七妖衆、無貌のアディス猛追!! もうやだ、この変態!! 見えない攻撃に追い詰められる私達の前に、久しぶりのあいつが現れるのです。
【電撃大王さまの11月号(9月26日発売)より、鳥生ちのり様によるコミカライズ開始!! 】
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【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻、KADOKAWAエンターブレイン様より発売中!!】
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
「108回」も繰り返した私の女王ループ人生は、必ず惨殺されて終わりを迎えた。
やったのは、暗殺者ブラッド、風読みのセラフィ、大学者ソロモン、月影の貴公子ルディ、そして、闇の狩人アーノルドだ……。彼らは「5人の勇士」と呼ばれ、反乱軍の旗頭「救国の乙女」アリサの守護者たちだった。まあ、ブラッドは孤独を愛し、「5人の勇士」とひとくくりにされるのを嫌悪していたから、ちょっと微妙な立ち位置ではあったけど。あいつ、自分はただの人殺しだって、いつも吐き捨てたもんなあ。
……アーノルドは化物みたいなアーチャーで、ヤツの鉄弓から放たれる矢は、たやすく鎧を貫通し、石壁を崩壊させた。中型船の横っ腹をぶち抜いて沈没させるのを見せつけられたときは、心底震え上がったものだ。あんたの弓矢は投石器か……。命中率においても比類なく、お母様を知るまでは、私の知りうる限り、ぶっちぎりで弓世界ナンバーワンだった。
そして、私が殺されるときは、骨まで砕くヤツの矢の威力にのたうちまくった。
痛いなんてもんじゃない。
全身が感電したようになり、息一つできなくなる。
普通の矢じりが骨にぶち当たるだけでも半端じゃない痛みなのに、ヤツの矢の衝撃は全身の骨を震わせ、神経の隅々まで走り抜けるのだ。ガガッっとくるのよ!! 痛みが脳天から指先まで!! 痛すぎて失神できないの!! 生きたまま、ハイエナに噛み砕かれるシマウマなら、きっと私に共感し、握手を求めてくるだろう。
まあ……アーノルドには動機はあったんだけど。
彼が女王だった私を恨む気持ちはわかるよ。
だから、そこまで憎む気にはなれない。
アーノルドの御家族は、私の命令書のせいで火刑にされたんだから。
……殺す気なんてなかったんだ。
あの命令書は、賢臣だったアーノルドの父親を守るための、偽物だった。
なのに……最悪の結果になってしまった……。
アーノルドの父親は正義感にあふれた政治家だったけど、それだけに敵が多かった。
そして大貴族達の不正を暴こうとし、スパイの容疑をでっちあげられ、投獄された。
敵の追撃は執拗だった。
監獄の食事にまで毒を盛られ、口封じされかけた。
このままだと殺害されるのは免れない。
だから、私は非常手段として、アーノルドの父親の死刑を命じた。
わけあり死刑囚専門の監獄に彼を移すためだ。
なかば独立したあの断崖絶壁の監獄には、さすがの大貴族も手が出せない。
所長と個人的に知り合いだった私は、できるだけの好待遇を頼んでおいた。
これでアーノルドの父親は安全に隔離され、死刑執行まで誰も手が出せなくなる。
執行日まではかなり時間を置いた。
その間に、私は事件を調べ直し、彼の冤罪を証明しようとした。
そして死刑執行の十日前には、彼が潔白であるという証拠を押さえられた。
政敵の失脚にも成功した。
私は安堵し、死刑撤回の命令書を発行した。
……だが、その命令書はなぜか刑場に届いていなかった。
それどころか身代わりに助命を嘆願したアーノルドのお母様と弟さんごと、アーノルドの目の前で父親は焼き殺されてしまった。父親を救おうと単身忍び込んで捕縛されたアーノルドは、血の涙を流してその光景を睨んでいたという。
悲惨すぎて言葉も出ない。
のちに私を糾弾したアーノルドは、火刑場で高笑いをする私を見たと怒鳴った。
その血を吐くような叫びに、私はうちのめされた。
「女王陛下の御為に」と静かにほほえみ、私を支えてくれたアーノルドの父親の笑顔が脳裏によみがえる。アーノルドにその面影が重なった。
……どうして……!!
