オナジ①
ザバへ出発当日の朝。
「これ、なんだ?」
エドワードの所へ剣を取りに行っては研究部屋へ帰ってきたジャックは、紙の上に乗る紅い玉を摘んでは眺めていた。
「丸薬よ。前、あなたが走りながら飲もうとして、あまりに飲みにくそうにしてたでしょ? それで作ったの。そんなことに気付かないなんて、私としたことが迂闊だったわ」
「確かに、毎回立ち止まって服用できるとも限らないからなぁ」
ジャックは「けど、本当にヒイラギの実みたいだな、これ」と言ってそれをまた紙の上に戻す。
「効果に違いとかあんのか?」
「いえ、服用方法も効果も、普通の粉のやつとなんら変わらないわ。気持ち、粉のほうが早く溶ける分、早く効果が現れるってとこね。でも気にならない程度の差異よ」
「ふーん」
ミーナは、その丸薬を紙を丸めるように包んでは散らばらぬよう捻り、革の小袋へと手際良くしまっていく。その隣にあった白の丸薬――あの身体強化の丸薬も同様に。
「そういえばさ、その白い薬はもう名前決めたのか?」
「えぇ、昨日フィリカとね。『ハゼノキ』にしたわ」
「ハゼノキ?」
「遠い異国の地では、白い実を付けるハゼノキってのがあるそうよ。ちなみにそのハゼノキは蝋燭の元にもなるんだって。ほら、火を灯すのって燃焼――筋肉を爆発させるのとなんとなく似てるでしょ? だから良いかなと思って」
やや無理矢理感を覚えなくもないが、まだちゃんとした名前で「へぇー」と安心するジャック。まぁ、植物に準えてるならブレようもないだろうけど。と心の隅で思いながら。
「あとは『レッドポーション』二本に、ナイフと筆記具ぐらいね」
少し御機嫌の、髪を纏めたミーナは、やや明るい茶色のガロンリュックにいま口にしたそれらを一つずつ詰めていく。薬の入った二つの革袋は邪魔にならない形で、既に腰からぶら提げていた。そして、それらを詰め終えた彼女は左胸の辺りを一度押さえては、
「粉のほうも持ったし······。よし、私のほうはオッケーよ」
と、自分の身支度が終わったことを告げる。すると、
「砂漠を越える食料は途中で買うとはいえ、結構持ってくんだな。それに比べ、俺こんなんだけど本当にいいのか?」
そう口にするジャックは鎧を着ず、キメリア火山やイーリアの森へ行った時のような、質素な、白に近いベージュの半袖シャツに黒のパンツ。腰には帯剣するためのベルトだけ。
「えぇ。だって砂漠に行くのよ? 鎧なんか着てたら重たいし暑いでしょ?」
「そりゃあな」
なんか前にも聞いたことあるような言葉だけど······。と、ジャックはそれが何だか思い出せず、まぁいいや。とそれより自分の気にしてた事へ移る。
「それはともかくさ、砂漠ってのは昼はまだしも夜は寒ぃんだろ? どう考えても俺ももう少し着るべきじゃないのか――」
「そこは心配いらないわ。あそこに羽織るもの入ってるから」
「おっ、そうなのか。気が利くじゃねぇか」
と、晴れた顔をするジャック。そして自分の後ろ――ミーナが視線で指した場所を見る。が、すぐその顔は暗雲に。
「······おい。あれ持ってくのか?」
「当然よ」
ジャックの視線の先には、人が二人隠れられそうな程の大きなリュックがあった。入り口から黒板側へ向かうのと反対側――正にこの部屋へ入った際、死角となるドアの影になる位置に。どう考えても入った時は気付かず、この部屋を出る時でないと気付ぬ、その位置に。
それに初めて気付いたジャックの第一声は、
「デカすぎだろ」
「簡易テントや自炊道具とかあるからどうしても嵩張っちゃうのよ。旅って大変なのね。もう少し減らそうと思ったんだけど、どれも野営に必要だから置いてけないのよ」
「んー、それじゃ仕方ねぇな」
