飲ませたんだけど……。〈治外の民〉は殴られただけでなく、アディスの技をまともに喰らってたものね……。思いきって三倍、いってみようかしら」
オカ魔女さんが首を傾げる。
さっき身をもって気つけ薬の恐怖を味わった王家親衛隊が、馬上で総毛立つのがわかった。
三倍……アレの三倍……!? 戦艦を沈めるぐらい威力がありそう……。
「しなくていいから!! そのうち目が覚めると思うし!!」
仲間思いのブラッドがあわて止めなければ、オカ魔女さんは名状しがたく強化した液体を、気絶した〈治外の民〉たちの口腔内に迷わず注入していた。
「……かすかな反応はしてるのよお。あと少しの刺激で目覚めると思うんだけどお」
いや……みんな、なんか身体、痙攣してるんですけど!?
むしろ刺激が過剰すぎたんじゃ!?
残念そうなオカ魔女さんの様子が、誰かにかぶると思ったら、そうだ。ソロモンだ。
「108回」で私を殺したブラッドたち五人の勇士の一人、「大学者ソロモン」。
実験と称して、戦場の真っただ中で、火柱立てたり、変な兵器で城攻めしてきたりとか……あのノリにそっくりなんだ。
善人なのに、オカ魔女さんもマッドサイエンティスト系かあっ!!
「ンハハーッ!! 我々二人を前に、ヤル気満々ダヨ!? ワラける!! 凡愚ドモはさっさとヤラレレバいいのにネ!! 小生、一人にもてんで歯が立たなかったのにネ!! テンポが悪い泥沼展開は、スマートな小生をイライラさせるヨ!! ここは、小生にまかせたまえヨ。あーいうしつこい虫けらたちを、ぷちっとぶっ潰してヤリタイ、今日この頃なのダヨ!!」
無貌のアディスは、相変わらずの嫌な奴っぷりを発揮しているが、幻影城のファンダズマのほうは彫りの深い顔を不快げにしかめた。
「……口を慎め、アディス。戦士ならば足掻くのは当然だ。おまえの基準ですべてを語ろうとするな。それに俺の祖霊たちが警告している。おまえの驕りが、眠れる大戦士を怒らせ、この場に降臨させるかもと……。その大戦士は強く、速く、その拳を防ぐことは何者にもかなわぬとな」
……大戦士?
言っている意味はよくわからないが、ファンダズマって巨人は、熊みたいな威容にかかわらず常識人のようだ。
……でも、あいつら言い争ってるよ。
今なら、もしかして逃げられるんじゃない?
抜き足差し足でそろーっと後退しようとした私を、あわててセラフィが抱きかかえてバックステップした。
「駄目ですよ!! あいつ、こっちにナイフをいつでも投げられるように構えてるんです」
私の顔があった位置を、また投げナイフが突如現れ、通過した。
ひええ、アディスの奴、見えないから油断してたのに、しっかり狙いつけてたのか!!
しかも腹立つことに、何事もなかったように会話を続けてる!!
「また例の祖霊の囁きカイ? 小生は、弱肉強食の明快なルールに則っているだけだヨ!! 弱い者に権利はない。いたぶられて当然!! 獣だってみんな知ってる真実サ!!」
「……獣はいたぶる自分を得意げにひけらかさん。それはただの自己顕示欲だ。他人の優位に立たぬと安心できぬ、人間の醜い弱さだ。真の強者ならば、強さを隠せ。あの裂神のアゲロスのように……」
「ンハッ!! 小生はポケットの中に隠し事はしない主義なのサ!! それにアゲロス!! あの死にかけカネ!! おまえといい、主といい、なぜあんな男を評価するか理解に苦しむネ!? もうイイ。とっととこの連中を片付けるヨ」
アディスは苛立ったように歩き出した。
「強くしたたかに、それ以外に戦士に必要なものがあるカネ。マサカ下らない優しさとか言いやしまいナ。つまらない!! つまらないネ!! 聞き飛ばしたいヨ!! 七妖衆ともあろうものガ……」
狂ったように喚きだしたアディスを見て、巨人ファンタズマはため息をついた。
「……わかった。もう何も言わん」
駄々っ子を持て余す面倒見のいいおじさんといった感じだ。
うん、「108回」の令嬢時代の私とアリサの関係を思い出す。なんか親近感わくわ。
「俺が騎士達の突撃と山なり射撃を相手する。おまえは他の連中をやれ。……さあ、来い。音に聞こえたハイドランジア王家親衛隊のトライデントを見せてみろ」
「ンハッ!! 話がわかるネ!!」
アディスの仮面の下でじゅるりと舌なめずりする音がし、私は震え上がった。
ってちょっと!?私もファンダズマのおじ様相手がいいです!!