そんなはずはない。
私がその場にいたら、火の中にとびこんででも、火刑を中止させたはずだ。
私が顛末を知ったのは、すべてが灰になり、数日がたってからだったのだ。
「私は……知らなかったのです……」
私は弁明しようとした。
だが、涙を流し身を震わせるアーノルドを前に言葉に詰まってしまった。
私の名で出した死刑宣告がもとで、アーノルドの家族が焼き殺されたのは事実だ。
火刑場で絶望のあまり心の平衡を失い、元凶の私の幻を見たとて、誰がアーノルドを責められようか。
私が涙を浮かべ立ち竦んでいる間に、衛兵が駆けつけ、アーノルドは逃走し、それきり表社会から姿を消した。私はアーノルドの誤解を解く機会を永遠に失った。父親譲りの正義感をもつアーノルドは、最後まで私を許すことはなかった。
なぜこんな結果になったのか。
私は死刑撤回後、謝罪のため、すぐにアーノルドの父親と面会している。
謝りたかった。
敵の目を欺くため、アーノルドの父親に、にせの死刑命令だということを伏せておいたのだ。
その恐怖はいかばかりだったか。
牢暮らしで体調を崩したという彼は伏せってはいたが、短い言葉を私と交わしている。
彼は快く私の謝罪を受け取ってくれた。
私はアーノルドの父親の、政界復帰を約し、その場を後にした。
私はそれでとりあえず事態は収束できたと安心しきっていた。
だが、後に私と会ったのは酷似した別人だったと判明した。
なぜなら、もうそのときには、とっくにアーノルドの父親は死亡していたのだ。
私は人の顔をおぼえることには自信があったはずなのに……。
死刑撤回の命令書の紛失も含め、一連の不可解な件は、これ以上の余罪の発覚を恐れたアーノルドの父親の政敵のしわざであろうとされた。
された、というのはその彼もまた調査の手が伸びる前に、原因不明の死を遂げたからだ。
アーノルドが復讐したと噂されたが、結局は真相は闇の中だ。
ひたすらに後味の悪い結末だった。
そして私は、聞く耳持たないアーノルドに親の仇と追い回され、射殺されて命果てることになるのだ。
「……オアアアアアッー!?」
再びよみがえった射殺の恐怖に、私はブラッドの腕の中で絶叫した。
あの桁外れの矢を受ければ、我がひ弱な幼女ボディなどまっぷたつ必至だ。
「……ンハハーッ!! ゾクゾクくるネ!! 女の子の演技でない本気の悲鳴ハ。小生ほどになると違いがわかるノサ!! 奏でたマエ。絶望の涙と声を!! 小生をもっともっと怖がってオクレ!!」
七妖衆の無貌のアディスと名乗った、全身白ずくめの仮面の怪人は、逆さまに枝にぶら下がったまま、けたけたと肩を揺らした。
あのさ、盛り上がってるとこ悪いけど、これはあんたへの悲鳴じゃないから。
「自意識過剰な男はみっともないよ」
ひとこと釘を刺しておこう。
「なんと生意気盛りな!! ンハハッ!! 生きがイイネ。お仕置きし甲斐がアルヨ」
アディスは手を叩いて喜んだ。
はしゃぎすぎて、枝に引っ掛けていた足の甲がはずれ、頭から真っ逆さまに落下する。
そのままギャグマンガみたいに地面に突き刺さってしまえ。
だが、アディスは空中で身をひねり、とんっと木の幹を蹴った。
身体が水平飛行に移行し、弾丸のように私達めがけて襲いかかってきた。
人間離れした異様な運動能力だ。
落下しかけたゴキブリが、急にこっちに飛翔してきたような恐怖を感じる。
つるんとした仮面のせいで表情がまったくわからず不気味極まりない。
ととんっと地面を水切りのように爪先で蹴る。
そのたびに、おそろしい勢いで加速する。
「ちっぽけなアリンコお姫様。身の程をわきまえタマエよ。泣いて逃げ回る以外に、やれることがあるカネ? なかロウ? あるなら、見せてモラオウカ。このど底辺ガ」
私は唇を噛みしめた。
アディスは、私をちっぽけと馬鹿にした。
たしかに今の私は非力な幼女ボディだ・
だからこそ、せめて心だけは負けたくない。
こいつなんかに、びびってやるもんか!!
そりゃ、正直ちょっとくらいは怖いけど……。
「……私をあざ笑う奴に醜態さらすほど、安い女じゃないんだよ……!!」
アディスにむかついたおかげで、アーノルドへのトラウマが薄れ、金縛りが解けた。
よくも人のことアリンコ呼ばわりしたな!?
アリンコにだって噛みつく牙はあるのだ。舐めてもらっちゃ困る。
こう見えても、私は享年28歳の女王経験者!!
ふつうの幼女に比べ、人生経験の毒だってたっぷり持ち合わせてるんだから。
言われっぱなしで引き下がるもんか。
女に口で勝てると思ってんの。あんたは私を怒らせた。
生麦生米生卵……!! 舌の準備運動よし。
さあ、悪口ぶちかますぞ!!
「……あんたこそ、そのまっしろなファッションセンス、まるで白ゴキブリ!! 変なぬいぐるみも含めて、ひたすらに気持ち悪い。ゴキブリ界のファッションリーダー気取ってんの? つるつるの仮面も、いけてるつもり!? あ、前衛表現をまさか狙ったの? それともウケ狙い? え、違う? 本気? 驚いたあ。その格好で、よく外を出歩けるよね? プーッ、クスクスクス、笑っちゃう。ここはあんたの腐った脳内リサイタル会場じゃないのよ。無貌じゃなく無謀のアディスって改名したら? ママのおなかに羞恥心を置き忘れてきちゃった? あ、もしかして、その変てこ仮面のせいで何も見えてないのかな。 ほら、ぼくちゃん、これを拝みなさいな。……これが、あんたのファッションチェックへの点数よ!!」
私はマシンガンのように一気にまくしたて、令嬢らしからぬ中指を立てるポーズで、無貌のアディスを挑発した。よしっ、舌噛まずに言えた。私、えらい!!
「……バ、バカ……挑発するにしても、やりすぎだ」
あわてたブラッドが飛びつくように私を抱きかかえた。
そのまま肩に私のおなかを乗せ、全力疾走で逃走する。
私はあきらめずアディスを罵しり続けた。第二部開演だ。
ブラッドの肩ごしに叫んだので、捨て台詞っぽいのが残念だ。
〈治外の民〉たちが目を丸くして私を見ている。
私は耳まで赤くなった。
……あの、あんまり、じっと見てないで早く動いて。
私の反令嬢的な行動を無駄にしないでください。
ちゃんと通じたでしょ|。
「おい、あいつ無言で追っかけてくるぞ。少し言葉のトーンを抑えろって」
ブラッドの忠告に私はうなずいた。
今度は両手を口にかけ、無貌のアディスにイーッとしてやる。
口がダメなら身振り手振りで応戦だ!!
「あほか!! 余計に煽ってどうするんだよ!?」
ブラッドが呆れる。
いいの!!
今のに紛れさせ、アディスに気づかれぬよう、弓矢をかまえているお母様に合図したの!!