と、渋々納得の声。しかし、肝心な事がまだ残っていた。
「――で、あれ、誰が持つんだ?」
すると、振り向いたジャックに向けられるのは、机の書類を見ながら「ん」と持ち上げられる彼女の右人差し指。
「あぁ、そう······」
リュックを見た時から勘づいていたが、尋ねたジャックはいつもの、ふざけんな! という怒声の代わりにジト目。鎧がいらないと言った理由はこれか。と、ひとり合点した。そしてその狡猾さに、小さい頃より人の扱いひでぇな、こいつ。と改めて思いながらもただやはり、野営に必要なんじゃ持ってくしかないよなぁ。と思い、溜め息で受容。すっかり飼い慣らされていた。
「お金も入ってるんだから、気を付けてね」
信頼されてんだか使われてんだか。と、いまだ自分のことに集中している彼女へジャックは「はいはい」とだけ返事。
ともあれしかし、視線をあの荷物へと戻すジャックは改めて苦笑。その大きさに、せめて自分の家で荷造りしろよ。と思う。だが、もしかしたらリュック以外は城の物なのかねぇ。と考えては、それじゃ仕方ねぇか······。と、落胆。
気を落とすジャックは、もうとりあえず今はその事を忘れてしまおう、と嘆息。そして視線を横へ。もう一つ気になっていた、視界の端にいた、近くで背中を見せては椅子に座っている、珍しくまだ準備完了を告げない少女を見る。
「――で、お前は何やってんだよ······さっきから······」
やや引きつった顔で尋ねるジャックの前で、その少女――フィリカは腕を組んで椅子に座り、机に幾つもお菓子を並べ、この上なく真剣にそれらを睨んでいた。
「持っていくおやつ、あと一つどうしようかと思いまして」
「んなのどれでもいいだろ······」
机には紙袋に入ったクッキーにスコーン、ビスコッティ等々······しまいにはバナナまで並んでいた。ちなみにフィリカの隣にある椅子。そこに乗る彼女愛用の肩掛け鞄からは、既にお菓子がはみ出つつあった。
お前はどんだけ菓子持ってくんだよ。と、出発前からいよいよ気疲れが普段一日の許容限度に近付くジャック。
すると突然、
「ジャックさん!」
まるで何か思いついたように突如振り向くフィリカ。だが、彼女は首を傾げて言う。
「そもそも、バナナっておやつに入るんですかね?」
「知るかっ! 俺に聞くな!」
荷物のことからなにまで、考えるだけいよいよ阿呆らしくなるジャックはその気疲れの受け皿ををリセットするように、肩に乗る余計な全てを払い落とすように椅子へドサッと座る。
「はぁ。なんか遠出ってより遊びに行くって感じだな。こんなんで本当に大丈夫なのかよ」
「大丈夫よ。だって、ザバから来た人を司令官が直々に紹介してくれるんだから。道々はその人に任せればいいでしょ?」
「そりゃそうだけどさ、それは案内にってだけだろ? 魔物にはいつ遭うかも分かんねぇってのに」
「あら、それが同行してくれる人、それなりに戦える人間みたいよ? もしかしたら全部任せられるんじゃないかしら」
「んな都合の良い人間いるかっての。――まっ、もしそうならそっちでも頼りになればいいけどさ」
と、本来なら自分の負担が減って良いことなのだが、先の彼女等による二つの出来事から、ジャックはどこか不貞腐れたようにそう言い放った。決して、嫉妬や侮蔑、過度な自信などではなく、ただ単純に『明日も晴れたらいいねぇ』程度の言葉通りの希望的観測のように。
そんなジャックは、机に右手で頬杖をついて深い溜め息。そして、で、その案内人はまだかねぇ。と思っては欠伸。
――と、しかし、ちょうどその時だった。
部屋の入り口からノックの音が軽く聞こえ、ガチャっと静かに研究室のドアが開かれた。
「あら、噂をすれば」
