オアシス 前編⑤
二人の話が一段落した頃、後方にあるテントからあどけない声が聞こえた。
「いい匂いですねぇ」
ジャック達がそちらを振り向くと、ちょうどテントの中から身体を出す――起きたばかりのフィリカが姿を見せていた。目を擦りながら歩く彼女は、右手に眼鏡を持っていた。
「フィリカ、もう大丈夫なのか?」
彼女は「はい」と、その眼鏡をたどたどしく歩きながら掛けると、
「私は使った魔力も保有量も、ミーナさんほどではないですから」
「そっか。なら、とりあえず良かった」
軽く笑いつつ幼馴染にやや心配を覚えながら、ジャックは自分が座っていた場所を彼女に譲る。そして、その心配が表に出ない内に会話をずらす。
「それにしてもお前、開口一番あの言葉だと飯に釣られてきたみたいだぞ?」
「違いますよ、ちゃんと目覚めたんです」
「俺の料理は美味しいからなぁ、匂いから」
「なに言ってんですか。そりゃあまぁ······美味しいのは認めますけど······」
すると、咄嗟に口元を隠すフィリカ。
ジャックはその垂涎を見逃さず、苦笑いしていた。
「で、どうする? フィリカちゃん。御飯もちょうどいい具合だと思うけ――」
「食べます!」
「やっぱ釣られたんじゃねぇか? お前」
「ち、違いますよっ!」
「へっ、どうだか。······ん?」
その時、スライがリュックから、パンと器を取り出しているの傍で、ジャックはあることを思い出す。
「そういえばお前、ミーナを置いては飯食べないんじゃなかったか? 船で言ってたろ?」
すると、それがどうした、と言わんばかりにキョトンとしては堂々のフィリカは、
「何言ってるんですかジャックさん。ミーナさんは今、ぐっすり眠ってるんですよ?」
「どういう理屈だよ······」
「眠ってると起きてるとじゃ別問題ってことです」
「お前、都合の良いように言ってねぇか······?」
俺が間違ってるのか? と、ジャックが錯覚するほどの言い訳だった。しかし彼女は本音を言う。
「ほら、流石にあんな疲労したミーナさんを起こすのは非道ってもんでしょう? 私もそんなミーナさんを起こしてまで食べるつもりもありませんし······かといって、いつ起きるか分からないミーナさんを待つのは······流石に私のお腹では無理です」
と、腹を押さえながら恥ずかしげに顔を逸らすフィリカ。最後の一言が一番の本音に違いなかった。
「正直だな、お前······」
ジャックは再び苦笑いで彼女を見るが、それと同時にふとあることを思い出す。
「どうした、おまえ飯は?」
「わるい、あとで食う」
立ち上がったジャックは、テントのほうへ歩いていた。そして茫然とするスライに背を見せたまま手を振ると、テントの中へ消えていった。そこでようやく、あぁ、と察するスライ。彼は自分の側の鍋へ意識を戻すと、スープをよそって側の少女へ渡す。「ありがとうございます」と受け取る少女は、
「どうしたんでしょう? ジャックさん」
「気にしないでいいよ。あぁいう奴なんだ、アイツは」
「――?」
「ほら、夜の砂漠は冷えるから、熱いうちに食べなって」
まだ、疑問の顔をしていた彼女だが、それを聞いて食事の方へ意識を。火傷しないようにスープを一口、スプーンで含む。すると――とても幸せそうな顔。
「あはぁ······」
だらしないアホらしい顔でもあった。
「その声は気になるけど······ほんと美味しそうに食べてくれるね。俺も嬉しいよ」
その表情にスライも満足だった。
スライは自分のスープをよそって、ジャックと話していた時と同じ場所へ座る。そしてスープを飲みながら「そういえばさ」と話を。
