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最初の魔法⑤

 洞窟内部はあの入り口へ向かう時ほどの険しさはまるでなく、整地されたように通れる箇所が多々あった。


「もっと足場悪いと思ってたんだけど」


 そんな道の様子を不思議そうにジャックは、軽く足で蹴るように確かめながら話す。それに対しミーナは岩壁へ触れては観察すつつ歩いていた。


「全部、大昔の名残ね。街の周りにある橋――あれ、ここの岩を使って建設したそうよ」

「あれ全部か?」

「そう。ついでに言うなら城も、街の石畳も」

「はぁ······嘘だろ······」


 ジャックは、今しがた来た道を思い出す。


 城からここまで、馬に乗ってでも長いと感じるほどの距離。その距離を当時の人が何百、何千、いやそれ以上と往復したであろうと想像するジャックは苦笑を浮かべ、自分がその時代に生まれなくて良かった。と、心からの安堵と嘆息。そして、ついでの感謝。


 また、ここへ来る途中登って来た――荒れた坂道を思い出し、当時の人は入り口から下へ岩を転がしたのだろうか? と、小さな疑問を浮かべた。それを、やや後ろをついて歩く赤髪の少女へジャックは振り返り尋ねようしたが、振り返った時、彼女が立ち止まって上を見続けていることに気付く。


「どうした? なんかあるのか?」


 ジャックも引き返しては隣に立って、同じように上を見る。二人の視線の先には、不規則ながらヒビ割れた青空が道を作っていた。すると、


「凄いわね」


 見上げたままそう言う彼女だが、洞窟から見える空がそんな凄いことか? と、首を傾げるジャック。そして「なにが?」と口にしようとするが、それを尋ねる前に答えが返ってくる。


「ちゃんと光源が確保されてる」

「偶然じゃないのか?」

「違うわ。形こそ偶然だけど、あれは間違いなく意図して作られたものよ。その証拠にほら、さっきから空が見えなくなる所は、マグマ溜まりが照らしてくれてるでしょう?」


 と、ミーナは来た道を振り返り、左右に点々と存在する灼熱の光源を目で指した。柵など無いため危険ではあるが、人が歩くであろう本道へは、一筋――もとい一滴もマグマは存在しておらず、端のほうで灯りとしての役割を果たしていた。その真上を確認すると、確かに彼女の言う通り、分厚そうな岩壁が青空を見事に遮ってもいた。


「きっと、あそこは崩さなかったんでしょうね」


 それだけを涼しげに言い残すと彼女は歩き出した。まだ上に気を取られていたジャックは先へ進む彼女に気が付くと小走りで後を追い、隣へ並ぶ。


「でもどうして?」

「さぁ? 空がずっと見えるより変化あるほうが、進んでるって感じがするからじゃない?」

「んなザックリした理由か?」

「じゃあ、気分とか」

「おい」


 急に返答に具体性が無くなり、しまいには自分の発言さえも覆すような言葉に、ジャックは隣を歩く彼女の横顔を怪訝に見る。もしや、最初から全て騙されているんじゃないか? と、ジャックは不審に思ったが、それは尋ねる前に彼女から否定された。


「最初の事は文献に残ってるからほぼ間違いないけど、なんでそんな風にしたのかなんて、理屈は残ってても気持ちなんてのはないもの。だから、そんなのは当時の人に聞かないと絶対な答えなんて出ようがないの。『崩さない理由』から想像になった理由はそれよ」

「なるほどねぇ」


 と、感心の声を漏らすジャックは、つまり記録が残ってない場合もあるのか。と、心の内で理解。そして、念入りに下調べをしたであろう幼馴染の腰辺りにぶら下がる革袋とランタンも、そこから生まれた一つ――予想外と備えの体現であるのだと知る。


 そんなことを頭で整理しつつ、ジャックは後頭部で手を組み横目で、凛と前を向いたままの彼女へ尋ねる。


「ちなみに、あの辺りの岩が壊せなかった、って線はないのか?」

「その線は薄いんじゃないかしら? だってこれだけ天井にヒビを入れてるんだもの。壊せるとこは壊すはずよ」


 自分の迂闊さに「あぁ、そっか」と言葉を漏らしてジャックは天井を改める。しかし、とはいえそうすると、彼女の出任せのような理由がとても最もらしい一番の理由に聞こえ、ジャックは、こんな危険な場所でも遊び心があったんかねぇ。と、呆れながらに古人へ感服。


