あれ? 冒頭で私、いきなり死亡決定? さらなる敵の増援。そして、私の最強の守護者の「彼」って誰?
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ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
「……スカーレット!!」
「……スカーレットさん!!」
お母様とセラフィが叫ぶ声が聞こえる。
お母様の声は悲痛に満ち、聞いているこちらが申し訳なくなるほどだった。
セラフィも天才とは思えぬほど取り乱していた。
必死にこちらに駆けてこようとする。
だが、私との間に立ちはだかる巨人は、あまりに強大で、二人は突破を果たせない。
「……大丈夫だ。オレがここにいる。スカチビ、すぐに治してやる。だから……なにも心配するな」
その不安を払拭するように、ブラッドが私に向けて、優しく微笑んだ。
私はぐったりしたまま、かすむ視界と、どこか遠くで聞こえる音の世界でそれを感じていた。
そうだ、こいつは窮地になるほど、誰かを安心させるため、こういう顔をするんだ。
その優しさに対し、私はどんな顔をすればいいのだろう。
私は胸がいっぱいで、たまらなくなって、もういい、と叫ぼうとした。
だけど声が出ない。
しゃがんでいるブラッドの背中は今、完全に無防備だ。
このバカ!! 敵が真後ろにいるのに、ちょっとは自分のことを心配してよ!!
なんで私なんかのことばっかり!! なんで……!!
私の背中にあてた彼の手からぬくもりが伝わる。
私の血流をコントロールし、命を繋ぎ留めてくれている。
集中のあまりおとがいからぽとぽと汗が伝わり落ちる。
ううん、汗だけじゃない。泣いている。
涙を流していることにも気づかず、私を気遣うための笑顔を浮かべ、一心不乱に私を治療しようとしてくれている。
バカ!! バカ!! バカ!!
もしも私の腕が動いたなら、ぽかぽかと彼の胸をたたいて怒ったろう。
いつもそうしたように。
そのあとはケンカしたり、なだめられたり、からかわれたり……。
そして彼は最後は、きまって私の頭を優しくなでるのだ。
ブラッドが頭につけている赤いリボンが見える。
にじんでぼやけるのは私の涙のせいだ。
懐かしい。
私達を繋ぐ色。
私が新生児のときブラッドから譲り受けてから、ずっとつけているお揃いのリボン。
彼が手ずからリボンを結んでくれたのを、昨日のことのように思い出す。
走馬灯のように記憶が走り抜け、私は最期を迎えるんだって実感した。
ブラッドもたぶん本当はわかっている。
私は、もう死ぬ。
この胸郭が硬直し、窒息の苦悶で爆発しそうになのに、全身が砂となって崩れそうな感覚は覚えがある。「108回」で他ならぬブラッドが、私を殺したときに使った「心臓止め」だ。
私は、無貌のアディスに、その技を叩きこまれてしまった。
この〈治外の民〉の奥義は、まともに入れば、どんな強靭な生物の心臓も強制停止させてしまう。
解除の方法はない。
それゆえに〈治外の民〉の代名詞としておそれられているのだ。
「……こんな……こんなものぐらい……今すぐ、オレが元通りに……!!」
私の命を呼び戻そうと必死のブラッドの背後に、ゆらりとアディスが立ち、嘲り嗤う。
「……ンハハーッ!! 無駄ナ努力ゴクローサン~ッ。宗家の坊やなら、『心臓止め』のすばらしさを誰より理解できるダロウ? 教えてあげたまえヨ。赤髪のお姫サマの心臓はもう終わり。自力で血は循環できぬノサ。坊やがその手をちょっとでも離した途端、ドギャーンッ!! 即死だネ」
耳障りな声が楽しそうに囁く。
上体をそらせ、けらけらと指先をふった。
「ンハッ!! 守られるしかない能がないのに、でかい面したヒロインは笑けるネッ。身のほどを知るがイイヨ。……弱者は強者の気晴らしにいじめられるだけの存在サ。……泣き虫、姫様、なぜが泣くノ。死ぬとわかって怖い? 悔しい? 哀しい? ネーネー、今、どんな気持チ?」
「うるせえ!! 黙れよ!!」
ブラッドが怒鳴る。
アディスは白ずくめの体をゆらして嗤った。
荒城を徘徊する不吉な亡霊を思わせた。
「オオ、怖イ、怖イ。そんなに怒らないでゲームでも楽しまナイカ? サテ、究極の二択問題だヨ。……小生は今から坊やにも『心臓止め』を放つネ。サア、その無駄な治療をあきらめ、そこから逃げますカ? それとも踏みとどまって、無駄にお姫サマと心中されますカ? どちらを、御注文ですカネ?」
アディスは、慇懃無礼な料理人のように、胸に手をあて、腰を折ってうやうやしく問いかける。
ブラッドは首をひねって、一瞬、無言でアディスを睨みつけ、そのままくるりと背を向けた。
私を抱きしめた腕に力がこもる。
アディスはわざとらしく拍手した。
「……仲良く心中に決定デス!! 泣かせるネ!! 愛ダネ。病めるときトキモ、健やかなるトキモ、死が二人を分かつマデ!!」
白い花をポケットから取り出し、花弁をむしりだす。
「ミンナ、大好き!! 占いの時間ダヨ!! 二人の行方を占ウヨ。生きる、死ぬ、生きる、死ぬ、生きる、死ぬ、生きる……!! おや、残ったこの一枚だと生きる? ンハッ!! ウッカリ花ごと潰してしまったネ!! テヘペロ」
アディスは、ぐしゃりと花を握りつぶした。
「ハイッ!! 終了ツ!! 不条理だけが人生サ!! あわれでひ弱なお姫サマア、たくさんの仲間達に守られるだけの、迷惑かけどおしの恥ずかしい人生にサヨウナラ」
「娘を愚弄するな!!」
お母様が血相を変えて矢を連射した。
だが、それはすべて巨人にさえぎられ、アディスには届かない。
ぐにゃりと巨人の周囲の景色がゆらぎ、六本の矢が木端微塵になった。
巨人は寡黙だったが、アディスはそれを見て勝ち誇った。
「ンハハハッ!! 嗤える!! 姫様もう死んじゃうのに必死だヨ。死んじゃったら娘の仇とか叫ぶかナ? きっと勝ち目がないのに、死に物狂いでむかってクルネ!! すごいネ。赤髪の姫様、生きてても死んでても、どんどん仲間をきずつけるヨ。ネーネー、なんで生まれてキタノ?」
……悔しいけど、本当にその通りだ。
私がいるから、みんなが傷ついて、ブラッドが巻き込まれて……!!
