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最初の魔法⑥

「それで······」


 そこで言葉を切る彼女は、ジャックの腕を掴んで岩陰へと引っ張った。半ば強引に立たされる形となったジャックは「なんだよ」と少し怒るように口にして言っては、同じように岩に背をつける彼女へその続きを言おうとする。が、それよりも先に自分の腹の辺りへ差し出される彼女の手によって遮られる。


「ん?」


 地面に掌を向けたその小さな右手に疑問を抱くジャックは、今さらファイト、オーなんてやんのか? と、全く見当違いだと分かりつつも思っては、彼女の顔へと視線を戻した。


「あんたが血を取りに行く際の合図。タイミングは『アレ』を使うわよ」

「アレ?」

「昔やったでしょ? 覚えてない?」

「いや、心当たりが多すぎて」

「悪戯する時よくやったやつよ。見張りと二手に別れて」

「悪戯で? ······あぁ。『アレ』か」


 彼女の“悪戯“という単語で、その『アレ』をやっと理解するジャック。そんなこともあったなぁ、と郷愁の念をジャックは覚えるも――今はさておき。


 やろうとしていたのは、魔法『コンタクト』だった。


 これはミーナが小さい頃、魔力だけで治療以外に何か出来ないかと考えた編み出した魔法の一つ。


 術者と術者が手を重ね、重ねた所に互いが魔力を送ると相手の頭の中へ話しかけることが出来る魔法で、片方が魔力を切るか魔力が尽きない限り、喋らずとも数十メートルの距離(使用者によって誤差は出るが)話せる――というものだった。


 所謂、魔力による思念の結合。


 しかしともあれジャックは、出来っかなぁ。と、彼女と再開するまで魔力を使う機会など一度もなかった少々の不安からで頬を掻く。だが、躊躇っている時間も試す時間もないと思うと、仕方なく手を出した。


 差し出された右手の上に、その左手が重なる。

 そして、互いの手が重なって数秒後。


 ほんの一瞬だけ、二人の手に光が瞬く。


 魔法が上手く発動した証だった。

 手を離す二人は、閉口したままの相手の顔を見た。


(聞こえる?)

(あぁ。聞こえる)


 確認も踏まえて魔法を通して二人は会話をした。が、ジャックはすぐに口を開いた。


「やっぱこれ、頭に直接響くから苦手なんだよなぁ」


 直接鼓膜を揺らすような、誰かに憑依されたような、身体の中にもう一人存在しているような、久々に感じる妙な感覚に文句をつけるジャック。だが、彼女のほうはそのどちらにも歯牙にはかけず、


「つべこべ言わないの。今のあなたの魔力からして十分くらいしかもたないんだから、さっさと片付けるわよ」


 そう言うとミーナは慣れた手付きでそそくさと、腰に巻いてあった革袋から栓付きの小瓶を出してはそれをジャックに差し出した。それはジャックの担当――つまり、これに血を溜めろ、ということだった。「はいよ」と受け取るジャックは、すぐに取り出せるようズボンの左ポケットへとそれをしまった。


「それじゃ私は先に行くわ。あとは『コンタクト』で」

「あぁ、気を付けろよ」

「あなたもね」


 そして軽く互いにタッチ。


 そうして、ドラゴンの位置を確認しては岩陰から飛び出すミーナ。彼女はピンで留めた赤い髪を揺らしながら、右斜め――ポイントの岩へと走り出して行く。その様子をジャックは岩陰から見守る。


 突如、姿を現した少女の影に、すっかりドラゴンは注意を奪われていた。しかし漫然としていた琥珀の眼がしっかりとミーナを捉えたのは、彼女が走り出して四、五秒のこと。一瞬ピタリと動きを止めるも、そうして探している獲物だと認識したドラゴンはすぐさま巨体を動かし、彼女の後を追いかける。


(行ったぞ)


 気付いてはいると思うものの、ジャックは念のため彼女へ連絡を送る。そして彼女は振り返らず返事。


(えぇ。それじゃあ離れすぎないよう、でもバレないよう慎重についてきて)

(オッケー)


 ジャックも岩陰から静かに飛び出し、体を低く屈ませては息を殺すようにミーナ等の後を追った。





 彼女は小さなアクシデントもなく、予定の場所へと辿り着いていた。後追いのジャックも予定の場所へと辿り着き、その旨を、岩で姿の見えぬ彼女へ伝える。


(こっちも位置についた)