 そんなジャックの気持ちなどいざ知らず、岩の隙間からは雲がゆっくりと現れては青空を悠々と泳ぎ、姿を消していた。そして隠れた所ではあるがそれは途中陽光を遮り、洞窟内の照度を時折落とす。微々に暗くなる程度で、点々と置かれたマグマもあるため周りは視認出来なくなる程ではなかったが、それでも二人にちょっとした思いを生むには十分だった。


「まぁともあれ、夜になる前に終わらせないとな」

「そうね」


 時刻は昼過ぎ。日が沈んでも先人たちのおかげで洞窟内を歩くことは出来るだろうが、万が一にもそんな中での対峙は避けたいものだった。


 雲が切れ、再び明かりを取り戻した洞窟を、二人は前を見て歩み続ける。


 しかし、特に何もなかった。


 もっと神経を集中するような、張り詰めた空気になると思っていたジャックは、これじゃミーナと散歩しているだけだな。と、ふと浴びた陽光にあくびが漏れ、呑気に涙を浮かべ、口に手を当てた。


 そして、平和だなぁー。寝るにはもってこいの日和だ。と、また空を見上げそんな長閑な気持ちに溺れつつも、ぼんやりと道を歩いていると、それを見兼ねた横の彼女が冷めた口調でその平和に茶々を入れる。


「あんた、上ばっか見てると死ぬわよ?」


 はいはい。と、ジャックは彼女の言葉を冗談だと受け流しつつ、形だけでも視線を床へ下ろす。が、


「あぶねっ!」


 そこには靴が丁度はまる程の小さなマグマ溜まりが広がっていた。咄嗟叫んだ――頭から爪先まで弾けるように目を覚ましたジャックは、前のめりながら落としかけた右足を踏ん張るようになんとか止めた。接触まであと指一つ分という所だった。


「はぁ、助かった······」


 足を戻しながらジャックは胸を撫で下ろし、深く溜め息を吐いた。もしその足が床――灼熱の溜まりへと触れていたら、足下に火がつく所の騒ぎではなかっただろう、と。


 しかし、そんな危機に陥った少年の隣で、赤髪の少女は後ろ手を組み、少し口角を上げていた。そして、まだ足下を見ては固まっている少年を面白そうに覗き込む。


「あと一歩だったのにね」

「おい」


 無駄にわざとらしい可愛さを振りまくように首を傾げる彼女にジャックは、冗談じゃねえよ。というような苦笑い。そしてジャックは足を戻す。――と、


「前を見てないあなたが悪いのよ。ちゃんと注意して」


 曲げた上体を起こしたミーナが表情を戻して、淡々とした口調で叱った。今度は幼馴染から突如叱られ、いささかムッとするジャック。だが、実際彼女の忠告を冗談だと思ったのは自分の失態でもあるため、


「あ、あぁ、すまん······」


 と、素直に反省をし素直に謝る。その消沈した様子を見て、これ以上言う必要もないと感じる彼女は「まぁいいわ、行きましょう」と、ひとり先に歩き出す。――が、彼女はすぐに身体を翻した。


「そろそろ本道を外れて来たから、寝る余裕はないからね?」


 と、その小馬鹿にした笑みにジャックはやはり些かムッとしたが、その忠告の意味を身を持って体験したばかりのため「はぁ」と溜め息を吐いては気を引き締め直し、


「あぁ。全て終わってからぐっすり寝てやるよ」


 と、小さな抗弁を垂れ、マグマ溜まりを飛び越えた。





 それからは気を緩めることはなく、周囲を警戒したまま二人はさらに奥へと進んでいた。そしてジャックが叱られてから五分ほどの地点でそこには行き止まり······ではなく、人が並んで歩くのが難しいほどの細い洞穴があった。


 入り口から光が筋となって足元を照らしてはいるものの、やがては黒に塗りつぶされ先の見えない道だった。


「行き止まりじゃないか?」


 ジャックはその道を見ながらミーナへ尋ねる。が、なかなか返事が返ってこず、どうしたのかと不審に思うジャックはそちらを見る。すると、彼女はやや俯き加減にジッと立ち止まったまま、自分の纏っているケープを見ていた。


「今度はどうしたんだ? またなんか――」

「シッ······」


 彼女は、緩やかに手をジャックの前へ差し出して、静止して、というようにジェスチャーを送った。その動きに目を見張るジャックはその理由を尋ねたかったが、彼女がいつになく真面目な顔付きをしていたため、黙って従うことに。


