よみがえる森の民ウィスクム。私、生贄ロックオンなのです!?
ブクマ、評価、御感想、レビュー、お読みいただいている皆様、いつもありがとうございます!!
おかげさまで「108回殺された悪役令嬢」書籍化いたしました。イラストは鍋島テツヒロさま!!
KADOKAWA エンターブレインさまより、上下巻にて、発売中です。
BABY編とついてます。赤ちゃん部分だけで、上下巻書籍化という、偉業ならぬ異形を達成しちまいました。しかも一冊につき396ページです。文字もぎっしり、1ページに45文字×18行。赤ちゃん時代にここまで字数を使った異世界恋愛書籍(そんな真似をするバカ)は、そう多くはあるまいて……。
これも、ひとえに読者の皆様が支えてくださったおかげです。感謝です!!
「……お母様、今すぐ自宅に引き返しましょう!!」
疾走する馬車の中、私は迷わず提案した。
闘争本能ならぬ逃走本能に火がついた。胸騒ぎが止まらない。なにかとてつもない変事が起きている。得体のしれない悪寒が、背筋を這う。
もうローゼンタール伯爵夫人の舞踏会などに行っている場合ではない。
ブラッドではないが、私もこの手の予感ははずれたことがないのだ。
私の胸のペンダントの「神の目のルビー」は、光を失ったままだ。引き返すべきという警告の叫びをあげたきり、光蝙蝠族の霊たちの気配も、ぱたりと消えてしまった。
ルビーに取り憑いている光蝙蝠族たちの霊は、かつて大陸最強を謳われた一族だ。
死すら恐れず戦う勇猛果敢な戦士たちだった。
その彼らがあそこまで怯えたのだ。光蝙蝠族の霊たちがどうなったかも心配だが、彼らが必死にしてくれた警告を絶対に無駄にすべきではない。
魔犬ガルム級の災難が、ローゼンタール伯爵夫人邸で待ち受けていても、何ら不思議はない。
そして、私は不運を呼び寄せることに関しては、絶対に他人に遅れを取らないという自負がある。
「お母様!! お母様は過去のトラウマを乗り越え、ローゼンタール伯爵夫人の招きに応じられました。その勇気をスカーレットは誰よりわかっております。私が理解者では役不足でしょうけど……けれど今は曲げて私の言葉に耳を傾けていただけませんか」
私はお母様の膝にすがるようにして訴えた。
私の不運のバーゲンセールに、お母様を巻き込んではたまらない。
お母様は「赤の貴族」からの壮絶ないじめで、十年間ひきこもるほどの心の傷を負った。その首謀者の一人だったローゼンタール伯爵夫人の悪意にみちた舞踏会に出席するのに、どれほどの勇気が必要だったのか、私はよく知っている。招待状をうけとっただけで、お母様は嘔吐したのだ。
それなのに、私に誇れる母親でいたいがため、そのためだけに、過去に向き合う決意をしてくださった。お母様の愛がとても嬉しい、胸にしみる。なのに、その私本人が、残酷にもお母様に引き返せと頼んでいる。心が激しく痛む。だけど、お母様がひどい目に遭うのはもっと嫌だ。私だってつらいのだ。
うつむく私の頭を、お母様は優しく撫でた。
それから、ちょんと鼻の頭をつついて、悪戯っぽくほほえんだ。
「……顔をあげて、スカーレット。引き返しましょう。愛する娘が私を理解してくれる。それがどれだけ嬉しいことかわかって? たとえあなた以外の世界中すべてが、私を否定しても、私はおそれはしません」
「お母様……」
私は泣きそうになった。
「あ、やっぱり、それとヴェンデルとメアリーとブラッドと……」
お母様の追加注文が入りました。
まあ、大事な人たちが多いのはいいことだ。
ひきこもりだった面影はもはやそこにはない。
私のひきこもり計画はいつになったら発動できるのやら……。
旧サブタイトル疑惑が早くものしかかる。
しかし、幼児のせいかどうも涙もろいよ。ブラッドがこの場にいたら、にこにこ後ろから見守られるところだ。「一〇八回」生きた悪役令嬢としては、もっとクールに行かねば。大事な人たちを守るため、ときには非情な決断が必要なときもある。