私さえいなければ……!!
「……スカチビ、本気で怒るぞ」
私の心を読んだブラッドが強く言い放ったが、その目は優しかった。
……だって!!
だって、このままじゃ……!!
私と一緒にブラッドまでアディスに殺され……!!
「……心配するなって言ったろ。おまえがいないほうがよかっただなんて、誰もただの一度も思ったことはないさ。それにみんなに守られることの何が恥ずかしい。それだけ、たくさんの人に愛されてるって証拠じゃないか。そんなこともわからない奴に、このオレがどうにかされると思うか?」
背を向けたまま私を治療し続けるブラッドを見て、アディスは身をそらし、片手で腹を抱えて笑うゼスチャーをした。
「ンハッ!! 理解不能!! 言葉は美しいが無力ダヨ。その足手まといの姫様が奇跡でも起こしてくれるのカネ?」
もう一方の手の人差し指で、こんこんと自分の仮面の側頭部を叩く。
そこはひび割れ、陥没し、血がにじんでいた。
さきほどブラッドが殴り飛ばしたあとだ。
「たしかに君が小生を傷つけたのは事実。その強さだけは認めるヨ。小生を倒したいなら、足手まといを捨て、その強さを極めるしか道はないネ。他に窮地を切り抜ける手があるのなら、今すぐ小生に証明シタマエヨ」
アディスの手が、ブラッドの背に伸びる。
「サア、みんな寄っといデ!! 愉快な『心臓止め』の秒読みが始まるヨ。10、9、8……」
私は身動きひとつできぬ身体で、声なき悲鳴をあげた。
ブラッド、逃げて!!
お願いだから、逃げてよ!! まだ間に合うよ!!
やめて!! 殺すなら、私一人を殺して!!
私の大切な人たちを奪うのはやめて!!
ひどいよ!! もう、こんなのは……!!
神様、お願いです!! どうか……!!
「……7……以下、略ゥ!! お疲れサマ!! 終了デス!! オヤ、やっぱり何も起きないネー。……ン~ッ、姫サマは、自分はどうなっても坊やは助けてって悲痛な顔だネ。ブゥーッ!! カスの犠牲がなんになるというのかネ。かわいそうなヒロインをアピールするなら、小生を見習って、ポケットから鳩でも出したほうが百倍マシだネ!! ポッポー、クルックー……旅立つには絶好のお天気日和ダヨ!! ンハハーッ!! ……バイバ~イ」
アディスが肩口のぬいぐるみを引きちぎると、ばっと数羽の鳩が舞った。
羽毛が飛び散る中、ぱああんっと無慈悲な音が響いた。ブラッドの体が揺れた。
◇
時間は少し遡る。
◇
みなさま、こんばんは。
ご機嫌いかが?
私、この物語の主人公、スカーレット・ルビー・ノエル・リンガードと申します。
まっかな髪と瞳、さらに胸にさげたルビーのペンダントがトレードマークのプリティウーマンです。
……ウーマンよ。なんか文句ある?
見た目が三歳でも、中身は二十八歳。心はいつも大人の女性です。
ちなみにこのルビー、世に知られている限り、世界最大らしいです。
売ったら、きっと一生遊んで暮らせるよね。
大人の物欲がうずきおる。
だけど、呪いのせいで、私以外誰も所有できません。
売却不可。
……つまりは、触れられない莫大な金塊を胸にぶらさげたようなもの。
生殺しなのです。
せめて借金の担保ぐらいにはならないものか。
そう相談したら、セラフィにあきれ顔をされました。
……おまけにその夜、光蝙蝠族のみんなが、血の涙を流して私の夢枕に立ちました。
少し、ちびってしまいました。いいよね、三歳だもん……。
……ほんと、ごめんなさい、もう冗談でも口にしないので。
堪忍してください。
安易な一攫千金を夢見た私が悪うございました。
と土下座して謝ったら許してくれました。
今後は知識チートをふりしぼり、せっせと小金儲けに励みます。
悪銭身につかず!!
堅実に地道にそして着実に、頭を使ってお金を稼ぐのです。
そして、私が老後まで安心してひきこもれる資金を貯めるのだ。
……ああ、でも本音は楽してお金儲けしたいな。
濡れ手に粟のように、金貨が手にくつついてくればいいのに。
プリティーでキュアな女の子よりも、ミダスタッチなプリュギアっ娘になりたい。
夢は夢で叶えるものじゃない。夢はお金で叶えるの。マネーキャッチ、プリュギア!!
ちょ、ちょっと呆れて帰らないで!!
話はまだはじまったばかりよ。
ここからは真面目にやるからさ。
……前回までのあらすじ。
舞踏会に馬車で向かう私達に、次々と襲い来る刺客たち。
そして七妖衆を名乗る仮面の怪人、「無貌のアディス」が私達を翻弄します。
きゃーっ!! 見えない攻撃にピンチに陥る私達。
そこに助太刀として駆けつけたのは、なんと、かつて「108回」のループ人生で私を惨殺した「風読みのセラフィ」と「闇の狩人アーノルド」でした。これって、昨日の敵は今日の友ってこと!?