あんなアブノーマルな性癖の奴にロックオンされたくないよ!!
ねえ、 王家親衛隊のみんな!!
みんなからもひとこと言ってやってくださいな!!
「……王家親衛隊!! トライデント、突貫!! 目標、幻影城のファンダズマ!!」
「敵さんからの有難いリクエストだ!! ぶざまは見せるなよ!!」
私の心の叫びもむなしく、王家親衛隊は三騎一組のトライデントで、ファンダズマめがけ、馬を走らせていた。ファンダズマの誘いが、彼らの騎士道の琴線に訴えかけたのだろう。全員ものの見事にアディスを無視し、巨人に殺到する。
ちょっと、みんな!! 勝手に盛り上がるな。
変態のもとに私を置いてかないで!!
「……いけないなア。他の男に見惚れるのハ!? 姫様は、小生だけを見タマエヨ!? その恐怖の表情を、永遠に小生の瞳に焼きつけタイ、今日この頃ナノサ!!」
無貌のアディスだ!!
蛙飛びをするように屈伸運動をしている。
あほみたいに燕尾の長い礼服のせいで、まるでいかれた童話の擬人化された動物キャラのようだ。
「……時間がない。アディスの正体を説明します。よく聞いてください」
セラフィが緊張した面持ちで私達に話しかける。
「あいつは〝幽幻〟で四本の腕を隠しています。つまり、あいつの腕は計六本。その上半身は強靭無比。だから、同時包囲攻撃の『蛇がらみ』の矢さえ掴み取れたんです」
予想外のアディスの正体に、私達は一瞬あっけにとられた。
六本腕の怪物って、この物語、そういうのアリなの?
セラフィにからかわれているのかと思ったが、彼はあくまで真剣だった。
「だが、それは奴の弱点でもあるんです。腕が邪魔になり、足元に死角が多い。そして六本腕の上半身に比べ、二本足しかない下半身が弱い。瞬間的にしか速く走れないんです。その弱点をつけば」
「……なるほどね、だから、さっきアディスは、私を抱えたブラッドに追いつけなかったんだ」
常識ではありえない姿としても、かえって私は腑に落ちた。
お母様の矢に阻まれたように見えたが、あいつはハンデつきのブラッドに結局届いていなかった。
セラフィが執拗にアディスの足元をお母様に弓矢攻撃させた理由もわかった。
「ンハハハーッ!! もうイイかい!? 正解で不正解だヨ!! ……さっきの鬼ごっこ、小生はそろそろ本気を出さねばと言ったよネ。ピンポンパンポン、ナンチャツテ。刮目セヨ!! これが、その本気だヨ!!」
アディスが例のトップハットを片手で押さえるポーズで、ぼんぼんぼんっと急接近してくる!!
しかも稲妻のようにランダムのジグザグを描きながらだ。
「……ちっ!? 速すぎる!!」
お母様もぼうっと見ていたわけではない。
アディスとファンダズマが会話している間に、足元に大量の矢を突き立て、それを使って目にもとまらぬ連射で応戦している。だけど、あんな動きをされたら、矢を放ったときには、すでに狙ったところとまったく違う位置に移動される。
いや、それだけなら、お母様は神がかった勘で当てるかもしれない。だが、神速と高速の緩急まで組み合わされたら、もはや予測しようがない。あいつ、走るの苦手じゃなかったの!?