 先は自分の外套を見ていた彼女は今度は目を瞑り、まるで自然を感じるように周囲に意識を巡らす。深い青瞳あおめの彼も、そんな彼女を一瞥しては前を向き、同じようにして周囲に意識を向けてみる。――が、何も起きず、その体勢のまま膠着状態は続く。


「······」


 しかし、その変化は突然起こった。


 洞穴の奥から何かを擦るような、ヒュウウウゥ、というか細い音が二人の鼓膜に届いた。意識をハッとさせ、目を開けるジャックは隣の彼女を見ると、そういうことか、と了得。


 ジャックの視線の先――佇む少女のケープは確かに、ゆらりゆらりと微かに動いていた。


「······風が吹いてるわね」


 瞼をゆっくり開いた彼女の言葉で、それは確信へと変わる。


「よく気付いたな」

「たまたまよ。静かな場所だし“もしかして“と思っただけ。別に気付かないでも、先へは進むつもりだったわ」


 褒められるミーナはどこか謙虚さを装うが、流し目でそう言う顔は得意気で嬉しそうだった。ジャックは「そこは意外と威張らないのな」と揶揄からかいつつ肩を竦めるが、感心を伝える。


 そして、目だけを互いに向けた二人は仕切り直し、


「まぁとりあえず」

「先があるわね」


 と、その通路を真っ直ぐに見据えた。





 ジャックを先頭に、二人は通路を縦一列で慎重に歩いていく。


 流石にここは天井からの明かりが射し込まないため、暗闇が大半を擁する空間だった。入り口から一度目の角までは微かな光芒を便りに進むことは出来たが、それ以降は暗黒。


「灯り、持ってきて良かったな」

「でしょ? 途中、置いてこうかとも思ったけど」


 ジャックの後ろをついて歩くミーナは、先のことからまだ少し浮かれた調子だった。携帯していたランタンを受け取ったジャックはその事に気付いていたが、わざわざ指摘して機嫌を損ねるのもなんだと、敢えて指摘をしなかった。


 そのまま二度目の角を曲がる。と、再び暗闇の直線。


「意外と長いな」


 そう小さく漏らすジャックの言葉は、洞穴で詰まるような音だった。火山洞窟は元々静かな場所ではあったが、さらに閉鎖的なここは静けさに拍車をかけていた。程よい静けさは、人に心地よい感情を与えるが、圧迫間のある静けさは逆に不気味さを醸し出す。まるで、世界が圧縮して迫り来るような違和感を覚えるように。


 それを後ろの少女も早速感じ取ったのか、先までの調子はすっかり消え、彼女は無意識にジャックの服の裾を掴み、身体をより近くへ寄せていた。異性にこう寄られて悪い気はしなかったジャックは一度気付かぬ振りをしようかと思った。が、やはりさっきと一変した様子には少し心配になり、


「大丈夫か?」


 と、声を掛ける。それに対し、


「大丈夫」


 落ち着いた口調で彼女は言うが「平気よ」「えぇ」とここまでの背伸びした口調でないあたり、大丈夫じゃないな、とジャックは前を向いたまま苦笑。


 数年振りに会って、こいつも変わったなぁ、とジャックは節々に思ってはいたが、実は変わらない所もあること、むしろこんな強がりを無意識にしてプラスに見せる彼女の面は、ちょっといいな、と密かに思いつつあった。


 それはさておき、今ここでひとり小躍りしてもしょうがない。と我に返るジャックは、会話を続けるべきか、早くここを抜けるべきか、とその二択で悩んだ(なぜ、その両方という選択肢や、手を引っ張ってあげるという選択肢がないのかと言えば、それはジャックの自身の問題)。


 そんなこんなで頭を悩ませている内に、ジャックは程なくして三度目の角を曲がる。


 今まで先のない闇だったのが途端に光を作り、ジャックは「おっ」と声を漏らした。すると、それに釣られたように横から顔を出すミーナ。彼女は「出口ね」と冷静な口調で、だが安堵の籠った声でそう言った。


 ――と、ここでようやく、自分が前を歩く彼の裾をずっと掴んでいたことに気付くミーナは、恥ずかしげにサッと手を引っ込める。しかし、ランタンの灯りを消そうとしていたジャックは、残念ながらそれには気付いていなかった。


