ー闇の章ー 中編 その① デズモンドとマリー姫のしあわせ家族計画!? かつての恋人たちは、喜びの再会をはたします。けれど、おだやかな日々のなか、娘という名の毒蛇が悪意の牙を閃かせるのです。
ブクマ、評価、感想、レビュー、お読みいただいている皆様、ありがとうございます!!
英訳版コミックス Vol. 1とVol. 2とVol. 3が【The Villainess Who Has Been Killed 108 Times: She Remembers Everything!】のタイトルで発売中です!! オリジナルとの擬音の違いがおもしろいです!! 英語の擬音をイラストとかで表現したい方の参考になるかもです。
【コミカライズ「108回殺された悪役令嬢」】全4巻発売中!!どうぞよろしくお願いします!!
KADOKAWAさまのFLОSコミックさまです!! 作画の鳥生さまへの激励も是非!! 合言葉はトリノスカルテ!! http://torinos12.web.fc2.com/
原作小説の【108回殺された悪役令嬢 BABY編、上下巻】はKADOKAWAエンターブレイン様より発売中!! 小説の内容はともかく装丁と挿絵が素晴らしい(笑)
漫画のほうは、電撃大王さま、カドコミ(コミックウォーカー)様、ニコニコ静画様、ピクシブ様やピッコマ様、LINEマンガ様等で読める無料回もあったりします。他にもあったら教えてください。まだ残ってるよね? 残っててほしいものです。ありがたや、ありがたや。どうぞ、お試し読みのほどを。他に公開してくださってるサイトがあればぜひぜひお教えください。ニコ静のほうでは、鳥生さまの前作「こいとうたたね」も少し読めます。もろもろ応援よろしくです!!
申し訳ございません。だいぶ更新が遅れてしまいました。しかもやはり完結しない。もはや更新というより後進という体たらく……。これはさすがにちょっと、と反省。これなら、多少整合性を崩しても、更新速度をあげたほうがはるかにマシかなと。強引な勢いまかせ。きっといかれた変態の登場率が増えると思います(笑) どうかお目こぼしを。
みなさん、ごきげんよう。
私、この物語の主人公、「108回」人生をやりなおしたスカーレット・ルビー・ノエル・ハイドランジアと申します。
どんな人生かって? じつはハイドランジアという国のささやかな女王業なんぞを……。ま、女王といっても名ばかり。自由なんてゼロ。国は傾き、プライベートパンツはつぎあてだらけ、国家の建て直しにコマネズミみたいに奔走する公僕という名の奴隷だったけど。貧乏ひまなしお金なしってね。
おまけに最期は国民に反乱おこされて、みじめに惨殺されるお寒い結末……。運までないの三拍子だ。
くすん、いいんだ、薄幸は美少女のさだめだもん……。私の享年? 28歳……。
三十路前だったけど、心のなかは少女ですから……。
あ、そ、そういえばさ。よく考えると私のあいさつ名乗り、おかしくない? だってハイドランジアの称号は、女王を引き継げた場合のみ……。もともと私は王家の直系じゃなく、ど末端の血筋もいいとこ。本来の私の姓は、実家の公爵家のリンガードのはず……。
長い間休載しすぎて、たぶん作者が設定を忘れ、あらすじを鵜呑みして書いたな……。刺殺、撲殺、殴殺、絞殺、毒殺、と私を容赦なく殺害しまくるんだから、せめて墓碑がわりに、時代時代のフルネームぐらい把握してほしい。
こほん、では、あらためまして。
私の名前は、スカーレット・ルビー・ノエル・リンガード。
紅い瞳に赤い髪、まっかなルビーのペンダントの、紅いさだめの不撓不屈の美少女。めざすは悠々自適のひきこもり。殺し殺されの女王業なんてもう金輪際ごめんです。社交界にも距離を置きます。好きな言葉は一攫千金。
もう悲劇なんかに負けない。運命の扉は、王子様が開いてくれるもんじゃない。みずから進んで開くもの。おもに金と権力で。
と、決意した矢先に、公爵邸が爆発でふっとび、私は赤子にして家なき子になってしまった。この作者、売れ筋というものがまるでわかっていない。ルンペンベイビーの物語なんか誰が好んで読むというのか。
もっとも私の家族は無事だったし、未来の知識での金儲けのあてはあるし、「108回」のときの数倍以上に力強い味方が増えたので、心配でミルクも喉を通らない事態にはならずにすんでいる。というかこれって国家戦力級……かえってあちこちから危険視され、トラブルに巻きこまれる気がするが、今は深く考えないどこう。
とにかく夢の実現に向け、私は足場固めに日夜邁進しております。
ちょっと前回までの話が入り組んじゃってるので、わかりやすくするため、ここで軽くおさらい。……めんどくさいと思うひとは読み飛ばしちゃってオッケー。もちろん読んでくれたら大感謝。
じつは今は過去編をやってたりします。
それも私じゃなく、妊娠中の私のお母様を殺しかけた仇敵、シャイロック商会の会頭デズモンドの若き日をだ。
……ここでひとこと。「妊娠中の私のお母様」だからね。「妊娠中の私」のお母様ではないので、くれぐれも間違えないように。ベイビーがベイビーを孕むという、違う意味でデンジャラスな物語になってしまいます。
では、ちょっとここで私のお母様を紹介させてもらおう。
「ならば、僕が是非……」
お母様を好きすぎて、丸一日熱弁をふるい、聞く相手を気絶させる英雄さまは、どっかに引っこんでいてください。
今回の人生では、私もお母様ともに奇跡的に無事だったけど、「108回」では盛られた堕胎薬が原因で、お母様は早逝してしまう。
……おもいだすよ。「108回」での幼女時代、祖父母コンビにいびられながら、まぶたの裏のお母様を思い涙する私。まさに少女漫画のヒロインそのもの。
そして実際のお母様は、私の夢見た以上の存在だった。子供思いで、優しくて、凛々しくて、頑張り屋で。家事は全滅だけど、そこはまあ、御愛嬌だ。……そのぶん大陸でも一、二を争う弓の達人だし。しかも暗殺特化の毒矢スキルもち。頼もしすぎるでしょ。あの破廉恥な伝統衣装はノーコメントで……。
とにかく!! そんな私やお母様をさしおいて、なぜにいかつい貌のデズモンドのラブロマンスなんかにスポットライトを!?
このとこの私の扱いなんか、解説役ばかり。本筋に出番はなく「むう、まさか、あれは」と客席で思わせぶりに語りだすアレだよ。
憤懣やるかたないのはそれだけではない。
なんとデズモンドの相手役は、「108回」で私を殺したセラフィ、そのお母さんの幼い頃なのだ。
……なにが腹がたつって、セラフィは額の傷を前髪で隠しているが、じつはかなりの美形。彼に瓜二つのママも相当な美人さんなのだ。まさに美女と野獣……。
それに比べ、私は「108回」でも女王業に多忙すぎ、まともな恋人もつくれず、寄ってきたのは、四大国のクソ王子たち。国家権力を総動員して、私の尻を追いかけまわす素敵な奴らだった。
おきるイベントときたら、脅迫婚、公の場で凌辱されかける、拉致監禁される、全裸での奉仕を強要されかけると、バッドなものが目白押し。
もはやハードをとおりこしてダイ・ハードな恋愛運。毎日が血みどろのデッド・オア・アライブ。しょっちゅう監禁されたおかげで、脱獄が得意になった。奴らから貞操を守りきれたのが奇跡だ。
おのれ、それに比べてデズモンド。うらやましすぎる。禁断の主従の恋物語って、悲恋要素までつけくわえやがって。きっと、あいつの恋愛人生のスクリーントーンは、顔に似合わぬ薔薇の花模様だよ。
私のなんて、たぶんドクダミの花だ。ハートの葉に可憐な白い花、見た目はいいのに、虫もキューピッドも迂回して寄りつかない。
……万感の怨みをこめ、私は宣言したい。恋愛リア充は死ね。爆裂しろ。
「……げほっ」
あわわわ、そういや現実では、デズモンドは陰腹(切腹してそれを隠すこと)つめてたんだった。口からどぼどぼ吐血だけじゃなく、服の下から内臓がむにむにとはみだして……。
わ、私がさせたんじゃないよ。私達が屋敷に踏みこんだ時には、すでにデズモンドは自主切腹しちゃってたんだ。
私はシャイロック商会のたくらみを暴き、法の裁きは受けさすつもりだったけど、死ぬまで追いこもうなんて思ってなかった。
事態を悪化させたのは、お母様に危害をくわえられ、ぶちきれて復讐鬼となって暴走したお父様です。デズモンドも「こう(陰腹)でもしなければ、あなた様は話を聞いてくれなかったでしょう」って言ってたし。
なにせ王城に押し入って陛下を脅して討伐許可をもぎとるわ、馬にのって海上をはねまわり、たちふさがる艦隊を壊滅させるは、億馬車をりんごの皮むきみたいに削り壊すは、もう獅子奮迅の変態的大活躍……。
追討をはじめたら、あっという間にシャイロック商会の屋台骨をへし折った。英雄と呼ばれるだけのことはある。能力の限界線と頭のネジが数本ぶっとんでいる。
国家や軍に平気で喧嘩を売り、妥協案も華麗に一蹴。敵を粉砕して気が済むまで前進。誰も止められない。まさに魔王の行進。このわからず屋の血が私の体内にも流れてるなんて遺憾だ……。私は平和主義。終戦交渉のテーブルにつく用意はいつでもあります。私が儲かる条件でなら……。
それに、私はルビーの力で、デズモンドの同情すべき過去を見てしまった。今となっては、とても彼を本気で憎む気にはなれない。
エセルリードの恋人暗殺、お母様毒殺未遂などの一連の悪事の真犯人、それはじつは娘のアンブロシーヌで、父のデズモンドはむしろ抑え役だったと判明したしね。それでも彼はみずからの身をもってケジメをつけた。彼はただの悪人ではなかったし、じゅうぶんに罪をつぐなった。
……さて、前置きはこれぐらいにし、そろそろデズモンドの過去編再現ドラマにもどろう。
私達は彼の生き様を見届けねばならない。
互いを想いあうがゆえに、恋心を殺し、離れ離れになったデズモンドとセラフィママことマリー姫。いまは互いに別の相手と結婚し、違う道を歩んでいましたが、運命のいたずらか、その人生の航路が、再び交差するときがきたのです。この再会にふたりは……。
懐かしさに涙を流すだけなのか、それとも、やけぼっくいに火がつき、再び恋の炎が燃えあがるのか……。
「……あっ!! スカーレットさま、やっと見っけた!! どうしてアリサをずっとほったらかしたの!?」
ぎゃあああっ!! また脱線か!!
疫病神アリサ!! 私の人生の汚点!! どっから現れた!!