(わかったわ)


 ミーナは彼と向かいの岩で、ドラゴンの鼻先だけを見ては敵の位置を確認しつつ、岩をぐるりと周回するように身を隠していた。


(それじゃあ私が気を引くから、合図をしたら尻尾へ向かって)

(あいよ)


 諾了だくりょうしてから、でも気を引くってアイツどうすんだ? とジャックは思うが、今さら引き留めるのも彼女の気を逸らしかねないため、下手に行動せず、今は彼女を信じてその時を待つことにした。


 ドラゴンの口から漏れる息と、地面を擦っては身体を揺らす生物の音だけが、岩を通してジャックに響く。あの牙を閉じる音だけは聞こえませんようにと軽く願いながら、瞑目して、向こう側に聞こえる音に耳を済ませ、ただひたすらに待った。


 そうして待つこと十数秒。

 その声は突如響く。


(今よ)


 ミーナの声が頭蓋の芯へと響き、半ば虚ろだったジャックの意識を一気に覚醒させる。虚ろから覚めた彼はすぐさま翻るように岩から屈みつつ身を出し、素早く岩の裏へと駆けていく。


 駆け出してすぐ目に入る、赤黒い鎧。


 目標とする部位はそれより近くで、宙を泳ぐようにゆっくりと意志を持って揺れていた。


 ジャックは音を立てぬよう息を殺して、さらに近付いていく。


 途中「コツっ、コツっ」という音が耳に聞こえ、ジャックが視線を移すと、向かいの岩の端――左側では茶色のケープが揺れ、右からは石がひょいと度々飛び出しては転がっていた。


 ジャックは、単純な······。と思うが、それを見る相手はすっかり首を左右へ振り、惑わされていた。そしてそのおかげで、一応は生き物か、と思うジャックは微かに揺れる尻尾へと無事辿り着いた。そうしては、腰に携えたナイフを右手で静かに引き抜く。


(鱗を持ち上げて隙間にナイフを······)


彼女の説明を思い出しながら刺激しないようゆっくり、左手でドラゴンのその重厚な片鱗を持ち上げる。


 ジャックはその隙間を覗く。


 なんとかナイフが入るほどのその隙間奥には、根のような血管を張り巡らせる赤い皮膚が見えた。鳥のような皮膚は脈打つとともにギラついて、まるで炎が巡るように血管を浮かび上がらせる。


 その光景にジャックは感嘆。


 だが、そんなことに囚われている場合ではないとすぐに思うと目の前へ集中。いつ相手が気付くかも分からないこの状況。当然、事を早く終わらせる必要があった。


 ジャックは右手に持つナイフを、慎重に隙間へと入れていく。が、皮膚へと当たる直前でその手を止める。ジャックは悩んだ。


 ――軽く切るべきか、一気に刺すべきか。


 ドラゴンの生態を調べ尽くしたであろうミーナに、相談することも一瞬考えるが、こればかりはアイツに聞いても分かんねぇだろ。と、ジャックは直ちにひとり決断。隙間から刃先を引き抜き、逆手にナイフを持ち直しては喉を鳴らす。


 ――そりゃ、この隙間なら刺すほうだろ。


 そう意を決したジャックは、尻尾が止まる時を見計らっては右手を振りかぶるタイミングを窺う。自分の腰の辺りで揺れるそれに合わせては歩みを左右へ動かし、強く触れないように。


 そして、それはすぐに訪れる。


 不意に止まった尻尾にジャックは思わず胴が当たりそうになるが踏みとどまると、左手で持ち上げたままだった鱗をもう一度だけ少し持ち上げる。その隙間をしっかりと捉えると、右手のナイフをゆっくり顔の横まで。


 ――大丈夫······。


 そして、自分の鼓動を聞きながら、ジャックはドラゴンの尻尾が揺れぬことを確認すると、その刃を矢のように勢いよく振り下ろした。ヒルトが鱗に多少擦ったものの止まることなく、鱗と平行になったナイフの刃先は、風を切って真っ直ぐにその炎だけを目掛けていく。


 直後、刃が肉へと入り込み、その感触はジャックの手に伝わる。兵士の訓練でも感じたことのある、刃が生命へ触れた時の気味が悪く、そして鈍い感触。


 その手応えを、ジャックは確かに感じた。

 確実に傷を追わせた――と。


 だが、それと同時だった。


 一段と大きいけたたましい咆哮と共に、魔物は暴れ出した。


「うっ!」


 暴れ出した尻尾が、ジャックの鳩尾へと深く入る。刺さったままのナイフから手を放したジャックはそのまま吹き飛ばされ、背後の岩へと背中から激しく衝突。岩へ叩きつけられ「かはっ」と、肺を鈍器で殴られたような強い衝撃に、反射的に息を漏らした。


(なに!? どうしたの!?)