「……ローゼンタール伯爵夫人には、あとで舞踏会を欠席したお詫びはしておきます。もしかしたら、鬼の首を取ったかのように勝ち誇り、周囲にお母様の悪口を言いふらすかもしれませんが、お気にされることはないのです。だって、そのときは……」
私は立ち上がった。
スカートの横の裂けめに手を入れ、ポケットの中から扇子をさっと取り出し、居合抜きをするように斜め上に振り上げた。私の武器防具兼おしゃれ道具である。びしいっと音を立て、扇子が開く。
「……権力で圧倒しますもの」
私は扇で口元をなかば隠し、凄みのある笑みをつくった。
悪役令嬢には、やっぱこのポーズよね。でも、このシーン、バストアップのみでお願いね。あんまりひきの構図はやめてほしい。私の幼女の全身が映ると、お遊戯会にしか見えなくなるもの。ああ、早く大人になりたい。
まあ、背格好こそあれだが……今の私なら、ローゼンタール伯爵夫人を潰すのは可能だ。
「一〇八回」の令嬢時代には、アリサのやらかしの巻き添えで、私はローゼンタール夫人に何度か殺されかけた。あのときの私にとって、社交界に君臨し、私設の暗殺団を抱えたローゼンタール伯爵夫人は、手も足も出ないおそろしい相手だった。
だが、今回の人生は違う。
「お母様もご存じでしょう。私はこの三年間で、王族に恩を売り、信頼できる貴族との人脈を築き上げてきました。さらに資金源として領内の銀を元手に南方貿易を……おあっ!?」
私の自分語りは、馬車の急激な動きで中断を余儀なくされた。がくんっと車内がはねあがった。幼女の軽い体重なので、ぶわっと宙に浮きあがってしまう。
うん、わかってた。たまに私の見せ場がくると、すぐこうだもの。
そして不幸がこれだけで終わるわけがない。
衝撃でロックがはずれ、馬車の扉がばあんっと外側に開いた。ごおっと空気が流れる。高速で走っていた馬車の外に、私は吸い込まれ、投げ出されそうになった。
うむ、こうきたか。さすが私。ドミノ倒しのごとき連鎖反応。まるでコントだ。
私はこれを不幸の御都合主義と呼んでいる。
知識チートの代償みたいなものだと割り切っている。おしむらくは、どう考えても不幸のほうがかなり多めであることだ。お父様やお母様、ブラッドやセラフィやメアリー、マッツオ……頼もしい仲間達に恵まれていたから生き延びたようなもので、知識チートだけだったら、とっくに一〇九回めの人生詰んでいる。死んじゃったら、運命の神様に文句を言ってやらねばなるまい。
「……スカーレット!!」
あわててお母様が私の手を摑もうとする。必死に伸ばした指は惜しくも手をすべり、ルビーのチェーンのほうを引っかけた。
「……ぐえっ」
私はきゅうっと首を絞めつけられ、じたばたした。
はい、お約束。
釣り上げられた魚の気持ちを私は知った。私の下半身は戸外に吸い出され、足は宙に浮いたままだ。スカートが旗のようにばたばた鳴っている。アイムフライングである。このままだと窒息し、三途の川でスイミングだ。
しかしさすがお母様、馬術の達人だけあって、この振動地獄の中でも、安定して行動している。うーむ、この超絶的な運動神経が、どうしてダンスには生かされないのか。私は空中であの特訓の日々を思い出し、嘆息した。
え、のん気すぎ? なんの、こちとら「一〇八回」も殺された身、こんなのピンチのうちに入らない。空中で鯉のぼりのようになりながら回想シーンに入るなどお茶の子さいさいなのである。
お母様ときたら、うちの上級フットマンたち……まあ、ぶっちゃけ言うと、ブラッドの出身の〈治外の民〉出身の連中なんだけど、彼らにダンスの相手をしてもらってるときも、「……そこっ……!!」っとか叫んで、ひゅんって回転すると、パートナー役の手を払いのけちゃうんだもの。生粋の狩人の血がなせる業なのか、背後からの強者の気配に異常反応するんだ。
〈治外の民〉もまた戦闘民族だから、嬉しそうに「……さすがです。奥様。それでこそ我が主。気配は消したつもりでしたが」とか誇らしげに頷いてるし。
