ハイドランジア第二王女、マーガレット来襲。
【コミカライズのお知らせ。電撃大王さまの11月号(9月26日発売)より、鳥生ちのり様による連載がはじまります!! 赤子スカ、ちび可愛い! 大人スカ美人! めいどブラッド、かっこ可愛い! コーネリアさん胸ない……】
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ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
じつは、今回更新したぶん、最新話の続きではありません。
43話、冒頭、つまり第二章のはじまりにあたります。
どうか怒らないでください。内容はまるっきり別物です。
2章のはじまりがあらすじみたいでしたので、「108回」らしいエピソードに変更しました。
今回の54話から、43話の◇◇◇◇◇◇◇以降の、スカーレットたちが舞踏会に馬車で出かけるシーンに繋がります。
次回、最新話を更新したときに、この54話をあらためて43話の前に移動し、43話の冒頭あらすじは削除いたします。みなさまにはご迷惑おかけしますが、どうかご寛恕ください。
みなさま、御機嫌麗しゅう。
まずは、はじめての方に自己紹介。
私、花も恥じらう三歳四カ月の美幼女、「108回」殺された悪役令嬢こと、
スカーレット・ルビー・ノエル・ハイドランジアと申します。
……と、ごめんなさい。また自己紹介でやらかしてしまいました。
今の私はリンガード。ハイドランジアの国名を冠するのは、女王に即位した場合でした。
もう女王人生だけは絶対ごめん宣言した私には、永遠に縁なき名前です。
私、今度の人生はひきこもるって決意したんだから!!
女王になんてなっても、ほんとろくなことがない。
特に非業の死を迎えた場合はね。
経験者の私が言うんだから、これはもう間違いない。
……では、次はみなさまがイメージしやすいよう、私の見かけの特徴を。
私のチャームポイントはつぶらな紅い瞳に、風になびく赤い髪。
胸には燃えるようなルビーのペンダント。頭に濃いめの赤いリボン。
ついこの間まで赤ちゃんだったので、名前も含めると、赤赤赤の赤尽くし、対戦相手を恐怖のどん底に叩き落とす最強騎馬武者の赤備えのようです。
しかも、私のお母様は馬術弓術特Aクラス、騎射でも百発百中の腕前で、お父様にいたっては、馬の筋力を乗り手に伝達する、戦場無双の馬闘術の達人ときました。おまけに私自身も障害馬術の「元名手」だったりするのです。
これで、私が、颯爽と馬を乗りこなせないなら、失笑するしかないでしょう。
……乗りこなせません……!!
いきなりオチがきました。
だって、しかたないじゃない!! 背が足りないんだもの……!!
いいよ、笑っても……。
じつは今の私の四歳足らずの身長ではポニーにしか乗れません。
馬じゃなく、ポニーを颯爽と乗りこなす元冷酷女王……しかも、このポニー微妙に足おそい……。ちがう、私の思い出の威厳ある女王のイメージとちがいすぎる。これでは畏怖ではなく、お笑いを与える存在みたいじゃないか……?
……幼女の手足って短すぎる。遺憾です……。
明日にでも、すらりとした八頭身の幼女になる方法はないものか。
おまけに、そのポニーの背中ですら、脚をいっぱいに開かないとまたげなかったりする。スカートがめくれあがり、レースいっぱいの腿丈のドロワーズが丸見えです。それで野駆けでもしようものなら、さながら白いかぼちゃパンツがポニーの背ではずむよう。まるで丸々とした白うさぎです。青空と緑の野がとってもお似合いです。元女王らしさのかけらもない脱力的なおまぬけ光景です。
雨上がりのみずたまりに映る自分の姿に、私は頭を抱えたくなった。
……なんじゃ、こりゃあ!? こんなの赤は赤でも赤っ恥の赤だよ。
もっとも普通の令嬢ならスカートをはくから、殿方みたいに馬にはまたがりません。
どうするかっていうとね、サイドサドルっていって、横座り用の鞍を使うんだ。両脚をそろえて足裏を乗せられる、幅広の専用のあぶみもセットでね。お姫様のようにおしとやかに馬に乗るのも、いろいろ大変なんだ。
だけど、私は馬でお姫様座りはしない。
いざってとき、スカートでも全力で逃げられるようにしておく必要があるのです。
そう……私を殺した五人の勇士から……。
ということで、パンツ丸出しぐらい気にしてられるか、命にはかえられないよ!! との心で、私は今日も元気にポニーにまたがり、領地でせっせと野駆けの猛特訓をするのです。
はいしどうどうはいどうどう。
調子が出てきたよ、私は愛馬をうながした。
「……さあ、向こうの丘まで猛ダッシュよ、ゆこう、流星号、どこまでも!! わああっ!?」
とたんに振り落とされそうになり、私はあわててたてがみにしがみついた。
我が愛しのポニーは、良く言うと、つねに私とよきライバル関係にある。悪く言うと、主従のしつけがてんでできちゃいない。
だけどね、私にも元悪役令嬢としての意地ってもんがあるのです。
「そう、かんたんに……ふりおとされて……たまるか!! 今日……こそ、暴れポニーのあんたを乗りこなして・……みせる!! 108回も殺された私の根性……なめないでよ。こう見えても……私、障害馬術の達人「だった」んだから……!!」
うおおっ!! 強がっても超震動で舌噛みそう!! なにせ、私の馬術感覚は享年二十八歳当時のもの。幼児になった短い手足に感覚をあわせるだけで一苦労なのです。
「……ははっ、苦戦してるなあ。助けは必要かい、スカチビ」
流星号の荒ぶるロデオに、全身をフルにつかったバランスで抵抗していると、からかうような調子で、お日様みたいな笑い声がふってきた。
私の視界が、ざあっとかげる。見上げると、太陽を背に天翔ける馬の腹が視界に入った。ちらつくスカートの裾もだ。メイドが騎乗したまま、馬ごと私たちのはるか頭上を飛び越したのだ。
「……げっごうよ……!! じんぱいごむよう……!! みでなざい。わががれいなるうまざばぎ……!!」
颯爽と馬体から草地に降り立ったメイドに、私は精いっぱいぶざまな虚勢をはった。だって、こいつときたら、鞍も鐙も手綱さえもなく、裸馬をあれだけ操ってみせたのだ。それに引き換え、我が身のみじめなことよ。はったりの一つでもかまさないと悔しいじゃない。といっても、散々ポニーにふりまわされたあとなので、声も足も腕もがくがくだ。お股ひりひりする……。
「けっこうよ。心配ご無用。見てなさい、我が華麗なる馬さばき」
と口にしたのだが、果たして通じたかどうか……。
「はいはい、あいかわらず意地っ張りだこと。スカチビだけじゃない、おまえもだぞ、流星号。いいかげんに意地はらないで仲良くしちまえよ。ほんっとにおまえたち似た者同士だな」
通じてました。さすがチート生物。
ため息をついて歩み寄ったメイドに、流星号は、態度一変、頬をすりつけて甘えまくった。
流星号はこのメイドにぞっこんなのだ。ちなみに流星号はメスである。私とのバトルで荒れた地面を、もじもじしながら、さりげなく蹄でならしている。だってぇ、と言いながら爪先で床をぐりぐりする女の子そのものだ。私は唖然とした。
こいつ、馬のくせに猫かぶりやがったよ……。
あまりの変貌ぶりに毒気をぬかれた私は、流星号の背中から、お尻をずるっと滑らせてしまった。
「……あっ……!!」
「……お転婆もほどほどにしとけよ。せっかくのかわいい顔が台無しだぞ」
普通なら、ヒロインの私が抱きとめられたと思うでしょ? 優しいささやきとともに。ちがうんだな、これが。この物語にロマンティックを期待して、なんど裏切られてきたことか。
そもそも今のこのメイドの台詞、私に言われたものではない
流星号の顔を愛撫してやりながら、彼女にかけた言葉だ。
ちなみに落馬寸前だった私は、お尻を爪先でふわりと持ち上げられ、ポニーの背に戻された。
……無言でだ。ヒロインではなく荷物扱いかよ。あのさ、態度の差ひどくない? こいつ私のことを、女とさえ思っちゃいないんじゃないか。
流星号が憮然としている私の醜態をちら見し、歯をむきだした。あざ笑った、今たしかに、ポニー畜生めが私に勝ち誇ったよ……!!
女の魅力でポニーに負けた。私のヒロインランキングは今や最底辺だ。
乙女の心、いろんな意味でズタボロです……。
ちなみにメイド服の少女の名前は、ブラッド。
じつは女でさえなく性別は男だ。とある成り行きで私たちを護衛してくれるため女装し、そのまま我が家に居ついているとんでもチート生物である。女装もそのままでだ。女の子願望があるわけでもないのに、なぜかメイド服が気に入っているらしい。ぱっと見、元気印の女の子に見えても、血の流れで相手の考えを読んだり、血を操って相手の心臓を止めたりするこわーい武術の達人だったりする。
そしてなんの因縁か、私を「かつて殺した」五人の勇士の一人でもある。
うん、私の胸がちょっぴりだけ痛んだのは、ブラッドの奴に、私がレディ扱いされなかったからなんかじゃない。怨敵な奴に手助けされた屈辱からだ。そうに決まっている。
「あな、口惜しや。まさか仇であるあんたに助けられようとは、なんたる恥辱、よよよ……」
「あのさ、おまえ、おおげさにやりすぎて妖怪ババアみたいな口ぶりになってるぞ……。あとさ、仇とか言われても、オレ、ぜんぜん身に覚えがないんだけど」
舞台上の芝居のように、よよよ泣きで遺憾をあらわす私に、ブラッドは首をかしげた。これは彼が正しい。それどころかブラッドは三年前の魔犬ガルムの襲撃をはじめ、数々の危機から私を助けてくれた恩人だ。だが、私が彼に「何度も」殺されたのもまた事実なのだ。
……じつは私、ただの幼児ではありません。
なんの因果か同じスカーレットとして「108回」も人生を繰り返したループ体験令嬢なのです。
三歩進んで二歩下がるどころか、三歩進んで三歩下がる。
壊れたレコードの針がとび、何度も同じところを奏で続けるように……
でも、時間を遡行して生まれ直すたびに、すべての記憶はリセットされ、私はループにまったく気づいていなかった。知らずに踏み台昇降人生させられてたなんて納得いきません。
ちなみに私のループ人生ときたら、必ず冷酷女王と罵られ、五人の勇士の誰かに惨殺されるというろくでもないワンパターンのみでした……!!
