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再会⑬

 ——翌日。


「ミーナさん。駄目ですよ、好き嫌いしちゃあ」


 ミーナの顔の前で、フィリカは銀の皿とスプーンを持っていた。


 あちらこちら包帯を巻いてはいるが軽傷で済んだミーナは、大事をとってベッドで臥せていた。だがそこへ昼になった途端、突如馬の如く走って現れた——嬉しそうな顔をするフィリカが目を光らせ、ミーナの食事を給仕係から奪い取るように受け取っていた。

 給仕のおばさんは驚きで目を見開いていたが、自分の仕事が減るならいいか、と軽く溜息をついただけで文句を言うことなく、フィリカにその役目を任せていた。


 そして今、フィリカはその、彼女の食事をお世話している最中である。


「い、いやよ······そんなの」


 だがミーナは、この上なく顔をしかめ、口を真一文字にしていた。


「もう、そんなこと言わずに。ほら、最後の一口なんですから、アーンしてください」


 フィリカの持つスプーンに乗っていたのは二粒のグリーンピースだった。

 運ばれて来たのがシチューということで、ミーナはその瞬間から嫌な予感をしてはいた。残念ながら、その予感は見事に的中してしまうのだが。





 ——十分程前、フィリカが皿をスプーンで軽くかき混ぜた際に、緑の物がミーナの目に入った。それを見た彼女は、あれだけは絶対に食べてたまるかと、頭の中をフル回転させ、なんとかその食材を口に入れない策を講じていた。最初は、


「大丈夫よ、一人で食べれるわそれぐらい。あなたと違って動けるんだから」


 と言って、弱みをあまり知られたくないミーナは、フィリカをこの場から退散させようとした。だが、


「いいじゃないですかー。あの時のお返しですよー」


 と、満面の笑みを作りながら返事をし、頑なに食器を離そうとしない彼女を見て、ミーナは肩を落とし、断念してしまう。


 仕方なく、彼女は次の作戦に移った。食材や料理を作ってくれた人達には申し訳ないが、うっかり滑り落ちてしまった、という作戦だった。


 ミーナは口に含む瞬間「ん?」と言ってフィリカの後方——適当に遠くの壁を見る。それにつられて「どうしました?」と、スプーンを持ったままのフィリカは、その方向を気にするように首を捻る。

 後方を見たフィリカを見て、今だ、と踏んだミーナは、その隙に舌先でピンッ、とグリーンピースをスプーンの外へと弾いた。ちょうど、フィリカの顔が彼女のほうへ向き直ろうとしていた時のことだった。


 少しのシチューを纏い、ヒュルヒュルヒュル······と落ちていく緑豆。


 ごめんなさい······。でも、背に腹は変えられないわ。と、目を瞑り、心の中で謝るミーナ。


 だがその時だった。

 フィリカが恐ろしい反射神経を見せた。


 ——ガタッ!


 その音を聞いて、ミーナは目を開く。

 彼女は戦慄した。


 なんとフィリカが振り向くと同時にかがみつつ、左手に持った皿を地面スレスレまで下げ、駄目になりかけたグリーンピースをシチューの上へとやんわり落とし、見事に救出してしまったのだ。

 それも中身を跳ねさせることなく、どこも汚すこともなく、ただ静かに······。もしこの対象が人であったならば、まさに拍手喝采ものであっただろう。「ふぅ······」と右手の甲で額を拭うフィリカ。


「いやー、危うく食べれなくなる所でしたねぇ······」


 天を仰ぎたくなるような気持ちのミーナは「そ、そうね······」と言うしか出来なかった。なんでこんな時だけ機敏なのよぉ······、と彼女は心底泣きたくなっていた。


