先輩と後輩②
「ふむ、ドラゴンの血を炎に······。まだ俄かに信じがたいが、本当なのかね?」
中央棟三階司令部。そこにある十二畳ほどの執務室で、ミーナは少年を連れ、先日の報告をしていた。背もたれのついた椅子に腰掛けるのは、その少年に異動を命じた上官。彼は報告書へ目を通しながら右手で顎髭を触っていた。
「はい。もし許しを頂けるのであれば、ここで証明してみせますが」
「ここでかね? 大丈夫なのか?」
「もちろんです」
軽く目を見張った司令官に対し、先日の事件のことなど微塵も感じさせず、何事もなかったかのように、平然と自信に満ちた声の彼女。ハイゼルはウォールナットの机に積まれた紙や、棚に置かれた軍事資料を見ては少々頭を悩ませたが、あまりに少女が毅然した態度だったため「ふむ」と言うと、力強い黒眼をさらに、野心の籠った鋭いものへと変える。
「では、見せてもらおうか」
やや前のめりに椅子を座り直し手を組んだハイゼル。彼女は「はい」と返事をすると、隣の少年へ目配せを。それを受けとった少年は軽く頷き、自分のポケットへ入れていたあの薬包紙を取り出し、その包みを開いていく。
「彼がいま服用しようとしているのは報告書にも記載しました、その調合薬です」
少年が薬を飲む間、ミーナは間を埋めるよう説明を始める。
「思ったより手軽だな」
「はい。兵士達が携帯するのにも、全く不便はないと思います」
「うむ、そのようだね」
ハイゼルは頷いて、彼女の言葉に同意。
その頃ちょうど、少年は薬を飲み終える。そして彼はその旨を彼女へ。目配せされたミーナはそれを横目で受け、また司令官へと視線を戻すと、
「司令官、お待たせしました。これが私の研究した魔法――薬の効果がこれです」
深紅の眼を宿すミーナがそう言い終えると、その隣で少年が研究室でやった時の如く、自身の右手を前へ差し出す。彼は目を瞑り、天井に向けた掌へ意識を集中。
辺りにやや緊張のこもった静寂。しかし不意に、
——ボッ。
何も乗っていないはずの、彼の掌に現れた炎によってそれは容易く破られる。
「ほぉ······」
新人兵士であった少年の掌で、絶えず揺らめく小さな炎を見たハイゼルは感嘆の声。そして先程よりも大きめに目を見開いては、
「信じられん······。本当に炎が現れるとは······」
炎を見入るハイゼルは思わず、そう言葉を漏らした。
上層部の中ではここにいる赤髪の彼女の事を一番に信頼しているハイゼルだが、やはりそれでも、彼も、心のどこかで疑いの念を払拭しきれていなかった。
そんな無意識に心中を吐露するような上官に、
「いかがでしょうか? ハイゼル司令官」
艶然と、大人びた調子でミーナは首を傾ける。私の考えは間違いないんですよ。と聞こえそうな、余裕のある女性のように。
そんな、彼女の言葉でハッとするハイゼル。炎に目を奪われていた彼は居住まいを正すと一度小さく咳をし、上に立つものとしての姿勢を持ち直す。
「いや、素晴らしいよ、ミーナ君。こんなことを思い付くのは君しかいないだろう。――いや、君にしか出来ないことだろう」
「ふふっ。お褒めの言葉、恐悦至極に存じます」
軽く会釈をするミーナ。そんな彼女へ、
「そこでなんだが、幾つかこの魔法について尋ねてもいいかな?」
「はい。なんなりと」
悠然と微笑むハイゼルは「では」と、先のような真摯な顔つきで質問を浮かべた目を向ける。――が、それは赤髪の彼女にではなく、炎を手に乗せたままの月白髪の少年のほうへ。
「君はジャック、だったね」
「はい」
「君はその炎、熱くないのかね?」
「はい。側のミーナは熱を感じていると思いますが、俺は全く熱くありません」
顎を引いて背筋を伸ばし、気を抜いていたなんてことはありません、というように目をちゃんと開き直していた彼は毅然とした態度で、そうハキハキと返事をした。その態度については全く気にせず言及をしないハイゼルは、自分の中で何かを納得すると「なるほど」とだけ言って頷いた。そうすると、
「ではミーナ君、君にも聞きたい」
と、元の彼女へと視線を戻すハイゼル。
「彼はいま普通にやってのけたが、力と言うのはどんなものでも危険が付きまとうものだ。そんな中で、術者がこの魔法を使用する際の注意点はあるのかね?」
この魔法発明者であるミーナは変わらぬ、凛とした面持ちで、
「いえ、事前に魔力の量を操る訓練をしておけば難しいことはありません。唯一上げるとすれば、使用する際に袖などが燃えないよう注意することだけです」
「それだけでいいのかい?」
「はい」
