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東雲(しののめ)⑧

 あれから数日、ジャックは一度も研究部屋には現れていなかった。痺れから復帰したフィリカはここへ来る度、その事で心配の色を浮かべていた。


「ジャックさん、今日も来ませんね······」


 これまでミーナとフィリカ二人だけの事は度々あったものの、それでも部屋に漂う空気は、いつもより沈んだ――瓶底に溜まる泥のような昼下がりだった。


「あの日、何かあったんですか?」


 そして、そうなっている事情をいまだ知らぬフィリカは、書庫から持ってきた一冊の分厚い本を抱えたまま尋ねる。――が、


「······何もないわ」


 その空気を無意識に作り出しては、まるで避けているように魔法の研究へと没頭する彼女は淡々と答える。


「だったら、どうしてジャックさんはここへ来ないんですか?」

「······」


 白衣を着た彼女――ミーナは何も答えず、薬品の調合を続ける。


「もしかしてあの日、勇者さんと何かあったんじゃ——」

「フィリカ」


 小さいながらも鋭い声だった。

 余計な詮索はするな、というような。そして、


「······いいから放っておきなさい」


 鋭さは消えるもその冷めた声に、フィリカは黙って俯いた。


 だが、当然フィリカは納得出来なかった。

 それ故、しばらくしてまた顔を上げると、


「もういいです」


 この人に聞いてももうどうしようもない。と、フィリカは、研究のため持ってきたその分厚い本をドンと机へ置いて、早足で部屋を出て行った。


 部屋に一人取り残されるミーナ。

 フラスコの煮える音だけが、寂しく響いていた。


 そして、廊下から聞こえる音がなくなった時、ミーナはそっと、手に持っていた容器を机に置いては俯き、


「······だって、私がなんて言ってあげたらいいのよ」


 あの日のような顔で、そう呟いた。





 一方――。


 街の南にある船着き場の階段で、ジャックはぼんやりと遠くを眺めていた。川の向こうでは兵士達が一体の熊の魔物と、剣で戦いを始めている。だが、それに焦点を当てることのないジャックは、先日のあの勇者との戦いを想起していた。


『あの子の兵士だっていうから期待してみれば、そんなものかい?』

『本当に当てる気はあるのか? ジャック』

『そんな剣じゃ、魔物も倒したことないじゃないのか?』


 跳ねる水溜り。

 風を切り裂く音。

 火花を散らす甲高い音。


 ――あいつは、どれもこれも本気じゃなかった。

 ――俺を殺す気なんてこれっぽっちもなかった。

 ――なのにわざとギリギリで避けて、わざとギリギリで受け止めて。


「くっ······!」


 ――しまいには泥の巻き上げまで、全部分かってるように受け流しやがって······。


『ジャック、もう充分だ。終わりにするよ』


 ――そして、最後は防戦一方······。

 ――途中までなんとか耐えたものの、二回左右に揺さぶられて······。

 ――剣を弾き飛ばされた時にはもう、目の前に······。


 その後の、弾かれた剣が回転しては突き刺さる音を、ジャックは無意識に思い出す。そして、最後に彼が言ったあの言葉も。


「······くそっ! 黙れ!」


 その声に、近くを通った行商がジャックを不審にチラと見ては通り過ぎる。しかしそれには気付かず、ジャックは拳をあの日のように強く握りしめていた。


 そんな彼の対岸では兵士等が歓喜の声。


 ――と、その時、ジャックの後ろから話し掛ける声が。


「よぉ。こんなトコに居たのか」


 ジャックが振り向いたそこに居たのは、波止場の石段を降りる同期の兵士――スライだった。彼は手を上げて挨拶するも、ジャックは前に顔を戻すと、


「······なんだ、お前か」


 と、つまらなそうに。ジャックの隣の場所まで降りてきた彼は、


「なんだはないだろ? こっちは練習相手いなくて困ってんだぞ」

「んなことねぇだろ。兵士なら他に一杯いるじゃねえか」

「他の奴らじゃ相手になんねぇんだよ。俺は強いからな」


 と、彼は自信ありげに口にする。が、


「······お前もそのセリフ言うのか」


 その言葉は、ジャックの気をより不快にさせた。


 すると、


「なんだ、あの勇者が言ってたのか?」


 ジャックは面食らってやや目を見張る。そして、横に立っていた彼に視線を向けては、


「見てたのか?」

「あぁ、偶然な」

「······」


 物憂げにそう言っては、ジャックは斜め前の水面へと顔を向けた。水面では白い鳥が群れを作り、悠々とその空を羽ばたいていた。


 それが視界から確認できなくなった所で、


「あれは勝てねぇよ」


 スライはそう言って剣を置いてジャックの隣へ座ると、足元の小石を拾い、それを川に向かって投げる。無造作に放られたそれは、ポチャン、と鈍い音を立てては波紋を作る。


「あれは何度も死線をくぐり抜けてきた動きだ。俺等の経験じゃ及ばないほどのな。お前もそれを分かってるだろうけど、そんなやつを直接見て、そんなやつと直接戦って痛感したんだろ? その差を」