 椅子に座り直し、再びあの忌々しい緑の物体をスプーンで掬い上げる彼女。


「じゃ、続き食べましょ?」

「え、えぇ······」


 それからのミーナは次はどうするべきかと、唇でグリーンピースだけを押し出し、それ以外を器用に食べ、啜りながら考える。しかし、それと言っていい策は浮かばなかった。

 ちなみに彼女は、もう一度、舌弾きをしようとはしたのだが、また落ちないようにという警戒からフィリカがジッと見つめていたため、行動に移す事が出来なかった。


 それからも緑豆だけを器用に避けて、人参やタマネギ、ブロッコリーなどの野菜は食べつつ、シチューを口にしていくミーナ。その間もフィリカはやはり、彼女から目を逸らそうとはしない。


 フィリカの手を触るふりをして、手を挙げた際に皿を弾き落とす事も考えたが、流石にそれは彼女が可哀想だと、ミーナの中で却下された案もあった。それにフィリカのことだ。おかわりを貰いにいくだろう。つまり無駄、結局逃げられない、とも思っていた。

 色々と頭の中で試行錯誤はしたものの、やはり良案は見つからなかった。こうなったら嘘をつく以外もはや逃げられないか······、と彼女は溜息をつく。そして、両手で腹を押さえながら顔を歪め、痛みに苦しむ素振りを見せながら、フィリカに目を合わせた。


「······フィリカ、残り食べていいわよ。なんか私、お腹痛くなってきたみ——」

「嫌いなだけですよね? グリーンピース」


 彼女はギクリとする。平静を装いながらフィリカの問いに答えるミーナ。


「な、な、なにを言っているのかしら?」


 だが、呂律が回っていなかった。


「やっぱりそうじゃないですか。それに、ほら——」


 と言って、左手に持つ皿を見せるフィリカ。

 それを見てミーナは目を見張り、やらかした······、と心の中で顔を覆った。


 皿の上には既にシチューも他の野菜もなく、ただ緑の豆が二つ、ポツっ、ポツっと残っているだけだった。


 ミーナはスプーンに乗る豆をどうするべきか考えすぎていたために、フィリカの持つ皿の中身を確認していなかった。

 

 この証拠を突きつけられては、もはやミーナに言い訳のしようがなかった。


「そうでなくとも、途中から気付いてましたけどね?」


 そう。ミーナは嘘を言うのが遅かった。

 唇で弾いてることに、フィリカも最初こそ気付きはしなかったが、その緑の物体だけ何度も何度もスプーンに残ってしまえば、流石の彼女も不自然に思って当然だった。


 空腹を我慢し、最初から嘘をついていればきっと、フィリカは喜んで平らげてくれただろう。だが、ミーナはシチューを食べたかった。その欲が仇となった。


「ミーナさん。駄目ですよ、好き嫌いしちゃあ」


 そして、最初に戻る。

 優しい笑みで、首を傾げながらスプーンを持つフィリカ。

 

