守りたいもののために。死地を覚悟した少年は、わざと飄然とふるまうのです。
新年あけましておめでとうございます。
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただく皆様。
心から感謝いたします! しばらくお休みして申し訳ありませんでした。連載、再開いたします。
今後ともよろしくお願い致します!
みなさん、こんにちは!
にっこり放つ天使の笑顔。あなたの心を狙い撃ち。
お話がちっとも進まない、永遠の零歳児。
だってループはお約束。
無邪気な可憐さと、危険な香りをあわせもつ女。
魅惑の新生児、108回殺された悪役令嬢、スカーレット・ルビー・ノエル・リンガードと申します。
ばきゅーんっ!
「アウアー!!」
はうあっ!?
あなたの心臓じゃなく、天井にしか狙いがつけられません。
だって上体も起こせない新生児ですもの。
寝たきりじゃ、天井の染みぐらいにしかセクシーショットできないんです・・・・!
や、やるせない・・・・・・・・
たっちとあんよは、まだですか!?
ハイドランジアの宝石とたたえられたこの身が、なんという体たらく・・・・・
かっての光り輝く美貌と肢体を思い出し、私は悲哀に身体を震わせた。
「ん? またおしっこか。なんか臭うな」
ブラッドが鼻をぴくつかせる。
ぎゃああ!!
またこのパターンか!!
危険な香りってそういう意味じゃない!
こらあっ! ブラッド! どこに顔突っ込んでるの!?
乙女のおまたの臭いを嗅ぐでない!!
この変態メイド女装っ娘!!
いやあああ! 乙女の秘密が暴かれる!
おしめのせいで、膝が自在に閉じられぬこの身が恨めしい。
ブラッドが顔をあげ、
「これ、ウンチじゃね? 」
わあああああ!!
「あら、お嬢様、おむつ替えの時間ですねー」
・・・・・ごめんなさい。メアリー。
わ、私、ほんとに粗相してました。
だって、赤ん坊なんだもの。
いろいろ、その・・・・・括約筋的に堪えられないのです。
私、もう死にたい・・・・・天に召されたい。
「やっぱり、そうだろ。オレ、血液の流れでわかるんだ」
得意げなブラッド。
おまええええ!!
さっき、ひとのデリケートゾーンさんざん嗅ぎまわってたろうが!
血液の流れ関係ないじゃん!!
天に召されるのは延期だ。不埒ものを成敗してくれるわ!
「お嬢様のきれいなお尻がかぶれたら大変です。さっと取り替えて気持ちよくなりましょうね」
メアリーが手際よく、おしめをほどき出し、私はブラッド討伐をあきらめた。
うう、メアリーさん、お願いします・・・・・
私の女王としてのプライドは、日々順調にすり潰されてます。
水車小屋でひかれ続ける小麦のよう。ゴトゴトガタガタ、もうがたがたです。
木っ端微塵の全粒粉です。
前の108回の人生で、悪役令嬢街道をひた走り、非道な女王だった私。無惨に殺され続けた程度では、まだ罪の償いは済んでいないということなのでしょうか。
ううっ、ごめんなさい。
生まれ変わって私、素寒貧なんです。
この公爵邸、むちゃくちゃ貧乏だし・・・・・
赤ん坊の私に差し出せるものは、もうこの身ひとつしかありません。
私、ちょっと罰として、これから見世物小屋に売られてきます・・・・・
おしゃべりする赤ん坊として、指を指されて、笑いものにされるのです。
みんな、さよなら。
私、悪役令嬢じゃなく、ドナドナ令嬢として、残りの人生、孤独に生きていきます。
北風と凍てついた夜だけが、私の友達なの・・・・・・
「ウアウア、ウーア、ウーア、ウアウア、ウーアーアー」
「こんな悲壮な表情で、喃語している赤ん坊ははじめて見るなあ。これ、なんの歌だ?」
ブラッドが呆れ声で尋ねる。
「それにしても、でっかいウンチを生んだなあ。べちょべちょだけど。お腹くだしてんの?」
「ウアウア、ウーア、ウー・・・・・アアアッ!?」
哀しみの歌を歌いながら涙していた私は、ブラッドの言葉にぎょっとした。
「ちょっとブラッド。お嬢様はまだミルクしか飲んでないのだから、こういうウンチになるのは仕方ないんですよ。ほら、お嬢様、きれいきれいしましょうね」
ふおおおおおッ!!
やっぱり見世物はつらいッ!!
納得できぬッ!