迫りくる危機、風雲急を告げる事態!!
でも、負けるもんか!! くじけるもんか!!
たとえこの身が幼女でも、心は「108回」も殺された悪役令嬢!!
この涙は悲しみや恐怖の涙じゃない!!
不甲斐ない今の自分にいらだつ涙だ。
明日のもっと強い自分に成長するための原動力なんだ。
小さいからって舐めないで!!
山椒は小粒でもぴりりと辛いんだから。
……ふう、中身二十八歳でこのノリはつらいわあ。
……あ、みなさま、これはバトル物ではありません。
誓って、ジャンル異世界恋愛です。
今日もまた、恋愛要素が空の彼方にはばたいていきそうです。
……それにしても突然あらわれたセラフィの指揮っぷりは見事だった。
「ブラッド!! 横に飛んで!! 投げナイフがくる!!」
「ほいきた」
私を抱えてブラッドが退避する。
私がさっきまで立っていた後ろの木の幹に、またも突然現れたナイフが突き刺さった。
「……すごいわね、坊や。本当にアディスの〝幽幻〟が見えるのね……」
オカ魔女さんが息をのむ。
私とブラッドは聞き耳をたてた。
〝幽幻〟って、さっきオカ魔女さんが言ってた七妖衆が使うって技だよね。
たしか、〝幽幻〟か〝魔眼〟がないと、七妖衆にはなぶり殺しにされるだけって口にしてたっけ……。
「……やはり、奴が使っているのは、古文書にある武術の奥義の〝幽幻〟だったんですね」
「……むう……知っているのか、セラフィ」
腕組みをし、への字口で問いかけるブラッド。
なぜだろう。私のポジションを奪われた気がするのは……。
そして、やめろ。
あんた、私を抱っこしてたの忘れてるだろ。
今、コアラのごとく、あんたのメイド服にしがみついてるんですけど。
「……知っているのは、文献でですがね。極限まで我を消した肉体は、やがて天地と気を合一し、相手に存在さえ感知させない、そこにあって、そこにないものと化す。東方の仙人思想の派生のひとつです」
セラフィの解説に、ブラッドはついていけず、ぽかんとしていたが、私は「108回」の令嬢時代に、東洋趣味ブームが社交界で起こって、背景の思想を調べたことがあり、おおよそのアウトラインは把握できた。
これは、体内のみだった周天を、より大きな自然との周天に変える、
やがて肉のしがらみを解脱し、神仙に至るとかいう思想……。
そのうちの自然との同一を、武術に応用したものだ。
ブラッド君、わかりましたか?
「……はて?」
私の懇切丁寧な説明に、奴は首を傾げた。
ええい、わからぬか、愚か者。
「つまり、アディスは気配を消すのがすごくうまいの。獲物を狙う肉食獣が、森に溶けこむみたいにね。それをどこでも実行できるのよ。さらに気配だけでなく、音や姿も消せるの。信じられないことに、手にした武器も含めてね。わかった?」
私のやけくそ気味の乱暴な説明に、ブラッドはあっさり納得した。
「なんだ、むずかしいこと言わず、そう言ってくれりゃ、すぐにわかったのに。だいたいスカチビとセラフィの会話はいっつも難しすぎんだよ。なんたら派の流れをくむとか、なんとか期の模様だとか」
あっけらかんとした笑顔に、私はため息をついた。
あんた、頭はいいんだから、最低限の読書して、もうちょっとだけ知識を増やそうよ。
それぞれのコミュニティにふさわしい教養があるかどうかの試験紙でもあるんだから。
金を持ってるだけじゃ、誰からも認められる上流階級にはなれないのだ。
血筋がよくてもだ。
共通の話題についていけなければ、侮蔑されることになる。
アリサなんてまさにそれだ。
このままだとオペラやクラッシック、名画を鑑賞しても、つまんない、眠い、しか感想を言えない、情緒欠如のダメ人間に認定されちゃうよ。ブラッドがそんな扱いされたら、私、悔しいもん。
幼い頃の私がそう言って泣いたら、ブラッドは困った顔をして……。
それから、ものすごい勉強をして……。
あれは本当にときめいた……。
あ、あれ? 私、今なにを思い出してた?
