英雄(ヒーロー)⑥
ジャック達が外へ出ると、工房の外で血の跡が点々としているのがすぐに目に入った。それはあの東の橋へと続いていた。その跡を追うと、木の棒やモップを持った人が集まる後ろで、腕から血を流して座り込む女性がいた。
ジャックは膝を曲げ、同じ目線から話し掛ける。
「どうした、何があった?」
「息子が······息子がモンスターに······」
女性はミーナに怪我を見られながら、顔を真っ青にして泣くような声をしていた。そして彼女は指を差しており、その先――石橋の上には二匹のガルウルフと一人の男児がいた。男児はその内の一匹に左足を噛まれ、泣き叫びながら母親を呼び、地面を掴むようにするも引きずられていた。
「ちょっと、なんでこんなトコまで魔物が来てんのよ!」
近くではその男児を助けようと鉄パイプを不器用に振るう若い男が一人居たものの腰が引けており、もう一匹のガルウルフが威嚇をする度、身を退いていた。
「くそっ、何やってんだ、ここの見張りは! とりあえず行くぞ! ミーナ、手貸してくれ!」
「えぇ!」
兵士は、橋の傍らに一人、足から血を流して倒れているだけだった。ミーナは近くの中年男性に「この人とあの兵士を。あと軍に応援もお願いします」と、この場を任せると立ち上がり、先に走っていたジャックを追って急いで橋の上へ向かう。そして合流して、
「二匹だけならなんとかなるわね」
「あぁ。お前は後ろから炎でサポートを頼む」
「分かったわ」
ジャックは走りながら剣を抜き、ミーナはカットソーの胸ポケットから薬包紙を出す。そして二人はあの腰の引けた若い男性の元へ。少年少女とはいえ援軍――片方が軍の剣を持つ者だったため、やや安心する男。男と位置の入れ変わったジャックは敵の隙を窺い、橋の袂まで退がるよう彼に言った――敵を見据えたままのミーナは、立ち止まって薬『ヒイラギ』を服用しようとしていた。
――が、その時。
パスッという音が響き、二人の隙間を通り抜けるように小さな矢が通り抜けた。その小さな矢は、威嚇していた狼の胴体へ刺さる。刺さった拍子に魔物は飛び上がっていたが、着地した途端、足が力を忘れたように踏ん張りを失くして橋へ転倒。魔物はそのまま身体を痙攣させたように、ピク、ピク、と無抵抗に。
二人は思わず後ろを振り返った。
「どうじゃ、悪くないじゃろ?」
そこにはあの老人――エドワードがやや息を切らせながら、あの懐中銃を持って立っていた。その彼の後ろでは、彼と目が合った、彼に身を隠しながら前を覗くフィリカが二度首肯。
そして、エドワードは次の矢を装填しようとする。――が、
「いかん、矢を忘れた」
彼は拍子抜けしそうな声で言った。
「すまん、お前ら! 後は頼む!」
「おいおい······どうせならもう一匹やってくれよ······」
「まったくね······」
気を取り直して二人は前を向き直る。――が、その間の自分達の失態を認知。魔物が既に足から胴へと噛む部位を変え、男児を持ち上げて走り去ろうとしていた。
「まずい! ジャック、追うわよ!」
「あぁ!」
そしてジャックは、「フィリカ! 必ず連れて帰るって伝えといてくれ!」と、走りながら後ろの彼女に伝言を残した。フィリカは二人に見えるよう大きく頷いていた。
ジャック達は一度武器をしまい、ひたすら追いかけていた。――が、追いつけず、ガルウルフには橋の終わり――街の外まで逃げられていた。
「くそっ、子供くわえてんのに速ぇな」
「そうね、じりじり離されてるわ」
加えて、全力で走る二人の体力も徐々に落ち始めていた。
それらを踏まえて、ジャックが彼女に手を差し出す。
「ミーナ。あの強化魔法持ってるか?」
「えぇ、一つだけ」
「じゃあそれ、俺に使わせてくれ。お前も使えるだろうけど、きっと俺のほうが早く追いつけるだろ? それに、炎に切り換えるのもロスだ。このままだと巣へ入られちまうから頼む」
「······そうね。あなたの魔力も回復してるだろうし、分かったわ」
そしてミーナは、胸ポケットから先とは違う薬包紙を取り出す。
「こぼさないでよ。風が吹いたとしても、こぼしたら軽蔑するから」