そこから顔だけ見せる形で中を覗いていたのは、あの黒獅子のような男――司令官のハイゼルだった。そして彼は、退屈そうにしているジャックや荷物を詰め終えているミーナ、そしてフィリカを見て、
「おっ、準備も終わりそうかな」
と言いながら部屋の中へ。立ち上がるジャック達は、近付いてくる彼に三者三様の挨拶。敬礼、会釈、手を振る、というように。すると、近くまで来たことでフィリカの前に置かれた物をしっかりと認識するハイゼルが、
「ハッハッハ、まるでピクニックだな」
と、大きく笑う。ジャックはひっそりと苦笑い。やっぱ司令官もそう思うよな······、と。
すると、そんな慎ましくいるジャックと違って、まるで友達にでも話すようにフィリカ。
「ハイゼルさんハイゼルさん。ザバに持っていくおやつなんですけど、この中でどれを持っていくのがいいと思います?」
「んー、フィリカ君。急に難しい質問だねぇ」
「――? どうしてです?」
「だって、僕は行かないから食べれないだろう?」
「なんだ、そういうことですか。まっ、そんなことは置いといて、とりあえず適当に選んでくださいって。私じゃ決まりそうにないんですよー」
「んー、そうかい? じゃあ仕方ないねぇ」
と、彼は言うが、その顔はやや嬉しそう。自慢の顎髭に手を当てている。
「そうだなぁ······ビスコッティなんかが良いんじゃないかい
?」
「ほぉ、ハイゼルさんがザバに行けてたら食べるのはこれなんですかー」
すると、さっきまでの顰めた顔での悩みが嘘のように、フィリカはさっとビスコッティを手に取っては鞄へ詰め込んだ。――が、詰め終えた頃に、
「まぁ、でも、僕が食べるならクッキーかなぁ」
「えーっ! じゃあなんでビスコッティ薦めたんですかー!?」
鞄を閉じ終えて準備を完了してしまったフィリカは、むぅー、と頬を膨らませて怒った表情。するとそんな彼女を諭すように、
「いやだって、君が持ってちゃったら僕の希望が無くなっちゃうじゃないか」
と、その理由を話す。それを聞いて、フィリカは頬を萎ませるも、目を細め、口を尖らせた不満の表情。
「意地悪ですねー。初めからそのつもりだったでしょう?」
「あはは、そんなことないよ。たまたまだけどね、君が前、美味しそうにビスコッティ食べながら廊下歩いてるのを見かけてね。だからそれがいいんじゃないかなと思ったんだよ」
と、それを聞いたフィリカは途端にキョトンとした顔に。するとフィリカは、黙ってバナナだけを閉じた鞄の上へ置いて、残りを机の端にまとめて寄せる。それらはここへ置いていくつもりのよう。
しかし、
「じゃあ、仕方ありませんね」
再び、寄せたお菓子のほうへ彼女は手を伸ばすと、その中から可愛らしい花のシールで口を止めた、一つの紙袋を手に取る。そして、
「じゃあ、このクッキーは私からハイゼルさんへの、御礼と真心を込めたプレゼントです」
と、両手でそれを丁寧に包み、可愛らしく、そして恭しく、もっともらしく首を傾げては差し出して微笑んだ。如何にも、無垢な少女らしさがあふれるように。すると、
「おっ、嬉しいねぇ」
それを右手で受け取るハイゼルは見るからに嬉しそうに、ややニヤケにも取れる顔で「ありがとう」と感謝。態度は毅然としてはいるものの、とても社交辞令には見えない顔だった。それから二人はしばし目を合わせて意味深長に、ふふふ、と微笑む。二人はまるで、それだけで会話をしているかのようだった。
「ちゃんと、味わって食べてくださいね」
「あぁ。早速、昼休憩の時にでも頂くよ」
と、微笑ましくも思えるような二人の光景。――だが、その光景を見る『あの二人』は違った。彼等の楽しそうな目と違って、こちらはすっかり冷ややかな細目。
(なぁ、俺達は何を見せられてるんだ?)