こいつの登場シーンなんて全カットでいい。【】で囲んでおくから、そのあいだは是非読み飛ばしてください。
【この金髪碧眼娘はアリサ・ディアンマンディ・ノエル・フォンティーヌ。
見かけはお花畑が似合う美少女。頭はもっとお花満開の男好きの脳天気娘。姿だけなら高貴な王女様みたいなんだけど、その落差たるやナイヤガラの滝もまっさおなのである。
さらに、こいつは私の熱烈ストーカーでもあった。「108回」では、私の寝床やお風呂に無断侵入すること数知れず。行く先々で私の目の前にあらわれ、しかも弩級のトラブルまで必ず引き連れてくるおまけつき。その規模たるや国家間の争いにまで発展することさえあった。もちろんアリサ自身の手には負えないので、事態の収拾に奔走するのはいつも私。
うんざりして何度、距離を置こうとしたことか。嫌になって他領に逃げたこともある。友人知己どころか使用人にもあかさない隠密行動で。なのに、乗りこむ予定の馬車に先に座って、お泊りセットを山ほど抱え、笑顔で待ちうけているのだ。はじめてやられたときは腰が抜けた。ほとんどホラーである。
そのうえ、なぜか私の女王即位後には、反乱軍の首魁におさまり、国をあげて惨殺しにくる元凶である。それも「108回」すべてで。一回の例外もなく。
わけがわかんなすぎる!! 恩を着せたいわけじゃないけど、私ほど親身にあんたの面倒見た令嬢はいないと思うよ。ほんと人類には理解不能なサイコパスレズなのだ。そのうえ、
「アリサ、スカーレット様のおパンツに突入します!!」
「アオオオオ!!」
私は身も世もない恐怖の悲鳴をあげた。女王を経験したという自負もなんの役にも立たなかった。
こいつは出会うたびに、私に抱きつき押し倒し、顔じゅうを舐めまわすだけでは飽き足らず、スカートのなかに顔をつっこみ、下着の匂いを嗅ぎまくるまでがワンセットの、超がつくど変態令嬢なのである。そのいかれたハイテンションの前には、嬉ションしてはしゃぎまくる仔犬でさえ尻尾を巻くだろう。
「108回」での私は、フォーマルな集いのなか、何度アリサにひっくり返され、生足と下着を白日のもとにさらしたことか。女性の足が胸以上に性的といわれたこの時代、もうお嫁にいけないという生易しいレベルではない。おっぱいさらけ出す以上のエロハプニングだ。おかげで私参加の舞踏会は、なにかを期待した男性陣の熱視線と、その倍の貴婦人令嬢たちの凍るようなまなざしに満ちあふれていた。
「あらあら、スカーレットさまがいるといつも盛況だこと。身体を張った気前の良さが人気の秘密かしら。常識にしばられた慎ましい私達にはとてもとても……」
「ほう、今日の下着はピンク……今回の賭けは、私の総取りですな」
もうやめて。私の恋愛ヒットポイントはすでにゼロをきってマイナスです……。
たまりかねて、アリサをしかりつけても、
「わかった!! じゃあ、お詫びにアリサのはだか、スカーレット様にぜんぶ見せたげる!! どこ舐めても触ってもいいよ」
と目をきらきらさせて迫ってくるし。しかも衆人環視のなか大声で。おかげで社交界での私のイメージに、露出狂+レズっ娘という属性がつけくわえられた。世の中に、不撓不屈で不条理のバカほど怖いものはないのだ。
「……くんくん、スカーレットさま、おもらしした? それになんか変なパンツ」
……こら、アリサ!! あんたはいまのエピソードに出演してないにも関わらず、話どころか私の股間にまで鼻をつっこむ気!? そしてそれはパンツではない。オムツだ。今の私は新生児、 おもらし天下御免である。我が膀胱は胸と違い、いまだ成長途中なり。
そして、いいこと、アリサ。
私は噛んで含めるように懇切丁寧に説明した。
今の時間軸は魔犬ガルムに襲撃されての公爵邸炎上直後。ここはシャイロックの本邸で、私達に追い詰められた会頭デズモンドが火を放ったところ。
突入していたメンバーは、私、お父様、ブラッド、セラフィ、それと途中参加の航海長。アリサはここにいなかったの。
わかったでしょ? この読者さまも対象にした説明くさい台詞で。
あんたの相手はあとでしてあげるから、とっとと破廉恥の森にお帰り。
「ぶううう!! スカーレットさまのいけず!! おたんこなす!!」
私の優しさあふれる語りかけに、アホ娘はぶうたれ、膨らませたほっぺを、私の股間にぐりぐり押しつけて猛抗議した。
痛い!! 脱臼する!! 乳児の股関節はデリケートなのよ。私が一生がに股になり、バレエのアンディオールのポーズしか取れなくなったらどうすんのよ!?
けれど、私はアリサのあほ行為に憤慨しても、悪口そのものは心おだやかにスルーした。
だって「108回」での私は、仮にも女王をはり、言葉の裏にさまざまな毒をこめ、各国代表と舌鋒を競い合ったもの。あの火花散るラリーの応酬に比べれば、アリサからの悪口なんて、まだ可愛いもの。私は大人の女性の余裕を見せてほほえんだ。
「スカーレットさまのちっぱい。お胸の大平原。永遠のつるぺた禿山」
「ホアッキャアアア!?」
なにい!? あんた、ぶっ殺されたいの!? そこになおれ、秒で成敗してくれる!!
世の中には言っていいことと悪いことがあるのだ。それを踏み越えたヤツは刀の錆びにするしかない。
髪を逆立て怒りのベビーシャウトをあげる私をおきざりに、アリサは胸を侮辱する捨て台詞を残して走り去った。
遠ざかるシルエットには、こちらを嘲り笑うようにふたつの実りが揺れていた。
あまりの屈辱に、私は拳を握りしめ、涙ながらに誓った。
この乳のブルジョワジーめ。いつか革命おこして、この世の乳を、全女性に平等に分配してやる。
ホルスタインは、宇宙から消えろ。あんなものは自然のことわりに反した奇形だ。生まれてきちゃいけないヤツなんだ。すべての巨乳は、地上の重力にひかれ、クーパー靭帯がちぎれてもげてしまえ。】
……【】は閉じた。これでしばらくあほ娘とはおさらばだ。だが、あのアリサが最後のアリサとは思えない。きっと第二、第三のアリサが……。
「……あの、スカーレット様。普通にとばされてましたが、私も突入メンバーに参加してるんですが……」
わあああ!! 従者のバーナードのこと忘れてた。ごめん!!
「いいんだ。どうせ私なんてキャラが薄くて、誰からも忘れられ……」
き、機嫌なおして。ほら、銀貨見せてあげるから。
あ、しまった。落としちゃった。
チャッリーン。
「ひゃっほう!! お銀さまの輝きだ!! うへへ、たまんねえ」
目がコインの形になったバーナードが、銀貨にとびつくと、息を吐きかけてゴシゴシと磨き出した。じゅうぶん強烈なキャラだと思うけど……。悪代官が忍者娘の入浴をのぞくときだって、ここまでの食いつきはしないよ。ちなみに金貨だとここまで激烈な反応はしない。バーナードは守銭奴ではなく、銀器オタクなのだ。
「……げほっ!!」
私達が寄り道してるあいだに、またデズモンドが吐血した。
いけない、いけない。早く話を進めなきゃね。
それじゃ、回想シーンの再開です。
過去におきた出来事だけど、ルビーの力で、現在の私達も記憶を共有しているかたち。わけわかんない? 映画館でドキュメンタリー映画を鑑賞しているみたいなものと思ってね。
あ、ブラッド、長丁場になりそうだから、キャラメルポップコーンをLサイズでお願いね。乳児で歯がなくてもだいじょうぶ、なせばなるが私の座右の銘。口のなかでふやかせばオッケー。離乳食兼おしゃぶりがわりよ。
え、そんな小さな顎じゃ疲れるだろうから、かわりにやってくれる? あ、あはは、な、なに言ってんだか。
……おい、こら、あんたが飲みこんでどうすんの。それはただのつまみ食いでしょ。はあ……ほんと、バカの相手は疲れるよ。……では、ここからは私が語り部でいきます。いかついデズモンドが急に女言葉にめざめたわけではないので、安心してお読みくださいませ。
◇◇◇◇◇◇◇
「……デズモンド、ひさしぶりですね」
厚手のソファーから立ちあがったセラフィママに、デズモンドは「マリー姫様……」と呻いたきり、あとは言葉もなく立ち尽くしていた。万感の思いで胸がつまり、気の利いたセリフなんて出てこないんだ。
セラフィママは幼い頃のヒペリカムの民族衣装っぽいドレスではなく、今風のドレスを華麗に着こなしていた。その板のつきっぷりは、彼女が故郷を離れ、今の社会に溶けこんで生きてきた時間の長さを物語っていた。それはデズモンドと別れてから過ぎさった時間でもあった。
「せっかくの再会なのに、女の涙も拭ってくれないなんて、あいかわらずの朴念仁ですね」
セラフィママは笑顔だが涙を浮かべていた。目が少し腫れている。よく見るとソファーの肘掛けには涙のあとがあった。座椅子の部分もへこんでいる。ずっとここで泣いてたんだ。
一歩、また一歩とデズモンドに近づく。失った時間を確かめるように。羽織った薄手のショールの端をぎゅっと握りしめる。
「あ、し、失礼を……」
デズモンドは狼狽して、自分の上着のポケットをまさぐるが、指先がふるえ、ハンカチーフをつまめない。セラフィママは背伸びしてかわりに引きぬくと、逆にデズモンドの頬をそっと拭いた。
「私もずいぶん背がのびましたが、まだあなたには遠く及びませんね。なんだかほっとしました」
「はい、こんなに美しく……ご立派に成長されるとは……驚いております……。私にそんなことを口にする資格はございませんが」
デズモンドは滂沱の涙をあふれさせていた。