……あんたら、それじゃダンスの練習にならないでしょうが。ライバルを認め合う、ふふふ笑いしている場合じゃないよ。おい、こら、様子をうかがっていた他の使用人たち、揃って、一斉にふふふ笑いを漏らすんじゃない。どこのバトルトーナメント会場よ、公爵邸は。
うちの使用人は約半分が〈治外の民〉の関係者だ。その価値観は、一に強さ、二に強さだ。夫婦ともに〈治外の民〉のトップクラス以上の強さを誇るお父様、お母様は、彼らにとって実に尽くし甲斐のある主たちなのだ。おのれ、この脳筋一族め……。
あ、私は不本意ながらマスコット枠です。自分で言うのもなんですけど、強さ大好きな彼らは、可愛さも大好物です。女性連中は特に……。階下の世界なんて全然気にしない人たちなんで、隙を見ては私を膝だっこしようとします。たまに男の子の格好してると余計に……。主の威厳……はあ……。
結局お母様のダンスの相手役がつとまるのは、お父様しかいなかった。はい、結論、愛こそすべて。でも、気配に過剰反応しない代わりに、今度はしょっちゅう足を止めて、ラブラブな雰囲気で見つめ合っている。
お父様の執務の忙しさも相まって、私のお母様育成計画は遅れに遅れた。逢えない時間が多いぶん、たまに顔を合わせると、よけいに二人の愛は燃え上がるのです。もうやだ、このバカップル……。
「……コーネリア、久しぶりに逢ったせいで、君への愛が止まらない。思い出すよ、はじめて二人で踊った夜と……キスのことを。君はあのときよりも、さらに美しくなった。どこまで、ぼくを虜にすれば気がすむのか……」
「……ウェンデル、私も、出会ったときより、もっともっとあなたが好き。きっとおばあちゃんになっても、この幸せなときを忘れない。このまま、あなたの腕のなかで、時が止まってしまえばいいのに……」
※私、注。あー、この二人は結婚十五周年を来年にひかえた夫婦です。はあ……。
「……時か、それは押しとどめるには手強い相手だ。うつろう時に対抗できるのは、永遠の愛だけだ。ぼくの胸の中には、君への愛が燃え盛っている。ぼくが君を時の残酷さから守れるかどうか、まずはベッドの上で愛を証明させてもらっていいだろうか」
そのままダンスを中断し、
「……んんっ、スカーレット、すまない。お母様は具合が悪くなったようだ。ぼくの寝室のベッドでしばらく休ませるので、今日の練習はここまでにしてほしい。ああ、手当てはぼくがするので、誰も近づけないでくれ。では、おやすみ。愛しい娘よ」
と咳払いし、お母様をお姫様だっこすると、すたこら螺旋階段を上りだす。
「……ご、ごめんね、スカーレット。明日はちゃんと練習するから……!! 今日はちょっと怪我を、その、えと……」
言い訳をしようとするお母様はしどろもどろだ。
人間が正直すぎて嘘が下手すぎ気の毒だ。
いいですよー。気になさらなくて。私、別室で寝ますから。むしろ気が楽です。
赤ん坊のとき、この二人と同衾させられているときは、本気で地獄だった……。
両親の睦言を子守唄がわりに聞かされる居心地の悪さは、人生ループしてみないと味わえない。
「……ああ、スカーレット。お母様は足を痛めたんだ。きっと打ち身だ。痣になっているかもしれない。早く手当てしなければ。だが、コーネリア、君の肌にあると考えれば、痣さえも花のように思えてくる……君の美しい白い内腿に、紅い薔薇が咲いたとすると、ぼくにその花びらに口づけする権利はあるだろうか」
対してこのお母様ラブ魔人は、いったい何を言っているのか……。
「……も、もちろんですわ。私のすべては、あなたのものですもの……あ、ここではイヤ……早くベッドに……」
そのまま二人はお父様の寝室に姿を消してしまう。そして朝まで面会謝絶。私たちはいったい何を見せられているのか。ダンスの免許皆伝より先に子宝のほうを授かりそうだ。私は想像上の咲き乱れた恋の花びらを手で払いのけ、深いため息をついた。
お母様、私、知ってるんですよ。
