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55/111

ブルーダイヤの秘密。破滅の魔女誕生のいきさつ。いつかあの子達を取り戻すために……

【電撃大王さまの11月号(9月26日発売)より、鳥生ちのり様によるコミカライズ開始!! 】


赤子スカ、ちび可愛い! 大人スカ美人! めいどブラッド、かっこ可愛い! コーネリアさん胸ない……。メアリーおっきい……


【書籍 108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻、KADOKAWAエンターブレイン様より発売中です!】


ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!


この話の前の54話を、二章のスタートである43話の前に移動すると申しましたが、すみません!!

なろう様のシステムでは、話の挿入はできても、そっくり話の差し替えはできなかったのです。うっかりしてました。コピーして新規挿入という形でやれなくもないんですが、折角いただいたご感想ごと消してしまうことは忍びない……。ということで、しばらく54話は、そのままにさせていただきます……。


43話の冒頭のあらすじみたいなのは、作品説明補助みたいなもの……として、お読みください。

【「54話」+「43話の主人公たちが馬車で出発するところから」】が、二章のはじまりです。


なお今回の話は、53話のオカ魔女との遭遇からの続きとなります。


ごちゃごちゃして申し訳ないですが、よろしくお願いいたします。




【これは滅んだ民族の、忘れ去られた遠い過去の物語】


それは今より百年も千年も前の物語ー。


石造りの神殿の外は灼熱地獄だった。


異常な日照りはいっかな衰える気配はなく、涼をもたらすはずの森の景色が、蜃気楼のように歪んでいた。動物たちはわずかな木陰や岩陰に身をひそめ、ひたすらに雨の降るのを待ち望んでいた。


「……ごめんね、干ばつ続きだから、今はこれだけしかお花がないの」


そう呟くのは森の民ヴィスクムの司祭、ドゥエインだ。

禿げ頭の巨躯を屈め、神殿奥の献花台の前に跪いた。

もってきた小さな花数本を、つまむようにそっと供える。

乙女にこそふさわしい行為であったが、不思議と笑う気にならないのは、真摯な哀しみと慈愛が広い背中にあるためだ。

長い間黙とうを捧げ、彼はため息をつくと、白く長い司祭服を揺らして立ち上がった。

高い祭壇に祀られているブルーダイヤを仰ぎ見る。

その目には憎しみがあった。

彼の今の祈りがダイヤに捧げたものでないことは明らかだった。


このブルーダイヤは、森の民ヴィスクムが崇めるご神体だ。

ブルーダイヤは定期的に生贄を捧げられることで、奇跡を起こす。

ありえないほどの作物の収穫をもたらすのだ。

だから、耕作面積の限られた森の中にもかかわらず、森の民は生きていける。


「……あなたたちが死んでから、もう十年もたったわ。生きていたら、きっと……どれだけ美人さんや、ハンサムになったか、みんな、みんな……本当にいい子だったもの……なのに……」


二度とかえらない思い出の日々が胸をよぎり、ドゥエインは言葉を詰まらせた。

……彼はブルーダイヤに語りかけているのではない。

ブルーダイヤに生贄として捧げられた少年少女の魂に語りかけているのだ。


献花台には他に花はない。

これは御神体のブルーダイヤのためでなく、生贄になった者たちへの献花台だからだ。

ドゥエインをのぞき、生贄になった彼らの顔を覚えている司祭はいない。

生贄は儀式であり、その方式は次代に引き継がせるべき大切なものであるが、生贄の顔など別にどうでもいいことだったからだ。


「……花の一つもないなんて寂しいわよね。みんな、薄情だわ。あなた達のおかげで、私達は生かされているのに。……だから、私は忘れないわ。あなたたちの笑顔も名前も。……マクドネル、あなたは男の子なのに、お花が大好きだった。ふふ、私と同じね。ファーガス。あなたは名前に似合わず臆病者だった。だけど小さい子に一番優しいのはあなただった。それから……」


ドゥエインは一人一人の名前を呼びかけ、ゆっくり語りかける。

子等の頭のかわりに愛おしそうに献花台を撫でる。

たしかにその子達が生きていたと主張するかのように。


生贄には、身寄りのない子や、貧乏で養えない子が選ばれる。

一月かけて身を清め、彼らは祭壇にあがる。

十年前、彼らの世話係を仰せつかったのがドゥエインだった。


生贄になる子達には豪勢な食事を与え、贅沢な生活をさせる。

神がよろこぶ上等な贄にするためだ。

だが、世話役がするのは通例それだけだ。


だが、ドゥエインは納得できなかった。

それでは家畜と変わらない。

彼は、「お父さん、お母さん」と寝床ですすり泣く子供の声をたまたま耳にしてしまったのだ。


ドゥエインは衝撃を受けた。

それまでは、子供たちが「生贄になるのが嬉しい」と口にしていたことを、疑問もなく真に受けていたのだ。司祭はたしかにそういう教育をされる。もしドゥエインが子供たちの立場なら、おのれが生贄になることに歓びさえ感じたろう。


だが、すべての子供が同じであるわけがない。

目が節穴だった過去の自分を殴りつけてやりたかった。

生贄になるのは名誉なことと周囲の大人たちに言われ、誇らしげに小さな胸を張っても、こんな幼い子達がこわくないわけがなかった。単に大人たちに逆らえなかっただけだ。

身寄りのない子供たちに、逃げる選択などあるはずがなかった。

そもそも善悪の判断さえ、まだ自分でできるはずがない。


ドゥエインは子供たちを追い込んだ大人だったことを恥じた。

子供達に、ちゃんと間違いを判断できる知識の道標を与えたいと思った。

周囲の奇異のまなざしを黙殺し、彼はつきっきりで子供達の面倒を見て、文字を教え、学ぶことの面白さを伝えた。子供たちに生きる意志を与えたかった。世界は残酷なだけでないと教えたかった。


最初は外見をおそろしがっていた子供たちも、ドゥエインによく懐いてくれた。

彼らはまるで本当の家族のようだった。

そしてドゥエインは、子供たちを生かす決意をしていた。


生贄の儀式の前日の夜、ドゥエインは彼らの部屋の扉の鍵をすべてはずしておいた。脱走する気なら、誰の目にとまらず逃げられるようひそかに手を回した。路銀も用意し、子供たちに伝えた。


「……いい? みんなに教えたように、命というのは、たしかになにかの命を犠牲の上に成り立っている。たとえば肉食獣と草食獣の関係のようにね。でもね、草食獣だって黙って殺されるわけじゃない。食べられないよう必死に抗う権利があるの。人間だって同じよ。わかるわね?」


彼は子供たち一人を一人を抱きしめながら、そう語りかけた。


「あなた達は子供よ。怖かったら我慢しなくていいい。辛かったら泣いていいの。行きなさい。生きるために。そして、もっと学びなさい。世界は広い。ここなんかとは比較にならないくらいね。……だから、いろんなことを見て知って、自分たちの生まれた意味を、自分で見つけ出すの。それはとても素敵な旅よ。日常の平凡な幸せ、切磋琢磨する道、いろいろな道があなた達を待っている。だから、精一杯満足したと思えるまでは、決して死んじゃダメよ。これが私の最後の授業。……あなたたちと過ごした毎日は、とても楽しかったわ。……さようなら」


ドゥエインは子供たちの身代わりに生贄になる気だった。

自分一人の命で、みんなが救えるなら安いものだと思った。

子供たちに生きてほしかった。


……しかし、子供たちは誰も逃げなかった。


粛々と生贄の儀式に臨み、小さな命を落とした。その堂々としたさまは、長い生贄の儀式でも稀なものだった。さすがドゥエイン司祭の世話した生贄たち、と森の民は誉めそやした。その功によってドゥエインは次席司祭となった。


「どうして、誰も逃げてくれなかったの……どうして……」


あれだけ心が通じ合った子供たちだ。

ドゥエインの考えがわからなかったはずがない。

まっさおになってよろめきながら、彼らと過ごした小屋にもどったドゥエインは、ことの真相を知った。


壁いっぱいに「ドゥエインせんせい、今までありがとう」と拙い子供たちの字で書かれていた。お世辞にもうまいとはいえない字だった。年端もいかない子が書いたのか、文字の体をなしていないものもあった。だが、それは、文字を知らない子達にたしかにドゥエインが教えたものであった。書き癖で誰がどの文字を書いたのかまで見分けられた。