「ふふ、私、こんなに目が腫れちゃってるのに? 相変わらずお世辞が下手な、不器用なひと……。でも、その泣き顔に免じて許してあげます。……立派な殿方が、女の私の何倍も泣くものではありませんよ。つらい思いをさせましたね。デズモンド」
慈母のようないたわりの言葉をかけ、ハンカチをデズモンドに返す。デズモンドはそれを押戴き、巨躯を震わせると、その場に泣き崩れた。
「マリー姫様……私は……許すべからざる大罪人です……!! 幼いあなたを置き去りにして逃げた……!! あんなひどいことを言って……!! どうか許すなどとおっしゃらないでください……!! 私は……!!」
嗚咽する謝罪でわかった。セラフィママと別れてから、ずっとデズモンドは罪の意識に苦しめられていた。愛したセラフィママを守るため、みずから袂をわかち、茨の道を選んだ。突き放す言葉も吐いた。だけど、後悔しない日は一日だってなかった。そして血まみれに傷つきながら歩き続けてきたのだ。
「いいのです。あなたの事情はよくわかっています。無闇にあなたについていきたがった私こそ子供だったのです。愛さえあればすべてが許されると思っていた……。私こそ謝らねば」
セラフィママがすべてを理解しているのが救いだった。逆に頭を下げる。しかし、そう慰められても、膝を床についてのデズモンドの嗚咽は止まらなかった。
いつまでも泣きやまぬデズモンドに、そばで見守っていたセラフィパパのフィリップスも困り顔をしていた。何度セラフィママがなだめても、まるで懺悔のように贖罪の言葉は止まらない。そして、ついにセラフィママの堪忍袋の緒が切れ、こめかみに青筋が浮かんだ。
「しつこいですよ、デズモンド。あるじの私が許すと言っているのです。あなたはあるじに逆らいたいのですか。従いたいのですか」
「ひ、ひたがひまふ(し、従います)」
セラフィママに両頬をつままれ睨みつけられ、デズモンドは号泣も忘れ、大目玉を飛びださんばかりにし、こくこくと恭順のうなずきを示した。
「よろしい。では湿っぽいのは終わり」
セラフィママはパンと手を叩くと破顔した。すっかり大人のろうたけた美女に成長していたのに、このときばかりは子供のころそのものの無邪気な笑顔をみせた。跪いたままのデズモンドがそれを眩しそうに見上げる。過去が昨日のようによみがえり、噛みしめているのだろう。
「せっかくまた会えたんですもの。ほら、デズモンドも笑って。それとも私との再会なんか嬉しくないの。私達の別れは悲しい思い出だった。でも、その十倍以上は、楽しい思い出であふれていたはずでしょ。ふたりで過ごした日々を大切に思えていたのは私だけ?」
その言葉にデズモンドもようやく涙をためたまま、おずおずと口元に笑みを浮べる。
「いえ、姫様、十倍ではありませぬ。千倍以上でもとても足りません……。あの頃の思い出は、いまも私の胸にあかあかと。お会いしとうございました……!! ずっと…とても……!!」
口に出したことで、また感情が堰を切ってあふれだす。
「バカね。泣きやんだばかりで、またそんなに泣く人がありますか。大シャイロック一家の長でしょ。私だって我慢してるのに」
泣き笑いしたセラフィママが、デズモンドの頭をなで、それから愛用していたぬいぐるみに再会したように、両手でそっと優しく抱きしめた。
「……やっとまた会えた。知っていますよ。シャイロック商会を継ぎ、その力で、陰からヒペリカムの難民たちを援助してくれていたのですね。チューベロッサに悟られないよう悪党の仮面をかぶってまで。苦労をかけました」
そしてマリー姫は暖炉の上の一輪挿しから、花を抜き取り、デズモンドのポケットにさした。
「感謝の花束をあなたに。私から。そして、あなたが命を助けたみんなから。……怖い顔をした優しいナイト。あなたは私の誇りです」
「マリー姫様……!!」
それはたった一本の小さな花だけれど、デズモンドにとっては、世界中のどんな花束よりも宝石よりも価値ある勲章だった。世界でいちばん尊敬するひとに、自分の忠義を理解してもらえていた感激と喜びに身を震わすデズモンド。
飼い主の小さな女の子&絶対服従する大きな忠犬に見えた。
互いのパートナーを見つけ、それぞれが違う人生を歩み、恋心は過去のものになった。だが、主従の絆は途切れることはなかった。
ところで、ふたりの会話にでた「ヒペリカムの難民」について、私から歴史の補足説明しておこう。
私の生まれる前の出来事だけどさ。一流令嬢のたしなみとして、九王国の言語もそうだけど、近代史もきっちり頭に入っているのだ。諸外国との会話を見据えた教育を受けたからね。
マリー姫を追い出し、チューベロッサ王国の保護を受け入れたあと、すぐにヒペリカム王国を災禍が襲った。
不可侵条約を破り、突如、隣国の大国レヴァンダがなだれこんできたのだ。レヴァンダは大陸一の陸軍動員数を誇る。災厄続きで国力が疲弊していたヒペリカムではとてもその人海戦術に太刀打ちできなかった。街は街道沿いに次々に侵略された。
ヒペリカムの民は大パニックにおちいった。このままでは首都まで押しこまれ皆殺しの憂き目にあう。もはや頼れるのは、駐屯していたチューベロッサ王国軍しかない。
要請を受けたチューベロッサはレヴァンダを迎え撃つべく、すでに災害復旧のためにおくりこんでいた軍を重武装化。迅速に軍を動かすための一時的な措置と銘打ち、主要都市と交通網をまたたくまに掌握し、駐留軍を中心にすえた国家臨戦態勢を取り、命令系統を一本化した。
要するに、チューベロッサ王国の駐留軍が、大義名分を得て、ヒペリカム王国を完全に牛耳ったわけだ。
結論から言うとこれはすべて狂言だった。チューベロッサとレウァンダは最初から秘密協定を結んでおり、おざなりに砲火を交えただけだった。
ヒペリカムの民は羊の群れだった。それもとびきり愚かな。
頼もしい山羊を迎え入れ大喜びしていたら、その皮の下には狼がひそんでいたのだ。
そこからはチューベロッサは占領計画の第二段階に移行した。
ヒペリカムの国民は、保護の名目で故郷からひきはがされ、チューベロッサが定めた居留地に強制移住させられた。レヴァンダの略奪を防ぐための一時的なものと説明され、財産も没収された。
そしてレヴァンダとの前線では、あいかわらずチューベロッサは睨みあいのみに終始していた。ただ義勇軍として参加したヒペリカムの残存戦力だけが、こぜりあいで異様な損壊率をみせた。部隊全滅が何度もおきた。
当然だ。同盟を組んだはずのチューベロッサが、作戦や兵糧のありか、すべてをレヴァンダに流していたのだから。それだけではなく、レヴァンダと示し合わせ、後方から義勇軍を挟み撃ちにさえしていた。
かろうじて生き残った者達の報告から、自分達は騙された、マリー姫の警告が正しかったと、そうまっさおになって悟ったときにはもう手遅れだった。
ヒペリカムは、すでに武装も大部分の財産も失っていた。角も毛皮もない裸の羊に残された未来は、食肉としてさばかれることだけだ。
とうとうチューベロッサは隠していた牙をあらわにし、残された土地と建物を人々から強制没収した。ヒペリカムは植民地化され、国民は奴隷の境遇におちた。国境は完全閉鎖され、亡命をはかるものは見せしめに広場で処刑された。ヒペリカム領全体が強制収容所となったのだ。
そして、かねてからの密約どおり、多数のヒペリカムの国民が、次々にレヴァンダの未開拓地に強制的におくりこまれた。
そこはこの世の地獄だった。
レヴァンダは広大な未開拓地をもつが、大自然の猛威のせいで手が出せなかった。昼は灼熱に、夜は凍りつく大砂漠だ。水なしで迷いこめば半日と命はもたない。土地は痩せ、ひとたび砂嵐がおきれば、街を埋め、大軍勢の行進さえ呑みこんでしまう。
自国民を入植させるのは、あまりにハイリスク、ローリターンの土地だ。学者たちも、とても採算が取れず、放置がベストと結論していた。
だが、開墾のための使い捨ての労働力があれば話は別だ。それがヒペリカムの民だった。
老若男女がろくな衣食住もなく、賃金もなく、悪夢の寒暖差のなかでもがきながら死んでいった。劣悪な生活環境で疫病も蔓延した。医者などない。軍の厳重な監視下におかれ、脱出もできない。むろん手など差し伸べてくれない。病で全滅した集落も少なくなかった。
「あの荒野では、奴等の墓をまず畑にするんだ。そこだけは肥料がいきわたっているから」
とレヴァンダの高官たちはジョークのネタにした。
あいた村にはまた人が送りこまれる。砂漠は大喰らいだった。まだまだ生贄が足りないと、いくらでも命を吸い続けた。人の命など一メートル四方の農地よりはるかに安かった。
埋葬する者さえもはやおらず、放置された死体があちこちでミイラ化していた。それさえもやがて砂嵐はのみこんでいった。
事前にチューベロッサが牙をむきだすことを察知し、政変前にヒペリカムの国外に脱出できた国民はわずか、それもほとんどが着のみ着たままの難民という悲惨なありさまだった。
だが、難民の彼らが飢死した記録は不思議と残っていなかった。「108回」ではなぜと疑問だったが、シャイロック商会がひそかに援助していたのか。納得。商会のネットワークは大陸中に張りめぐらされている。散らばった同胞の動向もつぶさにつかめたんだ。
腕組みして壁に背をつけていたセラフィパパ……フィリップスは、デズモンドとセラフィママふたりのやりとりに満足げに頷いた。
「再会の抱擁も結構だがほどほどにな。マリーは俺の妻ってことを忘れてもらっちゃ困る」