「ミナっちやフィリカちゃんと同じよう俺も魔力使いきったわけだけど、どうして俺は無事なの?」
目だけを彼に向けていたフィリカは一旦食事を止め、一度「うーん」と上を見てから答えた。
「それはですね。スライさんは魔力を使う量と時間が短いからですよ」
「量と時間?」
「はい。スライさんは魔力が少ないですから、すぐに底をついてしまいますよね?」
「そうだね」
「まぁつまり、必然的に魔力を使う時間も短くなるわけです。それに連なって、私達も『長時間での少量の魔力』や『短い時間での大量の魔力』なら、どんな風に使ったって問題はないんですよ?」
「へぇー、知らなかった」
「ただ、使う魔力が大きい上での長時間使用、連続使用などとなる場合だけは、どうしても身体に負担がかかってしまうんです。ほら、人が全力で走り続けれないように」
「なるほどね」
「訓練していく内に魔力全体の保有量も増えて、ミーナさんでも私でも、今回と同じ魔力を使っても、そのうち平気にはなるんですけどねー」
そして、フィリカは「ちょっと無理をしてしまいました」と謙虚に言いながらスープを啜る。端では、この子等は無理をしちゃう子達なんだねぇ――と、スライはひっそり思っていた。また、親友の幼馴染は、特に無理をするんだろうな、とも。
「それでジャックは······」
「ん? どうかしました?」
「あ、いや、なんでも。それでさ、フィリカちゃんに一つ聞きたいんだけど、その魔力を増やすって大変なの?」
スライのやや不審な挙動に疑問を覚えるも、フィリカは「うーん」と唸ると、
「最初のほうは訓練を積めば順調にいきますけど、身体に負担がかかる頃までいくと、少ししんどいと思います。筋肉を付けたり、体力をつけるのときっと同じような感じですから」
「あぁ、それはしんどそうだね」
しかしスライは、この研究科に入るために自分のやるべき事を考え始めていた。
「けど、フィリカちゃん。もし良かったらさ『それ』後で俺にも教えてくれないかな?」
「いいですよ。魔力の増やし方ですよね?」
「そっ。それを知りたい。ありがとう、フィリカちゃん」
「――?」
異様に感謝を示すスライに、どうしてそんな事を聞くのだろうと言うようにキョトンと首を傾げるフィリカ。だが彼女は、スライが『研究科に入りたい』ということを知らないため、この不思議も仕方なかった。しかしその理由も、この食事を終える頃に彼から聞くことにはなるのだが。
一方、彼等がそんな話をしている頃、テントの中でジャックは幼馴染の側に座り、彼女のその無防備な寝顔を見ていた。
"今は、こんな寝顔してるんだな······“
テントの四隅にあるランプが、仄かに彼女の顔を照らしていた。指も入らないほどだが、彼女の口は僅かに開いて優しい寝息を立てていた。横向き――こちらを向いて眠る彼女は、少しずれて重なった両手を顔の前に置いていた。その手はまるで。小さな“何か“を抱こうとしてるようだった。
“寂しいのか······?“
長いこと近くにいたはずなのだが、自分の知らない彼女の姿に、ジャックは不思議な気持ちになっていた。
"まつげ、長いんだな······"
急に、彼女の頭が僅かにクイっと動いた。彼女の燃えるような赤い髪が少しだけ垂れ、彼女の顔に掛かった。それをジャックは、そっと起こさぬよう彼女の耳へ掛けた。卵のように見える肌が、再びはっきりと見えるようになる。
すると、彼女は小さく笑った。
その、あどけない寝顔に昔のことを思い出す。
元気にはしゃぎ回っていた頃の彼女を。
——ジャック、あのね、まほうって知ってる?
思わず、ジャックは幼馴染の頬を指先で突っ付いた。
"なんで、そんなツンツンになっちまったんだ?"