運命の神様、頭おかしいんじゃないの!? これ!!
国のてっぺん取らせておいて、栄光から急転直下、奈落につき落とすとか、やり口が悪魔だよ!?
毎回人を勝手に、地獄行きジェットコースターに乗せるんじゃない。
民衆に反乱され惨殺されるゴールしかないとわかっているなら、誰が女王即位なんてしたもんか。
……それだったら、女の子らしく、恋愛コースに変更を希望したよ!!
恋物語の主人公みたいに、身を焦がすほど愛し愛されしてみたい。
ガチもんで焼き殺されるとか、もう嫌だ……!!
そして、めざすゴールは、弔いの鐘が鳴り響く殺戮のバッドエンドじゃなく、祝福の鐘の鳴る花嫁さん的なハッピーエンドがいい……!!
でも、思い返すと、私、「108回」の人生すべてで独身貫いてた。だって女王業って忙しすぎるんだもの……。国にすべてを捧げたキャリアウーマンだよ。お局様だよ。社畜ならぬ国畜だよ。なのに最期はその国と国民にも見捨てられるって……。私の人生っていったいなんだったのか。
寄ってきたのは、極悪四王子を筆頭に、半径二キロメートルにさえ近寄ってほしくないクズ男ばかり!! いくら美形でも中身がドブすぎて、ハエやアブのほうがはるかに親近感がわく。
私、おちこむ。ハイドランジアの宝石とうたわれた美貌なのに、どうしてこうも男運がないんだろう。
いえ、そこは自称じゃないです。信じてください……
そして決まって享年二十八才……美人薄命とは、まさにこのことよ……。
だが、偶然「108回」めに階段落ちして自爆した事をきっかけに、私は人生を堂々巡りしている事実に気がついた。そして殺害されるための人生を「108回」も繰り返していたことに気づき、唖然呆然。突っ伏して、さめざめと泣き崩れた。
また生まれ直して赤ん坊になっていたから、オアオアとはかなげな声で。
そしてうつ伏せから復帰できなくなり、生まれたばかりで窒息死しかけた。
新生児にとっては寝返りさえ生死をかけた一大事業なのだ……。
おのれ、赤ん坊には乙女らしく、楚々と泣き崩れる権利さえなしと申すか。人種差別だ。納得がいかぬ。赤ん坊組合の労働争議にかけてやる。
そして、私は決意する。
もう女王人生なんて真っ平御免。くそったれの運命の輪から脱出する。
これからは、ありあまる知識と未来の記憶を武器にし、華麗に立ちまわり、花の引きもりを満喫するの!!
だって私の灰色の頭脳には、女王業務も含めた「108回」分の情報が詰まっている。
ミッション!! 輝く知識を有効活用し、とびかう危険を回避せよ!!
今生では、私を殺す五人の勇士達にも、その裏にいた救国の乙女アリサにも絶対にかかわらない!!
鎖国をして孤立主義を貫くのだ。
だってね、私の「108回」の人生すべてが、女王即位、そして五人の勇士による惨殺だったんだよ。おかしすぎるでしょ。もはや呪いレベルだ。
私の王家の血筋なんて傍系もいいとこだもの、普通に考えたら、女王になんてなれるはずがないんだって。それがループ人生すべてで毎度毎度即位なんて明らかに変だ……。
もう毎回同じ人生コースに導こうとする、なんかの強制力が働いているとしか思えない。それも洒落にならない強さのものが……!!
たぶん、この狂った運命は、なまじの手段では回避できない。私を呪われた運命に引き寄せる力は悪魔的だ。
そして私は思い切る。
いくらくそったれの運命でも、さすがに私が貴族階級と関わりを持たなければ、女王コースになんか乗せられないはずだ。人とまじわらなければ、五人の勇士に恨まれることもない。恨まれなけりゃ殺されない。うん、見事な理論。絶対に「108回」と同じ要素をそろえたらダメだ。
ということで、私、ひきこもります、おうちへ……。
大事なことなので、何回も言ってみました。後ろに向かって前進だ!!
……だから、私、ニートになるために、鋭意、血みどろの努力中なんです!!
ほら、苦難の冬を抜ければ、そこには選ばれし、ひきこもりの春が!!
「108回」での人生二十八年ぶん、その間にこの国で起きた天災、あらたな発明、見つかった資源等を、私はばっちり憶えている。永久にひきこもるための資金源は、私の記憶の中にいくらでもあるのだ。私はこうみえて勤勉な女王だった。記憶力の良さは私のひそかな自慢だ。よく論戦相手の過去の黒歴史発言を突きつけて、勝ち誇った奴らに逆ねじ喰らわしてやったものだ。まさか自分の昔言った言葉にカウンターパンチされるとは思わず、みんな目を白黒させていたっけ。
……はあ、自慢げに話すことじゃないよね。
ろくでもない性格だなんて、私自身が一番よくわかってるよ。
でも、しかたないじゃない。笑顔で握手をして背中を向けた途端、後ろから刺しにくる連中ばっか相手してきたんだもの。悪意をすばやく見抜き、容赦なく排除しないと、私は生き残れなかった。べつに好きで相手をいたぶっていたわけじゃない。
でも、殺し殺されるスプラッタ人生はもう終わり!!
今こそたくわえた知識をフル活用し、私は権力ではなく平穏な日常を掴むのだ!!
知識チート全開!! 頑張れ、私!! そして無敵ニートへ……!!
「……あのさ、無敵ニートはいいんだけど。おまえにお客さんだぜ、マーガレットって10歳ぐらいの金髪の女の子。メンダークス男爵家の令嬢って名乗ってるぞ。さっき〈治外の民〉が承ったんだ。公爵邸で待ってるってさ。だからオレがおまえを呼びに来たんだ」
拳を握りしめ、決意をあらたにした私の思考は、ブラッドの声かけによって中断された。お日さまの輝く初夏に意識が引き戻される。
「……あのね、ブラッド。人の考え勝手に読まないでって言ってるじゃない。私以外の女の子に絶対それしちゃダメだからね。一生恨まれても知らないんだから」
ブラッドは血の流れで人の考えを読む。だけど女性の心のうちは、誰にも見せたくない聖域であるはずだ。自重しないチート生物に私はため息をついた。
「ああ、ごめんごめん。ついやっちまった。でも、読もうとしても、おまえ以外の考えは、そこまで細かくわからないんだよ。おまえの場合、赤ん坊の頃からやってたからなのかなあ。なんでか考えがよくわかるんだよな。おまえだけ特別なんだ。不思議だな」
ブラッドは首を傾げている。
ふうん、そっか……私だけ特別なんだ。じゃあ、まあ仕方ないか。乙女の心は神聖な場所だけど、特別というのならチラ見ぐらいは許してやらんでもない。ブラッドとの以心伝心のおかげで、今まで何度も命を助けられてきたしね。そうですか、私以外の女の子の考えはよくわからないんだ……。
流星号が哀しそうにいななき、私ははっと我に返った。
口元がつりあがっていたことに気づき、ぎょっとし、激しく顔をこする。
うそ!? 私、今、どんな表情してたの!? もしかして、乗馬の特訓のやりすぎで、足腰お股だけでなく、顔の筋肉まで痙攣したのか!?
私は狼狽を悟られないよう、ブラッドの報告に意識を引き戻した。
「……で、でも、メンダークス男爵家なんて聞いたことがないなあ。あんたたちも、あんまり得体のしれない人をほいほい家に上げちゃだめだよ。いくら腕に自信があるからってさ。メンダークス……変わった名前だよね。メンダークスって……嘘つき……嘘つき男爵ね……マーガレット……あっ」
私は、嘘つき男爵というふざけた偽名を喜んで名乗りそうなマーガレットという人物に思い当たった。顔から血の気がひいた。ブラッドの続く言葉で予想は確信に変わった。
「うーん、その子、なんかさ、妙に気品があったし、王家親衛隊もついてたし、貴族のお嬢さんに間違いはないって〈治外の民〉も通しちゃったらしいんだよな。ま、人の目利きはできるから心配しなくていいと思うぜ。今、コーネリアさんと意気投合して語り合ってるってさ。そういえば、おまえとどっか雰囲気が似てって言ってたっけ……ン? どうかした?」
「……こんのあほメイドが……」
私はこめかみを押さえて呻いた。
のんきな顔をしたブラッドに、頭がくらくらしてきた。
彼女は一介の貴族令嬢どころではない。王家親衛隊が守護するのは王族だけだ。魔犬ガルムのときに、親衛隊が私達を救援しにきてくれたのは、国王陛下の勅命だったからだ。これは緊急事態だ。
急にだらだらと冷汗を流しはじめた私に、ブラッドは? と小首をかしげた。おい、女装メイド、そんなあざといポーズしてる場合じゃないの!!