お父様が御在宅のときの食事って、リークのくるみあえとか、揚げたアーティーチョークのヘンルーダがけとか、スパイス入りのホット赤ワインとか、やたら精のつくもの用意してますよね。初々しく恥じらってますけど、なかば確信犯でしょ。
「……どんまい。おまえはよく頑張ってると思うぜ。オレはいつも見てるから」
愛のムチがわりの扇子を握りしめたま肩をおとす私の頭を、ブラッドがぽんぽんと叩き、慰める。あいかわらずいい奴で、優しさが心にしみる。
「コーネリアさんの代りと言っちゃなんだけど、オレにもダンス教えてもらえるかな。オレは立派に踊れるようになっとかなきゃいけないんだ。いつか訪れる日のために」
私を真剣に見つめるブラッドのまなざしにどぎまぎする。ま、まさか、これって、いつか私と踊りたいっていう意志表示? ということは遠回しの求婚……。
「ああ、ちがう。ちがう。男パートじゃなくて、女パートのほう。〈治外の民〉の連中や王家親衛隊から、今度一緒にダンスパーティーしようって誘われててさ。メイドやるからには、ワルツのひとつやふたつ、きっちりこなせなきゃな」
……はい、そういうオチね!! あんたのメイド道はいったいどうなってんのよ!! 求婚と勘違いした自分が呪わしい。乙女のときめき返せ!! 困窮してしまえ!!
スカートをつまんで優雅にダンス開始の挨拶をするあほブラッドに、私は殺人ルビーを投げつけてやった。ペンダントには長めの鎖をつけているので、投げて引き戻してを繰り返せば、ヨーヨーのような連撃が可能だ。
「よっ、ほっ、おい!! あっぶねぇな!! まったく、鬼に金棒。スカチビにルビーだな」
いつものことなのでブラッドも驚かず、ひょいひょいと攻撃をかわす。
そもそもどんなにがんばっても、私ごときの攻撃がブラッドに通用するわけがないので、安心して遊びに興ずることができる。私としてはペットの犬の相手をしてやっている感覚だが、横で見ていたメアリーは感慨深げにうなずきながら、「萌えますね。幼い頃じゃれあった好き同士の思い出は、大人になったとき、かけがえのない宝物になります。あとからいくらお金を積んでも手に入りません。絶対に忘れないでくださいね」としみじみと語った。
あのね、メアリー、勘違いしないで。これは調教とレクリエーションの一環だよ。
「望み通り、たっぷりダンスを教えてあげる。四大国で大流行りするステップの特訓よ。はい!! 飛んで!! 跳ねて!! ワン、ツー、スリー!!」
「ほんとかよ!? これワルツか!? ずいぶん激しいな」
ぶつくさ言いながらも、ブラッドは足元を狙う愛のムチがわりのルビーを、軽々とステップを踏んでかわす。さすがだ。しかも、最初のうちは不格好だったのに、どんどんさまになってくる。
……私は嘘は言ってません。ただし、これ、ワルツじゃなく、みんなで入り乱れての踊り、通称ギャロップなんだけどね。馬の疾走するさまを、激しいステップが連想させるかららしい。農村でおこなわれていたスクエアダンスの一種なんだけど、海外の宮中で洗練され、急速に流行り出してるんだ。わーっと盛り上がるから、舞踏会の締めや、中だるみの賦活剤にすごくいい。ハイドランジアではよほどの好事家しか知らないけどね。
それも当然、だってこれ「未来の知識」だもの。ハイドランジアに本格的に輸入されるのは、今から半年ほどあとのことだ。
「おっ、これ、なんかオレの性に合ってるかも」
どんどんビートを激しくするだけでは飽き足らず、ブラッドのやつ、とうとうステップの合間にバク宙まで入れ始めやがった。しかも二回転だよ。
これたしか一年後くらいにブームになった大道芸人の得意技じゃなかったっけ? ホールを満員にした伝説の。今海外で披露したら、舞踏会場の視線独占まちがいなしだ。あれ、ブラッドあんた、なんかすごい勢いで回らなかった?
「んっ!! 三回転はいけるな!! スカチビも一回転なら余裕だろ」
できるか!! ちょっとは自重しろ、チート生物め!!