 ともあれ、二人は足元を照らす確かな光の道を歩いていく。しかし、その道を歩いてから辺りは仄かに熱を帯び始めていた。それは通路の終わりが近付くにつれ濃くなり、やがては蒸し風呂を彷彿とさせるような暑さと湿気に。ジャックも額に汗が滲み始めるのが分かった。


 そしてとうとう、洞穴の終わりを迎える。

 湿りを帯びた空気が少しだけ晴れやかになった。


「おぉ······」


 先に抜けたジャックが感嘆の声を漏らす。

 続いて出口を抜けたミーナも、


「まぁ······」


 ちょっとした村と同じ程の広大な岩の空間。洞穴を抜けた先は、今までのどこよりも圧倒的に広い――岩のドームだった。


「すげぇな······」


 それはなかなかお目に掛かれぬ天然の代物であるが、だが、二人が驚かされていたのはそんなものではなかった。警戒をすっかり解くほどに二人がしばし目を奪われたもの――それは、入った瞬間から嫌でも目に入る、今までと比べ物にならない程の天然の灼熱体。部屋を半分は覆い尽くすであろうマグマだった。


 ジャックは出口の脇へ灯りを置いて、再びそれを眺める。


「はぁー、まるで湖だな」

「壮観ね」


 キメリア火山についてはきちんと予習をしたきたミーナだが、この景観にはすっかり圧倒されていた。


 天井から崩落した岩の群れに、静かに息をするマグマ。


 ジャック達の手前半分だけ岩があちらこちらに聳え、奥は半月のようなマグマが岩槽に収まっていた。加えて、それを邪魔しない程度に添えられた青空。それは、朝と夕の入り交じった海岸線のような自然の調和だった。


 しかし、そんな海辺と少し違うこともあった。


「ここに居ても、少し暑いな」


 相変わらず、熱は季節を越えていた。


「上が開いているとはいえ······そうね」


 少し景色に見惚れて暑さを忘れていたミーナも、空を一瞥しては同意。


「鎧なんて着て来てたら、俺死んでるわ」

「やっぱ正解だったでしょ?」

「結果論じゃねぇか」


 ジャックは服の襟元をばたつかせ、少しでも楽にならないかと自分の身体へ風を送り込む。が、入ってくるのは生暖かい風だけ。故に、すぐに止めていた。


 涼しげな顔をしているミーナだが、やはり暑さを感じ、上半身を覆うよう重なっていたケープを首元だけに変える。


 ともあれ、二人はここまで来た本来の目的へ。


「この場所が最後······だよな?」

「どうかしら······」


 垂れた汗を拭いながら辺りを大雑把に見渡す二人。


 だが視界には湖と、腕のある男が十人揃っても全く動かないであろう五メートルはある複数の巨岩。そして小岩が転がっているのみで、いま来た通路らしき洞穴も、目標である魔物らしき影も無かった。無駄足だったかねぇ。と、軽く肩を落とすようにジャックは溜め息。


「ドラゴンも居なさそうだし、ここらで戻るのがいいんじゃないか?」


 しかし、


「うーん」


 この探索結果に不満な彼女は、腕組みをしては口を尖らせて唸っていた。


「うーん······んー······うーん······」


 ミーナは何度も唸るが、しかしやはり、彼女にもジャックと同じ光景が映っている。そのためさらに唸っては瞑目し、首を捻っては葛藤し、ぶつぶつ言いながら悩んでは眉間を押さえ、それでもそうするしかないと分かると、肩を落とし、渋々ジャックの進言を受け入れる。


「はぁ······そうね。戻りましょうか」


 口を尖らせた彼女は、落胆の息を鼻から深く吐いていた。


 その側でジャックは、まぁドラゴンじゃなくても次のがあるだろ。と、思うと早くここから立ち去ろうとするように踵を返す。


 ――が、彼女の言葉はあれで終わりではなかった。


「でも一応、岩の陰にいるかもしれないわ」

「あ?」

「せめて最後に岩の裏、全部確認するしてくわよ」

「はぁ?」


 ジャックはその言葉にひどく顔を顰め、露骨に嫌そうな顔を見せた。


 というのも当然、探す範囲がおよそ半円であるとはいえ、家が十数件は優に並ぶであろう相当な広さを汗ばむ中歩いて一つ一つ確認しなければならないのだから仕方がなかった。かなり骨が折れる作業に違いない。況してや奥――熱の上昇する方へとわざわざ歩いて行かなくてはならないのだから。