 意識を失いかけたジャックの頭に、不安を滲ませた少女の声が鳴り響く。乱れては入るものの、なんとか正常の呼吸まで息を取り戻すと、ジャックは鳩尾付近を押さえながら弱々しく、頭の中の声へと答える。


(ちょっと、尻尾にやられた······)

(大丈夫なの!?)

(あぁ、なんとか······。でも、それより······こっちのほうがやばい。かなり怒らせちまったみたいだ)


 ジャックが「こっち」と言う相手――ドラゴンは、眼に血を迸らせ彼を睨みつけていた。琥珀に浮かぶ黒の瞳はより細まり、激憤に満ちたその双眸は、思わず竦んでしまいそう威圧感を放っていた。


 その眼に睨まれるジャックは、膝が震えそうなのを堪えながら、しっかりしろ、と必死に自分を鼓舞した。


 今まで地面に映るドラゴンの影を見ては、相手の様子を確認していたミーナは既に岩から顔を出し、石を投げ当てては少しでも、と敵の注意を引こうとしていた。だが無情にもコツ、コツ、と軽い音だけが響くだけで、怒りを頂点へと上らせた敵は全く振り向く素振りを見せなかった。


 鷹のような脚が徐に地面から離れ、重々しいその巨体が一歩前へと進む。

 

 ジリジリと距離を詰め寄られるジャックは、ドラゴンが一歩進む度三歩下がるが、その踵はすぐに後ろの大岩へと触れる。背後が断たれていることを知らされる。


 ――くそっ、どうする······!


 ドラゴンが一瞬でも視線を逸らしたなら、すぐにでも足を動かせるのに。とジャックは思うが、だが、蛇が蛙を睨むように、兎を狩る虎のように、強者は弱者を仕留めるその眼を緩める気配はなかった。


 やがてドラゴンの大口が開かれる。


 いよいよ来るか。と、ジャックは直ぐにでも横へ飛べるよう足に力を入れる。が、その時、最初に感じた――死の直前とはどこか違う妙な感覚をジャックは覚える。なんだ? と心の隅で、最大限の警戒を解かずに思うが、しかしそう思ったのも束の間、違和感の正体はすぐに判明する。


 凶悪な大口を開き、深く大気を吸ったドラゴンの喉の奥。

 奈落のようなその闇の奥で、突如、赤い光は生まれた。


 それは瞬く間にその闇を埋めつくし、行き場を無くすと光は放たれた。この火山に広がるマグマのような赤い光。その光――その渦巻くような猛々しい火炎は、ドラゴンの吐く息と共に激しく放出をされていた。


 ジャックは思わず目を見張っていた。しかし咄嗟に左へと跳び、攻撃を回避。しかし、その炎は最大限警戒していたにもかかわらず、少年の右腕をなぞるようにかすめた。


「――っつ!」


 顔を歪めて焼ける痛みに耐えながら、左へと転がるジャックはすぐに態勢を立て直し、そのまま岩陰へと走り隠れる。そして、まだ燃えていた服の一部を岩へと押し付け、消火を図っては「うぁっ!」と歯を食いしばる。


 (ジャック! 大丈夫!?)