(親と子のやり取りならいいんだけどね······)
司令官への挨拶のためジャックの近くへ来ていたミーナは、手をつついては小声で『コンタクト』を使うよう合図を送っていた。そして裏で会話。その話題は当然、手元が一瞬光っていたもののそれに気付かず、まだ楽しそうに、今は口を開いて話している二人のこと。
(なぁ、ミーナ。この辺のこと、あいつに聞いてないのか?)
(聞いてないわよ。だからあなたにコンタクトしたんじゃない)
(まぁ、そりゃそうかもしんないけどさ······。なぁ、ちょっと今度それとなしに聞いてみてくれよ。流石に気になるだろ)
(バカ、聞けるわけないでしょ。結婚してる司令官が自分の娘ぐらいの子とそういう関係だったなんて話出てきたらどうすんの)
(出てくるわけねぇだろ······と、思いたいけど······あぁ、確かに万が一のこと考えるとやべぇな。もしそうだったら俺どうしていいか分からなくなるわ)
(でしょ? だから無茶言わないで。知らないほうがいいこともあるのよ。それにもし、そんなのが事実だったら私、半年は引きずっちゃうわよ?)
(あぁ、分かる。それは俺も一年は引きずれるわ······)
そうして、お互い詳しい関係は知らない上、聞けないということで、とりあえず今は深く介入しないことに。しかし、ジャックは気になることがもう一つあった。
(でもさ、フィリカのやつ。あぁ見えて、あれ、絶対猫被ってるだろ)
(あら、そうなの?)
(だってさ、俺等の前じゃ、あそこまでわざとらしく可愛い子ぶってないだろ? むしろガツガツしてるっていうか)
(あぁ、確かに。言われてみればそうね)
(だろ? だからさ、司令官を軽く見るとかそんなんじゃないけど、実際手玉に取ってるのはあいつのような気がするんだよな)
(そうなのかしら。女ってのは分からないものよ?)
(そうか?)
(そうよ。でもともあれ、そう考えると逞しい子ね。さっきの心配も必要ないかしら?)
(それはどうだろうな)
(どうして?)
(だって、もしフィリカがその気になったらもう簡単にってことだろ?)
(ちょっとやめてよ。なんか余計ドロドロしそうじゃない)
(お前が聞いたんじゃねぇか)
(はぁ······そうね。じゃあとりあえずは、あの子が変な過ちを犯さないよう、それだけは見張っておくわ)
(あぁ、そうしてくれ)
そうして、ミーナと同じ気持ちで、溜め息が漏れそうなジャックの言葉で会話に幕が下りる。
そんな二人の会話が終わった頃に、
「あぁ、いかんいかん。フィリカ君との会話もそろそろにしないと」
こちらの会話も終わりに近付く。
「えぇー、残念ですー」
「そんなこと言わないでくれ」
ハイゼルは困ったようにそう言うが、自分の後ろのドアを目顔で指すと、
「そこでね、案内人の彼を待たせてるんだよ。いい加減呼ばないと可哀想だろう?」
それを聞いたフィリカは「あら、そうでしたか」と、流石にこれ以上の長話はいけないというように潔く身を引く。そのあまりの潔さには、目の前の獅子のような彼はやや残念がったように見えたが。
ともあれしかし、その彼――ハイゼルはすぐに気を取り直すと、
「そういうわけだから、彼、中へ入れてもいいかな?」
と、ここの責任者――三人代表であるミーナのほうを、いつもの仕事の顔で見た。ミーナは当然、
「はい、お願いします」
と、二つ返事で首肯。無論、断るわけもないのだが、形式上の了承を得たハイゼルは「うむ」と力強く頷いた。そしていよいよ彼は、ドアの向こうにも聞こえるよう、低く野太い、しかし通る声で案内人へと呼び掛けた。
「すまないな、待たせた! いいぞ、入ってきてくれ!」
少し、間があってからだった。