「······あぁ」


 静かにそう認めるジャックは、足元の石を拾ってはその悔しさを込めるように、それを思いっきり投げた。先と同じような儚くも鈍い音。その波紋はここまで辿り着く。


「最後、力負けしたのは残念だったな。途中まで良い感じだったのに」

「それは、手を抜いてたあいつが本気を出しただけだ」

「······あぁ、そっか」


 実際戦ったジャックは、最後の一撃を受けた時、それまでのどれもが本気ではなかったのだと、手に取るように感じていた。徐々に本性を現し、そしてその力が全力になった時に自分は負けた。手の打ちようもなく追い込まれるように。


 だからジャックは尚の事、思い出せば思い出すほど悔しさを増幅し、それに耐えられなくなってはこうして忘れようと、船着き場からぼんやり向こう岸を眺めていた。だが、それだけで晴れることは決してなく、今ではその悔しさは、あの勇者の言う「遊びに来た」という幼馴染にだけ向けた言葉さえ、皮肉に思えるほどだった。


 しかし、先よりも少しだけ、今は気が楽になっていた。

 同じようにその気持ちを理解できる兵士の彼に、それを打ち明けたことによって。


 そんな自分にふと気付いたジャックは、その同期の彼が次の言葉を紡がないのを感じて、話を切り替えた。


「そういえば、今日はあっちじゃないのか?」


 対岸の帰路に就く軍隊に視線を向けるジャック。同期の彼もそちらに視線を向けると「あぁ」と言って、


「今日は後衛担当だったからな。こっちの勝ちが見えたもんだから、俺等は街の巡回にあたってたんだ」

「あぁ、なるほど」

「で、そしたら職務怠慢してる奴見つけたってわけ」

「誰が職務怠慢だ」

「お前以外いねぇだろ? それに、軍の剣持ってこんなとこ座り込んでるなんざぁ······それ、端から見たら怠慢にしか見えねぇぞ?」


 と、横で笑う彼に、ジャックは何も言い返せなかった。が、


「まっ、今回のとこは大目に見てやるよ」


 そうして同期の彼は「さてと」と言って剣を持って立ち上がる。しかし、斜め下のジャックへ視線を移すと最後に確かめるように、


「お前、負けっぱなしでいいのか?」

「······いや」

「だよな」


 それを聞いた彼はニッと笑うと腰を屈め、落ちていた胡桃ほどの小さな石を拾う。そして、川の遠くで流れる――山から流されてきたであろう木の実に向け、それを思いっきり投げた。木の実は、真っ直ぐ伸びたその玉によって砕けるように割れると、容易く沈んでいった。


 彼は「よし」と言って軽くガッツポーズ。そして、


「まっ、それだけ聞けりゃいいや」


 と、鎧に付いた砂埃を軽く払い落としては、


「じゃ、そろそろ俺行くわ。あんま時間掛けてると、それこそサボってると思われちまうからな、俺が」

「······そうだな」


 ジャックは小さな失笑をしては顔を伏せる。


 同期の兵士は踵を返し、石段を上って街の通りへと向かっていく。が、三段ほど上った時「あっ、そうそう」と何かを思い出したように体を戻すと、


「ハイゼル司令官から言われたんだけど、えーとなんて言ったかな。たしか······フィ······フィ······あっ、そうだ。——フィリカって子がお前を探してるから、見かけたら伝えといて欲しいって言われてたんだ」

「フィリカが?」


 彼からその名前が出たことに、驚きで徐に振り返るジャック。


「知ってる子だよな?」

「あぁ、うちの後輩だ」

「後輩? それ本当か?」

「あぁ、本当だよ。嘘ついてどうすんだ」

「いやだって、あの司令官を伝言係に使ってんだぞ? 何者なにもんだよ、その子」


 それを聞いたジャックは、そういうことか、と思うと自然と息を漏らし、ふっ、と笑う。


「知らね。俺が聞きてぇくらいだ」


 そしてジャックも、先の彼のように再び小石を拾うとそれを遠くへ放り投げる。が、先の彼が割ったような的を狙ったものの、残念ながらそれは全くカスリもせず虚しくも水の中へ。


 しかし、それでもジャックはさっきまでの憂いさを感じさせない顔を彼に見せると、


「フィリカの事は分かった。もう少ししたら行くよ」

「あぁ、頼むぞ。ちゃんと伝えたからな」

「あぁ、サンキュ」

「じゃ、またな」

「あぁ、またな」


 そうして同期の兵士は階段を上がっていった。しかし、石段を上りきった所で「もうひとつ言い忘れた」と彼は振り返る。


「明日は訓練場、来いよ」


 それだけ言い残して、彼は街へと消えて行った。

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