たしかに子供たちはドゥエインから愛を教えられた。

そして惜しむことなく、その愛を恩師に返したのだ。

ドゥエインがもっとも望まない形で。


「……ああっ……!! ……あああっ……!!」


ドゥエインは獣のように慟哭し、泣き崩れた。


子供たちの笑顔の輪のなかで、いろいろな物語を話した日々を思い、壁に頬をおしつけ、拳をうちつけた。壁に遺された文字が、子供たちそのものに思え、切なく愛おしかった。


「……私が……!! 私がかばわれてどうするのよ……!! 私なんかが……!!」


ドゥエインが子供たちを救おうとしたように、子供たちはドゥエインを守ろうとした。

自分たちを逃がすため、ドゥエインが犠牲になろうとしていたことに気づいていたのだ。

子供たちの優しさを計算に入れなかったばかりに、最悪の事態を招いてしまった。


「……殺してしまった!! あんな素晴らしい子達を!! 無理に逃がせばよかった……!! 私が……馬鹿だった……!!」


愚かな自分を殺してやりたいと思った。

喉が張り裂けそうな後悔の叫びをふりしぼり、彼は一晩中泣き続けた。


……献花台はドゥエインが次席司祭の権限をふりかざし、無理につくらせたものだった。彼はその日以来、一日たりとも献花を欠かしたことはない。。ドゥエインは自宅の室内に、実験用の一年中咲く小さな花畑を持っている。花はそこで摘んでくる。生贄になった子供たちのお気に入りだった場所だ。ドゥエインはそこで子供達に、さまざまな花の名前を教えた。


「……みんな、お花、ちょっぴりでごめんね。もうすぐ雨が降るから……そうしたら、またたくさんの花が庭の花園にも咲き乱れるわ。みんなが大好きだった花々が……。それまで、この小さな花で我慢してね。また来るわ……」


ドゥエインは優しく語りかける。

おそろしく野太い声なのに、誰よりも慈悲に満ちている。


対照的に、ブルーダイヤは冷たい無機質な光を放っている。

高温の天気にもかかわらず、神殿の中は氷でも張っているかのように寒い。

捧げた花がみるみるうちに萎びていくのを、ドゥエインは怒りの表情で見つめた。彼の司祭としての奥義を極めた目には、花の命をブルーダイヤが吸い上げていくのがはっきりみえた。


「……この大喰らいの化物ダイヤめが。私はおまえなんかに花を捧げたわけではないわ。この花は、おまえに幼い命を、未来を、奪われた子供たちのためのものよ」


ドゥエインは憎悪をこめて、ひとこひとこと刻むように吐き捨てた。


十年前に生贄の子供たちの命をすすり、ブルーダイヤは奇跡をおこした。畑は再びありえないほど豊かに稔り、森は、森の民の生活圏を取り囲むように複雑に生い茂り、外敵の侵入を拒んだ。それはまさに神の奇跡であり、森の民はあらためてブルーダイヤの不思議な力にうち震え、崇拝の思いをより強くした。


だが、彼らとは反対に、あの日以来、ドゥエインの信仰は失われた。


人の思いやりを食い物にしたこの宝石がいくら奇跡を見せても、もうまやかしとしか思えなくなった。


森の民のブルーダイヤは、この世にありえない存在だ。最強の硬度をもつダイヤは、今の人間の文明力では削るのさえ容易でない。なのに、この精緻極まりない細工はどうだろう。それにブルーダイヤは滅多にない宝石だ。ましててこれほどの大きさなど常識で考えてありえない。以前は神の奇跡にしか思えず、胸を高鳴らしたその事実が、今のドゥエインの胸には、逆におそろしく禍々しい苦さで広がる。


花が甘い蜜で虫を招くように、人を引き寄せるため、なにか邪悪なものが美しい宝石の姿に擬態しているのではないか、そんな不吉な考えが常に頭から離れない。これはただの宝石ではない。凄まじい力が中で渦巻いている。だが、ドゥエインの優れた霊視をもってしても、このブルーダイヤに潜むものがなんなのか皆目見当がつかないのだ。


ドゥエインは唇を噛みしめる。


〝……私達、森の民は道をまちがった。ご先祖様があんなに注意してくれていたのに……。なにが奇跡のダイヤよ。子供を犠牲にして成り立つ平和なんてあるものか。獣でさえ自らの子を命を捨てて守ろうとする。そうやって命は受け継がれてきた。それこそが本当の奇跡だったのに……。子供は未来よ。私達は未来を捨てた。今の森の民は獣にも劣るわ〟


もともと神殿の地下に禁忌として封印されていた宝石だった。


森の民の祖先は警告を言い残した。


いかんともしがたい危機が森の民に迫ったときのみ生贄を捧げ、このダイヤの助けを乞え。されど、忘るるべからず。こは邪法なり。恥ずべき行いなり。あまりに多くの血を流せば、その報いを必ず受けん、と。


その禁を破ったのが今の大司祭だ。

生贄の儀式を強行し、ブルーダイヤの奇跡の力を見せつけた。


当時、外敵に脅かされ、飢饉に苦しんでいた森の民は、言い伝えを上回る奇跡の救いに狂喜した。人は一度楽な道を選ぶと容易には戻れない。ブルーダイヤは神の化身と崇められ、神殿の最上部にすえられた。そして、頻繁に生贄の儀式を行い、とらえた外敵ではなく、子供たちを生贄に捧げるようになった。


ドゥエインは拳を握りしめる。


外敵の戦士を生贄にするのは、そのすぐれた力を取り込みたいという敬意のあらわれでもある。野蛮な風習であることに変わりはないが、非力な子供達を生贄にするのとは意味がまったく違う。


「……自然のことわりを曲げる化物宝石が。だけど、私の目の黒いうちは、二度と生贄の儀式なんかおこなわせたりしないわ」


ドゥエインは、祭壇に鎮座するブルーダイヤを睨みつけると、くるりと踵を返し神殿をあとにした。遠ざかる幅広のその後ろ姿を、ブルーダイヤは嘲笑うかのように光り、じっと見送っていた。


              ◇


「せんせい!!」


「ドゥエインせんせい!!」


「おかえりなさい!!」


ドゥエインが神殿の外に出ると、子供たちが歓声をあげて彼を取り囲み、とびついてきた。ドゥエインが面倒を見ているみなしご達だ。まるで興奮した仔犬の群れのような彼らを抱きとめながら、ドゥエインは相好を崩した。


「あら、みんな、わざわざ迎えにきてくれたの? ありがとう」


「せんせえー、これ、みて」


一番年少の子がにこにこしながら、握りしめた小さな手を開き、木彫りの人形をドゥエインに見せてきた。子供の手による粗末なものだが、その子本人を模したものだとわかった。


「あら、上手ね。これケレちゃん本人のお人形?」


巨体を屈めて質問するドゥエインに、小さな女の子は、にっと愛嬌ある笑顔を見せた。歯の抜けかわりの時期のため、隙間が何か所かあいている。


「そうだよ!! ケレとおそろい!!」


人形はそこまで忠実に再現してあり、ドゥエインは思わず吹き出した。


「あのね、あのね、ドゥエインせんせえ、せんせえはね。もうすぐ おたんじょうびでしょ。だから、みんなで、じぶんたちのね、おにんぎょうをプレゼントするの。わたしたちが、そばにいなくてもね。ドゥエインせんせえを、ずっとおまもりできるように」


照れながら、もじもじと爪先で地面をこすり、たどたどしく懸命に説明するケレの言葉に、他の子供たちが騒然とする。


「なんでしゃべっちゃうんだよ」


「せっかく先生の誕生日まで内緒にしとくって約束だったのに」


ドゥエインは目頭が熱くなった。

齢を取るとどうも涙もろくていけないと苦笑する。


「……あう、あうああ」


みんなに口々に責められてしどろもどろのケレの頭に、包むようにぽんと大きな手をのせる。


「ありがとう、とっても嬉しいわ。今日はみんなの気持ちでこんなに嬉しくさせてもらって、誕生日にまたお人形をプレゼントされて嬉しくなれる。二回も幸せを味わえるなんて。すてきな家族をもって私は果報者ね」


