オアシス 後編⑧
目を覚ましたジャックに最初に映ったのは、白い光に照らされる天井――一面の岩肌だった。
「あれ······。俺、どうしたんだっけ······?」
そう呟いて、ゆっくりと身体を起こして辺りを確認。
岩の中——空間の真ん中には発光する白い石。
見覚えのある家具や棚。
それでジャックは、ここがスライの家だと理解。すると、側で横になっていた彼が、
「お、起きたか?」
と、やや控えめな声で。そのままの姿勢で欠伸をしながら口に手を当てる彼と反対側の位置には、彼の姉――エルシアが眠っていた。
「······俺、どうしたんだっけ?」
「ゴーレム倒してから、気失ってたんだよ」
時間が飛んだように記憶がないジャックは、眉間に手を当て、思い出せることから一つずつ思い出していく。
「確か、剣を振り下ろそうとしたらゴーレムに飛ばされて、お前とフィリカがきて······そんでお前が槍で核を壊して、それから············あっ、そうだ! ミーナは!? あいつは! うっ······いてててて······」
「急に動くなって。フィリカちゃんが治癒してくれたとはいえ、まだ怪我してんだ。そんなんじゃいつまでも治んねぇぞ?」
そして身体を起こしたスライが、側のリュックに掛けてあった水筒を手に取ると下手に投げる。
「ミナっちはまだ調合中だ。扉を出たとこにいるから行ってこい。――あぁ、でも、部屋出る時はそっとな。姉貴怒るとすごい剣幕だから。寝起き悪りぃし······」
「あ、あぁ······」
ジャックは、その姉を一度見てから、水筒の水を少しだけ飲み、残りは後で飲むか――と、静かにそれを置いて立ち上がった。
同期の彼が言う通り、ミーナはすぐに見つかった。
東の空が薄っすらと明るくなる中、長い髪を下ろした――ケープを纏う彼女は、小さな炎を幾つも周りに並べて、胡座で、持ち上げた試験管を覗いていた。その彼女の下ろした長い髪は曙と炎の明るさからか煌めいて見える。しかし、その煌めきとは裏腹に、彼女の顔はどこかスッキリしない顔。
まだこちらに気付かぬ――魔方陣の中心に居るような彼女の元へ向かうジャック。いつも研究部屋で見てきた――砂の上に散らばる実験器具を避けながら歩いた。
「どうだ、調子は?」
ようやくチラと、こちらに目を配った彼女は「起きたの」と素っ気なく口にしてから、再び、革の手袋越しの試験管へ視線を移す。
「薬は見ての通り。いけると思ったけど、何か足りないわ」
「そっか······」
ジャックは、彼女の側に不自然に空いたスペースに座る――と、ふと近く、さっきまで死角となっていた場所に人影を発見。揺らめく炎に仄かに照らされるその顔は、よく見覚えのある顔だった。
「あの子、あなたの治療がある程度済んでから、ずっと私に『キュア』を施してくれたの。おかげで私はほとんど綺麗さっぱり、傷はもう癒えちゃったわ」
「そりゃ良かった。自分では掛けられない魔法だからな」
「えぇ。だから、今は寝かせてあげて」
「あぁ」
しかしジャックは立ち上がると、スライの家にL字にもたれて眠る――彼女のほうへ。そして、掛けられていたローブをそっと直してから元の場所へ。だが、戻ってからは沈黙。実験器具のぶつかる音と、くつくつと煮える音だけが響く。
「······邪魔だったら帰るけど」
「いいわ。どうせあんたなんて、居ても居なくても変わらないから」
「もう少しマシな言い方しろよ······」
とはいえ、表情は現状によって芳しくないものの、悪態つくほど元気になった幼馴染を見てジャックは安堵。先の言葉に嘘はないようだ――と、ひっそり抱いていたものも杞憂に。
そうして幼馴染の許可も得たため、側で胡座のジャックは自分が気を失ってからのことを尋ねる。
「――で、俺、ゴーレム倒してからの記憶ないんだけど、あれからどうなったんだ?」
ミーナは「そうね」と相槌を打ってから、
「日が沈むほんの少し前に遺跡を後にしたわ。それから無事ザバに着いて······ずっとこんな感じ。フィリカは私達の治療で、あなたを背負ってくれた彼は、材料を集めるのにザバ中を奔走してくれた」
