英雄(ヒーロー)④
あれから城から出た三人は、T字の大通りを東へ下っていた。
その通りは人の往来はあるものの、主に馬車や荷車を引く者がほとんど。そしてその荷の多くが工業品だった。布を被せて運んではいるものの、すれ違えば、カタカタと鳴る金属の擦れる音がよく聞こえていた。
「あー、身体かなり軽くなった。サンキューな、ミーナ」
「いいえ、どういたしまして」
そんな通りを歩きつつ、肩を回しながら先の出来事について感謝を述べるジャックに、先導するよう前を歩くミーナは軽く顔を向けてそう言った。その顔は少しだけ満足気な顔。楽しそうな微笑とも取れるようなものだった。――と、そこへ、その彼女の隣にいた、丸眼鏡を掛けた少女が会話に加わる。
「ほんと、とてもさっきまで死んでいた人とは思えないですね」
「だろ?」
「でも、そんなに良くなったんですか?」
「あぁ。ちょっとした筋肉痛ぐらいにまでは戻ったぞ」
「へぇ、凄いです。えっと、たしかその魔法って······」
と、何かを思い出そうと、一度前を向いて歩く少女――フィリカは目線を上にして顎に指を当てる。が、すぐに、
「······そうだ! 『キュア』ですよね? ミーナさん」
楽しそうに左隣を見ては確かめるようにフィリカ。ミーナはその彼女を見ては少し頬を緩めると、
「えぇ、そうよ」
と、小首を傾げる。すると、後ろのジャック、
「なんだ、この魔法ってもう名前あったのか?」
「えぇ。名付けたのは私でも私のママでもないのよ。文献によると七百年前にはもうその名前が付けられてたらしいの」
「へぇ、そんな早くに。――ん、それはショックじゃないのか?」
「何が?」
「先に名前を付けられたこと」
「別に。ちょっとぐらいなんてことないわ。私はそれを超える魔法を作るもの」
「ふーん。そこは相変わらずだな」
「当然よ」
そうして話が一度途切れ、三人の横を馬車がカタカタと音を立てては通り過ぎる。それが過ぎ去った頃、人とのすれ違いはいくらかあるものの、誰としてこちらを特別意識している様子はなかったため、フィリカは忘れていた――ふと気になっていたことをミーナに尋ねる。
「そういえばミーナさん。私が寝ている間のことなんですけど、あの魔物――カヤクダケってあの後どうしたんです?」
フィリカは、もしや既に調理済みじゃ、と心の隅で思いつつ恐々と尋ねていた。ミーナは「そっか。あなたは知らなかったわね」と言って、彼女が医務室へ運ばれた後のことを話した。
「医者に『時間だけが快方に向かわせるから』って言われてね、私達モンスターも持ったままだったし、それで一度研究室へ戻ったの。ただ、その後モンスターがちょっとだけ動き出しちゃってね」
「えぇっ、それは。大丈夫だったんですか?」
「その時はすごく焦ったわ。それでトゲが再生する前に二人で慌ててロープで縛って、強化ガラスのケースに閉じ込めたの」
「はぁー、とりあえず無事でなによりです」
「少し逃げられて手こずったけどな」
「小回りが利くのよねぇ、小さいから」
「そうそう、机の下とか逃げられたりしてな」
「それであなたが机に頭ぶつけてたりしてね」
「お前もぶつけてたろ。涙目になってた癖に」
「何のことかしら?」
それを聞いてたフィリカは、ふとその時の二人のてんやわんやっぷりを想像。そして、平然と語るあたりどちらも強がってるんだな。と、楽しみつつも呆れ、そんなほとほとした視線を二人へ。――と、その視線を感じたミーナが、
「と、ともかく、そんなことがあったけどちゃんと捕縛してね。まぁ、元からそうして観察するつもりだったから、ちょっと手順が変わったってだけなの」
問題は何もなかったという調子で言う。が、そう話してる内にその時の事を克明に思い出し始めていたミーナ。彼女はすると急に、あのねあのね、と言わんばかりの勢いで「そうそう」とフィリカへ。
「あのキノコね、そのケースに閉じ込めた状態でトントンって刺激を与えると、びっくりしてボンってトゲを飛ばすのよ。すっごく可愛いくらいに」
と、目を爛々とさせては口角を上げて話すミーナだったが、話を聞いていたフィリカはやや耳を疑っては聞き直すように、
「か、可愛い······?」
苦笑いで少し引いては、後ろを歩くジャックをチラと見る。すると、その彼女の視線に応えるように、