顔を見合わせ、わっと声をあげてはしゃぐ子供たちに、ドゥエインは笑いかけた。


「さあ、外は日照りで暑いからね。お日様も森の民の大切な神様だけど、さすがにこれは堪らないわ。早くおうちに帰りましょう」


ケレはきょとんと首をかしげている。


「あのね、雨さん、ほんとはザーザーしてるはずなんだよ。どうしてピカピカのままなのかなあ」


ドゥエインは破顔した。自分と同じことをケレが感じているとわかったからだ。この子には神官としての才能があるかもしれない。ケレだけではなく、子供達ひとりひとりが時々見せる才能のきらめきは、ドゥエインの胸を高鳴らせる。同時に強く思う。子供達の未来を奪う生贄という野蛮な風習は、自分の代でなんとしても終わらせてやりたい。


木陰を選んで歩きながら、ドゥエインは子供たちを順番で肩車した。上背のあるドゥエインの肩の上から見るいつもと違う光景に、子供たちは声をあげて大喜びする。


こんなことぐらいで感動してくれる子供たちを、ドゥエインはほほえましく見守る。世界はもっともっと広く、心を震わせるものがたくさんある。それを見せてあげたい。かつて同じことを望んだのに、逆にドゥエインを守るために散っていた幼い子達を思い出し、つい涙ぐむ。


「……せんせえ、どうしたの」


「な、なんでもないのよ」


立ち止まったドゥエインを不思議そうに見上げる子供たちに、心配ないと笑いかけ、ドゥエインは再び歩き出した。


「あなたたち、海って知ってる? この森よりもずっと広い、果てのない湖よ。海の水はびっくりするほど塩辛くて、大きな波が途切れることなく打ち寄せてくるの。海には、いろんな生き物がいるわ。あの丘ほどもある鯨っていう生き物も泳いでいるのよ。間近で見ると、息をのむほど感動するわよ。人間がどれだけちっぽけな存在かよくわかるわ」


ドゥエインの話に子供たちは顔を輝かせ、口々に見たい見たいと叫ぶ。


幼い子達の好奇心、学ぼうとする意志のなんと目映いことか、


ドゥエインは目を細め、約束する。


「……いつか、みんながもう少し大きくなったら、ここにいる全員で旅をしましょう。あなたたちが作ってくれるその人形も一緒にね。……すごいのは鯨だけじゃない。氷でできた大河、どこまでも続く草原、まっかな岩地。世界には見るべきものがたくさんあるわ。でも、それを見るには、いっぱいいっぱい歩かなくてはいけない。だから、早くみんな元気で大きくなるのよ」


それは亡くなった子供たちに体験させてあげたかったことでもあった。

立ち止まり、子供たちをまとめて抱きしめるドゥエインの両手に力がこもる。


……この子達は戦災孤児だ。


ブルーダイヤの力で、森の境目は複雑怪奇に生い茂り、容易に敵の大軍の侵入を許さない。とはいえ、隣接する敵国の小規模部隊との戦闘までなくなったわけではない。犠牲者も少なくない。森の民は強い者は女性も戦闘に参加するため、一家の父母が同時に亡くなることもあった。この子たちは、そうやって家族を失ったみなしごたちだ。ドゥエインは生贄にしてしまった子供達に贖罪するように、彼らを引き取り、家族として育てていた。


〝もう……あんな悲しいことは二度とごめんだわ。偽善者と言われてもいい。私は命を捨てても、この子達を守り抜いてみせる。それが私があなた達にできる、たったひとつの償いだわ〟


子供たちのはしゃぎ声に取り囲まれながら、ドゥエインは、亡き教え子達の魂に静かに誓うのだった。


……だが、運命はどこまでも残酷に、師と教え子達のささやかな幸せを踏みにじった。


長きにわたる干ばつに耐えかねた森の民の司祭会は、ブルーダイヤにあらたな生贄を捧げることを決定した。白羽の矢が立ったのは、ドゥエインが育てているみなしごたちだった。


「……ふざけないで!! あの子達は生贄なんかにするために育てたんじゃない!! みんな、知ってるでしょう!? あの子たちの父親や母親は!! 兄はや姉は!! 森の民にために戦って死んだのよ!! それに飽き足らず、今度はあの子達自身の命を奪おうというの!! あの子たちに報いることさえせずに!! おのれの胸に聞け……!! 自分がどれだけ恥知らずなことをしようとしているかを!!」


次席司祭の自分抜きでの強行採決に、ドゥエインは激昂した。


森の民の司祭達の中でも、彼の力は抜きんでている。神殿に怒鳴りこんできたドゥエインを止められる者はいなかった。ドゥエインめがけて放たれたつる草は、すべて逆に操られ、並み居る司祭達自身を拘束した。ずらっと石の柱の並んだアーチ状の回廊全体を、ドゥエインのつる草が覆い尽くし、その怒りの激しさを示した。


「……この日照りはもうすぐ終わるわ。植物がそう語る声が、あなたたちには聞こえないの? 雨はいつ降ってもおかしくない。あと少し待つだけで、誰も不幸にならないで済むの。おねがいだから、生贄なんてやめて。無意味にあの子達の命を奪わないで」


ドゥエインと昵懇にしている何人かの司祭は、ドゥエインの涙を浮かべた訴えに、つらそうに目をそらした。ドゥエインは、はっとなった。迎撃したときは怒りのあまり気づかなかったが、彼らの攻撃には覇気がなかった。嫌々というふうでさえあった。ドゥエインの目が鋭くなる。


「……あの子達を生贄にするのは、神殿全体の本意じゃないのね。じゃあ……!!」


「ひひっ、そうよ、おまえの察しのとおり、あのガキどもを生贄にする決定は、わしが下した。森の民ヴィスクムの最高司祭たるこのわしがな。ブルーダイヤに宿りし大神の託宣によってな」


ドゥエインが張り巡らしたつる草が、ざあっと二つに分かれた。

祭壇上のブルーダイヤが妖しく耀く。

その後ろから足音が降りて来る。


「次席司祭だからと調子にのりおって。この痴れ者が。拘束してくれるわ」


オーク材の杖が、ぶうんっと鳴った。

つる草は司祭たちの手足から離れると、唸りをあげ、ドゥエインの四肢を縛り上げた。


「みたか。天才などちやほやされても、わしがブルーダイヤの大神の力を少しお借りしただけで、このざまじゃ。みじめじゃな」


杖をかつんかつんと鳴らし、妖艶な美女が進み出る。


彼女が森の民ヴィスクムの長たる大司祭だ。くっきりした顔立ちに、濃いめの化粧をし、青の染料で司祭の模様を描いているため、強烈に際立った印象を与える。白の長丈の司祭服は他の司祭と同様だが、華美な装身具をじゃらじゃらとつけている。ドゥエインはじめ他の者がヴィスクムの紋様のからみあった一本の根のペンダントだけなのに比べ、ひどく俗っぽい印象だ。白衣からはみだしそうなグラマラスな容姿だが、腰まである髪の色はまっしろであり、大時代な口調と相まって、その年齢を不明瞭にさせていた。杖を突きつけ、ドゥエインに嘲笑を投げかける。


「我ら森の民は、偉大なるブルーダイヤの力によって生かされてきた。今までも、そして、これからもじゃ。その力の最たるあかしが、大祭司のこのわしじゃ。齢百を超えても、このように時の流れの醜さから守られておる。見よ、この輝くようなわしの容姿を」


服を持ち上げる尖った胸を、誇らしげに張る筆頭祭司に、ドゥエインは侮蔑のまなざしを向けた。生贄の儀式のたび、ブルーダイヤが吸い取る命の余波で、この筆頭司祭は若返ると噂される。


「……不老なんて美しくもなんともないわ。その化物ダイヤは、美しさへの執着であなたを操って、生贄の儀式を続けさせようとしてるだけよ。齢を取ることは、人間として自然の摂理だわ。老いは恥じゃない。人は老いて、子供たちに道を譲る。子供たちの未来を切り開き、思いを託せることを喜びにしてね。その心こそが、人の本当の美しさだって、どうして気づかないの」