 諦めが悪いと言えば諦めが悪く、望みを捨てないと言えばそうも聞こえる彼女の言葉に、今度はジャックが「んー」と腕を組んで頭を唸らせる。が、そもそもの立場――ミーナの補佐であるジャックに活動の決定権はなかった。しかしそのことを頭で理解しても唸らざるを得ないのだが。


 ジャックは先のミーナのように時間を掛けてさらに唸る。が、それを考えている内に、そんなことで時間を使ってここに居るほうが馬鹿馬鹿しいと感じ、項垂れては、仕方なしに足を動かしては彼女の命令に従う。


「はぁ、居ねぇと思うけどなぁ」


 ぶっきらぼうに、ぶつくさと不平を漏らしつつ、一刻も早くここから抜け出したいジャックは、そうして一人そそくさと歩き出す。


 ――と、その勝手に歩き出した彼に、


「ちょっと」


 回る手筈を話そうとしていたミーナは手を伸ばし、小さく制止しようとする。しかし、その手を振り返る素振りすらない彼はお構いなしの様子。


「聞きなさいよ!」


 そう言うも彼は既に聞く耳を持たず、ミーナは仕方なく腰に手を当てては「もう」と溜め息。


 しかし、その直後のことだった。


「ん?」


 入り口から一つ二つと岩を越え三、四つ目の岩。ミーナからほぼ同じ距離に置かれたその左右へ並ぶ岩間を抜け、右を調べるジャックのまさに真逆。その岩陰からそれは忍び寄るように姿を見せ始めていた。


 赤黒い鱗に覆われた身体。鉄をも穿つような鋭い牙。それを支える強靭な顎と頬まで割れた大きな口。半開きに開かれたその口はまさに、凶暴を秘めた捕食者そのもの。そして、その捕食者の蛇のような瞳孔と琥珀が見えた時、ようやく彼女の脳が動いた。


『鋭い牙が一瞬で骨ごと噛み千切ったって怖々話して――』


 あの会話をフラッシュバックしたミーナは途端、背筋が凍るような思いと共に青ざめ、大きく目を見開く。


 ――まずい。


 ミーナは即座に声の限りを叫び上げる。


「ジャックっ!! 後ろっ!!」

「へ?」


 張り裂けそうな荒げた声とは裏腹に、まだ事態を把握していない少年は気の抜けた声と共に、彼女の示すその方向を気だるそうに振り返る。が、眼前に広がる景色――それを目の当たりにした彼は瞬間、眼を見張り、声を出すことさえ奪われた。そこには既にその大口を開け、後は閉じるだけのドラゴンの牙が連なっていたから。相手の全貌こそ見えないものの、少年は直感的に死を感じ硬直する。


「ジャック!!」


 再び少女が叫んだ刹那、ドラゴンが咆哮と共に彼へ襲いかかる。


 ――ガキィッ!


 骨と骨とが激しく擦れ合うような、鈍くも素早い音が空間に響き渡る。少年の頭は、牙の前から消えていた。


「······あ、あっぶねぇ」


 恐怖と安堵を混ぜ合わせた声をこぼす少年。


 彼女の叫び声で自失から戻ったジャックは間一髪、後ずさりしていた。そして転ぶように尻餅をついたことで運良くその凶牙を回避。眼前、隙間なく連なったその牙を見て、ジャックは、もしあいつが叫ばなかったら俺はどうなっていたのか。と、全身から血の気が引くような感覚に陥る。


 と、その時、


「逃げるわよ! ジャック!」


 もう一度、あの彼女の叫び声。さっきより穏やかな声ではあるものの、それでも緊急事態を知らせるには十分だった。


 その声を聞いたジャックはハッとし、急いで手足に力を込める。そして、まだ動く気配のない敵を刺激しないよう素早く静かに立ち上がり、彼女のほうへと走り出す。


 その彼女は通路ではなく、別の岩陰――部屋の右方の岩へと走っていた。ジャックはそこへ並走するように合流。


「助かったよミーナ。サンキュ――」

「いいから走って」


 ようやく落ち着きを取り戻し始めたジャックは礼を述べようとするが、ミーナはそれを遮るように淡々した口調で返事。それは当然、脅威の目がまだこちらを捉えているからだった。