それを聞いた彼は少し予想外で「それはまた······」と背もたれへ身体を預ける。そして、少し間を置いて嘆息すると机に手をついて立ち上がり、後ろにあった窓の前へと立つ。
外を眺める軍服を着たハイゼルの背中がしばらく見えると、少年は、もう大丈夫だろ、と右手の炎を消した。
依然、窓越しに空を見上げたまま、彼は顎髭を触っていた。そして、後ろにいる二人はその様子を黙って見守る。喋ることさえ容易に許されない空気だったが、ここで彼は「ミーナ君」と少しだけ顔を動かし、後ろの者達に向け、口を開く。
「······君の前でこんな事言うのは申し訳ないが、魔力なんてのはずっと、人類の欠陥品だと思っていた」
そう胸中を語った上官の言葉に、目を少し伏せるミーナ。だが、
「しかし、今ここで、君が産み出した魔法を見て······それを見る目が百八十度変わったよ」
それを聞いて彼女は顔を上げた。
手を下ろしたハイゼルはそんな彼女のほうを振り返り、そして軽く微笑むと、
「ミーナ君、君は本当に面白い子だね」
謙遜するように、誉められたこと認められたことを感謝するように、だが、それでいてそこから来る笑みを隠すように、ミーナは恭しく「いえ」と頭を下げた。そうしたところで、
「たしか要望では······人を増やして欲しいということだったね? 私の勝手な憶測だが、魔力の操作経験がある人物のほうが、君としては助かるのかな?」
「はい。仰る通りです」
「ふむ。では、こちらでそのような人材を探してみるよ」
「ありがとうございます」
今度は、ここへ来た最初の頃のように、ミーナは淡々と真っ直ぐに上官の目を見ては、その感謝の意を述べた。そして軽く微笑むハイゼル。
だったが、すぐに何か思い出すと、
「とは言っても、兵士に魔力の訓練などさせてこなかったからなぁ······。今いる兵士の中で魔力をちゃんと扱える者は少ないかもしれん」
困惑した顔を浮かべながら彼は椅子に座ると、机上のファイル――兵士の情報をまとめたリストを手に取った。そして、その紙をめくりながら、
「だから、多少時間は掛かると思ってくれると、こちらとしても助かるよ」
「分かりました」
彼は「わるいね」と微笑む。すると独り言のように、
「軍の訓練に、魔力の訓練を入れることも考えないといけなくなるかなぁ······そうすると、どの時間に挟むべきか······」
と、早速魔法の使用に関して取りかかろうと呟くハイゼル。彼はそう呟きながら人事資料を一つ一つ改めていたが、そこへ、それを望んでいたはずの彼女が、その手を止めるようなことを口にする。
「司令官。お願いしておいて大変恐縮ですが、軍での実用化はまだ、実現が難しい思われます」
ハイゼルは、ページをめくる手をピタリと止めると顔を上げ、彼女のほうを見た。
「ん? それはまた、どうしてだい?」
彼はページから手を放し、腕を置く。
「ドラゴンの潜む洞窟奥ですが、そこへ続く道は敵自身の衝突により崩落を起こし、通れなくなりました」
「はぁ、なんと。じゃあそれはつまり、そこを掘り進むのにもかなりの労力が必要になると」
「はい」
人と金、どちらにも余裕がない軍の事情をよく知るハイゼルは「そうか」と、目に見える落胆を見せた。そんな彼へ、
「それと僭越ながら、もう一つ」
「ん? なんだね?」
やや気落ちしながら、彼はミーナのほうを改める。
「私達二人はドラゴンを間近で見ました。たとえ準備はしていても、アレ一体を討伐するのに膨大な怪我人、下手をすれば死者が出ることも想定されると思います」
「うーむ、君の魔法は軍でもかなり有益な物になると私は考えるが、それでも被害に対して同等の対価が得られないと?」
「いえ、一体討ちとることが出来れば恐らく、一年は軍で使えるだけの血は採れるでしょう。そうすれば、軍の情勢も快方へと向かうと思われます。ですが······」
言葉を紡ぐことを少し躊躇うようにミーナは目を伏せ、
「人の命を天秤にかけてまで手に入れるべき代物なのか、今の私には······分かりません······」
ミーナはドラゴンの血を手に入れた日の事が、深く心に残っていた。あの日、自分のせいで大事な人間が一人居なくなるとこだったと。そして、居なくなることがこんな怖いものだと、彼女はあの日初めて感じていた。
それ故の、彼女のこの発言。
あまり軍では見ぬこの彼女の姿に、ハイゼルは整えられた顎髭を触る手も止め「そうか」と力なく呟く。隣の少年も、横目で自然と彼女を気にしていた。
と、そんなやや重たい空気になったことに気付く彼女は、我に返るように、いけない。と思うと、凛とした表情へ顔付きを戻す。
「失礼しました」
「構わんよ」
「ですが、魔法の可能性は信じてもらえたと思います」