「ドゥエイン殿!!」


「大司祭殿に口が過ぎますぞ!!」


静かに諭すドゥエインに、司祭達が顔色を変える。


いくら次席司祭といえど、信仰の対象のブルーダイヤをけなし、大司祭を悪しざまに言う暴挙に出ては、ただで済むはずがない。動揺する彼らとは対照的に、ドゥエインと大司祭だけがお互いの顔を見つめていた。


「……もう一度言うわ。この日照りは、ブルーダイヤに生贄なんか捧げなくても、じきにおさまる。もう雨の気配は満ちてるのよ。大司祭様なら感じているはずよ」


「ひひっ、違うな。おまえがいくら悟ったようなこざかしいへ理屈をごねようと、生贄なしでは、この日照りは決しておさまらん。それが大いなるブルーダイヤの意志じゃ」


「……まさか……!?」


確信に満ちた大司祭の言葉と邪悪な嗤いに、ドゥエインはおそろしい結論に至った。


この干ばつはただの自然現象ではなかったのだ。あらたな生贄を欲したブルーダイヤが干渉し、引き起こしている。ドゥエインが察知した植物たちの動きは、本来とっくに降っているはずの雨に反応してのものだった。


「……なんてことを……本末転倒じゃないの。こんな化物ダイヤに好き勝手させたら、森の民ヴィスクムが滅ぶわよ……!!」


得体の知れない怪物が、ついに座して待つのをやめ、積極的に餌を求めて動き出したことに、ドゥエインは戦慄した。先祖たちの危惧が現実のものになった。


大司祭はその思惑に気づいているのに、若返りの餌につられ、子供たちを犠牲にする気なのだ。グルである以上、いくら止めようとしても無駄だ。


「おまえのとこのガキどもは、よい生贄になるわ。礼儀も知識もある。他ではあの代わりになる者はちょっと見つけられんのお。ひひっ」


そして大司祭のもう一つのたくらみを見抜いたドゥエインは覚悟を決めた。


「……わかったわ。だったら、生贄には私がなる。次席司祭の私のこの命、子供たち数十人分の贄に匹敵するはずよ。それで文句はないでしょらう。だから、子供たちには手を出さないで」


ドゥエインは一言一句を噛みしめるようによく響く声で言った。

もともと前に犠牲になった子供たちのために捨てるはずだった命だ。

今度こそ子供たちの命を守れるなら惜しくはない。


「ドゥエイン殿!?」


「なにを!?」


司祭達が騒然とする中、大司祭はおぞましい笑みを満面に浮かべた。


「……よくぞ言った。その心がけ、大いなるブルーダイヤもさぞお悦びになられるじゃろう。おまえほどの力の持ち主、これ以上ないほどの生贄になろうて。よかろう、子供達の生贄なぞ取り止めじゃ。大司祭の名において、おまえと約束しよう。子供達には引き続き、おまえの家に住む権利を保障しようぞ。おまえの財産も子供達に遺そう」


ブルーダイヤの存在に否定的なドゥエインを合法的に葬ることができ、なおかつ上質な生贄を得られた大司祭は上機嫌だった。


「その言葉、信じたわよ」


「……子供達と一緒に逃げられでもしたらたまらんからの。この場で拘束させてもらうぞ。おまえたち、ドゥエインを生贄用の斎館に連れていけ。次席司祭殿には儀式の日まで身を浄めてもらわねばの」


大司祭に忠実な武装神官たちが一斉に柱のかげから飛び出し、ドゥエインを取り囲んだ。数十人がかりなのに虎を扱うようにおっかなびっくりなのは、ドゥエインが怒りにまかせて暴れ出したら取り押さえられないのをよく知っているからだ。


「……抵抗はしないわ。連れて行きなさい」


ドゥエインは両手をあげ、恭順の意を示した。

家に残してきた子供達を思い、瞼を閉じ、その方向に頭を下げた。


「……みんな、ごめんね。せっかく用意してくれてた誕生日のプレゼント、受け取れなくなっちゃった。さよならも告げずに行くことを許してね。元気でね。強く生きるのよ」


思いを振り切るようにドゥエインは背を向けた。

連行されて遠ざかっていくドゥエインを見送る大司祭に、腰ぎんちゃくの司祭が、こそこそと尋ねる。


「本当に子供達を助けるおつもりで? 将来、ドゥエイン司祭のかたき討ちをしようとして、厄介なことになりやしませんか」


「ひひっ、わしは子供達には手を出さんとドゥエインと約束したからの。じゃがな、子供達が()()()に生贄を申し出るならば、話は別じゃ。……ドゥエインが自分らの身代わりで生贄になろうとしていると、子供達に知らせてやるがいい。このままだとドゥエインが死ぬと、幼子でもよくわかるようにの。ずいぶん懐かれているようじゃからの。きっと自分達はどうなってもいいからドゥエインを助けて、と願い出るじゃろうて」


「はあ……」


大司祭の含み笑いに、腰ぎんちゃくの司祭はいぶかしげだった。

それでは政敵のドゥエインが生き残ってしまう。

しかも子供たちを犠牲にされた恨みを抱いてだ。

大司祭は小馬鹿にしたように口元をつりあげた。


「わからんか。血のめぐりの悪い奴じゃ。次席司祭のドゥエインならともかく、みなしご風情との約束などどうして大司祭のわしが守る必要がある。子供達が生贄になると申し出ても、ドゥエインには伏せておけ。せっかくの仲良し家族じゃ。あの世でお互いの間抜けぶりを嘆いて抱き合えるよう、ともども生贄に捧げてやるのが慈悲というものじゃて」


ひときわ強さを増したブルーダイヤの輝きに照らされたその笑みは醜怪そのものだった。


              ◇


三日後、ドゥエインは後ろ手に縛られたまま、従容として生贄の祭壇を登った。


祭典は盛大であり、祭壇の下には十重二十重の森の民が息をのみ、クライマックスを見守っていた。


「言い残したことがあれば聞いてやろうぞ。今日はおまえの誕生日じゃしの」


巨体を屈め、斬首台に首をさしだすため跪いたドゥエインに、大司祭が問う。


「……とんだ誕生日もあったものね。言い残すことなどないわ。あの子達に最期に会えなかったことだけが残念だけどね。でも、きっと大丈夫。あの子達は強くていい子達だもの。きっと私がいなくても……」


満ち足りた表情で瞼を閉じかけたドゥエインの顔が凍りついた。


補佐の神官が持ってきた盆にのったものを、大司祭が嘲笑とともにドゥエインの目の前に放り投げたからだ。小さな木彫りの人形たちが、音を立ててころころと転がり、ドゥエインの顔にあたった。そのうちのひとつは歯が抜けていた。見覚えがあった。照れていたケレの笑顔にそっくりだった。数日前にドゥエインの誕生日のプレゼントについて嬉しそうに語っていた子供達のはしゃぎ声が耳によみがえる。


「……あ……あ……!! ……ああっ……!!」


すべての人形に、愛した子供達のおもかげがあった。

ドゥエインは悲痛な叫びをあげた。

よく見ると人形たちには真新しい血痕があった。


ごおっと外を雨鳴りの音が駆け抜ける。

ドゥエインは絶望の中、それを耳にした。


神殿の中にさえ響く豪雨は、ブルーダイヤがすでに生贄の命を吸った証明だった。

ブルーダイヤはぬめぬめとした不気味な光をよりいっそう強く放っていた。

稲妻が閃き、神殿の中までも蒼白く染めあげる。


血痕を通じ、生贄にされた子供達の最期の光景が、ドゥエインの脳裡に流れ込んできた。

彼の霊的な知覚能力により、伝わる悲劇は、目をそらすことも、耳を塞ぐことも許してくれなかった。


年長の者や男の子は進んで前に出た。

ブルーダイヤが満足すればそこで生贄は終ると大司祭が約束したからだ。

いつも臆病な子が、より幼い子を心配させまいと、唇を噛みしめ、涙をこらえた。自分は駄目でも、次の子はきっと生き残れるはずと、とけなげな笑顔を浮かべた。だが、その願いは果たされることはなかった。大司祭ははじめから子供達すべてを生贄に捧げるつもりだった。