アディスの苦手な足元から跳ね上がる矢も、奴を追えないのではまったく無意味だ。
「……『刹那』の連続使用かよ!! どんだけ化物なんだ。オレでも4連続ぐらいが限度だぞ……!!」
ブラッドが驚愕するが、さらに戦慄したのはセラフィのほうだった。
がりっと親指を噛む。
「『刹那』は瞬間的に術者を加速させる。それを連発できるとなると……!! ……まずいぞ。これじゃ、奴の機動力の弱点が……!!」
「……そう、根底から覆っちゃうのデ~ス。ひ弱な船長服の坊や。六臂二脚では鈍足だろうと希望を繋いでいたのだろウ? バランスが悪そうと思っていたろウ。ンハッ!! その弱点を補うため、「刹那」は徹底的に鍛え上げてあるのサ」
迫りくるアディスが嘲笑う。
「……っこのっ……!!」
「ンハッ!! 無駄ダヨ」
オカ魔女さんのつる草とイバラのコンボを、アディスは反復横跳びするようにし、あっさりすり抜けた。
おかしくない!?
セラフィの話によると、腕が六本もあるアディスの体重の大部分は上半身に集中していることになる。足は普通に二本らしい。いくら「刹那」を使えるとはいえ、そんな不安定な重心で、ああも思うように動けるのだろうか。
……私はそのとき感じた違和感をもっと大事にすべきだった。
そうすれば、のちの最悪な事態は避けられたのだ。
だが、急迫するアディスを前に、ゆっくり推測する余裕など吹き飛んでいた。
「これが小生の本来の戦闘スタイルだヨ。『刹那』の連続による変幻自在の高速機動!! そしてこの六本の腕で殴りつけるのサ。単純ゆえに、うつ手はあるマイ? オヤオヤ、向こうも勝負がついたようだネ」
アディスがそう言って顎をしゃくる。
私達は信じがたい光景を見た。
巨人、幻影城のファンダズマにトライデントを仕掛けた王家親衛隊、彼らが感電したように硬直し、吹っ飛ばされていた。馬も人も声もなく地に薙ぎ倒される。ファンダズマを取り囲んだ12騎全員がだ。まるで爆風が吹き荒れたようだった。人馬の体重をのせての突撃が前提の、丈夫な馬上槍の柄が、半ばで折れ飛び、虚空に舞っていた。
「……三騎一組の妙技、トライデント。その四方向からの包囲攻撃、たっぷりと堪能させてもらった。これほど見事な騎馬の突撃の連携は見たことがない」
重々しく賞賛するファンダズマは、その場から一歩も動かず、そして無傷だった。
石像のように悠然と立っている。
ありえない。あの槍には馬のトップスピードも加わっていた。
王家親衛隊は互いの組の衝突事故も辞さない同時突撃を、ファンダズマの前後左右から敢行した。狂気の沙汰の大技だ。あれだけの威力にプレスされれば、人間の身体なんてぐちゃぐちゃになっても不思議はなかったはずだ。
「誇れ、おまえたちの技が素晴らしかったからこそ、跳ね返るパワーがそこまで増したのだ。まさに人馬一体。祖霊に感謝しよう。これほどの男達に巡り会わせてもらったことを」
私には何が起きたかまるでわからなかったが、ブラッドの鋭い目は一部始終をとらえていた。
「……信じられねえ。あのファンダズマって巨人、筋肉を震わせてトライデントの芯をぶらして、振動波に変えてみんなに叩きこみやがった……!! あいつは……相手の物理攻撃を全部、反射しちまえる達人なんだ……!!」
私は震え上がった。
相手の力を利用する合気道みたいなことを、接触した瞬間にやれてしまうってこと!?
手も足も使わずに!? それも振動波として跳ね返す!?
そんなん、どうやって倒せってのよ!!
アディスが高速移動する破城槌だとすると、ファンダズマは絶対打ち破れない城壁……!!
攻防サポートしあう最悪の組み合わせじゃないか……!!
「ンハッ!! 自分達がどれだけピンチかようやく理解したかネ!! デハ、ぷちっともぎたて生首ショーを始めるヨ!! 弱者のうっとうしい抵抗もこれで終わりダヨ!! 全・速・力!!」
アディスが極度の前傾姿勢になり、両手を広げる。拳がぎちぎちと握りしめられる。
あの速度で突っ込んで六本腕を振り回したら、高速回転する巨大な馬車の車輪と変わらない。
私の幼女ボディなど、人形のようにバラバラになるだろう。
「……まだだ!! 弱者のあがきを甘く見るなよ!!」
だが、奴が拳を唸らせるより早く、セラフィが懐に手を入れ、なにかを投擲した。
煙の尾をひいて飛ぶとボシュっと音をたて、白煙をまき散らした。
煙幕だ!!