私は怒りと恥ずかしさで拳を振り回した。
ブラッドぉおお!!
あんたね、いくらメイドっ娘のなりしてても、立派な男の子でしょうが!!
それを、花も恥らう零歳児、私のあられもない姿を堂々と覗くなんて!
卑劣な痴漢、のぞき、許すまじ!
くらえ! 私の恥じらいとやるせなさをのせた、哀しみの拳を!
空を引き裂け、新生児パンチ!
宿敵ブラッドの顎を粉砕するのだ!
「アウア~!!」
私の拳は、むなしく空を切った。
射程15㎝!! こんなの届くわけあるかあっ!
手が短すぎる!
私は悲痛な叫びに身をふるわせた。
手がこきんっていった! もやしか! この貧弱な肉体は!
「アアアアア~!!」
私は、やるせない咆哮をあげた。
「なにしてんの? おまえ」
と呆れ顔でのぞきこむブラッド。
その顔をにらみつけた私は、あることに気づき、激しく動揺した。
そっちこそ何してんの!
こいつ、鼻と口に、覆いの布までしてる!
なによ! その失礼な完全武装は!!
「オアアアア~!!」
私は、哀調を帯びた悲憤の叫びをあげた。
私の乙女心は、今、二重の意味で深く傷つきました!
憤慨ものです! 糞害じゃありません!
そんなに臭いが気になるなら、見学しに来なきゃいいでしょうが!
誰も一般公開なんてしてません!
見学お断り! 面会謝絶!
おのれ、ブラッド!
今の私は復讐の鬼と化した!
108回殺された悪役令嬢じゃなくって、108回タマとった極道令嬢になってやる!
「あら、お嬢様、あまり暴れると、背中が汚れますよ」
メアリーにやんわり窘められ、私はあわてて、ばたばたしていた手足を止めた。
天使の羽根でなく、ウンチのはねを、背中に背負った極道令嬢は、私としても不本意だ。
それにしても、ほんとに私は幸せものだ。
こんな異常発育した赤ん坊。
普通なら近くに寄るのも気味悪く思うはず。
それなのに、私が言葉を理解する新生児と知ってなお、二人の母親の愛は変わらない。
それどころか以前にも増してあたたかい。
お母様とメアリーには感謝の言葉しかない。
嬉しすぎる誤算、こんな取り越し苦労なら大歓迎です。
さんざん思い悩みうち震える私の心を、二人の愛は優しく包んでくれた。
ぐすんっ、まさに案ずるより生むが易し。
ねえねえ、ブラッドもそう思うでしょ?
「ほんと、でっかいウンチ生んだよなあ」
そっちじゃないよお! 何度も繰り返すなよ!
今回のお話、何回ウンチって出てきたの!?
ただでさえ、恋愛もの詐欺扱いされてる物語なのに!
これ以上品位をおとすでない!
私が異常に早熟な子供なのにもかかわらず、って話のほう!
「・・・・・ところで、チビスケ、まだ歩けないの? おっそいな」
あ、歩けるわけあるかあっ!
掴まり立ちも、這い這いもまだだよ!
私まだ生後二週間の促成栽培なんですけど!?
ごめんね! 陸ではねまわる、進化しそこねた魚みたいで!
これでも新生児としては異常な部類に入るんですけど!?
なんと寝返りうてる驚異の運動能力だよ!
まだ生後一ヶ月未満なんだから、拍手喝采ものよ、これ!
・・・・・寝返りうつたび、死にかけるけどさ。
うつ伏せの呼吸困難と疲労で。
命がけの寝返り。新生児の人生は、デッドオアアライブの連続。
だから、アンコールはやめてください・・・・
メアリーがきらきら期待に満ちた目で私をじっと見つめるのです。
私、いったい一日何回寝返りすればいいの・・・・・・
子供達に面白がってつつき回され、疲労困憊して枯れ果てる食虫植物に親近感わきます。
その哀しみ、悔しさ、わかる、わかるぞ・・・・・!
「やれやれ運痴だなあ」
それは洒落か!? 駄洒落のつもりなのか!?
どうしてもその単語に行きつきたいのか!?
ウンチウンチって馬鹿にして! 自分で用が足せるようになったら、すっごい素敵な花柄の「おまる」を買って、女の子らしいとこ見せつけてやるんだから! うらやましがって泣いて頼んだって貸したげないからね!
