オアシス 後編⑨
「ミナっち、ほんとにこれでいいのか?」
「えぇ、ありがとう」
ザバを出て一時間ほどで運良く、滅多に見ないと言われていたバジリスクを見つけた三人は、結局、フィリカの小銃で麻痺させて生け捕りで持ち帰ることにしていた。そして、雲一つない青空と灼熱の太陽下の現在に至るが、
「けど、牙ってなると捌かなくちゃなんないと思うけどさ、ミナっち、流石にそれは俺かジャックがやろっか? 鶏でも捌くのってやっぱグロテスクだろうし――」
スライが中型魚よりちょっと大きいバジリスクを渡し、頭の後ろで手を組んでそれを言い終えたようとした瞬間だった。ストン――と、三日月のような刃で頭を跳ねられるバジリスク。
「ひぃっ!」
突然のことに、フィリカは顔を真っ青。
帰った頃には日除けのためローブを被っていたミーナが、平らな石の上――そこで、まだ、ピクッ、ピクッ、と僅かに動くバジリスクを躊躇うことなく断頭していた。側に置かれたカトラスの刃には滴る新鮮な血が。
「えげつな······」
ジャックは自分も魔物を殺すことはある上、その命も奪おうとしていたはずだが、若干の頬を引きつらせ苦笑。そして、かつてミーナが蜘蛛を素材にしていたことを思い出すと、こいつってこんなんだったかなぁ······。と、その成長方向に、どこか保護者のような不安を。しかし、そんなことを知らぬ――手袋をした彼女は作業を止める気配はこれっぽっちもない。
すると、バジリスクを渡し終えたスライが、実験器具の足場を抜けてジャックに耳打ち。
「なぁ、ジャック。俺はこんなとこで育ったからあぁいう光景幾度と見てきたけれど、あんな迷いもせず殺る子初めて見たぞ? 胆が据わってるだけならいいけど、いつかお前もあの子にあぁされるんじゃないか?」
と、冗談混じりに。ジャックは「やめろ、演技でもねぇ」と、少しの寒気を覚える。――と、そこへフィリカも囁き。
「私、これからあぁいう生き物がきた時は、司書のほうへ戻っていいですかね······」
「あぁ、それがいいと思う······」
しかし、三人がそんな光景に慄いている中、バジリスクの胴体を空の大鍋に放り、ミーナは淡々と物事をこなしていく。革の手袋をしてはハンマーとナイフでバジリスクの牙を手で引き抜くまでに。
そして、それを軽く洗っては小鉢の中で砕いていく。
あっという間に、粉末状のバジリスクの牙の完成だった。
ミーナはそれを、別で煮込んでいた鍋へ少量放り込む。
すると、液体が白色から灰色へと変わった。
それからも、三人が日陰でひそひそと話しているのを歯牙にも掛けず、ミーナは調合を続ける。数十分、弱火に掛けて水気を飛ばすと鍋の中に張り付くように灰色の粉が現れる。それを匙でかき集めると薬包紙の上へトントンと。
そして――、
「出来たわ」
その紙を手に乗せてジャック達に見せるミーナ。
その顔には、日が昇る前の悩ましい顔は一切ない。
「これが完成形の薬か······」
「へぇー、こんな風に出来んのね」
「これを試すんですよね······? 怖いですね······」
一人は感嘆。二人のほうは、そこで残骸となっているバジリスクの牙入りの“これ“を飲むということに、蜘蛛が入った飲み物の時と同じような抵抗の顔。だが、今回その顔も必要なかった。
「それじゃあ試すわ」
――と、ミーナが自分の口へそれを運ぼうとしたため。しかし、
「ちょ、ちょっと待った!」
それを見たジャックは慌てて引き止める。
「――? なによ」
「いや、それ、ホントに大丈夫なのか······?」
「私の腕を信じてないの?」
「そうじゃないけどさ······」
自分が飲まないとはいえ、蜘蛛の時と素材が違うため別の不安があった。すると、
「あっ、分かった!」
と、すっかり元気になったように手を打つフィリカ。そして、悟った内容をウフフというように口元へ手を当てながら打ち明ける。
「ジャックさんは心配なんですよねー。万が一にも、ミーナさんが石になってしまわないかどうかがー」
すぐにフィリカをキッと睨むが、その後「そうなの」と言う幼馴染の質問に、口を歪ませては目を左右に二、三度動かし、そして小さく頷くジャック。赤い髪の幼馴染は平然とした顔で「ふーん」と、しばらくジャックを見る。――と、ここで、先の自分の発言を顧みたフィリカが「あっ」と訂正を。
「い、いえ! もちろん私も心配ですけど、私はミーナさんの腕信じてますから!」
フィリカは胸の前で両拳に力を入れ、嘘がないことを伝える。ミーナはそれを見て「ふふっ、ありがと」と微笑。そして、ジャックのほうへ視線を戻しては、
「フィリカの言う通りよ、私の腕を信じればいいのよ」