そんな出来事なかったはずなのに……。
夢の記憶でも無意識に引っ張り出しちゃったんだろうか……。
か、顔が火照る。
なにかの間違いだ、これは。
心読まれて誤解されやしないでしょうね。
私はあわてて説明補足に意識を集中した。
「……これで、アディスのいろんなパターンの攻撃の謎が解けたでしょ。あれは全部、見えなくした違う武器での攻撃だったのよ……」
「ええ、あいつが体中につけたぬいぐるみに、おそらく武器が収納されてるんでしょう」
セラフィの言う通りだ。
アディスは攻撃を繰り出す前に、ぬいぐるみを引きちぎっていた。
「なら、さっきオレの扇を切り裂いたのはムチってとこか」
ブラッドの言葉に、私はさっき、ひゅんひゅんと空気が鳴ったことを思い出していた。
「……すげえな!! セラフィ!! 武術にうちこんできたオレでもさっぱり見えないのに、おまえ、いつの間にそんな強くなっちまったんだ。今度、手合せしようぜ」
感嘆するブラッドにセラフィは呆れ顔をした。
「あほですか。ボクが強いわけないでしょう。ブラッドと組手なんかしたら、一秒でのされる自信がありますよ。自慢じゃないですけど、アディスの攻撃なんてまったく見えてません。……ブラッド、攻撃がきます!! 後ろにさがって!!」
即座に否定し、しかし的確にセラフィは攻撃を見切った。
ブラッドは目を白黒させながら後退する。
私達がいた空間をまたナイフの光条が通り過ぎた。
アディスが悔しそうに舌打ちした。
私は逆に、セラフィがどうやってアディスの動きを察知しているか思い当たった。
「……もしかして風を見てるの? それも、今じゃなく、未来にくる風の変化を。そこからアディスの攻撃を割り出してるんでしょ……」
私の言葉に、セラフィはうなずき、静かにほほえんだ。
「さすが、スカーレットさん、正解です。今の風の流れと、ほんの少し未来の風の流れ、二つを頭の中で重ね合わせると、不自然に変化するところが見えてきます。そこからアディスの行動を計算してるんです。アディスが〝幽幻〟で隠している身体的特長は、ここに来る前に、アーノルドから聞いておおよそ知っていましたし」
セラフィの言葉にブラッドは混乱した。
「え、セラフィの連れのアーノルドってのは、アディスと顔見知りなのか」
「いえ、そういうわけでは……うーん、説明しづらいんですが」
だが、私にはセラフィが言っている意味がよくわかった。
アーノルドの相棒の巨大な白フクロウは、幻術や擬態を見破ることができる。
「108回」で逃亡する私がいくら変装しようと、的確に正体を見抜いてきた。
そして、アーノルドはそのフクロウと視界を共有している。
さっきから、ちらちら白い巨影が森の上空をかすめる。
きっとあの白フクロウだ。
現場の様子をアディスの実体も含め、アーノルドに実況中継していたのだろう。
「セラフィ、それより、未来の風読みをあまり続けちゃ……!!」
言いかけた私に、セラフィはすっと唇に指をあて、黙っていてほしいと合図した。
私はブロンシュ号の航海長に聞いたことがあった。
本当に危険な嵐のとき、船の舵を取るのはセラフィだって。
〝……会頭は、そのときの風と海流が読めるだけじゃねぇんでさ。本気を出しゃ、これから起きる風と波まで『見る』ことができる。予測というより予知ですな。その精度は100%だ。ただ……すげえ能力だけに、諸刃の剣なんでさあ。身体の負担がでかすぎて、使やあ、数日は寝たきりになっちまう……〟
私は見た。セラフィが鼻血を袖口でさっと拭って隠したのを。
平気な顔してるけど、もうかなりの負荷がかかってるんだ……。
私の不安を払拭するように、セラフィは声を張り上げた。
「……公爵夫人!! 弓技の『蛇腹』をお願いします!! 連続で!! 緩急と角度を取り交ぜて!!」
「……まかせて……!!」
お母様の弓技「蛇腹」は、地面すれすれまで沈んだ矢が、縦にVの字を描いて跳ね上がる。
セラフィは、さっきからお母様にその攻撃ばかりを繰り返させている。
そんなことをすれば、あの変態アディスなら目が慣れ、とっとと対応してきそうだが、そこはさすがお母様。同じ弓技でも、変化のタイミングやVの角度を変幻自在に変え、無限にバリエーションを増やし、奴を翻弄している。
「……チッ、厄介な角度ばかりの攻撃ヲ」
無貌のアディスは明らかに嫌がっていた。
仮面でわからないが、セラフィを睨んだ気配がした。
「指示しかとばせぬ非力な子供の分際デ……!!」
お母様の矢は、森の下草の中を低空飛行し、そこからポップアップする。
アディスはそれでも矢をはじき飛ばすが、例の返し矢はできないらしい。
防戦一方だ。さっきは八本同時攻撃さえ易々と摑んでみせたのに……!!
私はお母様とセラフィのタッグの猛攻に息をのんだ。
アディスの奴、足元からの変化攻撃が苦手なんだ……!!
私じゃ気づけなかった……!!
「非力な子供? そのとおりだ。聞き飽きたよ。そしてボクはそれを恥と思ったことはない。弱いと自覚しているからこそ、他人の力を生かす術を学べた。今のように敵の弱点にも気づく」
セラフィが誇り高く言い放つ。
それは彼の存在の中核をなす人生哲学だ。
幼児にして商会を受け継ぎ、さんざん苦労したセラフィだからこその言葉の重みがある。
私も学ぶべきとところがたくさんある。
だが、セラフィのアディスに対する言葉はそこで終わらなかった。
「人間はな、自分以外の誰かを頼れてこそ強いんだ」
うん、いいこと言う。真理だ。
「……それに本当に強い戦士は、弱い相手を侮ったりしない。尊重する。いろんな強さが世の中にあることを受け入れる器があるからだ。コーネリアさんも、ブラッドも、バレンタイン卿も、『紅の公爵』も。ボクの知っている強者はみんな、そうだ」
私は首を傾げた。
いや、それは同意しない。
お父様は、相手を尊重とかじゃなく、お母様ラブしか頭にないのでは……。
セラフィはなおもアディスに語る。
「もっとも,、お前程度の度量では理解できないだろうが……。いや、そもそもおまえは強いのか? おおかた奇術や武器頼りで、相手の意表をつくぐらいが関の山だろう」
おおい!? セラフィの奴、なに言い出してんの!?!
セラフィが胸を張り、アディスを挑発している。
私ははらはらし、唾をのみこんだ。
あんな危ない奴を相手によくやるよ……!!
「かかってこいよ。……みんなに守られるしかない非力なボクが、強さ自慢のおまえをぶちのめしてやる。ああ、おまえの名前なんだっけ。……思い出した。『強さを勘違いしたひとりよがりのぼっちバカ』だ」
え、えぐるなあ。
ひきこもりを目指す私のハートまで、ちょっぴり傷ついたよ。
「……ヌカシタナ……!! 後悔スルゾ……」
アディスの言葉は低くくぐもっていて遠雷のようだった。
セラフィさん、煽りすぎたんじゃない?