ガチャ、とドアノブの回る音がする。徐に開かれる研究科の扉。最初に靴の先が見え、やがて全体像が現れる。背筋の伸びた颯爽とした姿――中に入ってきた男は、刺繍の入った黒のヘアバンドに金色の髪を包み、歩行に合わせてそれを僅かに弾ませる。
そして、ジャック達のほう向かってくる。――が、
「はぁ!?」「あら」「ん?」
その彼の顔が見えた瞬間、三人はまさに三者三様の反応を見せた。その中でも、眠そうなだった目をバッチリと開けては一番声を荒げていたのはジャック。そしてジャックはこちらに歩いてくるその案内人を指差しながら、
「ハイゼル司令官、あれ······本気ですか?」
動揺でやや言葉を乱しながらも、側の上官を一瞥して尋ねる。望み通りの反応がもらえたとでもいうように、ニヤニヤと髭をいじる彼は、
「あぁ、本気だ」
と、ジャックと同じ言葉を使って、それが真実だということを強く念押すように言った。ジャックはもう一度、今度は独り言のように「マジか······」と、唖然としたように言葉を漏らす。そして文字通り、言葉を失っていた。
「じゃあ、自己紹介を頼む」
「はい」
程なくして、一同の目の前まで辿り着いた案内人。司令官に快活に応えた彼は、サファイヤのような青色の瞳で、研究科一同の顔を一通り見ては、そして名乗った。
「スライ・シュトゥルーデルだ。よろしく」
名乗った彼は、続けざまにジャックを見ては、
「よっ!」
と、威勢よく手を掲げた。ジャックは苦々しく、頬を引きつらせたような顔をしていた。その理由もそのはず、彼はかつての同期の兵士なのだから。
「なんでお前なんだよ」
決して嫌いではないのだが、ジャックはまさかも思っていない人物だったため、これから一緒に旅をすることも踏まえ、素っ気ない対応を見せた。だが、
「ザバ出身だから?」
「んなこと分かってるよ! いや、出身は初耳だけども!」
ジャックより少し背の高い彼は頭で腕を組んでは、ケケケ、と慣れたように揶揄っては笑っていた。そこへ、どうしても自分の幼馴染へ尋ねたくなったミーナが話に加わる。
「ジャック、なんであんたが彼の出身知らないのよ。私も覚えてはなかったけども」
「いやだってこいつ、西区に住んでるとしか言ってねぇんだぜ? 普通この街にずっと住んでるもんだと思うだろ?」
「だからって、異国から来てたらそれらしい雰囲気多少はあったでしょ?」
「いや、ねぇって。だってこいつ、知らない人でも近所の顔馴染みみたいな付き合いの仕方しやがるから」
と、幼馴染の嘘のない真に迫る言葉を聞いたミーナは「ふーん」と言って、流石にそれ以上は尋ねなかった。すると今度は「いや、おかしいだろ」と頭を抱えるジャックに、いまだ彼が何者かピンとこない少女が尋ねる。
「あの、ジャックさん······? この方ってどこかでお会いましたっけ······? なんかお名前は聞き覚えあるんですが······」
ジャックは憔悴したような顔をチラと、首を傾げては口元に指を当てているフィリカに向けると、
「忘れたのか······? 俺が前、筋肉痛で突っ伏しながら言ってた奴だよ。ほら、お前の伝言をくれたっていう」
「あぁ! この人が!」
モヤモヤが晴れたフィリカは、パチンと両手を合わせていた。そしてその件を思い出し、恭しく頭を下げる。
「どうも、その節はお世話になりました、スライさん。初めまして、フィリカです」
と、ややキョトンとしている彼は、とりあえずそんな年下の彼女に倣うように、
「スライです。初めましてフィリカちゃ············」
と、そこまで言った所で今度は「ん!?」と、その名前に心当たりのある彼のほうが目を丸くしてジャックのほうを勢いよく見た。ジャックは何とは言われてないにもかかわらずそれを察すると、