もっとも幼いケレが最後に残され、こらえきれず、声をあげて泣き叫んだ。


「……泣い、ちゃって……ごめんなさい……!! みんなみたいに、できなくて、ごめんなさい……!! だけど、せんせえを……どうか……たすけて……!! おねがい……します……!!」


しゃくりあげりながら、懸命に懇願するケレの声に、ドゥエインの胸が張り裂けそうになる。小さなケレは泣きじゃくりながら、ついに自分自身の命乞いは一度もしなかった。振り下ろされた刀の唸りが、小さなけなげな訴えをぷつりと絶ち切り、ドゥエインは絶叫した。


「……どうして、あの子達を生贄にした!? あんなに約束したのに、なぜ!!」


血を吐くようなドゥエインの叫びが、雷鳴の轟きの中に哀切に響き渡る。

大司祭はせせら嗤った。


「あのガキどもが自発的に申し出たことよ。ドゥエインせんせいを助けてください。僕たちはどうなってもかまいません、との。おお、わしは美しい師弟愛に心を打たれての。泣く泣く子供達を生贄に捧げたわけよ。古式にのっとり丁寧にの。ほれ、その甲斐あって見事、雨が降ったではないか。臓物占いの通りじゃ」


稲光に照らされたその顔は醜怪極まりなかった。

ドゥエインは絶句した。


「なんてことをしたの……!! ……なんてことを……!!」


臓物占いは生きたまま腹を裂く。あまりに悲惨なため行われなくなって久しい秘儀だ。子供に対して行っていい代物ではない。絶望に全身を震わすドゥエインを見て、大司祭は勝ち誇った笑みを浮かべた。


「……その人形はわしからの誕生祝いじゃ。おお、そうじゃ、生贄になったガキどもの遺言も伝えねばな……どうかドゥエインせんせいにこの人形をわたしてください。ぼくたち人形になって、ずっとドゥエインせんせいを見守ります……じゃと。笑わせおる。こんな小汚い人形にそんな力あるものか」


子供達の口調を真似て嘲笑う大司祭を、ドゥエインは見ていなかった。

その目は、子供達の遺した人形を通じ、在りし日の子供達の笑顔を映していた。


「……私は、また守れなかった……!! 私が次席司祭のプライドなんか捨てて、みんなと逃げていれば、こんなことには……!! フラン……!! ケネス……!! ……ケヴィン……オニール……ケレ……エバンス……ロイド……グゥイン……みんな……!! 怖かったでしょう……!! 痛かったでしょう……!! まだこんな小さいのに……!! 自分より小さい子を守ろうとして……!! えらかったね……!! それなのに私は……!! ごめんね……!! ごめんなさい……!!」


ぼろぼろと涙をこぼして亡き子供達に謝り続けるドゥエインに、ふんと鼻を鳴らし、大司祭は手にした大刀の切っ先で、横倒しになった木彫りの人形たちを乱暴に突いた。


「逃亡の翻意ありと認めたな。どのみちおまえの死は免れなかったということじゃ。ほら、ガキども、おまえらの大好きなドゥエインせんせえが殺されるぞ。どうした、人形に魂をこめてドゥエインを守るんじゃろ。ほれ、どうした。やってみい。おやあ、うんともすんとも言わんなあ」


大司祭は嘲弄すると、大刀を振りあげた。


「でかいなりして、ビービーやかましいわ!! そんなに悲しいなら、とっとと子供達の後を追って、あの世に行ってやるがいい!」


だが、その刀はドゥエインの首めがけて振り降ろされることはなかった。

ドゥエインの体がぐわんっと膨らんだように見えた。


縛りつけていた縄が一瞬ではじけとび、そのまま片手をあげたドゥエインが、無造作に刀身を掴み取った。そのまま、ゆらりと立ち上がると、刀の柄を手離さなかった大司祭は宙づりになり、両脚をばたつかせることになった。


「……この人形には、健気なあの子達の魂がこめられている。笑うな……!!」


凄まじい目で睨みつけられ、大司祭は震え上がった。


「あの子達の勇気を!! 優しさを!! なんだと思っているッ!!」


大喝で神殿全体の空気がびりびりと震えた。


「こ、この化物が!! 神聖な生贄の儀式をけがす痴れ者めが、殺して……ぎゃっ!?」


大司祭が言い終わる前に、ドゥエインの鉄拳が、刀身をへし折り、大司祭の顔面にめりこんだ。ばきばきと歯がへし折れる音がした。ぶざまなぷぎゅうっという声をあげ、大司祭の体が吹っ飛び、ごろごろと石段を転がり落ちる。鼻ではなく頬を殴ったのはドゥエインがわずかな情けをかけたからだった。さもなくば大司祭は絶命していたろう。


「……あんたを殴り殺さなかったのは、ここで、健気なあの子達が、最期を迎えたからよ。あんたなんかの血で、上から汚したくなかった……!! あの子達があんたを救ったの。それを胸に叩きこみなさい……!!」


「わ、わしの顔が……!! 顔が熱い……!! 早くか、鏡を……!!」


長い石段を派手に落ちたにもかかわらず飛び起き、顔を押さえて悲鳴をあげた大司祭は、渡された手鏡をのぞき、放り出して絶叫した。


「ひ……ひいっ……!! わしの顔が!! 美貌が!! おのれ、射殺せ!! 早くせんかあっ!!」


折れた歯を吐きだし、血泡を口角からまき散らし、半狂乱になって大司祭は命じた。あわてて駆け寄ってきた神官たちの手をはねのける。弓をかまえた武装神官達十人以上が、檀上のドゥエイン一人めがけ、一斉に矢を放った。続けて第二射の弓弦の音が響く。武装神官達は驚愕に目を見開いた。無数の矢は、ドゥエインの法衣の袖口から這い出したつる草により、一本残らず絡めとられたからだ。


「なにをしておる!! もっと矢を射かけんか!!」


怒鳴る大司祭にせかされた矢の雨が降りそそぐ中、ドゥエインは子供達の人形を愛おしそうに両手でかき寄せ、抱き上げた。


「……みんな……迎えに来たわよ。遅くなってごめん。おうちに帰ろうね……」


武装神官達の顔が驚愕から恐怖に変わっていく。

どれだけ矢を射ち込んでも、ドゥエインの緑の結界は事もなげに、すべて無効化してしまうのだ。それどころか手にした弓と矢が、見る見るうちに若枝と葉をふき、生木に戻っていく。


「……殺されたくないなら邪魔をしないで。今の私は自分を抑えられないの……!!」


檀上のドゥエイン一人の迫力と底知れぬ力に気圧され、武装神官達が冷汗を浮かべ、後退った。


「ええい!! 不甲斐ない奴らめ!! どけ!!」


業を煮やした大司祭は武装神官達を押しのけると、呪言を唱え、手にした杖を投げつけた。


杖はぼんっと燃え上がると、炎の線をひいて飛び、人形たちをすくいあげるため背中を向けていたドゥエインを刺し貫いた。杖の半ばまで達す致命傷であり、ドゥエインの口からぼとぼとと血があふれ出た。それだけではなく、強力な呪詛が電光の網となって走り抜け、ドゥエインの力を封じ込めた。胸に抱いた人形が血に染まっていく。ドゥエインを守護していたつる草が力を失い、落下した矢じりが石をうつ音が、五月雨のように鳴り響いた。


「今じゃ!! 射て!! 奴の呪力はわしが封じた!!」


大司祭の言葉に恐怖の呪縛がとけた神官達は、あわてて新しい弓に持ち替え、矢をつがえた。


「……ごめんね。みんなのプレゼントのお人形、血で汚しちゃった。最後まで役立たずだわ……私……」


血泡とともに呟くドゥエインの大きな背中を、次々に矢が貫いた。

はりねずみのようになりながら、ドゥエインは寂しく笑い、どうっと生贄台に倒れ伏した。


生贄台の溝にドゥエインの血がゆっくりと広がっていく。それは一本の根が複雑にからみあったヴィスクムの紋の形をしていた。地鳴りのような音がし、神殿全体が不気味に揺れ出した。あっという間にその場の全員が立っていられないほど激しいものとなり、悲鳴と叫喚が渦巻いた。ぱらぱらと天井から埃が落下してくる。回廊の柱の石がずれ、次々に倒壊しだす。祭壇上のブルーダイヤから、おぞましい蒼い光が汚水のようにどろりとあふれだし、震動で足元をすくわれ逃げることのできない人々に襲いかかった。