忍者か、あんたは。
見る間に目の前がまっしろになる。
「……む? どこに行ったネ」
アディスは私達を見失ったが、私達もアディスがどこにいるかわからない。
というか、自分の位置さえ摑めないんですけど!? こんなん意味ないじゃん!!
「……大丈夫。この白煙の中でも、正確に敵をとらえる味方が、ボクたちの頭上にいる。煙幕を張れる風の凪ぎをずっと待っていたんです。ここで勝負をつけます……!!」
セラフィが小声でささやき、私の不安を払拭する。
私も彼の狙いを知った。
……私達を遠くから援護しているアーノルド。
彼の相棒にして視界を共有する白フクロウは、見通しの魔眼をもつ。
霧の中でも的確に相手の位置を把握できる。
アディスの動きをじっと観察しているはずだ。
私はきりりと鉄弓をひくアーノルドの姿を見た気がした。
まさか「108回」で何度も私を窮地に追い込んだあいつが、対アディス戦の決め手になるなんて!!
この白煙は、厄介な盾役のファンダズマも封じていた。
あいつはここと離れたところにいる。
まして飛来する矢やアディスの居場所も見えないのだ。
いかに奴が物理反射を持っていようとどうしようもない。
「盾役は間に合わない。今、おまえは孤立無援だ!! これが弱者の戦い方だ!! 落ちろ!! アディス!!」
ぎゅおんっと風切り音が天から降り注いだ。
きた!! アーノルドの鳥瞰射撃だ!!
いかに六本腕の怪物アディスといえど、視界が閉ざされた頭上からの、垂直落下に近いこの急襲!! ぜったいに防げない!!
私は勝利を確信した。
なのに、運命の神様はどこまでも残酷だった。
「……残念だったな。おまえ達はよくやった。最後の矢、俺もアディスも見ることはできなかった。だが、俺には祖霊がついているのだ。彼らが、矢がどこから来るか、俺に教えてくれた」
腹にずんっと響く声がした。
吹き返しの風が、煙幕をはらう。
ファンダズマの小山を思わす巨躯が目の前にあった。
盛り上がった背中で、矢が氷細工のように砕け散った。
どうして……!! セラフィは善戦したのに!!
距離だってあれだけ開いていたのに……!!
「……ンハハーッ!! またファンタズマお得意の祖霊の囁きかネ。そんなもんがイルとは小生には信じられヌがネ。とはいえ、助かったヨ。見たまえ、奴らの鳩が豆鉄砲を喰らったような顔ヲ!! ……ファンダズマばかりに格好つけられるのは癪だネ。小生もソロソロ決めたい今日コノ頃サ……!!」
巨人にかばわれ、無傷だったアディスの口調が殺気を帯びた。
ゆらりとこちらに足を踏み出すのを見て、万策尽きたセラフィが叫んだ。
「……ブラッド!! スカーレットさんを連れて逃げろ!! まだアーノルド達の援護射撃が生きてる!! 奴らと距離さえ稼げばなんとかなる!! ここは食い止めるから……!!」
「わかった!! 死ぬなよ!! ……スカチビ!! 舌を噛まないよう気ぃつけろよ!!」
セラフィと頷き合うとブラッドは躊躇いなく、私を小脇に抱きかかえ、背を向けて走り出した。
おい、こら!! 私、後ろ向きなんですけど!! それに……!!
「ちょっと!! みんなを置いていくの!? ひゃんっ!?」
食ってかかろうとした私を、ブラッドはぴしゃりとお尻を叩いて黙らせた。
「らしくないぞ。冷静になれよ。少なくてもアディスの狙いはおまえだ。逃げれば必ずこちらを追ってくる。アディスとファンダズマを組ませたままだと、全員仲良くお陀仏だ。みんなで生き残るため、ここは逃げるぞ」
私ははっとなった。二人のさっきの頷き合いはそういう意味か。
よし、わかった。頭は冷えた。私も協力するよ。
「……ブラッド。だったら私に手があるよ。ただ逃げるなんて嫌だ。アディスは私達を侮っている。だから、それを利用して、奴を……倒そう」
血流チートで私の考えを悟ったブラッドが呆れかえる。
「おまえ……マジでそれやる気か。相変わらず無茶苦茶だな。だが……乗った!!」
そう言ってくれると思ったよ!!