 なぜ通路へ逃げ込まなかったのか。と、ジャックは思うが、彼女の性格を思い出して、もうそっちか? と、怒りと若干の哀しみを混ぜた呆れの感情を抱いた。


 そして彼の読み通り、ミーナはジャックが助かったのを感じてから既に、ここへ来た本来の目的を達するために考を巡らせていた。ドラゴンが通れない通路へと逃げ込めば確かに安全だろう。だがそうすれば、次の手がいつ打てるか分からない――と。また、一つしかない入り口の前でドラゴンが見張り続ける可能性もある、とも考えていた。


 そのため、そんなジリ貧状態だけは避けたいミーナは、まず姿を隠しては機を窺うために岩陰へと走っていた。


 しかし、そんな彼等が揃って走り出して数秒後。ドラゴンも二人を追うために、胴から生えた鷹のような細くも頑丈な二本脚を動かし始めていた。その、四メートルは超える重たい巨体を動かしたのを見たジャックは、


「来るぞ!」


 と、敵の行動を共有するように声を出す。


 小さな地響きを起こしながら、ドラゴンの巨体は地面を抉るように土を飛ばして駆け始める。その魔物の走った後には三本の爪痕が深く残り、その鋭さと凶暴さをより匂わせた。


 二人は部屋を斜め右に走り、身を隠せる大きさの岩へ向けその足を進めていた。が、敵が横から向かって来ていたため予定を変更し、さらに進路を右へ。しかしそちらには湖付近まで大岩はなく、二人はしばらく何もない道を走らされることとなる。


 次の隠れ岩を目指す中、ジャックは走りながら後ろを見ては全体が見えた敵の様子を改めて観察。


 全身が赤黒い鱗で覆われ、足と翼が生えた蛇のような辺りの岩にも負けない巨体。丸呑みや毒牙で仕留めるタイプでなく、獲物を噛み砕くのに特化した凶暴な大口。翼は閉じているが、それも広げれば体長に劣らなそうだ。鷹のように足の後方には、引きずらない程度に持ち上げた、重量を感じさせる長い尻尾。


 そう一通り外見を眺めたジャックは、あとは、と思い、自分等と敵の距離を見ては、


「足はそこまで速くない、ってとこか······」


 と、パッと感じた所見をまとめ終える。が、


「ん?」


 ジャックはここであることにふと気付き、そちらを見る。それは前でも後ろでもなく、隣で淡々黙々と走る赤髪の少女のほうだった。


「どうした? ミーナ」


 そういえばあれから何も言ってないな。一言ぐらい何か言いそうなもんだけど。と、思うジャックは何気なく彼女にそう尋ねる。――が、彼女は進行方向を向いたままで返事をすることなかった。軽く息は上がっているものの、会話が困難でないにも関わらず無反応。


 そんな彼女の様子を怪訝に思うジャックは、もしや、と、不意に脳裏へ浮かんだ不安を口にする。


「おい、ミーナ。大丈夫か? お前まさか足でも痛めてるんじゃねぇのか? もしそうなら早く言えよ? じゃないとそのうち俺が囮になるか、背負うかしなきゃならないんだから」


 しかし彼女は、それでも無視して走り続けた。


「おい、聞いてんのか。ちょっとぐらいなんとか言えよ。痛みで辛いにしてもさ、多少喋るくらい出来んだ――」


 と、ここでようやく、


「違うわよ! 怒ってんのよ!!」


 突然、目を怒りで満たしてそう嘆くように身振り手振りで感情を露にする彼女に、ジャックは思いがけず面を食らう。


「どうした、何がだよ?」

「何がだよじゃないわよ! 全部台無しじゃない! あんな状態になってどうやって尻尾に近付くっていうのよ!?」


 と、ジャックの一人先へ歩き出した不注意を叱責するミーナ。


「あぁ、あれは悪かったって。ちょっと暑さでボーッとしてたんだよ。でも、だからってんな怒んなくたっていいだろ――」

「怒るわよ! バカっ!」

「バ、バカぁ!?」


 言い訳をするジャックだが、食い気味に右ストレートに飛ぶ彼女の罵倒に動揺。しかし、単純なその罵倒文句にふつふつと怒りが込み上げてくると、その言葉に倒れぬよう踏ん張り、対抗を見せる。


「お前、さっきの俺じゃなかったらとっくに死んでたんだぞ! 見ただろ、俺のあの回避能力(スキル)