「ブラッド、私を肩車して走って屋敷に戻って!! 全速でお願い!!」
「なんだ!? いきなり!? うおっ、あぶなっ」
私は叫び、流星号の背中から跳躍し、ブラッドの胸にとびこんだ。
あわててあたふたと両手で受け止めたブラッドに命令する。
「早く!! 急がないと、マーガレット様のお相手をしているお母様が危ない」
私はブラッドの体を伝い、かさこそと背中にまわりこんだ。そのまま、ブラッドの後ろ髪をつかみ、ぐいっと身体を持ち上げ、奴の首を内腿ではさみこんだ。私の卓越した握力でなせるロッククライミング級の神業である。
「よし、肩車合身完了!! ブラッド号発進!!」
私はブラッドの頭頂付近の毛髪を操縦桿がわりに握り、ぶらぶらさせた足の後ろかかとで、ペダルがわりにブラッドの胸元を蹴った。
「あいかわらず、すごい握力だな。スカチビ三人分くらいの体重ならぶら下げて木登りできるんじゃないか」とブラッドが感心する。
たぶんできると思う。私は胸を張った。
これでも赤ん坊のときから握力には自信があるのだ。殺意にとりつかれたお母様から私を守ったのも握力だった。「108回」のとき常に女王の栄光を掴み取ってきたのは伊達じゃない。もっともこれは栄光というか半分呪いみたいなもんだけど……。
「女王っていうか、ボス猿だよな。ちっこいけど、むちゃくちゃ鼻っ柱強いやつ」
ブラッドが笑い声をたてる。
なんたる暴言!! むきぃーっ!! このハイドランジアの宝石に向かって。いいよ、そっちがその気なら、こっちだって手段を選ばないんだから。
「よくもまた心を勝手に読んだな。レディに辱めを与えたあんたに、女の怖さを教えてあげるんだから……。私を怒らせたことを地獄で後悔なさい。さあ、思う存分心を読むがいい。ククク……」
「??? !? !!……やめろおっ!! オレの首にまたがったまま失禁する気かよ!? 信じられない!! どこがレディだよ!! ごめん、悪かったって!!」
私のどす黒い意図を悟り、さしものブラッドも悲鳴をあげた。
「出物腫物ところ選ばず。拙者、じつは膀胱が、わりと限界なり……あの……急いで……」
「わかった、わかったよ!! とばすからしっかり掴まってなよ。もらす前に必ず教えてくれよ」
ブラッドは私を肩車して走り出した。
流星号は私が乗りこなせないし、そもそも鈍足だ。野生児ブラッドは自分の馬に鞍をつけていない。今の私の股下ではブラッドの前に乗せてもらうのさえも困難だ。まして鞍なしではどうしようもない。肩車なんて幼児そのもので嫌だが、急ぐにはこれが最適解なのだ……。あ、良い子は肩車の全力疾走なんてしてもらっちゃいけません。危ないし、馬役のお父さんやお爺ちゃんは笑顔でも、きっと足腰ぷるぷるだよ。手加減して遊んであげて。スカーレットとのお約束だよ!!
「おまえがそんなに心配するなんてな。……そのマーガレットって子、そんなやばい奴なのか。いったい何者だよ」
疾走するブラッドの頭にしがみついたまま、私はおおきなため息をついた。
「……ブラッド、あんたも一度だけ会ってるよ。ハイドランジア王家の第二王女のマーガレット様だよ。人たらしで化物じみた頭脳の持ち主の。ほっておくと、うちの使用人たちの出自どころか、抱えている秘密をすべて丸裸にされるよ」
マーガレット王女は幼くても、王家の頭脳とでもいうべき存在だ。
天使みたいに可憐な姿に騙されてはいけない。
海千山千の議会の派閥の長老たちと渡り合える怪物なのだ。
天才度でいったらオランジュ商会のセラフィに匹敵する。
悪いけど人づきあいが苦手なお母様の手に負える相手ではない。
「……げえっ!? マーガレットって、あの腹黒王女様か!? なんでわざわざ身分を偽ってまで……」
ブラッドが目をむく。
「からかって面白がってるんでしょ」
私は深いため息をついた。
私のループ人生の「108回」においては、マーガレット王女殿下は王位継承戦の数年前に早逝していたが、もし彼女が生き延びていたら、王位継承戦などそもそも発生せず、私は絶対に女王に即位できなかった。
「108回」では、マーガレット王女の死をきっかけに国王陛下がおかしくなっていった。てっきり溺愛していたショックでだと思っていたが、「109回」で王家と深いつきあいになって、私は考えを変えた。もっと切実な問題だった。マーガレット王女は真の天才だった。衰退しかけていた王家を、幼いマーガレット王女がすでに屋台骨になって支えていたんだ。閉塞した王家の状況を打開してくれるはずの希望の星だった。彼女の死とともにハイドランジア王家は終焉を迎えた。だから国王陛下は投げやりになり、あの狂った王位継承候補者の生き残りレースにサインをしてしまったんだ。
それは私の女王即位という破滅の道への入り口でもある。
つまり逆にいうと、この第二王女様が生存し、ハイドランジア女王に即位する流れになれば、私が女王になるルートは消える。すべては丸くおさまるというわけだ。そして、ある程度安泰した状態でハイドランジアを彼女に継がせさえすれば、四大国に負けないぐらいにこの国を発展させてくれるのは間違いない。
王位継承戦は、私が女王になるのに必要不可欠なイベントだ。そしてハイドランジアの波乱の本格的な幕開けでもある。なにがなんでも継承戦だけは未然に防がなくてはいけない。
もちろん、たとえ継承戦が発生しても、私は参加する気などさらさらないし、ハイドランジアの現体制が滅びて、この国が誰の支配下になっても生き延びられるよう、ひきこもりの準備を整えてはいる。だが、呪われた運命の強制力がどれぐらいのものか不安だし、今の国家体制が安泰ならそれに越したことはない。一から色々な関係を築き直すのは正直しんどい。現状維持のほうが楽に決まっている。
だからこそ私は、ハイドランジアの危機を乗り越えるべく、何度も王家に力を貸したのだ。ひきこもるというおのれの信条にときに背いてまで。
ブラッドは俊足だ。
私一人の体重などまったく負担にならない。
あっという間に背後と足元の新緑をびゅんびゅんと流し、屋敷のそばの池のあずまやにたどりついた。
「王女様は今、温室のほうにいるみたいだな」といったん私をおろし、すばやく斥候してきて知らせてくれる。公爵邸の温室は我が家自慢の建造物だ。軽く散策できるほど広く、さまざまな各国の珍しい植物を植え、内部に小川と小さな滝までつくってある。ハイドランジアにいながらにして、異国の情緒にひたれる、思索にもってこいの場所だ。表向きは……。
「ありがと。急いで男子服に着替えなきゃ。抜け道を使おう」
もはや一刻の猶予もない。じつは温室は裏の顔をもつ。その最深部では、我が家の重要な資金源のひとつ、「これからのハイドランジアで流行る」異国の植物がひそかに育てられている。あれを目撃されては、私のひきこもるための金儲け計画に支障が生じる。ループの知識がないとただの少し変わった植物ぐらいにしか見えないはずだが、マーガレット王女様だけは油断できないのだ。直感で宝の山と見抜く可能性がある。貢物として求められ、王家に独占されたらたまったものではない。
私達はあずまやから秘密の通路を使い、屋敷内に入った。緊急時用のいろいろな仕掛けが公爵邸にはたくさんあるのだ。いや、別に正面から入ってもいいんだけど、なんか秘密の通路って格好いいじゃない? それにこっちのがダイレクトに私の部屋にとびこめる。
とにかく時間が惜しい。お尻に火がついたように焦る。トイレもそうだし、貴族服は着るのにやたら時間がかかるのだ。また今日に限って、着付けができるメンバーは出払ってるし……。しかたないので、やむをえずブラッドに手伝ってもらった。あ、トイレじゃないよ。着替えだよ。私、トイレトレーニング完了は、この国の幼児のなかでたぶん最速だからね。
私の前にしゃがんでブラッドは不満をぶつくさ呟いている。
レディへの当然の気遣いとして、ブラッドには目隠ししてもらった。
「……見たら殴るからね。ブラッド。早く前の帯きれいに結んで。時間がないの」
「おまえさあ、自分がどれだけムチャ言ってるか、自覚ある?」
「うるさい。いつもみたいに血流で私の体を探知すればいいでしょ。未来のハイドランジアの宝石にさわれる光栄に打ち震えなさい。……ひっ、くすぐったい!! えっちなとこ触んないで!!」
「……血流探知はいちおう〈治外の民〉の奥義なんだけど。女の子の着替えの手伝いに使うなんて、うちのご先祖様が泣いてるよ。だいたいおまえに、えっちって言われてもなあ。ちんちくりんでくびれがないから、どこまでが胸でどこからが腹なのか、血の流れで読んでもわかんないくらいなのに……。あれ、おまえ、ずいぶんこめかみに血が集まってるぞ……いたっ、痛いって、なんで殴るんだよ」
あやまれえ!! 未来のナイスバディの、全世界の幼女体形にあやまれえ!!
この殴打は、星の数ほどの同志たちの心の痛み!!
そして、これは……あんたに乙女心を傷つけられた……この私の痛みだああっ!!
あいたああっ!! 全力で殴りつけたら、手首、ぐきっていった!! これ折れてない? お願い、ブラッド大丈夫かちょっと見て。……ぎゃあああ!! 私、今上半身ほぼ裸じゃん!! 前言撤回!! 見るな!! 見ちゃダメええ!!