私は、ぎゅっと胸のルビーのペンダントを握りしめた。
作戦開始だ。まずは奴を……私に引きつける!!
刮目せよ!! アカデミー級の名演技を!!
「……え~ん、えん、追っかけられて怖いよ~。助けてよ~。ぴえんぴえん……ぽぎゃあっ!?」
アディスの嗜虐心を煽るため、怯える幼女を熱演した私のお尻を、再びブラッドが叩いた。
「わざとらしいよ。さすがにアディスにバレる。下手くそすぎ」
おのれ、乙女の可憐な桃尻を、まるでイヨーッの鼓みたいに何度も何度も……!!
私は涙目になり、ひりひりお尻をさすりながら遺憾の意を表明しようとしたそのとき。
「……ンハハッ―!! その哀れっぽい悲鳴!! そそるネ!? オー、ヨシヨシ、かわいそうに。小生が今迎えに行ってあげるヨ! 大丈夫!! 首と胴が泣き別れれバ、もう何も悩まなくて済むヨ?」
大丈夫なわけあるかあっ!!
だけど、あいつ、見事に誘導に引っかかったよ。
私、えらい。えへん。
「……そんなバカな」
ブラッドは頭を抱えたそうだった。
「……弓法『蛇腹』!! ブラッド!! 娘を頼みました!!」
「……アディス!! 〈森の民〉の司祭の名にかけて、ここは通さないわ!!」
あ、あれ? お母様とオカ魔女さんが、アディスを食い止めようと立ち塞がってるよ。
二人には、セラフィの本当の狙いは伝わってないのか。
だが、セラフィはそ知らぬ顔をしている。
あ、敵を騙すには味方からってやつか。
オカ魔女さんはともかく、お母様は腹芸苦手そうだもんな。
「……ここで足止めされると、またあの空からの矢につきまとわれながらの鬼ごっこダヨ。もういい加減、ウンザリだヨ!! つまらん、つまらんネ!! 凡愚どもの相手ハ!! ここは奥の手でとっとと抜け、さっさと終わらさせてもらうヨ!!」
私は目を疑った。
アディスが走りながら逆立ちしたように見えた。
ぐるんっと身体が回転する。
まるで等身大の透明なボールに入りこんだように、変則的な軌道を描く。
それも目まぐるしく縦横にだ。予測不能なんてもんじゃない奇怪な動きだった。
「ンッハハハーッ!!」
こんな不規則にバウンドするものをなんとか出来るはずがない。
地面のみならず、幹さえも横走りに走り抜け、呆然としているお母様とオカ魔女さんを、あっという間に抜き去った。
「な、なんなの……あれ……」
私の言葉に首を捻じ曲げたブラッドが目を見張る。
「あの野郎、たぶん六本の腕を足代わりに使ったんだ。あいつにとっちゃ、地面も樹も同じなんだ。まるで猿だな。ありゃ、足で走るより厄介だぞ」
つまり並外れた腕力のあいつは、蹴るかわりに掴むことでも、高速移動が可能ってことか。
うわっ!! びょんびょんと枝から枝に飛び移ってくる!!
「ブラッド!! あいつ、梢の中に消えたよ!! 上を取られた!!」
葉っぱの繁茂する中にとびこみ、縦横に飛び交って移動してくる。
なんであんな不安定で、障害物だらけの中、地上より早く動けるの?
ますます猿じみてきたよ!!
さすがの鳥瞰射撃のアーノルドも、あれじゃまともに射貫くことはムリだ!!
「……わかってる!! まずい!! あの野郎に追いつかれた!! 来るぞ!!」
「ジャジャーンっハハハーッ!! 頭上から失礼しっマース!!」
どばあっと盛大に小枝と葉をまき散らしながら、逆落としにアディスが降ってきた。
「……ひえっ……!!」
突然、目の前にアップになったのっぺりした仮面に、私は心臓が飛び上がりそうになり、淑女らしからぬ悲鳴をあげた。
「イッキナリ、脳みそパアンっ!!」
「……んなくそがっ!!」
アディスはブラッドの頭を左右から挟み潰そうとした。
辛うじて身を縮め、ブラッドは回避する。
ブラッドの頭の身代わりに、頭頂のリボンが焦げくさい匂いとともに散り散りになった。
縮めた勢いを利用し、ブラッドが空中で縦回転し、そのまま蹴りを放つ。
ちょっと!? 私、脇に抱えられたままなんですけど!?