追走する無貌のアディスの仮面から、くっくっくっと嗤いが漏れた。
「……イイネ!! へらず口!! 勝気な女の子は、跳ね回るボールのようダヨ!? 身の程知らずデ、小憎らしくっテ、破裂させたくナルネ。久しぶりに童心を思い出したネ。あの頃ハ、トンボの頭をどこまで潰せば飛べるのか、毎日毎日試したヨ。サア、お姫様ハ、どこまで顔を潰せば、おしゃべりがやむカナア……」
トップハットを片手で押さえると、ぎゅんっとヤツの姿が霞んだ。
逃げる私達のすぐ背後に突然出現する。
「……追いついたア。まずは右目をクダサイナ、風船みたいに……パアンッ!!」
にゅうっとヤツが両手の指をいっぱいに広げた。
私の視界いっぱいに広がる。
こわっ……!!
「……一瞬で距離、縮めやがった……!! 踏み込み技、『刹那』かよ……!! あいつ、父上なみに治外の民の技を使ってきやがる」
ブラッドが戦慄の呻きを漏らす。
ブラッドは急カーブをきったが、ぴたりと追随してくる。
ならばと、ブラッドはさらに加速するが、それでもアディスはふりきれない。
「ン八ッ!! 鈍足だねエ。鬼ごっこは仕舞かネ!? 食―べちゃうゾ」
それどころか余裕たっぷりで、影絵のように指先で獣の形をつくり、ぱくぱくと咬み合わせる。
ひえっ、私の髪先つまんで遊んでるよ!!
この商品の試食は固くお断りします……!!
「……バカにしやがって……こちとら本家本元だぜ……!! ……宗家、舐めんなよ……!!」
だが、無貌のアディスの指が、私の肌に食い込む寸前、歯軋りしたブラッドが、さらに急加速した。
どんっと私の内臓にGがかかる。
さらにもう一回、急加速!! どどんっ!!
私の胃の負担もさらに倍!!
ちょっとブラッド!!
私、お昼の消化物、リバースしちゃいそうなんですけど!!
「……『刹那』」の三連続カ。ヤルゥ。面白くなってキタ。小生も本気を出さねバ……オヤ?」
追撃しようとしたアディスを、並走するように飛来した飛来した八本の矢が包囲した。
「……!? なんだネ、コノ矢ハ……!?」
「……弓法、蛇がらみ……!! もはや、この矢からは何人たりとも逃げるはかなわず」
弓技を展開し終わったお母様が、ふうっと息を吐く。
「蛇がらみ」は、対象物を逃げ場のないよう矢で包囲し、一気に収束させ、四方八方から射殺する必殺技だ。
さすがお母様!! 私の狙いを察知し、ぴたりと合わせてくれた。
私はアディスへ罵詈雑言を叩きつけることで自らを囮にし、奴の進行ルートを限定させたのだ。
アディスがいくら不可思議な技を使おうと、私に向かってくるとわかってさえいれば、お母様の矢は奴を確実にとらえられる。……またも私、自分をエサに敵を釣っております。なんか身体を張ってるお笑い芸人のようだ。
「……おい!! 奴には返し矢があるんだぞ……!!」
先ほどお母様めがけてアディスがUターンさせた矢を目撃したブラッドが血相を変える。
米俵を肩に担がれるような形で運ばれている私は、安心しろと足をぱたぱたさせた。
両手は念のために口を押えております。乗り物酔いです。
令嬢たるもの、常に万が一の粗相に備えるものなのだ。おえうぷ。
「……だいじょうぶだって。我が策略に……死角なし!! ……うえぷ……」
渦に吸い込まれる木の葉のように、アディスめがけ、飛来する矢の軌跡がぎゅうんっと絞られた。
獅子さえも対応できぬ、同時多角攻撃だ。
いくら短弓でも、普通ならこれで勝利だ。だけど、
「……逃げるはかなわズ? 言ったナ、小生にその言葉ヲ? 言いマシタネーッ!? ンハハッ!! ンハハハハハーッ!! これは可笑シイ!! ハラワタ、ブチ切れちゃうネ!!」
アディスは狂ったように笑い出した。
やばい!! あいつの殺気がふくれあがっていく……!!
「……笑わせてくれたお礼ダヨ!! 顔面で、自分の矢をすべて味わわせてアゲル!! 小生の『本当の腕』も見えぬのに、矢の攻撃ナド、笑止千万ダネ!!」
まただ!!
アディスがくるんっと横に身体をまわしただけで、お母様の矢を全部掴み取った!!
八本同時に!? ありえない!!
今、あいつは、「本当の腕」と言った。絶対になにかからくりがある!!
「……ンハハハーッ!! お返しするヨ!! 人妻の滅多刺し、いっちょうアガリ!! 愚か者は学習シナイね」
「……学習しない愚か者はどっちかしら。あんたはすでに罠に落ちた……うぷ……」
勝ち誇るアディスに、私は鼻で笑ってやった。
ひいちゃダメだ。喧嘩は心がびびったほうが負け!!
「……罠? マサカ、その吐瀉物で小生の目を潰す気かネ……?」
アディスの問いに、私を担いでいるブラッドが、びくっと肩を震わせた。
「……スカチビ……おまえ、なんておそろしいことを……!! ちょっとひく……」
……するか!! ひくを通り越してドンびきだわ!!
勝敗以前に、私の乙女としての尊厳が木端ミジンコじゃないの!!