「ウーウーウー!!」
「ああ、オレが覆いしてるから怒ってんのか。違う違う。オレ、生石灰の目潰しつくってたんだ。だから、鼻と口に布巻いてただけだって。粉吸い込むとやばいから」
あっ、そうなの? 生石灰じゃ、しかたないね。
「アウアッ!?」
納得し、機嫌をなおしかけた私は仰天して叫んだ。
あんたが建築材のモルタルのことメアリーに訊いてた理由はそれ!?
なんて凶悪な兵器つくってんのよ!
石灰石や貝殻を熱処理してつくる生石灰は、大量を水と混ぜると高熱を発する。管理が甘いと火災の原因になるほどだ。劇物なのだ。人間の目に入った場合、角膜を侵食し、失明を招く。実際、兵器として使用した国もあった。
ブラッドらしからぬ残酷な手段だ。
「オレは外にいるからさ。なにかあったら大声出して呼んでくれよ。遠慮するなよ。ぜったいだぞ」
戸外に歩き出したブラッドは足を止め、振り返ると
「ちょっと危ないことしてるからな。外にはしばらく出ないでくれよな」
威嚇の唸りをあげる私に苦笑し、手をひらひらさせながら、ブラッドは部屋から出て行った。
ふ、ふんっ、なにが危ないことだ。ロマリアの焔を使うのでもあるまいし。彼奴奴め。我が剣幕に恐れをなしたと見えるわ。
「お嬢様、ちょっと失礼しますね」
にゃあ!?
「ナアッ!?」
腕組みをして腰高にふんぞり返った私は、メアリーに両足首をもたれ、お尻をぐいっと持ち上げられて、子猫のような悲鳴をあげた。
「ねえ、お嬢様、ブラッドはからかいに来たんじゃなく、お嬢様が心配で、何度も安全確認しに来てくれてるんですよ。聡明なお嬢様はおわかりでしょうけど」
私に優しく語りかけながら、メアリーはてきぱきと、私の粗相の始末を進めてくれる。
ああ、私はほんとうに幸せものだよ。メアリーが乳母でほんとうによかった。
メアリーの言動には、母親のような情がある。
赤の他人の私に、我が子のように、あ、愛情を注いでくれる。
ううう、言葉にすると照れくさい。
貴族にとって、乳母による養育は普遍的な習慣だ。
だが、必ずしもいい乳母にめぐり合うとは限らない。
乳母は隔離された子供部屋の監督だ。
密室の中、暴君と化す乳母だっている。
人の心の闇は深い。
いくら貴族でも、子供のうちは無力で従順なか弱き存在だ。
非力な子供に、惜しみなく愛を注げる人間ばかりではない。
幼い頃の虐待の経験で、心を歪められる貴族は、決して少なくはない。
「はいっ! お嬢様! おまたせしました! 綺麗になりましたよ!」
メアリーの嬉しそうな声で我に返り、私はひどく赤面した。
上半身は腕組みをし、むずかしい顔で感慨にふけり、下半身は足首つかまれてのオムツ替えだ。
さぞ滑稽にうつったろう。
「もの思いにふけるお嬢様も素敵でしたよ」
とメアリーがくすくす笑いながら慰めてくれる。
「アウウー」
世にも情けない顔をして落ち込んでいる私を、メアリーはひょいと抱き上げた。
「どうします。おねむでしたら、お姫様ベッドにお連れしますけど? 」
メアリーのいうお姫様ベッドとは、私の据え置き式揺りかごのことだ。
頭上あたりは美しい天蓋に覆われていて、黄色いふんわりとした丸い花たちで飾り付けられている。
ブラッドが摘んできてくれた花だ。
「いつもお嬢様を気にかけてくれる、優しい子ですよ。ブラッドは。口ではああ言っても、お嬢様をちゃんと女の子扱いしてくれています」
「アウアー・・・・・」
わかってるよ、メアリー。ブラッドがいい奴だってのはさ。
たださ・・・・・・
「あっ! 蜂!? いったいどこから!? しっ!しっ!」
めざとく小さな蜂を見つけたメアリーが、あわてて追い払おうと走り回る。
「せっかくお花に囲まれた可愛らしい揺りかごに・・・・! しっ! しっ!」
メアリー・・・・・発生源は、ブラッドが摘んだその黄色い花だよ。
花びらが幾重にも重なりながらも、丸い形のままひろがらない形状は、とても可愛らしいんだけどさ。
そこ絶好の虫の隠れ家になるんだよね。
そして、その花の名前知ってる?