「ぎゃあっ!?」


「ひいっ!!」


光に包まれた人間は空をかきむしるように痙攣し、絶命していく。


「な、なんじゃ!? なにが起きている!? ……ぐあっ……!?」


狼狽した大司祭がびくりと身を震わせた。


「……がっ!? ……ああっ!?」


その手がみるみるうちに萎びていく。体が縮み、腰が曲がり、体中に皺が寄っていく。みずみずしい果物が一瞬で水分を抜かれ、干物になるようだった。百年の歳月は待ちかねたように大司祭に襲いかかり、情け容赦なくかりそめの若さを奪い去った。


「わしの……わしの美貌が……!! なぜじゃ!? 生贄さえ続ければ……永遠の美と若さをと……!! 約束してくれたではないか!?」


老いさらばえた姿で絶叫する大司祭を、ドゥエインは苦しい息の下、見おろした。


「……もう餌で操る必要がなくなったからよ。用済みと判断されたんだわ。あんた達はこの化物ダイヤに命を与えすぎた。必要以上に力を得たこいつは、自分で命を吸い取れるようになったの。たぶん、森の民すべてを滅ぼすまで止まらないわ……」


ドゥエインの言葉を裏付けるかのように、神殿の裏の山がぐらぐらととうねり出した。森がずるりと滑り出し迫ってくるぞっとする光景は、人智を超えたものであり、見る者の気力を根こそぎへし折った。あちこちの床から黒い水が一斉に噴き出す。動き出した地盤に地下水脈が圧迫されたためだ。街全体を飲み込むほどの山津波が発生しようとしていた。震動はその前触れだったのだ。ブルーダイヤはこの街の人間すべてを逃がさないつもりだった。


「わしの命が吸われていく!! 嫌じゃ!! 死ぬのは嫌じゃ!! 助け……!!」


涙と鼻水だらけでのたうち回る醜態をさらし、大司祭は、くこおっと最期の息を吐きだし、絶命した。


「……あの子達もきっとそう思ったはずよ。でも、あの子達は立派だった。あんなに小さくても、お互いをかばい合おうとした。あんたは……憐れだわ。一時の若さと美しさを得たばっかりに、あやつられ、老いに絶望し、みじめにもがきながら死んだ。あの子達はこんなことのために命を……!!」


一部始終を見届けたドゥエインは、両拳を握りしめ、よろよろと身を起こした。


「まだ元凶が残っていたわね。さぞ嬉しいでしょうね。すべてが思い通りになって……」


ドゥエインは祭壇のブルーダイヤの放つ光が髑髏の形を取るのを見た。人のものではないとすぐわかった。その頭蓋には双角があったからだ。そして鋭い犬歯もだ。それはまさに鬼そのものの異相だった。鬼の髑髏は顔をゆがめ、愚かな人間達を嘲り笑っていた。髑髏のぽっかり空いた眼窩からびっしり尖った鱗の植わった蛇体がずるずると這い出し、反対側の眼窩にまた戻っていく。その蛇には頭も尾の先もなく、ただ繋がった胴体のみがあり、嗤う髑髏の頭蓋の中で絡み合い、無限に這いまわり続けていた。それは激痛を和らげようとする脳内麻薬の見せた幻だったかもしれない。だが、これこそがこのダイヤの本質であるとドゥエインは看破した。


「……それがあんたの本性ってわけね……!! 化物め!! でもね、これ以上好き勝手にはさせない。あんたを逃がせば、いくらでも同じことを繰り返す。もう子供達の悲劇は十分よ。私の残り少ない命をかけて、あんたは封印してみせる。……誰か、力を貸して…!!」


だが、司祭も神官達も、大司祭の無惨な死に動転し、ドゥエインに助勢しようという者など皆無だった。右往左往し、あるいは逃げようと出口に殺到し、足をもつれさせ折り重なり、踏みつけられて悲鳴をあげる。その間にもブルーダイヤの光に絡めとられ、悶死する人間が続出し、人々は箱の中をかき回された飼育ネズミのようにパニックとなった。運よく外に出れた者も、迫ってくる地滑りを見て腰を抜かした。逃げ場のない阿鼻叫喚の地獄絵図だ。


「……ちょっと!! 逃げるな!! 生贄にした子供達に恥ずかしくないの!! それでも誇り高き森の民ヴィスクムなの!? この化物は、どのみち私達すべてを食らい尽くす気なのよ!! こいつをなんとかしないと、あなた達の家族も恋人も殺されるってのに!!」


憤慨し叱咤しても応える気概ある者など誰もない。


ドゥエインは歯軋りし、一人ふらつきながらブルーダイヤに近づいていく。


「……まったく……男らしくないったありゃしない!! 腹に大穴が開いた死にかけのオカマ一人に、化物の相手させるんじゃないわよ。荷が重いってもんじゃないわ……!!」


へらず口は叩いているが、その顔色は白を通り越して土気色だ。

ブルーダイヤは周辺の命を急速に食らい尽くしていく。

ドゥエインはその中心地にいるのだ。


大司祭に杖で背から腹まで貫かれ、無数の矢が突き立ったドゥエインは、本当は歩くのさえままならない。常人ならばとっくに絶命している。崩壊していく神殿の中、卓越した精神力だけを支えにドゥエインはじりじりとブルーダイヤに肉薄していく。踏み出すごとに走る激痛はまだ気付けになるからいい。疲労感が最悪の敵だった。鉛の海をかき分けて、自分の体重の十倍もの重りをひきずって進むようだ。体中から活力という活力が抜け落ちていく。一滴さえもない生命力を必死に奮い立たせ歩むのは、死んだほうがはるかにましな苦行だった。


「……あの子達のため、せめて一矢報いるまでは……私は死ねない……あと……少しだけ……!!」


それでも執念で祭壇最上層のブルーダイヤの側になんとかたどり着いた。

波のように足元がはねる。

神殿ももう長くはもつまい。

ドゥエインの鼻孔と耳穴から鮮血が飛散する。

もはや二足歩行さえままならず、肘を立て、四肢で階段を這っていた。


「……これで……終わらせる……!! ……届け……!!」


ドゥエインは全霊力を指先にこめ、ブルーダイヤに手を伸ばした。


その視界が大きくぶれた。

床にどんっと突き上げられ、バランスを崩したのだ。

ドゥエインは全身が凍りつく恐怖を味わった。

痛恨のミスだ。

指先に集中するあまり、周囲の崩壊にまで気がまわらなかった。

転倒の動きに身体が流れる。

一度倒れ伏してしまえば、もう指一本動かせなくなるのが自分でもよくわかっていた。

ドゥエインの消耗しきった身体は速やかに死を迎えるだろう。


ダイヤを包む蒼い鬼の髑髏の輝きがドゥエインを嗤う。


〝……悔しい……!! こんな化物にいいように弄ばれて、子供達の仇も討てずに……!! ……みんな、駄目な先生でごめんね……〟


ドゥエインの指先がブルーダイヤから離れていく。


〝……せんせえ……あきらめないで……!!〟


その手に小さなもみじのような手が添えられ、ドゥエインを押し戻した。

聞き覚えのあるたどたどしい口調が、懸命に励ます。

ドゥエインの目が大きく見開かれた。息をのむ。

苦悶を忘れた表情がぐしゃりと崩れ、両目から涙があふれ出た。


「……ケレ……ちゃん……どうして……」


もはや霞んでまともに見えない視界の中で、幼い女の子の幻がドゥエインに寄り添い、倒れそうな身体を健気に支えてくれていた。


〝……あのね、ケレ、しんじゃったけど、いちばん、せんせえの心にはなしかけられるからってね。フランおにいちゃんたちが、みんなでケレをおくりだしてくれたの。あと十ねんまえの、せんせえのおしえごって人たちも。……みんな、せんせえがだいすきだって。ありがとうって。たすけてあげてって〟