「俺はそれ見て、怖さしか感じなかったけどな······」
と、フィリカと同じような引きつった顔。その顔はもちろん「万が一ガラスが割れたら」ではなく、もっと別の対象に向けての“怖い“を感じてのもの。自分の感覚が間違いではないと思うフィリカは改めて苦笑い。それに気付かぬ彼女だけは「そう?」と何ともない顔。
そして今度は、先の問いかけに「あぁ」と答えていたジャックが疑問に思っていたことを尋ねる。
「でもそういえば、あの魔物あれからどうしたんだ? いつの間にか居なくなってたけど」
するとミーナは、さも当たり前という調子で、
「あぁ、あの子? 解剖したわよ」
「えっ?」
あの子って。と、一瞬突っ込もうと思っていたジャックだが、その後のとんでも発言にそんなことはすぐに吹き飛んで、自分の耳を疑った。そして、いや、流石にあれでも一応可愛がってたから、聞き間違いだよな······? と、幼馴染を見ては「そっかそっか」と空笑い。――したものの、フィリカが「解剖······?」とボソリと漏らしたことで、やはりそれが聞き間違いではないと分かり、途端に引きつった笑顔に。そしてそのまま確認するように、
「それって、バラバラに、って意味だよな?」
「えぇ、そうよ。他にある?」
「いや······。ちなみに魔物は死んでたんだよな?」
「今回は違うわ。それが何か?」
一度絞めてからなら何となく救いはあったものの、そうでないことまで判明してしまい、今度は正しく顔を引きつらせてドン引く二人。先の『可愛い』の話を聞いていただけに、やはり、魔物とはいえ憐れみを覚えていた。
すると、そんな事を考え、黙り込むジャック達に、
「だって、じゃないと素材が採れないじゃない」
仕方ないという風にミーナは言った。――が、それを聞く二人は、そういう問題? と、先のような苦い顔。そして彼女は、まだ納得されてないと二人から感じると言葉を続ける。
「別に、キノコを手で割くのと変わらないじゃない」
「えっ、お前。あれ手で殺ったの······?」
「そんなわけないでしょ。例えよ。ちゃんと魔物研究者とナイフで殺ったわ」
「それで“そっか、なら良かった“とはならないんだけどな······」
「何が?」
「いやな、うーん、なんて言うかなぁ······そういうことじゃなくてな······うーん······そのな······いや、うーん······いや、やっぱもういいや。なんでもない······。なんかお前怖ぇよ······」
と、幼馴染の予想外の成長に頭を抱えるジャック。出来ることなら彼女自身で気付いて欲しかった――のだが、
「なによ、変なの」
それを見たミーナの『自分は正常』という感覚は変わらなかった。ジャックは、どっちがだよ、と睥睨していたが、もはや突っ込むようなそんな気力さえ失ってしまっていた。
そうして、顔を戻したミーナは前を向いて歩き続ける。――と、その時、静かに後ろに下がっては隣に来るフィリカが、ジャックの袖を軽く引っ張っては、顔を寄せてください、とでも言うように合図。そしてジャックが少し頭を寄せると、フィリカは思っていたことをボソボソと喋り始める。
「私、ここ来るまで、ずっと、ミーナさんってキラッキラしてて素敵な人だなぁと思ってましたけど、ミーナさんって時々おかしな一面を見せますよね。なんていうかショックを受けるギャップがありすぎるというか······」
「あぁ。俺も薄々感じてたけど、あいつ、変なとこで感覚ズレてるよな。ツタや名前の件に関しても」
「ですね······。ともあれ、ミーナさんって俗に言う『マッドサイエンティスト』ってやつなんでしょうか?」
「あぁ、きっとそうかもしれん」
「もしかして、私達が生かされてるのも、実は後であのキノコみたいにするためだったりして」
「あり得るな。だとしたらその前に逃げ出さないとまずいよな」
「生きたまま解剖なんて勘弁ですね······」
「あぁ、絶対嫌だな······」
と、二人は前を歩く彼女の背中を見る。
「やっぱ、あいつ変だよな······」
「変ですね······」
「狂ってるよなぁ······」
「狂ってますね······」
「イカれてるよな······」
「イカれてま——」
「あなた達、本当に解剖されたい?」
「「いえ、なんでもないです」」