嫌味ではない。割って入るが、その口ぶりはあっけらかんとしていた。旧知の仲だからなのもあるが、それ以上に妻を信頼しているのだと、続く会話であきらかになった。
「まあ、心外ですね。私の旦那さま。浮気を疑いますか? 昼も夜も私に熱烈に愛をささやき、ついに何百年の王女の呪いまで退散させてしまった貴方とも思えぬお言葉。愛を忘れてしまったのなら、あのときのラブコールをここでつまびらかに披露し、記憶を呼び覚ますしかありませんね」
芝居がかった手ぶり口ぶりで、セラフィママがからかう。
「わかった。まいった。公開処刑は勘弁してくれ。マリーは俺の女神だ。どうか我が永遠の姫よ、機嫌を直し、この敬虔な信徒に祝福のキスを授けてくれ」
フィリップスは両手を広げて全面降伏の意を示し、跪くとうやうやしく頭を垂れた。おどけてはいるが、ふてぶてしさの権化だった彼とは思えぬほどさまになっていた。セラフィママといつも似たようなやりとりをやっているのだろう。
「私もいい年になりました。いい加減に人前で姫呼びはやめてって言ってるでしょうに。結婚して何年になると思っているのですか」
セラフィママは赤くなりながらも、身を屈め、幸せそうにフィリップスの頬にキスを授けた。フィリップスはがらっと雰囲気を変え、不敵に笑う。
「悪いな。俺は、本気で惚れた女にゃ一生正直であれ、と誓ってるんでな。神と俺の魂にだ。今のキスでさらに信心をあらたにした。たとえ婆様になっても、俺にとっちゃマリーは永遠の姫様ってやつだぜ。文句なら魅力的すぎる自分につけるんだな」
こいつ、悪者顔でなんて気障な台詞を。
「……もう。いつもふざけてるのに、ときどき真顔で歯が浮く台詞を言うんだから……ずるい……」
文句を言うがセラフィママもまんざらではなさそう。女だなあ。
それにしても、あのフィリップスがすっかり尻に敷かれている。チューベロッサの国王を単騎でタコ殴りにした傍若無人男とは思えない。変われば変わるものだ。
でも夫婦の仲睦まじさと、どれだけセラフィママを大切にしているかわかるよ。だって、セラフィママとてもしあわせそうだもの。それは驚天動地にしてほほえましい光景だったが、デズモンドは、それ以上にセラフィママの口にしたある言葉に驚愕していた。
「とけた!? あの王女の呪いがですか!? まことで!? では、もうマリー姫様は、生殖行為をとどこおりなく!? いったいどうやって……」
「せ、生殖行為……」
ストレートすぎる質問に、動じないセラフィママが耳朶まででまっかになってうつむいた。
ここでまたおさらい。
セラフィママの一族、旧ヒペリカム王家は、昔、王家が嬲り殺しにした王女の怨霊に、狂疾&子孫が途絶えるよう強烈な呪いをかけられていた。セラフィママは発狂は免れたが、異性に触れるだけで耐えがたい痛みにもだえ苦しんだ。
絶大な力を誇った〝海の魔女〟でさえ匙を投げた呪いだ。デズモンドが思わず驚きの声をあげたのもむべなるかな。呪いを解くため彼も奔走したけど果たせなかったし。
でも、もう少しオブラートに包んだ言葉にすべきじゃなかったかな……。セラフィママもさすがに恥ずかしすぎて言いよどんでるよ。
フィリップスが苦笑し「あとは俺が説明する」と口にし、セラフィママの肩を引寄せた。
「……〝海の魔女〟に過去を見せられたとき以来、俺にも、くだんの王女さんの霊が見えるようになってな。マリー姫に怨霊が憑りついてるってのが本当だって、嫌っていうほど思い知った」
なんですと!? とんでもないことを言いだしたフィリップスに私達は目が点になった。
私達の驚きをよそに彼は平然とホラー体験談を語った。
「夜にマリーと同衾してるときにゃ、天蓋からずるっと垂れ下がるように現れてな。そりゃあ凄まじい逆さまの表情で睨みつけてくるんだぜ。壁でも扉でも締め出せねえ。善良な新婚生活へのスパイスにしちゃ、ちと刺激が強すぎたな」
にやりと嗤いうそぶくその貌はどう見ても極悪人。怨霊とどっちがワルかという感じだった。
「おかげで貴重な体験をさせてもらったぜ……。暖炉をガンガン燃やしても、凍死しそうなくらい部屋に氷が張るんだ。うかつにマリー姫の寝巻も脱がせられやしない……。苦労したぜ。けどよ、俺は転んでもただじゃ起きねえ。災い転じて福となすってな。抱き合って暖を取ることで、マリーを安心させ、さらに衣類をつかった愛撫の新境地まで開拓し……」
なぜか怪談から猥談に急転直下。
怨霊に凝視されながら不屈の闘志でことに及ぶとは……。なんという強メンタル。
「肌に直接ふれなきゃ、呪いは発動しないってわかってたからな。だから、服の次は刷毛で……ぐおっ!?」
そのまま、夫婦の寝物語の歴史を、ジェスチャーつきで微に入り細に入り説明しようとしたフィリップスは、セラフィママの笑顔チョップの制裁を脳天にくらい悶絶した。すごいけどあほだ……。
ツボをおさえた一撃なのだろう。痛みにエビのごとくはねまわり、七転八倒するフィリップスのかわりにセラフィママが再び説明をする。
「照れくさいからって私をダシに笑い話にするのはやめてくださいね。すぐ悪ぶって。……この人ったら、怒りの形相の王女を見るたび、まっすぐ見つめて語りかけるんですよ。『つらかったよな。俺も過去を見たよ。優しいあんたがそんな顔になっちまうなんてよ。救われねえよな。俺がその時代にいたら、あんたを傷つけた奴等をぶっとばし、少しはすっきりさせてやれたのにな……』って。それも肩を抱きよせるようにして、顔まで寄せて。亡霊なんですり抜けちゃうんですけど」
「おい……!? やめろ……!! 余計なことを言うなよ……!!」
床から制止しようとしたフィリップスの言葉を、セラフィママは完全に無視し話を続けた。転がって体当たりしてきたが、邪魔というふうに足で横に押しのけた。ふたりの力関係がうかがえた。
「そのあと『あんたの気持ちは痛いほどわかる。一族を根絶やしにしたいのも当然だ。だけどよ、マリー姫だけはあのくそ王族どもとは違う。国民を真に想ったあんたと同じだ。顔だってそっくりだ。俺はあんたの生まれ変わりと思って、マリー姫を幸せにする。だから、もう呪いは勘弁してやってくれ』って言うと床に頭をこすりつけるんです。あらわれるたびにいつも逆に迫られ、王女の霊も困り果ててました」
うわ、目に浮かぶ。私とブラッドは思わず顔を見合わせた。
しかし、なんだろ、この既視感。
怨み晴らさでおくべきか、って化けて出た相手に、待ってたぜ、今夜はとことん語りあかそうぜ。って熱心に話しかけるようなヤツ、どっかで会ったことが……。
「セラフィ、おまえの親父さんってイカれてたんだな」
チート女装メイドにしみじみため息つかれても、正論すぎてセラフィは返す言葉もなかった。
うん、わかった。
フィリップスって、どっかの熱血バカのアーノルドにそっくりなんだ。
理論ガン無視の、感情まるだしの話っぷりなのに、ぐいぐいと人間的迫力で、相手を押しきってしまう。
それでいて不思議に不快に感じさせないのは、行動の根底に相手への思いやりがあるからだ。
女の人や子供は特にわかる。守ってくれる人を、本能で感じるもの。乱暴者に見えても、アーノルドは貴婦人令嬢をただの一度も傷つけなかった。……ん? ちょっと待って。私も立派な貴婦人令嬢だったんだけど。あいつ、いったい私をなんだと思っていたんだ……。
「な、なんで、一言一句間違えずにおぼえてる!?」
狼狽して黙らそうと追いかけまわすフィリップスを華麗にひらひらとかわしながら、セラフィママはぴしゃりとはねつけた。
「破天荒なあなたの妻ですもの。黙らすための保険の手札はいくつもそろえてあります。当然のたしなみです。お望みならまだまだ開示できますけど?」
「勘弁してくれ!!」
喧嘩するほど仲がいいってね。ゆるがない絆を感じる。そして妻は強し。
「何年も繰り返すうちに、王女も根負けしてつい苦笑を漏らしたんです。そしたら、この人は『思ったとおりだ。いい女はやっぱり笑顔が映える。もう一度見せてくれ』って喜色満面で畳みかけるんですよ。押し倒さんばかりの勢いで。王女様も恥ずかしそうに頬を染めて……。なんかいい雰囲気に……。妻とベッドを共にしながら、他の女性を熱心にかき口説く旦那様をどう思います? しかも幽霊を。まったく見境ないったら……」
「あ、あれは、マリーとセラフィーナの境遇を重ねてだな」
とフィリップスが猛抗議する。
セラフィママの柳眉がきりりとつりあがった。眉間が剣呑な稲妻をはらむ。
ひえっとフィリップスが息をのんだ。
地雷を踏んでしまったのだ。
「セラフィーナ!! そうやって王女に名前を教えられた途端、すぐ鼻の下のばして呼び捨てにしてましたよね。あれは普通の名前ではなく真名です。古代ヒペリカム王国においては、意中の相手に真名を耳うちし、相手がその名で呼んでくれたら婚約成立だったのは常識なのに」
まくしたてられ、フィリップスはたじたじになった。
「し、しらねえよ!! 俺はマリーみたいに博学じゃねえんだ。それにセラフィーナは、叶うならいつか俺とマリーの子供として生まれ変わりたいって、俺達に最後に言ってたろうが。色恋沙汰じゃねぇよ!!」
「俺達にではありません。あなたにだけです。『また会いましょう、未来のパパ』って……。ふう、娘に「パパのお嫁さんになりたい」と言われ、でれまくるあなたの将来が目に浮かぶようです。まったく息子だったらどうするんですか」
ため息をつくセラフィママ。話の流れからして、王女の怨霊は成仏したってこと?
まさかの怨霊騒ぎの終焉。これ、なんかの伏線じゃなかったの……?