――と、作業の手を止めることなく言った。ジャックはそのおおよその成り行きが見えたためこれ以上は尋ねず、全くこちらを見ぬ幼馴染に「ふーん、そっか」と言って話を戻した。
「それで、その“何か“が足りないと薬ってのはどうなんだ? 効果が出ないのか?」
「いえ、効果は出るわよ」
「――?」
「ただ、自分の魔力と混ぜた途端にスルリと消えちゃう感じ。だから、魔法そのものは未確認のまま」
「あぁ、そういうこと」
「恐らく、魔力が加わると身体への吸収が早くなるだけなんだけど、その吸収を妨げてくれる“何か“が見つからない状態。配分を変えたり、身体に溶けるのを遅らせる素材を入れてたりしてるけど全部同じ結果。あと、その課題を乗り越えるだけだから、手当たり次第ここにある素材を試してるんだけど······」
ミーナは小鍋に入った粉を匙で集めてそのまま試飲。しかし、口を尖らせては不満の顔。「どれが足りないのかしら······」と、ぶつくさに苛立ちを漏らす。
「これも駄目ね。はぁ、こういうのは性に合わないわ」
「手伝うか?」
「いいわ。あなた、器用で地道なのは出来ても、計量はゴミだから」
この野郎、随分ストレートに言いやがる······と、ジャックは目を細めるが、振り返ると全て事実のため何も言い返せず。過去に、ある材料の粉を器からこぼしたり、その粉末をクシャミで吹き飛ばしたことがあった。それから当然、彼女に「もう触らないで」と怒られたが――それはさておき。
小鍋へ新たに材料を混ぜていく――そう言った彼女が、珍しくそれ等を雑に扱っていることにジャックは気付く。
「何も出来ない俺が言うのもなんだけどさ、んな焦んなくていいんじゃねぇのか? まだ、誰か倒れてるわけでもねぇしさ」
――と、ジャックは村を見回しながら言うが、
「そんな悠長なこと言ってられないわ。私達はずっと水を飲んできたからいいけど、エルシアさんがくれた水見たでしょ? 少し水筒に入れても余ったとはいえ、元々入っていた量はあと一日持てばいいほうだったんだから」
やはりこちらを見ず、作業を続けたままのミーナはやや叱りの声。だが、彼女はその理由を淡々と続ける。
「今日のまた日が沈む頃には、どこの家も同じようになる。ザバの人達は代わる代わる今も泉を掘っているけど、このまま水が戻らなければ、日が昇っても泉を掘るわ。そしたら、日中に身体を動かすわけだから水の消費もあっという間。もしかしたら、泉を掘る人の水は誰かが補填してるのかもしれないけど、それが今日の夜まで続くとも限らない。いえ、続かないと思うわ。同じ貯水で同じ消費量なら。······たとえ、ザバの人等がみな家族のような関係だとしても、本当に死地に追い込まれた時、やはり一番大事なのは自分と側の家族になるはず。だから、もしそうなった時、それでも誰かが水を欲しがったとしたら、諍いが起こらないとも限らない」
それから彼女は、ようやくこちらをしっかりと見て、
「そんなの嫌でしょう?」
と、また作業のほうへ。
「······」
そこまで考えていた幼馴染、そんな大事な水を分けてくれたスライの姉に、気付かされジャック。そして、それを考えずその水を平然と飲んでいた自分にやや反省。
「お前がそこまで考えてたんなら、何か言うのも悪いな」
「別に、元々私は私のやりたいようにやってるけど」
「へっ、よく言うよ」
そうして、立ち上がるジャック。
「ちょっと俺の水筒取ってくる。薬作るのにも水必要みたいだしさ、どうせなら使ってくれよ」
「嫌。試薬作る度あなたと間接キスみたいじゃない」
「そこまで考えてねぇよ······。ってか、微妙に傷付く······」
せっかく奮起したのにどこか出鼻を挫かれるジャック。しかしともあれ、
「まぁ、俺が戻るまでの間くらい休憩しとけよ。どうせ、ずっとそうなんだろ?」
「いい、必要ない。水も休みも」
「五分も掛かんねぇよ。そんくらい支障ねぇだろ」
「ある」