ふ、不吉な予感しかしないんですけど。
だけど、気持ちはわかる。
さっきの鼻血からも見て取れるように、セラフィはかなり無理して、アディスの攻撃を読んでいる。
たぶん、長くは維持できない。
だから挑発し、短期決戦に持っていく気なんだ。
セラフィはアディスとの会話を打ち切り、ばっと私達に振り向いた。
「ドゥエインさんは、丈夫なつる草で、奴の周りの樹木を繋いでください!! 急いで!!」
「……!? わ、わかったわ」
変なリクエストに首を傾げながらも、オカ魔女さんはセラフィに従う。
セラフィの指示の意味はすぐにわかった。
轟音がして、アディスの前方の樹の幹がえぐれた。
木片がぱらぱらと音を立て、地面に落ちる。
「……打撃音だ!! あいつ、武器じゃなく、素手で幹を殴った。拳で大木をへし折る気だ……」
ブラッドが呻いた。
素手で殴って!? そんな馬鹿な!!
「ン八ッ!! これが強さというものダヨ!! この拳こそ小生の真骨頂!! 武器などおまけでしかナイのダヨ。非力君!! このまま圧し潰されるがイイ!!」
信じたくないが事実だった。
もう一度、打撃音が響き、続いてばりばりと雷がはじけるような音をたて、こちらに向かって大人一抱えほどもある樹が倒れかかってくる。
むちゃくちゃだ!!
魔犬ガルムの猛攻を思い出させる。
私はさっき王家親衛隊が一斉に馬上から叩き落とされたことを思い出し、血の気がひいた。鎧がへしゃげ、火花が散っていたあのときの攻撃は、武器じゃなく、素手だったのか!! そりゃ、こんな威力に見えないまま直撃されれば、みんな一撃で気絶するよ!!
白ずくめの礼服もどきに、体中にくっつけたぬいぐるみ、ふざけた格好と言動から、奇術タイプと思ってたけど、 アディスのやつ、まさかの魔犬ガルム級のパワーファイターだったのか…!!…
「……あんにゃろう、さっき親衛隊をぶっとばしたのは、技じゃなく、ただのパンチかよ……!! それが見えないなんて、やばすぎんだろ……」
同じ結論に達したブラッドがぶるっと身震いする。
透明な魔犬ガルムとかなんかお金積まれても戦いたくない。しかも普通のパンチということは、回数制限も反動もなく、アディスはいくらでも今の攻撃を繰り出せるということだ。
どうしろっていうの!? こんな化物!!
アディスが折った大木が傾き、私達に迫ってくる。
ブラッドが私を抱えて飛び退こうとした。
「動いちゃいけない!! 罠です!! 奴が待ちかまえてる!! ……大丈夫!! ボクを信じて……!!」
セラフィが鋭く制止し、ブラッドははっとして足を止めた。
私達を圧し潰そうと樹の影が広がる。
枝と枝がぶつかり、しなり、折れ飛ぶ。
バキッメキメキッと生木が裂ける音と、ひきちぎられた葉つきの梢が雨のように降ってくる。
木の香がむわっと鼻をつく。死にいたる大重量が迫る。
生きた心地がせず、私はブラッドにしがみついた。
だが、大きく傾いだ巨木は、間一髪、私達の鼻先で止まった。
オカ魔女さんのつる草が他の樹にロープのようにはし渡しされており、倒れるのを食い止めた。
私は、はああっと肩で息をした。
尻もちつきそうになる。まったく心臓に悪い。
もちろん、さすがのオカ魔女さんのつる草の強度も、普通はこの質量を止めることはできない。もしも、この樹が草原に一本だけ生えていて倒れたのなら、つる草だけでは引きちぎられたろう。
だが、ここは他の樹々が密生した森の中だ。
樹々の梢は重なり合って繁茂しおり、そこにつる草が蜘蛛の巣のように張り巡らされたら、からみあった枝が、強化とブレーキの役目も果たすのだ。力が広範囲に分散するというわけだ。
「ン八ッ!! 予想以上に小賢しいネ、船長服の坊や。小生の待ち伏せを見抜くとハ!! おかげで赤髪のお姫サマとのダンスを袖にされたヨ!! 意地でもお姫サマを滅茶苦茶にしたくなったネ!!」
アディスの嘲笑う声が降ってきた。
見上げた私達は凍りついた。
アディスが白い魔物のように滑空してくる。
いつの間にか私達の目前にいた……!!
今の倒木の騒ぎにまぎれ、こちらに向けて接近していたんだ……!!
セラフィの忠告がなければ、倒木を跳躍してかわした瞬間に、アディスの攻撃をまともに喰らっていた。
わ、私、お姫様なんかじゃないよ。
粋でいなせな下町っ娘です!!
へい!! お待ちぃ!!
私はあわてて擬態しようとしたが、しまった。
今日は変装セットを忘れていた。
弾丸のように突っ込んできたアディスは、お母様の迎撃の矢をあっさり弾き飛ばした。
「……ンハハーッ!! 無駄ダヨ!! 空中には、矢の隠れる場所がない。軌跡が丸見えなのサ!! 曲がろうが、はねようが、防ぐのはわけナイネ。そして、メイドの坊や、そのお姫サマが景品の追いかけっこゲームを、もう一度、楽しもうではないカ。いや、争いはヨクナイネ。お姫サマを頭と体にちょんぎれば、みんな仲良く分けっこで、問題なしサ。好きな方を譲るヨ」
「……くそったれめが……!! スカーレット、オレにしっかりしがみついとけよ……!!」
ブラッドが歯噛みし、私を抱きかかえる。
さっきブラッドは踏み込み加速技の「刹那」を三連続で使ったのに、アディスに追いつかれそうになった。私を抱きかかえて逃げ切れる相手じゃない。
私達の考えを読み、アディスは勝ち誇ったようにせせら嗤う。
「喜びタマヘ、コチラからダンスのお誘いに出向いてやったヨ!! ナニ、多少の身長差はあるが、手だけ切り離せば、小生の手をとってのパートナーがつとまるサ!? アン・ドゥ・トロワ!! 赤髪のお姫サマを小生好みに分解したい今日この殺デス……!!」
こんな嫌なアプローチ、受けて喜ぶ令嬢なんて、世界中探したっていやしないだろう。
私も心底ぞっとした。もう、やだ!! こいつ、発想と言い回しがいちいち気持ち悪い!!