「……おまたせしたご無礼をお許しください、マーガレット王女殿下」
そして、ブラッドをぽかぽか鉄拳制裁した私は、煌びやかな貴族男子のよそおいをし、拳の痛みを笑顔でごまかし、颯爽と温室に参上した。
ちなみに拳は無事でした。乙女の柔肌は少し見られましたが……。
私はお母様と談笑していたマーガレット王女様を見つけて、うやうやしく身を屈め、差し出された手の甲にキスをした。お母様は秘蔵の毒草の花壇の前に王女様を案内していた。なんてとこに案内してんですか……。それにしてもお母様、完全に篭絡されてますね。
だって、「マーガレット様、私なんかでよければ、どうか亡くなったお母様の代わりと思ってください。家族のつもりでいつでもここに遊びにいらっしゃって」と笑いかけ、「本当ですか!! 私、嬉しい」と王女様がお母様に抱きついていたところだったのだ。
はあ、無邪気な幼女の演技うまいなあ。
いや、実際マーガレット様は幼女なんだけどね。中身は怪物だけど。
護衛として後ろにひかえている二人の王家親衛隊の騎士が目礼してきた。その目は好意的だ。ちょっとほっとしてるようにも見えた。私たち公爵家は彼らと昵懇だ。いくらお忍びとはいえ、王女殿下に護衛以外のおつきの人達がいないわけはないので、彼らは別室で待機しているのだろう。
「お、王女殿下!? え、ええっ!? うそっ……うーん……」
お母様は、自分がのんきに会話していた相手の正体をようやく悟り、貧血を起こして毒花花壇に卒倒しかけた。
マーガレット王女様は、王家の顔として何度もいろいろな催しに顔出ししているが、社交界に疎遠なお母様はまったく気づいていなかったのだ。随行していた王家親衛隊も、王女様がお忍びな以上、勝手に教えるわけにはいかず、やむをえず黙っていたと申し訳なさそうな顔でわかった。本当はお母様に警告したかったのだろう。あわてブラッドがお母様を背後から支える。
「お久しぶりね、ルーファス。あなたがあまりにも王宮に来てくれないから、私のほうから遊びに押しかけてしまいました。こちらこそ無作法を許してね」
いとけない幼女の演技をやめ、堂々たる本性をみせて、王女殿下は優雅にほほえんだ。王宮で歴戦の貴婦人たちをも圧するオーラはすさまじい。もはやどう見ても幼女などと侮れる存在ではない。ちなみにルーファスというのは男のふりをしているときの私の偽名である。
「公爵夫人もごめんなさい。私、嘘をついておりました。私の母親の王妃はまだ生きております。あらためてご挨拶を。マーガレット・アレクサンドリア・ノエル・ハイドランジアと申します。私を王女と知らないまま、ここまで優しくしてくれたことに、私、感激いたしました」
震えながら平伏しようとしたお母様の目の前にしゃがむと、雰囲気をやわらげ、両手で手を握って笑顔で語りかける。すごい飴と鞭の使い分けだ。王女オーラで圧倒し、そのあと天使のほほえみを向けるのだ。たいていの人間はこれで、ころっと陥落する。
お母様は……ありゃ、めろめろだ。お母様は相手の悪意を見抜けるけど、マーガレット王女様は悪意をもってないからな。だからこそ怖い。マーガレット王女様はたとえ懇意にしている人間だろうと、目的達成のためなら、悪意なく相手を踏み潰せる。そういう鋼の意志をもった人間がまれにいるのだ。
「これからはコーネリア様とお名前で……いえ、先のお言葉に甘えて、『お義母様』と呼ばせていただきますわ。私のことは家族の一員と思ってこれから接してください。知らぬ仲でもなくなることですし」
私は唖然とした。どさくさにまぎれてなんの話を進めてるんだ、この第二王女様は。私の表情に気づき、マーガレット王女殿下はにっこりと微笑んだ。
「今日、内々に参りましたのは他でもありません。ルーファス、あなた、私と婚約しなさい」
繰り返すが、ルーファスというのは、男といつわっている私の偽名である。
ああ、今日のかけひきはここからスタートかな。
けっこう重いジャブだな。
マーガレット王女様がただ遊びにくるはずなんてないとは思ってたけど。
突然の爆弾発言に、お母様は平伏を忘れ、はじかれるように飛び起きてしまった。
顔色を変えて王女様にくってかかる。
「困ります!! だって、うちの子はおん……むぐっ……!?」
「じゃあ、オレ、コーネリアさんを部屋に送り届けてから、お茶もってくる」
「……むぐっ……むごごっ……!?」
ブラッドがお母様の口を手で覆い、発言を封じると、強制的に連れ去ってくれた。
ナイスフォローだ。
私は対外的に男ということになっている。
王女様の前で、女だと発言する場合、いろいろ制約つけたり婉曲な表現しとかないと、あとで面倒なことになりかねない。お母様はそういうのは苦手だ。王家親衛隊の隊員二人は気の毒そうにお母様を見送った。
ごめんなさい、お母様は素直すぎるのです。
……それに狐と狸の化かしあいは、あまりお母様に見せたくないんです。
だって私が冷酷女王だった「108回」時代を思い出すもの。
お母様が退場したことで、マーガレット王女様は本性を隠すことを完全にやめた。
軽く目くばせすると、護衛の王家親衛隊の隊員がすうっと会話の声が届かないほど後ろにさがった。
「……今のメイド、例の〈治外の民〉の長の息子でしょう。ずっとあなたに仕えてくれているのね。人の心が読めて、そのうえとっても強いあなたの専属ナイト。正直、こちらにほしいぐらいだわ……。この家の使用人さんたちも普通じゃないでしょ。……だから、一公爵家が抱えるにはあまりに過剰戦力って意見が出てることをご存じ? 他にも公爵領内の銀山、海外との独自の貿易網も目をつけられてる。ヴェンデル公爵家は力を持ちすぎだから、それらは取り上げて国有事業にすべきだ、ですって。それどころか転封まで検討してる……。あなたのおかげでハイドランジア王家は勢力を取り戻したってのに勝手なものね。よくも恩知らずにハイエナのような真似ができる。肉親ながら呆れかえるわ」
緊張していた私はほっとした。
今回のマーガレット王女は論戦をしにきたのではない。
遠回しに我が家に這いよる危機を教えにきてくれたのだ。
しかも元凶が王族とまで示唆してくれた。ぼかしているがたぶん王子様と王妃様だ。
私達はどちらともなく温室におかれた白亜のテーブル席に歩み寄った。
色とりどりの花が咲き乱れるこの場所は、室内なので雨風の影響も受けない。少しだけ蒸し暑いのが難点だが、軽いお茶のもてなしにももってこいだ。ここでハーブティーなどを飲んでいるととても落ち着く。
私が椅子をひいてエスコートしようとするのを、マーガレット王女は手でさえぎった。
「そういういうのは今日はなし。殿方のエスコートはマナーだから仕方なく受けるけど。ねえ、ルーファス。いえ、今は二人だけだからスカーレットと本名で呼ぶわ。肚を割って話すために、私はここに来たの。あなたも私のことをマーガレットと呼び捨てでいいわ。敬語もやめてね」
王女殿下は、家族以外で私の性別と本名を知っている数少ない人間の一人だ。お互いの立場上肚の探り合いはするが、友人である。……友人だよね? こわいから、友人案件でお手柔らかにお願いします。
「……もしかして王妃様と王子殿下がやらかしそうなの?」
私の確認にマーガレット王女はうんざりしたように頷いた。
やっぱりか。
あーめんどくさい、と言って、椅子からずれ落ちるようにして、両手両足を伸ばす。
マーガレットの頭がテーブルの下に隠れた。
「……そうよ!! 蝗にこの国が滅ぼされかけて救われたときは、あんなにあなたに感謝してたのにね。あのとき、私は私以上の天才があらわれたって感動で震えたわ。お母様とお兄様もそうだった。それが羽振りがよくなって、色々な小虫が寄ってくるようになったせいで、よけいな考えに取りつかれたのよ。言っとくけど、お父様はじめ他の王族はあなた達への感謝を忘れてませんからね」
マーガレットは忌々し気に吐き捨てた。
ほんとの天才に天才って買い被られると、ものすごくくすぐったい。
私は「108回」の知識があったから、未曽有の大災害に対応できたにすぎない。
マーガレットはもぞもぞ背中を動かし、椅子に座り直しはじめた。お日さまが水平線から昇るように、マーガレットの金髪の頭がテーブルの縁から徐々にせりあがってくる。目まで見えたところで動きがぴたりと止まる。
「まったく恥ずかしくって、これ以上顔も合わせられないわ」
そのさまが小動物のように可愛くて、私は思わず吹き出した。
「怒ってないよ。人の心変わりは世の常だもの。それよりマーガレットの友情が嬉しい。せっかくだから、かわいくて誠実な友人の顔をちゃんと見てお話ししたいな」
「……スカーレットは達観してるわね。お母様だったら、恩知らずって取り乱すわよ。自分のことは棚にあげてね。どんな人生を歩んできたら、四才足らずでそんな境地に至るのかしら。あなた、まだ私に隠してることたくさんあるでしょ」
マーガレットはお尻を椅子のあるべき位置に戻し、私を軽く睨んだ。
私は笑ってごまかすしかなかった。さすがに「108回」女王をやって、あげく国民に憎まれ、殺されたループ人生経験者など口にすれば、正気を疑われるだろう。信じてもらえたら、それはそれで大変厄介なことになるし。
「108回」の歴史において、ハイドランジアを壊滅させた蝗害は、私の進言により、今回の人生では最低限の被害におさえられた。
私が蝗襲来の時期とコース、その結末を完全に把握していたためだ。あのときほど「108回」の知識のありがたさを痛感したことはない。蝗害はハイドランジア有史以来の出来事であり、誰も対応策などわからなかった。「108回」の知識がなければ、私だって右往左往することしかできなかったろう。私は前倒しで麦の刈り入れを行わせ、教会などの頑丈な建物に他の食糧とともに貯蔵密閉させ、蝗の群れをやり過ごさせた。
名づけて、知らんぷりほっとけ作戦だ。
そして絶対に蝗にさわるな、井戸にフタをして守れと厳命した。
拡散して空を行く蝗の群れを追い払おうとしても、人の力では徒労に終わるとわかっていたからだ。
もちろん勝算はあった。
悪魔の飛翔を続ける蝗の大群とて、夜は地面で休む。
二週間ほど耐え忍べば、ハイドランジア全域を覆う大雨が夜に発生し、蝗を押し流して全滅させると「108回」で当時の記録を読んで知っていた。書物のとおり、空を埋め尽くした蝗の群れは、わずか一夜の大雨でほぼ壊滅した。自然が生んだ大災害は、やはり自然の力によってあっさり終焉した。
私の忠告にしたがった王家直轄領と王家に好意的な貴族の領は、飢えをまぬがれた。
……悲惨だったのは嘲笑って従わなかった反王家の貴族たちの領だ。
彼らは蝗をただの虫と侮っていた。