 彼女は好意——単純な気遣いから、母親が子供に野菜嫌いを克服させようとするように、なんとかグリーンピースを、ミーナに食べさせようとしていた。


 むむむ······という表情で、ミーナはこの上なく顔を歪めている。


「さぁ、頑張りましょう」


 と、再び満面の笑みでミーナの口の前に、スプーンを差し出すフィリカ。

 ミーナは顔を引きつつ目線を下げ、そのスプーンに乗るものを見た。


 これを食べなくちゃならないのか、嫌だ。でも可愛い後輩にこのままの姿なんて見せられない。


 そう何度も葛藤したミーナは、結果、後者を取った。そして恐る恐る、その二粒の前を潰さないように口に入れた。

 そんな彼女にフィリカから応援の声が飛ぶ。


「もうちょっとです! 丸呑みでもいいですから、頑張ってください!」


 しかし彼女の身体は、舌の上に乗ったそれが喉の奥へ入るのを拒むよう、身体が言うことを聞かなかった。もはや咀嚼をするしか道はないほどに。

 だがここで、ミーナは妙案を閃いてしまう。


「食べました?」


 急に笑みを作って、ウンウン、と声を出さず頷くミーナ。おぉ、と感心するような顔をフィリカはする。


「じゃあ、水の飲みます? 豆の味流すために」


 だが、ミーナは笑顔で黙って、首を横に振るだけだった。

 そこで妙な違和感をフィリカは覚える。

 彼女は怪訝な目で、ミーナをジッと見た。


「······本当に食べました? ミーナさん。口、開けてください?」


 ミーナはゆっくりと、小さく口を開いた。その隙間から中を見るフィリカ。だが、舌の上にはもう、二つの豆はなかった。


 やっぱりちゃんと食べたのかな、と彼女が顔を引いた時だった。フィリカはミーナのある部分に出来た、あるモノに気付いた。それでようやく分かった彼女は鼻で溜息をつくと、呆れたように、ミーナの右頬を指差しながら言った。


「······ミーナさん。頬、妙な膨らみありますよ?」


 彼女は再び肩をビクリ、とさせた。


 ミーナはネズミのように、右頬にグリーンピースを移動させていた。ただ勿論、ネズミと違って、彼女は後で食べるつもりなど毛頭ないのだが。


「もう······そこまでして食べたくないんですか?」


 もはや観念したミーナは、怒られた子犬のような目で、一度頷いた。


 両頬に粒を分けていればフィリカにバレることはなかったかもしれないが、口にグリーンピースを含んだ時点でミーナにそんな余裕はなかった。


 嘆息を漏らすフィリカ。


「じゃあ、もういいですよ。食べないでも」


 ミーナに、パァっと本物の笑顔が戻る。だがそれも、一瞬のこと。それは、その後フィリカが言った言葉が要因だった。


「——た、だ、し、一口は嚙りましょう? 少しでも味に慣れるために」


 それを聞いて、また酷く顔を歪めるミーナ。もはやそれは、野菜を嫌う幼子の顔にしか見えなかった。

 そんな彼女を前にするが、フィリカもそこまで鬼ではない。


「そんな顔しないでくださいよ。思いっきりと言ってるんじゃないんですから。ちょっとですよちょっと。ちょっと豆に歯が入るくらいでいいですから」


 顔を引きつらせ、口を尖らせるミーナだが、もはやそれで、今のこの苦しみから解放されるなら安いものかもしれない、と思い始めていた。


 フィリカは両手に食器を持ちながら、ファイト、という目でミーナを見ていた。逡巡した彼女だったが、いよいよ諦めのような覚悟を決める。


 鼻から深呼吸をするミーナは、一度瞼を閉じると心を落ち着かせ目を開く。

 彼女はキリッとした顔で、目の前のフィリカに目を合わせ、頷いた。そしてそれに、フィリカも頷いて返す。


 ミーナは頬から舌の上に豆を移し、そのうちの一つを奥歯の間に挟んだ。彼女の中で、鼓動が速くなり始める。

 やがて、それがピークに達する時だった。


 彼女の口の中で、ぐにっ、と軽く潰れるようにグリーンピースが嚙られる。


 ジワリと広がる独特の青臭さ。

 シチューの味をいとも簡単に掻き消す、苦味ともえぐみとも言えるような味を彼女の舌は捉えた。




 そしてその味に彼女は!




 ······当然、全身の毛が逆立つような寒気を覚えた。


 手を胸の辺りに上げたまま硬直したミーナ。飲み込むことも出来ず、口を動かすことも出来ず、味を最大限に感じないよう、ただ固まっていた。

 だがついに、一方的に広がり続ける豆の味が我慢できず、彼女は、フィリカの持っていた皿を奪いとると、その中にグリーンピースを吐き戻してしまう。そしてすぐに、台にあったコップの水で口の中を洗い流す。


 ゴクッ、ゴクッ······と何度も水が通る音がする。一杯飲んで、そして二杯目を半分ほど飲んだ所で、ようやく彼女は落ち着いた。


 ······彼女は、涙目になっていた。睨む力も恨む力も失うほどに。

 そんな目を見て、フィリカも悪いことをしたかと少し罪悪感を覚える。


「ご、ごめんなさい······。そんな、吐き出すほど嫌いだとは······」


 ミーナは「······いいの」と、泣きそうな声でボソリと呟くだけだった。

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