「……あんたのからくり……私には見破れない!! うぷっ。だけど見破る必要なんてないのよ!!」
あの、この「うぷっ」含み笑いをしているわけではないので。念のため。
文字だけの表現って、いろいろ誤解を生みやすいのです。
「……ナニヲ? ……ヌオッ!?」
アディスが返し矢を放つ前に、頭上から黒い網が降り、その姿を呑み込んだ。
「……だって、トリックがあっても、周りの空間ごと押し包んでしまえば関係ない。私が魅力的だからって見とれてるから、足元……もとい、頭上をすくわれるのよ!! ……うぷぷっ……」
私はセ決めポーズをした。
なんか笑ってるみたいだけど、吐き気をこらえるのに必死です。
計算どおりと宣言したかったが、喉元からせりあがる熱い衝動をド根性で呑み込んだため、残念ながら取り止めとなった。さもなくば虹色モザイクが私の口元から地面にかかり、ゲロインの栄冠が頭上に燦然と輝いただろう。
今、なにが起こったのか。
じつは〈治外の民〉たちは樹上にひそみ、アディスが八本の矢を摑みとる瞬間を待っていた。そして、アディスが意識を集中させた隙をつき、頭上から取り囲むように捕縛用の網……「蜘蛛霞」をかけたのだ。さっきの私の中指立てポーズは、このための合図だった。
……あの下品なジェスチャーにはちゃんと意味があったのです。
襲撃にそなえ、こういう秘密の合図を、私達はいくつかとり決めているのだ。
樹上から降り立った〈治外の民〉たちと、私は会心のサムズアップを交わし合った。
この網からは逃れられない。オカ魔女さんはダミーで逃げて無事だったが、本来は一度からまると、即座にぎゅうぎゅうに締まり、獲物の自由を奪う。無理矢理手首を動かし、数か所ぐらい切ったところで、特殊な編み方をしているので緩ますことはまず不可能だ。
「……なんだよ、おまえら。そんなすごい連携技、オレに隠れて特訓してたのか。あれ、コーネリアさんも知ってたのか。オレだけ仲間外れかよ」
申し訳なさそうなお母様と〈治外の民〉たちに憮然とするブラッド。
私は担がれた状態で、ブラッドの背中をぽんぽん叩いた。
はいしどうどう、落ち着いて。
「……ごめんね、全部、私の発案なの。敵を騙すにはまず味方からっていうでしょ」
ここにいる〈治外の民〉たちが成長著しいブラッドに感銘を受け、「若を驚かせたい」と特訓したことは内緒だ。そういう向上心大好きです!!
そんな気を悪くしないでよ。お詫びにほっぺにキスぐらいしてあげるからさ。
「……いや、べつにそれ、いらない。なんかゲロくさいし……」
ブラッドがあわてて、かぶりを振り、辞退する。
「なにおおっ!! 白銀にも黄金にもまさる乙女のキスをなんと心得……わっ……!?」
私の憤慨は途中で打ち切られた。
ブラッドごと後方にぐんっと大きく身体が引っ張られたためだ。
オカ魔女さんがブラッドの胴体につる草を巻き付けていた。
さっきオカ魔女さんが緊急退避したあの技だ。
急速に縮んだつる草によって、バンジージャンプの反動を横にしたように、私達は空中後方に舞い上がっていた。私はあわててブラッドのメイド服にしがみついた。がんばれ!! 私の握力!!
「……おい、あんた、なにを……!?」
オカ魔女さんをもう敵と思っていなかったブラッドは背後からのつる草をまったく警戒しておらず、完全に虚をつかれた。驚いて問いかけると、
「ぼおっとしないの!! 七妖衆は化物揃いよ!! これぐらいじゃアディスは倒せない!! 今、お姫様殺されかけてたわよ!!」
オカ魔女さんは声を枯らしての絶叫で答えた。
大袈裟だなあ、あいつ、がんじがらめで地面に転がってるよ、と思った私は、自分の前髪がぱさりと落ちるのを見て戦慄した。
ひええっ、コケシみたいなぱっつんになってしまった!!
これ、オカ魔女さんに引っ張られてなきゃ、首と胴が泣き別れになってましたってパターン!?
「……バカな……あいつ、攻撃なんかしてなかったはず……」
衝撃でブラッドの顔面が蒼白になる。
「なんなんだ、あいつは……!?」
ぱあんっと網がはじけ飛んだ。
無貌のアディスは、白い礼服についた落ち葉をわざとらしくはたき、驚愕に目をむく〈治外の民〉たちを見渡した。
「……そろそろ鬼ごっこも飽きたネ。まとめてかかってきたまえヨ。それとも音に聞こえた〈治外の民〉というのは、奇襲を一度破られたら、立ち尽くすシカ能のないデクの坊の集団カネ? そんなザマだから、先祖がぶざまに追放されるのダヨ」
声をあげて嘲笑うアディスに〈治外の民〉のみんなが気色ばんだ。
この昔話は〈治外の民〉にとって最大級の侮辱で、普段温厚な人間でも烈火のごとく怒り狂う。
「おのれっ!! 生かしては帰さん!!」
「我ら〈治外の民〉の妙技、とくと見よ!!」
「秘儀『黒蜘蛛……!!」
だが、アディスに殺到した彼らの手から、必殺の技が放たれることはなかった。
見えない爆発に巻き込まれたかのようにもんどりうって全員が吹っ飛んだ。
あれだけタフな連中が失神し、なす術もなく背中から地面に叩きつけられる。
ブラッドが驚きの息をのんだ。
ぱぱぱんっと聞きなれた乾いた打撃音がしたのだ。
「……あの野郎、やっぱり〈治外の民〉の技を使いこなすんだ。それもとんでもない高レベルで」
「……ンハハーッ!! 怒って隙だらけダヨ!? 技は業。練るには、狂気がまるで足りてないネ。武を舐めてるのかネ? オヤスミ、口だけ集団。……オヤオヤ、新たな小蠅かネ? 少々シツコイネ」
アディスは両手を広げ、やれやれというポーズを取った。
「……奴を行かせるな!! 王家親衛隊、トライデントつかまつる!!」
「突貫せよ!!」
「応ッ!!」