それにしてもくだんの王女の真名がセラフィーナとは……。
私達は思わずセラフィの横顔を見た。
彼は頭を抱えてうずくまり、呆然と遠くを見つめぶつくさ呟いていた。
まさか、と震え声が聞えた。あとアーノルドという単語も。
強面なのに人情家。そんなフィリップス酷似の親友アーノルド。
会話がなくても一緒にいると楽しくてしかたない。そのこころは……。
「わかった!! もしかしてセラフィの名前の由来って、その王女さまか。ははっ、おまえ王女の生まれ変わりだったりして。だとしたら親父さんにそっくりなアーノルドに惹かれても不思議はないしな。そういえばセラフィ前に、古代ヒペリカム言語は不思議と頭に入るって言ってなかったっけ」
歯に衣きせぬブラッドにその場の全員が凍りついた。
あほ!! デリケートな問題だから、みんなあえて触れないようにしてたのに。
あるわけないとは言い切れない。私のループ人生に比べれば、生まれ変わりなんかよっぽど常識内だ。
「……まさか、ボ、ボクは……」
……どんまい。セラフィ。気にせず強く生きるのよ。
色々アイデンティティーがぐらつき震えるセラフィの背中をぽんぽんと叩き、私は激励した。
いつもみたく「海では、どんな不思議なことが起きても不思議はない」って都合のいい台詞言って、すべてを忘れなさい。
たとえ前世が王女だろうと、雌雄同体のウミウシだろうと、あんたはあんた。私達の大切な仲間よ。前世で男とか女なんて些細なこと。だって大事なのは今でしょ。
それに、もし本当に王女の生まれ変わりで「女心」がめざめても、心配はいらないよ。メアリーが大喜びで寸法ばっちりのドレスをしつらえてくれるし、脳天気バカな女装大先輩のブラッドもいる。フォロー体制は万全なのだ。
人生は石につまづくこともある。でもね、支えてくれる人たちがいれば、それはこけずに前への一歩になるの。
しょせんは他人事なので、私はそう力強くうなずいた。よし、これにて一件落着。
それにしてもあらゆる調伏をしりぞけ、ついにヒペリカム王家を滅ぼした怨霊が、たったひとりの破天荒バカによってあっさり成仏するとは。幽霊も好みのタイプの異性には弱いのか。恋がかくも万能とは。
「ちがうよ。スカチビ、頭よすぎてときどきバカになるのな。これは色恋じゃない。王女を理解し、本気で語りかけようとしたのが、セラフィの親父さんしかいなかったからだろ。それでやっと王女はひとりぼっちから救われた。怨みの呪縛から解き放たれたんだ」
私の心を読んだブラッドがあきれ顔で諭し、私ははっとなり猛省した。生前は裏切られ、死後はおそれられ嫌悪される。そんな孤立のつらさと寂しさは、私だって骨身にしみていたというのに。
おのれ。悔しいけど、ブラッドはときどき私より鋭く本質をつくんだ。
だが、そんなブラッドの金言も、セラフィママとフィリップスの耳には入らなかった。当然だ。目の前に見えていても彼らは過去の世界の住人。私達はすでに起きたことを傍観者しているにすぎないのだから。
ふたりの言い合いはエキサイトの一途をたどっていた。
「マリーだって、俺とはじめてキスしたとき、『デズモンド』って呟いておいおい泣き出したろうが……。そっちから誘ってくれたのに。しかもあいつとのファーストキスはうっとりと何分も続けたのに、俺なんか秒で突き飛ばされたし……」
「は!? それ、デズモンドの前でばらします!? 何年前の話をしてるんです!! とっくに謝ったでしょ!! 女心はいろいろ複雑なんです!! 女々しいですよ!!」
焦ったセラフィママはちょっと金切声になった。
「ボ、ボクの理想の両親像が……」
生々しいやりとりを見せつけられ、セラフィの苦悩はより深まるのだった。あはれ……。こいつ、超有能で危機回避能力抜群なのに、なぜか「108回」でもしょっちゅう貧乏くじを引いてたんだよね。根っからの不幸体質だ。やっぱり散々な目にあった王女の生まれ変わりなのかも。なんかシンパシーを感じるよ。
セラフィの苦悩をよそに、ついに取っ組み合いの修羅場をはじめたセラフィママたち。
「ちょっと!! 髪のセットが乱れる!! 時間かけたのに!!」
「ああ!! 三時間もかけたもんな!! デズモンドと再会するからって気合いれすぎだろ!! 俺に会うときは簡素に済ますくせに!!」
「なにその嫉妬!! わけわかんない!! 毎日自宅で顔合わす相手に当たり前でしょ!! だいたい、あなたが所かまわず、すぐ私を押し倒すから、凝った髪型ができないんでしょうが!!」
くりひろげられる痴話喧嘩に、もうやめてくれとセラフィが頭を抱える。
しかし、勝負は、テーブルの燭台の炎のゆらめきより早く、一瞬でついた。
「……すげえだろ。マリーとべたべたする目的で、護身術の寝技を教えてたら、俺より強くなっちまったんだ」
勝ったのはセラフィママだった。流れるようにフィリップスの腕の関節を極め、床に押さえつけたのだ。稲妻としか表現できない手練れっぷりだった。喧嘩も忘れフィリップスが、おしつけられたセラフィママの身体のやわらかさを堪能しながら、床からデズモンドに鼻高々に自慢する。
「あら、お恥ずかしい。ちょっとした読心術の応用で、動きを先読みしているだけです。子供のときより能力は衰えましたが、そのぶん体術でカバーできるようになりました。とはいえゴルゴナやアンジェラ様……あの聖女のような人外の存在にはもとより通用しません。自慢できるものではありませんよ」
セラフィママが片手で口元をおさえ、ほほほ、とおしとやかに笑う。もういっぽうの手で間接を極めたまま……。
ブラッドがひゅうっと賞賛の口笛をふいた。
いやいや、じゅうぶん自慢できるでしょ……。
チューベロッサ王国親衛隊相手に無双したフィリップスの強さは、「108回」の五人の勇士に迫る。それを素手で制圧したんだから。間接技に限定すれば「治外の民」の女性陣上位クラス以上。全盛期の私でも、愛用の鉄扇なしでは苦戦を強いられるだろう。
「まさか大人になって、よりお転婆ぶりが悪化するとは……」
セラフィに負けず劣らずの苦労人、デズモンドが天を仰いで慨嘆する。
再会の喜びもつかのま。
セラフィママことマリー姫がおしとやか貴婦人になったのは見かけだけ。中身はじゃじゃ馬を通りこし、暴れ馬に進化していたのだった。
そしてデズモンドの受難は終わらなかった。
ただならぬ気配を感じて背後を振り向いたデズモンドは凍りついた。
おとぎ話を模ったオーク材の扉の浮彫のかげから、日常の象徴たる人影が滑りでた。
彼の愛妻イザベラが立っていた。
「おまえ、いつからそこに……」
「マリー姫様とあなたがうっとりとキスを何分も続けたというところからです」
「げげっ」
デズモンドが潰れた蛙みたいな声をあげた。よりによって一番聞かれたくないところから。これは孔明の罠か? と叫びたい気分だろう。しまった、というふうにセラフィママが口をおさえるが、零れたミルクは器に戻せない。察知にたけたセラフィママも激情に身をゆだねていたため、周囲が見えていなかったのだ。もはや言い逃れようがない。
「清い仲だったと私には説明してくれたのに、だいぶ話が違ってませんか? あら、この浮彫、カエルの王子様がモチーフなのね。王女さまにキスをされたカエルは、呪いがとけて王子に戻り、ふたり幸せに暮らしたのよね。私もこの話大好き。さあ、恋の記憶も鮮明なようですし、あらためて詳細を聞かせてくださいませ。できたら自主的に、ね」
それはお願いという名の脅迫だった。
「さて、あなたは王子さま? それともカエルのままなのかしら?」
扉の縁をなでるイザベラはにこにこしているが目は笑っておらず、拷……もとい尋問してでも聞き出すという捕食者の強い意志できらめいていた。
普段の剛胆さはどこへやら。デズモンドも視線を泳がせおたおたするばかり。
まさに蛇に睨まれた蛙。視線で助けを求められたフィリップスもさりげなく目をそらした。傍若無人な彼も、夫婦喧嘩で旦那に肩入れするほど愚行はなしと、みずからの人生をもって学習していた。ましていまはセラフィママにしかられているまっ最中、たとえ親友だろうと手を貸す余裕などない。現実は非情だ。市場にひかれていく仔牛をかばい、身代わりを申し出るセリヌンティウスな仔牛など存在しない。
一時代を築いた男達を恐怖させる女難はまだまだ続くのだった……。
◇◇◇◇◇◇◇
元恋人と現役妻の火花散る初顔合わせ。
しかも、元恋人との恥ずかしいいちゃいちゃ過去話を、妻にばっちり聞かれるおまけつき。
男の背筋を凍らすこのシチュエーション。
はたしてどんな女の戦いがくりひろげられるのか。その答えは神のみぞ……うん、もう引っ張らなくいいや。結論から言おう。
「驚きました。そんな不妊治療法が……。マリー姫様はほんとうに博識ですね!! さっそく今夜からベッドで試してみます」
イザベラがしきりに感心する。
その手をしっかりとセラフィママは握りしめた。
「がんばって!! イザベラさんならきっと大丈夫!! この子づくりの秘法のかなめは、体温調節と女性の周期。そして良人の持久力です。夜の営みの回数が多ければ多いほど着床率は高まります。道は平坦ではありませんが、デズモンドなら一月でも一年でも励んでくれるはず」
さすがにそれは、と言いかけたデズモンドをセラフィママはひと睨みで黙らせた。
「しかも彼は優秀な商人です。投資する睡眠時間が、いつか黄金以上の子宝になってかえってくる好機を逃すはずがなし。そして愛する妻の悲願をかなえるのは夫の当然の責務。というわけで、できますよね、デズモンド」
セラフィママに笑顔で脅され、デズモンドは首振り人形のようにこくこくと頷
いた。
「……まあ」
イザベラが花が恥じらうように微笑んだ。
予想外。なんと言葉をかわすうちに、イザベラとセラフィママは意気投合。
ディナーもそっちのけで、旦那の愚痴で盛りあがったあと、話は子宝の悩みに。不妊の呪いに苦しめられ、あらゆる書物を調べ尽くしたセラフィママの的確なアドバイスにイザベラは大喜び。姉妹のような仲になった。隣の旦那たちは存在をすっかり忘れられ、ふたりの話は夜の生活にまで及んだ。
最悪の事態をまぬがれたデズモンドはほっと胸を撫で下ろしつつ、その夜から約束された連戦のハードスケジュールに戦慄をおぼえるのだった。
「がんばれ」
励ますフィリップスにセラフィママはため息をついた。
「私達も他人事ではありませんよ」
えたりやおうとばかりにフィリップスは不敵に笑った。
「まかせろ!! 望むところよ。どっちの夫婦が、先に子宝に恵まれるか競争だ。しあわせ家族計画だな。とりあえず今日から回数を倍に増やすぞ。俺のマリーへの愛と、スタミナは半端ねぇぞ。覚悟してかかってきな。燃えるぜ」
「なにを勘違いを……逆です。こちらは減らしてください。私を殺す気ですか。絶倫にも程度があります。いつも夜通し攻めたてて……朝チュンがはじまっても、「おはよう。鳥が鳴き出したな。まずは目覚めの一戦を」ってのしかかってくるんですから……。眠らせてくれないのに、目覚めもなにもないでしょう。これからはせめて一晩二回までにしましょう。あと日中の行為は禁止。睡眠不足と腰痛は、妊活と美容の大敵です」
こちらはまさかの戦線縮小宣言。意気ごみに水をぶっかけられ、フィリップスは人生のどん底というような表情になった。
「……殺生だぜ。いくらなんでも減らしすぎだ。三食ぜんぶ抜いて、おやつだけで生きていけって言うみたいなもんじゃねぇか」
「回数を減らしたぶん質をあげればいいのです。私もその……嫌いではありませんし……」
頬を染めてきゅっと袖を握ってくるセラフィママに、フィリップスもたちまち機嫌を直し、ふたりは新婚夫婦のようにいちゃいちゃしだした。
それを見てセラフィがまた悶絶していた。
ふふ、両親のいちゃラブを、夜どおし隣のベビーベッドで聞かされる私の気持ちがわかったか。苦労するね、あんたも。しかし、今までどんだけ房事過多だったのか。お父様、あなたのライバルがここにいましたよ。そして、ぜひ、うちも夜の戦線を縮小しましょう。私の安眠のためにも。お母様もよく寝不足でふらふらしてるしね。
私の視線に気づき、お父様はうなずいた。
「……心配するな。僕のコーネリアへの愛は無敵だ。質も量もともに、たちどころに倍にしてみせよう。彼女への想いを証明するのに、行為の引き算などありえない。足し算……いや、掛け算があるのみだ」
格好いい声と表情で、とんちきな答えを出さないでください。
やっぱこの人、「紅の公爵」じゃなく「いらないの公爵」だ。腎虚で死んでしまえ。
「僕が死んだら、僕がコーネリアを礼賛した愛のささやきを、聖典としてまとめてほしい。そうすれば、彼女のすばらしさの万分の一でも、後世に伝えられるはず……」
まとめるか。そんな発禁処分必至の性典。
まだお母様への愛を熱く語り続けているけど、ほっといて話を進めよう。
……デズモンドの疲労困憊とイザベラの願いの甲斐あり、彼女はやがて懐妊した。
いの一番にセラフィママに報告に駆けつけたイザベラは、セラフィママの胸にしがみつき、人目もはばからず大声で泣いた。良人に気をつかって顔には出していなかったが、不妊の悩みは、彼女を限界ぎりぎりまで追いこんでいたのだ。
「マリー姫様……!! 私……!! 私……!!」
涙とともに堰を切ってあふれでる言葉ごと、セラフィママはイザベラを優しく抱きとめた。
籐椅子が傾き、ふたりぶんの重みに悲鳴をあげたが、ふたりともそれを喜びのファンファーレのように聞いた。
「かわいい頑張り屋さん。もう我慢しなくていい。今はおさな子のようにただお泣きなさい」
と震えるイザベラの背中を、あやすようにぽんぽんと叩き微笑む。セラフィママのほうが年下なのだが、イザベラは心酔しきっていて、姉のように敬慕していた。セラフィママもよくわかっていて、年長の庇護者のふるまいをしていた。
「おめでとう。がんばりましたね。イザベラさん。でも、しばらくしたら泣き止まなくては。あなたはこれから家を守る良き妻だけではなく、子を守る良き母にもなるのですから。旧い言い回しですが、それは女を誰より強くする魔法の言葉。それでも泣きたくなるときはきっとくる。そんなときは、いつでも私のところにいらっしゃい。一晩中、甘やかしてあげるから」
おだやかなセラフィママの声に、イザベラは嬉しそうに頷き、床からママの膝に抱きついたまま、安心しきった表情で顔をうずめていた。
それからも慶事は続いた。
イザベラは次の年、長男に続き、長女も懐妊した。おめでとう。
ん? よく考えると、この子たちって、のちに私をいじめまくるデクスターにアンブロシーヌ兄妹か?