タマキンバイっていうんだよ。
風にそよぐ丸いタマキンバイで、隙間なく覆いつくされた私の揺りかご・・・・・
美しく花飾りされたお姫さまベッドなのに、なぜか素直に喜べない。
ブラッドめ。わざとじゃないだろうな。
「アウウアー」
可憐なタマキンバイを指差して、私は嘆息した。
「お嬢様! ブラッドにお礼を言いに行きたいんですか? ですが、ブラッドからしばらく出てこないでほしいと・・・・・ 」
違うよ! ブラッドのアホさ加減に呆れてたんだよ。
まあ、いいか! ブラッドの奴がこそこそ何してるのか、こっちから確かめに行ってやる。
あいつ、何かよからぬことをやってるに違いない。
ブラッドの弱みゲットだぜ!
ということでブラッド見学ツアーに出発!!
・・・・・ちょっと心配だしさ。あいつ、すぐ無理するから。
そして、むちゃするときは、決まってそれを隠そうとするんだ。
お姉さんの目は誤魔化せませんよ!
「アウアー!!」
身を乗り出し行き先を主張する私に、メアリーは
「しかたありませんね。こっそり、ちょっとだけですよ」
困った顔で念押しすると、私を抱え、ブラッドを追って歩き出した。
二階の子供部屋から廊下に出て、Yの字になった豪奢な正階段を下りると、吹き抜けのサルーンに繋がっている。窓の向こうに庭園が見える。アホのブラッドが溺れかけた池を中景に据えた景観だ。この池は人工物ではなく、もともとあったものに手を加えたので、小船で遊覧できるぐらい広い。
今でこそ人手不足で荒れ果てた庭園だが、巧妙に配置された丘や道や植え込みなど、かっては、まるで一枚の絵画のように美しかったはずだ。どんだけ金かけたんだろ。中景に水って、ロマリア憧憬派の絵画の再現だよね、これ。
本来この公爵邸を訪れた客人は、豪華な玄関ホールで息をのみ、期待に満ちて階段室をのぼり、目の前に開ける素晴らしいサルーンとその向こうの窓からさしこむ名画のような景色の美しさに、賞賛のため息をついたことだろう。
今・・・・・サルーンのめぼしい装飾は引き剥がされてます。剝がしあとが切ないです。
絵画、一枚もありません。調度品、素寒貧です。使用人が使うような椅子やテーブルがちらほら。左右のバランスが悪く、タチの悪い揺りかごのようにガタガタ落ち着きません。
庭園、芝や生垣が伸び放題のワイルドな光景です! 古代ロマリア文明憧憬どころか、原始時代にでも誘いたいのでしょうか。
お父様・・・・・お客さまに早く帰ってもらいたいの?
こんな屋敷訪問したら、どんな貴族だって、嫌がらせかと思って、落胆のため息をつくよ!
前の108回の人生では、我が家は、とても裕福だったんだけどな。お父様は自宅にほとんど寄りつきこそしなかったけど、たくさんの使用人が常に忙しく立ち働いていた。
「あ、ブラッドですよ」
テラスから少し離れた立ち木のあたりに、ブラッドのメイド服のスカートがちらちら動いていた。
私達はこっそりサルーンの脇の出口からテラスに降り立った。
ブラッドに気づかれぬよう、抜き足、差し足、忍び足・・・・・・
いや、私はメアリーに抱きかかえられてるだけなんだけどさ。
でも、覗き見って楽しい!
私はわくわくしながら反省した。
ブラッドも悪気はなかったみたいだし、さっきの覗きは許してあげよう。
「・・・・・秘密任務みたいで、どきどきしますね、お嬢様」
メアリーもノリノリである。
そういやすっかり忘れてたけど、メアリーもポンコツ要素があるんだった。
「なにやってんだ!? 二人とも!! 来るなと言ったろ!!」
集中のあまり今まで私達に気づいていなかったブラッドが、顔をあげ、きょとんとし、それから怒鳴った。血相が変わっていた。
見たこともないほど怖い顔だった。
「部屋に! 間に合わない! くそっ!」
ブラッドの姿が霞んだ。いや、あまりの俊足のため、そう錯覚したのだ。
「舌噛むなよっ!!」
「アウアッ!?」
「きゃあっ!?」
彼は一足飛びに私達のもとに到達し、私達を引っつかむと、建物の中に飛び込んだ。
つむじ風にまきこまれた気がした。
異音が轟いた。メアリーの肩越しに、私は見た。
さっきまでブラッドがいたあたりで、人を呑みこむ大きさの火柱が立った。
火花をまとわりつかせながら、噴水のように立ち昇る輝き。
梢の葉が発火して燃え上がった。
ばちばちとはじけながら生木の幹が焼け焦げていく。
間一髪だった。ブラッドに引きずり込まれなければ、私とメアリーは熱風に巻き込まれていた。
撒き散らされた火の粉が、鉄の手すりに命中し、じゅんっと穴を穿った。
ぞっとした。普通の火ではありえない現象だ。
・・・・・ロマリアの焔・・・・・!!