 ジャックは、はぁはぁ、と今までとは違う汗にまみれながら、袖の炎が消えたのを確認しつつ、


 (あぁ······。炎まで吐くなんてのは、驚いたけどな)


 と、姿の見えない彼女へ応答をする。しかし、焦げた袖の間からは赤い腕が顔を出し、その所々が焼け爛れていた。


 ジャックは右腕からの消えない熱に堪えながらも、背後に潜む敵の気配を感じ取る。大きく静かながらも怒気を孕んだ呼吸。それに加え、コツ、コツ、と硬い何かに弾かれては落ちる皮肉的な音が耳に届く。


 ジャックはもう一度自分の腕を見る。


 ――あぁ、こんな状態で近寄るなんて無理だな······。一旦退くか。


 腕を押さえるジャックがそう思う最中、突如、ドラゴンの呼吸が止んだ。怪訝に思ったジャックはゆっくりと、敵の様子を窺おうと、岩の端から静かに覗き見るように顔を出す。が、


「――っ!?」


 口を開き、またあの炎を吐くドラゴンの態勢が目に映り、ジャックはすぐさま岩陰へと身を隠す。直後、隠れている岩の左右を、赤にも似たオレンジの炎が駆け抜けた。


 そしてそれは最初よりも長く、絶えることなく。


 孤立するジャックは、左右に広がる熱気を浴びながら、なんとか道はないかと逃げる算段を考える。――が、無情にも左右、そして前方は別れた炎が繋がり退路を塞いでいた。


 そんな状況を既知しているかのように、


(駄目! 全然振り向いてくれない!)


 ミーナはまだ石を拾っては、自分のほうへ気を引こうとし続けていた。


(落ち着けって。まだ逃げられないわけじゃない)

(でも――)

(相手だって息くらい吸う時あんだろ。その時走り出すさ)


 焦る彼女の声とは裏腹に、長い炎の後に僅かに途切れる間を観察していたジャックは少しずつ冷静さを取り戻していた。消えた呼吸はより長く炎を吐くための、ドラゴンの準備動作だと予測して。


 それは確証に近いものだった。だが、ジャックが今すぐ走り出せないのは別の理由があった。たとえ呼吸の合間を縫った所で長い炎が来なくなるだけで、()()()()()()()()()確証がないからだった。()()()が走るより速く広がるその攻撃は可能な限り避けねばならなかった。


 と、そんな時、先より落ち着きを取り戻した少女の声がジャックの頭に響いた。


(じゃあジャック。あなた、そこから逃げられるの?)

(あぁ、多分な。炎が止んだ隙にちょっと顔出して、逆から逃れば別の岩にくらいは)


 自信はなかったが、幼馴染を不安にさせないようにジャックはそう言葉にした。それに、これが現状の最善手だろう、とも彼は思っていた。――が、


(そう······)


 安堵のような思い詰めたような声をジャックは聞いた。


 どこか違和感を覚えたがジャックは、とりあえずお前は先に通路行ってろ。と『コンタクト』を通して言おうとした。が、彼女のほうが僅かに早かった。


(ごめんなさい。じゃあもう少し。もう少しだけそこで我慢してて)


 既に撤退のほうへと思考を進めていたジャックは、おい、なにするつもりだ。と、言いかけて不安を浮かべる。そしてすぐに、向こう側の景色を想像しては、まさか、と頬を引きつらせた。


 一度は確かにあったことだが、二度目は嘘であって欲しいと願うジャック。だがそれは二度目も、


(今から血を採るわ)


 彼女のこの言葉で真実となる。


(はぁ!?)


 構えはしていたが、彼女のその無謀な発言にジャック声を上げた。


 今のドラゴンはあの走っていただけのドラゴンとは違う。完全な敵意を持って自分達を攻撃しにきている。ジャックはそう一つ一つ言いくるめるよう彼女を叱責しようとした。だが同時に、長年の空白があったとはいえ変わらぬ性格を目の当たりにしているジャックは、もう行動してるよな······。と、諦めの念が過ぎ、それ以上何も言えなくなった。そして、


 ――頼むから気を付けてくれよ······。


 魔法でそう伝えず祈ったジャックは、右腕を抑える左手に自然と力を入れていた。





 ジャックが逃げられる事を確認したミーナは、ドラゴンへ刺さったままのナイフへ近寄ろうとしていた。岩の端から覗く彼女の瞳に映る景色――そこには、刺さったナイフの柄から深紅の血が、ポタリ、ポタリ、と、少し早く時を刻むようにこぼれていた。


 一度岩陰へ隠れたミーナは、ジャックに渡したのとは別の――予備の小ビンを革袋から取りだすと、木栓を開け、軽く息を呑んだ。そしてそれを握りしめたまま再び顔だけを出し、ドラゴンが岩向こうの少年へ気を取られていることを確認すると、そっと岩陰から身体を出し、音を立てぬようそろそろと、気配を殺して尻尾へ近付いていく。