それは冗談ではなく、男児を助けられる唯一の手段を踏み潰すという意味での言葉だった。ジャックもその言葉の真意は分かっていたため「あぁ」と。薬を受け取るジャックは、風を少しでも受けぬよう手で囲いを作り、走りながら器用にそれを口に含む。そして、一度喉を鳴らしたジャックは、紙を放り捨てた。
「じゃあ先行く」
「えぇ。私もすぐ行くわ。気を付けて」
「あぁ、お前も」
そして、ミーナが頷くと、同じように頷いたジャックは前を向いた。直後、ジャックの走力は一気に上昇。跳ねるように走り、確実に子供を咥えるガルウルフと距離を詰め始める。
ジャックは走り続けるためにも、魔力が過多にならぬことだけは留意。ガルウルフは距離を詰められスピードを上げていたが、それでも、ジャックのほうが断然速かった。そうして、草原の真ん中に盛り上がった場所が見えてきた所で、五メートル程の距離までに詰めていた。
だが、
「確実に決めないとな······」
その盛り上がった箇所に見えるのは小さな洞窟――ガルウルフの住処だった。このまま行けば追いつけるだろうが、万が一にも攻撃を外し、剣を振るのに手狭なそこへ逃げ込まれれば、こちらが圧倒的不利になるのは予想がついた。
奪還失敗とも言えるそれだけは避けねばならぬジャックは剣を抜き、また、男児も傷付けぬようにと、全神経を敵に集中させる。そして足に込める魔力をさらに高めると、その爆発的な脚力で一気に距離を詰めた。
ガルウルフは、驚いたようにさらにスピードを上げたが焼け石に水。その身体に向け、剣は既に上体を折り曲げた身体から振り上げられていた。そして、斬られると同時、鳴き声を上げる狼。男児にはかすらなかった。しかし、
——くそっ、浅いか。
ガルウルフは咥えていた子供を放したものの、手応えは物足りず。しかしまずは剣を右手に、ジャックは逆の手で落ちた子供を抱き抱える。そして敵と距離を取った。
「大丈夫か?」
子供は嗚咽を漏らしながらも頷いて、質問に応えていた。
「よし、よく頑張ったな。だけど、もう少しだけ待ってろよ」
ジャックは男児を下ろすとその頭を撫で、座った彼の前に立って剣をもう一度構える。先の鳴き声を上げたガルウルフが唸り声を上げながら威嚇をしていた。そして、二、三度吠えるように鋭い牙を覗かせては、こちらへ一気に走ってくる。
まるで、斬られた傷を物ともせず走る敵。
剣をしっかりと両手で握り直すジャックだが、今はもう、左頬を上げ、鼻で笑うだけだった。それは男児を救出して、後は心置きなく敵を倒すだけだったから。
「······俺が相手で悪かったな。今の俺は敵無しなんだよ」
すると、向かってくる魔物へ踏み出したジャックは相手よりも速く跳び、牙を避けると、その狼の身体を素早く二度斬り裂いた。今度は確実な手応えだった。
宙で二度斬られたガルウルフは走る勢いのまま地へ落ちると、幾らか転がって動かなくなった。噛みつこうとしていた牙はそのまま、永遠に閉じることもなく。
――と、その裏では、剣を振るったままの姿勢でいたジャックなのだが、
「······いてて、ちょっと調子に乗りすぎたな」
まるで凝り固まった身体をゆっくりと解くように、襲ってくる鈍い痛みに耐えながら身体を戻していた。男児を救って安心した分、魔力調整が疎かになり、その反動をすっかり受けていた。
だがそれでも、一先ずは剣を鞘に納めた。
そんな一通りの光景を、あの男児は目尻に玉を残しながら呆然と見ていた。その彼に近付くジャック。
「立てる······わけないな。その傷じゃ」
腹にある男児の傷はまだ浅かったものの、足のほうは連れてかれる前にひどく噛まれ、立つだけで痛みが生じそうなほどの出血だった。そのためジャックは、
「少し動けるか?」
と、おんぶするために男児の前でしゃがんでは、乗るように伝えた。――が、男児はジャックをジッと見て動かなかった。
「ん、どうした? 足痛むか?」
もう一度尋ねられ男児はハッと、首を横に振った。そして、泣くことなくジャックの背中に。
「よし、帰るか」
そうして、ジャックは立ち上がって踵を返した。