見覚えのある炎の花。
よみがえった前の108回の人生の記憶に、私は戦慄した。
〝治外の民〟の秘中の秘の爆発物。
少量の砂に似た代物だが、一度燃え出すと、鉄をも溶かす炎を噴出する。
鉄礬土と砂鉄、あるいは孔雀石を材料に作り出されるそれは、軍艦おとしと恐れられた。
ロマリア文明の錬金術師の生き残りが、〝治外の民〟の里に逃げ込み、継承された驚異の技術。
各国は躍起になって再現しようとしたが、どの国も成功の糸口すら掴めなかった代物だ。
かってロマリアはその炎を兵器として使用し、あまたの船と船乗り達を焼き尽くした。
水をかけると爆発し、どんな強靭な布をかぶせても、紙のように燃やしとばす。
消火しようがない、まさに地獄の炎だった。
その恐怖の記憶は、ロマリアが滅びさったあとも語り継がれた。
軍艦の船団がなす術なく燃えるさまは、岸から見ると火群に見えた。
この兵器がロマリアの焔といわれる由縁だ。
〝治外の民〟は自決用にそれを使用した。
追い詰められると、ロマリアの焔で周囲を巻き込んで、自爆するのだ。
私の女王親衛隊の重装兵が、何人も・・・・巻き添えで焼き殺された。
胸が痛む。
分厚い鎧がものの役に立たなかった。
高熱により、煮えたぎるまっかな鉄に変わり、中身の肌と肉を焦がすのだ。
どんな屈強な人間も生きていられるわけがない。
「・・・・・怪我ないか! 二人とも!」
とびおきたブラッドが血相変えて問いかける。
呆然として身を起こしたメアリーが、こくこくと頷き、あっと小さく声をあげた。
「ブラッド、燃えてる・・・・・・」
「わっ!?」
ブラッドはスカートからあがる一筋の白煙にうろたえ、あわてて手で叩いて、火元を消化した。
スカートの真ん中あたりに、前後を貫く焦げた小指大の穴があいていた。
ロマリアの焔の火の粉が突き抜けたあとだ。
「アウアアア・・・・・・!」
私はがたがた震えていた。視界がにじんだ。
まさか本当にロマリアの焔を使う気だったなんて。
ロマリアの焔は、〝治外の民〟の門外不出の秘術だ。
自決するときのみ使用を許可される。
禁を破れば、万が一生き残っても、〝治外の民〟すべてを敵にまわすことになる。
たとえ長の息子のブラッドでも例外ではない。
ブラッドは出会ったばかりの私達のために、すべてをかなぐり捨てる覚悟までしてくれていた。
「なんて顔してんだ、チビスケ。泣くな泣くな。怖がらせて悪かったな」
にっかりと笑い、私の顔をのぞきこむブラッド。
違うよ・・・・・
私は怖くて涙を浮かべてるんじゃないの。
私は両手をさしだして、ブラッドの髪を引っつかんだ。
引っ張って泣いた。
言葉が喋れないのがもどかしい。
ねえ、私とあんたは出会って二週間もたってないけど、前の108回の人生で、何度もあんたと会話したの。あんたがどういう人間か、私は見てきたの。
敵としてだけれど、あんたの人となりは、本当によく知っているのよ。
自分を犠牲にしようとするとき、それを悟られまいと飄然とふるまうってことを。
優しすぎるのよ、あんたは!
他の4人の勇士が勇み足で危機に陥ったときも、必ず自分に敵をひきつけ、皆を逃がそうとしてた。
いつもひとり距離を置いて、ひよこ達の世話なんて御免蒙るって、ため息ついてたのに。
今度も一人でなにもかも背負う気でいるんでしょう。
信条を曲げて残酷な手段を使ってまでも、私達を守ろうとして。
そんなことされて、私が喜ぶとでも思っているの!?
残されるほうの気持ち、考えたことあるの!