あまりアクロバティックな動きは勘弁して!!
「め、目が回るんですけどおっ!!」
遠心力で脳が寄るッ!!
「ンハハッ!! いい勘してるゥ。メイドっ娘玩具にしては楽しめそうだネ」
アディスの腕はクロスしたまま嗤う。ゴッと鈍い音がした。
ブラッドが私ごとすごい勢いで吹っ飛ばされた。
アディスが〝幽幻〟で隠している四本の腕を使って殴ったのだ。
「……ちっ!! 見えない腕ってのは、ほんと厄介だな……!! 悪りぃ、スカチビ。本気で振り回すぞ。しっかり掴まってろ。そうしなきゃ、殺されちまう」
なんとか大きな枝に着地したブラッドが宣言する。
……ひえっ!! まじですか!?
うわっ、ブラッドの目が赤くなって、血煙がぶわっと立ち昇った。
身体強化技の「血の贖い」を発動したんだ。
これでブラッドの速度は爆発的に跳ね上がる。
これから私に待つのはジェットコースターなみの過酷な試練だ。
だけど女にだって意地がある。
みんなが命がけで私を守るために戦ってくれているんだ。
当事者の私が、命を張らないで誰が張るのか。
「ど、どんとこいよ!! 思いっきりやっちゃって!!」
ダンスで鍛え上げた三半規管の力、見せてあげるんだから!!
もし、熱いものがこみあげてきても、当方に迎撃の用意あり!!
呑み込む用意と覚悟は出来ています!!
「……ははっ、おまえ、やっぱり守り甲斐のあるいい女だよ。いつもの肝っ玉令嬢なとこ見せてくれよな」
「肝っ玉令嬢って、あんた、もうちょい言い方……。いい女の称号だけもらっときます」
ブラッドの朗らかな笑顔を見た私はなぜか急に気恥ずかしくなり、軽く悪態をついた。
というか、いい女と思ってくれるなら、せめて私のお尻ではなく顔を前にして、脇に抱きかかえてください。ブラッドは格好よくアディスと対峙しているのに、私だけお尻で喋ってるみたいになるじゃない。ヒロインとしてはなはだ遺憾なのです。
「ンハッ!! お姫様、わかったヨ!! どんと逝かせるヨ!! 思いっきり殺っちゃうヨ!!」
どんっと幹をしなるほど蹴り揺らし、アディスが飛びかかってきた。
ちょっと!? 誤解するな!! あんたみたいな変態に言ったんじゃないよ!?
逝かせるとか、殺っちゃうとか、私の台詞を好き勝手にアレンジするな!!
「……無駄だぜ!! こっちだ、アディス!! ……それは分身技、血桜胡蝶だ。そこにオレ達はもういない。このままアーノルドの矢が届くところに逃げさせてもらう」
飛びかかるアディスの後方空間にブラッドが出現し、叫ぶ。
樹の上にいたブラッドの姿がざあっと桜吹雪のように崩れ出す。
「ナルホド、樹の上にいるのは、分身の幻。だから本物のこっちを追っかけてこいよってかネ。ンハハーッ!! 嗤わせる!! 自分でわざわざばらすバカがいるモンカ!?」
アディスは白い礼服を揺らして嘲笑した。
「未熟未熟!! オムツも取れない坊やだネ!! オマエ、お姫様を抱えてないじゃないカネ!! お姫様はこの樹の上に残してきたネ?」
アディスが腕を振り上げた。
「分身の幻の中にお姫様を隠し、囮役の坊やに小生を引きつけたいんだロ? 穴だらけ作戦でワラけるネ!! 幻の中のルビーの輝きが隠せてないヨ!! お姫様はここにいるってバレバレだヨ!! 所詮、子供の浅知恵だネ!!」
轟音がして巨大な枝が拳で粉砕された。
「ンハハッ!! お姫様、墜落死決定ィ!! いや、もしかして殴り殺しちゃったカナ」
「……あら、どっちも御免被りましてよ。だって私はここにいますもの」
私はアディスに声をかけた。
颯爽とスカートの両端をつまみ、気品あるレディらしく……。
……は残念ながら無理だったが。
なぜなら私はアディスからは見えないよう、ブラッドの背中にヒルのように張り付いていたのだから。あまたの危機を乗り越えた乙女の握力舐めんなよ!!