歩き出してから少し経つが、背中の男児はずっと黙っていた。しかしそわそわしており、何か言いたそうにもしていた。ジャックは話し掛けようとしたが、だがそれよりも先に彼が限界を迎えると、不意にもこんなことを口に。
「······お兄ちゃん、カッコいいね。ありがと!」
「へへっ、気にすんな」
軍に所属して初めて、あの幼馴染以外にしっかり感謝されたジャックは照れ臭そうに答える。すると、
「ぼく、大きくなったらお兄ちゃんみたいになる!」
「おぉ、そうか?」
「うん! 強くなって、いろんな人たすけたい!」
「おっ、いい目標だ。将来楽しみだな」
男児はすっかり痛みも忘れていたように話していた。――と、そこへミーナが合流する。
「大丈夫?」
「あぁ。無事、問題なく」
ジャックは、やや息を切らす彼女に、終わった事を伝えるようにそう清々しく答えた。彼女はジャックの顔を見て、あまりの機嫌の良さにやや疑問に思うも「そう」と口にした。
――が、その時だった。
「グルルルル······」
ジャック達の後ろには、ガルウルフの群れが唸り声を上げて構えていた。それには流石に、
「マジか」
「あんたねぇ、全然問題あるじゃないの······」
ガルウルフは仲間の鳴き声を聞き、外に出てきてはジャック達を見つけ追いかけて来ていた。その半円状に囲むよう威嚇する魔物を見た男児は、
「どうしようお兄ちゃん······」
と、再び泣きそうになっていた。――が、
「大丈夫よ。お姉さんに任せておきなさい」
と、困惑する男児の頭を優しくポンポンと叩くミーナ。動揺など微塵も感じさせぬ彼女は、胸ポケットから薬を取り出すとそれを流れるように飲んだ。それが赤い薬だったのを見たジャックは、すぐさま彼女の後ろへ退がり距離を取る。
一人、前へ残される彼女を見て、
「ね、ねぇ、お姉さんだいじょうぶなの?」
と、男児は心配の声を出すが、
「あぁ。今のあいつなら心配ねぇよ」
ジャックは、前にいる彼女のような、これっぽっちも物怖じしない毅然とした調子で言った。
前では、その彼女にガルウルフが威嚇をしていた。そんな魔物の群れに囲まれるも、髪を風になびかせる彼女は余裕綽々に、呆れたように溜め息を吐く。
「ったく、先に傷付けたのはアナタ達でしょう?」
すると途端、その彼女――ミーナの周りに炎が現れる。ミーナはブレスレットをした左手を魔物のほうへかざしつつ、柔らかいアーモンド目を一度そっと閉じる。だがすぐに、キッと、目を開くと、鋭い怒りが浮かぶ深紅の瞳を覗かせた。
そして、
「地獄で焼かれなさい」
冷血に言い放った刹那、ガルウルフの足元から何処からともなく巨大な火柱が現れた。地から沸き上がったような業火のごとく立ち上る炎は、余すことなく狼の群れを呑み込んでいた。炎の中浮かぶ獣の黒い影は、あっという間にその色へと溶けていた。鳴き声さえこちらへ聞かせることなく。
「すごい······」
「ほんとバケモンだな······」
彼女が手を下ろした頃に残っていたのは、熱の残滓を散らかすだけの、不自然に浮かぶ焼け野原だけだった。脅威となる魔物の影はどこを見渡しても見当たらなかった。――と、そんな燃えた匂いを、風が何処かへと運ぶ中で、
「お兄ちゃんお兄ちゃん」
背に乗った男児がジャックに話し掛ける。
「ん、どうした?」
「ぼく、やっぱあのお姉ちゃんみたいになる」
「おい、さっきの決意はどうした」
と、思わず苦笑のジャック。そんな二人の元へ、熱風でやや乱れた髪と服を直しながら、そのお姉ちゃんが合流。
「さっ、帰りましょっか」
ジャックはその彼女に嫉妬を覚えて表情にも出していたものの、今回は仕方ねぇか。と、鼻から溜め息。そして、顔を緩めると、
「そうだな」
すっかり泣き止んだ負傷の男児を連れて、ジャック達は街へと帰って行った。
それからしばらくして、あの母親の側にいたフィリカはその影に気付いた。
「あっ! ジャックさん達です!」
帰還したその二人に大きく手を振るフィリカ。ミーナが手を掲げて応えていた。その三人の姿を見た男児の母は、
「あぁ······よかった······!」
と、安心から橋の上で泣き崩れていた。彼女の腕には包帯が巻かれていたものの血が滲んでいた。今はより警戒して配備された兵士等の間を抜け、ジャック達はその彼女の元まで辿り着く。そして、男児をゆっくり降ろしながら、
