再会⑫
憤怒、怨恨、殺意。
ジャックの前にいる黄色の非情な眼からは、それ以外のものは何も読み取れなかった。敬意も尊敬もなく、ただ、獲物を狩る冷酷な眼。
ジャック達に怪我を負わさせはしたものの、やはりドラゴンにとってはその程度のものでしかなかった。
ジャックとドラゴンが眼を合わせてから、時間にしてはそう長いものではなかった。だが、いよいよドラゴンは口を半分開き、狩りの仕度をする。
長剣を抜くジャック。
それが無駄なコトだと分かっていながらも、彼は最後の抵抗を示した。
先程――ミーナを襲おうとした時のように、ドラゴンは大きく、口を開いた。
だが今度はすぐだった。鋭利な牙を生やしたその口は、一気にジャックとの距離を詰めた。
彼の視界が、ドラゴンの口以外見えなくなる。
途端、ジャックの見る景色はスローモーションになった。
じわりじわりと頭に迫る、鋭い牙。彼はそれで、自分の頭が砕かれる想像をしてしまう。
······わるいミーナ。先いくわ。
死を直感した彼は、目を瞑っていた。
············。
「本当に君たちは面白い」
「······えっ?」
いつまで経っても牙に挟まれないことに、ジャックは恐る恐る、固く閉じた眼をゆっくりと緩めていく。
見ると、ドラゴンの口は、彼の目と鼻の先で止まっていた。
そんな視界の端では、黒岩のような大男が、ドラゴンの首元にガッシリと組みついていた。その大男は、ジリッ、ジリッ、とドラゴンを少しずつ後ろへと押し返し、ジャックとの距離を離していく。
「あんた······」
その見覚えのある大男を見て、ジャックは力なく呟いた。そんなジャックに、カシャリ、カシャリと甲冑の音を立てた一人の男が声を掛ける。
「······まったく、ドラゴン相手によくここまで出来たもんだよ」
先程聞いた、ジャックの嫌悪感を催す声。
その声に、敵を前にしながらもつい、後ろを振り返ってしまうジャック。
彼は目を見張った。
「なんで······お前がここに······」
一度見たら忘れないような、燦々と煌めく黄金の鎧。あの日やられた因縁の顔。そしてあの憎たらしい口調。
ジャックには忘れたくても、その憎き相手は忘れられなかった。
「やぁ、ジャック。奇遇だね」
そう。そこに居たのは黄金の鎧を身に纏ったあの勇者——クレスタだった。
そしてドラゴンの首元にいるのは、顔まで鎧で隠した、巨人族のグールだった。
そんな彼に、クレスタは声を掛ける。
「流石だ、グール。そのまま頼むよ」
剣を抜いたクレスタは口を開いたままのドラゴンの前まで行くと、目にも留まらぬ速度で何度も叩きつけるように、ドラゴンの牙を斬りつける。
無謀とも思えるその行為だったが、結果は誰もが眼を疑うものだった。
その剣は、ドラゴンの牙を砕いたのだ。
——ギャアオオオオオォン!!
前歯の一部を破壊されたことにより、ドラゴンはけたたましい悲鳴を上げる。誰が聞いても悲鳴と取れる、耳に突き刺さるような金切り声だった。
あまりの痛みにドラゴンの首が激しく動き、敵を押さえつけていたグールが、橋の縁まで飛ばされる。
首元を解放されたドラゴンは、後ろへと退いていた。しかし逃げる様子ではない。牙を見せながら、痛みに耐えながらドラゴンは、いつ攻撃を仕掛けるべきか警戒をしていた。
そんな中、あの自信に満ちた声がジャックの耳に聞こえてくる。
「ジャック、良いことを教えてあげよう。脳幹って知ってるかい? ドラゴンにもね、眉間の所、脳の中心に脳幹があるんだ。——そうだな······、ちょうどあの割れた牙から一枚、鱗の色が薄いトコに向けていった辺りじゃないかな」
と言って、剣を持つ手と逆の指で、その場所を指し示す。
「そんな場所······指してなんて分かるわけないだろ······」
だがジャックは、下へ向けていた剣を握り直す。それは彼が何を言いたいのか理解したからだった。
――ドラゴンでも、そこを突けば倒せる、と。
ハッキリと場所は分からなくても、ジャックには構わなかった。今はただ、この勇者には負けたくない、その一心だった。
さっきの言葉は弱点を教えると同時に、まるで自分なら出来る。自分ならドラゴンを倒せる。と、ジャックにはそう聞かされているようで仕方がなかった。
ジャックはもう一度、敵を見据えた。
彼から見て、前歯——右の牙が欠けている。
そこから、さっきクレスタが指差していた辺り――貫くルートをイメージする。
「安心しなよ。君が死んでもドラゴンは片付けといてあげるからさ。それに彼女のことだって心配はいらないよ」
遠回しに、ミーナをもらっていく、と言うクレスタ。
「本当に減らない減らず口だな。お前にミーナを渡さねぇよ」
鼻で笑うジャック。
そして、回復しているか分からない魔力を信じて、彼は薬を飲んだ。
「勢いは相手のを使えばいい。だからそれに負けないよう、しっかりと四肢だけは踏ん張るんだ。いいね?」
「簡単に言ってくれるぜ······」
先の魔法でボロボロの身体に鞭を打つような状態だった。しかしここで逃げるわけにはいかない。
ジャックは身体を横にすると膝を少し曲げ、耳元に持ってきた剣の――切っ先を、ドラゴンへと向けた。
そんな彼に、剣をしまいながらクレスタは言う。
「······幸運を祈るよ」
鞘にキンっ、と剣を収めると同時だった。
——グオオオオオオォ!!