ひとのプリティお手々をなんと心得るか。
「この頃です」を「この殺デス」なんて、わざわざ言い直ししてるし!!
そんなユーモア、全然笑えない!!
……それにしても、こいつ、ちらちらとセラフィを得意げに見ているってことは、セラフィへの当てつけで私を殺す気なのかな?
見えない攻撃を見切られたことに、よほどご立腹なのだろう。
「……オオ、自分の腕力では、何ひとつ出来ヌ、あわれな非力君。小生が赤髪のお姫サマをなぶり殺すサマを、そこで棒立ちで見ているがイイ。強さこそ、スベテ。それが世の中の真実サ!! ンハハーッ」
だが、嗤いを漏らすアディスを、セラフィは冷たく一瞥した。
「……望みどおり、ボクはここに立ち、一歩も動かないさ。動く必要がない。勝負はすでについているからな」
セラフィは、空中から私に迫るアディスにびしりと指を突きつけた。
「おまえの動きは予想していた。今、その位置に移動することも……。挑発も一連の行動も、すべて計算尽くだ。……おまえは弱者を追い詰めているつもりで、得意満面で罠にとびこんだ間抜けなのさ。見ろ!! おまえの背後には、今、空しかない!!」
ぎりっとアディスが歯軋りした音が聞こえた。
セラフィに嵌められたと気がついたのだ。
私はあわててブラッドにしがみついた。
「108回」で私の命を何度も奪ったあれが来る!!
高高度からの恐怖の山なり射撃が!!
「ボクは風を読む。人の目は欺けても、風と、ボクの友の天空からの目は欺けない。驕り高ぶり、逃げも隠れもできない空中に跳躍したとき、おまえの敗けは決まっていたんだ。……裁きの剛弓を受けるがいい!! ……まかせた!! アーノルド!!」
叫びとともにその手が再び振り下ろされた。
上空から空気と闇をつんざき、アディスめがけ、六本の矢が天くだった。
空気で面をはたかれた気がした。ほぼ垂直の降下は、鉄槌に似ていた。
鳥瞰射撃!!
それに六連射もか!!
まさかこの技に助けられる日がくるなんて!!
「……ガッ……!?」
アディスは矢を殴り飛ばそうとしたのだと思う。
だが、それは大瀑布を押し返そうとする無謀な試みと同じだった。
「……ゴゴ……ゴワアッ……!?」
呻きを残し、アディスは轟音をたてて、地面に叩きつけられた。
爆発したかのように土砂と噴煙が舞う。
セラフィは前髪をかきあげ、額の傷とエメラルドの瞳をアディスに向けた。
「……おまえの敗因を教えてやる。警戒を忘れた勇者は、冷静な臆病者に劣る。ましてボクにはたくさんの頼れる仲間がいるんだ。じゃあな、ダンスは地獄で一人で踊るがいい」
それはコンプレックスさえも武器にする、誇り高き弱者の意志のあらわれだった。
神経が限界を迎えたのか数歩よろめく。が、踏みとどまり、不敵に笑った。
息詰まる攻防に呼吸を忘れ、汗ばむ手を握りしめていたブラッドと私は、ようやくはあっと息を吐きだした。
「……セラフィの奴が味方でつくづくよかったよ。それに、アディスにとどめをさしたあの矢の威力のすげえこと。アーノルドって言ってたな、セラフィの友達。スカチビも知ってる奴なのか?」
私はためらいがちにかぶりを振った。
正確には、私はアーノルドのことをよく知っているけどね。
もちろん今の私がではなく「108回」の私の記憶としてだが。
そして今の技にもさんざん憶えがある。
アーノルドが渾身の力で一気呵成に放つ「六連射」と、フクロウの上空からの視界を借りての遮蔽物の向こう側から行われる山なり射撃、「鳥瞰射撃」の合わせ技だ。アーノルドの最強技であり、何度も私の命を奪ったいやなお馴染みさんだ。
それにしても威力がありすぎない?
私は顔面を引き攣らせていた。
今のアーノルドは子供のはずなのに、これでは青年アーノルドと遜色ないではないか。
いや、成長したら確実に「108回」のアーノルドより強くなる。
今回は私に味方してくれたようだが、こんなトンデモ射撃野郎が敵にまわったらと思うと、ぞっとする。
お母様に弓を習い、ゆくゆくは対アーノルドの切札にしようとしていた私の戦略は、早くも瓦解しかかっていた。
まったく、アディスを倒したと思ったら、厄介事が次々に。
浜の真砂は尽きるとも、世にお悩みの種は尽きまじ……。
盗作めいた一句を嘆息とともに詠じていた私は、次の瞬間、背筋が凍りついた。
「……ンハハーッ!! 驚きのサプライズをアリガトウ!! 小生からもサプライズ返しだヨ!! 無傷で地獄から帰って参りマシタ!!」
もうもうたる砂塵の中から、アディスが狂気の高笑いを響かせながら、姿を現した。
オーケストラの指揮をするように両手を広げている。
その白い礼服にはほつれ一つなかった。
なんで!? 矢の直撃を受けたはずでしょ!?