「ンハッ!? バ、バカな!? あのルビーの輝きを見まがうはずガ……!?」
おっと、珍しくアディスが狼狽えている。あー、すっきりする。。
「当然よ。だって、そのルビーだけそこに置いてきたんだもの。おいで……!!」
私は片手を上に伸ばし、ルビーに呼びかけた。
神の目のルビーは私以外を所有者と認めない。
無理に私から奪おうとしても、ルビーに触れた者は呪われる。
だから誰もルビーに手が出せないのだ。
光蝙蝠族の霊と和解して以来、さすがに即死効果はなくなったが、麻痺の効果は健在だ。
そしてルビーは私から引き離されても、一定以上の距離があくと自動的に私の元に戻ってくる。
「……チェックメイト。子供の浅知恵も捨てたもんじゃないでしょ」
木片とともに落下していた神の目のルビーは、紅い光芒となって空を走った。
私の手の中に戻る前に、進行方向の妨げになるアディスを、ちっと掠めた。
まさかルビーがブーメランのように飛ぶなんて思いもしないアディスは、背後からのそれをかわせなかった。
「……ンガアッ!?」
間抜けな声をあげて全身を硬直させた。
呪いが発動した!!
高圧電流に感電したかのように、身動きとれないまま真っ逆さまに墜落していく。
悪逆女王を何度もやった私と悪知恵比べなんて、百年早いのよ!!
「チャンスよ!! ブラッド!! 私にかまわず全力でたたみかけて!!」
私はルビーのペンダントを首にかけ、両手でブラッドの背中にしがみついた。
さっきの私の会話と覚悟はこのときのために!!
血液チートで私の作戦を以心伝心したブラッドは、言葉なしで私に行動を合わせてくれたのだ。
「よくがんばった!! スカチビ!! 絶対にムダにはしない!! ここで……決める!!」
ブラッドが大木の幹を蹴り、落下するアディスの懐に飛び込む。
この機会を逃すともうアディスを倒すことはできない。
足場のない空中で遠心力を生かすため、ブラッドは竜巻のように回転した。肘うち、回し蹴り、フック、裏拳、多彩な回転技が怒涛のように叩きこまれる。
「……ゴッ!? がッ!? ぐオッ!?」
アディスはいつものへらず口もかませず、変な呻きを漏らし、びりびりと身体を震わせている。
私は吹き飛ばされないよう、無我夢中でブラッドの背中にしがみついていた。
「……ゴッ!?」
アディスが首をのけぞらせた。
振り回された私は半ば浮き上がっていた。
その両踵が、たまたまアディスのあごに綺麗に決まったのだ。
偶然の産物だけど、私は全力で乗っかることにした。
利用できるものはなんでも有効活用する主義なのです。。
「見たか!! 幼女なめんな!! ゴラアッ!!」
特に赤髪に紅い瞳、首にルビーをかけた三歳ぐらいの公爵令嬢はね!!
すかさず決め台詞……したんだけど……微妙……。
遠心力で脳みそまで吹っ飛びそうな環境なので、エスプリのきいていないどストレートな表現が精一杯でした。しかも舌噛まないよう、めっちゃ早口で。
ああ、くそっ、もっと言ってやりたかったあっ!!
私は再キックのチャンスを窺ったが、残念ながらアディスの背中が先に地面に到着してしまった。
「……プギュアッ……!!」
蛙が潰されたみたいな声をたて、アディスの身体がバウンドし、空中にはねあがる。
おのれ、しかたない。敗者に鞭うつのは趣味じゃない。
追撃を諦めざるをえなかった私の悔しさを察し、とどめの蹴りを放とうとしていたブラッドが、攻撃を切り替えた。
「……一緒にいくぞ!! スカチビ!! 拳をつくれ!!」
「……!! ……うん!!」
私はブラッドの背中で右拳を握りしめた。
「……せーのっ!!」
ブラッドと私の全体重と落下速度、そして回転力をのせたパンチが、アディスの仮面に炸裂した。
びしびしっと音がし、仮面の表面にひびが走り抜ける。
「……成敗よ!!」
私はブラッドの背で拳を突き出したまま、ふおおっと息を吐きだした。
もちろんポーズだけだ。
実際アディスを殴ったのはブラッドのみ。
私の幼女ハンドは残念ながら実戦向けではないのだ。
ブラッドの拳の勢いに押され、アディスは後頭部を地面で強打した。
今、ごって凄い音したよ!?