「……お……おお……!!」


こみあげる嗚咽で言葉が出ないドゥエインに、ケレは恥ずかしそうにうつむく。


〝……あのね……せんせえ……ごめんなさい。…いけにえにされたときね……みんな、がまんしたのに、ケレだけ、こわくて、泣いちゃったの……〟


「いいのよ。ケレちゃんはこんな小さいんだもの!! 子供はいっぱい泣いていいの!! 怖がったっていいの!! あたりまえのことなのよ!! そうさせてあげられなかった私達こそ、ごめんなさい……」


「せんせえ……」


ケレが泣きべそになり、ドゥエインに抱きついてわんわん泣き出した。


「……せんせえ!! ケレ……こわかったの……!! おとなのひとたち、いけにえが泣くなんて、はじだってどなって、ケレをゆかにギュウッてして……いきができなくてバタバタしたら、てとあしをボキッてしたの……!! せんせえは……せんせえは、泣いても……ケレのことダメって……いわない? きらいにならない?」


ドゥエインは最後までとても聞いていられず、立ち上がり、力いっぱいケレの幻を抱きしめた。


「……ああ!! 口が裂けても言うもんですか!! どちらが恥よ!! ごめんね……!! なんてひどい大人たち……!! こわい思いをさせて本当にごめんなさい!! ケレちゃんはがんばった!! 胸を張りなさい。あなたはとっても優しくて勇敢な素敵なレディよ……!!」


〝……ほんと? ケレ……泣いちゃったのに? それでも、がんばったよって……言ってもいいの……みんなの、なかまはずれじゃないの?〟


「いいに決まってるじゃない!! それに、あなたを仲間じゃないって思う子なんて、うちには一人もいなかったはずよ!! みんな、いい子で、ケレちゃんが大好きなんだから!!」


〝うん……〟


しゃくりあげながら、はにかむ幼い教え子の姿に、ドゥエインの手足に再び、かっと力が戻る。

子供達が普通に怖がることさえ許されない歪んだ世界、そんな世界しか与えてやれなかった自分の不甲斐なさが許せなかった。


「……ほんと、あなた達に比べて、大人の私が、何ぶざま晒してるのって感じよね……!! 死にかけてるぐらいで引っくり返ってちゃ、あなた達に先生なんて呼ばれる資格はないわ……!! この化物ダイヤが!! いつまでも……嗤ってられると思うなよ!!」


血まみれのドゥエインは、威嚇する巨熊のように両手を広げた。

不敵な笑みを浮かべ、ブルーダイヤの光の中に両手を突っ込む。


「よく見てなさい!! ケレちゃん!! 本物の大人ってのは……男だろうが、女だろうが、決めるときは、きっちり決めるもんなのよ!!」


指の爪がすべてはじけとんだが、まったく意に介さず、力尽くでじりじりと光を押さえ込んでいく。懐が熱い。子供達の遺した人形の存在が瀕死のドゥエイに力を与える。子供達の思いが、崩れそうな足を支えてくれるのを感じる。


ブルーダイヤの不気味な光がはじめて怯んだ。

鬼の髑髏の幻影が苦しげに歪む。

ドゥエインを吹き飛ばそうと、凄まじい力が渦巻きだす。

がっと口を開こうとした髑髏の動きが、がくんと停止した。

ドゥエインを守ろうとするかのように風が回る。

若葉と小枝がブルーダイヤの本体にからみついていた。

ドゥエインの懐にある子供達の遺した木彫りの人形が、一斉に芽吹いたのだ。

ドゥエインの力ではない。

そんな力はもう彼には残されていない。

若葉に重なる無数の小さな手をドゥエインは見た。

ドゥエインはその手のひとつひとつに見覚えがあった。


〝せんせい、こっちこっち!!〟


〝ドゥエインせんせい、これ見て!!〟


〝先生、今日の夕飯は、先生の大好物をつくりました!!〟


忘れえぬ子供達の笑い声が、囲まれた幸せだった日々が、心に鮮明によみがえる。

みんなで釣りをした。

夕餉のしたくをした。

洗濯をした。

読み書きを教えた。

ドゥエインが楽器を奏で、子供達が歌を唄った。

平凡だけど、だからこそ、どれもかけがえのない思い出だ。


〝せんせえ!! まけるな!!〟


ケレが叫ぶ。

失ってしまった二度と取り戻せない日常、だが、その想いは今だ消えていない。


「……みんな……!! ……あなた達と暮らした毎日は、最高の宝物だったわ……!! どんな宝石よりもずっと……!! ありがとう……!! 私はこんなにも、たくさんのものをもらっていた……!!」


ドゥエインは大粒の涙をこぼし、そして咆哮した。


「……この腐れダイヤのド畜生があああッ!! あんたなんか目じゃないのよ!! 子供達が見てるんだから、私にいい格好させろっての!! 潰れて消えろおッ!!」


ぐにゃりと蒼白い光がひしゃげ、オオオと蠅の群れのような気味の悪い唸りをあげ、ブルーダイヤに逆戻りした。しゅううっとブルーダイヤが色褪せる。破壊こそできなかったが、力を封じた確かな手応えがあった。


だが、ドゥエインは最後に見た。


ブルーダイヤの中に巨大な目のようなものが浮かび上がり、こちらを凝視したあと、また瞼を閉じたのを。それはさながら、飼っている実験動物が興味深い動きをしたのでちょっと観察し、また関心を失い、飼育箱の前から立ち去ったというふうだった。


もしかして、あの瞳こそがダイヤの本性で、髑髏の幻は、ドゥエイン達を使って実験するための擬態に過ぎなかったのでは……。


「……まっ、ごちゃごちゃ考えても無駄ね……まずは、ざまぁ……見ろってのよ……」


すべての力を使い果たし、ドゥエインは倒れ込んだ。

しかし、その顔には満足げなほほえみが浮かんでいた。

勝ったとは言い切れないが、とりあえずやれる事はすべてやれた。

今はそれでいい。


神殿の天井が崩落し、石と噴煙の雨があたりを覆い尽くす。

ブルーダイヤは力を失った。

本当なら森の民を町ごと呑み込むはずだった山崩れは、最小限の規模で食い止められた。

それでも、神殿近辺を押し流すには十分すぎる威力があった。

神殿の中にもう逃げ場はない。


「……やったわ……ケレちゃん、私も……これで……みんなと一緒に……」


呟くドゥエインに、ケレは寂しそうにかぶりを振った。


〝……ううん、ダメなの……ケレたちは、もうこのダイヤのいちぶになの。せんせえとは一緒にいけないの……。いまのがさいごの力……もう心もきえて、とりこまれちゃうんだって……〟


ケレは背伸びし、両手いっぱいでドゥエインに抱きつき、頬をすりよせた。


〝……だから、ここでおわかれ。せんせえなら、きっと人にうまれかわれるよ。ありがとう。だいすきだったよ……〟


ドゥエインの頬にキスし、ほほえむケレの姿が薄れて消えていく。


ドゥエインから離れていこうとしたその手を、ドゥエインは上体を起こし、がっと掴んだ。


「……駄目よ。私も一緒に行くって言ったでしょ。だって、生まれ変わりなんかしたら、あなた達のことを忘れちゃうじゃない……」


いたずらっぽくウインクするドゥエインを、ケレは顔色を変えてふりほどこうとした。


〝はなして!! このダイヤはねむっただけで、まだいきてるの!! このままだと、せんせえまでとりこまれて消えちゃうよ!?〟


その小さな手に、ドゥエインは大きな両手を重ね、包み込んだ。


「オカマは……しぶといのよ。消えやしないわ。ねえ、ケレちゃん。前にあな達に教えたでしょ。世界は広いの。あなた達の魂を解放する方法を知ってる人も、きっとどこかにいる。私はそれを見つけてみせるわ。それまでは、意地でも自分の意識を保ってみせる……」