突入の機会をうかがっていた王家親衛隊が、三騎一組で馬の蹄を打ち鳴らし、風を巻いて襲いかかる。
アディスはふわりと跳躍し、馬に乗った騎士たちを飛び越え、そのままかくんっと空中に静止した。白装束がせせら嗤うように、王家親衛隊の頭上で揺れる。
「……鬼さん、コチラ、手の鳴るほうへ。ヤレヤレ、わざと停止したのだヨ。出血大サービスで待ってあげてるのに、攻撃の一つもなしカネ? なんて間抜け面ダヨ」
アディスが拍手してけらけら笑う。
王家親衛隊だって反応はした。だが、馬上槍では上方に攻撃しようがない。重すぎて振り上げられない。王家親衛隊隊長のマッツオのゴリラなみの膂力ならともかく、人間が気軽に取り回せる重量ではないのだ。
「……馬鹿な……!! ……人間が宙に停止するなど……」
混乱し隊列を乱し、呆然と見上げる王家親衛隊の真っただ中に、アディスはトップハットを片手で押さえ、悠然と舞い降りた。
「ンハハッ!! 七妖衆なら、今の間に、小生に数十発の攻撃を叩きこんでいるヨ。名にし負う王家親衛隊はこの程度かネ。失せたマエ」
〈治外の民〉たちと同様に、王家親衛隊のみんなも声をあげる間もなく、吹っ飛ばされ、落馬した。やはり全員気絶している。彼らは丈夫な胴甲を着用しているが、そこから白煙と火花が散ったのが見えた。壮絶な激突音が連続した。まるで鉄の腕を持つ透明な巨人が、あたり一面を殴りつけたかのようだった。
「……あ、あれも〈治外の民〉の技なの?」
「……違う!! オレもあんな技は知らない。暗器にしては威力がでかすぎるし、なんなんだ、あいつは……!!」
私とブラッドが着地するまでのわずかな間に、猛者たちが全滅させられた。
私達の横に、ひゅうんっと音をたて、お母様も着地した。
私達同様、オカ魔女さんがつる草で引き寄せたんだ。
「……逃げなさい!! 早く!! 私が荊の檻で時間を稼ぐから!! 七妖衆相手に戦おうなんてバカな考えおこしちゃ駄目!! 〝幽幻〟か〝魔眼〟持ちじゃないと、なぶり殺しにされるのがオチよ!!」
「ユウゲン? マガン? ってなに?」
私は、バトル解説役も兼ねるブラッドをちらっと見たが、ブラッドも知らないようだ。
「そんな説明はあと!! 弓なんかかまえてないで、とにかく逃げるのよ!!」
オカ魔女さんが私達を急かす。
近くであらためて見るとオカ魔女さんの背丈は相当低い。
いや、取り憑いている体がというべきか。
ローブとフードで包まれているのではっきりはわからないが、ブラッドより明らかに小柄だ。
だが、その背中は限りなく頼もしく見えた。
けれど、アディスはおそろしい一言で、あっさり私達の逃走を封じた。
「……もう鬼ごっこはウンザリだヨ? 逃げると、ここに転がっている連中の頭を潰すヨ?」
気絶している〈治外の民〉たちと王家親衛隊を、アディスは、ちょんちょんと爪先蹴りした。
「……てめえ……!!」
「この卑怯者が……!!」
「ン八ッ!! コノ仮面は目も耳もナイネ。何ヲ言われても見ザル、聞かザルヨ。それに裏切り者ニ言われたくナイネ」
ブラッドが怒りの呻きをもらし、オカ魔女さんはヤドリギで覆われた顔で歯軋りするが、アディスはせせら嗤うように、のっぺりした仮面の顎をしゃくった。
「……だったら、口もない仮面なんだから黙ってなさい。あんたをここで閉じ込めて、悪さができなくしてあげる!! 坊や、ここは私にまかせて!! ……はああっ!!」
血相を変えて飛び出しかけたブラッドを制し、オカ魔女さんが気合とともに両手を突き出した。先ほどの戦いで張り巡らした、アディスの近辺のイバラがざあっと動き出し、樹々の幹の間にからみつき、小さな有刺鉄線の鳥籠のようになって、あっという間にアディス一人を隔離する。
「……あんたみたいな厄介な奴、このまま眠らすに限るわ!!」
イバラの檻の外側をつる草が覆い、一斉につぼみをつける。
オカ魔女さんお得意の花粉による眠り攻撃で押し包む気だ!!
アディスはため息をつき、肩にしがみついている猫のぬいぐるみを取り外した。
「……ヤレヤレ、軽く遊んだだけだったのに、この仕打ちだヨ!? やはり七妖衆同士じゃないと、お友達にはナレナイネ。昼なのに安眠させようなんてヒドイヨネ。ここは名残惜しいがペット君を目覚まし代わりに犠牲にするヨ。お別れダ。ネコキチ君。許してクレルカネ」
ぬいぐるみの頭と胴体を持ち、頭上にさしあげ、こくこくと頷かせた。
「……イヤだ!! 絶対に許サナイ!! 末代まで呪ってヤルニャアーッッ!!」
「ンハハーッ、嬉しいネ。愛と憎しみは一体サ。小生たちの絆は永遠ダヨ!?」
気持ち悪い腹話術で寸劇すると、高笑いをした。
ぶちぶちっと猫のぬいぐるみの胴体を真っ二つに捩じ切る。
ご丁寧に血の色に染めてある綿があふれだした。
本当の腸みたいで、ものすごく不快だ。私はまた吐きそうになった。
こいつの言動マジで気持ち悪いんですけど……。
ひゅうんひゅうんっと空気が鳴った。
「……ンハハーッ!! 必殺ウッ!! ザクザク斬りだヨ!!」
ぽいっと無造作に放り捨てたぬいぐるみの残骸ともども、アディスを封じていた周囲の荊とつる草が一瞬で微塵切りになり、ばあっとつぼみのまま四散した。
「……くっ、花が咲く前に……!! これじゃ眠りの花粉が飛ばせない」
オカ魔女さんが蒼ざめる。
「……ちっ、これならどうだ……!!」
ブラッドが投げつけた回転する扇が、間髪入れずにアディスの前後左右から襲いかかるが、まったく同じように引き裂かれ、バラバラに飛び散った。それも空中で四方八方からムチで打ち据えられたように、跳ね回りながらだ。
「おいおい……」
ブラッドの顔がひきつる。
また攻撃の種類が違う!? わけがわからない!! ほんとになんなの、こいつは!?