蝗の群れを焼いて退治しようとし、炎をまとった蝗をあちこちに四散させ、領内に大火災を発生させた。そのうえ貪欲な蝗は毒草をも喰らい、体内に濃縮蓄積し、猛毒の塊となっていた。蝗退治に無理矢理駆り出された領民たちは、蝗にふれ、毒の後遺症に苦しめられることになった。領民だけではない。むちゃな突撃命令にしたがった騎士たちもだ。
蝗にとびこまれた井戸は、毒で長い間使用不能となった。
井戸に水源を頼っていた町や村は困窮した。
そんなことになれば領の運営はまともに立ち行かなくなるに決まっている。
海外から麦を輸入してしのごうにも、皆が同じことを考えて買い漁ろうとしたので、麦の値段はえげつなく高騰し、ままならなくなった。これでは領主や家臣たちはともかく、領民の飢えにまではとても手が回らない。領は疲弊し、絶望した領民たちは受け入れてくれる他領に逃亡した。
結果、親王家派は力を増し、反王家派は力を失った。
おそろしいのは、たぶん王家は反王家が蝗害を甘く見るよう、わざと印象操作をしたと思われる節があるところだ。人ほど相手を化かすことに血道をあげる生物はいないのである。
蝗害前と勢力図は完全に逆転し、王家は往時の権勢を取り戻した。
皮肉なことに通常では二十年以上かかっても成し遂げられなかったであろう逆転劇が、蝗のせいで一年足らずで完了してしまった。私はその功により、異例の子爵位を賜った。
マーガレットは私から受けたその恩を忘れたと、王妃と王子に憤っていた。
「お父様はお兄様に王位は継がさせないわ。だけど馬鹿のほうが操りやすいからって神輿にかつごうとする連中も少なくないの。いい機会だから、そいつら追い出して、王宮の風通しよくしとこうと思ってね。協力してくれるわよね。そのかわり、私もあなたの夢の、領地ひきこもりを応援するわ」
マーガレットはかなり辛辣だ。そしてフレシキブルである。
私のひきこもりの夢に本気で取り合ってくれた最初の王族がマーガレットだった。
自分でいうのもなんだが、王国中枢部は私を有能な功臣、かつ危険人物としてマークしている。領地にひきこもるなどと言い出したら、普通なら謀反を準備していると疑われる。そうはならなかったのは、ひとえにマーガレットが皆を説得してくれたおかげだ。
なので私はマーガレットの頼みを断りづらい。それだけではなく、「108回」でなんとか国をやりくりしようと悪戦苦闘した私の女王時の姿が、マーガレットに重なるのだ。それもあり、ブラッドは、私とマーガレットが似ていると評するのだろう。
「婚約かあ。私、貴族の表舞台には立ちたくないんだけどな。それに婚約後、もし私が女に戻ったらマーガレットの経歴に疵がつくよ」
「また例のひきこもりたい病? でも、スカーレットほどの才能と力の持ち主が、立場もあやふやなままでいたら、次々に政略結婚の相手を用意されるわよ。いろいろ秘密と価値観を共有している私で手をうったほうが無難だと思うなあ。それに私の経歴に疵なんかつかないわ。だって、じきに女王になって、この国で私が一番偉くなるのだもの。誰にも文句なんかいわせない。……たとえば女同士で結婚できるよう、ハイドランジアの法律を変えるとかね」
マーガレットはうっすら笑みを浮かべ、私は顔をひきつらせた。
「じょ、冗談だよね……?」
「さあ……どうかしら?」
返答をはぐらかすマーガレットがこわくなり、私は婚約話の確認に戻った。
問題点はまだ他にもあるのだ。
「マーガレットはさ、私とのにせ婚約話で一波乱おこして、王妃様、王子様派の貴族たちをあぶりだすんだよね。でも、真祖帝のルビーもちの私と婚約なんかしたら、マーガレットまで四大国の四王子に狙われるよ。だってマーガレット、女王陛下に即位する気なんでしょ」
大陸覇権を狙う四王子にとって、かつて大陸を統一した真祖帝の後継者のあかしであるこのルビーは、なんとしても手に入れたいしろものだ。だが呪いによりルビーは私以外は所有できない。唯一残された方法は私を妻にし、私ごとルビーを取り込んでしまうことだ。奴らにそれをさせないため、私は男のふりをし続けている。けれど、もし未来の女王のマーガレットが「男としての私」と結婚すれば、真祖帝の正統はハイドランジアということになりかねない。
あいつらが黙って見すごすはずがない。
四大国を敵にまわすのはハイドランジアにとって相当きつい。私だったら絶対ごめんだ。
だが、マーガレットは意気軒昂だった。
「かまやしないわ。どのみちほっておいても、四王子はハイドランジアに理由をつけて侵攻してくるもの。もう戦いははじまってるの。お母様とお兄様の後ろで糸をひく連中の本当の黒幕が四王子よ。隣国ロベリアを主にしてね。スカーレットならもう気がついているでしょう。身内の敵ほど最悪はないわ。こちらの情報が筒抜けになるもの。二人とも二度と変な気を起こさないよう、ぶっちめてあげなきゃ」
その決意に私は息をのんだ。
「いいの? 王妃様と王子様を敵にまわすことになるんだよ。それだけじゃなく、もしかしたら……」
私は言葉をのみこんだ。
マーガレットに最悪になった場合の結果が見えていないはずがない。
マーガレットは寂しそうに笑った。
「しかたないわ。私は……女王になって、この国を守らなきゃ。他にやれる人はいないもの。それともスカーレット、あなたが代りに女王をやってくれる? あなたなら私よりうまくやれると思う。でも……ひきこもりたいんでしょ? なら、せめて私に協力して」
宣言する姿はとても美しく、悲しかった。
いくら天才といえど、本当ならまだ母親に甘えたい齢だろうに。私は胸の痛みをおぼえた。
私はこの子の域の覚悟を決められるようになるまで、二十の年齢を必要とした。
「……わかったよ、にせ婚約に名前を貸すぐらいやってあげる」
私はつい情にほだされ、椅子から飛び降り、マーガレットの側に寄ると、つま先立ちして頭を撫でた。
けなげな妹を応援する姉の気持ちになっていた。それに、私が次期女王のマーガレットの婚約者というわかりやすい立場になれば、ひきこもることで受ける疑心暗鬼をゆるめる効果も期待できるだろう。
よし、決めた。私は、私のひきこもり計画に理解あるマーガレットの味方につくことにする。知識チートを使って彼女の基盤を強化し、四大国にも負けない国にハイドランジアを成長させるのだ。そして私がひきこもるヴィルヘルム領を守る壁となす!!
ビバ!! ひきこもり!!
ひきこもりの、ひきこもりによる、ひきこもりのための対応策!!
「……がんばれ!! マーガレット!! 私、女王は絶対ごめんだけど、それと役職持ちもいやだけど、表舞台に立つのもご勘弁だけど、他に私ができることなら、なんでも協力するから!!」
「そ? じゃ、お言葉に甘えて……」
にっこりと微笑したあとのマーガレットの動きは稲妻を思わせた。ふわっと甘いにおいがした。やわらかい息が唇にあたり、マーガレットの豊かな髪が私の首筋にかかった。すばやくキスの体勢に入られたのだと気がつき、私はあわてて身をひねった。マーガレットのキスはすんでのところで狙いをはずし、私の唇ではなく頬にあたった。マーガレットは残念そうに身を離した。
「……なっ、なっ、なにを……!?」
狼狽する私に、マーガレットは悪戯っぽくウインクし、舌を出した。
「そういうとこは初心なのね。やっとあなたをびっくりさせられて安心したわ。スカーレットったら、まるで何年も女王をやったような見透かす目で、私をじっと見るのだもの。やっぱり真祖帝のルビーの後継者なんだなって、私、本気でこわかったのよ」
マーガレットはやはり傑物だった。直感で私の本質を見抜いていたのだ。
でも、私にすれば、マーガレットのほうが私なんかよりよっぽどこわいんですけど!! こんなこと言ってくる10歳なんて!! もし「108回」のループ記憶がない10歳の私に、マーガレットの相手をしろと言ったら、おしっこちびるほどびびりまくると思う。
マーガレットは、まだ硬直し、口をぱくぱくしている私をなだめるように微笑んだ。
「いつまで固まってるのかな? 私達、婚約者になるのだもの。キスぐらい当たり前でしょ。真祖帝のルビーの乙女にキスしたから、私にも奇跡の祝福がきっとあるわね。私、天才って言われてずっと孤独だった。でも、私は私以上の天才のあなたに出会えた。もうひとりぼっちじゃない。それがどんなに嬉しかったかわかる? だからこそ私はあなたと心理的に対等の立場にいたいの。これからもよろしくね、スカーレット」
いやいやいやいや!! その超評価なんなの!?
私はマーガレットのような本物の天才じゃない。
「108回」のループ人生の経験と知識が頼りのイミテーションだ。
痛いよー。胸だけじゃなく、プレッシャーでおなかまで痛くなってきたよー。
……そうだ!! 今度、セラフィの奴をマーガレットにあらためて紹介しよう!! と名案を思いつき、私は少し気が楽になった。
マーガレットのことは好きだけど、私を過大評価しすぎで、期待を裏切らないよう、いつもびくびくしなければならない。セラフィの奴にも私の苦労を押しつけてやるのだ。あいつ、私のビジネスパートナーだもの。じゃあ幸せだけでなく、不幸も分かち合ってもらわなきゃね。
「オランジュ商会の天才セラフィ君!? 前に一度顔を合わせたきりすれ違いばかりで困っていたの。ちゃんと紹介してくれるの!?」
私の提案にマーガレットは顔を輝かせた。
よしっ、食いついた!! 私は心の中でガッツポーズをとった。マーガレットは天才ゆえ、対等に話せる同年代の友達がつくれない。ある意味、ぼっちなのだ。だけどセラフィも本物の天才だから、マーガレットのよき話し相手になってくれるだろう。
「天才かー。たしかにそうかもー。セラフィは、今のマーガレットよりずっと小さい頃から、世界最速の帆船を手足のように操ってたしねー。あいつが最初につかまり立ちをしたのは、嵐の海のブロンシュ号でだったそうよ。生まれてはじめて書いた文字は帳簿の数字だったんだって。数字があれば居間に座ったままで世界を動かせるって豪語してた。きっとマーガレットと気があうと思うよー」
興味をひくべくあることないこと吹きまくった私のセラフィ伝に、マーガレットは目をきらきらとさせた。マーガレットほど賢いなら与太話と気づきそうなものだが、マーガレット本人がスペックが高すぎて、そういうものだと信じてしまっていた。
マーガレットの興味が、私からだいぶセラフィに移ったのを確認し、私は満足した。手応えありだ。そして心の中でセラフィに手を合わせた。
がんばれ、セラフィ。天才は天才同士、話に花を咲かせてくれたたまへ。
私がすこーしだけハードルを上げちゃったけど、なーに平気、平気。
ハイドランジアの次期女王のマーガレットとお近づきになれるんだもの。
我慢してね。ハイリスク、ハイリターンということで。
セラフィは面倒ごとに巻きこまれまいと、ずつと意図的にマーガレット王女を避けてたけど、男の子が女の子の熱烈なアプローチから逃げてちゃいけないよね!! 年貢のおさめどきよ!!