「デモ、小生は『ひとりよがりのぼっちバカ』、誰も一緒に踊ってくれないネ。オヨヨヨヨヨヨ……。仕方ないのデ、地獄からダンスのパートナーを連れてきたヨ!! パンパカパーン!! ンッハ―!! サア、自己紹介ヲ!!」
セラフィが、がたがた震え出した。
だが、誰もそれを責めることはできなかった。
お母様も、ブラッドも、オカ魔女さんも、全員が悪夢を突きつけられ、絶望に立ち竦んでいた。
アディスに覆いかぶさるように、巨人がゆっくり立ち上がった。
アディスも長身なのに、それより遥かにでかい。
嘘でしょ、こんなの、今までどこに隠れてたの!?
「……馬鹿な……風で読んでも、こんな奴が潜んでいたなんて予測は……!!」
セラフィの驚愕の呻きはもっともだ。
セラフィだけじゃない。
アーノルドの白フクロウだって上空から見張っていたはず!!
その監視さえもすり抜けたっていうの!?
「イタノサ。始めからここにずっとネ。ンハッ!! ドンマイドンマイ。彼は我々の中デモ、最も隠密に長けてるカラネ。その気になれば、誰にも悟られずに、お城の中の王様の首ダッテ落として来れるヨ」
アディスがへらへら嗤う。
こんな……マッツオを二回り大きくしたような筋肉の巨体が隠密なんて嘘でしょ……!!
マントに覆われていてさえも、はちきれんばかりのエネルギーに満ちた肉体だとわかる。
まるで巨象と対峙しているようだった。
両手にはめた手甲から、にょっきりと幅広の剣先が生えている。
斧ほどの厚さがある。防ごうとした盾や剣ごと人間を両断できるだろう。
巨人が身震いすると、山のように盛り上がった広背筋から、摩擦熱の白煙をひき、六本の矢が落下した。こいつが、アディスの代わりに矢を受け止めたんだ。巌のような頬が動き、言葉を紡ぎ出す。
「……我が名は、七妖衆が一人、幻影城のファンダズマ。気配の同化と、絶対防御を得意とする。女子供と戦うのは気がひけるが……その戦いぶりに敬意を払い、戦士としてお相手する」
アーノルドの最強の技でさえ、雨の雫のように払い落す怪物。
それは私達の攻撃がまったく通用しない相手であることを意味していた。
アディスよりも強いかもしれない新たな敵の参戦……!!
私達は吐き気のするような窮地に追い込まれた。
◇
ローゼンタール伯爵夫人邸の贅を凝らした尖塔の屋根に、アリサはちょこんと腰かけていた。
夜の庭を見下ろすその姿は、まるで一枚の絵画のように美しい。
そしておそろしく不自然だ。
急こう配の屋根のひさしの周囲は、轟々と風が巻いている。
地上とは風の強さが比較にならない。
そこから下は地面までほぼ垂直だ。
氷壁と同じで、滑り出したら墜落死は免れない。
アリサは屋根の縁に座り、優雅に両脚をばたつかせている。
避暑地の湖畔で水遊びに戯れているかのようだ。
命綱なしでは煙突掃除夫でさえ恐れをなすような高所で、アリサは歌を唄う。
小鳥の囀りのような澄んだ声が夜を渡る。
哀調を帯び、胸を締め付けられるように上下する。
その金髪はわずかな月明かりでさえ輝いていた。
ブルーのケープつきのハイウェストのスカートのひだも、腰の大きなリボンも、まったく着崩すことなく、アリサは夜風の渦の中、気持よさそうに目を細めていた。
天使か妖精としか形容できない愛くるしさだが、その碧眼は、悪魔も震えあがらすほど冷たかった。
三歳とはとうてい思えぬ威厳が時々浮かびあがる。
それはまさに覇王の貫禄だった。
「……今夜は、ずいぶんとご機嫌なんですね。アリサ様の歌、はじめて聞きました。讃美歌かですか?」
いつの間にかアリサの横に、黒衣の少年が立っていた。
その衣装は、ブラッドがはじめて公爵家を訪れたときのものと酷似しており、艶やかな黒髪も、少し寂しげな漆黒の瞳も、ブラッドの面影を思わせた。それも当然だ。彼はブラッドの実の兄だ。
ただ、その顔色は蒼白であり、なんらかの疾患を抱えていることは明らかだった。
そして皮肉なことに、それがブラッドにはない凄愴な美しさを彼に与えていた。
夜の冷気を吸い込んでしまい、激しく咳き込む彼を、アリサは見つめた。
「讃美歌? まさか。これはクロウカシス地方の子守歌よ。愛する人の魂が、渡り鳥の翼にのり、天に還る歌。人間は、地上に地獄はつくれても、天国はつくれない。だから、せめてもと歌に望みを託したの。美しいけれど、愚かで無意味な歌よ」
「……そうでしょうか? ぼくは好きですよ、その歌……ぼくが……もし死んだら、アリサ様にその歌を唄ってほしいです。それならば、ぼくが生きた価値はきっとある……」
身体を波打たせるように咳き込み続け、ようやく発作が収まった少年は、ぜい音とともにアリサに願った。彼は自分の命がいつ終わっても不思議がないことを自覚している。彼は不治の病に侵されていた。口調こそ静かだが、その瞳には炎のような命がけの懇願があった。
だが、アリサは突き放すように、えへらと嗤った。
「あはあっ、どうして私があなたの言うことに従わなければならないのかしら。私は誰の指図も受けない。私に命じた罰よ、跪きなさい」
慌てて膝をついた少年と入れ違うようにアリサは立った。
アリサの小さな手が頬に触れ、少年はびくりと肩を震わせた。
白磁の人形のようなその手は、一瞬で自分の頭を吹き飛ばす威力があると、少年はよく知っていた。死を覚悟した少年は、だが、自分を包む羽毛のような優しい感触に息をのむことになった。