「あぁ。そこは十二分に信じるよ」
「では、研究はこれからも続けても問題ない、ということでよろしいでしょうか?」
「あぁ、大丈夫だ。これからも是非、研究に取り組んでくれたまえ。ただ次は――」
彼は温かな微笑みを浮かべると、先のミーナの憂いを拭うように、
「リスクが少ない、君の新しい魔法を期待しているよ」
と、朗らかに笑って場を和ませた。
報告を終えたジャックとミーナは、城中央部――吹き抜けになった大広間の二階から一階へと続く階段を降りていた。
「いやー、人生で一番集中したなぁ」
肩の荷が降りたジャックは、誰よりも意気揚々としていた。隣の彼女は、肩を回し身体をほぐすそんな彼を歯牙にもかけず、凛としたいつもの表情。
「そういえば話の最後で言ってたアレ、結局どういう事なんだ?」
「なに? アレって」
「あの、研究を続けていいとかどうとか」
「あぁ。アレは司令官よりも上の人間に、設立の条件を出されていただけ。最初に軍で使えそうな魔法が作れなきゃ、以降の研究は認めないって」
「なんだそれ。最初から力も貸しちゃくれないのに」
「そうね。でももう気にすることじゃないわ。済んだことだし実用化はすぐには出来ないけど、実際認めてもらえたようなものだもの」
「まぁ、たしかに」
と、そんな会話をする二人だが、知らぬ間に気を張っていたミーナも自分でそう言葉にしたことで、どこか無意識に安堵した表情を浮かべていた。
そんな彼女だが、頭の中はもう、
「ただ、前回の反省も踏まえて、もう少し易しいのにしなきゃ駄目よねぇ」
と、次のことを考え始めていた。
「易しいって、魔法をか?」
「魔法も、狩るモンスターもよ」
「あぁ、またあんなのと戦うってなったら命がいくつあっても足りないからな」
「そっ。だから次はもう少し安全な······」
すると、
「ん? あっ、おい、どこ行くんだよ」
急に、立ち止まったミーナは踵を返し、いま降りたばかりの階段をまた上り始めていた。その何も言わず戻っていく彼女を、ジャックはもう一度「おい」と呼び止める。
足を止めて振り返る彼女は、
「書庫よ。モンスターに関する文献を洗い直すの」
「書庫? それも前回の反省を考えてのためか?」
「えぇ、そうよ」
その時ふと、崩落した通路後でのことを思い出すジャック。
「······じゃあ、俺も行くよ。探したり運んだりするなら、手は多い方がいいだろ?」
ジャックは思っていた事は隠し早足で、階段を上り始めていた幼馴染の元へ向かう。――と、そんなジャックが追いつき、並んで歩き始めた所でミーナが口を開いた。
「当然でしょ」
さっきまでの――司令官へ報告の際の口調とはまるで違い、視線を逸らしてはいつものやや冷たい言い方をする彼女に、ジャックは軽くムッとする。
「なんだよ、当然って」
すると、
「当然は当然よ。私はあなたを"補佐"で選んだのよ? だったら手伝って当然じゃない」
「そりゃ確かに、立場はそうだけどさ」
ホントこういうとこ可愛くねえなぁ。と横目で少女を見るジャックはその事は口にせず、
「別に、たまには素直にありがとうでいいじゃんかよ」
と、溜息を漏らす。それを聞いた彼女はそんな幼馴染を一瞥。
「あら、そう?」
「そう」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「ふーん」
これでこの会話は終わり。と、ジャックはそう思っていた。――が、ここで一つ、ジャックにどうしても気にせざるを得ない事が起きる。
――なんだこいつ、またなんか企んでんのか······?
ミーナがやや前傾で歩いたまま自分を見つめていた。ジャックは前を向き続け、覗き気味にそうしている彼女の視線だけを感じながら視界の端に留める程度に。それは、昔の経験上からくる下手にかかわらないための防衛行動だった。
だがしかし、階段を半分ほど上っても、彼女はまだジッと見つめていた。その不自然とも言える、あまりに長い時間視線を感じたジャックは、堪らず立ち止まり彼女のほうを見た。
「······なんだよ」
すると、そう仏頂面で口火を切るジャックに、彼女はあの――火山へ向かった時のような首を傾げた柔らかな笑みを作る。そして、
「ありがとう。ジャック」
顔を赤らめるでも、恥ずかしさを見せるでもなく、ただ単純に感謝するようなそれだけを言って、彼女は先に階段を上っていった。そのどこか鼻唄が聞こえそうな、彼女の揺れるサラリとした赤い髪をジャックは見ると頭を掻き、
「なんだよ、調子狂うな······」
気恥ずかしそうにそう呟いて、小走りで彼女の後を追いかけた。