各員奮闘を期待する。
魔犬ガルムの襲撃から三年。
私は知識チートをフル活用し、ずいぶん財力を蓄えた。
私のひきこもりの意志は固いが、さすがに蓄えもなしにひきこもるほど勇気はない。ヴィルヘルム領はただでさえ貧乏なうえ、先代のバイゴッド侯爵の暴政のせいで領民忠誠度がゼロに等しい。おまけに抑え役の三老戦士もすでにこの世にいない。うちの領地、一応、八キロメートル四方ぐらいあるんだけど……。それで貧乏って……。
その金儲けを手伝ってもらったのがオランジュ商会の会頭セラフィだった。
私だけでは、いくら儲け話があってもそれを実現する手足がない。そしてオランジュ商会復興をめざすセラフィにとって、私の提携案は渡りに船だった。私達は悪徳代官と悪徳商人のように額をつきあわせ、いひひひと笑いながら、金儲けについて日夜熱く議論をかわした。
あいつもブラッドと同じく「108回」で私を惨殺した〈五人の勇士〉の一人だけど、まあ、魔犬ガルムの件では私をずいぶん助けてくれたから、特別に許してやることにしたのだ。それに金儲けに関しては、私とセラフィは驚くほど気が合うしね。
そのかわり、感謝して粉骨砕身、私のために尽くすのよ……って、こいつが商売で手を抜くはずがなかったか。
私達の元手になったのは、お母様が赤の貴族達にいじめら、復讐の気持ちを捨てきれず、しかし実行に移す覚悟もないまま、十年間も悶々として集め続けた「毒婦の頭巾」だった。その希少な毒……もとい薬草を元手にし、ヴィルヘルム領の飛び地の廃鉱になった銀鉱山の再開発にのりだした。
まさかお母様がひきこもった結果、はからずも得てしまった財産で、娘の私がひきこもりのための資金稼ぎに邁進することになるとは……。
事情にくわしい連中は、銀の廃鉱に手を出した私達を小馬鹿にした。にせ鉱山というのは、古来よりうかつな貴族がもっとも引っかかりやすい詐欺のひとつだ。
通常は再調査に莫大な費用がかかるうえ、有望な鉱脈が発見される可能性などゼロに近い。そりゃそうだ。誰にも鉱脈が見つからなくなったからこそ、あきらめて銀鉱山は閉鎖されたのだから。
……だが、「108回」の知識で、〝10年後〟に再発見される有望な銀鉱脈のありかを知る私にとっては、ただ地図の数点を指さすだけの簡単な仕事だった。
このできごとは、「ヴィルヘルム公爵領の銀鉱山の奇跡」と呼ばれ、ぼろぼろだったヴィルヘルム領の奇跡的な復興の第一歩として語り継がれることになる。実際は「奇跡」でもなんでもなく、ただの「知識」なんだけどね。
産出した銀は、銀食器に加工し、オランジュ商会を通じ、「これから銀食器の需要があがる」他国を選んで売りまくった。銀鉱山も貴金属加工職人も、すべてオランジュ商会を通じ、私が管理し、一本化した。それにより中間マージンを取られることなく、格安で銀食器をつくることが可能になった。
まどろっこしいようだが、銀そのものを放出しては国内で銀がインフレして価値が下がるし、かといって他国の貿易に使い、国外に銀を流出させては、のちのちの国力の衰退につながりかねない。その点、銀食器への加工なら、銀の使用量はだいぶ抑えられる。
これでも一応のちのことを考えて金儲けはしてるのだ。
もっともこの計画はこれでは不完全だ。セラフィも当然首をかしげた。
「……外国でこの銀食器を売る気ですか。たしかに、値段に比べ、すばらしい品質ですが、どこの国にもすでに銀食器を製造販売している業者がいます。それに銀食器そのものがそれほど数が売れる商品でもない。たいていの貴族は、必要な銀食器の数は確保していますからね。市場がそれほど広くないですから新規参入は大変ですし、輸送費を考慮すると、うまみはさほどないと思いますよ。貴族は金に糸目をつけませんから、安さは武器になりませんしね」
私はにやりとした。
「貴族相手に商売する気ならね。でも、違う。貴族相手に商売はしない。私の狙いは中流階級だよ。まったく銀食器を持っていない、けれど、ほしがっている顧客の卵がそこに山ほどいる。じつはね、爆発的な貴族の生活の模倣ブームが、これから大陸のいくつかの国で起きるんだ。お金儲けのフロンティアだよ」
私が断言できるにはわけがある。
「108回」のとき、大陸の経済の主役が、貴族から中流階級にうつっていくのを、目の当たりにしてきたからだ。今はちょうどその過渡期にあたる。領民は生まれた領で育ち、そこで家族をつくるという常識が壊れ、大規模な領民の流出がはじまる。貴族の財力の基盤である領が衰退し、商業や工業などのさまざまな街が力を持つようになる。そして中流階級が台頭してくるのだ。富をもった中流階級は贅沢をしたくなる。見栄を張りたくなる。そして上流階級として君臨してきた貴族文化に憧れ、その模倣がはじまるのだ。そんな彼らにとってもっともわかりやすい富の象徴が銀食器だった。彼らはこぞって銀食器をほしがるようになる。
だけど、中流階級ではおいそれと銀食器には手が出せない。値段もそうだが、銀食器の維持には正しいメンテナンスが必須だ。そこで腰がひけてしまうのだ。銀食器を貴族が好んで使うのは、「私はあなたをもてなすため、これだけの手間をかけました」と来客に示すことができるからだ。毒の判定に使えるからってだけじゃない。その家の銀食器を、新品の尖った輝きからいかに味のある美しさに磨きこむかは、執事たちの職人技とプライドをかけた戦いでもある。
私はそこに目をつけた。
うちのルートで買った銀食器に関しては、持ち込みメンテナンスを受け持つ。そして信用できると判断した良質な顧客グループに対しては銀食器のレンタルもおこなうのだ。急な晩餐会も豪華に彩れるようにし、実演販売も兼ねる。レンタルして使ったなかで気にいったものを自分のものにしたくなるのは、世の奥様の常だからだ。さらに銀のフォーク一本しか買わなかった客でも、けっして軽んじてはいけないと売り子たちに徹底させる。なぜなら……。
「セラフィならわかるでしょ。私達はなにより中流階級の信頼をえなければならない。正しいものを誠実に確実に届けてくれる、あそこの商品はすべて信用がおける。そう思ってもらうのが目的なの。公爵家の名を全面的に使ってもらってもいい。銀食器はそのための呼び水だよ」
銀食器を売って儲けるのが最終目標ではないのだ。
セラフィはさすがに天才だけあり、私の真の狙いをあっさり理解した。
「……なるほど。スカーレットさんは、『貴族文化そのもの』を商品にする気なんですね。それこそマナーやダンスまですべてを……。そうか、わざともてなしの作法を教えず、中流階級をパーティーで馬鹿にしたりする貴族もいる。悔しい思いをした人たちもたくさんいる。これはいけるかもしれない。いや……いけますよ。中流階級が今後力を持つだろうとは、商人たちも予想しているんです。壮大すぎて誰も着手しなかったけど、成功したらすごいことになるかもしれない……!! なにせ文化なら売り物は無限にある」
「うん、推しの商品のカタログを刷って、重要な顧客に渡すのもいいかもね。あと宅配サービスとか」
興奮してきたセラフィは、身を乗り出し、私の手を両手で握り、目を輝かせた。
「やっぱりスカーレットさんはすごい!! これからもオランジュ商会をご贔屓に!! がんばって世界中を股にかけて商売して、あなたのひきこもりの夢をかなえましょう」
セラフィの熱意に私は苦笑するしかなかった。
だって、これほんとは私のアイデアじゃないもの。
全部「108回」でセラフィ本人がやってたことだ。ごめんね、パクっちゃった。
でも、「108回」のときよりずいぶん早く、オランジュ商会は往時の勢いを取り戻すと思うよ。それで勘弁してね。公爵家のお父様の名前を存分に商品に使ってもいいからさ。
紅の公爵印のおまるとか、紅の公爵印の知育玩具とか。
あ、知育玩具はだめか。あんなお母様命のラブヴォーリアーなんかマークに使ったら、ストーカーじみたパーサーカーが誕生しそうだ。
そして、私達の商売は順調に軌道に乗り出し、今に至るのだ。
セラフィは辣腕をふるい、その名は大陸中の商売人の間に轟きつつあった。
優秀な同世代を求めるマーガレットにとって、セラフィは、好みどストライクだったわけだ。セラフィ、いろいろ頭がまわるし、利用価値も高そうだし。
前髪で隠してるけど、顔だってほんとは美形なんだよ。グリーンの瞳がびっくりするほど綺麗なのに、もったいない。今は額の疵はさほどコンプレックスではないらしいけど、もうこの髪型にしてないと落ち着かないんだってさ。
セラフィに引き合わせてもらえると知り、マーガレットは上機嫌だった。
「……今日はとっても有意義だったわ。今後の楽しみも出来たし、なにか御礼がしたいわ。……そういえば、公爵夫人が今度、ローゼンタール伯爵夫人の舞踏会に招かれているんですってね。どうせあの伯爵夫人、なにか仕掛けてくる気なんでしょ。だったら、私、お父様と一緒に乗り込んでもいいかしら。「あの人たち」もゆくゆくは私の邪魔になりそうだしね。スカーレット……ルーファスが私の婚約者になるとしたら、誅殺する大義名分もたつのではないかしら」
「……やめて!! 本気でこわいから!! 私が悪魔と思われるじゃない!!」
マーガレットはさらっとおそろしい提案をし、さすがに私も震え上がった。
マーガレットのお父様って国王陛下でしょうが!! お手軽に動かすんじゃない!!