「知らないわよそんなの! どうせ転んだだけでしょ!? 私が叫ばなきゃ今頃その頭無くしてたくせに! いっそ無くしてしまったほうが良かったんだわ! そんな能天気な頭なんて!」

「んだとー!?」

「それにマグマに足入れそうになったのだって全部私のおかげじゃない! ちがう!? このバカっ!」


 と、同じ単語でまたも罵倒されるジャック。それに彼はまたも反応すると「はぁ!?」と顔を歪ませては口調を荒々しくした。


「なに言ってんだ! あんなもん足突っ込んでも、あちっ、だけで済むんだわ! なめんな、この偏執狂!」

「誰が偏執狂よ!」

「お前以外いねぇだろ! ってかなぁ! んなことより第一そもそも!」


 ずっと思っていたことを後ろを振り返り、指摘するジャック。


「なんでいきなりドラゴンなんだよ! バカっ!」

「しょうがないでしょ! 一番可能性があると思ったんだから! それに誰も倒せなんて一言も言ってないでしょ、真性バカっ!」

「誰が真性バカだ!」

「あんたよ!」


 それからも、お互い自分の胸の内をぶちまけては罵倒しつつ二人は走る。しかし、喧嘩しながら走る分もちろん体力の消耗も激しかった。おまけに、床半分を埋め尽くすマグマのほうへと向かっている。必然、根が上がるのも早かった。


「ちょ、ちょっとそこ······そこに隠れよう······」


 汗が、月白の髪へ傍沱と流れるジャックが指差す先。そこにはようやく二人よりも少しだけ大きな岩。そこを指して彼は尋ねるが、少女も無駄な労力によって限界が身体に近付いていたため頷くだけに終わった。そして「よし」と言ったジャックを先に一旦その岩陰へ。二人は互いの腕を寄せるように身を寄せては、敵の視界に入らぬようピッタリと岩へ背中をつける。


 そして、はぁはぁ、と息を吐きながら、


「ドラゴンがこんなんだなんて、聞いてないぞ、まったく······」

「私だって、こんなんだとは、思わなかったわよ······」


 二人の向こうではドラゴンが鼻をひくつかせて獲物を探していた。そんな生き物の気配を背中に感じては警戒しつつ、ジャックは天を仰ぎ、溜め息混じりに彼女に呟く。


「最初からこんなんじゃ、先が思いやられるな······」

「······そうね」


 その発言に共感し俯く彼女は、自然と顔に影を落とした。


 ――が、


「いえ」


 彼女はすぐに勢いよく顔を上げては隣を見る。その可愛さの残る綺麗な顔立ちは怒りの色を露にしていた。


「違うわ。そもそもあなたが勝手に歩いてかなきゃ良かったのよ」


 と、もっともな理由を彼女は述べるが、


「んなの分かんねぇだろ? 二人で行ったら二人でガブッってなってたかもしんないし」


 と、ジャックも有り得た可能性を挙げる。が、


「いいえ。ちゃんと注意してればこっちが先に見つけてたわ。そしたら先手だって打てたんだから」

「何言ってんだ。先手なんて打っても結局こうなってるだろ」

「それこそ分かんないでしょ。その先手潰したくせに何言ってんのよ!」

「だから! それはちょっと気抜いてただけだって、さっきから言ってんだ――」


 ふと顔に影が掛かり、ジャックは言葉を止める。


 二人が徐に振り向いたそちらには、いさかいで忘れられ去られていたドラゴンがぽっかりと口を開けていた。獲物をどちらにするかというように見比べては、牙をチラつかせながら。


「······と、とりあえず逃げるか」

「そうね······」


 二人は同時に走り出し、またドラゴンに追いかけられながらも、さらに湖近くの別の岩陰へと隠れる。


「はぁ、はぁ······。とりあえず、あんなのに噛まれたら怪我じゃ済まないな。近付くのも気が引けるな」

「でも、近付かなきゃ血は採れないわよ?」

「んなのは分かってるよ! だから、どうやってあんなのに近付くかって話だっての!」

「だからそれは! あなたが歩いていかなきゃ万事予定通りに――」


 と、またくだらない諍いを始めそうになるが、直前の事を思い出すミーナが一度自分を抑え、深く息を吐いては熱くなりかけていた自分を落ち着かせる。


「······やめましょう。また見つかるわ」


 気を静めてはまるで大人のようにそう諭す少女。そんな姿を見たジャックは、急に自分がどことなく子供のように感じ、牙を抜かれたような、話の腰を折られたような、ぽっかりと穴が空いたような感覚を抱く。が、