「……もう手は出し尽くしたかネ? では、こちらから参りマショウ。おまちかね、花嫁の入場デス。皆様、拍手でお迎えくだサイ。パンッハハハッ!? パンッハハハハッ!? パンハハ、パンハハ……♫」
ずれたメロディーで癇に障るウェディングマーチもどきをハミングしながら、アディスが悠然とこちらに歩いてくる。小馬鹿にしきっている。ここにいるメンバーのどんな攻撃も自分に通用しないのを知っているのだ。
「猫、踏んじゃっタ。猫、踏んずけちゃったら、死んじゃっタ。プチュウウッ」
顔の形をかろうじて残していた猫のぬいぐるみの欠片を、楽しそうに爪先で踏みにじる。
私は、ブラッドがいきなり逃げの一手をうとうとした理由を、嫌というほど思い知った。
こいつは、たしかに戦っちゃいけない相手だ。
「……駄目……!! 私じゃ、無貌のアディスは止められない……!!」
オカ魔女さんが絶望に身を震わせた。
「……くっ!! まだ矢は尽きていない……!!」
「お母様!! いけません!!」
弓技で迎撃しようとしたお母様を、私は必死で制止した。
たとえ返し矢の可能性があっても、娘の私を守るため、お母様は躊躇わないだろう。
だが、先ほどの〈治外の民〉のサポートがあったときとは事情が違う。
断じて矢を放たせるわけにはいかない。
返し矢などされたら、今度こそお母様は殺されてしまう。
……でも、どうしたら……!!
私は親指の爪を噛んだ。全身が冷汗でぐっしょりになる。
「……このままじゃ、手詰りだけど……!! どうしよう……!!」
時間がない。このままでは全員がこの怪人に蹂躙される。
あきらめるな!! 考えるんだ、アディスの見えない攻撃をしのぐ方法を……!!
みんなが生き残るために……!!
「……いや、手ならありますよ」
いきなり背後から声をかけられ、私達は飛び上がりそうになった。
私は驚きのあまり落下しそうになり、あわててコアラのようにブラッドにしがみついた。
ハンターグリーンの膝まである船長服が目にとびこんできた。
金糸の刺繍が月光に映える。それから年期の入った革ブーツ。
海風のにおいがした。
オレンジがかった茶色の前髪で目まで隠したそいつは、アディスを指さした。
すっすっすっと指を動かす。
アディスの足が止まった。
「……いきなり出てきて、ナンダネ? 貴様……今の指さした位置……マサカ小生の本当の姿が見えているのカ」
「……教えると思うか? これから戦う相手に、手持ちの札をさらけ出すバカはいない」
そいつは不敵に笑った。
「……ずいぶん好き勝手やってくれみたいだな。ここからはボクたちも助太刀させてもらう。まずは挨拶代わりだ。受け取れよ」
すっと片手を上に上げ、振り下ろすと同時に、闇を切り裂いて、矢が降り注いだ。
障害物の梢を、ぼんっぼんっと音をたてて軽々とぶち抜き、アディスめがけて襲いかかる。
「……ちッ!! 小生の姿が見える者が、他にもいるようだネ。厄介ナ……!!」
アディスは舌打ちし、大きく飛び退いた。
矢は地面と幹に激突し、轟音と粉塵をたてた。
矢というより砲撃だ。鼓膜がわんわんする。
「……なんて弓威……!!」
弓の達人のお母様が立ち尽くすほど凄まじい攻撃だった。
「……この威力、亡くなったお婆さま以上……!! ぜひ手合せをしなければ……!!」
……あの、お母様。目をらんらんと輝かすのやめてください。
弓キチの不穏なスイッチ入れちゃうと、またストーリーが横道にそれちゃいますので。
……本筋に戻りますね。
「空からは我が友の目が。地上からはこのボクが、おまえの動きを見破る。もう好き勝手はさせない」
矢の着弾した衝撃が空気を揺るがした。
巻き起こった風が、船長服のそいつの前髪をなびかせ、エメラルドの瞳と額の傷があらわになった。
「……ホギャアアアアアッ!!」
それが誰かわかった私は、頭の中で爆発したトラウマに絶叫した。
溺死!! 転落死!! 圧死!! 打撲死!! 刺殺!! 斬殺!! その他あわせて十三回!!
「108回」で私を惨殺した五人の勇士の一人、風読みのセラフィがそこに立っていた。
いや、わかってたけど、演出上の様式美ってやつよ。
しかも、セラフィを援護射撃しているあの弓威!!
間違いなく闇の狩人アーノルドの奴もセットだよ!!
あいつら、いつも「108回」ではつるんで行動してたし……!!
「……そ、そんな……悲鳴をあげるほど毛嫌いしなくても……」
セラフィはしょげ返り、こちらに背を向けてしゃがみこみ、地面を指でうじうじとなぞり出した。
颯爽と登場した直後に、ギャグキャラに転落していた。
さすがに私は気の毒になった。
セラフィにはいつもいろいろ便宜を図ってもらっている。
私の金策のほとんどはセラフィの協力なしではありえないのだ。
悪かったって!!
アーノルドまでついてきたから、ダブルショックで過剰反応しちゃったの。
別にセラフィを毛嫌いなんてしてないんだよ!!