小さな声で話してるつもりの二人だったが、途中から音量は元に戻り、それはしっかり彼女の耳へと届いていた。そんな彼女――ミーナは、ジャック達を横目で一瞥。そして、怒りの感情を混ぜた溜め息を鼻から、ふん、と吐く。
「ったく、研究者なら別に普通じゃない」
「いや、普通ではないだろ······」
すると、掻っ捌くナイフのような鋭い視線を、ミーナはジャックにキッと向ける。まだ言うの? と、窺えそうな目を。――と、ここで、
「もうやめましょう······ジャックさん」
敵わないと思ったフィリカが仲裁に入ったことで、小さな諍いはそっと幕を閉じる。とはいえ、ミーナはジャックを見て、短く一度鼻を鳴らしていたが。本気で喧嘩をしているわけではないが、まったくこの二人は······。と、フィリカは思わざるを得なかった。
そんな、手を焼かされているような思いにフィリカが駆られる頃。辺りには、より煤に匂いが漂い始めていた。それにいち早く気付くフィリカは、
「それにしてもミーナさん。この辺りって、軍の兵器専用工業地ですよね? ひょっとして、何か新しい道具の視察か何かですか?」
と、尋ねる。――が、
「それは、着くまで内緒」
先の機嫌をやや引きずっているものの、普段の口調に戻っていたミーナは少しだけ意地悪気に、振り向くことなくそう口にする。フィリカは首を傾げるも別に萎縮したわけではなく、何か意図があるのだろうと感じると、これ以上は口をつぐむことにした。
そうして、三人は街の周りを流れる川の近くまで来ていた。煤の匂いはするものの、東南から入り込む風によって空気は幾らか晴れ、また、川沿いの通りは一般人等がまばらに姿を現し始めていた。
そしていよいよ、見張りの兵士がいる――向こう岸とこちらを繋ぐ大きな石橋までやってくる三人だが、流石にその川を跨ぐ石橋の手前で左へと曲がった。そこから数十メートル程歩いた所で、
「ここよ」
と、ミーナはようやく立ち止まった。
「おぉ」「はぇー」
そう言ったジャックとフィリカの目の前には、すぐにも目を引くほどの、広敷地の大砲製造工場が広がっていた。その入り口から見える中では、何十門もの大砲が全て南に砲口を向け、ズラリと並んでいた。
――と、その光景に圧倒される二人。
「はぁー、すげぇ······」
「こんな並んだ大砲、初めて見ました······」
思わず感動の声。この国に住んでいるとはいえ、この東地区をしっかりと見るのは二人とも初めてだった。子供がおもちゃを見せられた時のような、豪華絢爛な食事をみた時のような、そんなワクワクが二人に溢れる。そして『内緒』と聞いた二人にウズウズとした気持ちが顔にも表れる。
「なんだよ、こんな面白そうなものなら先言ってくれてもいいじゃねぇか。そしたら疲れた身体でも動かせたのに」
「ほんと、ミーナさんは意地悪ですねぇ。兵器に学がない私だってこれは楽しみですよー」
と、二人はその工場のほうを見たまま、早く中へ行こうというのを暗に示す。――が、何度もここを訪れたことのあるミーナはそちらには目もくれていなかった。
すると彼女は、右斜めへ少し歩を進めては、
「ちょっとあんた達、どこ見てんの。こっちよ、こっち」
顎で指して、自分の目的地を教える。ミーナが指していた先は、その工場の隣にひっそりと佇む、いかにもボロと言える、コンクリート製の小さな角張った建物だった。それを見た二人は、
「えっ?」「へっ?」
思わず情けない声を漏らした。そしてポカンとした表情のまま、
「なにかの間違いでしょうか?」
「さぁ······」
先程の光景とは月とスッポンの建物に、二人はまだ現実を受け入れられずにいた。――が、
「先行くわよ」
そう言って中へ入って行く自分達の上司を見て、二人は本当の目的地はそこだったということを嫌でも把握。そしてそのため、その落差につい唖然とする二人は、
「なんか私、楽しみにしてた新作の文庫を水に落としたぐらい落ち込みそうな気分です······」
「俺は買ったばかりの剣を質に入れられたような気分だわ······」
と、各々自分の胸の内にポッカリ空いた風穴を語る。――が、だからといってそこで立ち尽くすわけにもいかなかったため、二人は同時に肩を落としては、渋々、自分達の上司が消えて行ったその建物へと重たい足取りで向かって行った。