「······あぁ、そうだな」


 そうだ、今は今。こっちに集中だ。と、彼女の言うことをもっともに感じるとその言葉に寄り添い、沸き立っていた感情を自制する。そして、


「とりあえず······」


 ジャックは岩陰から、背中をつけたまま顔を覗かせる。


「どうやって近付こうかねぇ」


 ドラゴンは、先に隠れていたのとは違う、ここから少しだけ離れた岩群を、鼻をヒクヒクとさせながらしらみ潰しに探していた。


 するとジャックの肩を、しゃがむように、というように軽く叩く手。ジャックがしゃがんで片膝を付きながら見ると、その上からミーナも覗く。


「そうねぇ······」


 さっきまでの二人なら、ここで振り出しに戻っていたがそうはならなかった。それだけお互い冷静さを取り戻していたと言えた。


 背面に湖を感じながら敵情視察するジャックの上で、同じようにドラゴンの横身を見るミーナはふとあることを浮かべると、開けた右側――部屋の左方面と敵とを何度も確かめる。そして、自分の見ているものを出来るだけ正確にしようと、下で屈むジャックの肩をトントン、と二回叩いた。


「ねぇ、ジャック。ちょうどあそこ――角の削れた岩と、少し丸め岩の間あるでしょ? あそこ、ドラゴンと同じくらいの幅に見えないかしら」


 彼女は人が隠れられるほどの大岩が点々とした、その一帯を指差す。ジャックは直前の彼女と同じよう、敵とその間を見比べては目を細め、幅を目測した。


「あぁ、そうだな。でもそれがどうした?」


 視線を戻し、再びドラゴンを捉えてはそのままに、ジャックは上の彼女へと尋ねる。


「そうね」


 と、一旦ドラゴンから目を離すミーナは視察をジャックに任せ、岩に背をつける。そして人差し指を唇に当てては思考の仕草。その彼女をチラと一度横目で見たが、その顔が真剣なことから、ジャックは声を掛けず黙って敵を注視に専念した。


 そして、彼女は程なくして手を下ろす。


「私が囮になって岩に隠れるから、あなたが反対側から血を採る、なんてどうかしら?」


 それを聞いたジャックは、今度はあまり乗り気でない横目で彼女を一瞥。


「結局、そういう方法になんのな」

「しょうがないでしょ。相手を少し甘く見てたもの」

「ふーん······。けどミーナ。お前それ、大丈夫か?」

「なにが?」


 ジャックは敵から目を離し、岩にもたれる彼女を真剣に見据える。


「ちゃんと出来んのかってこと。躓いて転んでも、俺は助けてやれねぇぞ」

「あら、昔みたいなこと言うのね。心配してるの?」


 感情を誤魔化すために「ちげぇよ」と反射的に言ってしまうジャックだが、少し沈黙しては改め「······まぁ、少し」と、素っ気なく言う。


 これまでの様子から、ミーナも走ればドラゴンから逃げることは出来るだろう。と、ジャックは思うが、それでも万が一のこと――特に一度死にかけてる身にとっては、その不安を払拭するのは難しかった。


 しかし、そんな彼の胸中は余所に、


「大丈夫よ。危険なのはお互い様だし。それにあなたの方が近付くんだからあなたの方が危ないわよ」


 説得するようなその言葉を聞いても、ジャックはまだ、若干不服を持っていた。そして「うーん」と唸りながら、ドラゴンの方へとゆっくり視線を。


 他にいい手はないものか、せめてもう少し安全策はないか。ジャックはそう考えるがやはり良案は浮かばなかった。彼女の言う手段をするにしても熟考したいが、相手は徐々に迫ってきているためそれも許さない。


 ジャックは懊悩おうのうしていたが、そろそろ決めないとまた走る羽目になるな。と、考えをまとめる。そしてその頃、再び敵を視認したミーナが催促するように。


「どう? やれる?」


 あと二岩でドラゴンは二人の元へ辿り着くところだった。既に答えを決めたジャックは、もう引き返せねぇな。と、俯き加減で「はぁ」と軽く溜め息を吐く。そして、


「やるしかないだろ」


 群青色の眼に鋭気を宿したジャックは、その行動の意思を彼女に伝える。それを聞いた彼女は、


「じゃ、きまりね」


 楽しさを滲ませたお得意の顔で返事をした。

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