 ミーナはすぐ目的の部位へと辿り着く。


 そして、左手に収まるほどの小さなビンをそっと、定期的に垂れる赤い水滴の下へ伸ばす。運良く有り難いことに、炎を吐いてる間のドラゴンは尻尾もほとんど動かさずにいた。


 ただそれでも、容器から外れる滴は幾らかあり、それがふとミーナの手に付く。


 たった一滴ではあったが、手に落ちた瞬間、それはどこか皮膚が沸き上がるような熱い感覚をもたらした。すぐさま不安になったミーナは咄嗟に右手でそれを拭う。――が、不思議なことに、その感覚はそれだけで消えていた。火傷のような痕もなく、皮膚が赤くなってもいなかった。


 ミーナはそれが、ドラゴンの血()()()()による刺激的特徴だと分かると、炭酸が触れたようなものか。と、胸を撫で下ろす。


 そうしてもう一度気を取り直し、今度はたとえ手に血が付いても気にせず、小瓶に収まるそれを横から眺めた。


 ――もう少し······。


 ドラゴンは依然、少年のほうに囚われていた。

 しかしその時、ドラゴンが少し右へと動く。


 同時に尻尾も動いたため、ミーナは刺さったままのナイフに不意にも触れそうになり心臓が飛び出しそうな思いをした。――が、それでも身体を反らしてはなんとか避け、同じように右へと動き、ドラゴンの後方をなんとか維持した。


 何故、火を吐いたままのドラゴンが動いたのかとミーナは思うが、それは岩向こうの幼馴染を追うためだと分かると、いつでも逃げられるようにしていた身体を元へ戻す。そして採取を再開。――と、その時。


(ミーナ、まだか?)


 痺れを切らしたその幼馴染から連絡が来る。

 彼は不安と焦燥の声だった。


(まだ。でも半分は越えたわ)

(それだけありゃ十分だろ)

(駄目。次に採れる機会なんて分からないんだから、採れるだけ採らせて)


 ミーナは、彼の溜め息が聞こえてきそうなのを魔法越しに感じるが、意思を変えることはなかった。そして、


(わかったよ)


 彼はそれだけ言って会話を切った。今は集中したいため何も言わずにいてくれるのはありがたい。と、ミーナは、あれこれ文句を言いそうな性格の彼に軽く感謝。


 ミーナは作業を続ける。

 

 ――あとちょっと······。


 空白を埋める血が早く溜まって欲しい、と気持ちが逸り、ミーナは右手指先を叩きたくなる。が、しかしここは何としても堪えねばならない。と自制。


 己で無駄に揺れを生み出し、時間を浪費するなんて愚行は許されない。堪えることこそが最速の手段。


 ただ、それを頭で理解しているからこそミーナは苛立ちを感じ、時間が早く過ぎて欲しいという衝動を人生上この上なく、神経を張り巡らせながら痛烈に感じていた。


 だが、長いこと我慢したその甲斐あって、


(··················やったわ!)


 すぐさま右手の薬指と小指で持っていた木栓で蓋をして、ミーナは岩陰へと走り出す。息が詰まる思いから解放されたミーナは安堵から自然と肩で息をしていた。


 そして呼吸を整える最中、


(よし! やったな! もう忘れもんないだろ?)


 頭に響く、その幼馴染の声を聞いてミーナは視線を自分の手に移し、その手の内に収まる――真っ赤な血の小瓶を見る。そしてそれを見て、私達は目的を達成した。と、ミーナは改めて実感。天を仰ぎ、微笑んだ。


(大丈夫よ。撤退しましょう)

(あぁ。俺もすぐ行くから、お前は先に通路に逃げてろ)

(わかったわ)


 そうして、もう一度だけ気を引き締めたミーナは腰に提げた革袋へ急いで小瓶をしまうと、静かにそこから走り出した。





 炎が消えた合間に広がる景色の中で、通路へと走る少女の姿を発見したジャックは、その動向を見守っていた。


 そうすること一分弱。


(ここまでこれば、私は大丈夫よ!)