マーガレットは国王陛下とともにローゼンタール伯爵夫人の舞踏会場に乱入し、お母様を虐めたことを口実に、ローゼンタール伯爵夫人の一派を潰そうか? と暗に匂わせたのだ。こわいよ!! この第二王女!! 誅殺とか普通に会話に使うって、どんな10歳児!?
そんなことをされたら、私はローゼンタール伯爵夫人を潰すため、実の母親を囮にし、最高国家権力を動かす、極悪非道の幼児であると、ぜったいに世間に誤解されることになる。
「そう……残念だわ。ローゼンタール伯爵夫人を殺すときは先に教えてね。いろいろ手回しして、あの領地、王家で没収できるようにしときたいから。それとももしかしてヴィルヘルム公爵家で手に入れる手筈になっているのかしら」
「するか!! だから仮装舞踏会に行くだけなんだって!! 私はひきこもれる自分のとこの領地があればじゅうぶんなの!!」
「冗談よ、冗談。じゃあ、私そろそろお暇するわ。あなたのお母様にもよろしくね。さっき抱きついて筋肉のはりを確認したけど、ずいぶんダンスがんばってるみたいね。健闘を祈ってるわ」
こわっ、甘えるふりして、そんなとこまで探ってたのか。
あわてて見送ろうとする私を手振りで制し、マーガレットは茶目っ気たっぷりにウインクした。
「別れはさらっとしたほうが好きなの。すぐにまた訪ねていきやすいから。たとえば明日とか。じゃあね、未来の旦那様、次は言葉でなくキスで見送ってね。それとあなたがいろいろ隠してることとかも聞きたいな、たとえばその知識のでどころとか、ものすごーく興味あるなあ」
こえええーっ!!
いや、勘弁してください。せめて週一にしてください。私は心の中で悲鳴をあげた。
マーガレットは颯爽と歩み去った。会話が終わったと気づいた王家親衛隊が、私に目礼し、すうっと後に続く。静寂が訪れる。突然嵐がやってきて去って行ったようだった。
「……おまたせ!! って、王女様もう帰っちまったのか?」
「たった今お帰りになったとこよ。あんたね、もっと早く来なさいよ」
入れ違いに馬車型のキッチンワゴンを押してブラッドが現れた。
このあほメイド、どんだけお茶の準備に時間かけたんだ。
おかげで私は吐血しそうなプレッシャーに一人でたえる羽目になったのだ。
ワゴンに満載されたティーセットの数々を私は恨めしい気持ちで眺めた。三段皿のティースタンドにはお菓子が山盛りであり、溢れんばかりの量の花が詰め込まれた花入れ。シルバーのキャンドルスタンドに、テーパーのキャンドル。シャンパングラスにゴブレットと、シャンパンや水は常識として、シャンパン用のワインクーラーまで用意したの? これ、飾り用の銀額縁の絵? 壁を彩るつもりだったの? 明らかにやりすぎだ。こいつ、正式の準備しようとしたのか。そりゃ遅れるに決まってる。まあ、百歩譲ってそれはいい。
「ねえ、ブラッド、ティーカップの中に屹立しているこの物体はなにかな」
「いやさ、王女様に出すんだから、やっぱ驚かすぐらいの飾りナプキンをしなきゃなあっと」
飾りナプキンとは、ナプキンを折って、花やアコーディオンなどをつくるあれだ。
「……どこの世界にナプキン、馬の形に折るやつがいるのよ。っていうか、あんた、よくこんなん折れたよね!? すごいけどさ!! これが倒れずに立ってるって、たしかに驚異的だけど!!」
カップには前肢をあげ、勇ましくいななくナプキンでつくられた馬がいた。こんなもん折ってたら時間なんかなくなるわ。なんなの、この驚異のメカニズム!! お茶の準備にはりきりすぎて間に合わず、せっかくの準備が徒労に終わって、しょんぼり落胆しているブラッドに、私はため息をついた。
「マーガレット王女様の相手して疲れちゃったよ。誰かおいしいお茶いれてくれると嬉しいな」
「……!! まかせときな。とびきりのやつを淹れてやるぜ」
ブラッドは喜色満面でばっとテーブルクロスを広げ、しゅぱぱっと食器やカトラリーをセットした。
ちなみにブラッドはキッチンワゴンの前からほとんど動いていない。バーのカウンターでグラスが滑ってくるように、ぴっぴっと食器類を超低空飛行で放って、ぴたりと設置していっている。まるで奇術だ。金のとれるレベルの技だ。マーガレットが見たら、きっと大喜びしただろう。
そういやマーガレット、ブラッドのことをほしいって言ってたな。こんな変態技を見たら、よけい本気で申しこんでくるかもしれない。あの子、おもしろがりでもあるから。次期ハイドランジアの女王にそこまで望まれるって、結構すごくない?
「……でも、あげないけどね。だって、私のだもん」
「……なにがだ?」
つい口に出してしまった私に、お茶を淹れてくれながら、ブラッドが不思議そうに問う。私はそれに答えず、ティーカップを傾け、口をつけ、にっこりした。
「ずいぶん上手になったね。でも、あんたの師匠のメアリーのに比べると、まだ香りが少し劣ると思う。もう少し私が大きくなったら、あんたに心をこめてお茶を淹れてあげられるんだけど。あんたには世話になってるし、それくらいしたげるよ」
それを見てよく学ぶがよい。
メアリーのお茶は美味しいのだが、感覚型なので人に教えるのは苦手だ。「こう、こぽこぽっとお湯を注いで、お茶の葉はふわふわーっと躍るかなあって量をちょいぱあっくらいで、ひょひょひょーいっと時間を見るんですよ」うん、にこにこして丁寧に教えてくれるけど、全然わからん。たまたま訪れていたマッツオが腕組みしてうなずき、「うむ、さすが、メアリー殿の説明。これは武芸に通ずる。なかなかに……深い!!」としきりに感心してるけど、本当にわかっているのかどうか……。メアリーも頬を染めてはにかんでるけど、あんまりその誉め言葉は信用しないほうがいいよ。
その点、私は完璧だ。誤解されるむきが多いが、貴族のお茶会において、ホステスとしてお客様をお茶でもてなすのは、女主人の役目だ。正式なお茶会で使用人にお茶を注がせていたら、頭がおかしい奴と思われてしまう。自分がお茶を注ぐ以上、ぜったいに変なものは出したくないから、貴族の女性はお茶の淹れ方に当然精通している。
……お母様は、まあ、例外です……。
ただ今の私では手足は短いわ、目線は低いわ、非力だわで、既存の茶器ではまともにお茶が淹れられない。ミニチュアの容器をつくる手もあるが、そこまでする必要があるのかと思うし、感覚が狂うおそれがある。なので、ある程度大きくなるまでは、残念ながら私のお茶テクニックは封印なのだ。
……というつもりで私は言ったんだけど、ブラッドの奴、後ろ頭をばりばりかいて照れている。
「いやー、なんか照れるな。そこまでオレなんかに気を遣わなくていいのに。あー、わかってるよ。深い意味はなく、感謝してるよってことだろ。でも、悪い気はしないな。スカチビは将来美人になるだろうし、楽しみにしておくよ」
なにを嬉しそうにぬかしておるのだ、この女装メイドは?
不審に思った私は、ブラッドの説明をきいてびっくり仰天し、赤面することになった。なんと〈治外の民〉の風習だと、女の子が異性に「お世話になってるから、お茶を淹れてあげたい」と声をかけるのは、「いつも気にかけてくれてありがとう。私、あなたを癒す存在になりたい」という隠喩になるのだそうな。つまりは女性からの告白、もしくはプロポーズである。ちなみに娘に父親が言われたいセリフの人気ナンバーワンでもあるらしく、その場合の意味は「わたし、将来パパのお嫁さんになるんだ」である。
ふむ、なかなか奥ゆかしくて、かつ女の子に恋のチャンスを与えるすてきな言葉である……じゃなくって……!! 私、そんなつもりさらさらないからね!! そんな奇習、知らなかったんだよ。ほんとなんだってば!!
その後、すぐにブラッドの誤解は解けたが、悪いことに、地獄耳のうちの使用人たちが私達の会話を拾い聞きし、執事とハウスキーパーがにこにこ顔で駆けつけてくるという事態におちいった。
違うよ!! だから誤解なんだって!! ちょっと、ぎゅうっと抱きしめないで。釈明できない!!
「うれしい!! スカーレットちゃん、ずいぶん早く決断してくれたのね!! ああ、どんな晴れの衣装を用意しようかしら!! もう私、楽しみで楽しみで!!」
やめれえっ!! 私、ブラッドんとこの義娘になる気なんてないから!!
どうして……どうして、こうなったあー!?