彼女は眠ったまま顔を顰めていた。
その顔にジャックはひとり静かに笑う。
“でも······“
そして手を離すと、
"すごいよな、お前······"
ジャックは眠ったままの彼女に、心でそっと話しかける。さっき外で話していたこと、感じていたことを。
そして――、
"お前の魔法が、人を動かしてんだよ"
彼女がどんな夢を見ているのかジャックには分からなかったが、いつの間にか閉じたその口は、端が上がって、まるで、楽しそうな夢を見ているようだった。
それからいつの間にか、ジャックはあぐらを掻いたまま寝てしまっていた。そしてコクリと頭が落ち、それで目を覚まし重い瞼を持ち上げた時、幼馴染――ミーナは横になったまま目を開けて、重ねた両手に頬を乗せながらこちらを見ていた。
「ホント、あなたどこでも寝れるのね」
「あれ、寝ちまったか······」
ジャックは目を擦って欠伸をする。
「起こしてくれりゃ良かったのに」
「私も、今起きたばかり」
「ふーん、そっか」
事実、テント内に置かれた彼女のガロンバック――そのベルトに下がる革の時計は、ジャックが来てから十分と経っていなかった。しかし――、
「ちょっと、水もらえる? まだ上手く力が入らないの」
彼女がその間に目を覚まして、静かに数分待っていなかったとは限らない。加えて、この言葉ならば。
「······あぁ」
ジャックは立ち上がると、研究室から持ってきたコップを持って、脇に置いてあった容器から水を汲む。そして、それを持って彼女の隣へ。一度コップを置いて、身体を起こそうとする彼女の手伝いを。
「悪いわね」
「気にすんな」
彼女の腕の震えが、ジャックにまで伝わる。
「魔力の消費が多いとこんな疲弊するんだな。初めて知った」
「そうね。あなたほどの魔力じゃ到底こうはならないから」
「へっ、それだけ言えりゃ十分だ」
上半身を起こしたミーナはコップを受け取ると、両手で包むようにそれを持つ。小刻みに震える手で、注がれた水の半分ほどをゴクッ、ゴクッ、と飲んだ。そして喉の渇きを潤すと、一度深く、しんみり「はぁ」と溜め息。
「ちょっと無理しすぎたわ······。ごめんなさい、迷惑かけちゃって」
「何言ってんだ。おかげで全員助かったんだからいいだろ」
しかしミーナは、コップに映る自分を見つめた。先のような皮肉は言えるが、自分のせいで予定外に停泊することになったのは事実なため、また、幼馴染だけでもないため、気にしないのは難しかった。すると、
「そういえば、スライだって感謝してたぞ。お前の魔法がなきゃ、下手したら死んでたかもしれないって。あと、お前の魔法を凄いってめっちゃ褒めてた」
そんなの気にするな、とも取れるジャックの声。“あの件“に関しては、スライが直接言った方がいいだろう。と、そこは伏せていたが、ともあれ、それに彼女は、
「そう······。なら良かった······」
と、コップを見つめる表情を少し柔らかくして、水を口に運んだ。ジャックも、その姿を見ながら同じように微笑すると「そうだ」と、外の料理の事を思い出す。
「飯、出来てんだけど食べれるか?」
「うん、大丈夫」
そう言うとミーナはゆっくり身体の横に手をつき、立ち上がろうとする。――のだが、手足に上手く力が入らず、ちょっと腰を浮かせてはまた地面へ、ペタリ、と。
その様子に思わずジャックは苦笑いで、
「おい······ホントに大丈夫か?」
「だい、じょう、ぶ······」
その引きつったような馬鹿にしたような苦笑いに、もう一度、意地になってトライするミーナ。しかし、
「あーいい、いいから、座ってろって。ここ持ってくるから」
あまりにガクガクと手足を震わしながら立ち上がろうとする彼女に、ジャックは無理だろうと思い、そう言い聞かせた。馬鹿にしたような苦笑いをしたのも、とても女子らしからぬ、まるで子鹿のような、大袈裟と思えるほどの震えをしていたからだった。
「すぐ戻ってくる」
ジャックは立ち上がりながらそう言うと、テントをそそくさと出て行った。
急に、ポツンと取り残されるミーナ。
静けさと寂しさが“自分の頑張り“を無駄だったかと示しているように耳に纏う。気持ちしゅんとするミーナだったが、しかし、せめて食べやすい姿勢にはしておこうと、震える手足をなんとか動かして、ぺたん座りへ姿勢を変えていた。
それを終えた頃、食事を手したジャックが戻ってくる。スプーンを乗せたスープ皿を二つ手にしながら、パン入りの袋を肘と腰で挟んで、器用に運んでいた。そして、そのままミーナの隣までやってくると座りながら肘の袋だけを床に落とす。