ホールが満員になるどころか、四大国の王宮がどよめくわ。
……はい、回想シーンおしまい!! おつき合い感謝です!!
ま、でもね、ブラッドが出鱈目にすごいってことは、私が誰よりよく知ってるんだ。
だからね……
「……スカーレット!!」
お母様が悲鳴をあげた。
馬車がさっきよりも大きくはねたのだ。
お母様の指にかろうじて引っかかっていた私の首のペンダントのチェーンがその勢いですっぽ抜けた。ついでに私の身体も暴走する馬車の外に投げ出された。風が轟轟と鳴り、風圧と慣性速度で私の小さな体はくるくるまわった。地面に叩きつけられたら骨折どころの騒ぎではあるまい。
うーむ、ほんとにアイムフライングしてしまった……。
スカーレット、再び大空にはばたく。
今夜も運命の神様は、私に不幸の大盤振る舞いだ。
二度あることは三度ある。私は生きているうちに、あと何回空中に投げ出されることになるのだろう。私は風をはらんでしつこくめくれあがるスカートを両手で押さえつけるのを諦め、腕組みをして深いため息をついた。
舞い上がったおかげで、状況が確認できた。
馬車はいつの間にか、森のかなり奥に入っていた。
街道はかなり広い幅がとってある。
だから、その上空からの視界は開けている。
ローゼンタール伯爵夫人の領地はもうすぐだ。
馬車を牽引する六頭の馬が、狂ったように暴走している。
……馬車がはねたのはこれが原因か。
御者の補助として乗っていた三人の騎手の姿が見えない。馬の背から振り落とされたのか。まあ〈治外の民〉なら怪我はしていないだろう。それより馬の耳で蠢く緑の蔓のようなものが気になる。月明かりではよく確認できないけど、あれ、もしかして植物? どうなってんの、これ?
……え? ピンチのわりにはずいぶん落ち着いている?
うーん、そうかな。私としては、これっぱかしも、危ない状況だなんて思ってないんだけどなあ。
わけは、さっきも言ったでしょ。
恥ずかしいから何度も言わないよ。
「……スカーレット!!」
むしろ馬車から身を乗り出して絶叫しているお母様のほうが落っこちないか心配だ。
「……お母さんが今、行くから!!」
わあああ!! 走行中の馬車から、空中の私めがけてジャンプしちゃった!! いっさい躊躇いなし!!
でも、成人のお母様と幼児の私ではさすがに体重が違い過ぎる。強風で凧のように舞い上げられ、一気に馬車から引き離された私と異なり、跳躍できる距離はたかが知れている。すぐに落下運動がはじまった。乗車時の慣性がついているせいで、馬車と空中で並走するような形で!!
まして今は着慣れていないおそろしくスカートのふくらんだドレス姿だ。このままだと馬車の車輪に、お母様のスカートの裾が巻き込まれる!
「お母様!!」
私はすでに馬車のはるか後方に飛ばされていた。
お母様の伸ばした指は届かなかった。
なのにお母様はまだあきらめない。
涙を浮かべた必死のその瞳には私しか映っていない。
車輪の死の回転が真下にあるのに!!
悪路に突っ込んだ馬車の重い車輪が、ばきばきと地面の木の枝を粉砕する。私は恐怖した。あれに踏みしだかれては、脆い人間の身体なんて苧殻と同様だ。最悪の未来予想図に血の気がひく。
「……やだ……!! やだよ!! 誰かお母様を助けて……!!」
「ほいきた。おまかせ」
泣き声になった私の訴えに、のんきな頼もしい声がかぶさった。
黒地にピナフォアドレスの純白が、救いの騎士の旗のようにはためく。
それは月夜の下、涙が出るほど美しく見えた。
落下していたお母様の身体が、Vの字の軌跡を描き、ふわりと宙に舞い上がる。
「……ブラッド!!」
胸が高鳴る。
お、遅いのよ!! まったく!!
いくら、あんたを信じてるっていっても、私、ちょっとだけ泣いちゃったじゃない!!