「……死んで楽になるなんて許さない。常に死に怯えながら、最強の座を狂ったように求めなさい。死の恐怖と生の妄執のぶつかり合いが、きっとあなたを誰よりも研ぎ澄ます。もし、私の身体ができあがる十四歳まで生きていられたのなら、あなたを抱いてあげてもいいわ。どう? 少しはやる気の足しになったかしら」
少年を抱きしめ、アリサは耳元でささやく。
かっとなって身を強張らせるしかできない少年の耳たぶをアリサはくわえた。
がりっと鋭い痛みが走り抜ける。
噛み跡を刻み込んだアリサは、可憐な唇に鮮血をにじませ、ころころと声をたて笑った。
「いい男になりなさい。これは私からの約束のあかし。あなたの魂への焼き印よ。病で死にかけたら思い出し、あがいてあがいて必ず私のもとに帰ってきなさい」
「……はい……!! 必ず……!!」
少年は感極まり声を詰まらせ、かろうじて短い言葉で約束した。
歓喜で全身が燃え上がり、病のことを忘れた。
だが、同時に魂の奥底にひやりとした予感が広がる。
あのアリサがこんな激励だけで済ますはずがない。
少年はアリサを慕っていたが、アリサの本性を正しく理解していた。
アリサはブリザードに似ている。ただ進みたい方向に進み、その途上で生きるものすべてを凍死させていく。たまに寛大な行動を取ることもあるが、それは気まぐれでだ。人の世の倫理にとらわれない狂った存在なのだ。
祟り神のように触れるべきでないと頭ではわかる。
なのに、自分や七妖衆のように、人の正道からはずれた人間はアリサに近づかずにはいられない。
そして、ひとたび近くで覗き込んでしまえば、その魔性の魅力から逃れることは不可能になる。理屈ではないのだ。それはまさに全身全霊で惹かれるという表現がふさわしい。だからこそ、まだ幼女なのにもかかわらず、彼らはアリサに忠誠を尽くすのだ。
「……さっそくあなたが鋭い刃になるために、いいことを教えてあげる。スカーレットとあなたの弟のブラッド達が、今この屋敷に向かってきているわ。あはあっ、彼女たちに、まずアディスとファンダズマを差し向けて歓迎してあげてるの。うまく生き残れるといいのだけれど」
少年は戦慄し、アリサへの思いも忘れ、震える手で彼女の両肩を摑むようにして引きはがした。
「……七妖衆を二人もですか……!! アリサ様……!! それはあんまりにも……!!」
彼は残り少ない命で武を極めるため、〈治外の民〉の里を捨てた。
だが、郷里への気持まで捨てたわけではない。
まして彼は人一倍家族思いだった。
可愛がっていた弟の危機に、彼の髪は逆立った。
だが、アリサの冷たい言葉は、彼をさらに打ちのめした。
「……二人じゃないわ。まず、と言ったでしょう。他に増援としてスケレトス、それからマームガルムも送っておいたわ」
「七妖衆が三人……!! それに魔犬ガルムの仔の最強まで……!!」
蒼白になった少年は力加減を忘れ、アリサの細い肩に指を食い込ませた。
「……そんなの……ただのなぶり殺しじゃないですか……!! 生き残れるわけがない!! お願いです、取り消してください。いくらなんでも、やりすぎだ……!!」
だが、アリサの口から出た言葉は、思いがけないものだった。
「……なにを勘違いしているのかしら。生き残れるかどうか心配なのは、スカーレット達じゃないわ。アディス達のほうよ。特にアディスはやりすぎる傾向がある。『彼』の本気の怒りを買えば、ただでは済まないわ」
「えっ……」
聞き間違いではないかと思ったが、アリサの目は真剣だった。
「スカーレットには、最強の守護者がついているの。普段はルビーの奥に身を潜めているけどね。スカーレットが本当の危機に陥れば、必ず『彼』が姿を現す。……ふふ、私の恋敵さん。あの技の冴え、久しぶりに見られるかしら」
アリサは頬を上気させ、うっとりしていた。
まるで恋人を語るようで、少年が嫉妬をおぼえるほどだった。
「ふふっ、私のかわいい七妖衆にたっぷり絶望を与えてやってちょうだい。ああ、みんな、かわいそうねえ。だけど、今のままでは、あなた達は宝石の原石のままよ。研磨に耐えた者だけが、原石から宝石に生まれ変われるの。『彼』ほどの試練を経て、七妖衆がどう輝くのか。あはあっ、なんて楽しみなのかしら」
アリサの口元が三日月のように吊り上がった。
その瞳に狂った歓喜がゆらぐ。
高温の炎のような剣呑な気配がアリサから立ち昇る。
思わず手を離し、後退った少年に、アリサは嗤いかけた。
「……ふふ、よくも私の肩に指を立ててくれたわね。たぶん痣になったわ。こんな幼い私に目印をつけるなんて、ずいぶんせっかちだこと。……ならば、私を失望させない男になれ。あなたも『彼』を見に行くといいわ。他の連中の倍、絶望を味わうことになるだろうけど、生と死の狭間でもがくあなたなら、きっと試練を乗り越えられるわよねえ? あはっ!」
お読みいただき、ありがとうございます!!
漫画のほうから来ていただいた方、作画の鳥生ちのり様が、ツイッターをされています。
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https://twitter.com/12_tori
なお、悪口コメントは、なまくらのほうに。お待ちしております(笑)