 通路の側まで行った彼女がランタンを持ち、右手を大きく振っているのが目に入った。ようやく一度胸を撫で下ろすジャックは、わかった、と魔法で返事をすると、次は自分だと深呼吸をする。


 ジャックの右腕に蠢く熱は、いまだ冷める気配はなかった。むしろ悪化の一途。汗が滂沱ぼうだとするほど暑いはずのこの場所で、加えて熱い炎に囲まれながらもジャックは寒気を感じていた。恐怖による震えもあるがそれによる影響は、手先を自然と震わせてしまうほどだった。


 そのことに気付いたのは安堵した直後のこと。しかしジャックは怖じ気づくのではなく、まだ休めねぇぞ、踏ん張れ、と、己に何度も言い聞かせる。それは、決して自分を鼓舞するだけではなく、自分の状態と真っ直ぐに向き合うのが怖かったジャックが、崩れそうな己の精神を誤魔化すための、上辺だけの鎮静剤の意味もあった。


 そして、呼吸を整えたジャック。


(オッケー。俺もすぐ行く)


 その鎮静剤から覚めてしまう前に行動に移る。気を付けて、という小さな声がジャックの頭には聞こえた気がした。


 ドラゴンは相変わらず炎を吐いて、ジャックをそこへ立ち止まらせていた。どれだけ吐き続けられるんだよ、と取り留めのないことを思いながら、ジャックは左右の炎が止むタイミングを見計う。


 あの彼女が採取をしている最中、ドラゴンが長く二回炎を吐いては一度息をつき、また二回吐いては息を吸っていることに気付いたジャックはそのタイミングを待つ。


 敵が岩影へ近寄ってくる時は不規則だったがその二回だけは必ず続けて行われていたため、それは確かに、ジャックに逃げる道筋を見せていた。つまり、息のつくタイミングで出れば炎を吐かず、相手は近寄って来ざるを得ないだろう、と。


 そして――まさに今、その二回目の炎は吐き出されている最中だった。身を潜めている間の体感からして、そろそろだ。と、ジャックは心臓が速まるのを感じながら、左右を確認しては足に力を込める。


 ············今だ!


 予測通り、辺りの炎は姿を消した。


 ジャックは一度通路とは反対側――湖のほうへと姿を見せる。が、すぐに切り返す。ドラゴンは、敵を逃がすまいというように、牙を見せたままその足を動かし、ジャックを湖側から追いかけ始める。だが、岩の裏まで追いかけた時、その獲物の姿が無いことに気付き、ようやく謀られたと気付く。


 ジャックは既に、ドラゴンの視界に入らないであろう――敵の顔と岩とが一直線上になる死角を走っていた。少し遠回りにはなるものの腕を上手く振れぬジャックが、敵から遠ざかりつつ安全に逃げるにはこの道がベストだった。


 ジャックは振り向かず、先に行った彼女へ尋ねる。


(ミーナ! ドラゴンは!?)

(大丈夫! まだあなたを探してる!)


 よし、いける。そう思うジャックはそのままに走り続ける。


 ――が、ここまで来れば大丈夫だろう、と、炎を吹かれても届かない位置まで来たジャックが振り返った時だった。


 ドラゴンは大きな翼を広げ、飛び上がり、岩のやや上で滞空。そして、羽ばたいたままその巨体の向きを徐に変えては、通路へと向かう月白の髪を捉える。


 それを見たジャックは、マジかよ。と痛みを一瞬忘れるほどに喫驚。


 ――と、同時に、ドラゴンがその翼を一度強く羽ばたかせては高く飛び上がり、宙返りしては滑空をしてこちらへと迫り来る。それは鷹のような両足で走っていた時と比べ物にならず、一気に距離を詰めるもの速さ。


(ジャック! はやく!)

(わかってるよ!)


 予想外の敵の行動に、焦りを浮かべるジャックは怒鳴るように返事を返す。


 その後ろでは、あっという間に距離を詰めつつあるドラゴンがあの大口を開け始めていた。ジャックを死の淵まで誘い込んだ牙が姿を見せる。だが、ドラゴンはさらに口を開け、滑空をしながら息を深く吸う動きを見せた。それはあの予兆。


 走りながらそれをチラと見たジャックは、通路傍の彼女へ焦って言う。


(ミーナ! 先に奥走れ!)

(どうして!?)

(いいから! はやく!!)