今、そんなすねてる場合じゃないんだって!!
「……めんどくさい。えい」
ブラッドの奴、私の首根っこを摑むと、いきなりセラフィの顔に私を押しつけやがった。
「……もがっ!? もごごっ!? もごおーっ!!」
ぬいぐるみ扱いされた私は、セラフィの頬に、唇と鼻を埋める形になり、呼吸困難になってばたばたと暴れた。
「……来てくれて頼もしいぜ、セラフィ。スカチビが、お詫びのしるしにチューするから許してくれってさ。それより、手があるってどういうことだ」
言ってない!! 私の台詞を捏造するな!!
それと、あんたのキスってのは、乙女がチアノーゼ寸前になってするものなのか!!
死ぬ!! トラウマに窒息が加わる!!
ぐおおっ!! 鼻水と涎が飛び出る……!!
あ……お花畑が……。天使のお迎えが……!!
「……かわいそうですよ。ボクなんかに、そこまでしてもらったら、逆に傷つきます」
セラフィがため息をついて私を引きはがしてくれなければ、私は酸欠紫色のお肌のスカーレットとなり、昇天していたろう。
「天使のようなスカーレットさんのお顔を拭くには申し訳ないものですが」
うん、私が天使かどうかはともかく、今、天国の門はくぐりかけてたよ。
セラフィはすまなさそうに、おろしたての絹のハンカチを取り出した。
私の鼻水と涎のせいで自分の頬がべとべとなのに、それにはかまわず、片膝をついて、まず私の顔を拭いてくれる。頬から離れるとき、にゅいんっと粘液の糸までひいたのに、見ないふりだ。ほんと、できた性格の奴だよ。
お父様が気に入るわけだ。
……セラフィは知らないが、お父様は私とセラフィをくっつけようとしている節がある。
恩人ということもあるし、人格、将来性、ともに二重丸。
結婚したら、常に気を配り、花嫁さんに幸せを感じさせ続けるタイプ。
なにより私の能力を百パーセント以上に活かせるパートナーだからだそうだ。
いっときお母様が弓を捨てたのを見ていたお父様は、女の人がなにかのために才能を押し殺すのがつらいらしい。まあ、私がどこかの貴族に嫁いだ場合、大なり小なりそうなるよね。
それにセラフィなら、ハイドランジアが戦乱に巻き込まれても、私を海外に確実に逃がせる。
海の上に出れば、セラフィのブロンシュ号に追いつける船は皆無だ。
海外赴任が多いお父様は、大陸を覆う暗雲を実感しているのだ。
うーん、それにしても、私まだ三歳よ。
少し気が早いとは思うなあ……。
セラフィのこと嫌いじゃないけど……。
「お気の毒に。こんな綺麗な赤い髪を切るなんてひどい奴ですね」
アディスを睨みつけると、セラフィは顔を曇らせ、美しい銀の髪留めをポケットから出し、私の前髪を寄せてまとめてくれた。
髪切り犯人のアディスはセラフィを警戒し、こちらの様子を窺っている。
「ですが、あなたの可愛らしさは、天上の月のように不変のままですよ」
セラフィのやつ、素でこんなセリフを言うからおそろしい。
もっと怖いのは、歯が浮く台詞なのに、声にするとそれほど気障っぽく聞こえないのだ。
見かけによらず苦労しているので、それがにじみ出ているのだろう。
商会が落ち目になって、あちこち頭を下げてまわったときは、門前払いどころか、ときに足蹴にされ、相当つらい思いをしたらしい。うん、まあ、凋落したら、世間って容赦ないよね。私も嫌ってほど思い知らされたよ……。
それでも泣き崩れることも許されず、唇を噛みしめて前に進むしかなかった。
セラフィの気持ちはわかるよ。責任者ってのはそういうものだもの……。
「……天使……! 月……! ぷぷっ、たしかにスカチビは満月みたいにまん丸な顔してる……!!」
ブラッドのあほは笑い崩れているけど。
あとであいつ、三枚におろしてやる。
「……ブラッド、見習いなさい。これこそが本物の紳士の態度よ」
あらためて私はセラフィの頬に感謝のキスをした。
……私のしょっぱい鼻水味がした。うええ、するんじゃなかった。気持ち悪い。吐瀉物のにおいもちょっぴりする。セラフィは気づかないふりしてくれてるけど。
「……ごめんなさい。急に出会って、少し驚いただけなの。私、セラフィのこと嫌いじゃないよ。ううん、むしろ好きなほうだと思う(だって、大切な金ヅルだもん)」
キュートに決めて媚びまくれ!!
「いいんですよ。嫌われてさえいなければ。思春期の女性にはいろいろ思うところがあると思います。まして、あなたほど知能が高ければ。……でも、忘れないでいてほしい。スカーレットさんは、ボクにとって(ビジネスパートナーとして)大切な女性です。あなたの危機にはなにを差し置いても駆けつけます。だから、今後とも(ビジネスパートナーとして)共に歩くことを許していただけますか」
「もちろんよ!!」
私達は固く握手し合った。
その際にセラフィが異国の金貨を、私に握らせてきた。
私は目を丸くした。ただの賄賂ではない。
これ、世界最大の宗教組織、聖教会の聖都で発行しているものだ。
オランジュ商会が聖都で取引できるようになったと暗に知らせているのだ。
これで目的に大きく近づいた。やったじゃん、セラフィ!! 最高のカンフル剤だよ!!
「……つまらないお土産ですが」
「……いえ、最高のお土産よ」
私達は互いに、あはは、うふふと邪悪な笑みを交わした。
「……なんか二人とも笑顔の裏に、いろんな思惑が渦巻いてる気がする……」
ブラッドが腕組みし、首をひねっている。
いいのよ!! 大人の世界にはいろいろあるの!!