私は泣きながら、ブラッドの髪をむちゃくちゃにかき混ぜた。
ブラッドは、心臓止めの存在を明るみに出すことで、自分が〝治外の民〟の宗家の者だと、シャイロック商会に暗に脅しをかけてくれた。
にもかかわらず、襲撃を諦めない相手は二種類しかいない。
その強さが理解出来ない愚者か、その強さを知っても怖れない実力者だ。
「・・・・・オレの考えを読んだのか。ほんとに何者だよ。おまえは・・・・・」
ブラッドは驚いた表情を浮かべ、そして真剣なまなざしになった。
「隠すのは無理か・・・・・悪い予感がする。シャイロックの沈黙が長すぎる。次に現れる敵は、たぶんオレよりも強い。この手の予感ははずれたことがないんだ」
お父様が私の誕生に気づく前に、シャイロックはなんとしても決着をつけようとするはずだ。
追い詰められているのは、あちらも同様なのだ。
それが間際までなんの手もうってこないのは、次の一手に絶対の自信があるからだ。
ブラッドの予測はたぶん正しい。
ブラッドは最悪の場合を想定している。
いざとなれば自爆してでも敵と刺し違えるつもりだ。
「だけど、俺は負けない。だから心配そうな顔をするな」
自爆覚悟で倒すって言うの!?
ふざけないでよ!
なんで、こんな大事なときなのに、私は非力な赤ん坊なの!?
せめて成人した私だったら、自分の身くらい自分で守れるのに!!
どうして私は、いつも肝心なときに!!
せめて言葉が喋れたら!!
「いつも猿みたいだなんて言ってるけどさ。実際は、おまえは美人で優しい姫さんになると思うよ」
泣きじゃくる私の手を優しく髪からほどくと、ブラッドは頭のリボンをほどいた。
私のサイズにあわせ、器用に折りたたみ、そっと私の頭にリボンを巻き、形を整える。
「保障する。オレはこの手の予感もはずれたことはないんだ」
優しかった。いつも私をからかっている彼とは別人のようだった。
いや、これが彼の本質だ。
そして、私の手をとると、片膝をついて、手の甲にくちづけした。
顔をあげ、にやりと不敵に笑う。成人したブラッドの頼りがいのある貌が重なる。
「姫のために戦うのは、男の本懐ってやつだろ。おまえはただ、騎士に与えるように、オレに祝福をくれればいい。誓おう。ロマリアの焔での自爆は、オレが殺されかける時まで使わない。オレはオレだけの力で、限界まで、戦い抜いてみせる」
ブラッドは悪戯っぽく片目をつぶった。
「・・・・・お嬢様」
とメアリーが優しくうながす。
私は涙を拭い、うなずいた。
「アウアウアー、アウウアー、オアアー、アウウウー・・・・・」
あなたの忠誠、確かに受け取りました。
その高潔な魂と生き様に、神のご加護のあらんことを。
私達の未来、あなたに託します。
・・・・・ア、アーウー語じゃ、いまいち決まらない!
ちゃんと伝わってるの? これ。
「・・・・・託された。まかせろ」
伝わってたよ!!
ブラッドが立ち上がる。逆光の中で見上げる彼は、とても大きく頼もしく見えた。
十歳の少年でなく、大人の彼が、陽だまりの中で笑いかけてきた気がした。
・・・・・シルエットがスカートのメイド服姿なのが、玉に瑕だけど。
「・・・・・それにオレだって、勝算がないわけじゃない」
ブラッドは力強く言い放った。
宥めるためだけのその場の言葉ではない。
目と語尾に確信の熱があった。そして、付け加えた。
「おまえのお母さん、コーネリアさんは、おまえが思っているより、多分ずっと強い。シャイロックの連中はそのことを知らない。そこが勝機だ」
とにやりとした。
私とメアリーは、思わず顔を見合わせた。
お母様の弓矢の腕前はよく知っている。
それでも、〝治外の民〟の長の息子で突出した戦闘能力のブラッドに、そうまで言わせるほどとは、にわかには信じがたい。
だが、ブラッドの言うとおりだった。
単なる弓矢の達人としてしかお母様を認識していなかった私は、このあとお母様を訪ね、ブラッドの見解が正しかったことを思い知らされ、驚愕するのだった。
読了ありがとうございました!
お疲れ様でした!
よろしかったら、またお立ち寄りください。
・・・・・今日の午前7時に予約投稿したつもりでした。
1月8日、午前7時、予約投稿・・・・・と。
今日、1月7日・・・・・