ブラッドがお母様を小脇に抱えるようにし、そのまま私めがけて空を駆け上がってくる。今まで御者台にいたはずなのに、でたらめすぎる神速と跳躍力だ。だけどちっとも不思議じゃない。誰かを助けようとするとき、このメイド服の騎士に不可能なことなんてなにもないのだから。
「……おまたせ。あんたら親子やっぱ面白いよ。自分のことだと鬼みたいに胆が据わってるのに、お互い相手を思ってだとすぐ泣くんだ……。嫌いじゃないぜ、そういうの。だけど、両手がふさがってるから、悪いけど涙はぬぐってやれないんだ……ごめんな……った……!!」
空いているもう片方の手で、ふわりと私を抱き寄せ、ブラッドが空中ですまなそうに謝る。私は両手で顔を覆い、こくこくと頷いた。涙だけでなく、顔があかくなっていることを悟られたくなかった。
そして、このあほは、格好いい台詞を長饒舌しすぎ、言い終わる前に、着地して舌を噛み悶絶した。
どんまい、と私は奴の頭をぽんぽんしてやった。
それでも、ブラッドの着地は、私たち二人を両脇に抱えているとは思えないほど身軽だった。そっと私たちを地面に降ろしてくれる。羽毛のように優しい扱いは、彼の人柄と蔵した底知れぬ力をあらわしていた。
「……なあ、スカーレット。あれ、なんだかわかるか? 植物……だよな?」
ブラッドらしからぬ緊張を含んだ問いに、私はあわてて涙をぬぐって顔をあげた。
私たちの馬車を曳いていた六頭の馬が停止していた。がくがくと身体を激しく揺り動かす。まるで壊れた玩具のようだ。ばつんばつんっと背筋の寒くなる音がした。大重量の馬車を牽引する頑丈な皮ひもを、自力で引きちぎったんだ!! どんな重量馬にも不可能な力技だった。
私たちに向き直ると、上唇をめくりあげ、嘲笑うような表情を浮かべる。匂いに対するフレーメン反応ではない。明確な悪意を感じる。私はぞっとした。まるで馬が悪霊に取りつかれたようだ。
六頭とも耳からうねうねと葉がこぼれ、寄生生物のようにうごめいている。すでに顔の半分が緑におおわれている。明らかにこの植物が原因でおかしくなったのだ。
「……わ、わかんないよ。ヤドリギみたいに見えるけど……」
私は「一〇八回」ループした人生経験持ちだが、植物学には詳しくない。
宿り木は他の樹木の幹などに取りつき、緑のボールのような塊をつくる寄生植物だ。宿り主の生命サイクルに左右されないので、冬に樹木が枯れても、ヤドリギは常緑のままだ。そのため不老不死の象徴とされることもある。
「大昔のハイドランジアには、ヤドリギをあがめる宗教があったって話だけど……でも、ロマリア文明よりも前のことだから、文献なんてろくに残ってないし……」
聖教会が大陸に広まる以前の話だから、聖都の真の歴史図書館にもまともな記録はあるまい。
「森の民、ウィスクムのことね。彼らは文字を持たない民だったそうだから余計にね」
お母様は私よりも事情通だった。さすが元深窓ならぬ森走の令嬢だ。
「ウィスクムはヤドリギを使っていろいろ奇跡をおこしたそうよ」
「へえ……あれがウィスクムって奴らのしわざだとすると、奇跡っていってもかなり性質が悪そうだ。すごく嫌な感じがする。みんな油断するなよ」
森の奥深くの里に居をかまえる〈治外の民〉の長の息子ブラッドにしても、森の民ウィスクムのことは初耳だったらしい。いつの間にか集まってきた〈治外の民〉たちが、その警告に緊張した面持ちでうなずいて身構える。やはり全員無事だったらしい。
「……奥方様、スカーレット様、ご無事で。申し訳ない。つる草が伸びてきて馬の足にからみつき、足止めをくらっておりました。信じてはくださらぬでしょうが、決して言い訳では……」
苦労してつる草を胴甲と馬体から引きはがしながら、王家親衛隊も駆けつけた。
「森の民……なるほど、事実は小説より奇ですな」「安心しました。我ら王家親衛隊、まだ名誉挽回のチャンスはあるということですな」「ぶざまをさらしたまま、おめおめ帰っては、隊長の鉄拳制裁を受けます」
事情を聞いた彼らは不敵に笑うと、私とお母様を守るように壁をつくり、槍をあげ、迎撃態勢をとる。さすがハイドランジア最強騎士団だ。未知の敵相手にもまったく怯まない。頼もしい。
……あれ? でも、王家親衛隊のみんな、つる草に行く手を遮られたって……。
!!!