さて、いいお知らせもらったことだし、切りがいいとこで、私は軍師のお役目ごめん。
私は自分も前線に立つけど、お姫様のように守ってもらうのも嫌いではないのだ。
「……小生を無視し、のんきにお喋りトハ、舐められたモノダネ」
アディスは苛立ち、ぬいぐるみの一つをもぎ取ると、ウィンナーのようにへし折った。
あれ? こいつ意外と煽りに弱い? おっかないと思ってたけど、もしかして小物……。
「……スカーレットさん……失礼しますね……」
セラフィが突然、ふわりと私を抱きしめた。吐息が頬をくすぐる。
えっ、私、押し倒される……?
「ちょっ、ちょっと、セラフィ……!?」
私は慌てた。いくら将来の私が魅力的といっても、今の私は幼女の姿。衆人環視のまっただなか、しかも敵を眼前にして、その熱烈なアプローチはいかがなものでしょうか!?
「……スカーレット!!」
ブラッドが怒鳴った。
え、まさかヤキモチ? もうっ……もてる女はつらいなあ……。
照れて後頭部をポリポリしようとした私の手が凍りついた。
ひゅおおおんっと音がし、私の髪の毛数本が飛散したのだ。
そばの樹の幹に深々とナイフが突き刺さった。
アディスが舌打ちしたのが聞こえた。
「……チッ、この坊や、やはり小生の動きが読めてイルネ。ドウヤッタ?」
その冷たい声は、今の苛立ちが演技であったと示していた。
さっきまで私の頭のあった位置を投げナイフが通過したと気づき、私は震え上がった。
セラフィがかばってくれなければ、こめかみを貫かれて即死していたと悟ったのだ。
「……バカな……!! 突然ナイフが空間に現れやがった……!!」
顔面蒼白なブラッドが、私をかばうように前に立つ。
「……そんな……!! 気配が……読めなかった……!!」
矢をつがえたまま、お母様も呆然としていた。
森にひそんだ野生動物の気配さえ察知するお母様でさえ、わからなかったんだ……!!
今のやっぱりアディスがやったの!?
私はあらためて戦慄した。震えが止まらない。
人間技じゃない。
まさかブラッドとお母様でもとらえられない攻撃なんて……!!
「……心配はいりませんよ。そのために、ボクたちが来たのですから」
セラフィが私の不安を吹き飛ばすように笑った。
「以前、小舟の上で誓ったでしょう。ブラッドとボクが、スカーレットさんの左右の騎士になるって。いつもブラッドばかり活躍させては癪ですからね。たまにはボクも戦いの役に立たないと。……みなさんへの指示、今だけは、ボクに任せてもらっても宜しいですか?」
私はぶんぶんと頷いた。
どうやってか知らないが、セラフィにはアディスの見えない攻撃が見えている。
ならば否も応もない。
喜んで全権を委譲しますとも!!
あとは任せたよ、セラフィ君!! ん、固まってどうしたの?
「……あの……ところで……この方は……味方でいいんですよね……?」
ひきつった表情で見つめるその先には、オカ魔女さんがいた。
ローブにフードで姿のほとんどを覆い隠し、唯一あらわになった顔と手首から先には、うねうねとつる草やヤドリギが緑にうねっている。さらに胸元にはありえないほどでっかいブルーダイヤがぶらぶらしている。
……ああ、そうか。すっかり慣れっこになってたけど、初見だとかなりビビる姿だよね。
「……ああ!! このオッサンは、むちゃくちゃ頼りになるし、すげーいい人だぜ。安心して背中をあずけられる。セラフィが、あの仮面の奴の攻撃を見切れるなら、これでなんとかなるかもな」
ブラッドが胸を叩いて太鼓判を押し、オカ魔女さんが親愛の投げキッスをした。
「……よろしくね。こっちのメイド服の坊やも素敵だけど、あなたも惚れ惚れするほどいい男ね。十年後がとおっても楽しみだわ」
野太く腹に響く声で語り、ヤドリギに覆われた顔でウィンクする。
インパクト強っ……!!
セラフィは静かに頷き、無貌のアディスに向き直った。
「わかりました。宜しくお願いします。では……怪物退治とまいりましょうか」
うわっ、適応早い!! あっさり受け入れたよ。
この切り替えの早さが、セラフィのすごいところだ。
どんな奇天烈なことでも、目的の前では、大事の前の小事と割り切れるんだ。
さすが世界最速のブロンシュ号の船長だ。嵐逆巻く波濤万里の航海をこなし、生き馬の目を抜く商人の世界で、没落したオランジュ商会を立て直した胆力は伊達じゃない。頭も切れるし、敵にするとおそろしいけど、味方にするとほんと頼もしいよ。私を散々苦しめたアーノルドの矢も、今はバックに控えてくれている。
なんとかなりそうな気がしてきた!! この安心感、まさに大船に身をまかせたようだ。舵取りはまかせました。私は貴婦人らしく優雅にみなさまに声援を送ることに専念します。
「……落ち着くんだ、ボク……そうだ。海では不思議なことがいくらでも起きる……海では不思議なことがいくらでも起きる……海では……」
と思ったら、そうでもなかった……!!
よく見るとセラフィのやつ、青ざめた顔で、ぶつぶつ呟いてたよ!!
ていうか、その冷静になるための決まり文句の設定、まだ生きてたんだ。
だいじょうぶか、こいつ……。これ、泥船じゃないでしょうね。
やっぱり、いざというときの救命ボートの位置を確認するのだけは忘れないようにしとこう……。
お読みいただき、ありがとうございます!!
漫画のほうから来ていただいた方、作画の鳥生ちのり様が、ツイッターをされています。
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なお、悪口コメントは、なまくらのほうに。お待ちしております(笑)