「そのフィリカ」
と、黙って頷いた。二人の間には『司令官を伝言に使うフィリカ』という共通認識があった。当然、何のことかピンとこないフィリカは偽装なく首を傾げていたが。ものすごく何か尋ねたげなスライだったが、隣へ一瞬だけ目を滑らせては口を縫うようにつぐんだ。やや似合わぬ紙袋を手に持っている司令官がいるこの場では、必死に堪えることを選択せざるを得なかった。
そうして、仕方なく沈黙が流れた所で、
「それで、ミーナ君。先日、魔力を使える人を探して欲しいとも言ってただろう? ちなみにだがね、彼、少しだけど魔力が使えるそうだよ」
もう一人――特ダネの当事者であるハイゼルが、スライを選んだ理由を付け加えるように言った。それを聞いたジャックは思わず、
「えっ? そうなのか?」
「少しだけな」
スライは顔の前に手をやって、親指と人差し指を伸ばして見せる。またこいつは······。と、ジャックは、彼が兵士でここには関係なかったということを分かりながらもジト目。ちなみに、もう当の彼は、面白い記事でも眺めるような興味の目で、ジャックの幼馴染である赤い髪の彼女を見ていた。
「だからミーナ君。彼の実力を見てもし良さそうだったら、そのままここに入ってもらうのはどうかと思ってね」
「それは光栄です。彼を手配して下さった御尽力、感謝致します」
そしてミーナは軽く目を伏せたような、大人の女性に見られそうな、粛々とした艶やかな礼を。それにハイゼルは「いや、気にしないでくれ。実際、まだ全然見つかってないからね」と、堅くなりつつある場を和ませるように言った。
そして、
「よし。じゃ、そういう事でいいかな? 僕ももうすぐ会議があるからそっちに行くよ。君等も、くれぐれも大きな怪我だけはしないよう、気を付けて行ってくるように」
今までで一番の重みが籠った言葉を乗せたハイゼルは、上官としての目を四人に向ける。四人はそれに「はい」と声を揃えて、短く真摯な返事。ハイゼルはそれを見て、微笑で深く一度頷く。そして「じゃあ、帰ってきたら報告頼むよ」とミーナにもう一言だけ伝える。彼女は「はい」とだけ返事をした。
そうして司令官は、クッキーを片手に一足先に鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。
「なんかご機嫌だったな。ハイゼル司令官なんかあったのか?」
「フィリカのクッキー効果じゃないか?」
いつもと様子の違う司令官に、この彼も気付いていた。しかしともあれ、
「さっ、それじゃ私達も出発しましょうか。船の時間もあることだし」
ミーナが、壁に掛かる時計を見てそう言った。自分達もそろそろ出発しなければならなかった。
「そうだな。話なら後でも出来るし」
「船でもたっぷり時間はありますからね」
「えぇ、そこで色々話しましょう」
そして、茶色のガロンリュックを背負うミーナは、
「じゃあよろしくね、スライ」
と、彼に握手を求める。だが、彼はそれ応える前に微笑で、
「あれ、そういえば俺のこと知ってる感じ?」
「まぁ、ちょっとね」
ミーナの、やや意味を含めた言い方に彼は少し目を丸くしたが、ジャックのほうを一瞥すると「まっ、いいや」と真っ直ぐな眼を向けて、
「よろしくね、ミーナちゃん」
と、改めて挨拶と握手。スライは続けて残りの二人にも
「よろしくな、ジャック」
「よろしくね、フィリカちゃん」
と、ミーナに向けたのと同じように挨拶と握手をした。そしてそれが終わると、
「じゃ、行きましょっか」
大きすぎるリュックなど、各々荷物を持った四人はこの研究科の部屋を後にした。次の目的地『ザバ』へ向け、新たな仲間を一人、試験的に迎え入れて。