「足と腹怪我してるから、あとで医者に見てもらってくれ。結構な傷なのに泣かない強い子だ」
ジャックは、下ろした男児に「頑張ったな」と言ってはその頭をやや乱暴に撫で、母親へ引き渡した。
「ありがとうございます······! 本当にありがとうございます······!」
「いいって。あと、あんたの怪我もちゃんと見てもらえよ」
「はい······!」
母親は男児を強く抱きながらそう答えた。ガルウルフにやられた傷やその魔物から離れた時に転がった衝撃で、男児の服は血などでボロボロに汚れてしまっていたが、母親は自分の服も汚れることなど気にせず抱き締めていた。
そして、そんな彼女等を見て、
「んじゃ、戻るか」
「えぇ」
役目を終えたジャックとミーナはその場を立ち去ろうとする。――が、
「待ってください!」
その二人を、男児の母親が引き止めた。
「あの、なんとお礼をしたらよいのか······」
「いいよ、別に。たまたまそこに居ただけだったし。――なぁ?」
「えぇ。偶然居合わせただけですから、お礼なんて結構ですよ」
と、ジャックとミーナは歩を進め立ち去ろうとする。――が、
「そんな、そういう訳には!」
母親は男児から手を離して、二人を向いて立ち上がっていた。――と、あまりに執拗とも取れそうな程、真剣に食い下がる彼女の様子に、
「うーん、どうしよ」
「どうしましょうね······」
と、聞こえぬほどの小声で、助けた側の二人が困惑。だが、とてもその母親が、何か礼を尽くさないと引き下がりそうにも二人には見えなかったためミーナが、
「んー、じゃあ······今度お食事でも誘ってください」
「あぁ、それいいな」
「そんなのでよろしいんですか······?」
「はい。私、最近マトモな食事食べてないので」
「俺もそろそろ食堂の飯に飽きてるしなー」
「そうですか······。では今度、今度の御休みにでも振る舞わせてください。是非、そちらの方々も交えて」
と、母親はフィリカとエドワードのほうも見た。彼等は、医者へ連れていこうとするも頑なに動かず、ジャック達が戻るまで橋から動こうとしなかった彼女に、せめてもの『キュア』と包帯を施していた。フィリカは「私は喜んで!」と鼻を膨らませたが、エドワードは「わしは賑やかな食卓が苦手での。すまんなぁ」と、頭を掻いて誘いを断っていた。そうして、ジャック達三人が次の休日、食事に招かれることに。
そして、
「本当に、ありがとうございます······!」
母親はもう一度、男児の横に立って深々と頭を下げていた。
「いえ。それじゃあ、お食事、楽しみにしてますね」
「はい。私に出来る限りで、おもてなしさせて頂きます」
と、まだお礼に善を尽くそうとする彼女に「いやいや、普通の食事でいいから」と思わず突っ込むジャック。それにはミーナも「そうですよ」と賛同していた。
やや、いいのかな······? というような丸い目を母親はしていたが「それよりそっち、連れてってやりなよ」というジャックの言葉で、まだ自分の息子が治療を終えてないことを思い出す彼女。男児が、話している間ずっと泣かなかったため、どこか安心してしまっていた。
とはいえ、それを促された母親は自分のしなくてはならないことを思い出すと、もう一度、今度は軽めに礼をして男児を背負う。そして「ではまた、失礼します」と言って、街へ向かって行った。
それを見送る二人は、
「まっ、なんとか終わったな」
「えぇ。じゃあ私達も帰りましょうか」
と、遠ざかる母親と男児の姿から目を逸らし、フィリカとエドワードの元へ向かおうとする。
――と、その時、
「またね! ヒーローのお兄ちゃんとお姉ちゃん! ありがとー!」
背負われた男児が、こちらを向いて手を大きく振っていた。ジャックとミーナは目を丸くして、チラと互いの目を見合わせてから、
「おう、またなー」
「またねー」
と、その小さな手に聞こえるように、手を振って答えた。二人の顔には笑みがこぼれていたが、それは『誇らしげ』とも取れる、とても充実感に満ちた、いきいきとした笑みだった。