〝……そんなのダメだよ……!! せんせえ……!!〟


必死に押しとどめるエレの頭にドゥエインは優しく手を置いた。


「……その駄目な大人の最後の意地……。どうか大人を頼って……子供に涙さえ我慢させるのは、もう嫌なのよ……だから、ほんとうの気持ちを教えて」


ドゥエインの言葉に、ケレの顔がくしゃりと崩れた。

ふくれあがる気持ちをどうしたらいいかわからず、身を震わすケレにドゥエインが目でうながす。

ケレは両こぶしを握り締め、下に突っ張るようにして叫んだ。

まっかになった頬を涙が幾重も伝う。


〝……せんせえ……おねがい……!! ケレたちを、たすけて……!!〟


ドゥエインはうなずいた。


「必ず助けるわ。たとえ、千年かかっても、万年かかっても、きっと、あなた達の魂を迎えに行くから。信じて待っててくれる?」


ケレは涙をごしごし拭い、笑顔を見せた。

天真爛漫な輝くような満面の笑顔だった。


〝……うん……まってる……やくそくよ……〟


ドゥエインは微笑み返し、小指を立て、ケレの前に差し出した。ケレが小さな小指をそれにからめた。嬉しそうに笑ったまま、ケレの姿が薄れ、消えていく。


「……いい子ね……約……束……よ……」


最後までほほえんで見送ったあと、ドゥエインの目から大粒の涙が零れ落ちた。

瞼が閉じ、体が傾ぎ、その手が静かに床に落ちた。


ドゥエインが本当にケレの霊に会ったのか、それともただの幻だったのか、それはわからない。一部始終を目撃した者はドゥエイン以外に誰もいなかったからだ。最初にブルーダイヤに命を吸われた者達以外は、ドゥエインの奮戦が功を奏し、全員が滅びゆく神殿から逃げ出すことができた。


神殿の崩落がすべてを覆い尽くしていく。


ついに中心部の祭壇が瓦解しはじめ、暗渠にブルーダイヤが吸い込まれた。


悪魔は一度歴史の闇に姿を消した。


断末魔の苦悶の表情を刻み、虚空をかきむしったまま硬直した大司祭の遺体が、瓦礫に圧し潰され見えなくなる。


倒れ伏したドゥエインは血まみれの凄惨な姿だった。

だが、その死に顔はどこまでも穏やかだった。

ドゥエインの周囲には、彼が懐に入れていた子供達の人形が、寄り添うように転がっていた。

幸せだった日々を再現しようとするかのように。

崩落していく天井からの光が、噴煙の中でよけいにくっきり浮かび上がり、宗教画のように彼らを照らしている。


だが、それもつかの間だった。膨大な土砂が神殿にのしかかり、石造りの屋根が中央から決壊した。耳を聾する轟音が、すべてを押し流し、呑み込んだ。

やがて静かになったとき、長年森の民の信仰の中心であった神殿は、跡形も残さず、地上から消え失せていた。


……この災害をきっかけに、森の民は長い間住み慣れた故郷を捨て、ハイドランジア各地に四散し、人々と同化して生きていくことになる。住む者がいなくなった廃墟を風雨がすり減らし、生い茂る樹々の緑が飲み込んだ。神官達をのぞき、文字をほとんど使わなかった彼らの歴史は、子孫達の記憶の風化とともに忘れ去られた。


そして、時間は流れるー。


                ◇


ドゥエインと名乗ったニュー破滅の魔女と私達は対峙していた。


わさわさとヤドリギが顔面で緑に揺れる姿は先ほどまでと同じだが、不思議と不快感はない。小柄な体格はフードつきのローブに包まれ、男か女かも見当がつかない。あるいは子供なのかもしれない。


だが、私は、顔も見えないこの人から、王家親衛隊隊長のマッツオに似た強者の気配を感じていた。オネエ口調で侮ってはいけない。これは圧倒的な力と鋼の意志を兼ね備えた戦士だ。


ブラッドとお母様も私とまったく同じ気持ちらしい。


とん、ととんとブラッドがその場で軽く飛び跳ね、ウォーミングアップをする。ふううっと呼気を吐き、気勢を高める。常在戦場の心掛けのブラッドにしては珍しい。


「……悪いけど、あんた手強そうだからな。手加減する余裕はないぜ」


「……子供が大人に気を遣うものではないわ。……遠慮なくかかってらっしゃい」


ニュー破滅の魔女はそう言った。ほほえんだように見えた。


「あんただって心はともかく、身体は大人にゃ見えないけどな。さっきの婆ちゃんから急にあんたに変わったことといい、複数の霊とかでその身体に取り憑いてるって感じかな。首からかけたサファイアが依り代ってとこか。ぞっとする力の渦を感じるよ……」


ブラッドの推測に、破滅の魔女は目を見開いた。


「驚いた。その齢で鋭いわね。すぐれた勘は真の戦士には必須。その身のこなしといい、成長すれば、人間としての最上位に達しそう……ほぼ正解よ。ただ、ちょっとだけ間違ってるのは……」


やはり、この人はすごい。

後に世界最強になるブラッドの力をきっちり見抜いている。

私は彼の言葉を継いだ。


「……ブラッド、あれはサファイアじゃない。よく似てるけどブルーダイヤよ。でも、あんな光り方をする宝石は、まっとうなこの世のものじゃない。絶対に触れないように戦って」


私は自分の胸元のルビーのペンダントを握りしめた。


夜にもかかわらず、内側から自ら輝くような発光は、まさしくこの神の目のルビーと同じだ。だが、違う。神の目のルビーは無実の罪でおとしいれられた光蝙蝠族の怨念が宿っていても、ルビーに触れた者を祟っただけだ。勘だが、あのブルーダイヤはもっと危険な悪意をまき散らすものだ。


「博識ね、ルビーのお姫様。先ほどの発言、訂正するわ。たとえルビーの力が使いこなせていなくても、その知力、脅威と判断するべき。ちっちゃい女の子とは侮れないわね……」


破滅の魔女はそう発言しながら落着きはらっている。

私達の力を認めながら、なおかつ勝利できる自信があるんだ。


「みんな気をつけて。あのオカ魔女さん、多分いろいろやばい引き出しを持ってると思う。……だから、私がこの戦闘の指揮をとります」


私は警告し、予備の扇を、スカート脇のポケットから数本取り出し、ブラッドに手渡した。


これは間違いなく知略戦になる。力押しでは絶対に勝てる相手ではない。「108回」の王位候補継承戦で鎬を削り合ったライバル達を私は思い出していた。この人はあの手強かった連中以上だ。おまけに手札と底をまだまるで見せていない。だけど予想はつく。おそらく軍師と戦士と面制圧能力を併せ持った存在だ。厄介極まりない。セラフィがいたら丸投げできるんだけど、今は私が出るしかない。まったく……。


私はため息をついた。


「……相手にとって不足なさすぎね。……おちおち引きこもってもいられやしない。……王家親衛隊はトライデントかまえ!! 〈治外の民〉のみんなは、戦術白の弐を用意。ブラッドはかく乱と遊撃を。やり方は任せるけど、念のため、素手では植物に触らないようにして。お母様は援護射撃をお願いします」


私の声掛けに、みんなが応ッと叫び、臨戦態勢に入る。


破滅の魔女は嬉しそうだった。


「……この戦い、お姫様と私の知恵比べゲームってわけね。いいわ。私も久しぶりに、火花が散るほどの本気が出せそう……」


「望むところよ」


私は凛々しい顔をし、受けて立ったが、内心ではひいーっと悲鳴をあげ、冷汗だらだらだった。


やめて!! そんな本気出さなくてもいいから!!

私は楽なひきこもり人生を切望しているの!!

こんな命懸けのゲームなんて望んでないんだってば!!



お読みいただきありがとうございます!!

またよかったら、お立ち寄りください。

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― 新着の感想 ―
[一言] ドゥエインの過去にただただ涙しか出ないです ドゥエインと子供達を解放してあげたい このブルーダイヤってアリサが真の歴史で身につけていた物ですよね? アリサが取り込まれなくて良かった
[良い点] こうさぁ、相手に入れ込む要素とかたまんなぃわよねぇ 重すぎて [一言] マッシブオカ魔女とか実は大好物
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