「お母様!! 森の民ウィスクムについてご存じのことを全部教えてください!!」
私は蒼白になって叫んだ。
これはまずい。ヤドリギを呪術かなにかで使うぐらいならまだいい。だが、もしそれ以外の植物を森の民ウィスクムが操ることが出来たとしたら……ここは森の奥だ。植物の生えていない場所なんかどこにもない。私たちは死地のまっただなかにいることになる!!
私の剣幕にたじたじになりながら、お母様が答える。
「あ、あとは……森の民ウィスクムの邪悪な一派は、人間の生贄を好んだってことぐらいしか……」
も、森の民って響きのわりに不穏すぎません!?
「……勘違いしなさんな。人間の生贄なら誰でもいいってわけじゃあない。ほしいのは勇士の生贄さ。とびきりの勇士の首か、汚れなき子供の首じゃなきゃあ、こっちから願い下げだよ。あたしらは生ゴミを森の精霊に捧げる趣味はないんだ」
しゃがれた老婆の声が夜の森に響いた。
緑のうねうねを顔中にまとわりつかせた馬たちが、ばっと整列し、道をあけた。
私たちは息をのんだ。
杖がかつんかつんと鳴る。
森の暗がりから、緑のフードつきローブをまとった小柄な女性が姿をあらわした。
ローブを目深にかぶっているため、表情はまったく見えない。
というかヤドリギで顔すべてが埋め尽くされ、目と口の部分だけが開いている。まるで庭に置かれたトピアリーだ。植木を動物の形に刈り込んであるあれだ。それも目玉をはりつけたとびきり悪趣味な奴だ。しかもその目玉がまばたきもせず、ぎょろんぎょろん動くのだから不気味極まりない。フードからこぼれたヘデラが、海藻のようにうねっている。
「わしが気味悪いか。じゃがのお、人間、野で朽ちれば、いずれ身体はこのように緑でおおわれる。そして森に還るのじゃ。人間など大いなる森の前では、いきったサルにすぎんよ」
なんかいいこと言ってるけど、ものすごい悪意を感じるのはなぜだろう。
ブラッドが励ますように、ぽんっと私の頭に手をおいた。
「安心しな、スカチビ。おまえの勘はまちがってない。あれは邪悪なやつだ。特にあいつが首からかけてる宝石……とんでもない邪気を放っている。みんな直視するなよ、魂もってかれるぞ」
まるで私のルビーのペンダントと対になるようなブルーの宝石を胸元で揺らし、そいつは嬉しそうにからから笑った。ハート型に似合わぬ禍々しい気配が立ち昇る。たしかに長時間見つめているとくらっと眩暈がする。
「ひひゃあっ、よう気づいた。もっとも、おまえらのような精神力の強い連中は、このブルーダイヤでも、ヤドリギでも容易には操れん。嬉しいのお、人も馬も極上じゃ。それに、その娘っこのルビーは、わしの力をはじいてしまうで。じゃが、なんか知らんが今は眠ってしまっておるようじゃな」
老婆? は杖をがつーんっと強く打ち鳴らした。
私をじいっと見た目が、にいっと歪む。
「好都合じゃ、今夜は生贄祭りじゃ。男も女もよりどりみどりじゃ。珍しい紅い瞳に赤髪の娘までおる。なんとにっくき真祖帝と同じ特徴とは……!! これはみっけものじゃ。よし、おまえが生贄のメインディッシュじゃ。大いなる森もさぞお悦びに……」
……なんか魔犬使いと、くずっぷりがかぶるなあ。
だが、躍り上がらんばかりの緑の老婆の言葉は、弓の弦が鋭く鳴る音で中断された。
「……私の娘に害を加えようとするものは、たとえ神だろうと許さない。生贄には、おまえ自身がなるがいい」
柳眉を逆立てたお母様がスカートをまくりあげて、中に隠していた短弓を取り出し、老婆めがけ六連射を放ったのだ。こういうときのお母様はほんとうに容赦ない。