 あまりに切羽詰まったジャックの声に、不安ながらもミーナは身体を翻し、通路の奥へと消えていく。ジャックはそれを見届けてはもう一度だけ振り返る。そしてその時、予想通り、大きく息を吸い込んだドラゴンの喉は赤く照らされていた。


 それは瞬く間に奔流して広がる。

 全てを焼き尽くすような炎は、刻々とジャックのほうへ。


 通路まであと少しだが、背中に熱が襲い始める。もはや振り返ることも許されないため、ジャックは足が千切れそうになりながらも必死に走った。腕の痛みを奥歯全てで噛み締めるように堪えて。


 ――頼む、もってくれ······っ!


 そのままなんとか通路へと逃げ込むジャック。だが、ジャックはまだ走り続けた。炎が差し迫っているのを肌で感じていた。


 徐々に増していく熱量。

 炎はもう、背中のすぐ側にあると感じるほどだった。


 ――もう、だめか······?


 ジャックの頭に、不意に諦めの念がよぎり始める。このまま足を止めて呑まれれば、身体も一気に焼かれてしまうか? そしたら、苦しいのも一瞬か······? それならいっそ、もうこのまま足を······。


 しかし、走馬灯のようにジャックがそう思った時だった。


 ガラガラガラガランッ!


 後方で激しい揺れと轟音が響いた。何かが崩れ落ちる音。

 幕を下ろしたように暗闇が辺りを支配する。


 そして、次第に訪れる静寂。


 限界を迎えたことで足がもつれ、つい左腕から倒れ込んだジャックは光も音もないその中で、自分が走ってきた道を顧みる。炎も光芒も消え、ただ黒い空間が際限なく広がっているようにジャックは思えた。


 何が起きたのかすぐには分からなかったジャックは上体を起こすと、まだ息が整わぬ中で、ドラゴンが通路へ衝突したのだろう、と推測する。そして、それによる落石――崩落が起きたのだろう、と。


 そのおかげで、背中まで迫っていた炎は岩々が寸断し、自分は助かったのだと分かるジャックは改めて、


 ――助かった······。


 捨てかけた身だが、やはり焼かれずに済んで良かった、と九死に一生を得たことに胸を撫でおろす。


 ――が、その途端に、暗闇の中で激痛が走る。それは右腕に。


 そういえば。と、ジャックは自分の怪我を思い出してはその箇所を見えないにもかかわらず見る。その痛みはこれまでのを夢でなく現実に、自分はまだ死んでないと確信させるものだった。それ故、ジャックは顔を歪めながら立ち上がり、左手で壁を探し始める。


 そして、その感覚だけを便りに歩を進めた。


 来た時と違い、一人っきりのため、ひょっとして俺は目も耳も失くしたのか? それとも、実は死んでたりしてな。と、ジャックはふと思うが、すぐ自分の呼吸をする音、足が擦る地面の音を聞いて、そんなわけないか、と失笑した。


 しばらくして角を曲がり、またしばらくして角を曲がる。

 そこでようやく通路の終わりが見える。


 やっと見えた。と、ジャックは往路より長く感じたこの道をどこか恨めしく思ってはようやく安堵。


 細い道の先――黒の中にぽつんと浮かぶ光の出口は、少しオレンジ色を帯びていた。それは、空から射し込む光によるものではなく、あの彼女の持つ灯りだった。


 『コンタクト』は、既に効果が切れていた。


 そして、胸の辺りにその灯りがあるのを、ジャックは捉える。今すぐ中を確認したい、と思わせるような幼馴染の不安な表情も見え始める。


 そうして、ジャックは通路奥からボロボロの姿で現れる。右腕の外をただらせ、全身、土まみれにしたような姿で。


 ジャックは左手を掲げる。


「おう、ミーナ。大丈夫だったか? なんとか無事に終わっ――」


 不意に胸の辺りに衝撃を受け、ジャックは頼りない足をなんとか踏ん張る。灯りによる熱が背中にあった。


「よかった······」


 そして、幼馴染の彼女はそれだけ言うと、ジャックに見えないよう頭を肩に乗せ、鼻をすすっては強く抱き締める。「腕、超痛いんだけど」と、ジャックは今すぐにでも言いたかったが、もう放さないというほどにあまりに強く抱き締める彼女に、この場だけは空気を読んで、上げていた左手をそっと下ろしては「あぁ」と、その小さな頭を撫でるだけに留めた。

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