咆哮のような唸り声を上げながら、牙を向けたドラゴンが突進をしてきた。
ジャックはただ、イメージしたルートだけを動く的から外さないように、眼光を鋭くさせていた。
——グオオオオオオォオオオ!!
剣が届くまでの距離にくると、ジャックは手足に魔力を込め、全神経を身体の隅々に集中させる。
「うおおおおおおおお!!」
そして彼は斜め上へと一気に、剣を素早く突き上げた。
——ザシュッ······!!
割れた牙の間から、肩深くまで、ジャックの右腕は入り込んでいた。
数秒後にようやく、ジャックの手に、肉を貫いた感触がやって来る。
そこを突けば倒せるとはいえ、やはり、彼は死を覚悟していた。故に、自分が生きていると確信するまで、彼の脳は何も感じていなかった。
そして今、彼の脳は、大地を馬が駆けるが如く、再び動きだした。
「······っはぁ! はぁ、はぁ、はぁ······っあぁ······!」
同時に、止めていた呼吸も動き出す。肩で息する彼の眼前には、白く鋭い二本の牙と、血と野生を滲ませた、獣の匂いがしていた。
ジャックはまだ、真実の実感を掴めていなかった。
恐る恐る、視線を上へと向けていく。
そこには、ドラゴンの目があった。
しかし瞳孔は散大し、死の色を表した黄色い水晶だった。ジャックを見続けてはいるものの、焦点は合わないまま固まっている。
それを見ながら、ジャックはまだ震える手に力を入れ、一気に剣を引き抜いた。
飛び散る鮮血。
口を開いたままのドラゴン。
抜いたと同時に、ドラゴンの身体は左へと傾き始めていた。そしてその巨体は勢いに逆らうことなく、全てを受け入れるように、そのまま全身で地面へと勢いよく、倒れ込んだ。
——ドシンっ············!
ドラゴンは絶命していた。
「······おみごと」
同時に街から湧き上がる歓声。
勝利を手にした兵士の雄叫びは、街中に轟いた。
やった······やったぞー!
すげぇ! 一人で倒しちまったぞ!
あいつってジャックだよな!?
あいつ、あんな凄かったのか!?
そんな歓喜と称賛の渦の中、ジャックはまだ、肩で息をしていた。
「はぁ······はぁ······はぁ······はぁ······」
大きく上下する彼の肩に、クレスタが軽く手を添える。
「やっぱり君達は面白いよ。——でもとりあえず、今はその剣を下ろしたらどうだい?」
そんな彼の声を聞いて、ようやく冷静さを取り戻すジャック。
肩の力を抜いて、呼吸を整える。ゆっくり鼻から吸う空気にはもう、獣の匂いはやって来なかった。
右手に剣を持ったままのジャックは、急に緊張が解けたため、腰から地面へと座り込んでしまう。
剣がカラカラカラ······、と音を立てた。
空を見上げたジャックはもう一度深呼吸をすると、急に少女を思い出し、すぐに身体を後方へと振り向かせる。
クレスタの後ろ——ミーナはまだ倒れたままだった。ジャックは覚束ない足取りで、慌てて彼女の元へと駆け寄る。
その様子を見たクレスタが声を掛けた。
「······大丈夫だよ。気を失ってるだけだ」
怪我も擦り傷程度で、大きなものではなかった。
彼女の側に座って、近くでそれを確認したジャックは安堵し、深く、三度目の息をつく。
「無茶しやがって······。でも——」
そしてジャックは、ミーナの顔にかかっていた髪を、指で優しくかき分ける。
「終わったよ、ミーナ。······やったな」
優しい風が二人にそよぐ中、街のほうからは、兵士達の勝鬨が聞こえていた。