と、久しぶりに見下したような自信満々の顔。ジャックはまだ不満だが、その自信には渋面にとどめるしかなかった。そして、元より自分が飲むつもりである彼女は「まぁ、いざとなったら」とスライに目配せ。彼は「あぁ」とだけ返事。
そうして今度こそ薬を飲むために、胸の前へ薬包紙を持ってくるミーナ。
「それじゃあ、飲むわ」
ジャック以外の二人だけがしっかりと頷く。
それから――ミーナは薬を飲んだ。
微かに、サラサラサラ······と音を立てながら、半分に折り曲げた薬包紙の上の粉を余すことなく。軽く水を飲んでは、ゴクリ、と喉を鳴らした。彼女が自信満々に「大丈夫」と言うとはいえ、やはり、それを見守る三人に緊張が走る。そして、
「どうだ······?」
その緊張が誰よりももどかしいジャックが、いの一番に。
しかしミーナは自分の身体をくるりと改めては、
「まだ、何も······。」
と、疑問の顔。だが「変ねぇ······」と口にしたその時、今まで自然に動かしていたミーナの身体が急に鈍くなる。――と、同時、彼女は思わず言ってしまったかのように「あっ」と口に。
「どうした?」
不安が的中したのではないかと、内心焦り始めるジャック。
だが、その焦りは彼女の後の言葉でさらに増長。
「もしかして、失敗······しちゃったかも······。身体がやけに重たいの······」
すると突然、
「えっ、待って······!」
と、声を荒げるミーナ。
「い、いやっ! 足が動かない! やだっ! 手も動かなく······!」
「ミーナ!」
彼女は自分の両手をおろおろ見ては、ジャックのほうへ助けを求めるように見る。そしてそのまま、手の動きまで止めてしまうと、
「い、いや······いやだ······怖い······。私、石に······なっちゃう······なんて······」
「おい、ミーナ!」
「たすけ······て······。ジャ······」
ミーナは名前を最後まで言い切らずに、瞬きさえ止めて動かなくなってしまった。
「お、おい······大丈夫なんだよな······? おい!」
ジャックはすぐに彼女の元へ駆け寄り、慎重に――だが焦ったように肩を揺らす。
「おい、しっかりしろ! ミーナ!」
だが、ジャックが幾ら呼び掛けても、彼女の焦点はずっと遠くを見つめたまま。僅かに開いた口もそのままだった。
「嘘······だろ······?」
変わらぬ血色で微塵も動かぬ彼女に、ついに言葉を失うジャックは顔を伏せる。そして、
「何やってんだよ······」
と、涙声になりそうな、消えそうな声だけを漏らした。
事実、伏せた顔の目には涙が浮かびつつある。
――が、その時だった。
「······なんてね」
それは後方でも聞き間違えでもなく、紛れもない目の前の彼女の声。目を僅かに潤ませて驚いたジャックは「えっ?」と、ゆっくり顔を上げる。すると、肩の力を抜いたように両腕を下ろし、焦点を間違いなくこちらに合わせるミーナ。
「そんな風に心配してくれるのね」
彼女は城で再会した頃のような、微笑で意地の悪い顔を浮かべていた。しかし、何が起きたのかまだ事態が掴めぬジャック。だが、その笑みを何故しているのかと思うと、すぐに謀られたことを知った。
「いや······嘘だろ······?」
そしてジャックは、勢いよくフィリカとスライのほうを見る。こいつ等もグルだったのではないか――と。
その考え通り、彼等は全く焦っている様子がなかった。
それを見て、いまだ幼馴染の肩を掴んだまま固まるジャック。
「石化ってのはさ、石になるから身体中灰色になるんだよ」
「私も最初は焦りましたけど、ジャックさんに掴まれた時、ミーナさんの指、ピクって動いてましたよ?」
と、完全なグルではなかったが止めようともしなかった二人を見て、ジャックは自分だけが本気で動揺していたことに顔を真っ赤に。
「単純だねぇ」
「いいもの見れましたねぇ」
顔を寄せ合い、ニヤニヤとするスライとフィリカ。
さらに恥ずかしさに襲われるジャック。
やがてそれに耐えられなくなった頃、もう一度ミーナのほうを見るジャック。しかし、彼女は相変わらずの笑みを浮かべていた。
「ふふっ、いい演技だったでしょ?」
と、わざとらしく首を可愛げに傾げて。
だが、当然ジャックの心境は対照的。
その幼馴染の肩に乗せていた手を、項垂れるようにゲンなりと落としては、
「······もう、ホントに石になっちまえ」
小さくそう言い放ち、岩の陰で座って、三人に背中を見せるように身体を沈めることしか出来なかった。
「ジャックー。ミナっちが魔法使えそうだってー。ちゃんと身体動かせるってよー」
「······うるさい」