前言撤回。めでたいもんか!! 子供たちを呪ってやりたいわ。
デズモンドとイザベラから、どうしてあんな悪人どもが生まれたのか。過去の子育て情景を見てても、ふたりとも子供に愛をそそいでいるように見えるんだけど。
新緑が芽生え始めた頃。森が見える窓際で、赤ちゃん(こいつがアンブロシーヌということを今は忘れよう)に頬ずりするイザベラ。その横のベビーベッドですやすや眠るデクスター。両親は愛おしさに目を細めていた。
「生まれてきてありがとう。私の天使たち」
「同感だな。だが、だとすると天使を産んだ妻を、わしはなんと形容すればよいのか。女神か」
「まあ、似合わないセリフ。それにわしですって」
ころころ笑うイザベラに、デズモンドは赤くなった。
「む、フィリップスに女性にはこう言うべきと教えられたのだが。それに、私よりわしと言ったほうがまわりに箔が」
「背伸びしなくてもいいの。私は等身大のあなたがなにより好きなのだから」
「む、そ、そうか。わしは……」
デズモンドはなにか言いかけ口ごもった。私にはなんとなくわかった。自分は幸せ者だと口にしかけ、照れて言うのをやめたのだ。
「あら、なあに。おかしな人ね。あっ!! いけない。アンブロシーヌ、おなかがすいたの? すぐにミルクをあげますからね。あ、デクスターも起きたの? あなた、そちらをお願い」
おだやかな陽射しのなか、泣き出した赤子に授乳する愛妻を見守りながら、むずかる長男を慣れない手つきであやすデズモンド。両脇に手を差しいれ、高々と持ち上げる。
「大きくなれ、立派になれ、だが、それ以上に元気であればいい。そして幸せになってくれ」
そう口に出して願った。
そこには家族の団欒がたしかにあった。
私は複雑な気分で見守った。
悪人たちにも当然親も子もいるのだ。
そして、その親が子にまっとうな愛をそそぐ場合も……。
だが、大切に育ててもねじ曲がる芽というものはある。畑でも人間でもだ。もう元から歪む因子が組みこまれているとしか思えない。この悪党の兄妹はまさにそれだった。
それでもデクスターはまだ更生の余地はある。たぶんだが、冷酷で尊大なのも劣等感を隠すべく、小心者が薄っぺらい虚勢をはった結果だ。人間味がわずかながら残っていた。
「108回」での少女時代、あいつもかさにかかって私をいじめた一人だが、「母なし子」と馬鹿にされているときだけは、その輪に絶対参加しなかった。性格の悪いヤツらしからぬ行いに、幼いながら首をひねったものだ。あとで仲のいいシャイロック商会の使用人(私によくしてくれた人も少なからずいた)が教えてくれたが、デクスターは自身の母親、つまりイザベラをを亡くしたとき、一週間泣きどおしだったらしい。だからその件でだけは私に同情していたのだろう。アンブロシーヌは葬儀でもけろっとしていたそうだが。
そして、こっちのほうはガチで救えない最低女だ。他人どころか家族の死だってへっちゃらだ。むしろ遺産が増えると大喜びだ。他者への共感性ゼロの生き物なのである。さらに好んで誰かを蹴落とす。相手が自分より下でないと安心できないのだ。
アンブロシーヌの能力は本人の評価と違い、小悪党もいいとこだが、それは救いではなく、かえっていっそうの災厄をばらまくことを意味していた。ああいうヤツが権力をもつと最悪なんだ。欲しいものは、経費や損失なんて考えず、ごり押ししてかき集めようとする。敵も味方も大被害を被る。
ある意味、悪の四王子よりたちが悪い。
あいつらは性格最低ぞろいだったけど、優秀だったからね。悪だくみのときも、きっちり頭のなかで算盤をはじいてた。
破滅主義のドミニコ王子でさえ、大赤字を出すことはなかった。例外はマルコを殺したことでジーベリックを本気で怒らせ、彼の艦隊の離反を招き、追撃しようとした近衛艦隊を逆に壊滅させられたことぐらいだ。
まあ、あれはドミニコよりもほとんど近衛艦隊司令の責任だ。
アンブロシーヌとそっくりの嫌味な性格のヤツだった。
部下や目下に威張り散らし、腰巾着しか出来ないのに、プライドだけは山脈より高かった。その性格をジーベリックに見抜かれ、ものの見事に挑発にのせられた。
ベテランの副指令は必死に止めたけど、怒り心頭に達した司令は彼を殴り倒して追撃を強行し、あげく自然を利用した罠に引っかかって、旧式の小艦隊相手に、二十倍以上の戦力差とさえいわれた最新鋭艦隊を失った。
近衛艦隊司令の死は自業自得だが、間抜けな命令に従い、道連れにされた部下たちがあわれだ。沈んでいく艦隊には、司令を呪う声が渦巻いていたと聞く。
アンブロシーヌもまさに彼と同じタイプなんだ。
近衛艦隊司令は出世のために、アンブロシーヌは宝石やドレスなどのために、平気で他人の命なんて踏みにじれた。生き続ける限り、周囲に害を黴のように広げ続ける。
しつこいようだが、なんであんなひどい屑に育ったんだろう。
アンブロシーヌと同じ血と環境で育ったエセルリードは、優しく頼り甲斐のある男だったのに。
親心を裏切られたデズモンド夫妻もかわいそうだ。
ほんと、さいころの目と子育てはままならない。
でも、セラフィママは、たぶんアンブロシーヌがどういう人間になるかわかっていた。
大人になって予知能力は失ったそうだけど、なにか引っかかるものがあったのだろう。
デズモンド夫妻はしょっちゅう子連れで遊びに来て、セラフィママも大歓迎したけど、アンブロシーヌにだけは妙によそよそしかった。幼いデクスターやエセルリードには、表情をとろけさせ頬ずりしたのに、アンブロシーヌには距離を置いた。
もっとも、アンブロシーヌ自身が、幼児の頃から綺麗な女の人には敵愾心をむき出しにし、隙あれば頬に爪あとをつけてやろうとはかる陰湿な娘だったので、デズモンド夫妻も敬遠されて当然とむしろすまなさそうにしてた。
だが、セラフィママ大好きのフィリップスはさすがに、なにか隠していることに勘づいた。
「どうした。あの娘のことでなにか悩んでるのか。泣きそうな背中してるぜ」
デズモンド一家が帰ったあと、ぽつんとひとり鏡台の前に座り、うつむいていたセラフィママに、後ろから心配して声をかける。なにごとかに没頭していたセラフィママは飛びあがるように反応し、あわててサイドテーブルに広げたものをかき集め隠そうとした。その手をフィリップスがおさえる。零れ落ちた三枚のカードに眉をひそめる。
「……愚者。魔術師。死神。タロットカードか」
「ふふ、女の子だから、占いで興味をひいて仲良くなれないかなあって」
セラフィママは笑って誤魔化したが、未来を知っている私とセラフィは思わず息をのんだ。
愚者は文字通り愚か者。魔術師はせむし。死神は死。
アンブロシーヌ。魔犬使い。そして死。
不吉な予感が稲光となって一直線につながり、背筋を寒くした。
通常の占いとは違うやり方だが、衰えた予知能力を補うため、セラフィママはタロットカードを使ったのだ。破滅の毒蛇が、しずかに優しい日常の足元に這い寄りはじめていた。
◇◇◇◇◇◇◇
成長するにしたがい、アンブロシーヌの悪どさは手に負えなくなってきた。
言いがかりをつけ、メイドの顔に鞭をふるい、熱湯を浴びせた。それも美しい女性を選んでだ。
一生の疵を負わされたものもいた。
次の月にはしあわせな花嫁になるはずだった彼女は、重傷で生死の境をさまよい、やっとめざめたものの、鏡の中の変わり果てた自分を見て絶望の悲鳴をあげた。そして将来をはかなんで入水自殺した。
遺書を見つけた恋人は一晩中彼女をさがし、明け方思い出の湖畔に浮かぶ骸を発見した。誰からも愛された見事なブロンドの髪が、悲しく波間に揺れていた。
どんなに必死に温めようと抱きしめても、冷たくなった身体に命は二度と戻らなかった。恋人は慟哭し、ふたりでつくっていくはずだった未来を生あるものにするように語り、彼女の遺骸を抱いたまま、すぐに後追い自殺をはかった。周囲に取り押さえられ、水中から引きずり出されながら、死なせてくれと泣き叫んだ。
恋人は彼女の容姿ではなく、優しい心をこそ愛していた。誠実な愛は、顔が傷ものになっても、些かもゆるがなかった。だが、彼が魂を捧げるつもりだった花嫁は、永遠に失われた。彼はそのまま心が壊れ、廃人になった。
その顛末を耳にしたアンブロシーヌは、反省どころか、これから出かける演劇鑑賞で頭がいっぱいで、「ふぅん」と口にしただけだった。演目はむくわれぬ悲恋。アンブロシーヌはヒロインに自分を置き換え、たっぷりと涙を流し、そして満足して帰路についた。
だが、さすがにこの騒ぎはデズモンドにばれ、アンブロシーヌは、激怒した父に鼻血が出るほど平手打ちされ、壁にぶつかって失神した。手加減なしだった。せめてもの父の情けで拳を控えなければ、アンブロシーヌは殴殺されていたろう。
デズモンドの怒りはおさまらず、そのまま孤島の修道院に永遠に放りこもうとしたが、イザベラが自分が命にかえて矯正させると泣いてすがったので、渋々引きさがった。
アンブロシーヌも表面上はおとなしくなった。だが、性根は変わるどころか、裏で画策するより陰険なものにねじくれていったのだった。
アンブロシーヌは毒の研究に熱中した。
シャイロック家の出自は、戦場を稼ぎ場とする酒保商人だ。負傷兵のための薬の知識に長けていた。そのなかには痛みを鈍化させる麻薬など、毒に転化できるものが無数にあった。そして穀潰しかと思われたアンブロシーヌにはその方面に悪魔の才能があった。
表向きは有用な薬を生み出し、デズモンドの監視の目をかいくぐりながら、陰では毒の研究を進めた。
なかでもお気に入りの毒は、麻薬入りの堕胎薬だった。
きわめて検出しづらく、母体、胎児ともに衰弱させ、血の流れを狂わせて流産をひきおこす。さらにおぞましいことに、母親の脳まで破滅的に浸食し、記憶と人格にいちじるしい障害を与え、猜疑心と攻撃衝動にとりつかれた別人に変えてしまうのだ。
これ……私のお母様に使った毒薬だ……!!