「お待ち」
「ありがと。······いい匂いね」
「へへっ、フィリカと同じこと言ってやがる」
そうして、ミーナの横へ座ったジャックは「ほい」と、右手の皿を差し出す。ミーナは両手でそれを受け取ると、そのまま慎重に自分の脚の上へ運ぶ。そして袋から出され、渡されるパンも受け取ると、
「いただきます」
最初にパンへ手をつけるミーナ。楕円の形をしたそれを指先で千切って食べようとする。――が、それがなかなか千切れず、しまいにはパンが滑り落ち、平た目のスープ皿の中へ落ちてしまう。
「おいおい、なにやってんだよ」
ポチャッ、とした音に、隣でスープを飲んでいた幼馴染が振り向いては、ミーナの脚のシーツにかかる飛沫と、皿に浮いたパンを見て溜め息。
「ちゃんと食べれんのか?」
「た、食べれるわよ」
側にあったタオルで、自分の脚の上を平然と拭く幼馴染に、ややたじろぐミーナ。そうして強がりを見せると、ジャックがもう一度食事を始めた所でもう一度、皿からパンを拾っては千切ろうとする。――が、やはり指先はまだ震えるだけで力が入らない。
すると、
「······ったく、それならはやく言えって」
今度は、それを見逃さなかったジャックは自分の皿を置いて、ミーナからパンと皿を取り上げる。
「ちょ、ちょっと! ちゃんと自分で食えるわよ!」
しかしジャックは一切耳を貸さず、パンを小さく一口分千切ってはミーナの口の前へ。そして、
「ん」
突然の思いがけぬ出来事に、目をしどろもどろさせて、口を開けずどぎまぎするミーナ。幼い頃にも似たような事はあったはずだが、大人になりつつある今では少し状況が違った。
「はやく食べろって」
「い、いや······自分で食べる······」
「なに片意地張ってんだ。押し込むぞ」
それでも頑なに拒否するミーナだが、自分で上手く食べられない事は自分が一番よく分かっていた。そのため、しばらく頭の中で懊悩しては首を捻ったり唸ったりしてから、観念すると、
「······もうちょっと普通に食えよ」
鳥が啄むように、ひょい、とパンを素早く強奪。ジャックは、また変なことしてんなぁ、ぐらいにしか思っていなかった。そして、
「はい、次スープ。これめっちゃ美味いから、ほんとに」
と、ジャックは味のほうにすっかり意識を向けながら、スプーンで掬ったスープをふーっと冷ますと、こぼれないように、今度は皿も一緒にミーナの前へ持っていく。――のだが、
「おい、口開けろや」
顔を顰めながらミーナは、今まで以上に口を真一文字に。こればっかりはちゃんと受け取るしかない――と、睨み付けるぐらいの勢いでスプーンを見ていた。しかし、やはり自分では食べられない事を思うと、やがて意を決し、せめて見なければ······と、目を瞑って口を開く。
「別に、目瞑れとまで言ってねぇけど······」
と、どこか呆れたような声がした後、ミーナの口の中へスプーンが入れられる。少しの熱が舌へ広がる。
「んっ······」
そして、ゆっくり引き抜かれるスプーン。ミーナはすぐさま幼馴染と反対方向を向いて、目を瞑りながら、混乱する頭の中でだが、しっかりとそれを味わう。そして小さく、
「······おいしい」
と、呟いた。その言葉を聞いた幼馴染は、
「だろー? だからもっと食べろって」
と、ただ『素直に美味しいと言うのが恥ずかしいだけ』と思い、楽しそうにもう一度スープを掬っては、ミーナのほうへ持っていく。
「おい、こっち向かなきゃ食えねえぞー?」
「······わかってるわよ」
しかしミーナは、なかなか振り向かない。
もとい、振り向けなかった。
「んじゃあ早くしろって、冷めるぞ?」
「······わかってる」
ミーナは、自分の顔に熱がこもっているのを感じていた。あぁ、もう······。と思いながら顔を背ける行為は“それ“を悟られまいとするものだった。しかし、
『でもそしたら、もうミーナさんに御飯食べさせてもらえなくなるのか』
ふとそんな、あの――麻痺から回復しつつある時の“残念がってた後輩“を思い出すと、顔を背けたまま呟いた。
「······フィリカの言葉が、分からないでもないわね」
「フィリカがなんだって?」
「何でもないわよっ!」
そうして、幼馴染には目を合わせず、怒って誤魔化したりしながら、時折稀にチラと目を見ては、同じようなやり取りを何度か繰り返しながら、ミーナは、今だけは、この“鈍感な優しさ“にひっそりと甘えることにした。
「お前、人から食べさせてもらうのは下手くそなのな」
「うるさいわね。さっさと食べさせなさい」
「はいはい······」