……そのあと、屋敷全員の誤解を解くのに、小一時間を要しました。あー、疲れた……。
◇
帰途の馬車の中、マーガレット王女は無口だった。
そこには、さきほどスカーレット相手にはしゃいでいた面影の欠片もない。
すみれ色の瞳は沈痛でさえあった。
向かいの席の侍女は怯えて身を縮めている。
べつにマーガレット王女は威嚇しているわけでもなく、暴君なわけでもない。それどころか彼女ほど手のかからない主人はそうはいない。だが、思索に没頭したときの彼女は、鬼気迫る雰囲気を醸し出す。その異様な雰囲気に、感受性豊かな若い娘はたえられない。
そのうえ普段からマーガレットは侍女より先に動いてしまう。あとから判断すればマーガレットの行動は正しかったとわかるが、あまりに先手先手をうっていくので、そのときの侍女はわけがわからず、おろおろするしかできない。マーガレットは叱りもしないし、悲しむでもない。自分より目端がきく人間がいないのは彼女にとって当り前のことだからだ。結果、侍女は常に無力感にさいなまれることになる。長続きしない。自分が王女にとっていてもいなくてもどうでもいい存在であるという残酷な事実を突きつけられるからだ。王宮でもっとも幸せで不幸な役目と、マーガレット王女の侍女職がおそれられる所以である。
今、マーガレットはスカーレットとかわした会話を一言一句もらさず反芻していた。
自分の言葉に対する彼女の反応もだ。
スカーレットは傍目には取り乱しているようにみえたろう。マーガレット優位で話を進めているようにもだ。だが、違う。スカーレットはこちらに話を合わせてくれているだけだ。さながら大人が子供に目線をあわせるように。
あの場は明るく奔放にふるまってはみたが、マーガレットの心は劣等感の苦さでいっぱいだった。
マーガレットは唇を噛みしめた。
天才である彼女は、スカーレットの秘める底なしの才能を見抜いていた。
スカーレットには、大陸全体がこれからどう動いていくかが、まちがいなく盤上を俯瞰するようにはっきりと見えている。天気や災害、資源のありか、これから流行るもの、すべてを的確に摑んでいる。それだけなら百歩譲って優秀な占い師なら可能かもしれない。現に、ハイドランジアにも放浪の身ではあるが、〝マザー〟という極めて高い的中率を誇る占い師がいる。だが、スカーレットはそんな生易しいものではない、とマーガレットは看破した。信じがたいことだが、スカーレットには、女王としてこの国の未来を動かした経験がある。
もちろんマーガレットは、スカーレットが「108回」のループ経験者などとは知らない。だから、スカーレットは脳内シュミレーションをし、それによってスカーレットが女王即位した場合、破滅の未来が待っているとすでに結論を導きだし、あきらめとともに領内にひきこもると主張しているのだと判断した。
それが単純にスカーレット本人が持つ能力なのか、あるいは「真祖帝のルビー」の助けあってのものなのかはわからない。ただ一つ確かなのは、四歳足らずであの域に到達しているスカーレットに、遠からず自分はついていけなくなるということだ。
「……いやだ……!! そんなことは許さない……!!」
拳を握りしめ、肩をこわばらせたマーガレットに、侍女は怯え、びくっとなった。
それにも気づかず、マーガレットは取りつかれたような目をし、虚空を睨みつける。
「……いやだ!! いやだ!! いやだ!! やっと見つけた私のお友達よ。私を置いていくなんて許さない。そんなことぐらいならいっそ……!!」
マーガレットは両手をかぎづめのように曲げ、狂おしく前髪をかき乱した。
普段冷静沈着なマーガレットの突然の豹変に、とうとう侍女はたえきれず、ひいっとかすれた悲鳴をあげた。……その声が、ふっと途切れた。
「……そんなことぐらいなら、いっそ殺ス? 殺しちゃう!? ……だって、そうしたら、愛しいスカーレットは誰の手にも渡らないって寸法サ!? ンハッハッハーッ!? それって、最高に狂って、最低にハイじゃない!? すてきなゴミカス王女さま。そんなわがままで尊いラブなんて……燃えるゼ、大好きサ!?」
突然、素っ頓狂な割れがねのような声が、びりびりと響き渡った。
はっと顔をあげたマーガレットの目に、異様な円筒の高さのトップハットをかぶり、まっしろな仮面の怪人がとびこんできた。仮面にはバランスの崩れた大きなまっかな唇が描かれている。まるで口紅を塗りたくった巨大な唇がキスマークをつけたようだ。妙に生々しく不快だった。口元以外はのっぺりとした白一色だ。尾をひきずりそうな白の燕尾服を着込み、足を高々と組んでいる。服のあちこちに醜くディフォルメされた猫や犬やいろいろな動物のぬいぐるみを貼りつけている。パースが狂っていて、正気を失いそうなキャラたちだ。みんな明後日の方向を向いているのに、目だけは可動式になっていて、常にぶるぶるとせわしなく揺れている。儀礼用の礼服にそれだから、見ているだけ感覚がおかしくなりそうだ。マーガレットの向かい側の席の侍女の隣に座り、なれなれしく彼女の肩に手をまわしている。
「おっと忘れた、自己紹介!! 我が名は、七妖衆がひとり、無貌のアディス!! 七妖衆って知ってるかい、腐ってとがった折れ釘たちサ!? 強くなろうと人を捨てたよ、そしたら、もっと、たくさんのものを捨てることになったよ。残ったのは搾りカス。ンハハハーッ!! みじめで無敵なお笑い集団なのサ!?」
マーガレットは驚きに息をのんだ。突然、車内に出現した異様な風体の怪人に驚愕したからではない。そんなことでは彼女は動揺しない。
彼女が戦慄したのは、侍女が凍りついたまま身じろぎしないことにだ。侍女だけではない。馬車の窓から見える護衛の王家親衛隊も、たぶん御者も馬丁も、流れる景色でさえ、すべてが停止している。
「……時間が……止まっているの……?」
「……残念!! 無念!? 不正解。ブブーッ!! これは〝幽幻〟ってんだよ、すてきなレディ。武術を極めた者だけが踏み込める、狂った境地のいかした世界サ!? 七妖衆はみな常連サン。〝幽幻〟もちか、〝魔眼〟もちじゃないと、ここへは入室おことわり!? だけど、今日はかわこわいい王女様を特別にご案内―っ!! 丁重に、親切に。女の子には紳士でネ。……孫の代からの家訓だヨ!? ……だからさ……不正解の罰ゲーム!! みんな大好き、天才王女様の嬉し恥ずかし、凌辱ターイムッ!! はじまるよ!?」
前屈みになり、膝を叩いて、けらけら笑い出した仮面の男の懐に、マーガレットは無言で飛び込んだ。白刃が閃く。どんっと鈍い音がした。
「……な……な……な……なんじゃ、こりゃあっっ!?」
仮面に深々と突き立った短刀の柄頭に触れ、男は絶叫した。
「不用心に前に屈んでくれてありがとう。おかげで私でも背が届いたわ。とりあえず……さよなら」
両手で握った懐刀に、全体重をのせて男を刺したマーガレットは、馬車のドアを外側に開け放った。呻いて、短刀を抜こうとし、よろめいている仮面の男の足を、マーガレットは容赦なく払った。絶叫をあげ、仮面の男は馬車の外に転落した。長い燕尾服の裾が目の前を通り過ぎると同時に、マーガレットは馬車の扉を閉めた。
肩で荒い息をつく。何者かはわからないが、葬ることができてよかった。おそろしく危険な相手であると直感し、とにかく排除せねばととっさに身体が動いてしまったのだ。肚の据わったマーガレットだからできた反応だった。
「……やあやあ!? 素敵なプレゼントをありがとう!! その気持ち、心と脳みそに突き刺さったヨ!? 嬉しくて心臓が止まるかと思っちゃったネ!! ぼかぁ、シアワセだなア」
突き落としたのと反対側のドアががちゃりと開き、ひょっこり仮面の男が顔をのぞかせたときも、マーガレットはまだ心が折れなかった。もう一本隠し持っていたナイフを、仮面の男めがけて投げつけた。仮面の男は、くいっと首を捻じ曲げ、ナイフを顔面で受けた。先端だけ刺さってぶらついているナイフを自分で、ぐっと奥に押し込み、けたけた身体を揺らして嗤う。
「ご覧ヨ!! これでお揃いさ!! カタツムリみたいにいかす角だネ!! のろのろのろのろ!! 恋物語の基本だネ!? もしかして好きだから、つい虐めちゃうってノリ!? いいね、青春だよ!! 照れ隠しだネ。貌が火照っちゃうヨ!? 燃え尽きちゃうヨ!! だから……クールなこのブルーダイヤを、君にプレゼント」
その手にいつのまにか握られた鎖付きの蒼いハート型の宝石を見て、マーガレットははじめて恐怖を覚えた。美しく耀いているのに、おぞましい汚わいが泡を立てているような嫌悪感が背筋を走り抜ける。その光は冷たい悪意に満ちていた。
「おっと、忘れてた。デキる男はメイクも忘れないネ!? 女の子はロマンティックなのが大好物!? いつだって男はスマイルスマイル!!」
男は仮面にすっと人差し指をあてて、Uの字を描いた。ばきばきと異音がし、仮面に条痕が刻まれる。耳まで裂けたその三日月型の弧から、ぼこぼこと音をたて、血泡があふれ出た。
「……深くえぐりすぎちゃっタ。テヘペロ。でも、愛するコのため、はりきっちゃウ!! これもひとつの男心だよネ!?」
仮面の男は首をかしげた。ブルーダイヤが不気味に輝き、そのペンダントの周りから、植物の蔦がうねうねと、あふれ出した。つたは、男の血を求めて、顎元に這い上がっていく。
「……ンハハハーッ!! これはくすぐったいネ!? これ、おまえたち、デート相手を間違えてるヨ」
身をよじらせて嬌声をあげる男に、つたは、ぴたりと動きを止めた。
「破滅の魔女サンの生贄はアッチよ。なまいき王女様の活造り、たっぷりと召し上がレ」
頭がおかしくなる狂った光景だった。
マーガレットはたえきれず、ついに悲鳴をあげた。
心が折れた十歳の少女は、年相応の恐怖におびえ、泣き叫んだ。
「……助けて!! お父様!! スカーレッ……!!」
小さな少女のあわれな叫びは、誰もいない深い森の中に吸い込まれ、そして、ぷつりと途絶えた。
お読みいただきありがとうございます!!
わかりづらい更新で申し訳ございませんでした!!