実験体に使われた母犬は、牙をむきだし涎をまきちらし、産み落としたばかりの月足らずの仔犬に噛みついた。未熟児でも必死で生きようともがいていた仔犬は、悲鳴もあげられずもがいた。あわれなその子がこの世に残せたのはその一動作だけだった。あとは噛み砕かれる小さな骨と肉にかわった。
「犬の実験はまずまず成功ね。薬の検出もむずかしい。あとはいよいよ人間に……」
骨が噛み砕かれるごりっごりっという生臭い音のなか、アンブロシーヌが邪悪にほくそ笑む。
この堕胎薬は悪の二段構えだ。もし奇跡的に無事に出産できても、母が子をたちどころに殺す。子もあわれだが、母はもっとあわれだ。出産という命がけの苦難のむくいとして、愛らしい赤ちゃんを抱きしめる栄光のかわりに、子殺しという最悪の汚名を負う。そして、ただ救いがたい最低の母親として、まわりに記憶されることになるだろう。
薬の効果が切れ、あわてて我が子をさがす母犬が、目の前の小さな血痕と肉片を見つけ、その匂いを懸命に嗅ぎ、おのれが何をしでかしたかを悟り、この世の終わりのような悲しい遠吠えをあげる。
その仔犬への悲しい鎮魂歌も、アンブロシーヌの心には一小節も届かなかった。
「うるっさいわね。犬畜生の分際で。あんたがおなかのなかで育てたものでしょ。それが、またおなかのなかに戻っただけじゃない。……ちょっと!! もっとしっかり繋いどきなさい!! この犬、私に噛みつこうとしたわよ!! よくもやってくれたわね。この雌犬の腹を生きたまま裂いて、食べたばかりの我が子と再会させてあげなさい!!」
ぎゃんぎゃん喚くアンブロシーヌ。畜生道どころか、地獄の最下層に落とされてもまだ足りない鬼畜っぷりだ。
残酷すぎる命令に、使用人がさすがに躊躇うが、
「私の実験に水をさす気? おまえの妊娠した妻をかわりにするわよ」
と脅され、顔を蒼くし、嫌々したがった。
四肢を縛りつけられた母犬は刃を腹に押し当てられながら、もう吠えも唸りもせず、ただじっと憎悪と呪いのこもった目でアンブロシーヌを凝視していた。
「身の程知らずが。呪いでもしているつもり?」
アンブロシーヌは嘲笑い、傘の先端でその目を潰した。毛皮を切り裂かれ、腹からはみだしてくる内臓をこねくりまわし、あげく引きずり出した。母犬の口先にもっていく。
「ほら、おまえが食べた愛しい子のおさまった臓器だよ!! 呪えるものならやってみるがいい。そんな都合いいもの、この世にありゃあしない。私を睨むものはみんなこうしてやる」
もう見ていられなかった。
吐き気がするほどねじくれた性根。そして、その心を体現した毒薬。
あらためてふつふつと怒りと嫌悪がわく。
アンブロシーヌは、私の大切なお母様に、こんなものを使ったのか!! こんなひどいものを……!! こいつには人の心がないのか。
私は髪を逆立てた。激情で声も出ない。歯軋りしようとしたがまだ乳歯も生えていなかった。しかたないので酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせた。くそっ、哀れっぽさにほだされず、新生児パンチをラッシュで叩きこみ、鼻ぐらい潰してやればよかった。
お父様は憤怒で阿修羅の形相をしていた。整った貴公子の顔立ちなだけに、よけいに凄まじい表情だった。見る人すべてを怯えさせる破壊神の立像を思わせた。私達ふたりとも、アンブロシーヌを捕えず殺しておくべきだったと後悔していた。
しかし、私達はまだ甘かったのだ。アンブロシーヌの屑っぷりは、私達の想定をもはるかに超えるものだった。
……やがて時が流れ、イザベラはエセルリードを産み、さらにかなりの期間をおいて第四子を妊娠した。
そして、セラフィママも少しだけ早く待望の子を授かっていた。セラフィだね。おめでとう!!
戦友にして姉妹のように仲睦まじかったふたりの女性は、それぞれの夫たち以上に、互いの幸せを祝福した。
お茶をしながらイザベラが赤面する。
「この年でまさか妊娠するなんて。嬉しいやら恥ずかしいやらです。でも、マリー姫さまの子と、同い年の子を授かれるなんて本当に嬉しい。私、今度は娘のような気がします」
セラフィママは悪戯っぽく笑った。
「私のほうは息子の気が。もし、そうなら、高齢出産同士、婚約させちゃいます?」
「!!」
セラフィママの提案にイザベラはとびついた。前のめりの姿勢になり、まだ足りず、ついにテーブルから身をのりだし、三段のティースタンドを押し倒した。ケーキやスコーンがテーブルに散乱する。サンドイッチがおなかに潰され、マスタードの黄色でドレスを染めたが気にせず、思いっきりセラフィママに抱きつく。
「なんて素敵な思いつき!! 私、マリー姫様と家族になれるのですね。お姉様とお呼びしても?」
セラフィママは、イザベラの頬についたクロテッドクリームを拭ってあげながら苦笑した。
「あらあら、困った甘えん坊さんだこと。いちおう私のほうが年下なんですが……。でも、イザベラさんはかわいいから、家族になったら、今以上に甘やかしてあげちゃいます。とろけさせちゃったらごめんなさいね」
「とろけさせて、とろけさせて」
ふたりは喜びのあまり、女学生のように手を取り合い、互いの頬にキスの雨をふらすと、きゃあきゃあと盛りあがり、その場でぴょんぴょんと跳ねた。
いちゃいちゃ妊婦百合……。私達はいったい何を見せられているのか。
「安定期が……」
夫たちは心配そうに横目で見ながらも、水をさす勇気もなく、周辺をうろうろしていた。……おや、今より若い航海長が、褐色の顔をまっさおにし、布団を抱えてふっとんできましたよ。
「奥様、御気分が悪くなっちゃあいませんか。いつもよりまばたきが多い気が……。すぐに横になってくだせえ」
心配性すぎる。
「航海長さんはいつも私を大事にしすぎですよ。VIP待遇にもほどがあります。そのうち私をポケットに入れて持ち歩くんじゃないかと心配です。でも、その素敵な思いやりは忘れないで。いつか現れるあなたの本当の恋人のために」
くすくすとセラフィママにからかわれ、
「奥様にはかないませんぜ。まあ、来るべき運命の出会いってヤツにそなえ、精進させてもらいまさあ」
と照れ笑いしながら後ろ頭をかいた。
なんだかおかしくなって、今の航海長の様子をちらりとうかがうと、
「……ああ、マリー姫様……。ちくしょう……俺が今でも夢に見るのと、寸分たがわない姿と声じゃないか。自分の未練がましさに涙が出るぜ……あのときも、こんな顔をして俺に向けて笑いかけてくれた。忘れられるわけがない……今も、この胸にずっと……」
と呟き、まばたきも忘れ、ぼろぼろと涙を流していた。
私は息をのんだ。
そうか、このひとは、もしかしてずっと……。
そう考えると、身命を賭してのセラフィへの献身も納得がいく。
私は見てはいけないものをのぞき見した罪悪感にかられ、そっと視線をそらした。
……このままいけば、ふたつの家族はしあわせに寄り添い続けたろう。
アンブロシーヌという毒蛇が身内にさえいなければ。
あいつは家族のふりをし、平和な日常を内側から食い荒らす、癌細胞だった。
暗い小窓を思わす別の光景が浮かぶ。
豪奢な内装の部屋だった。家具も金がかかっているとひとめでわかる。豪華なだけでなく住人を寛がすために趣向を凝らした高級品だ。なのに、ひどく居心地が悪い。この部屋のあるじの歪んだ性根が、部屋の空気まで汚染し、腐らせているのだ。生けた花が何故かすぐ萎びると、メイドたちも頭を抱えていた。
「冗談じゃない。今さら妹が増えるですって。これ以上、財産の取り分を減らされてなるものですか」
自室に鍵をかけてこもり、アンブロシーヌが目をすわらせ、ぶつぶつと呟いている。
「デクスターは無能すぎ、すでに父を落胆させた。家は継げない。エセルリードはお人好しだから、いつでも罠で破滅させられる。せっかくうまくいっていたのに……」
髪を振り乱し、目をつりあげたその貌は、少女のものとは思えなかった。早くも色気づき、おしろいを顔に厚く塗りたくっているが、苛立ちで顔をかきむしったため、爬虫類の鱗のように割れていた。人間をやめるための脱皮をしようとしているようにも見えた。ひび割れの内側から、醜い本性が飛び出してきそうだ。薄闇のなか、ランプに照らされ、顔にゆらぐ黒々としたものは、ただの影ではない。金への妄執と他人への悪意だ。
「そうだ。邪魔なら、殺せばいいじゃない。私にはこの堕胎薬がある」
毒々しい色の液が揺れる瓶をさしあげ、宝物のように頬ずりする。
「ふふ、まだ生まれる前の妹に教えてあげなきゃね。出すぎる杭はうたれる。私をおびやかす可能性があるものは殺されるってことをね」
感情が昂ったのか、首を激しくふりながらけたけた嗤う。涎がしたたりおちた。つけすぎた口紅と混じり合い、赤色に泡だっていた。完全に悪魔憑きそのものだった。いや、ここまでひどくないと悪魔が抗議するだろう。男好きのこいつだが、今の顔を見たらどんな軽薄な男も腰を抜かすこと請け合いだ。心の醜さが、毒沼のメタンのあぶくのようにあふれでている。おぞましさに吐き気がした。
こいつ、金のために、自分の母親に一服盛り、身動きひとつできない胎児の妹を殺す気だ。いかれてる。家族を、生まれ出る命をなんだと思っているのか。
私のお母様は、命をかけて、新生児の私を守り抜いた。血のつながらないメアリーだって、私をかばい、あの小さな身体で、山津波の迫力の魔犬にまっこうから立ち向かった。ブラッドだって、セラフィだって、王家親衛隊のみんなだって……。
それに引き換え、こいつは、自分の欲のため、じつの母親と妹を……。
こんな下劣な女が公爵夫人の後釜を狙い、私の自慢のお母様を毒殺したなんて……!! 「108回」のこととはわかっているが、やりきれない。切なくて、悔しくて、なにより赤ちゃん殺しの汚名まで着せられて死んでいったお母様が憐れすぎて、私は涙をこぼした。どんなに無念だったろう。