相手は敵だ。ならば素性を確かめる必要などなく、ただ仕留めるのみ、とその横顔は語っていた。
悪・即・射だ。
「……ああいうタイプは、癇に障ります。殺しましょう」
あ、半分は好みの問題なんだ……。
ほぼ同時発射の凄まじい早業に、緑の老婆はからから笑った。
「……おお、綺麗な顔して、こわいこわい。さてさて、こちらは非力な女一人。多勢に無勢じゃ。助太刀を頼むとするか。こい、新たな森の眷属よ」
老婆を守るように六つの人影が飛び出してきた。
剣で一人一本づつ矢を弾き飛ばす。
私たちは愕然とした。短弓とはいえ、至近距離のお母様の矢を防いだ!! だが、私が真に仰天するのは、そいつらが誰だか知ってからだった。
あやつられた馬たちと同じように、ヤドリギで顔の半分を埋め尽くされたその男達を見て、王家親衛隊の面々が驚きの呻きを漏らした。
「……さきほど我々が半殺しにしたローゼンタール伯爵夫人の手の者たちです。あんな凄まじい手練れではなかったはずですが……」
「……あ、さっきの殺したわけじゃなかったんだ」
私は王家親衛隊が討伐のあかしに見せにきた血塗られた槍を思い出した。
「失敬な、我々は騎士です。無駄に殺生はいたしません。叩きのめしてぐるぐる巻きにし、森の木にくくりつけておきました。朝がくれば誰かが見つけてれるだろうと」
「あのさ、ここの森、狼がいるんだけど。たぶん血の匂いに呼ばれてやってきて、この人たち、朝日は拝めなかったと思うよ……」
私たちのやりとりにも反応せず、ローゼンタール伯爵夫人の刺客たちは無表情にこちらを見ていた。
歯をむき出して嗤っているのに、目は硬玉のように意志が感じられない。完全に老婆の意のままに動くロボットと化していた。しなやかでないのに妙に早いその動作は、人というよりはむしろ昆虫のイメージに近かった。
や、やだな。私、こういうの苦手だよ……。
「……驚いたか。わしのヤドリギは、生物の潜在能力を限界まで引き出す。そいつらの生命力を吸い尽くすまではな。なに、もともとゴミ人間じゃ。森の肥料になるぐらいしか使い道がない。それが一時でも達人の域になれて幸せじゃろ。たとえ人の心など失ってしまってもな」
緑の老婆は饒舌だった。
人間の倫理感が欠片もないその主張は、おそろしく不快なものだった。
「やっぱりこいつロクなもんじゃない。一番大事なものをなくして、人間の幸せなんてあるもんか。ばーちゃんだけど、本気で殴りたくなってきたぜ」
ブラッドが私の気持ちを代弁するように吐き捨てた。
「吠えおるわ、わっぱが。その大言壮語がどこまで通用するかの。おまえが思っているより、ずっとずっと森の闇は深いぞ」
老婆は嘲笑した。
「……さて、自己紹介がまだじゃったな。わしは破滅の魔女と呼ばれておる。旧い旧い名前だでな、知っとる奴もおるまいて。ああ、おまえらの自己紹介は不要じゃ。どうせすぐに首と身体の泣き別れじゃて」
老婆の目玉が緑に覆われた顔の中で、ぐるんぐるんと回る。
右の目と左の目が逆回転だ。
ひえっ、気持ち悪い……!!
「さあ、おしゃべりはここまでじゃ。人よ、暗く大いなる森の贄になれ。……やれ、おまえたち。首以外は切り落としてもかまわん」
月明かりの黒々とした森のかげのした、老婆が杖を振って鋭く命じ、ローゼンタール伯爵夫人の元刺客たちと、我が家の馬車の元馬たちが、イナゴのように跳ねながら、私たちに襲いかかってきた。
おお、今回は10000字ちょっとしかないのです。
古くからお読みいただいている方には、少し物足りないでしょうが、どうかご勘弁を。
新展開に入るので、ちょいと様子見しながら進めさせていただきたく……。
抜き足、差し足、忍び足……。