「それにほら、考えすぎも良くないって言うし、案外リラックスした時って頭冴えるだろ?」
「私はいつでも冴えてる」
「嘘つけ。······まぁいいや、そんじゃ行ってくる。俺が戻ってくるまでの間、ぼーっと考えてその減らず口と頭冷しとけよ。その辺の石みたいにでもなってさ」
と、皮肉のように、へっ、と言うジャックは、器具を避ける足を進ませようとする。
――が、しかし、
「······ねぇ、あなた。今、なんて?」
突如、作業する手を止めた幼馴染の静かな声。それは、直近で言うなら、船で夢から覚めた時の『ねぇ、それってどういうこと?』の怒り出す前にも似たトーン。それを咄嗟に思い出すジャック。
「あ、いや······別に、何にも······」
前言撤回するようたじろぐ。だが、
「石にでもなっとけって言ったわよね?」
「あー、いや、どうかなぁ······。言ったとしても、そこまでキツくは――」
「言ったわよね?」
「······はい」
上からでは、俯き気味の顔に髪が掛かって表情を読めないのが、より従わせるのに拍車を掛ける。
そして、黙って立ち上がるミーナ。
ジャックは、あー、またやらかした。ついにビンタでもされんのか? いや、流石にこいつでもそれは······。と、心で思いながら、肩身を狭くして彼女の反応を待つ。
「······」
沈黙の槍が、ブスブスと刺さるような居心地。
早く解放されてぇなぁ。と、ジャックは願う。
だがすると、
「それよ」
顔を上げた――深紅の双眸が、真っ直ぐに煌めいていた。
「······は?」
彼女が怒ってないと知るジャックは思わず、間抜けな声。
だが、詰め寄るようなミーナは違った。
「だから、私が石になればいいのよ!」
「いや、全然意味わかんねぇんだけど······」
「だ、か、ら! “バジリスクの牙“よ! 薬が早く吸収されちゃうなら、その吸収しちゃう身体のほうを変化させればいいってこと! なにも、薬自体の吸収を遅らせる必要なんてなかったんだわ!」
と、勝手に言って、再び座って作業に取り掛かるミーナ。それを呆然と見る立ったままのジャックだが、これから彼女がしようとしてることを理解すると、
「いや、お前、そんなの混ぜて石化······だっけ? そんなことになったらシャレにならんだろ。いや、石になれば逆に飢えない気もするけどさ······」
「だから配合し直すのよ、それを混ぜても影響がないように。――あぁ、そうだ。フィリカとスライを起こして。バジリスクが見つからなきゃどうしようもないわ」
「でもお前、さっきフィリカは寝かせてあげてって――」
「知らないわ、そんなの」
「おい」
ジャックは目を細めるが、道筋を見つけた時の幼馴染の様子は散々見てきたため、こればかりは「はぁ、しょうがねぇな」と溜め息をついて、とりあえず地帯の外へ足を動かす。
そして、ミーナの実験器具の足場を抜けた頃、
「スライには石化を解く配合も教えてもらわなきゃならないわ。それから三人で、バジリスクの牙を手に入れてきてちょうだい。フィリカの『サーチ』があれば早く見つかるかもしれないし、ここへ帰ってくるのに彼は必要だから」
「なんかそれだけ聞くと、俺、必要ねぇみたいだけど······」
「ちゃんとあなたにも役目はあるわ。バジリスクを見つけて走ること。そして仕留めるの。彼の投擲でもいいけど、もし目標があまりに遠かったり障害物があるようなら、あなたが走った方が確実だから」
「んー、なるほど」
「あの子の銃を借りて一旦麻痺させてからが、一番安全で確実だと思うわ。今のところ私の中では牙だけでいけると思うけど、今回みたいに、もしかしたら牙以外も必要になるかもしれないわ。だから、バジリスクは丸々持って帰ってきてちょうだい。生け捕りでもどちらでも構わないから」
「オッケー。麻痺が通じなかった時は、剣で仕留める」
「えぇ、それでいいわ」
そうして「じゃ、とりあえずスライ呼んでくるわ」と、ジャックはフィリカを起こすより先に、彼の家へそっと入っていく。ちょうど、静まり変えるザバに陽射しが入る頃だった。