気がつくと、そっとブラッドが私の手を握ってくれていた。
「ちっちゃい手だな。スカチビは強いけど、まだ無条件に守られていい年齢なんだ。おまえはよくやってる。もう過去を見るのをやめても、誰も咎めやしないさ」
そよ風のように飄々としているが優しく力強い声だった。その明るい風は、悲しみと辛さにうちひしがれた私の心を支え、さらに暗く誘おうとする闇さえ吹きとばした。いつもバカばかりやってるのに、女装メイド姿なのに、ブラッドは私が望むとき、小さな勇気を与えてくれる。
私は感謝をこめて、ぎゅっと手を握り返した。ブラッドが眩しい笑顔でにかっと笑う。
「それでも前に進むんだな。スカチビらしいな。赤ん坊のおまえがそこまで身体をはるんだ。おまえが運命から逃げないんなら、俺もとことん最後までつきあうぜ。忘れるな、倒れそうになったとき、必ずおまえの背後には俺がいる」
なんか涙が出そうになり、私はぐっと嗚咽を堪えた。
ありがとう、百人力だよ。感謝してる。
私は照れくさいので小さな聞こえないような声でつぶやいた。
少女漫画のときめきシーンみたいになるはずが、オアアアオという仔猫の悲鳴もどきになった。だって新生児だもん。喃語を通りこし、まだ舌も喉も超未成熟なのだ。
ブラッドが首を傾げた。
「なんだ、うっうっ声を漏らしたり、変な声出したり。おしっこの我慢は身体によくないぞ。俺もトイレまでは一緒につきあいたくないし」
まったくちょっと見直したら、すぐこれだ。
「も、もしかして、う〇こじゃないだろな……」
ドンびきした顔すんな。勘違いして、さっそく私の背後から距離をとり、風上に逃げやがって。
「間一髪だ。やばかった。あと一歩遅れたら、臭いに巻きこまれてた」
危険なミッションやり遂げた顔しやがって。
やばいのはあんたの頭でしょ。やっぱポンコツ女装メイドだ。こいつ。
私はジト目でブラッドを睨み、意識をきりかえた。
さ、次いこ、次。
私は残酷な過去を再び直視した。
ひとしきり嗤ったあと、アンブロシーヌはぎろんっと虚空を睨み据えた。
「……でも、ほんとうに邪魔なのは、あのマリーって女狐だわ。私が父に冷遇されるのは、あいつが色々吹きこみ、父をたぶらかすせいだ。いつまでも主君づらをして偉そうに……!! そのうえあいつの息子がうちの許嫁……ふざけるな。我が家の財産を横からかっさらう機会をうかがってたんだわ。許すもんか。やられる前にやってやる」
おそろしい勘違いだった。身から出た錆びという反省は、こいつとは無縁だった。
アンブロシーヌはひとり語りをするうちにヒートアップし、がんがんと丸テーブルを叩いた。華奢な猫足が理不尽な使われ方に悲鳴をあげた。アンブロシーヌの気はおさまらず、マントルピースにちょこんと座らされているビスクドールに狙いをつけた。どこかセラフィママに似ている人形の顔立ちが、いっそうの憎しみを煽った。火かき棒をつっこむ。ぐりぐりと目をえぐった。先端をひっかけて、引きずりおとす。髪の毛がきらきら光りながら舞い散った。
「身の程知らずめ!! おまえにお似合いなのは地べたよ!!」
頭から床に激しく叩きつけられ、セラフィママと同じエメラルドの美しいガラスの瞳がころころと転がり出、アンブロシーヌを非難がましく見あげた。かっとなったアンブロシーヌは、瞳を踏みつけ、粉になるまでぎりぎりと執拗に踏みにじった。
「こいつめ!! 泥棒猫が!! そんな目つきが二度と出来ない様、顔を潰してやる」
怒りのままに、力いっぱい小さな人形の顔面を蹴りつける。
「おまえがすべて悪い!! おまえが!! 死ねっ!! 死ねええっ!!」
憑かれた目で、火かき棒を何度も突きさす。そのたびに人形が「く」の字になってはねた。
「もっとよ!! もっと痙攣しろ!!」
執拗な責めに押され、毛足の長い赤色の絨毯が、人形の形にへこんでいく。まるで血の海に沈められていくように見えた。
「こんな綺麗なドレスも、帽子も、アクセサリーも、おまえには不要よ。真っ裸がお似合いだわ。ぜんぶひん剥いてやる!!」
偏執狂じみた折檻に、衣裳はボロくずにかわり、やがて首がもげ、手足が根本からちぎれた。
「ばらばらにしてやった。めくら女がダルマ女に大変身!! これでもう何もできないわよねえ。思い知ったか。あひひひっ!!」
私にはわかった。アンブロシーヌがセラフィママをそこまで憎むのは、女性として敵わない相手と、心の底では理解しているからだ。だが、こいつは認めない。真実より、自分のちっぽけなプライドを守ることが大切なんだ。自分を中心に世界はまわると主張する。だから、自分こそ悲劇のヒロインで理不尽な目にあわされていると思いこめる。
でなければ、セラフィママが色仕掛けでデズモンドをたらしこみ、彼を裏からあやつりアンブロシーヌを虐待しているというとんでも陰謀論は飛び出してこない。
実際は、デズモンドがセラフィママに抱くのは、恋愛というより崇拝だし、誇り高いセラフィママが色仕掛けなんてするはずがない。そもそもアンブロシーヌの犯した悪行を考えれば、逆に娘ゆえに温情で生かされているとわかりそうなものだが、その親心はこいつの心に届くことはない。
愚者はみずからが恵まれていることに気づかないから愚者なのだ。
せめて、こいつが、自分への百分の一でも他人への優しさを持っていれば、両親に感謝もでき、デズモンドも安心して、肉親としての愛情を惜しみなくそそげたものを。
アンブロシーヌの発作じみた蛮行は、原型を留めなくなるまで人形をずたぼろにしてようやくとまった。酷薄な唇をつりあげ舌なめずりをした。ぎょろっと単調に動く目は、いまだ憎しみで硬玉のように凝り固まっていた。舌先をちろちろ動かすさまは、獲物に飛びかからんとする毒トカゲそのものだ。だが、食欲ではなく見当違いの怨みに突き動かされている。そして毒のかわりに、セラフィママへの呪詛をまき散らした。
「おまえもこの人形のように滅茶苦茶にされるのよ。夫も、子供も、財産も、ぜんぶぜんぶ破壊してやる。そのうえで、あんたに二十年以上執着する変態豚貴族のもとに売り飛ばしてやるわ……。あんたはこれから陽のあたる世界じゃなく、地下の暗がりで生きていくの。きっと食事がわりに、あの変態の身体や体液をしゃぶれと命令されるわ。ふふ、まるで糞を食べる蛆虫みたいにね。……ああ、なんてみじめでおぞましいのかしら。狂ってしまうかも。でも、安心して。優しい私が、お情けでとっておきの色狂いになる薬をサービスしてあげる。それしか考えられなくなる強烈なヤツをね。これでもう正視に耐えない行為も気にならない。いや、もともと目は見えないんだったっけね」
頬をまだらに紅潮させ、アンブロシーヌが肩で息をして喘ぐ。ひどい目にあうセラフィママを想像し、性的な嗜虐心をかきたてられているのだ。こいつこそ正視に耐えない醜さだった。
「いーっひひっ、ざまぁみろ。数時間ごとに、正気と色狂いが交互におとずれるよう処方してあげるわ。自分がどんな恥ずかしいことをしたか、夫と子供の菩提を弔う資格さえなくしたことを、ちゃあんと理解し、泣き叫べるようにねえ。そうだ、自殺防止用に舌も抜いてあげましょう!!」
ぽんっと手を叩く。一回では飽き足らず、二回三回。いい思いつきをした自分を称賛するため、ついには拍手して嗤いだした。かちかちと耳障りに歯をうち鳴らす音が加わった。しっぽを鳴らすガラガラヘビそっくりだった。歪んだ心が叩きだすおぞましいティンパニーの演奏会だ。
「……ああ、お高くとまって取り澄ましたあの顔が、逃げ場のない色地獄のなか、這いずりまわり、どんな絶望の悲鳴をあげて壊れていくのか。楽しみでしかたない……!! ひーっ!! ひひーっ!!」
折れんばかりに背をのけぞらせ、甲高い笑い声をたてる。反りすぎて髪が床についた。狂人独特のいかれたバランス感覚で、そのままポーズを維持する。シルエットだけ見れば、もはや人ではなく、風に揺れるなにかの節足動物のようだ。興奮しすぎてひきったかすれ声となり、邪悪な老婆の笑い声をたて続ける。絶え間なくわく悪意のため、口の両端は裂けたようにつりあがったまま戻らない。
「ママとあの女の虫唾の走る姉妹ごっこ!! あれも、めでたくもうおしまい!! あの堕胎薬のなかの麻薬成分は強烈だわ。被害妄想をかきたて、まわりすべてが敵に見えてくる。そうなったママに、あの女の悪口を吹きこめば……ふふっ、仲良しの記憶なんてひとたまりもない。あの女狐を殺したいほど憎くてたまらなくなる!! 狐狩りのはじまりよ。いいっ!! いいわ!!」
アンブロシーヌは感極まって、びくんびくんと踊りだした。上品な社交のダンスではない。激情にまかせ、両手両足をふりあげるサバトの狂気の踊りだ。
「それこそが正しい女のありかたよ。女同士の友情なんて錯覚。女はみんな憎いライバル。蹴落とし、殺しあうあいだがら。ああ、どうかママがまともな女性になれますよう、娘からの祈りをこめたささやかなプレゼントよ。楽しみに待っててね、ママ。くひひひっ」
窓にうつったアンブロシーヌの姿が、歪んだ影絵となって伸び縮みする。魔の森のねじれた枯れ木が広げた枝をざわざわ鳴らすように。獲物を喰らうムカデがぐにぐにと蠢くように。いつまでも不気味に揺らめきながら、他人を地獄につきおとす昏い悦びのダンスに打ち興じていた。
お疲れ様でした。お読みいただきありがとうございました。
次回はまさかの再登場の豚さん貴族、
女の子と見まがうショタなドミニコ王子、
やっぱり生きてた聖女服を着てる誰かさんが大暴れ。
ほら、やっぱり変態キャラたちの登場率が増えました。こうなると思った(泣)
これからは変態ロマン絵巻と名乗らなければ……。
次回もよろしければお立ち寄りください。