びくんっびくんって痙攣してるし。
饒舌なアディスが無言なのがまたなんとも。
あ、仮面の端からぶくぶく蟹みたいな泡が出てきた。
……えぐぅっ……。
「……こいつ、しつこいからなあ。あ、スカチビ。念のため、ルビーもう一回たのむ」
〈治外の民〉仕込みのブラッドは容赦なかった。
ブラッドの背中から下ろしてもらった私は、おそるおそるルビーをアディスに押しつけた。今まで二度もたて続けにルビーを他人に当てたことはない。倒れていたアディスが、気絶したまま、逆海老ぞりでびょんっと跳ね上がり、私は腰を抜かしそうになった。
こ、こわすぎる!!
糸が切れた操り人形みたいに落下する。
「ちょっとブラッド!? 今こいつ、変な角度で首から落ちなかった!?」
失神したうえ麻痺していては受け身なんて取れるはずがないのだ。
ぐしゃって擬音が見えた気がしたよ!?
「心配ないって。こいつ、あほみたいに丈夫そうだから。平気平気」
この男の娘メイド!! 爽やかな笑顔で、さらっと適当な保証するな!!
「……よし、とどめだ」
あんた、何回とどめ刺す気よ!!
恨みを晴らすためでも、恐怖の反動でもなく、ブラッドはただ事務的にアディスの喉仏を踏み潰した。感情的でないからなおさら怖い。水をも漏らさぬ念の入れ方だ。「108回」での黙々と暗殺業をこなす寡黙なブラッドを、久しぶりに思い出したよ。
「うーん、あとはちょっぴり血流いじって、しばらくは身動きできないようしとくか。手加減した『心臓止め』なら、こいつは死なないだろ」
まだ続くの!? ちょっぴりどころか、殺す寸前じゃないの!!
お薬追加します、のノリで、殺人技をぶっ放さないでください!!
とはいえ私にもわかる。ブラッドがこうまでするのは理由があるからだ。
私達はこのあと、ファンダズマと交戦中のお母様達の援護に向かう。
アディスに復活されては、逆に私達が挟み撃ちにされる。
もし死んじゃっても、どうかアディスが化けて出ませんように。
生きている今でも気持ち悪いのに、こいつが幽霊になったら不気味さ二乗だ。
夜中に遭遇したら、間違いなく私のベッドがウォーターワールドになる。
枕元に立たれたら不眠症必至だ。
だから万が一出ても、ブラッドのほうに出ますように。
……この合理的、かつ胆の据わった男の娘メイドなら、「なんだ。ただの幽霊か。そのへん好きにうろついてていいから、オレの眠りの邪魔するなよ。おやすみー」って平気で背を向けて、布団に潜り込みそうだ。
倒れたアディスの胸めがけ、ブラッドが拳を打ち下ろすのを見ながら、私はひそかにそう祈った。
ぱああんっとお馴染みの乾いた打撃音がした。
「……スカチビ……!?」
ブラッドが拳を振り下ろしかけたままの姿勢で固まっている。
呆然としたその目線は私に向いていて……。
あれ? もしかして、今の打撃音、私のほうからした?
なんで? どうして? なにがあったの?
私が答えを見出すよりも早く、ずくんっと心臓が締めつけられた。
苦しい。視界がざあっと霞む。立っていられない。
私は膝から地面に崩れ落ちた。
お読みいただき、ありがとうございます!!
漫画のほうから来ていただいた方、作画の鳥生ちのり様が、ツイッターをされています。
漫画の応援コメントをぜひぜひ、そちらに!!
https://twitter.com/12_tori
なお、悪口コメントは、なまくらのほうに。
あまりに悪意に満ちてると思ったら削除しますけど(笑)
お待ちしております。




